▲出典:時刻表完全復刻版 1988年3月号(2020年、JTBパブリッシング)
当時は名古屋駅には名古屋市営地下鉄の東山線しか乗り入れていなかったため単に「地下鉄入口」としか書かれていない。現在は桜通線も乗り入れているが、88年には存在しない(89年9月開業)ので、牧瀬里穂は地下鉄東山線に乗って名古屋駅に来たと見てよい。では、その地下鉄東山線に乗って、どこから来たのか? これ以上はあくまでも推測の域を出ないのだけど僕は「栄」から来たのではないかと思っている。名古屋最大の繁華街「栄」、地下鉄で2駅だ。そこから牧瀬里穂がやってきたのではないだろうか。なぜそうなったのか?それは次の章で紐解いていこう。
■なぜギリギリだったのか■なぜ牧瀬里穂は走るほどギリギリに名古屋駅に到着したのか。この疑問がプレゼントの中身を知るうえで重要なファクターとなる。このCMは、彼氏の帰省、21時51分名古屋着の新幹線で帰ってくる彼氏の到着に間に合うのかと、プレゼントを抱えて名古屋駅のコンコースを健気に走る牧瀬里穂がポイントだ。それがサプライズであることも既に述べた。しかしながら、冷静に考えてみてほしい。なぜそんなにギリギリなんだと。彼氏を見つけた笑顔、一生懸命走る健気さ、それから類推するに、牧瀬里穂は決していい加減な女ではないと思う。彼氏に対しても真っすぐで誠実だと思う。そう考えると、「早く行っても寒いし、ギリギリでいいっしょw」となる可能性は極めて低い。おまけに当時は待ち合わせの難易度が激烈に高い。おまけに待ち合わせではなくサプライズだ。下手すると会えない可能性が高いのに、いくら突発的に行くことにしたサプライズといえども、ここまでギリギリになるとは考えられない。これが不自然な点だ。つまり、ギリギリにならざるを得ない何かがあった、と考えるのが妥当だ。もちろん、明確な答えがでるわけではないが、ある程度推理することはできる。この画像を見ると、もう一つ気が付くことがある。それが、プレゼントと同時にヒョウ柄のバッグを持っているという点だ。もちろん、帽子とのトータルコーディネートなのだと思うが、あまりに持ちにくいバックだ。大きな筒状のプレゼントを抱えてこのバックを持つとなるとかなり厳しい。現に、人とぶつかっただけでポイポイとプレゼントが落ちているわけだ。家を出る時点でこのバックとプレゼントを持っていたら、ちょっと厳しいな、となってバックを変え、そこで帽子も見直す可能性が高い。つまり、家を出た時点でプレゼントを持っていなかったのではないだろうか。こんな筒状のものを持つことになるとは全く考えていなかった可能性が高い。つまり、彼女は、家を出て、ここに来るまでにプレゼントを購入していたのだ。そう、それで時間を食ってしまい、こんなにもギリギリになってしまったのだ。そうなるともう一つ疑問が沸き上がる。そこまで真剣で真っすぐな彼女が、大好きな彼氏がクリスマスに帰ってくるのに、ギリギリにプレゼントを購入するだろうか、という点だ。そんないい加減なことはしない気がする。これにも仕方がない理由がある。これまで、様々な状況を紐解くことで、牧瀬里穂は地元である名古屋に残り、彼氏が東京に出ていったことはすでに述べた。そして、おそらく夏にも彼氏は帰省してきたのだと思う。その時に帰ってきた彼氏が東京にかぶれて突如として頭にバンダナを巻いていたのではないだろうか。どんどんと東京に染まっていく彼氏に里穂は言い知れぬ不安を覚えた。あと、バンダナの色と柄がちょっと気に入らなかった。だから里穂は、クリスマスにバンダナを贈ろうと考えていたのではないだろうか。ただ、彼氏の好みなどもあるだろうし、25日のクリスマスに会う約束をしているしで、もう彼に選んでもらおう、ふたりでショッピングでも楽しみながら相談して購入し、プレゼントしようと考えていたのではないだろうか。しかしながら、里穂は我慢できず、
24日にサプライズを仕掛けることにする。精一杯のおしゃれをし、実家を出て、名古屋駅へと向かっていた。まだまだ彼氏が到着するには時間がある。駅でお茶でもして体を温めようと考えたかもしれない。そこでプレゼントがないことに気が付いた。一緒にバンダナを買いに行くといっても、彼氏が到着するのは21時51分、もうほとんどの店が閉店しているか閉店準備を始めている。焦った。とにかく何かプレゼントを買おうと繁華街である「栄」で降りた。そこで彼女は何を選んだだろうか。急遽選ぶことになったプレゼント、どういう選択をしたのだろうか。バウンド時の軽さから材質は紙ではないかという予想がたてられた。大きさの計算より、包みはA2の厚手の紙を丸めたものという予想がたてられた。そして突如購入したプレゼント。僕はカレンダーじゃないかと思う。おそらく大きな書店などで店頭に置かれていた、1989年のカレンダー、それをプレゼントにしたのだと思う。そこには彼女なりの思いが込められていた。今のように、スマホのない時代、携帯電話もほとんど普及していなかった。スケジュール管理アプリなんかもちろん存在しない。そんな中で、「次はいつ会えるのか」という思いが強くあったのだと思う。ただ、それを言ってしまうと彼を困らせることになる。ワガママと思われるかもしれない。だからカレンダーを送って、そこに次ぎに会える日を記入してお互いに頑張ろうね、そう言いたかったんじゃないだろうか。彼女なりの精一杯のメッセージだったんじゃないだろうか。ただし、カレンダーごときでここまで過剰にラッピングしてくれる店はほとんどないと思う。時代がバブル期ということを考慮してもあまりに過剰だ。だから、大きな本屋でリボンもベルの飾りも、なんなら包装紙も購入し、彼女が一生懸命ラッピングしていたんだと思う。彼を思って一生懸命作業していると、気づいたらギリギリの時間になっていた。彼女は急ぎ、走った。これが真相じゃないだろうか。そういった背景を連想し、最後にもう一度、鑑賞してほしい。17回目になるはずだ。
