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┃A面♪天使のウィンク♪┃
┃B面♪七色のパドル♪ ┃
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松田聖子の♪風は秋色/Eighteen♪よりオリコン18作連続の第①位を獲得☆\(^〇^)/☆
‡1985(昭和60)年01月30日(水) リリース
「10」と「11」を横倒しにすると“ウィンクをしてるように見える”為、女子高生に言わせると、今日
10月11日は、オクトーバー・ウィンク~そんなことで、今日10月11日を『ウィンクの日』と云うそうです それなら、11月10日も『ウィンクの日』に認定してもいいですよね!(笑) 因みに、朝起きて好きな相手の名前の文字数分のウィンクをすると片想いが報われるといったおまじないがあるとのこと・・・(笑) http://blog.goo.ne.jp/beatle-lennon/e/034fc0e55d8ff04a248891c43d0a8e9e
http://ja.wikipedia.org/wiki/天使のウィンク
https://music.amazon.co.jp/albums/B018QKVF9U
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┃松田聖子様 TV御出演 西暦1983(昭和五十八)年┃
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‡1983(昭和58)年01月30日(日)♪秘密の花園♪3:20
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┃松田聖子様 TV御出演 西暦1984(昭和五十九)年┃
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‡1984(昭和59)年01月30日(月)♪瞳はダイアモンド♪05:08
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
83映像◆http://list.youku.com/albumlist/show/id_19385572.html
84映像◆http://list.youku.com/albumlist/show/id_19385576.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
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映像◆https://youtu.be/iPdLsOwFHq0
尾崎亜美×松田聖子の♪天使のウインク♪秘話
アリスの助平男と尾崎亜美の対談『地球劇場』
1984(昭和)年12月??日(?) 尾崎亜美の仕事終り後にオファー
削除動画◆https://youtu.be/x3KCA8zAL6M
♪天使のウィンク♪AV(^▽-)-☆◆志村けん_加藤茶_かとうれいこ_男性のひそかな楽しみ
【時間旅行】 9日目/1980年7月29日 「第16回 三浦海岸サマーフェスティバル」
‡2016(平成28)年01月30日(土) 16時07分46秒 テーマ:時間旅行 ご訪問ありがとうございます。久しぶりの時間旅行。今日の目的地は、1980年7月29日に行われた「第16回 三浦海岸サマーフェスティバル夏だ!三浦だ!跳んでる歌謡V作戦」です。いつものように「デロリアン」で出発しましょう。JUL 29 1980 AM 09 15セット完了!スタートボタンは、下の動画の「?」ボタンです。それでは「三浦海岸サマーフェスティバル」へ、レッツゴー!「ポチッ」とな!Mark "The Hammer" Arataさん、ありがとうございます。???…!ハハハ…久しぶりで画像を間違えました(笑)ここは、京急品川駅。松田聖子さん達を乗せた、「ミュージックトレイン号」は午前9時15分品川駅を出発。車内では、6人のタレント(松田聖子、河合奈保子、岩崎宏美、倉田まり子、甲斐智枝美、比企理恵)が、同乗したファンのみなさんと顔合わせを行ない、楽しいひとときを送っています。到着後、駅から海岸までファンに囲まれ、やっとの思いでステージまで辿り着きました。会場ではチャリティーオークションが行なわれ、聖子さんのTシャツにはなんと、15,000円の値がつきました!競い敗れてしまったファンに、心やさしい聖子さんは気前よく愛用のブレスレットをあげてしまうハプニングも起きて、1時間30分の歌に踊りに楽しいフェスティバルが終わりました。mamyuffyさん、ありがとうございます。
参考文献:松田聖子後援会会報 「PePe」No.2
【お願い】1980年は、松田聖子さんのデビューの年。ファンイベントがたくさん行われました。しかし、悲しいかな…その情報や、資料をほとんど目にすることが出来ません。イベントに参加された方や、ご存じの方のお話が聞けたら幸いです&行ってみたい日も募集しています。コメント欄にリクエストして下さいね!よろしくお願い致します。
http://ameblo.jp/shikata-album/entry-12122958318.html?
