生きていたら
惑わすことも惑わされることもあるから
生きるうちに変わっていくけど
本当に欲しいものも
本心も
変わっていないと感じる。
冷たいとか
優しいとか
依存的とか
厳しいとか
面白いとか
真面目とか
おしとやかとか
デリカシーがないとか
頭が良いとか
オシャレとか
個性的とか
平凡とか
素晴らしいとか
ダメダメとか
その他大勢とか
目立つとか
華やかとか
地味とか
健康とか
不健康とか
明るいとか
内向的とか
友達が多いとか
友達がいないとか
面倒くさいとか
いつも違う言葉を聞くけど
私はどれか1つでは無い。
どれも持ってるけど
本心がどれかは
伝えたところで
見たくない人には見えない。
特に、情緒が深くて
自立心が強くて
真実にかなった事が欲しくて
健康的な生活をするために
不健康が身に付いてしまった自分を
少しずつ改善していって
やりたい事なら
いくら努力をしても辛くないのが
永遠に自分が心から
納得する道を探して
試行錯誤するのが自分と思う。
他人の目を気にするのは
本当は自分らしさとは違ったと思う。
求められたら、あげたくなるけど
本当に欲しいのは別にあるし
無理をあげても、他人は幸せになれない。
冷たく映っても
お人好しに映っても
バカで惨めに映っても
そうするのが自分だから
そうすることで、幸せを見つけてきたから
感情は大切で重要だけど
感情だけじゃ生き抜けないし
理性は大切で重要だけど
理性だけじゃ生き抜けないし
どれもこれも
必要だからあるのに
何かどれか1つに
型を決めたり
永遠には決めなくていいのに
その時その時の
フィーリングも大事で
今までの経験から決めてある、
うまくいく自分のテンプレートも大事で
全部が必要なのに
否定されたら、選択肢を隠されたら
うまく選べなくなる。
私には、本当のことが大事だから
周りで何を話すのも自由だけど
聞くか聞かないかも自由だし
何を遮断するか受け入れるかも
自分の裁量で決めることだから
好きに選ばせて欲しいし
好きに選ぶ。
他人に対しても、それを望むから
私と他人は別だから。
幸せになるためのルートも
方法も今必要なものも
常に人と人は違う事が多いのに
関わりあうのと
邪魔し合うのは違うのに。
しばらく落ち込むか、すぐ元気を出すか
とりあえずやってみて変更するか
最初を突き通すか
全部が自己判断なのに。
幼い頃はそれを知らなかった。
自分が欲しくて選んだものなら
間違えた時も納得するのに。
自分で次を選べるのに。
きっと、最初は知っていたのに
知っている人も多いのに
柔軟さが仇となって
分からなくなって
優しさが苦しみになって
首元を締め続けて息苦しかった。
頑固さが足りなかったね。
「そうじゃないと思う」って
言うのも言わないのも
隠すのも示すのも
行動するのもしないのも
諦めるのも諦めないのも
自由だったのに。
元の自分に戻る途中で
夜更かししちゃった。でも、書けて良かった。
自分のことが好きなのは
おかしいことじゃないのに
好きなのを笑われても恥ずかしくないのに
好きだから他の何かを好きになるのに
私の幸せな選択を尊重するから
誰かの心を尊重するのに
幸せになりたいから
幸せにいる人を見たら嬉しいのに
小馬鹿にされても
辛くないのに。
情に流される役を
しようとしてたのは
間違いだった。
弱いのは悪いことじゃないのに
弱いことを受け入れられなかった
今までの人間関係の相手のために
間違えた助け舟を出してた。