■クリスマスエクスプレスのその後■牧瀬里穂のクリスマスエクスプレス以降、90年、91年、92年と同シリーズが製作されているが、92年を最後に制作されなくなってしまった。しかしながら、2000年にクリスマスエクスプレス2000として星野真里を主演に制作された。実に8年ぶりとなる同作品には、第一作と第二作を務めた深津絵里と牧瀬里穂も出演している。
www.youtube.comJR東海 クリスマス・エクスプレス 2000
さらには、それから3年の2013年には、シリーズで一貫してCM曲に使われていた山下達郎の「クリスマス・イブ」の発売30周年を記念して製作されたMVに牧瀬里穂が登場している。主役を演じる広瀬すずとぶつかり、落とした紙袋を拾う牧瀬里穂。もちろん、赤いコートを着ている。24年ぶりに見せたその姿に、誰もがあのCMのその後を想像した。
■僕らが失ったもの■牧瀬里穂のシンデレラエクスプレスのCMが放映されてから30年が経過した。この30年で僕らは何を失い、何を手に入れたのだろうか。おそらくは想像もできないほど便利になり、特にコミュニケーションにおける障害はほとんどなくなったのではないだろうか。30年後のこの世界は、簡単に人に伝えられるし、簡単に人から伝わってくる。けれどもあまりに簡単で便利になったそれらは、考えることを奪ってしまったのかもしれない。伝えることも伝わることもあまりに当たり前になりすぎてしまった。日々、多くの情報がインターネット網を、目に見えない電波を経由して流れてくる。けれども、それらに心が動かされることはもうほとんどない。おそらく、どんなに言葉を駆使したって、30年前に彼女が贈ってくれたサプライズとカレンダー以上に心動くものなんてないのだと思う。
実に18回目の鑑賞となるこのCMは89年放送、平成最初のクリスマスに向けて放送されたものだ。もういちど、不便だったあの頃に立ち返り、何かを伝えてみてはどうだろうか。それは恋人だけでなくともいい。家族でも、友人でもいい、大切な人にクリスマスを機会に伝えてみよう。何かが伝わるはずだ。
ジングルベルを鳴らすのは、きっとあなたなのだ。
【完全版】高速SAのラーメンはなぜ美味いのか、鹿児島から青森まで全てのSAでラーメンを食べてきた。著者:pato
執筆:プロフィールアイコン pato テキストサイト管理人。ストロングゼロ(ダブルレモン)と生きるおっさん。
編集:プロフィールアイコン 川崎 博則 1986年生まれ。2019年4月に中途でさくらインターネット株式会社に入社。さくマガ立ち上げメンバー。さくマガ編集長を務める。WEBマーケティングの仕事に10年以上たずさわっている。
https://sakumaga.sakura.ad.jp/entry/2020/10/07/120000
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『BOΦWY COMPLETE LIMITED EDITION』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
東芝EMI株式会社
‡1991(平成三)年12月24日(火) 2位 TOCT- 6390~99
10万セット限定 黒箱に金色文字の装丁
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『BOΦWY COMPLETE REQUIRED EDITION』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1993(平成五)年03月03日(水) 3位 TOCT- 6390~99
15万セット限定 白箱に黒色文字の装丁
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『BOΦWY COMPLETE 21st CENTURY ┃
┃ 20th ANNIVERSARY EDITION』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
2002(平成14)年03月29日(金) 14位 TOCT-24790~99
20ビット・デジタル・リマスタリング盤 黒箱に銀色文字の装丁『“SINGLES”』収録の♪Marionette♪がシングルバージョン
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https://ja.wikipedia.org/wiki/BOOWY_COMPLETE
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ 『GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ┃
┃ ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR ┃
┃ 1986.11.11~1987.02.24』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1986(昭和61)年12月10日(水) 録音:日本武道館
1987(昭和62)年02月24日(火) 録音:日本武道館
2004(平成16)年02月24日(火) VHS TOVF-1413
2004(平成16)年02月24日(火) DVD TOBF-5307
‡2012(平成24)年12月24日(月) BD TOXF-4016 BD-BOX『BOΦWY BLU-RAY COMPLETE』収録
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ 『GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ┃
