過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)


 新型コロナウィルスは、存在しない
 2020(令和二)年07月15日(水)
 日々、感染者が増加している新型コロナウィルスだが、これが存在しないことを、科学論文や遺伝子情報を科学的に検証されている方がいらっしゃるので以下に紹介したい。
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 以下、こちらより引用します。
 大橋眞教授:やはり、新型コロナウイルスは、存在しない。科学論文や遺伝子情報を科学的に検証する
 YouTubeから削除された動画なんですが、再アップされたものを紹介します。動画には、この方の経歴がついていますが、徳島大学名誉教授 大橋眞(免疫生物学)という人のようです。もとの大橋教授のYouTubeチャンネルはこちらです。やはり、新型コロナウイルスは、存在しない。科学論文や遺伝子情報を科学的に検証する(BitChute) 以下、この話のポイントのみ書いてみます。私の専門は感染症。この話は科学の観点から検証する必要がある。基本的には論文が根拠であって、テレビ等で話される方の論文に基づかない話というのは個人的な考えでしか無い。これが多く見受けられる。もちろん捏造もありうるが、論文を根拠に置かねばならない。論文のベースとは自然観察であり、それをまとめたものである。しかし、人為的な工作があると、価値がない、捏造である。新型コロナが科学に基づくかは、論文をたどり、その論文の価値を検証する。この二つが必要。現在のマスクや三密を避ける等などという話は、西浦理論から来ているが、その元となるものは、PCR診断による感染者推移である。ただし、三密についてはドイツ論文だが、これもPCRを根拠にしている。PCR検査のもととなったものは、中国論文である。また、抗体検査なども、その論拠を中国論文に置くしか無い。これはNature誌の2019-nCov-2というものである。これをもとにして感染研のPCRの診断が行われているはず。感染研自身も一度遺伝子をとったと言い、米国の遺伝子バンクに登録したが、なぜか取り下げられている。遺伝子情報の取り下げは私の知る限り聞いたことが無い。他にも感染研の論文には不審な点がある。ともあれ、我々の直面している課題や、PCR検査、抗体検査はすべて中国の一つの論文から来ていると考えざるを得ない。この論文は本当に大丈夫なのか?通常の論文であれば、実験や遺伝子配列を決定し、解析をし、論文の準備をする。通常であれば、半年ではできない。通常は一年程度。しかし、彼らは、
 2019(令和元)年12月26日(木)に入院した患者からサンプルをとったと言う。この論文が提出されたのが
‡2020(令和二)年01月06日(月)である。わずか10日間しかない。まずこれは奇妙である。その理由としては、感染症で最も重要な点は、「病原体は何か」、病原体を同定することである。これはコッホの4原則である。さらに現在は、それを改変したリバース基準が作られている。その手順としては、まずウイルスを増殖させ、増殖したものを分離する。それが病原体確認の第一ステップである。第二ステップとしては、分離したウイルスを使い、感染実験を行う。たしかにこのウイルスに病原性のあることを確認しないと、全く異なるウイルスである可能性があるからである。したがって、必ず感染実験が必要。これを抜きに「ウイルスを分離した」とは言えない。しかし、中国論文でさえ、これは認めている。「これに病原性がある」とは言っていない。「病原である可能性がある」としか言っていない。可能性なら何とでも言える。したがって、ウイルス分離と感染実験を誰もやっていないことが、今現在の世界の現実である。ちなみに、感染研の論文ではウイルスを分離したような雰囲気を作っているが、良く読んでみると、そうともとれず、非常に曖昧な表現である。おそらくNHKに出てくるコロナウイルスの電子顕微鏡写真はここから出ているものと想像される。これは米国医師、アンドリュー・カウフマンが言ってることだが、エクソソームと、この「コロナウイルス」が外見も同じで、大きさも同じであると。NHKの写真はコロナウイルスではない可能性が非常に高い。
