過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 


 ◎お知らせ ⇒ ジョン・レノンのソロ・アルバム『ロックン・ロール』は1975(昭和50)年発表。50~60年代にヒットしたベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」やチャック・ベリーの♪ユー・キャント・キャッチ・ミー♪などロックのスタンダード・ナンバーのカバー13曲を収録した。♪ヤ・ヤ♪のドラムは愛息ジュリアンがたたいている。2004(平成16)年にリミックス&デジタル・リマスタリング盤が再リリースされ、ボーナス・トラック4曲が収録された。ジャケットは、ユルゲン・フォルマーが1961(昭和36)年のハンブルク巡業の際に撮影したもの。革ジャンを着た10代のジョンの雰囲気がよく伝わる。ジョンの前を横切る影はポール、ジョージ、スチュアート・サトクリフである。
‡2007(平成19)年12月05日(水) EMIミュージック・ジャパン 


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 ┃ Apple Boutique アップル・ブティック  ┃
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‡1967(昭和42)年12月05日(tue) The launch party
 1967(昭和42)年12月07日(thu) Founded:開店
 1968(昭和43)年07月30日(sun) Defunct:閉店
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Apple_Boutique
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 ザ・ビートルズ “ホワイト・アルバム” が持つデザインの革新性と使われなかったアートワーク
 Written by Paul Sexton
‡2015(平成27)年12月05日(土)、リンゴ・スターが所有していた『The Beatles』(通称 White Album)のシリアル・ナンバー0000001の盤がオークションに出品され、790,000ドル(約9000万円)で落札された。その売り上げはリンゴ・スターと妻バーバラ・バックの設立したロータス基金に寄付されている。この機会に、シンプルかつ象徴的なこの名盤のデザインの興味深い歴史を振り返ってみたい。「White Album」の呼称で親しまれる真っ白な2つ折りスリーヴに盤ごとのシリアル番号が振られている同作のアートワークは、ポップ・アーティストのリチャード・ハミルトンがポール・マッカートニーとの綿密な打合せの上で制作したものだ。リチャード・ハミルトンは、1967(昭和42)年にテート・ギャラリーで開催されたマルセル・デュシャンの回顧展でザ・ビートルズの目に留まった。リチャード・ハミルトンによれば、シリアル・ナンバーを付すアイディアは「500万枚も売れるようなものに番号を入れるという皮肉を表現したい」という狙いのもとに生まれたという。彼はさらにこう話す。「ポール・マッカートニーから、『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』のド派手なカヴァーと真逆のデザインにしたいとリクエストされたんだ。それがこれさ!」。フロント・カヴァーにグループの写真が使われなかったことは当然、
 1968(昭和43)年11月22日(金)のリリース時に大きな話題となった。だが、スリーヴの内側にはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターそれぞれの写真が白黒で4枚並んでいる。さらに大きなモンタージュ写真の4つ折りポスターと個別のカラー写真が付属しており、ポスターの裏には収録曲の歌詞が載せられていた。リンゴ・スターがオリジナル・リリース時のシリアル番号1の盤を持っていたことは多くの人にとって驚きだった。というのも、それはジョン・レノンが所有していると長い間信じられていたからだ。ポール・マッカートニーもそう考えていたうちの一人で、ジョン・レノンが「大声で怒鳴って」自分のものにした、と証言したこともあった。実際、バンドに近い人物が若い番号の盤を持つことを許され、プロデューサーのジョージ・マーティンは0000007、広報担当のデレク・テイラーは0000009を所有していた。ジョン・レノンは0000005を名前は明らかになっていない近しい友人に贈ったとされているが、2008(平成20)年に同盤がオークションにかけられた際は約30,000ドル(約340万円)まで値が上がった。世界の貴重なレコードを特集した2014年のデイリー・テレグラフ紙によれば、あるディーラーは若いシリアル番号の『The Beatles』の価値は今後も高くなるとし、100番までのレコードは4,000から10,000ポンド(約60万円~150万円)に高騰すると予想している。しかし、この真っ白なジャケットは当初から構想されていたものではなかった。ザ・ビートルズの熱心なファンには有名な話だが、同作はもともと作家イプセンの戯曲にちなんで『A Doll's House』と名付けられていた。だがリリース4か月前の
