「コロナ禍で見知らぬ人にまでイライラを撒き散らす人というのは、コロナ禍でそのような気質に変わってしまったのではなく、その人が本来持っている気質がコロナ禍によって表面化しただけだと思うのです。
これは「お酒で人が変わるのではなく、お酒はその人の本性を暴くだけだ」という主張と同じ考え方です。お酒のアルコールで感情を抑制するブレーキが弱まり、眠っていた本性が暴かれる、という話です。
平時の際は瞬間的にイライラしても、それを抑えるだけの気持ちの余裕が持てています。しかし、今のようなコロナ禍では、イライラを抑える気持ちの余裕がなくなり、その人が本来持っている攻撃的な気質を引き出しているだけだと思うのです。
つまり、攻撃的な人というのは、コロナ禍以外でも気持ちに余裕がなくなると、同じように相手を攻撃し始めるような振る舞いをする人物と言えます。
人は理不尽、苦しい環境に置かれると「悲しみ」と「怒り」の感情の選択を迫られます。悲しみにくれて耐える人は自己完結的で強い人であり、怒る人は精神的な耐性が弱く自分本位的だと考えます。
怒りは誰かにその感情をぶつけることで、その時は気持ちがスッと楽になります。その一方で悲しみは、苦しみに耐え忍ぶ心の忍耐を余儀なくされます。ですので、気持ちに余裕がなく、忍耐力がない人ほど悲しむ代わりに、誰かに怒りをぶつけるという選択をしているのです。厳しい言い方をするなら、自分が精神的に楽になりたいから、他人をサンドバッグ代わりにする自分本位的な人だと思うのです。
コロナ禍が世界的に広がり、多くの人が理不尽な精神的苦痛を強いられています。政府の対応など、過去を振り返ればよりよい手段を取ることは出来たでしょうが、感染拡大はさておき、この記事を書いている時点では発生理由は分からず、そうなるとCOVID-19自体の発生は人為的不手際というより、自然発生的な天災に近い性質があるわけです。つまり、特定の誰かを責められる性質ではないのです。
それにも関わらず、誰かを攻撃したい人がいます。そうした人は平時から余裕がなくなるたびに他人を攻撃する気質の持ち主なので、そうした気質同士を除き、多くの人にとってはあまり積極的に関わりたくない人といえるのではないでしょうか。コロナ禍がこうした人を見える化しているのです。」
攻撃的スピリチュアリストたちもそうですね。