┃ ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR ┃
┃ 1986.11.11~1987.02.24』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
2004(平成16)年02月24日(火) CCCD TOCT-25361~2
2008(平成20)年08月02日(土) MP3DL
‡2012(平成24)年12月24日(月) Blu-spec CD2 TOCT-98009~10
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https://ja.wikipedia.org/wiki/BOOWY
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ 『“LAST GIGS”LIVE AT TOKYO DOME "BIG EGG" APRIL 4,5 1988』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1988(昭和63)年04月05日(火) 東京ドーム
1988(昭和63)年05月03日(火) RT28-5200 <LP>
1988(昭和63)年05月03日(火) CT32-5200 <CD>
1988(昭和63)年05月03日(火) ZT28-5200 <CT>
‡1991(平成三)年12月24日(火) CD TOCT-6397 CD-BOX『BOΦWY COMPLETE LIMITED EDITION』収録
1993(平成五)年03月03日(水) CD TOCT-6397 CD-BOX『BOΦWY COMPLETE REQUIRED EDITION』収録
2002(平成14)年03月29日(金) CD TOCT-24797 CD-BOX『BOΦWY COMPLETE 21st CENTURY 20th ANNIVERSARY EDITION』収録
2005(平成17)年02月16日(水) CD TOCT-25615『“LAST GIGS” COMPLETE』リリース後に廃盤
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ 『“LAST GIGS” COMPLETE』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
1988(昭和63)年04月04日(月) 東京ドーム
1988(昭和63)年04月05日(火) 東京ドーム
2008(平成20)年04月05日(土) CD TOCT-26540~1
2008(平成20)年08月02日(土) MP3DL
‡2012(平成24)年12月24日(月) Blu-spec CD2 TOCT-98006~7
2013(平成25)年12月04日(水) amazon music 情報
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①https://ja.wikipedia.org/wiki/“LAST_GIGS”
https://music.amazon.co.jp/albums/B01L7Y7ZW8
②https://ja.wikipedia.org/wiki/“LAST_GIGS”_COMPLETE
https://music.amazon.co.jp/albums/B00GWXSLBE
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BOΦWY
松井常松のベース BOΦWY時代のモデルとは?ベースって・・
氷室京介、BOΦWYのファンの芸能人、有名人、意外な人もファン
氷室京介喧嘩最強伝説、吉川晃司もダメだよあんなの・・
高橋まこと(BOΦWYのドラマー)は現在何をやっているのか?事件だ
氷室京介と布袋寅泰の溝はあった?不仲だったのか?キスまでライブでしてたのにね
氷室京介の存在感デカすぎ。ヒムロックは伝説になってしまったのか?もうライブやらないの?
松井常松の現在、今何やってるの?元BOΦWYのベーシストがヤバイ!
BOΦWY 解散の理由真相とは?原因はやっぱりあの人?
氷室京介の最後のライブ(LAST GIGS)に布袋寅泰は登場するのか?BOΦWY再結成ありませんね
https://ojisan777.net/?page_id=5368#
写真月◆音源◆BOΦWY 1985.12.24 BOΦWYS BE AMBITIOUS TOUR https://youtu.be/6nWirWINfds
‡1985(昭和60)年12月24日(火) 渋谷公会堂
音源◆2:23:05【BOΦWY】BOΦWYS BE AMBITIOUS TOUR 渋谷公会堂https://youtu.be/z2xSOwcpnpA
‡1985(昭和60)年12月24日(火) MCのみですが雰囲気を味わってください
音源◆1:26:06 BOΦWY 1985.12.24 BOΦWYS BE AMBITIOUS TOUR 音源https://youtu.be/5S2-UEHdcpc
‡1985(昭和60)年12月24日(火) 渋谷公会堂
音源◆2:28:32 BOΦWY 1985.12.24 BOΦWYS BE AMBITIOUS TOUR 音源https://youtu.be/eQqt1K6qwlA
‡1985(昭和60)年12月24日(火) 渋谷公会堂
音源◆2:09:16 BOΦWY 1985.12.24 BOΦWYS BE AMBITIOUS TOUR 音源https://youtu.be/E0LwepOc2_0
‡1985(昭和60)年12月24日(火) 渋谷公会堂