 1968(昭和43)年07月19日(金)、英プログレッシブ・ロック・バンドのファミリーがデビュー作『Music In A Doll's House』を発表したことで題名は変更になった。他方、『The Beatles』のために制作されたが使われなかったふたつのアートワークがあることはあまり知られていない。ひとつは4人の顔がイギリス海峡の崖に彫られているデザインで、もうひとつはパトリック(後にテレビ・シリーズ『トゥッティ・フルッティ』のヒットで一躍有名になるジョン・バーンのペンネーム)がグループを描いたポップ・アートだった。この一件の後、テレビの仕事が入る以前にパトリックの印象的な作画はスティーラーズ・ホイールのアルバムに使われている。さらに、彼らの解散後もフロントマンだったジェリー・ラファティーのソロ作にも起用されている。喜ばしいことに、彼がザ・ビートルズに提供したアートワークも無駄にならず、1980(昭和55)年の編集盤『The Beatles Ballads』に使われているのだ。このように『The Beatles』の若いシリアル番号の盤の価値が上がっているが、リチャード・ハミルトンのもともとの構想が実現していれば同作のカヴァーは今以上に革新的になっていたかもしれない。彼は当初、白いジャケットにコーヒー・カップのシミをつけることを提案していた。このアイディアは後に別の作品に使われており、有名なものにはエルヴィス・コステロの『Get Happu!!』がある。リチャード・ハミルトンはまた、ザ・ビートルズによるアップル・レコード設立に合わせて同作のカヴァーにリンゴの果肉を染み込ませることも強くすすめていたが、これも実現が難しいとして却下されている。最終的にはこれ以上ないシンプルなデザインが、『The Beatles』のアートワークをその楽曲に劣らぬ印象的なものしたのだ。
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/the-white-album-by-design
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 ┃ 『ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション』第06号 ┃ 180g
 ┃         『REVOLVER』         ┃VINYL
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 重量盤
 2017(平成29)年11月07日(火) 発売     『リボルバー』
‡2017(平成29)年12月05日(火) 発行   THE BEATLES 
     通常価格・・・本体2,759円+TAX(8%)=2,980円
      発行所・・・DeAGOSTINI JAPAN (デアゴスティーニ・ジャパン)
 マガジンの内容①・・・1966年、ビートルズの世界はその地軸を傾けた。いくつもの革新的技術を用いたスタジオでの実験に集中し、レコーディングに革命をもたらした。
 マガジンの内容②・・・このLPは曲ごとに雰囲気が変わっていく。楽しげな「グッド・デイ・サンシャイン」や「イエロー・サブマリン」から、サイケデリックな「トゥモロー・ネバー・ノウズ」に「アイム・オンリー・スリーピング」、そして物憂げな「エリナー・リグビー」と辛口な「タックスマン」まで。 
 映像◆隔週刊 ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション【デアゴスティーニTVCM】https://youtu.be/2nH7M9fnU48
 
********************************* https://deagostini.jp/btr
 https://deagostini.jp/btr/backnumber.php?id=55503&issue=6
 https://www.amazon.co.jp/dp/481352169X
 https://en.wikipedia.org/wiki/Revolver_(Beatles_album)
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 ┃ 『ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション』第08号 ┃ 180g
 ┃      『PLEASE PLEASE ME』      ┃VINYL
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 重量盤
‡2017(平成29)年12月05日(火) 発売 『プリーズ・プリーズ・ミー』
 2017(平成29)年01月02日(火) 発行   THE BEATLES 
     通常価格・・・本体2,759円+TAX(8%)=2,980円
      発行所・・・DeAGOSTINI JAPAN (デアゴスティーニ・ジャパン)
 マガジンの内容①・・・1963(昭和38)年2月、最初のヒット・シングル「ラヴ・ミー・ドゥー」と「プリーズ・プリーズ・ミー」に引き続き、ファースト・アルバムを完成させるために必要な別の10曲すべてを、エネルギッシュな1日でスタジオ・レコーディングした。
 マガジンの内容②・・・ダイナミックな「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」から始まり、刺激的な「ツイスト・アンド・シャウト」でクライマックスを迎える。このビートルズのデビュー・アルバムには、選ばれたオリジナル・ソングと当時ライヴでカヴァー演奏していたR&Bソングが収録されている。 
 映像◆隔週刊 ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション【デアゴスティーニTVCM】https://youtu.be/2nH7M9fnU48
 
********************************* https://deagostini.jp/btr
 https://deagostini.jp/btr/backnumber.php?id=55503&issue=8
 https://www.amazon.co.jp/dp/4813521711
 https://en.wikipedia.org/wiki/Please_Please_Me
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『MAGICAL MYSTERY TOUR』 ┃
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 1967(昭和42)年11月27日(mon) US LP Released
‡1967(昭和42)年12月 5日(tue) JP LP Released
 1967(昭和42)年12月08日(fri) UK EP Released
 1976(昭和51)年11月19日(fri) UK LP Released