映像◆第16回 三浦海岸サマーフェスティバル夏だ!三浦だ!跳んでる歌謡V作戦https://youtu.be/ceFcvYcY3MY
1980(昭和55)年07月29日(火)「夏だ!みうらだ!翔んでる歌謡V作戦」~(masainokiさん提供)
①河合奈保子:ハリケーン・キッド
②河合奈保子:大きな森の小さなお家
?
③松田聖子:裸足の季節
④松田聖子:青い珊瑚礁
倉田まりこ
?
岩崎宏美 メインゲスト
http://ameblo.jp/shikata-album/entry-12122958318.html?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13144532638
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┃過去の今日の松田聖子様┃
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‡①1981(昭和56)年01月30日(金) サンレモ音楽祭(パリ) 開幕
①1981(昭和56)年02月09日(月) サンレモ音楽祭(パリ) 閉幕
‡②1985(昭和56)年01月30日(水) ♪天使のウィンク♪ リリース
松田聖子「天使のウィンク」1985年 (*^_^*) 照れまくりの聖子さん http://youtu.be/P4Vla8q4SO4
向かって右側なら元旦那の神田正輝(神田沙也加の父親)ですよ。左側なら峰竜太です。二人とも東宝映画「カリブ・愛のシンフォニー」で聖子と共演していて映画完成披露パーティー中の某歌番組での中継歌唱でした。ちなみにこの動画の放送は1985年3月28
♪天使のウィンク♪ http://v.youku.com/v_show/id_XNDIyODQxNzQw.html
♪天使のウィンク♪1985.4.18『ザ・ベストテン』最後の出演 http://v.youku.com/v_show/id_XNDIzMzIyODQ0.html
♪天使の誘惑♪松田聖子版 http://v.youku.com/v_show/id_XNDQ1NTc1NDEy.html
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
http://www.universal-music.co.jp/matsuda-seiko
①http://www2a.biglobe.ne.jp/~seikofan/html/text/his1b.html
②http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AF
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映像◆♪天使のウィンク♪AV(^▽-)-☆◆志村けん_加藤茶_かとうれいこ_男性のひそかな楽しみ https://youtu.be/x3KCA8zAL6M
映像◆尾崎亜美×松田聖子の♪天使のウインク♪秘話 https://youtu.be/iPdLsOwFHq0
アリスの助平男と尾崎亜美の対談『地球劇場』
1984(昭和)年12月??日(?) 尾崎亜美の仕事終り後にオファー
山口百恵「なんだと思ってるの!」引退コンサート直前の“事件”
2021(令和三)年02月03日(水) 06:05配信 女性自身
2021(令和三)年02月16日(火)号『女性自身』掲載
再放送希望が殺到した百恵の引退コンサート/Copyright (C) 2021 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.