音源◆2:23:04 BOΦWY 1985.12.24 BOΦWYS BE AMBITIOUS TOUR https://youtu.be/s1Xh5NaEnGs
‡1985(昭和60)年12月24日(火) 渋谷公会堂
音源◆19851224 渋谷公会堂 布袋寅泰本人結婚発表 https://youtu.be/2p0FHyvHD2g
音源◆19851224 渋谷公会堂 唇にジェラシー https://youtu.be/LgMfs_vOEfI
┏━━━━━━━━━━━━━┓BOΦWY'S BE AMBITIOUS TOUR
┃ 過去の今日のBOΦWY ┃1985(昭和60)年12月24日
┗━━━━━━━━━━━━━┛渋谷公会堂
以下がこの日のセットリストですが、
こちらも映像が残っているものに●を付けました。多分全部残っているかと思われます。
01.BEGINNING FROM ENDLESS
02.Dreamin'
03.ハイウェイに乗る前に
04.BABY ACTION
05.GIVE IT TO ME
06.MY HONEY
07.唇にジェラシー
08.BAD FEELING
09.CLOUDY HEART●
10.THIS MOMENT
11.DANCE CRAZE
12.OH! MY JULLY PARTⅠ
13.IMAGE DOWN
14.TEENAGE EMOTION
15.LONDON GAME
16.ホンキー・トンキー・クレイジー
17.GUERRILLA
18.NO.NEW YORK●
19.布袋結婚発表
20.Happy Xmas - War is over(SE)
私の所有している映像よりやたら綺麗です。
この日のライブはいいですねー。カメラワークがかっこいい。こちらもPVやCASEでよく見かけますね。そして印象的なシーンが多いです。ヒムロックがやたらかっこよかったり、布袋がギター投げたり。見たいな~。「唇にジェラシー」もあるし!!!でもこれはさすがに無理そうですね。最後が特に・・・。
以前にも紹介しましたが、もう一度載せておきます。非公開で婚約発表されたようです。
アンコールの時にいきなり布袋から発表が
布袋「布袋寅泰君が1月に結婚することになりました一番最初に伝えたくてつれてきました」
~山下久美子登場~
布袋「これから長い付き合いになるぜ」
山下「XXXX すてきなイヴにこうやってXXX感謝しています」
「BOOWY そしてBOOWYのスタッフ そしてみんなに感謝しています。ありがとう」
「これからは一人の女性として、そしてカレのお嫁さんとして、そしてよき歌い手として、
ずっとずっと長いときを一緒に過ごしていきたいなと思います」
氷室「おめでとう」
途中途中で観客の「フォーフォー」という冷やかしの嵐で、聞こえないとこが多い。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 1985(昭和60)年後期頃のBOΦWY ┃『オールナイトフジ』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛01.NO.NEW YORK
女子大生主体の深夜番組で、司会も誰かさっぱりわかりませんw。「とんでるNEW BAND情報」というコーナーで紹介されています。そんな中で、ヒムロックは自己紹介で「ボーカルのひむろだよ~ん」と、このタイミングで飛んじゃってますが(汗)、素人司会なのでそのままスルーwww。あんななりして、「ひむろだよ~ん」と言われても・・・対処に困りますよねwwwそして、ツアーとレコーディングを平行で続けてるとのこと。しかし、すごいスケジュールですね。今じゃ考えられません。最後には司会の方を心配してか、「体に気をつけてください」と逆に気を使う始末。まじめなのか不真面目なのか・・・。 ◎というわけでDISC03の紹介は以上です。1985年後半はTV出演がやたら多かったです。この頃のメディアへの露出が一番多かったんじゃないでしょうか。そして1986年に続きます。次回DISC04を紹介いたします。TO BE CONTINUED・・・
http://boowyblog.blog35.fc2.com/blog-entry-357.html
┏━━━━━━━━━━━━━┓『MERRY X'mas SHOW』
┃ 過去の今日のBOΦWY ┃‡1986(昭和61)年12月24日(水)
┗━━━━━━━━━━━━━┛ 吉川晃司の提案で桑田佳祐が中心となり、当時テレビではほとんど見られないミュージシャンが一堂に会して放送された。
出演者は以下のとおり
明石家さんま(司会)、桑田佳祐、松任谷由実、泉谷しげる、チェッカーズ、忌野清志郎、Char、THE ALFEE、アン・ルイス、依田稔、鈴木雅之、鈴木聖美、BOOWY、米米CLUB、SUE CREAM SUE、BARBEE BOYS、BAKUFU-SLUMP、中村雅俊、吉川晃司、石橋凌、鮎川誠、山下洋輔、小林克也、トミー・スナイダー、古舘伊知郎、原由子、小泉今日子、高中正義、前田亘輝、渡辺美里、新田一郎、三宅裕司、小倉久寛、スーパー・エキセントリック・シアター、青山未央、KUWATA BAND、河内淳一、今野多久郎、琢磨仁、小島良喜、松田弘
BOOWYは以下に出演。
・Come Together(全員)
・Telegram Sam(ロッケストラ(KUWATA BAND、BOOWY、アン・ルイス、吉川晃司、高見沢俊彦、鮎川誠 、DEKAPAN(依田稔)、SUE CREAM SUE))
・Help!(BOOWY、吉川晃司)
・Let's Spend the Night Together(ロッケストラ)
・Kissin' Christmas (全員)
