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おばちゃん

2011年06月23日 | 思い出・過去の出来事

自分で設定したのだが、普段あまり鳴らないメールの着信音。

トトロ。

誰だっけ???
と思いながら、さっき、携帯を見る。

おばちゃんからだ。

そうだった~私にとって、おばちゃんは心の安らぎだから…
着信音は、トトロにしたんだっけ。

そんなことを、ふと思う。

おばちゃんは、母と双子だった。
二卵性なので、顔も体格も全然違ったけど、母が生きていたら、
今頃は、おばちゃんと同じくらい歳をとっていたのだな…と思う。

小さい頃から、私は、おばちゃんに世話になった。
母が私が三歳の頃離婚し、その後、私はずっと、おばちゃんに
預けられていたことがあったそうだ。
「あの頃ね、○○(私)は、ほんと、かわいかったんだよ~!」
と、おばちゃんは言って昔の話しを、してくれた。

それから、私が思春期になるまで、おばちゃんは、いつ遊びに行っても
いつでも優しかった。

いとこの間では、みんなが、
「小さい頃、○○○おばちゃんの子供になりたかった!」と
大人になってから言い合ったくらい、誰にでもいつも優しい、
おばちゃんだったのだ。

母の再婚相手の義理の父親や、母と、うまく行かなかった
中学生の頃。
夜、公衆電話から泣きながら、おばちゃんに電話した。
おばちゃんは、飛んで来てくれた。
そして義理の父親と母に「あなたたちは、○○(私)に
冷たすぎるんじゃないか?この子は昔から素直な子だ!そんな
悪い子じゃない!!あなた達はひどすぎないか??」と
直談判してくれた。
そして、おばちゃんがなにを言っても、母が義理の父親の味方だと
わかると。
「だったら、私が○○(私)の面倒を見るから!!
○○は、うちに住ませるから!!
あんた達は、○○(私)可哀想だって気はないんだね??」と義父と母に。
(母に向かって言ったのだと思う)
そんとき、私は初めて、怒ったおばちゃんを見た。
そして一番難しい思春期の約1年、私の面倒を見てくれた。

おばちゃんは、30後半くらい?若くして未亡人、その後は
ずっと独身だった。
家には、私の二歳上の従兄、三歳下の従弟もいるのに、
仕事しながら、私の面倒まで見てくれた。
若い頃は、とても綺麗で、いつも、お洒落な、おばちゃんだった。

今は、子供の世話にはなりたくないし、1人が気楽でいい。と。
アパートで独り暮らしをしている。

そんな、おばちゃんから、突然着信音だ。



元気でいますか?
そろそろ暑い夏が来そうですね。
今も歴史巡りをしていますか?
おばちゃんは、あちこち痛いと言いながらも元気でかけまわっています。

暇な時がありましたら、泊まりがけで遊びに来てね。

何んにも出来ないけれど、お酒でも飲めたらいいかな。
この狭い我が家にどうぞ泊まりに来て下さい。



うれしくて涙出そうだった。


きのうテレビ番組で認知症みたいになった夫を看護している
妻が、看護に疲れて自殺しようとして。死ぬ前に、自分の
母親の声が聞きたくなり、母親に電話する。って場面。
電話に出た母親が。「死ぬなんて、あ~!もったいない!
もったいない!もったいない!」って娘に。
「あなたは3つの逃げ道があるんだよ?1つ目は、近くの
喫茶店に行き、落ち着いてみる。
2つ目はそのまま旅行に行く。
3つ目は、自分の家に帰っておいで。」

これ見てて。

私には、こんなこと言ってくれる母親は、もう、ずーっと
いなかったんだよな。
そこまで思ってくれる、親みたいな人もいなかったんだよな。
と、思ったら涙溢れて来ちゃったんだけど。


でもね?
今日、おばちゃんから、メールもらって。

私にも。私に会いたいと言って思ってくれる、肉親、母親に
近い、感情、愛情私に持ってくれる人がいたんだよな。って。

なんだか、一通のメールが、ものすごく、うれしかった。

おばちゃんは、本当であれば、ただの親戚のおばさんだ。
けど、私。その関係ないおばちゃんに、昔からたくさん世話になった。




けど…まだ、なんの恩返しもしていない…。


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