 ※ちなみにカウフマンによる解説は、アンドリュー・カウフマン:コロナウイルスは存在しないにあります。ともあれ、中国論文がこれほど怪しいということは、全体が科学に基づいていないということである。マスク・自粛なども含めてすべてがそうである。科学的な根拠はない。少なくとも現時点ではそんなものは無い。ちなみに、宗教などは根拠の無い、教祖の信念である。例えばオウム真理教があるが、私の考えるところでは、その信念としては、この世界を一度破壊して新たな理想郷を作るということである。これをカルトという。今行われていることは、科学的根拠がなく社会の破壊につながっている。したがって、これは大規模なカルトと言うことができる。新たな世界を作るという信念のもと、世界的に大きな動きがあり、それに我々は従わされている。そのように考えてみると、納得が行くものである。現在日本で起こっていることを科学の目で分析すると、とても科学と言えるものではない。であれば、宗教的意味合いが非常に強いと言わざるを得ない。ともあれ、新型コロナウイルスと言う病原体は確認されていないし、感染実験もされていないというのが実態である。確認したという論文情報があれば、お知らせいただきたい。大橋教授も触れられておられるように、世界を覆い尽くしたコロナ騒動の背後には、新しい世界を作ろうとする明確な意志がある。それは、金融支配力の消滅、帝国(権力支配)の消滅、同時に市場も自給自足型へ。今回それを一気にやろうとしている。これからコロナ騒動から経済封鎖、新基軸通貨→ドル暴落→大国の分裂を誘発。平行して国家紙幣とBIで安定化させ小国家分立型に誘導するだろう。
 参考:コロナ騒動の背後、奥の院の狙い
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 ┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 2004(平成16)年01月06日(火) 火星地表のカラー写真公開 ⇒ 米航空宇宙局(NASA)の火星探査車「スピリット」が、火星地表のカラー写真を初めて撮影し、地球に送信した(写真)。スピリットはゴルフカートほどの大きさで、高解像度カメラを搭載し、これまで謎に包まれていた火星に関する貴重な情報を次々ともたらした【EPA時事】
 1950(昭和25)年01月06日(金) 英国が中華人民共和国を承認し、台湾と断交 ※2021(令和三)年記事削除
 1968(昭和43)年01月06日(土) 大相撲の高見山関、外国人力士初の入幕
 2001(平成13)年01月06日(火) 中央省庁、1府12省庁に再編 ※2021(令和三)年記事追加
 https://www.jiji.com/jc/daily
 ■巨漢投手●馬場●の執念■巨漢投手●馬場●の執念■
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 ┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2011(平成23)年01月06日(木) 日本ハム・ダルビッシュ有が史上最速で年俸5億円到達
‡2018(平成30)年01月06日(土) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月6日だ。 
 写真◆2011年は18勝6敗、防御率1.44の活躍でオフ、メジャーへ
 2010年、12勝8敗ながら1.78で2年連続最優秀防御率に輝いた、プロ6年目の日本ハム・ダルビッシュ有。オフにはポスティングでのメジャー移籍がウワサされたが、自身のブログで日本ハム残留を発表した。 
 2011年1月6日は、札幌の日本ハム球団事務所で、ダルビッシュの契約更改が行われた日だ。前年までは3年契約で年俸総額8億円プラス出来高払い。10年は年俸分3億3000万円に出来高を入れ、4億5000万円だった(金額はすべて推定)。 
 しかし、この年は単年契約で出来高なしの5億円で契約。「単純に(年俸の)ベースがあったほうがいい」と語ったダルビッシュに、来季のメジャー移籍をにらんでかと翌日の新聞は書きたてたが、会見でメジャー移籍の可能性を聞かれると、苦笑しつつ「ノーコメント」と答えている。 
 オリックス時代のイチローを上回る25歳シーズンでの年俸5億円到達。とんでもない数字ではあるが、王貞治ソフトバンク会長が「彼の場合、当然でしょう。ほかの選手とは存在感が違う」とコメントしたように、だれも文句がつけようのない「5億円」でもあった。 
 5億円という金額について聞かれたときのダルビッシュの言葉はかっこいい。 
「感情が変わることはない。やることは一緒です」
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 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180106-12
