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┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
┌─―――――――――┐Third row <三行目>
51|Sri Lahiri Mahasaya|『Wikipedia』
51|スリ・ラヒリ・マハサヤ|『discovermusic.jp』
└─―――――――――┘ スリ・ラヒリ・マハサヤはスリ・マハー・アヴァター・ババジ(No. 27)の弟子で、1861年にクリヤー・ヨガの規律を学ぶと、その後はその教えをスリ・ユクテスワ・ギリ(No. 1)に伝えると、ユクテスワ・ギリはスリ・パラマハンサ・ヨガナンダへとその教えを伝えた。なお、ヨガナンダについてマハサヤは「精神的なエンジンとして、彼は多くの魂を神の御国へと運んでいくだろう」と語っているヨ(=^◇^=)
‡1828(文政11)年09月30日(tue) Born
1895(明治28)年09月26日(thu) Died. 66 years old
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https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Lahiri_Mahasaya
https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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音源◆Hold On - Recording Session, https://youtu.be/3nW1MGcYtf8
‡September 30, 1970
EMI Studios, London - September 30, 1970
01. Hold On (Pre-take chat) [0:00]
02. Hold On (Take 1) [0:30]
03. Hold On (Instruments tests) [1:15]
04. Hold On (Take 2) [3:11]
05. Hold On (Take 3) [6:00]
06. Hold On (Take 4) [7:51]
07. Hold On (Take 5) [10:09]
08. Hold On (Take 6) [12:00]
09. Hold On (Take 7) [14:46]
10. Hold On (Take 8) [18:19]
11. Hold On (Take 9) [19:13]
12. Hold On (Take 10) [21:08]
13. Hold On (Takes 11 & 12) [22:59]
14. Studio chat - 'Are We On?' [25:03]
15. Look At Me - Run through [25:15]
16. Hold On (Take 13) [26:50]
17. Hold On (Take 14) [27:27]
18. Hold On (Take 15) [27:55]
19. Hold On (Take 16) [29:47]
20. Hold On (Take 17) [31:48]
21. Hold On (Take 18) [33:08]
22. Hold On (Take 19) / Blues Jam #1 [34:20]
23. Hold On (Take 20) [36:27]
24. Hold On - Blues Jam #2 [37:03]
25. Hold On (Take 21) [40:31]
26. Hold On (Take 22) [43:08]
27. Blues Jam #3 [45:05]
28. Glad All Over - Jam [47:59]
29. Hold On (Take 23) [49:26]
30. Hold On (Take 24) [51:34]
31. Hold On (Takes 25 & 26) [53:45]
32. Hold On (Takes 27 & 28) [55:49]
33. Hold On (Take 29) [56:39]
34. Hold On (Take 30) [57:51]
35. Hold On (Take 31) [58:50]
36. Hold On (Take 32) [1:00:44]
37. Hold On (Take 33) [1:01:06]
38. Hold On (Monitor mix) [1:02:59]
THE BEATLES『SESSIONS』
2017-06-06 22:03:48 テーマ:The Beatles
先日、50th AnniversaryのSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandが発売されて、公式で聴けるアウトテイクが一気に増えた。この公式のアウトテイクの歴史を振り返る上で、起点となる重要なアルバムとして、GET BACK と SESSIONS がある。これ、どっちも未発表アルバムとなった。この2つのプロジェクトを起点とするアウトテイクの一部は、1995、1996年のTHE BEATLES ANTHOLOGYとして日の目をみるんですけど、もしSESSIONSのプロジェクトがなかったら、THE BEATLES ANTHOLOGYはなかったかもしれない。ということで、SESSIONSについて、まとめてみたい。