ちょうど、解散宣言の1年前のクリスマス・イブに放送。BOOWYはこの日ツアーの真っ最中で、横浜文化体育館でライブをしていたため、VTRでの登場。1987年にも放送されたようですが、もちろん出演はこの1986年のみでした。
しかしそうそうたるメンバーですね。それを束ねた桑田もすごいですが、堂々と司会をこなす明石家さんまもすごい。この当時はまだまだ若いですが、今とまったくキレがかわらないくらいのトークです。
内容としては、BOOWYの曲は全くありませんが、見所満載です。桑田やアン・ルイスと絡むヒムロック、吉川晃司とのすごいビジュアルのHELP!かなりかっこいいですね。CD発売すれば売れたんじゃないかというくらいの出来でした。そしてBOOWY全員のコーラス?!普段見ることができない最初で最後のBOOWYのパフォーマンスが拝めます。
というわけでDISC06の紹介は以上です。1986年がこれで完了です。1987年になるとメディアへの登場が、かなり減ってしまいます。解散に向かうBOOWY。その終幕での引き際の軌跡を目に焼き付けてください。
次回DISC07を紹介いたします。TO BE CONTINUED・・・
┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 過去の今月のBOΦWY ┃1986(昭和61)年12月
┗━━━━━━━━━━━━━┛福岡放送『スーパーチャンネル』
この映像ですが、放送時期が微妙なんですよね~。寒い時期っぽいですが、この時点では布袋が骨折した原因をはっきり知らなさそうで、寝違えて折ったと認識されておりますが、すでに「BEAT EMOTION」が発売されている様子。となると11月8日以降になるんですが、10月21日には布袋が骨折した原因をヒムロックの前で話しているので時期が合わないな~と。ヒムロックの後ろにカレンダーらしきものが写っていてどうも1986/12月っぽいんですよね~。というわけで12月として、布袋が骨折した原因は、ほんとに忘れていたのか、とぼけちゃってるのかどちらかでしょう!
その他、松井がウイルス性肝炎になったとか、自分のFANです!ともコメントしている。
そして「今回のアルバムで気を遣ったテーマについて」を問われると「着飾ったBOOWYじゃなくって、これ(ジャケット)をぱっと脱いでね、乳首なんかを見せようかなという感じで作りました」と女性を前にしてサラッと真面目な顔で回答する。ヒムロックだから許されるんでしょうね。不細工キャラなら絶対にセクハラで訴えらましたね~。
また、作詞は夜にし、最初の頃は、曲と詞のイメージが違うというのがあったとも語っています。
01.B・BLUE(PV) でも、9月発売のB・BLUEを12月に紹介ってのもありえんなー。やっぱり10月末の布袋が骨折した直後の放送かもしれませんね。でもそうなると皆さん厚着のような気がするし・・・。この映像を生でご覧になられてた方、いらっしゃいましたら、ご連絡お待ちしてます。
http://boowyblog.blog35.fc2.com/blog-entry-365.html
1987年12月24日 渋谷公会堂
01. LIAR GIRL
02. ANGEL PASSED CHILDREN
03. BLUE VACATION
04. ハイウェイに乗る前に
05. GIGORO & GIGOLET
06. PSYCHOPATH
07. CLOUDY HEART
08. MARIONETTE
09. わがままジュリエット
10. LONGER THAN FOREVER
11. 季節が君だけを変える
12. WORKING MAN
13. B・BLUE
14. RENDEZ-VOUS
15. ホンキー・トンキー・クレイジー
16. PLASTIC BOMB
17. BEAT SWEET
18. IMAGE DOWN
19. NO. NEW YORK
20. MEMORY
21. ONLY YOU
22. Dreamin'
こちらのライブは、以下の記事で紹介しています。
【1224】
そういえば、今度発売されるBlue-rayのROCK'N ROLL CIRCUSの武道館は、このライブに続く本当の(混合無し)完全版ですね~。
http://boowyblog.blog35.fc2.com/blog-entry-375.html
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 過去の今日のBOΦWYの出来事 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1985(昭和60)年12月24日(火) 渋谷公会堂で同ツアー終了。このライヴ終了後にステージ上で布袋が山下久美子との結婚を発表
①1988(昭和63)年12月24日(土) CD『SINGLES』
②1989(平成元)年12月24日(日) CD『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』
③1991(平成三)年12月24日(火) VHS LD『SINGLES of BOΦWY』
④1991(平成三)年12月24日(火) BOX-SET『BOΦWY COMPLETE LIMITED EDITION』
⑤2001(平成13)年12月24日(月) DVD『1224』
⑥2003(平成15)年12月24日(水) CD『BOΦWY Tribute』
⑦2003(平成15)年12月24日(水) CD『BOΦWY Respect』
⑧2007(平成19)年12月24日(月) CD『“GIGS” CASE OF BOΦWY COMPLETE』
⑨2007(平成19)年12月24日(月) DVD『“GIGS” BOX』
⑩2012(平成24)年12月24日(月) CD『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986 NAKED』