昨年10月にNHK BSプレミアムで放送されるやいなや反響が殺到し、
‡2021(令和三)年01月30日にNHK総合で異例の再放送が行われた『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』。わずか7年半の活動で芸能界を引退した山口百恵だが、その“伝説”は今も決して色あせていない。引退コンサートでは企画会議から携わったという百恵。なかでも、選曲には強いこだわりを見せていたという。当時、構成を担当した演出家の宮下康仁さんはこう明かす。「宇崎竜童さん(74)、阿木燿子さん(75)夫妻と初めてタッグを組んだ『横須賀ストーリー』ができたとき、百恵ちゃんが『宮さん、聞いて! 次、すごい歌ができたから』って言うんです。百恵ちゃんはそこから変わっていきましたね。引退コンサートで百恵ちゃんが『とにかく私はこの1曲が歌えればいいの』と言っていたのも、宇崎さん夫妻が提供した『曼珠沙華』でした」その選曲を巡って、百恵ファンの間で噂されている“都市伝説”がある。往年のファンは言う。「引退コンサートで百恵さんは、デビュー曲から最新曲まで網羅した全30曲を披露しました。でもその裏で、ベスト盤的な選曲を求めた総合演出のTBS・山田修爾プロデューサーに対して'80年発売のアルバム『メビウス・ゲーム』の曲目を中心に構成したかった百恵さんが猛反発していたそうなんです」宮下さんは噂を「それは本当です」と認めたうえで、“開催危機”があったことまで明かしてくれた。
■「私の友達をなんだと思ってるの!」百恵が激怒した理由■「百恵ちゃんは、『横須賀ストーリー』より前の歌はあまり歌いたくなかったんです。ですから当初、デビュー当時の曲はまったく入っていませんでした。そこでTBS側が百恵ちゃんと親しい人を介して説得しようとしたんです。すると百恵ちゃんを『私の大事な友達をなんだと思ってるの!』と余計に怒らせてしまって。百恵ちゃんは『もう放送はいらない』とまで言ったんです。最終的に私がなんとか説得して百恵ちゃんも『わかった』ということで収まりました」語り草となっているのがやはり最後。ラスト1曲の『さよならの向う側』を涙ながらに歌い終え、深々とファンにお辞儀をし、ゆっくりとマイクをステージ中央に置く百恵。そして、悠然と客席を見回して、静かにステージから去っていった。この間、約150秒で百恵は永遠に人々の記憶に刻まれることとなったのだ。その場で目撃していた盟友・野口五郎(64)はそのときの様子を本誌にこうコメントする。「ラストコンサートの隣の席は(西城)秀樹でした。彼女が最後にマイクを置いたとき、僕も秀樹もアーティスト席の皆が、客席のファンの方たちより率先して、スタンディングオベーションをしたように僕は記憶しています」この“伝説の150秒”にも百恵の強い意思が込められていたのではないかと、宮下さんは言う。「よく『演出でマイクを置かせたのですか?』と聞かれるのですが、常に『そうじゃない』と言ってるんです。やっぱり百恵ちゃんの“最後の気持ち”だと私は思うんです。彼女のメッセージをあの舞台に込めて作っていたのでしょう。とにかく21歳にして心から尊敬できる女性でした」令和になった今も、百恵は日本の“夢先案内人”として導き続けていくことだろう――。
https://news.yahoo.co.jp/articles/538a0b819d09ae98bcd360c06bee4f38e448c341
森高千里「この街」 TOUR 2020-22
‡2022(令和四)年01月30日(日) 開場:15:30 開演:16:30
場所:倉敷市民会館
料金:全席指定 8,800円(税込)
4歳以上チケット必要。
3歳以下無料(ただし保護者1名に対し1名まで膝の上での鑑賞可。お席が必要な場合はチケットをお買い求め下さい。)
*枚数制限:1公演につき お一人様2枚まで
2022(令和四)年12月11日(土) 10:00~ チケット販売【一般発売】<ローソンチケット> Lコード:62253 WEB:http://l-tike.com/ (PC・携帯) ※店頭販売無し
<チケットぴあ> Pコード:207-270 WEB:http://t.pia.jp/ (PC・携帯) ※店頭販売無し
<イープラス> WEB:http://eplus.jp (PC・携帯) ※店頭販売無し
主 催:キャンディープロモーション / RSK山陽放送
企画制作:アップフロントクリエイト / ダブルエイト・ミュージック
お問合せ:キャンディープロモーション岡山 TEL:086-221-8151 (月~金 11:00~15:00 / 土日祝 休業)
https://www.rsk.co.jp/event/ticket/20220130_moritaka.html
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓メインボーカル担当
┃ 鶴岡雅義と東京ロマンチカ 三條正人 ┃1943(昭和18)年1月30日(土) 生誕
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%B2%A1%E9%9B%85%E7%BE%A9%E3%81%A8%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%AB
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『夜のヒットスタジオ』司会三代目:芳村真理・井上順 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─―――――――――――┐http://youtu.be/Twmatx20kyw 36
|♪オープニングメドレー♪|http://v.youku.com/v_show/id_XMjk0ODMyNDY0.html
└─―――――――――――┘http://v.youku.com/v_show/id_XNTE0NzA1Njk2.html
<津軽海峡・冬景色>沢田研二 ◎沢田研二は外国?帰りで
<キャンディ>石川さゆり ◎石川さゆりが二十歳の誕生日で花束をもらう。
<木綿のハンカチーフ>原田真二
<酒と泪と男と女>太田裕美
<さざんか>河島英五 ◎河島英五は<さざんか>で間違える。
<見えない世界>森進一
和田アキ子
あおい輝彦 ◎あおい輝彦はサイパンとパラオ帰り。
┌─―――――――――――――――――――――――――┐
①|歴代出演歌手―芳村真理・井上順司会時代Ⅱ(1978~1979)|
└─―――――――――――――――――――――――――┘
‡第0482回 1978(昭和53)年 1月30日(月) 森進一、沢田研二、あおい輝彦、和田アキ子、
河島英五、太田裕美、石川さゆり、原田真二
┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(9) 芳村・井上時代前期①(1976,4-1978,3)|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
※本日は初出演歌手歌省はありま千と千尋ですヨ(=^◇^=)
┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ②②年史(31) 1978年1-3月(第478-490回)|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0482回 1978(昭和53)年 1月30日(月) 森進一 ♪甘ったれ♪
和田アキ子 ♪夜更けのレストラン♪
河島英五 ♪酒と泪と男と女♪
原田真二 ♪CANDY♪
太田裕美 ♪恋人たちの100の偽り♪
┌─――――――――――――――――――――――――┐
④|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅳ(1976,4~1978,3)|
└─――――――――――――――――――――――――┘沢田研二、スタジオ一面に敷き詰められた畳の上で当時ヒット中の「サムライ」を熱唱、後に伝説の「畳バージョン」としてこのシーンは語り継がれる。この頃より、歌㊥のセットや大仕掛けなどが用意されるようになるヨ(=^◇^=)
┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
⑤|夜ヒット名シーン/沢田研二♪サムライ♪-「最高のエンターティナー」故の名シーン|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘♪サムライ♪の一場面は一度見れば、完全に脳裏に焼きついてしまう、それぐらいに衝撃的な場面だったといえると思います http://youtu.be/g4ATvBpbU5g
┌─――――――――――――――――――――――――┐
⑥| フジテレビ ONE TWO NEXT 『夜のヒットスタジオ』 |2009年~2012年1月再放送 #81
└─――――――――――――――――――――――――┘
あおい輝彦 ♪バラの渚♪
太田裕美 ♪恋人たちの100の偽り♪
森進一 ♪甘ったれ♪
和田アキ子 ♪夜更けのレストラン♪
河島英五 ♪酒と泪と男と女♪
原田真二 ♪シャドー・ボクサー♪
石川さゆり ♪沈丁花♪
沢田研二 ♪サムライ♪ ※演奏 井上堯之バンド (伝説の畳バージョン)
沢田研二/アッコのかわゆさを垣間見た1978.1.30.OA http://youtu.be/CQLFjSqmXtA
┌─―――――――――――――┐
⑦|『夜ヒット』今夜のエピソード|