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 ┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.043 ┃  30円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
 1959(昭和34)年2月04日(水)号 特集 二年目の長嶋茂雄 ストーブ・リーグその後の主人公
 2017(平成29)年12月9日(土) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎長嶋茂雄のオフの多忙な取材日程
 写真◆表紙は南海・野村克也
 今回は『1959年2月4日号』。創刊43号で定価30円だ。表紙は南海・野村克也のキャッチャーシーン。なかなか斬新だ。センターグラビアでは里帰りの密着もあった。センターカラーは青空バックで巨人・広岡達朗のゴルフ場での1シーンだ。 
 巻頭グラビアは残り少ない学生生活を楽しむ王貞治(早実─巨人)。そして本文巻頭が『2年目の長嶋茂雄』。オフの多忙な取材日程があったので抜粋する。 
‡1959(昭和34)年01月06日(火) 12時 大丸デパートサイン会
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 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171209-10
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.091 ┃  30円
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‡1960(昭和35)年1月06日(水)号 特集 ジャイアンツの危機~二軍の若手はなぜ育たない 特別レポート 12球団はどう強化されたか
 2018(平成30)年1月26日(金) 11:08 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3500号が近づいている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎『巨漢投手馬場の執念~せめて一度は思う存分投げまくってみたい』
 写真◆表紙は巨人・藤田元司
 今回は『1960年1月6日号』。定価は30円だ。グラビアは前が巨人の同期・長嶋茂雄、難波昭二郎の海沿いのドライブシーン、センターグラビアが大洋の新監督・三原脩家を訪れた大洋の近藤和彦、桑田武、さらに『連載告知板』として『ぼくのパパわたしのパパ』で選手の子どもたちが登場だ。後ろグラビアは中日・江藤慎一、森徹の1日警察署長と年末感たっぷりの構成になっている。 
 本文巻頭は『特集 ジャイアンツの危機~二軍の若手はなぜ育たない』。二軍生活についての文章を少し拾っていこう。 
 巨人の合宿の59年のメンバーは、1年目を終えた王貞治を含め31人で、六畳の部屋に2人ずつとなっている。1カ月の寮費は4500円で門限は午後10時。もちろん、一軍でナイターに出た選手は例外となる。 
 ここではいわば「二軍哀歌」がつづられている。要は、育成のためではなく、一軍選手が練習に来たときの手伝いばかりで“あがり目”がないという話だ。当時はまだ二軍の公式戦がなく、アピールする場すらない中、一軍選手が来ると球拾い、打撃投手でかり出され、自分の練習をする時間が不足していたようだ。 
「二軍は二軍だけで打って、走って、ノックを受ける練習をさせてほしい」 
 匿名の二軍選手の言葉である。 
 巨人を解雇となった、のちのジャイアント馬場、馬場正平の記事『巨漢投手馬場の執念~せめて一度は思う存分投げまくってみたい』もあった。 
 1959(昭和34)年11月8日(日)、巨人から自由契約を告げられた馬場に、すぐ届いた勧誘は相撲の出羽ノ海部屋だったが、「ぼくはもう一度野球で自分の力をためしてみたい。だめならほかの道を考えたい」と断った。身長1メートル94、体重101キロの巨漢でありながら、この時期、毎日1時間のランニングが日課だったというからすごい。 
 三原脩から誘われ、大洋行きが内定したが、結局は風呂場で転倒したケガで正式契約はなかった。「超二流」を好んだ三原。もしかしたら1960年の魔術の1つに、この巨漢投手が加わったかもしれない。 
 では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.293 ┃  50円
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‡1964(昭和39)年1月06日(月)号 巨人の用具係はなぜ誕生したのか?
