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この白い衣を着た者たちは

2022-10-06 | 日記

参考聖書箇所: ヨハネによる黙示録7章9-17節

この後、わたし(=ヨハネのこと)が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊(=イエス・キリストのこと)の前に立って、 大声でこう叫んだ。

「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊(=イエス・キリスト)とのものである。」
 
また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」
 
すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」
 
そこで、わたしが、「わたしの主(=しゅ、と読む。自分が従う神様のこと)よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。
 
「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血(=イエス・キリストによる十字架の救いのこと)で洗って白くしたのである。
それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。
 
彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。
玉座の中央におられる小羊(=イエス・キリストのこと)が彼らの牧者(=大事に守って導く者)となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」

 

※ 聖書では、イエス=キリストを信じて従っていく者たちを、一貫して「羊」にたとえています。

そして、信じて従う者たち(=聖書でいう「神の国の住人」)を、導くイエス=キリストのことを、「牧者」(羊を飼う者)と表現され、キリスト教でいう「牧師」とは、ここから来ています。

(※ 牧師の「牧者」に該当するのも、イエス=キリストです。自らが神になることは決してありません。)

一方で、神(=天地創造主の神)との関係において、「小羊」「仔羊」などと表現された場合、それは、罪の赦しを得させるために、人間の罪の身代わりとなって自らを十字架の上で血を流して犠牲にした、イエス=キリストのことを指している 象徴表現です。

従って、「玉座の中央におられる小羊」とは、十字架にかかったのち、復活して 弟子たちの前に現れ、生きたまま 天に引き上げられていった イエス=キリストのことを指します。

「玉座」とは、「王座」のことで、「天の国」「神の国」の中心の 玉座におられるのは、イエス=キリストだと、ヨハネの黙示録は語っているのです。

つまり、「神の国の住人」「天国人」とは、イエス=キリストとそれに従う決意をした、神の側に立つ人間たちを指します。

 

聖書では、この世界は、「神の国」と「悪魔の国」のどちらかに、人間はみな、実は属していることを伝えて、

「神の国」の住人となること(=「天国人」となること)を自らが「自らの意思によって選択して選ぶように」と、訴えかけているのです。


自然界(=神)からは一切評価されないからです。

2022-10-06 | 日記
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