1980(昭和55)年。EMIにJohn Barrettって人がいた。この人は、1960年代後半にEMIに入社して、1981年のThe Beatles E.P.s collectionのボーナスEP収録のThe Inner Lightのステレオミキシング・セッションにも参加したした人です。彼が、癌に罹患しちゃって、エンジニア職を離れなきゃいけないって時に、当時、Abbey Road Studiosゼネラル・マネージャーだったKen Townsendが、Barrettでもできる仕事として、ビートルズのマスターテープの整理を命じたんです。いい話だね。ちなみにKen Townsendは、Rubber SoulからSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandの時期にビートルズのバランスエンジニア、テープオペレータ、また技術的な問題の解決なんかをやっていた。有名なADT(人工ダブルトラッキング)を開発したのも彼。これは、WavesのReel ADTというプラグイン。Ken TownsendのADTをモデリングしたもの。John Barrettの仕事は、膨大なビートルズのマスターテープを聴いて、その内容を記録することだったんだけど、彼は、発表できそうな音源集を独自に編集して、カセットテープに記録していったわけ。しかし、このテープは日の目を見ない。その頃のアップル・コア(ビートルズ)とEMIの関係は冷え切っていて、John Barrettがまとめたデータを元に未発表曲集なんて発売できる状態でなかった。アップル・コアとEMIが揉めてたのは印税の支払いに関することだったので。同じ頃、Abbey Road Studiosでは、改装をやっていて、その完成披露として、一般公開するって企画が持ち上がっており、その目玉として、John Barrettがまとめたテープを元にしたThe Beatles Live At Abbey Roadというフィルムを制作して、公開しようってことになった。これは実現して、
†1983(昭和58)年07月から09月の間、フィルムが公開されて、そのサウンドトラックがまとめられたわけです。内容は、
Love Me Do (Take 18)
How Do You Do It? (Take 2)
I Saw Her Standing There (Takes 2, 11 & 12)
Twist And Shout (Take 1 RS1)
One After 909 (Take 4)
Don't Bother Me (Takes 11 & 12)
A Hard Day's Night (Takes 2, 3 & Take 9 RS2)
Leave My Kitten Alone (Take 5)
I'm A Loser (Take 8)
She's A Woman (Take 1)
Ticket To Ride (Take 2)
Help! (Take 5)
Norwegian Wood (This Bird Has Flown) (Take 1)
I'm Looking Through You (Take 1)
Paperback Writer (Take 2 RS3)
Rain (Take 7 RS1)
Penny Lane (Take 9 RS1)
Strawberry Fields Forever (Take 1, Takes 7 & 26, Take 26)
A Day In The Life (with count-in)
Hello, Goodbye (Take 22 RS2)
Lady Madonna (Take 4)
Hey Jude (Take 9)
While My Gutar Gently Weeps (Take 1)
Because (Take 7)
#9 Dream - John Lennon (with spoken intro by Ringo Starr)
この時に、曲間にナレーションが入っているのだが、それを担当したのが、Roger Scottって人で、この時にも流出した音源があるってことになってるけど、その話は、今回は割愛。このThe Beatles At Abbey Roadは非常に話題になって、Paul、George & Ringoも驚いたよう。これで、EMI側が気をよくして、先走って、後にSESSIONSになるプロジェクトが立ち上がる。EMIは、John Barrettのテープを元にして、アルバム制作をしようとするわけだけど、癌を患っていたJohn Barrett自身は1984年に他界。そして、このリミックス作業をGeoff Emerickに依頼する。Geoff EmerickはRevolver以降のビートルズのメインのバランスエンジニアです。EmerickはBarrettが残したレコーディング記録を元にしてリミックス作業をして、アルバム SESSIONSを完成させる。内容は、
https://ameblo.jp/hkiryu/entry-12281422941.html
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┃ ザ・ビートルズ日本公演 ┃
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1966(昭和41)年05月20日(金) 日本テレビが放映権を獲得
1966(昭和41)年06月30日(木) 夜の部
1966(昭和41)年07月01日(金) 昼の部+夜の部
1966(昭和41)年07月02日(土) 昼の部+夜の部
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1966(昭和41)年07月01日(金) 昼の部を日本テレビが録画
1966(昭和41)年07月01日(金) 21:00~21:56 日本テレビ放送網
カラー放送 視聴率56.5% ビデオリサーチ・関東地区調べ
1966(昭和41)年07月02日(土) 16:00~17:00 山陰放送
1966(昭和41)年07月03日(日) 16:30~17:30 中部日本放送 モノクロ放送
1966(昭和41)年07月04日(月) 19:00~19:54 広島テレビ放送 カラー放送
1966(昭和41)年07月08日(金) 22:00~23:00 テレビ西日本
‡2007(平成19)年09月XX日(X) 現在特別番組視聴率日本最高記録
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
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ビートルズとマネージャーの唯一の契約書、6600万円で落札
‡2015(平成27)年09月30日(水)
写真◆1963年にグラナダ・テレビに出演したビートルズ
ビートルズの4人が1962年に、マネージャーとなるブライアン・エプスタインと交わした契約書が29日、英サザビーズで競売に出品され、36万5000ポンド(約6600万円)で落札された。ビートルズとブライアン・エプスタインが交わしたマネージメント契約はこれが唯一で、ビートルズの出発点としてポピュラー音楽史上きわめて重要な文書のひとつといわれる。英リバプールのレコード店主だったブライアン・エプスタインは、リバプールのライブハウス「キャバーン・クラブ」で人気を得ていたビートルズを発見し、ロンドンでEMI傘下パーロフォンとのレコーディング契約を実現させた。2008年にロンドンで競売された際には24万ポンドで落札され、今回は最高50万ポンドの値がつくかと予想されていた。
