J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

2011年5月29日日曜

2011年05月29日 | 東北地方太平洋沖地震

台風2号は温帯低気圧になった。

平成23年 台風第2号に関する情報 第61号
平成23年5月29日16時39分 気象庁予報部発表

台風第2号は四国沖で温帯低気圧に変わりましたが、
低気圧周辺では依然として非常に強い風が吹いており、また前線の活動も活発となっています。
西日本、東日本及び東北地方では30日にかけて大雨、暴風、高波に引き続き厳重に警戒して下さい。

[台風の現況と今後の予想]
台風第2号は、29日15時に四国沖で温帯低気圧に変わりました。
今後、温帯低気圧は本州の南岸を東へ進み、30日夜には関東の東の海上に進む見込みです。
今後も、低気圧周辺では非常に強い風が続き、前線付近でも大気の不安定な状態が続く見込みです。

[防災事項]
<暴風・高波>
 西日本から東日本の太平洋側を中心に、30日にかけて非常に強い風が吹き、
 西日本から東北地方にかけての太平洋側では大しけとなる見込みです。
 暴風や高波に警戒して下さい。

<大雨>
 30日にかけて、西日本から東日本では、局地的に雷を伴い1時間に30から50ミリの
 非常に激しい雨が降るおそれがあります。また、30日は東北地方も大雨のおそれがあります。
 
 30日18時までの24時間に予想される雨量は、いずれも多い所で、
 東北地方        180ミリ、
 中国地方        150ミリ、
 近畿地方、東海地方、関東甲信地方、北陸地方   120ミリ、
の見込みです。

http://www.jma.go.jp/jp/typh/D20110529074234391.html

*東日本大震災の余震以外は青で記載(22時半現在

29日20時56分頃 秋田県内陸南部 M2.4 震度2
29日20時41分頃 茨城県北部 M3.6 震度2
29日20時30分頃 苫小牧沖 M3.5 震度2
29日20時14分頃 福島県浜通り M3.1 震度1
29日18時49分頃 茨城県沖 M4.1 震度2
29日18時40分頃 宮城県沖 M4.1 震度2
29日18時38分頃 福島県沖 M3.8 震度1
29日15時22分頃 福島県中通り M2.8 震度1
29日13時44分頃 福島県浜通り M3.5 震度2
29日13時23分頃 福島県浜通り M4.2 震度2
29日12時58分頃 岩手県沖 M3.8 震度1
29日12時43分頃 千葉県北西部 M3.0 震度2
29日12時12分頃 宮城県沖 M4.0 震度1
29日11時56分頃 茨城県沖 M3.9 震度2
29日11時27分頃 茨城県北部 M3.5 震度2
29日10時42分頃 福島県沖 M3.5 震度2
29日10時22分頃 宮城県沖 M3.4 震度1
29日09時03分頃 岩手県沖 M4.1 震度2
29日08時51分頃 熊本県熊本地方 M3.2 震度2
29日08時28分頃 福島県浜通り M2.8 震度1
29日07時09分頃 宮城県沖 M3.5 震度1
29日07時02分頃 福島県浜通り M3.0 震度2
29日06時39分頃 福島県浜通り M2.3 震度1
29日06時04分頃 福島県沖 M4.0 震度2
29日05時18分頃 薩摩半島西方沖 M4.4 震度3
29日04時16分頃 宮城県沖 M3.2 震度1
29日03時53分頃 宮城県沖 M4.3 震度2
29日03時12分頃 長野県中部 M2.8 震度1
29日02時59分頃 岩手県沖 M3.8 震度2
29日01時54分頃 千葉県北西部 M3.7 震度1
29日01時36分頃 宮城県北部 M2.2 震度2
29日00時52分頃 大分県南部  M3.2 震度2



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2 コメント

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歴史 (本人)
2011-05-31 23:45:06
今生きて生活しているこの場で過去にすごいことがあったと思いを馳せると、
まったく不思議な気持ちになります。
静岡には公の歴史博物館もありませんね。
たくさんの資料や史実や史跡がもったいないです。
返信する
こんばんわ (ブログ「ある人間のエッセイ記録」管理人)
2011-05-30 18:54:01
こんばんわ

駿府公園について。
今の状況は「城跡のようで城跡ではない」と思います。

城を形成する最重要要素が「本丸」の存在であります。
「本丸無き城」は「城ではない」のです。
戦わずして、落城している状態に等しいのです。

今の駿府公園は本丸と二の丸が合体しており、いわゆる「巨大な二の丸」の状態になっています。

私が歴史好きということもあって、残念に思うのは、二の丸の建物を復元しても、本丸を復元しない限り、城の体裁を成さない、という点であります。
本丸を復元して、初めて二の丸の復元した建物の意義が生まれるのです。

いまだに不思議に思うのは、巽櫓を復元するときに、なぜ、本丸の復元を優先しなかったのか、ということです。

本丸なき城は残念な限りです。
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