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Magical_Mystery_Tour
 米Mhttp://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_capitol_mo3.html##13-1
 米Shttp://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_capitol_st3.html##13-2
 日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/lp_op_9728.html
 英http://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_magical.html
 Ohttps://music.amazon.co.jp/albums/B019GHEBOI
 ⑨https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT833BP
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 ┛THE BEATLES Original Japanese Edition: Toshiba Compact Series┛EP
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ODEON ③③ COMPACT
‡┃ 東芝音楽工業株式会社 コンパクト⑦ ③③R・P・M・ ┃Odeon RECORDS
 ┃ 東芝 EMI 株式会社    The Beatles   ┃EMI Odeon
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STEREO
 SIDE 1♪ヘルプ! (HELP!)♪
    ♪涙の乗車券 (TICKET TO RIDE)♪
 SIDE 2♪アイム・ダウン (I'M DOWN)
    ♪ディジー・ミス・リジー (DIZZY MISS LIZZY)♪
‡1965(昭和40)年12月05日(sun) First released \500  OP-4110
 1980(昭和55)年12月21日(sun)  Re-released \900 EAS-30006
  ※♪アイム・ダウン(I’m Down)♪のステレオバージョンは、ビートルズ解散後の1976(昭和51)年にリリースされた『ロックン・ロール・ミュージック』まで、この日本盤コンパクト以外では発表されなかったため、このコンパクト盤は海外では大変レアなレコードだった。
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 SIDE 1♪ペイパーバック・ライター(PAPERBACK WRITER)♪ ※Pseudo stereo
    ♪ノルウェーの森(NORWEGIAN WOOD)♪
 SIDE 2♪恋を抱きしめよう(WE CAN WORK IT OUT)
    ♪ドライブ・マイ・カー(DRIVE MY CAR)♪
‡1966(昭和41)年12月05日(mon) First released \500  OP-4198
⑩1980(昭和55)年12月21日(sun)  Re-released \900 EAS-30010
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 SIDE 1♪イエロー・サブマリン(YELLOW SUBMARINE)♪
    ♪タックスマン(TAXMAN)♪
 SIDE 2♪ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア(HERE, THERE AND EVERYWHERE)♪
    ♪アンド・ユア・バード・キャン・シング(AND YOUR BIRD CAN SING)♪
‡1966(昭和41)年12月05日(mon) First released \500  OP-4206
⑪1980(昭和55)年12月21日(sun)  Re-released \900 EAS-30011
***********ジャケ写真◆http://www9.plala.or.jp/giw0011/Compact.html
 ⑥http://rock-t.info/beatles-discography-jep-help.html
  http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/ep/OP_4110.html
 ⑩http://rock-t.info/beatles-discography-jep-paperbackwriter.html
  http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/ep/OP_4198.html
 ⑪http://rock-t.info/beatles-discography-jep-yellowsubmarine.html
  http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/ep/OP_4206.html
 写真一蘭◆http://d.hatena.ne.jp/hideaway_juju/20120723/1343019802
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年12月05日(火) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
②1962(昭和37)年12月05日(水) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼)/リヴァプール
③1962(昭和37)年12月05日(水) ライヴ演奏2:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|December 05|339