└─―――――――――――――┘今夜の沢田研二は、スタジオに畳を敷き詰め、その上でこの歌を歌唱(既に歌い始めの段階で実際には畳の上に立っていたが、2番の途中までは畳に立っている状態であることが判別されないように、沢田の上半身のみを写し、その後、一気にカメラが引く(ズームアウトする)ところで畳が敷き詰められたスタジオの全容が映し出される、という演出が採られた)。司会の芳村真理やこの日のゲスト歌手の一人で、沢田のファンを公言していた和田アキ子ら当日の女性出演者は、沢田が歌い終わった後に感嘆の声をあげたヨ(=^◇^=)
また疋田自身も熱血漢であり、退社後設立したプロデュース会社でも厳しい姿勢で仕事に臨み、スタッフや出演歌手へ手を挙げる事もあったという。その為なのか、「夜ヒット」では「疋田さん」と司会者の芳村真理が呼んだだけで一部出演者が顔を引きつらせる場面もあった(1978年1月30日放送回)。また同様の理由で、芸能界の大御所となったとんねるずやきくち等のフジテレビ幹部も彼には頭が上がらないと言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%8B%E7%94%B0%E6%8B%93
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/f153d204c2a1e41dcf6d81497fb26ae8
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/016e6286c4ba4e9c143b86d62a61ea93
③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/5863404194357b176fe7ade8d47e0191
④http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/ff3c27883816f8675069658869f43638
⑤http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/610047be51784c6b2adf49f3f82e70f5
⑥http://www.fujitv.co.jp/otn/b_hp/909200031l.html ⑥http://www.fujitv.co.jp/otn/b_hp/909200031.html
⑥http://kayari.a.la9.jp/yoruhit/1978.html
⑦http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A4_(%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%A0%94%E4%BA%8C%E3%81%AE%E6%9B%B2)
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┃ 『夜のヒットスタジオ』司会三代目:芳村真理・井上順 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――――――――――――――┐
①|歴代出演歌手―芳村真理・井上順司会時代(1984~1985)|
└─――――――――――――――――――――――――┘
‡第0792回 1984(昭和59)年 1月30日(月) クリフ・リチャード&ザ・シャドウズ、五木ひろし、八代亜紀、
郷ひろみ、Hi-Fi-Set、早見優、麻倉未稀、THE GOOD-BYE
┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(6) 芳村・井上時代後期②(1982,4-1984,3)|
└─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0792回 1984(昭和59)年 1月30日(月) ♪Shooting From The Heart♪ クリフ・リチャード&シャドウズ
♪黄昏ダンシング♪ 麻倉未稀
┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ②②年史(52) 1984年1-3月(第789-800回)|
└─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0792回 1984(昭和59)年 1月30日(月) 早見優 ♪抱いてマイ・ラブ♪
Hi-Fi-Set♪素直になりたい♪
麻倉未稀 ♪黄昏ダンシング♪
五木ひろし ♪細雪♪
THE GOOD-BYE ♪涙のティーンエイジ・ブルース♪
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/a3b354639cc3ecae61d3a487ea8e5852
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/f82e2d5ac32b6a42cbfcf909edc780a0