‡2012(平成24)年12月24日(月) BD-BOX『BOΦWY BLU-RAY COMPLETE』
‡2012(平成24)年12月24日(月) Blu-spec CD2『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』
‡2012(平成24)年12月24日(月) BD『1224』
‡2017(平成29)年12月24日(日) UHD BD+BD DVD『1224 -THE ORIGINAL-』
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①https://ja.wikipedia.org/wiki/%E2%80%9CSINGLES%E2%80%9D
②https://ja.wikipedia.org/wiki/%E2%80%9CGIGS%E2%80%9D_JUST_A_HERO_TOUR_1986
③https://ja.wikipedia.org/wiki/SINGLES_OF_BOOWY
④https://ja.wikipedia.org/wiki/BOOWY_COMPLETE
⑤https://ja.wikipedia.org/wiki/1224
⑥https://ja.wikipedia.org/wiki/BOOWY_Tribute
⑦https://ja.wikipedia.org/wiki/BOOWY_Respect
⑧https://ja.wikipedia.org/wiki/%E2%80%9CGIGS%E2%80%9D_CASE_OF_BOOWY_COMPLETE
⑨https://ja.wikipedia.org/wiki/%E2%80%9CGIGS%E2%80%9D_BOX
⑩https://ja.wikipedia.org/wiki/%E2%80%9CGIGS%E2%80%9D_JUST_A_HERO_TOUR_1986_NAKED
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1987年ドキュメント映像◆https://youtu.be/2Icby_J_yGg
『BOΦWY HUNT』
‡2015年12月24日に、スマホ向け公式・会員制アーカイブ・サイト『BOOWY HUNT』がスタート
WHAT IS BOΦWY HUNT ~ボウイハントトハ?~
2016年、1981年の結成から35周年を迎える伝説のロックバンドBOOWY。1981年~1988年までの活動。氷室京介、布袋寅泰、松井常松、高橋まことがかつて在籍した、後のロックシーンに多大なる影響を与えたバンド。バンドの記念日であるクリスマスイブ=2015年12月24日に、スマホ向け公式・会員制アーカイブ・サイト『BOOWY HUNT』がスタートしました。
そもそも『BOΦWY HUNT』とは? 1987年?1988年。BOΦWY解散へ向けて綴られた記念碑的なマガジンでした。コンセプトは「起承転結」=BEGIN-CONTINUE-CHANGE-END。従来のファンクラブが持っているミーハーな要素を一切取り払ったスタイルで試みられた、雑誌というメディアの限界へチャレンジした表現。現在では、プレミアムとなったツアーパンフレット・サイズな『BOΦWY HUNT 1』、『BOΦWY HUNT 2』、『BOΦWY HUNT 3』、『BOΦWY HUNT 4』という4冊のBOΦWYをテーマにしたフリーダムな表現による雑誌。なお、0号は真っ白なスタイルでツアー中に配布され、そこには"決まっているのはサイズだけ、ルールはまったく決まっていない"とコンセプトが明記されていました。気になる一文として"バンド(や音楽)を作ること、続けること、変えること、一つの時代に終止符を打つこと。"として、解散を予感させるような文言が書かれていたことが今となっては忘れられません……。その後、メンバーとたくさんのクリエイターの参加によって、まるで洋雑誌のような丁寧にデザインされたアートワークの美しさ、こだわりのエディトリアル・コンテンツが魅力の"最高峰の雑誌表現"=『BOΦWY HUNT』が完成したのです。
そんな『BOΦWY HUNT』の意志を受け継いで、スマホへと場を移した平成版『BOΦWY HUNT』では、メイン・コンテンツに、メンバーである高橋まこと資料提供による、当時の貴重な手帳を参照したBOΦWYの歴史を網羅しようと試みた年表『BOΦWY HISTORY』。当時の活動の歴史、ライブのセットリスト、貴重なる資料をアーカイブしていきます(※随時更新を予定)。さらにBOΦWY関係者による、BOOWY伝説を裏付ける貴重なるドキュメンタリーなインタビュー記事『BOΦWY STORY ARCHIVE』をセットアップ。他にも、スペシャルな壁紙プレゼントやグッズ販売など、コンテンツは日々更新されていきます。
スマホを通じて楽しめるのは、→ BOΦWY HUNTメンバーオンリーユー!!
http://sp.boowyhunt.com/support/about.php
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ BOΦWY検定【初級】全20問 ┃
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Q02 BOΦWY が解散宣言をしたライヴ会場は?
(1)中野サンプラザ
(2)大阪城ホール
(3)渋谷公会堂
(4)東京ドーム
1987年12月24日。渋谷公会堂で突然の解散宣言。ブルーレイ「1224 THE ORIGINAL」でその時の鮮烈なステージを見ることができる。
Q03 BOΦWY のファンクラブ的会報誌の名前は?