 2018(平成30)年9月08日(土) 9:33 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎世紀のトレードはあっさりと
 写真◆表紙は左から巨人・王貞治、長嶋茂雄
 今回は『1964年1月6日号』。定価は10円上がって50円だ。 
 ついに第1回東京オリンピックイヤーの始まりだ。 
 ちょっと拍子抜けしたのは、前週号で決定濃厚とあった阪神・小山正明と大毎・山内一弘のトレード。 
 この号では、すでに決定し、山内が阪神の帽子をかぶった写真が掲載されているが、特に会見の記事はない。 
「世紀の大トレード」と言われ、うちも山内、小山同席の会見の写真が何枚もあるのだが……。 
 巨人が12球団で初めての「用具係」採用を決定した。移動の際の野球用具の運搬を主な仕事とするものだ。 
 これまでは選手各自が持ち、共有のボールなどは入団1、2年目の若手が運んでいた。 
 ただ単に選手の移動の負担を軽減するだけではない。 
 巨人の坂本報道係によれば、 
「最近、選手の服装がすっきりしない。アロハシャツやジャンバーがほとんど。これではプロ選手の品位がない。かといって大きなバッグやバットを持っている選手に背広、ネクタイは強制できないでしょ。だから荷物は受け持つが、その代わりに選手をジャイアンツとしてのプライドを持った服装をしてもらいたいということです」 
 一方、60年入団の投手・近藤隆正の退団でもめていた。 
 近藤は、これまで一軍ではわずか4試合の登板。なぜ天下の巨人が、この選手の退団でバタバタしたのかというと、近藤が事実上、ON専用の打撃投手だったからだ。 
 近藤は契約更改で「はじめから練習用投手のレッテルを貼られたら困る」と主張したが、球団からは「野球ができなくなっても面倒を見るから、打撃投手として頑張ってほしい」と言われたという。 近藤は、王貞治、長嶋茂雄の打撃好調の陰の功労者とも言われていた。 
 当時の球界に専門の打撃投手はおらず、若手が担当することが多かったが、巨人・川上哲治監督は専門の打撃投手の必要性を感じ、近藤をその第1号にしたかったらしい。 
 ただ、近藤は、 
「これは僕だけの問題ではないのです。今後も僕みたいな立場の投手ができるでしょうし、その人のためにもできるだけいい方向に持っていきたい」 
 とあくまで「選手」にこだわり、確約がもらえないなら退団し、故郷に戻ると言っていた。 
 前年にスタートした、高卒新人を100試合、大学卒・社会人出の新人は50試合、一軍のゲームに出場させず、研修期間にするという新制度は、1年で崩壊しそうだ。 
 すでにパでは全廃、セでは出場制限を1カ月に短縮する方向で話し合いが進んでいる。 
 また。大騒動となっていた関大・西川克弘の広島入りが決まり、西川家からの民事訴訟も取り下げられた。 
 写真◆ローマで遊ぶ四銃士
 今回の2枚目。 
 エールフランスが優勝チームの監督とリーグMVPを招待する恒例の欧州旅行があった。 
 このときは本来、巨人・川上哲治監督、長嶋茂雄、西鉄・中西太兼任監督、南海・野村克也となるが、「お約束」で監督が辞退。巨人・王貞治、西鉄・稲尾和久の参加となった。 
 これはローマのオリンピック会場前での1枚(左から王、稲尾、長嶋、野村)。背後に野球の捕手らしき銅像があるが、イタリアでなぜ? 
 木曜は無断欠勤失礼しました。 
 若干気持ちが折れてました。 
 年俸の10カ月払いの件はありがとうございます。 
 では、また月曜に。<次回に続く>
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 新年特大号
③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.560 ┃  80円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
 ※新年特大号のタガタメ20円値上ですヨ(=^◇^=)♂
‡1969(昭和44)年01月06日(月)号 立川談志のプロ野球改革論?
 2019(令和元)年010月2日(水) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎豪華新年号は意外とネタがない?
 写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
 今回は『1969年1月6日新年特大号』(初出修正)。定価は80円。
 巻頭は長嶋茂雄、王貞治の豪華対談からスタート。 
 新年号というのは、豪華なインタビュー、豪華な寄稿文が多く、興味深いと言えば興味深いのだが、意外と、当たりさわりのない話が多く、ここに書くような裏ネタがない(へえ、そうだったの的な発見)。 
 少しぼんやりした話になるが、ご理解を。 
 その中に退任した元南海・鶴岡一人監督の手記で「ゲンコツ問題」もあった。 
「広瀬叔功や野村克也、森下整鎮などは金をもらわんで入っている。野球をやらねば金をもらえん、という状態だった。野球を覚えて金を稼ごうと必死だった。だからゲンコツに耐えた。そうして野球がうまくなった。 
 いまの選手は金を持っている。だからゲンコツは通用しない。コーチが手を出せば反発して問題が起こる。殴られるならプロ野球をやめて、何か商売しようか、になる。 
 昔は僕らもゲンコツを使った。今は使えない。それで問題が起これば、コーチの育て方が悪い、ということになる。選手には金を使っている。それにやめられてはかなわんから、コーチのほうが悪役になって、クビになる。 
 だからコーチは思い切った指導ができない。むしろ保身のため派閥をつくろうとする」 