③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/6fcad66149439134cb4f4d4b39d1a8e9
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┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━┛1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
************************* http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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┃ 石川さゆり ┃‡1958(昭和33)年 1月30日(木) 生誕
┗━━━━━━━┛resistance-kさん、はじめまして、Yasu at Yといいます。インターネットで「夜のヒットスタジオ」を検索していて、たどり着きました。本当にすばらしいデータベースで、驚き、感激しています。 私は歌手石川さゆりさんのファンで、ファン仲間からもらった昔のビデオに収録されている出演番組の番組名、放送日時をはっきりさせたくて、新聞の縮刷版の番組欄から調査をはじめたのがきっかけで、さゆりさんの過去の出演テレビ番組のリストを作ってみようと思い立ちました。●すぐには完了できるような内容の話ではないので、時間をみつけながらぼちぼちとやっており、ようやく、1976年から1981年についてのリストはほぼ完成しました(と思っています)。「夜のヒットスタジオ」は当時のメインの歌番組なので、調べる際にも注目していました。このデータベースをもっとはやく知っていればもっと楽に調べられたのになあと思っています。
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http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/3b1df771b5bc49aa756e9a9364880c2d#comment-list
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E3%81%95%E3%82%86%E3%82%8A
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|夜ヒット名シーン/沢田研二♪サムライ♪-「最高のエンターティナー」故の名シーン|
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1980(昭和55)年 1月 7日(月)放送 ♪TOKIO♪でのスタジオ全体が隠れてしまうほどの巨大アドバルーンを装着しての歌唱
1978(昭和53)年 9月 4日(月)放送 ♪LOVE(抱きしめたい)♪の雨に打たれながらの熱唱
1986(昭和61)年 6月11日(水)放送 ♪ヴィラーレ♪でのモデル・山口小夜子さんとの扇越しの「接吻」シーン
‡1978(昭和53)年 1月30日(月)放送 ♪サムライ♪の一場面は一度見れば、完全に脳裏に焼きついてしまう、
それぐらいに衝撃的な場面だったといえると思います
※この㊦↓の㊦↓に詳細コピーがあります④(>▽<)
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http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/610047be51784c6b2adf49f3f82e70f5
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夜ヒット名シーン/沢田研二「サムライ」-「最高のエンターティナー」故の名シーン
2007-01-06 | 夜のヒットスタジオ/名シーン遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。
なかなか更新ができない状態でございますが、何卒今年もご贔屓いただきますよう宜しくお願い致します。
久々の夜ヒット名シーンシリーズ、今回は恐らく夜ヒット22年の歴史の中でも1,2を争う名場面ともいえる沢田研二さんの「サムライ」畳バージョンのシーンについて取り上げます。
この場面は1978年1月30日放送、この回のラストでの一コマです。この場面は終盤の夜ヒットにおいてよく編成されていた総集編でも必ず定番中の定番として紹介されていたシーンなので、リアルタイムで観たことがない人でも多分御存知の方は多いかもしれません。