(1)H/H/M/M
(2)BOOWY HUNT
(3)FUNKLOVE
(4)大きなビートの木の下で
BOOWY HUNTは、今でもファンクラブサイトにその名を残す。
https://www.universal-music.co.jp/boowy/examination/
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BOΦWY 87年神戸&横浜「総括ライブ」完全盤8・7発売
2017(平成29)年06月09日(金) 05:30
写真◆伝説のバンド「BOΦWY」Photo By 提供写真
氷室京介(56)布袋寅泰(55)らによる伝説のバンド「BOΦWY」が1987年に開催したコンサート「CASE OF BOΦWY」の音源の完全版が初めてリリースされることになった。神戸、横浜で開催した2公演の全てを収録したライブ盤。「THE ORIGINAL」の副題で、横浜公演から30周年に当たる8月7日に発売される。
今月3日にBOΦWYが誕生した群馬県高崎市のJR高崎駅に「BOΦWY 20170807」という謎のポスターが貼り出された。同日、ツイッターでトレンドワード1位になるなど話題になっていた。数字は今回のCDの発売日だった。
この公演は、メンバー4人が同年の
‡1987(昭和62)年12月24日(木)に解散宣言することを胸に秘めて開催した、バンドの総括的なコンサート。85年の初シングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」のカップリング曲「“16”」はこの2公演でのみ披露された。
1987(昭和62)年07月31日(金)に神戸ポートピア・ワールド記念ホール、
1987(昭和62)年08月07日(金)に横浜文化体育館で開催され、2公演ともイントロダクションを含め39曲の曲目は同じ。07年には「“GIGS”CASE OF BOΦWY COMPLETE」として全39曲がCD化されているが、神戸、横浜の音源をまぜこぜにして編集したもの。今回は計4枚のCDで約5時間、78曲全て収録。ファンにとっては神戸と横浜の聴き比べができ、BOΦWYの世界に長時間浸れる内容になっている。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/06/09/kiji/20170608s00041000323000c.html
BOΦWY 解散宣言公演を初の完全映像化 日本音楽作品初の4K
2017(平成29)年09月29日(金) 05:30 ]
写真◆解散宣言した渋谷公会堂公演の完全版映像が4Kで復刻されるBOΦWY。左から氷室京介、高橋まこと、松井恒松、布袋寅泰 Photo By 提供写真
伝説のロックバンド「BOΦWY」が解散宣言した
‡1987(昭和62)年12月24日(木)の東京・渋谷公会堂公演の完全版が初めて映像化される。
タイトルは「BOΦWY1224―THE ORIGINAL―」。DVD、ブルーレイのほか、日本の音楽作品では初めて4Kでも発売される。01年、12年にそれぞれライブ映像が商品化されたが、ヒット曲「ONLY YOU」の映像が数十秒、欠損していた。
公演から30年を迎えるタイミングで倉庫からオリジナルテープが発見され、欠損箇所も完全な映像で残っていたという。
‡2017(平成29)年12月24日(日)に発売。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/09/29/kiji/20170929s00041000002000c.html
‡1985(昭和60)年12月24日(火)の渋谷公会堂のLIVE http://www.nicovideo.jp/watch/sm7621350
■1979(昭和54)年/BOOWY COMPLETE
ポピュラリティの獲得。ヒット曲や成功はそのほとんどの場合テレビ媒体からのみ生み出されている時代だった。 「御三家」「アイドル」「3人娘」・フォークソングと呼ばれていたパワーはいつしかニューミュージックと称され、 メディアとの合体でより大衆的な物へと形を変えていた。 ロック御三家と括られ立て続けにシングルヒットを出した3人(原田真二、チャー、ツイスト)もいつしかメディアワークに疲れ、 それぞれのテリトリーに舞い戻り、変ってヤマハのコンテストからメディアに登場し始めるサザンオールスターズがその基礎を創り始めた時代でもあった。CMとのタイアップでソロ活動を続ける矢沢永吉が「時間よ止まれ」を大ヒットさせ、ゴダイゴがドラマの主題歌であてた。 大衆に向けてそれでもロックとカテゴライズされたジャンルがそのスタイルやポリシーは別にして確実に認知され始めていた。 YMOやシーナ&ロケッツがデビュー。RCサクセションが化粧を施したロックンロールバンドとして再デビュー。 英国からのパンクムーブメントをバックボーンにエルビス・コステロの来日等メジャーシーンのヒット化に対峙する様にライヴハウスでは 東京ロッカーズを初めとする「インディーズ」が、よりリアルな活動を活発に始める。