写真◆ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人がブライアン・エプスタインと交わした唯一の契約書
マネージメント契約はリバプール中心部のホワイトチャペルにあったエプスタインさんのオフィスで
1962(昭和37)年10月01日(月)に交わされた。エプスタインさんの秘書ベリル・アダムズさんが立会人となった。サザビーズの
2015(平成27)年09月29日(火)の競売ではほかに、ジョン・レノンがリバプールのクォリーバンク高校で問題行動の罰として29回居残りをさせられたことが分かる記録帳が、2500ポンド(45万円)で落札された。エリック・クラプトンの水色のギター「フェンダー・ストラトカスター」は4万5000ポンド(約810万円)で、クラプトンと「クリーム」で一緒だったベーシスト、ジャック・ブルースの楽器や衣装なども落札された。スウェーデンのアバが1973年~1977年にかけてレコーディングに使ったグランドピアノも出品されたが、落札されなかった。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-34398363
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┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃
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1995(平成七)年11月20日(mon) UK Released
1995(平成七)年11月21日(tue) US Released
1995(平成七)年11月21日(tue) JP Released
□Disc two (CD2)
◎LP F面 (Record Disc 3)
23."No Reply" (Take 2)
‡1964(昭和39)年09月30日(wed) EMI Studios 2:29
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https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTWQN3X
https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHDFSO
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_1
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┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年09月30日(金) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (45日目)
②1961(昭和36)年09月30日(土) ジョンとポール、パリへ旅行 (マッシュルーム・カットの誕生)
③1962(昭和37)年09月30日(日) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール
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①1960(昭和35)年09月30日(金) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (45日目)
平日の夜は、
08:00pm~09:30pm
10:00pm~11:00pm
11:30pm~00:30am
01:00am~02:00am 以上、4時間半の演奏良好だヨ(=^◇^=)
②1961(昭和36)年09月30日(土) ジョンとポール、パリへ旅行 (マッシュルーム・カットの誕生)
1961年の10月9日はジョン・レノンの21歳の誕生日であるが、その祝儀として彼は親戚の一人から100ポンドをもらう。その金でジョンはポールと二人でスペインに休暇旅行に行こうと決めて出発する。しかし結局パリまでの行程で終わってしまう。
ポール・マッカートニー『ANTHOLOGY』ジョンの21歳の誕生日を祝って、彼と僕は旅行に出かけた。ジョンは中流階級の家系だったんだ。他のみんなは労働階級の家庭なので、けっこうそれは衝撃の事実だった。ジョンは僕らより身分が高かったんだ。彼の親類は教師とか歯医者で、エンジンバラにはBBCのお偉方の人なんかもいた。彼はいつも「くそやろう」てな調子だったし「労働階級の英雄 (Working Class Hero)」なんて歌も書いているけど、彼自身は労働階級じゃないんだから皮肉なもんだ。まあとにかくジョンは親類の一人から100ポンドもらった。僕は驚いたよ。それで僕は彼の仲間だったから、わかるだろ。「休暇にでかけよう!」「僕も一緒にってこと!? その100ポンドで!? すげー!! 僕もおこぼれに預かれるのか!!」
2人はスペインまでヒッチハイクと列車を使って行こうとしていた。それで運転手の注意を惹くために山高帽をかぶる。
ポール・マッカートニー『ANTHOLOGY』僕らはヒッチハイクしてスペインに行こうと思ってた。僕はジョージと少し経験があったんで、ヒッチハイクには工夫が要ることを知っていた。僕らは時々拒否されたけど、必ず乗せてもらえる奴らは、例えば英国旗を纏うとか、工夫していることがわかったんだ。だから僕はジョンに「山高帽を買おう」と言った。それはショービジネス的な発想だった。僕らはまだ革のジャケットと細いズボンを自慢に思っていた。だからそれを着て、女の子と会った時には山高帽をとる。でも車に乗せてもらう時にはそれをかぶる。山高帽の二人にはトラックは止まってくれるんだ。ユーモアのセンスだよ。これと列車で僕らはパリまで行った。
ジョンとポールはビートルズの仕事の予定も空けたため、バンドが分裂したに違いないと思う者さえいた。
スチュアート・サトクリフ (1961)『ANTHOLOGY』僕は昨夜、ジョンとポールが一緒にプレーするためにパリへ行ったと聞いた。それは言葉を代えればバンドが分裂したということだ。おかしいと思った。僕には信じられなかった。