沢田研二さんは、夜ヒットに初期から最終盤まで定期的に出演を続け、印象深いシーンを数々提供してきた、夜ヒットを語る上で欠かせないアーティストの一人です。「TOKIO」でのスタジオ全体が隠れてしまうほどの巨大アドバルーンを装着しての歌唱(1980年1月7日放送)であるとか、「LOVE(抱きしめたい)」の雨に打たれながらの熱唱(1978年9月4日放送)、「ヴィラーレ」でのモデル・山口小夜子さんとの扇越しの「接吻」シーン(1986年6月11日放送)などかなり印象深い場面も多いですが、その中でもこの「サムライ」の一場面は一度見れば、完全に脳裏に焼きついてしまう、それぐらいに衝撃的な場面だったといえると思います。
以前から申し上げている通り、夜ヒットの魅力はなんといっても「歌手の素顔を引き出す」という部分。もちろん司会者とのカジュアルなトークの中でその「素顔」が引き出されることも多いわけですが、とりわけ、「総合歌謡番組」へと番組カラーを転換して以降は、それまではどちらかといえば軽視されていた歌の中での演出にも趣向が凝らされ、さっきまでは何もスタジオの中には置かれていなかったのに一瞬にしてススキ野に早変わりしたり、カメラワークをより固定化せずに歌手の顔をギリギリまでアップしたりするなどして、より一層臨場感ある形にしたり、とスピード感がある演出がなされるようになり、歌の中でも「歌手の素顔を引き出す」ことが重視されるようになりました。
この「サムライ」の一場面は夜ヒットの演出面での転換期を象徴する場面であったと思います。一度、フルサイズの映像を見たところでは、2番サビまでは、沢田さんの上半身までしかあえて映さず、2番目サビに入るところで、いきなりカメラレンズを引き、畳がスタジオ一面に引きつめられている様子や、沢田さんの全体像がようやく映し出されるという、これもまたスピード感がある演出だったように記憶しています。
ほんの数十秒間の間に畳何十畳分をスタジオ一面に敷き、後ろでチラチラと紙吹雪が舞う中、短刀を光らせながら、上半身裸に近い(厳密にはラメ付の透明なシャツを着用していました)格好で熱唱。まさに「歌は三分間のドラマ」という古くからの格言をそのまま形にしたようなステージング。その中には、エンターティナー・沢田研二の「男臭さ」が凝縮されていました。
思えば、沢田さんほどそれぞれの歌において違う自分をうまく演じ分けたアーティストもなかなかいないように思います。「時の過ぎ行くままに」などはどちらかといえば「若者らしいニヒルさ」が色濃かったと思いますが、「勝手にしやがれ」などは「コミカルながらおしゃれな雰囲気」が漂っていますし、「6番目のユウウツ」あたりなどは「狂気」というイメージがあります。「背中から45分」などは「スマートな大人の男」の雰囲気がありました。今回の話題の中心となる「サムライ」はまさに「日本男児」といった感じでしょうか。それぐらいに彼の歌の世界は、視覚的にも聴覚的にも際限のない広がりがあります。
日本の芸能界にも芸能史に名を残すエンターティナーは数多くいます。それこそ、夜ヒット司会者の一人である井上順さんもそうでしょうし、司会・歌手・俳優、なんでも器用にこなしてしまう堺正章さんなどもこの類に入る存在だと思います。
ただ、「歌」を聞くだけ、歌うだけという次元だけでなく、「魅せる」ものとして理解し、それを自ら楽しんでいた沢田研二さんには明らかに他の「エンターティナー」とは違う何かがあったように思います。「歌手」としての軸足はぶれることなく、その上で、歌の中の主人公像を自らの解釈によって「演ずる」。「歌というものが持っている限りない可能性」、この部分を深く探求してきた沢田研二さんは「歌手」という部分に焦点に当てる限りにおいて「最高のエンターティナー」と呼ぶにふさわしい存在、換言すれば「歌を見事にエンターテイメント化できる存在」は沢田さんを置いて他になし、ともいえる存在ではないかと感じます。
まさにこのこの夜ヒットでの「サムライ」の一場面は「沢田研二だからこそ実現できた世界」そのものであったのではないでしょうか。
近年、沢田さんはテレビ出演を抑え、映画や舞台・コンサート活動を精力的にこなしていらっしゃいますが、今一度、テレビの世界で、50代を過ぎても尚盛んな、パワフルな「ジュリーの世界」を是非見せてほしいものです。
■ コメント
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沢田研二 (goo(グー))
2007-01-06 23:36:00
管理人さま
はじめまして!モナムールの掲示板での投稿を読み、こちらに来て数日拝見しましたが、管理人さんの年齢の若いのに驚き、鋭い洞察力のある方だなと思い感心しました。何かの形でコメントできればと思っていましたが、沢田研二についてだったので、読んでいたらすっかり忘れていた当時の沢田研二さんの事、思い出しました。夜のヒットスタジではありませんが、ザ・ベストテンでの「一等賞が好き」「派手好き」な事をよく言われていました。ザ・ベストテンでのランクは70年代後半は確かに上位が多い歌手だったので一位の時はとても喜んでいたし、一位から転落したら、ホントに悔しさを表情や態度に表されていたように思います。