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|12月05日|
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 1961(昭和36)年12月05日(火) ライヴ演奏 :キャバーン・クラブ (昼)/リヴァプール ランチタイム・セッションのステージに出演
 1962(昭和37)年12月05日(水) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼)/リヴァプール
 1962(昭和37)年12月05日(水) ライヴ演奏2:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール
 1964(昭和39)年12月05日(日) イギリスの音楽誌『ディスク』の人気投票で、ポール4位、ジョン6位、ジョージ8位、リンゴ11位になる
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17207
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/012/1205.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15573237.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1967(昭和42)年12月 7日(木)|「夢の帝国 光と影」
 |2008(平成20)年12月 5日(火)|甲虫日記更新日 No.037
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ロンドンの繁華街、ベイカー通りとパディントン通りが接する角に19世紀に建築された古いビルがある。1967年12月7日、この4階建ての建物正面全体と側面に巨大なサイケデリック壁画が登場した。伝説の「アップル・ブティック」が開店したのだ。
ビートルズにブティック事業をすすめたのは、アムステルダムから来た「ザ・フール」と名乗るデザイナー集団だった。ビートルズのために数々のサイケデリックな服をデザインし、ジョンのロールス・ロイスをサイケ調に塗り替え、ジョージの家の暖炉を彩色した。
彼らは、いつどうやってビートルズに取り入ったのか。後にアップル社の経営責任者になるニール・アスピノールによれば、「そっと忍び寄ってきたんだ」という。
3カ月前の9月、ザ・フールは開店資金として10万ポンドをビートルズから渡された。彼らはカラフルな衣装と装身具を買いそろえ、数十人の美術学生を雇って巨大な壁画を描かせた。ロンドンの「イケてる」人々のために、時代の最先端をゆく流行の発信地にするつもりだった。
ジョンは、スーパーマーケットで働いていた親友のピート・ショットンを支配人に据えた。ジョージの義理の妹ジェニー・ボイドも店員として華をそえた。有名人がずらりと顔をそろえた開店2日前の祝賀パーティーでは、りんごジュースで乾杯がされた。
なぜ、ビートルズは音楽以外の事業に手を染めたのか。
67年には、ビートルズは「どれだけ稼いでもすぐに税金として取られる」という財務上の危機に陥っていた。最高税率98%の税金が個人的な資産を吸い取っていくのだった。その額は200万ポンドとも300万ポンドとも言われた。計理士からは、高額な税金を払うより音楽事業などに投資すべきだと忠告を受けていた。
そこでビートルズは、数々の部門を持った持ち株会社を設立することにした。4月には、4人が社長になるアップル社の設立が決まった。
会社のロゴのモチーフになったのは、ポールの家にあったマグリットの大きな青りんごの絵「謎解きゲーム」だ。ポールは「アップル・コア(りんごの芯)」の洒落(しゃれ)のつもりで、りんごにコープ(会社)と付け加えたのだ。
この間、ビジネス面で彼らを支えてきたマネジャーのブライアン・エプスタインは、何をしていたのか。
当時、彼はNEMS(North End Music Store)の共同取締役に経営持ち分を売ることを決断していた。ビートルズ以外に手がけたタレントの多くが不首尾に終わるなど、不調続きだった。賭博に熱を入れるようになり、一説では音楽ビジネスに興味を失っていたともいう。アップルについては、アドバイスはするが干渉はしない、と距離を置いていたのだった。
もっともポールは、ブライアンのやり方に不満を持っていた。67年1月、ブライアンはEMIから印税額をアップさせる新規契約を取り付けた。だが、ポールはビートルズよりレコードの売り上げが少ないローリング・ストーンズが、自分たちより稼いでいることを指摘して、その契約を酷評した。
こうした流れから、夢の帝国「アップル」構想は、ブライアンが亡くなった8月27日以降、急速に動き出すことになる。
当初、アップル社の構想は幸福感が漂うものだった。きっかけは節税対策ではあったが、時代の精神を事業に反映させようという高みさえ感じられた。音楽、映画制作、出版物、ファッションなど芸術的で創造的な面でのアイデアはどんどん膨らんでいった。「スーツを着た連中」に邪魔されず、好きなことができるという魅力が、彼らにそうさせていた。
自分たちのレコーディング・スタジオをつくるというアイデアもそのひとつだ。自分たち専用ではなく、音楽的才能を持った若者にもチャンスを与えるものだった。ブライアンに見いだされてスターになったという幸運を、誰よりも身に染みてわかっていた。無名のバンドやシンガーを発掘し、曲を提供してレコードをプロデュースすることには乗り気だった。実際、「アップル・レコード」からは、メリー・ホプキンスやバッド・フィンガーら有望な新人を売り出すのに成功した。
最初の事業は「マジカル・ミステリー・ツアー」のテレビ放送であり、次の事業がアップル・ブティックだった。ポールが語ったところによれば、アップル・ブティックの理念は「ビューティフルなものを買えるビューティフルな場所」ということだった。
しかし、斬新なアイデアを持ち込んでビートルズに近寄ってきた人間のなかには単なる詐欺師もいた。そして、才能のかけらもないよこしまな連中のおかげで、アップル社の旗頭と目されたブティックは、ビートルズのビジネス帝国のなかで最初に崩壊する部門になる。