2つの両極に位置するエネルギーとメロディが交錯するこの時代氷室京介は松井恒松、後に脱退する諸星アツシらと組んだ「ディスペナルティ」でヤマハ主催の アマチュアロックバンドコンテスト「EAST WEST」で地元群馬・関東甲信越大会で優勝、後に上京のきっかけとなる中野サンプラザの全国大会へ駒を進める。 布袋寅泰は後にマネジメントを担当する土屋浩と共に「BLUE FILM」を結成、深沢和明(初期のBOOWYではサックスを担当)らをブレーンに楽器店の主催する「A・ROCK」でやはり優勝、 日本青年館で行なわれる全国大会へとお互いに別のルートでプロというスタンスへトライを始める。 氷室はボーカリスト賞を受賞、布袋はリスナーとして、よりマニアックな作品へと傾倒していく中、この時期2人には最も身近にいる、最も大きな意識相手という以外にあまり接点は無い。 巨大すぎる2つの才能と可能性を抱えるには地元の街は小さすぎたのかも知れない。 引かれ合う磁力は2人を対峙させる事でしか成立しないキャパシティでしか無かった。全国大会後2つのバンドメンバー達はやはり別々のルートで東京のシーンへとスカウトされる。バンドでのデビューを拒否された氷室はヤマハではなく「ビーイング」と契約。 けれどもそこでもバンドとしての活動を中断させられ、プロダクションの意向で「スピニッジパワー」(当時流行していたディスコミュージックを中心としたバンド)のボーカリストとしてレコーディングに参加。 この年12月12日にアルバム「ボロー・ボロー・ボロー」で実質的なデビューを余儀なくされてしまうけれども、 イギリスのミュージックシーンに傾むいていた氷室にとってその音楽性の違いは苦痛以外の何ものでもなかったし、それ以上に契約をはじめとしたシステムの中で縛られて行く事に根本的な憤りを覚えていた。 しかし、音楽をしていくだけの知識とエネルギーしか持っていない彼にとって具体的な打開策は思いつきようもなかった。
http://hoteimode.net/1979.html
■1980(昭和55)年/BOOWY COMPLETE
金属バットで両親を殴り殺すという事件をはじめ、ティーンエイジャーの理由なき反抗が世の中を騒がせたこの年、BOOWY の原形となるコンタクトがスタートする。 都市福生という米軍基地のある街、あまり日本的でない要素を多く持つ都会の田舎町に、ハウスと呼ばれる住宅を借りて暮らしていた布袋の元へ1本の電話が入る。 この時期布袋は一切のバンド活動を停止し、昔の仲間を頼りに日本でない文化要素を多く持つこの街でミュージシャンとしての基礎を模索していたといえる。 上京するまでの2~3年の駆け足の帳尻と内面的な世界が合致する事をごく自然に望んだ結果だったのかも知れない。 他人や家族から見れば不確実な日々-受話器の向う側の相手は氷室だった。「ちょっと話したいんで会いたい。」具体的な要件は言葉にされていなかった。 氷室はポップミュージックも実験音楽もパンクも、とにかくレコードを聴きまくっていた。 それは不本意な活動からの抜け道を探し出す事のできない、縛られている自分への憤りからだったかも知れないけれど、 そのポジションにいたからこそより具体的な自分へのビジョンを構築しやすい所に位置していたとも言えた。 方法論の発見できない彼は1度全てを捨てて地元に戻る事を考えていた。 ALL or NOTHING 彼のラストチョイスの判断基準はいつでもそこにあったから袋小路の中で彼がその事を考えたとしても決して間違った選択ではなかったかも知れない。 けれども最後に見ておこうと期した
7月5日RCサクセションの日比谷野外音楽堂でのコンサートの座席で彼は「ALL」の方を選択する。 -自分達のバンドを創る。氷室がその後まっさきにダイヤルに指を回したのは布袋寅泰のルームナンバーだった。 仲間という意識をベースにバンドを組んでいく。忘れかけていた最も基本的な思いを氷室は無機質なバンド活動の日々からようやく取り戻そうとしていた。 六本木で待ち合わせた初めての2人だけの時間は氷室と布袋の最もひかれあうベクトルを今度こそ確実に確認し、そして少しだけ遠回りした運命はいよいよ大きなひとつの歯車に変わろうとしていた。オーディションを繰り返す事は、メンバーを選定するにあたって、やはり仲間である事、同じ痛みや同じ価値を共有できる事を最重要課題にすべきだという事を確認する場となった。知識だけではない、優れた技術だけではない-ベースには安定したミュージシャン活動を手に入れつつあった松井恒松がそのポジションをキャンセルして参加した。 バンドへの思いは又彼も同じだったのだ。そしてギターには諸星アツシ。サックスには深沢和明。地元での2つのバンドがバランス良くミックスされた絆の上にドラムスとして 東京での氷室のパートナーでもあった木村マモルが参加。とにかく始めなければいけないという思いをそれぞれの胸に、バンド名は「暴威」と名付けられた。 日本のメジャーシーンでもパンクをベーススタイルにした「アナーキー」がデビューし、オリジナルのB級テクノポップが街に流れ始めていた。
http://hoteimode.net/1980.html