スペインに行くつもりだったが、ジョンとポールはフランスに留まることにした。
ポール・マッカートニー『ANTHOLOGY』僕らは初めてそこへ行った。少し疲れたのでその夜は小さなホテルにチェックインした。次の朝ヒッチハイクで出発するつもりだった。ヒッチハイクしてやって来た後だから、ベッドで寝るのはあまりにも気持ちよかった。そして言った「少し長居しようか。」そして考えた「スペインは遠い。ヒッチハイクであそこまで行くのは相当きついぞ。」それで結局パリに1周間居着いてしまったんだ。その費用はジョンが例の100ポンドで全部払った。僕らはホテルから何マイルも歩いたね。パリではみんなそうするだろ。アングレ通り (Avenue des Anglais) 近くの場所に行ってバーに座った。かっこいい。僕はいまだにその古い写真を持ってるよ。僕が警官のゴム合羽をケープ代わりに着て座り、ジョンがメガネを斜めにしてズボンを少し下ろし、Y-フロントを露出している写真は、リンダのお気に入りだ。それらの写真は僕らが本当に演技していてすごくいい。僕らは「ヘイ、僕らはカフェにいる芸術家だよ。ここはパリだぜ。」てな具合でカメラのレンズを覗きこんだ。実際そんな風に感じてたんだ。僕らは芸術家やフォリー・ベルジェール (Folies Bergere) を見ようと、モンマルトル (Montmartre) まで登って行った。そこで短い革のジャケットとすごく幅広のパンタロンで歩いている連中を見た。それはひざの部分はぴったりしてるのに、裾は50インチにも広がっていた。僕らのマンボズボンは15~16インチだ。それを見て僕らは「すいません。それどこで買ったんですか?」と聞いた。それは通り沿いの小さな店の棚の下の方に安く売っていたので、僕らはそれぞれ買った。ホテルに帰って、それをはいて、外に出た。ところがとてもはいていられなかったんだ。足元が旗みたいにはためいていたら、細いズボンのほうが快適だと思うだろ。だから急いでホテルに帰り、裁縫して15インチに改造した。それで満足だったよ。それから僕らはユルゲン・フォルマー (Jurgen Vollmer) に通りで会った。彼はまだ写真を撮っていた。
ユルゲン・フォルマーはハンブルグで知り合った友人で、写真の勉強のためにフランスに来ていた。彼は髪をブラシで前に撫でつけ、アストリッド・キルヒャー (Astrid Kirchherr) がスチュアートに奨めたヘアスタイルにしていた。
写真◆ユルゲン・フォルマー (上)
ジョン・レノン (1963)『ANTHOLOGY』ユルゲンは髪を平らに撫でつけて前に垂らしていた。僕らもその髪型を気に入った。僕らは彼の場所に行き、彼は僕らの髪をカットして、ぶった切ったがより正確かもしれない、同じ髪型にした。
キルヒャーは、ジャン・コクトー (Jean Cocteau) の1959年の映画『オルフェの遺言 (Le Testament d'Orphee)』に出演したジャン・マレー (Jean Marais) からこのヘアスタイルをパクっていた。フォルマーはホテルの自分の部屋 (Hotel Left Bank) でジョンとポールの髪をカットする。
ポール・マッカートニー『ANTHOLOGY』彼は流行の最先端を行くヘアスタイルをしていた。僕らは「僕らも君みたいにしてくれない?」と言った。僕らは休暇中だ、どうってことない。ケープやパンタロンも買ったし、行動が大胆になっていた。彼は言った「だめだめ、僕はロッカーの君たちが好きなんだ。今のままがいいよ。」だけど僕らはどうしてもと頼み込んだから、彼も「わかったよ」となった。けど彼とまったく同じにはしなかった。彼のはもっと片側に偏っていて、長髪のヒトラーみたいな感じだった。僕らもそれが良かったんだけど、まあアクシデントだね。僕らは彼のホテルの部屋に座って、そこで彼は『ビートル・カット (Beatle cut)』を誕生させたというわけだ。その週の残りは、僕らはまるでパリの実存主義者だった。ジャン・ポール・サルトル (Jean Paul Sartre) は関係無かった。悟りだった。「他には何もない。」-僕はこの週に学んだことから小説を書けただろうと思う-「すべては我が内に存する。我はもはや全能なり。」リヴァプールに帰るとみんな言った「髪型がおかしくなっちゃったね。」僕は返して「いや、これは新しいスタイルなんだ。」実際僕らは元のスタイルに戻そうとしたんだけど、そうは行かなかった。それは前に垂れたまま戻らなくなった。そしてそれが好評を得たんだ。僕らはヘアスタイルなんて本当はどうでも良かったけど、あれは好都合だったね。だって何も手入れはいらないし、洗ってタオルでふいて掻き上げて振れば、それで出来上がりだったからね。みんなあのヘアスタイルは僕らが始めたと思ってたけど、こんなふうにして『マッシュルーム・スタイル』になったんだ。
④1962(昭和37)年03月01日(木) ライヴ演奏2:ストーリーヴィル・ジャズ・クラブ/リヴァプール
この夜ビートルズは、リヴァプールのテンプル通り (Temple Street) 13番にあるストーリーヴィル・ジャズ・クラブ (Storyville Jazz Club) に初めて出演した。この会場の前身はアイアン・ドア・クラブ (Iron Door Club) と呼ばれ、それは
1960(昭和35)年04月09日(土)にオープンしていた。さらにその前はバターを包装する工場だった。当時シルバー・ビートルズ (The Silver Beetles) の彼らは、1960年5月15日にここで演奏している。
1961(昭和36)年にリヴァプール・ジャズ・ソサイエティ (Liverpool Jazz Sciety) と名前を替え、そこでサム・リーチ (Sam Leach) が主催するイベントに、ビートルズは5回出演している。さらに1962(昭和37)年にストーリーヴィル・ジャズ・クラブ (Storyville Jazz Club) と再度改名し、ビートルズはそこで3回演奏している。
1960(昭和35)年05月15日 (as The silver Beetles)
1961(昭和36)年03月06日 11日 13日 15日 17日
1962(昭和37)年03月01日 08日 15日 そして
‡1962(昭和37)年09月には、再びアイアン・ドア・クラブの名に戻っているヨ(=^◇^=)
⑪1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (1)
