参考聖書箇所: ヨハネによる黙示録7章9-17節
「この後、わたし(=ヨハネのこと)が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊(=イエス・キリストのこと)の前に立って、 大声でこう叫んだ。
※ 聖書では、イエス=キリストを信じて従っていく者たちを、一貫して「羊」にたとえています。
そして、信じて従う者たち(=聖書でいう「神の国の住人」)を、導くイエス=キリストのことを、「牧者」(羊を飼う者)と表現され、キリスト教でいう「牧師」とは、ここから来ています。
(※ 牧師の「牧者」に該当するのも、イエス=キリストです。自らが神になることは決してありません。)
一方で、神(=天地創造主の神)との関係において、「小羊」「仔羊」などと表現された場合、それは、罪の赦しを得させるために、人間の罪の身代わりとなって自らを十字架の上で血を流して犠牲にした、イエス=キリストのことを指している 象徴表現です。
従って、「玉座の中央におられる小羊」とは、十字架にかかったのち、復活して 弟子たちの前に現れ、生きたまま 天に引き上げられていった イエス=キリストのことを指します。
「玉座」とは、「王座」のことで、「天の国」「神の国」の中心の 玉座におられるのは、イエス=キリストだと、ヨハネの黙示録は語っているのです。
つまり、「神の国の住人」「天国人」とは、イエス=キリストとそれに従う決意をした、神の側に立つ人間たちを指します。
聖書では、この世界は、「神の国」と「悪魔の国」のどちらかに、人間はみな、実は属していることを伝えて、
「神の国」の住人となること(=「天国人」となること)を自らが「自らの意思によって選択して選ぶように」と、訴えかけているのです。