飛行士は6つの時、
おそろしいウワバミが、象を丸呑みした、
世にもおそろしい絵を描いて大人に見せました。
すると大人はウワバミの絵のかたちをみて
「なんで、帽子がこわいものか」といいました。
そこで帽子の中身を描いてみせたら、
びっくりして恐がるどころか、
「つまらない絵を描いてないで、
もっとためになる本を読んだり、
役に立つ勉強をしなさい」と言われました。
それいらい、絵描きになることをあきらめ、
役にたつような地理とか文法とかの勉強をし、
飛行機の操縦をおぼえて、飛行士になりました。
そして、ブリッジ遊びや、ゴルフ、
政治、ネクタイの話をするようにしたら、
大人達は「物わかりのよい人間だ」と満足しました。
これは、サン・テグジュペリの「星の王子様」の冒頭に書かれている一節です。
子どもの感性を大人達は自分たちの
知識の中に当てはめようとします。
それを子どもは説明する手段や言葉を持ちません。
やがて、それが面倒で厄介で説明すればする程
つまらないことになるのです。
そして、あれは何が楽しくて可笑しくて
夢中になれたのかを忘れてしまうのです。
役に立つ物と引き換えに何を忘れてしまったのか
それを思い出す方法さえも忘れてしまった気がする。
決して「物わかりは良い人間」ではないが、
つまらない大人になってはいないかだろうかとふと考える。