ザ・フールが海外で買い付ける品物は「郵送の途中でなくなってしまった」。日常の注文品のなかにシャンパンとキャビアがあった。会社の備品はすぐに紛失し、会社の費用で車が買われた。そして彼らはいなくなった。万引きも横行した。オープン直後こそにぎわいを見せたが、途方もない浪費を帳消しにするだけの顧客をひきつけておくことはできなかった。
68年7月30日、20万ポンド以上の赤字を抱えたブティックは、わずか8カ月足らずで閉店することになった。1万ポンド相当の在庫品を、通行人に無料で配るという前代未聞の閉店セールで幕を閉じる。
ビートルズは、商人たちが手押し車に乗せてごっそり持っていくようなことだけは避けたかった。派手な宣伝は避け、くちづてや電話で知らせた。社員が通行人を呼び込み、集まった列を見て少しずつ人が増え、やがて群衆を整理するため警官が呼ばれた。
群衆は店の椅子(いす)からハンガーに至るまで、ありとあらゆるものをひったくっていった。最後に残ったのは裸の女性のマネキンで、そこには「ジョン・レノン宛て」の張り紙がしてあった。
「私たちは何でもできると感じていた。魔法を信じていた。私たちはとてもだまされやすかった。でも、そこが美しかった」
68年の暑い夏に散った夢物語の顛末を、ジェニー・ボイドは見事に言い当てている。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は、12月24日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ 映画「アクロス・ザ・ユニバース」は、2008年8月9日に日本で公開された。ビートルズの曲の歌詞をベースに、ベトナム戦争、ドラッグカルチャー、ロックンロールなど混とんとした1960年代のニューヨークを舞台に、若者たちの恋と青春をつづったミュージカル映画作品。監督は舞台版「ライオンキング」を手がけたジュリー・ティモア。ビートルズの曲は、オープニングの「ガール」からエンディングの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」まで33曲が使われている。
 アクロス・ザ・ユニバース デラックス・コレクターズ・エディション(2枚組)
2008年12月19日DVD発売 ソニー・ピクチャーズ エンタテイメント 
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/081205.html
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 ◎お知らせ ⇒ ジョン・レノンのソロ・アルバム「ロックン・ロール」は1975年発表。50~60年代にヒットしたベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」やチャック・ベリーの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」などロックのスタンダード・ナンバーのカバー13曲を収録した。「ヤ・ヤ」のドラムは愛息ジュリアンがたたいている。04年にリミックス&デジタル・リマスタリング盤が再リリースされ、ボーナス・トラック4曲が収録された。
ジャケットは、ユルゲン・フォルマーが1961年のハンブルク巡業の際に撮影したもの。革ジャンを着た10代のジョンの雰囲気がよく伝わる。ジョンの前を横切る影はポール、ジョージ、スチュアート・サトクリフである。
2007年12月05日  EMIミュージック・ジャパン 
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
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 |1965(昭和40)年12月12日(日)|「英国ツアーの終幕」
 |2010(平成22)年12月10日(金)|甲虫日記更新日 No.085
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‡1965(昭和40)年12月5日(日)のリバプール公演は、3年前にリトル・リチャードと初共演を果たした思い出のエンパイア・シアターだった。客席が2550しかないのに、1日2回の公演に4万人がチケットを申し込んだ。当日、開演を待つ列の客に2人の女の子がチラシを配っていた。チラシの内容は、デビュー前からビートルズが出演したキャバーン・クラブが取り壊しの危機にあることを伝え、窮地から救う募金を呼びかけるものだった。その日、市役所はクラブ経営者に対し、3千ポンドをかけて新しい下水道設備を整備しない限り建物を取り壊すという命令を通告したのだった。偶然、ビートルズの控室に招かれた2人の女の子は、4人とキャバーンの存続問題について10分ほどおしゃべりすることができた。「クラブを『観光スポット』にすれば、世界中から観光客が集まるのでは」。ポールが前向きな提案をした。「ビートルズと会うことができるなんて信じられなかった。今までにも増して彼らは偉大だわ」。幸運な女の子の1人、スーザン・ホールはインタビューに答えた。
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/101210.html
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 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
 ┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1980(昭和55)年12月5日(金)『Rolling Stone』Interview
 1981(昭和56)年1月22日(木)『Rolling Stone』Release
‡No.160(3) 1980-12-05(fri) Lennon /『Rolling Stone』(1 photo) Interviewed three days before his death, this issue was released posthumously. 
