かなり以前の(笑)10代の頃に、横浜○蠅の歌を聴いていたというヤン○ーのような過去を
前にブログでカミングアウトしたけれど。そういえばそうそう。
こんなアルバムも繰り返し繰り返し聴いていたのを、きのう突然何十年ぶりにまた思い出し
今度はこれが、聴きたくてたまらなくなった。
そのアルバムは、歌手名、アルバム名ともにア○ーキー。
i thunseでア○ーキーと入れ検索したらアルバム発見
歌を見るとどれも知っている歌。
このアルバムだった
たぶん何百回も聞いた歌で、あの頃の、世の中に反抗していたような気分になっていた自分を思い出し、
1900円くらいしたけれどi thunseでそのアルバムの歌を購入。
さっそくちょっとボリューム高めに、聴いてみる。
ものすごく懐かしくはあり、訳もわからず、いきがっていた自分も浮かんで来た。
確かにめちゃ懐かしく嫌いな歌ではないのだけれど、
恥ずかしい気分になってきたのはなぜだろう
東京イ○バーニ○グ
この歌は、当時は一番衝撃的な歌であり、でもなんかそれが反骨精神のような
カッコよさも感じていた歌だった。
でも、当時から、この、ブービー音で消された音楽の文字の、天○や象○だろうというフレーズが物議をかもした歌で。
レコードのアルバムには入っていたこの歌が、
ア○ーキーを思い出したときに一番先に思い出したこの歌が、
CDでは消えてしまっていて。
ネットで調べたら、CD発売になったとき、この歌は消された。とのことで。
現在の私は日本には天○がいるべきだと思っているし、とても尊敬しているし、
○室の方々を普通一般のひとたちより大好きなほうの人間だと思います。
天○、○室関係の本もけっこう読んで来たので、生き方など。ますます好きになりました。
当時はでも、そのどこにでも向ける反抗みたいなのが、
なにかカッコいいような気がしていたようで。
歌詞を全て覚えていたけれど、すっかり記憶の向こうに行っていたこのアルバムをまた聞いて。
当時の気持ちは確かに思い出すのだけれど、今感じたのは。
当時は。ただただ、若いなぁぁーーー。ってのと、幼いなぁーーー。ってこと。
この曲全てが、正しいというか、全ての正解は自分で。
あるのはすべて他者への揶揄のような気がしてきた。
横浜○蠅の歌は、ちょとワルイ自分たちを楽しんでまーす。みたいな歌だったけど。
こちらの歌は世の中見るもの全てへの批判のような、同じような歌でもちょっと違う。
(シティー)サーファーへの批判、季○の中でを歌っている人への批判、ロックスターへの批判、
警察へ、団地のおばさんへ、会社へ、政治家へ、大人へ、社会へ。
このアルバムを、今この年齢になりまた聴いてみて、気づいたことがある。
こういう揶揄のようなことを、ずっとしたまま、そのまま大人になっている人間が世の中にはいる。
ということ。
こういう歌を聴いていたとかに限ったことではなく普通の人でも。
こういう、若い。というか幼い感情のまま、大人になり、
何歳になっても他を全て揶揄することや、批判することで自分を確立しようとする人。
誰でも他者はを批判はするものだけれど、全てを批判する人間。
正しいのは自分で、社会が悪いからこうなる、相手が悪いからこうなる。と言い続ける人。
私の周りにはいた。
大人になりきれていない恥ずかしい大人がいた。
そしてもしかして自分もそんな人間だったのかも。と。
この歌を、今聴き、懐かしさと一緒にそんなことに気づいた。
その渦中にいると見えないものが、離れると見えてくるのかもしれない。
これは昔には、なかった感情で。
そこに今頃気づけた自分は、実は最近ようやく大人になれたのかもしれない。
(精神論。笑)