 先日、貴ノ富士が「言葉で何度も言ってもきかないとき、どうすればいいか教わっていない」と言った話を思い出した。 
 この力士がどんな人かは不勉強にしてよく分からないが、報道を見る限りでは、ロクなもんじゃない。 
 ただ、それとは別に、部下や理不尽なクライアントの要求、電話クレームに対し、同様の思いをされた方は意外と多いようにも思う。 
 続いて、落語家・立川談志の「野球を楽しくするアイデア集」を抜粋しよう。後年のイメージのような毒舌ではなく、いわゆる新春放言的なものだ。 
 原稿は、 
「野球なんてないほうがいい」 
 からスタートする。否定論ではない。要は、野球が好きすぎて、野球があるとそれに夢中になり過ぎ、これに費やす時間がもったいない、という話だ。 
 談志的提言が並ぶ。列記してみよう。 
・投手はどう打たれても、その回はチェンジになるまで投げ切る。 
・ベース間を短縮する 
 これは打ち合いが野球の魅力と考えてのもの。 
・外野の塀を取り外す。 
 チャチなホームランを見たくないということらしい。さらに、球が返ってくるまで、打者はフィールドを何周でもでき、一打で何打点も挙げることができる。 
・投手交代を演出する。 
 ナイターだが、投手交代時、一瞬球場のライトが消え、次にスポットライトが当てられたマウンドで次の投手がテーマミュージックとともにせりあがる、らしい。 
・ランナーがいないときは一塁でも三塁でも好きなほうに走っていい。 
・乱闘を奨励しよう。 
・外人悪役チームをつくろう 
 反則の限りを尽くす外人チームに我慢に我慢を重ねた日本人チームが最後逆転すればすっきりする 
・野球のプロダクションをつくる。 
 チームとは別に選手を養成し、弱いチームに貸してやる。 
・オフに野球ファンの金持ちが好きなようにチームをつくる。 
 監督、選手を自分で選んで夢のオールスターをつくる。しっかりお金を払えば、選手もいいアルバイトになる。 
 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180126-12
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180907-03
 ③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190930-02
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
 ┃ プロ野球仰天伝説 No.014 ┃ ONLINE
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 「3センチ外れている」とつぶやいた榎本喜八の驚異の選球眼
‡2018(平成30)年1月6日(土) 11:06 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 だれもが一目置いていた実力
 川上哲治も「天才」と評する打撃だった榎本
 早実と毎日の先輩・荒川博を師匠とした荒川道場の一期生である榎本喜八。合気道を学び、心と技の両面からバッティングを追究した男だ。 
 1年目からレギュラーとなり、
 1960(昭和35)年と1966(昭和41)年に首位打者。その打撃は、ムダな動作をなくし、人間本来の力を引き出す自然体のスタイルだった。 
 ただ、「バットを自分の腕のように自由自在に振る」「心が正しくないと野球はうまくならない」「自分の中に球を引き込み、腹の中でバックスイングする」など、その語録は合気道を知らない人間には奇異に映るものばかり。突然、ベンチで坐禅を組んだり、極端なまでに求道的な姿勢でいたりするなど周囲から誤解されることも多かった。 
 しかし、あの川上哲治(巨人)が「打撃の天才というなら僕ではない。榎本だ」と言ったように、その実力にはだれもが一目置いていた。 
 西鉄の稲尾和久が生涯で榎本にだけフォークボールを投げ、南海の捕手・野村克也は「打席ではすさまじく集中し、ささやきがきかない。際どいコースを審判がストライクを取ってくれた後、榎本が指を3センチくらい広げ、『これだけ外れている』とポツリ。実は私もそれくらい外れていると思っていた。そこまで正確に見ているのかと思って、びっくりした」と語っている。 
 榎本喜八(えのもと・きはち) 
 1936(昭和11)年12月25日(金)生まれ。東京都出身。早稲田実から
 1955(昭和30)年に毎日(のち大毎、東京、ロッテ)へ。1年目から一塁の定位置をつかんで新人王に輝いた。
 1960(昭和35)年、打率.344で首位打者に。
 1966(昭和41)年にもリーグ最多の167安打で打率.351をマーク、2度目の首位打者になっている。
 1968(昭和43)年に史上最年少31歳7カ月で2000安打を達成。
 1972(昭和47)年に西鉄へ移籍し、同年限りで現役引退。
 2012(平成14)年3月14日(水)死去。主なタイトルは新人王、首位打者2回、通算成績2222試合、2314安打、246本塁打、979打点、153盗塁、打率.298
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180106-10
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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 ■巨漢投手●馬場●の執念■巨漢投手●馬場●の執念■

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