近年、私は沢田研二に対してはスカパーのフジテレビ721の夜のヒットスタジオ放送に関して悪いイメージがあったのですが、(彼さえいなければもっと放映できる回が増えるのに~)という安易な事しか考えていなかったのですが、何か生放送の歌番組に対しては普通の歌番組とは違う思い入れがあったのでは?と思います。本人ではないので実際、真意はわかりませんが、いつの日かスカパーでの放送で当時のシーンを見てみたいですね。
はじめまして (K)
2007-01-07 01:05:56
沢田研二さんで検索してたら、たどり着きました。
当時の夜ヒットでの沢田研二さんの「サムライ」、見てました。
凄い迫力でした。
その後も何度も夜ヒット名場面集で、この畳のセットの映像を見ました。
「サムライ」は、未だに名曲だと思います。
ザ・ベストテンでも、長くランクされ印象強いです。
自分、ベストテンブログを最近はじめましたので、暇な時にでも。
では。
沢田研二はまさに当時の歌番組の「看板スター」でしたね。 (resistance-k)
2007-01-07 19:51:30
gooさん、Kさん、私のブログにレスを残して下さってありがとうございます。
賞レース関連一つとっても、当時のジュリーの勢いがいかに凄かったかが証明づけられますよね・・・。
レコード大賞関連を例に取っても・・・
・72年-歌唱賞「許されない愛」
・73年-大衆賞「危険なふたり」
・74年-歌唱賞「追憶」
・75年-歌唱賞「時の過ぎ行くままに」
・77年-歌唱賞及び大賞「勝手にしやがれ」
・78年-金賞及び最優秀歌唱賞「LOVE・抱きしめたい」
・79年-金賞「カサブランカ・ダンディ」
・80年-金賞「酒場でDABADA」
・81年-金賞「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」
・82年-金賞「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
・83年-制定25周年記念特別金賞「きめてやる今夜」
と、ほぼ毎年大賞候補としてノミネートされていました。80年代前半までにおいては、演歌の五木ひろしさんと共にレコード大賞でもまさに「顔」といえる存在でしたね。
個人的に沢田研二さんの歌の中で一番名曲だと思うのは実はソロデビュー初期の「許されない愛」だったりします。意外とこの曲、当時大ヒットした割には、その後のヒット曲の個性の強さから知られていない曲だったりしますよね・・・。
当時の紅白とかレコード大賞の映像を見ていて、とにかくメロディーラインの難易度といい、その歌い方といい、当時の視聴者の皆さんは度肝を抜かれたんじゃないかな、というぐらいの熱唱ぶりでしたね。
しかもその歌の世界は何となく反権力的な「アウトロー」のような雰囲気があったりで、何度聞いていてもこの歌は「名曲」だと思います。それと同時にこのときに歌手・沢田研二は「歌を通じたエンターティナー」として胎生したんじゃないだろうか、とその後の彼の歌の世界の成熟ぶりを見ると感じたりします。
julieの記事には反応します。 (かっぺ)
2007-01-09 19:05:47
gooさん、はじめまして!
何気なくJulieで検索していて、こちらへたどり着きました。
私がgooさんの歳の頃、あるツテでヒットスタジオのリハーサルから放送終了までスタジオで見たものです。
Julieは一生懸命で、ピリピリしてる時もあって怖かった!好きだけど、近寄りがたくて…
gooさんのようにお若い男性が興味を持って取り上げてくれること嬉しく思います。
素晴らしいコンサート・舞台・曲・映画、いっぱいありますので、観て、聴いてみて下さい。
ドリフ大爆笑 (goo)
2007-01-24 14:07:36
ドリフ大爆笑がまた最初からファミリー劇場(スカパー)でOAされるようなのですが、この番組では沢田研二の歌唱映像が「勝手にしやがれ」~「晴れのちBLUE BOY」ぐらいまでが見れるようですね。貴重かも知れないですね。夜ヒットとは比べものにはならないですが一番勢いのあった頃なので要録画保存です。
ドリフ大爆笑って (resistance-k)
2007-01-24 22:02:02
ドリフ大爆笑は、確か初期の頃は、ドリフがオープニングで使用しているステージ風のセットをそのまま借用して歌ゲストも歌を披露していたと記憶していますが、1980年前後になると、セットなし、クロマキーのバックだけという「お粗末」?な背景の下で歌を披露していましたよね。
それともう一つドリフ大爆笑で難点なのは、ステレオ放送に切り替わったのが相当後だったために、歌の音質があまりよくない(映像は文句なしに綺麗なんですけども)点でしょうかね・・・。まあ、軸は「コントバラエティー」なので、歌が二の次、って言ったところなんでしょうが・・・。