場所:ピーター・ケイ・スタジオ (Peter Kaye Studio)
撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
この日ビートルズがケイのスタジオに着くと、ケイは屋外撮影の背景を探しにリヴァプール巡回に出かけていたのでチャドウィックがビートルズの写真を撮ることになった。このセッションは3時間に及び、ビートルズが過去経験した中では最長だった。その結果、チャドウィックがうろたえたことには、彼らは退屈して集中力が途切れてしまった。ケイが戻って来て「どうだった?」と聞くと「見込み無しだ」とチャドウィックは答えた。惨憺たる撮影とみなされてはいるものの、何枚かの写真はは1963年を通して使われている。しかしケイは満足できなかった。数日後に、ケイが探して来た場所での屋外撮影がスケジュールに組み込まれる。
⑫1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (2)
場所:リヴァプール埠頭周辺の倉庫
撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑬1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (3)
場所:ドック通りにある「The Bally」と呼ばれる場所
撮影者:ピーター・ケイ (Peter Kaye)
次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑭1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (4)
場所:アルバート埠頭 (Albert Dock) に停泊する「Salvor号」
撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑮1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (5)
場所:アルバート埠頭 ⇒ 背景はロイアル・リヴァー・ビル (Royal Liver Building)
撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑯1962(昭和37)年9月下旬から10月上旬に撮影されたと思しき写真集
場所:マッカートニー宅 ⇒ リヴァプール・フォースリン通り (Forthlin Road, Liverpool)
撮影者:マイク・マッカートニー (Mike McCartney)
マッカートニー家でのスナップ。いくつかの報告によれば、ジョンとポールはこの時ここで『I Saw Her Standing There』の作曲に取り組んでいた。
写真◆ポール、父のジム、弟のマイク
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①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600818_live_indra2.html
②https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610930_john_paul_paris.html
③https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
④https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620301_live_Storyville.html
⑪https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_1.html
⑫https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_2.html
⑬https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_3.html
⑭https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_4.html
⑮https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_5.html
⑯https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_6.html
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┃ THE BEATLES HISTORY ┃|September 30|273
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃| 9月30日 |
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********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17141
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/009/0930.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info/
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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┛THE BEATLES 1963 Editing ┛Studio 2 (control room only)
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00am-1:15pm
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①┃ ♪Little Child♪ ┃of takes 15, 18
②┃ ♪Hold Me Tight♪ ┃of takes 26, 29
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┛THE BEATLES 1963 Recording Sessions ┛Studio 2 (control room only)