‡John Lennon -『Rolling Stone』Interview, 12/5/1980
 1981/1/22(thu)『Rolling Stone』magazine January 22, 1981 issue
‡1980/12/5(fri) Interviewed by Jonathan Colt on December 5 1980
 Copyright ゥ 1981『Rolling Stone』
  Note・・・『THE BEATLES Interviews Database』Last article in 1980
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 http://www.beatlesinterviews.org/db1980.1205.beatles.html
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 ┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(tue)05 December 1961 Liverpool, England, The Cavern Club 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┃ THE CAVERN CLUB  キャヴァーン・クラブ ┃
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‡1962(昭和37)年12月 5日(水) ビートルズとゲリーとペースメーカー。[46]
 Note・・・ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていない。しかし1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_at_The_Cavern_Club
 http://gejirin.com/beatles/history/1961/19610209_live_cavern_first_beatles.html
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 ┃ THE BEATLES' 1965 UK tour  ┃
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 No.05 (sun)05 December 1965,  Liverpool City, Empire Theatre  (Afternoon)
‡No.06 (sun)05 December 1965,  Liverpool City, Empire Theatre (Evening)
   01.♪I Feel Fine♪
   02.♪She's a Woman♪
   03.♪If I Needed Someone♪
   04.♪Act Naturally♪
   05.♪Nowhere Man♪
   06.♪Baby's in Black♪
   07.♪Help!" (Lennon)
   08.♪We Can Work It Out♪
   09.♪Yesterday♪
   10.♪Day Tripper♪
   11.♪I'm Down♪
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1965_UK_tour
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 ┃ ♪REVOLUTION♪ ┃
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‡1969(昭和44)年12月 5日(fri) ステレオミックスが作られる。アメリカ編集盤「ヘイ・ジュード」のため
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 https://beatlesdata.info/16/08_revolution.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Revolution_(Beatles_song)
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 ┃ ♪You Know My Name (Look Up The Number)♪  ┃
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‡1969(昭和44)年12月 5日(fri)(実に10日後!)にリリースを決め、レコード番号もAPPLES1002とまで決まったが これは発売中止になってしまう。恐らく他のメンバーが意義を申し立てたか、もしくはEMIで録音された物をアップルでリリースするとは何事ぞ、というクレームが入ったかのどちらかだと思われる。そして1970年3月6日にラストシングル「レット・イット・ビー」が発売される際のカップリング曲に決まったのである。このシングルの初回プレス版には「APPLES1002-A」という刻印まで残っていたらしい「What's the New Mary Jane」はオーバーダブ前のバージョンが後年、「The Beatles Anthology 3」に収録されている。そしてリリースされた時には、サックスを吹いたブライアン・ジョーンズはすでにこの世にいなかった。1969年7月2日深夜、自宅プールで溺死している所を発見されている
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 https://beatlesdata.info/16/15_youknowmayname.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/You_Know_My_Name_(Look_Up_the_Number)
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 映像◆PAUL McCARTNEY AT KENNEDY CENTER HONORS (Complete) https://youtu.be/RL76v3qoEeI
‡2010(平成22)年12月5日(sun)
 07:50 - Hello Goodbye / Penny Lane (No Doubt)
 10:22 - Maybe I'm Amazed (Dave Grohl & Norah Jones)
 12:56 - She Came In Through The Bathroom Window / Golden Slumbers / Carry That Weight / The End (Steven Tyler)
 17:02 - Let It Be / Hey Jude (James Taylor & Mavis Staples)
 

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