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【成長痛を自分で治す方法】思春期(10~15歳)に多い膝の痛みオスグッドを解説して根本から改善していく方法

2019-10-17 11:37:31 | 日記
【成長痛を自分で治す方法】思春期(10~15歳)に多い膝の痛みオスグッドを解説して根本から改善していく方法

イシキヨの自己紹介。私も成長痛になり辛い経験をしました。
中学校に入学して念願だったバスケットボール部に入部した
入部してすぐに成長痛(オスグッド)になった
歩くのもままならず、両親がいい病院があると
隣駅の整形外科に通った
ドリルで膝に穴を開けたり様々な治療をしたが良くはならなかった
最後に医師に言われた言葉は
「運動を止めろ」「部活も止めろ」
病院からの帰り道、頭が真っ白になってどうやって帰ってきたのか記憶がなかった
大好きだったバスケットと運動が大嫌いになった
中学二年で半グレになった
中途半端なグレ方だった、学校の成績もクラスでビリから4番目と中途半端な奴だった
(2回目の挫折)
運動が出来なくなった僕は音楽を聴き漁った
将来は音楽で飯を食おうと決めた
大学も両親に無理を言って音大に入った
大学1年の時にリレーの選手に選ばれた
僕は300m走る選手に選ばれた
300m直前で腰が抜けて走れなくなった
また病院にいった
しかしそこでも「骨には以上がない」「暫く安静にしてください」だけだった
そんな中僕は大学を2年で中退してしまった
両親には申し訳ないと思ったが大学の学業と僕がやりたい音楽はかけ離れていた
家を追い出された僕はアルバイトをしながら音楽活動を続けた
しかしコネもツテも才能もなかった僕は
業界への扉をこじ開けることは出来なかった
(3回目の挫折)
20代前半で正社員になった
第一印象で
学歴もなく、身長の低い僕は見た目で「仕事が出来ない奴」
と上司からも同僚からも見下されているのを肌で感じた
営業の仕事だったが新人賞をもらった
僕はこの時
「自分は人の2倍の結果を出さないと一人前として認めてもらえないんだ」
と痛感した。そして同僚や上司と本当に腹を割って話すことが出来なくなっていた
(4回目の挫折)
僕はこの時期サーフィンを始めた。
めちゃくちゃ面白かった。週末は毎週海に行っていた。
そんな時今度は肩を痛めてしまった
パドリングが出来ないとサーフィンは出来ない
今度は整形外科ではなく針治療やカイロプラクティックなどの様々な民間療法に通った
結果どこに行っても良くはならなかった
この時、「身体の痛みを治す業界はこんなものなのか」
と思った
だったら自分でやるしかないと思った
脱サラして柔道整復師(整骨院の先生)の学校で学びながら様々な民間療法を学んだ
整形外科や接骨院にも勤めた
朝から晩まで3年間狂ったように医学を学んだ
学校を卒業してスグに自分の理想の治療が出来る整骨院を開業した
患者さんの為に最高の治療を誰でも気軽に受けられる安い料金で提供するのが夢だった
立地条件の悪い8坪の整骨院はスグに地域に溶け込んだ
オープンして2か月後に整形外科が目の前に出来たが
初年度から黒字経営が5年間続いた
しかし整骨院の保険治療はグレーゾーンと呼ばれようになっていた
連日患者様が保険者からの調査用紙を持参されるようになった
繁盛すればするほど患者様に説明するのが苦痛になった
患者様とせっかく築き上げた信頼関係が音をたてて崩れていくのを感じた
子供が生まれて、もし子供の友達の親が調査用紙を持ってきたらと考えると
ゾッとした。
(5回目の挫折)
ちょうど妻が妊娠したのをきっかけに新たにリハビリデイサービスという
介護保険を使った施術とリハビリが出来る施設を立ち上げる決心をした
何処からも誰からも、とがめられない真っ白な保険請求だ
介護認定の利用者様は整形外科的な悩みだけでなく
がん、認知症、難病など
様々な疾患をお持ちの方も沢山来る
世の中には不健康な方が沢山いるのだと痛感した
やりたいことがあっても健康でなければ何もできない
幸せを感じられない
沢山の利用者様とお話させていただくうちに
健康な生活を送る為には
運動だけでもダメ
思考だけでもダメ
食事だけでもダメ
3つのバランスが保たれないと駄目だと痛感した
どうしたらもっと沢山の人たちを健康に出来るんだろう?
(6回目の挑戦)
そのためには動画を使って世界中の人に発信して行くのが賢明だと思った
健康な生活を送る為には
運動
思考
食事
この3つのテーマを全国の視聴者へ
そして少しでも世の中の人たちが幸せな生活を送れるようになればいいと思った。
僕の夢は
世界中の人が当たり前に
健康な生活を送りやりたい事が出来る世界
僕の好きな四字熟語
自己実現ではなく自他実現