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00am-1:15pm
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③┃ ♪MONEY(THAT'S WHAT I WANT)♪ ┃3 unnumbered takes of overdub onto take 7
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.3 ■レコラス(ト)?■ビートルズは休暇で不在の中、マーティン卿はさらにピアノを2テイク録音。
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④┃ ♪I Wanna Be Your Man (彼氏になりたい)♪ ┃takes 8-13, of overdub onto take 7
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.3 この日、ビートルズメンバーは休暇を取ってイギリス国外にいたために、プロデューサーのジョージ・マーティン卿が編集作業を加える。(第7テイクにハモンド・オルガンをオーバーダブ。何度か録音を試みた後に、第13テイクがベストと判断された)
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┛THE BEATLES 1963 Mono mixing ┛Studio 2 (control room only)
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00am-1:15pm
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⑤┃ ♪All I've Got to Do♪ ┃from take 15
⑥┃ ♪Don't Bother Me♪ ┃from take 15
①┃ ♪Little Child♪ ┃from edit of takes 15, 18
②┃ ♪Hold Me Tight♪ ┃from edit of takes 26, 29
⑦┃ ♪Not a Second Time♪ ┃from take 9
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Recording of piano for ♪Money (That's What I Want)♪ and Hammond organ for ♪I Wanna Be Your Man♪
Producer: George Martin
Editing: Norman Smith
2nd Engineer: Geoff Emerick
‡1963(昭和38)年9月30日(mon)
******** http://www.uta-net.com/song/4277/
①https://beatlesdata.info/2/05_littlechild.html
①https://en.wikipedia.org/wiki/Little_Child
②https://beatlesdata.info/2/09_holdmetight.html
②https://en.wikipedia.org/wiki/Hold_Me_Tight
③https://beatlesdata.info/2/14_money.html
③https://en.wikipedia.org/wiki/Money_(That%27s_What_I_Want)
④https://beatlesdata.info/2/11_iwannabeyourman.html
④https://en.wikipedia.org/wiki/I_Wanna_Be_Your_Man
⑤https://beatlesdata.info/2/02_allivegottodo.html
⑤https://en.wikipedia.org/wiki/All_I%27ve_Got_to_Do
⑥https://beatlesdata.info/2/04_dontbotherme.html
⑥https://en.wikipedia.org/wiki/Don%27t_Bother_Me
⑦https://beatlesdata.info/2/13_notasecondtime.html
⑦https://en.wikipedia.org/wiki/Not_a_Second_Time
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEATLES bootleg recordings 1963』 ┃2013/12/17(tue)
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15.♪Money (That's What I Want)♪ (RM 7 Undubbed)
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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Bootleg_Recordings_1963
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┛THE BEATLES 1964 Recording Sessions ┛Studio 2
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-5:30pm
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①┃ ♪Every Little Thing♪ ┃takes 5-9
┗━━━━━━━━━━━━━┛No.2 ■レコラス(ト)?■再び着手。第6テイクはポールが歌ってる途中でゲップをしてしまいボツ、 第7テイクは最後まで演奏するも、なぜか大爆笑で終わったとか。イントロギター、ピアノ、そしてリンゴのティンパニが第9テイクで初登場(もしかしたらいずれかのテイクに重ねたオーバーダブセッションだったのかも。ベーシックトラックは不明)最終的に第9テイクが選ばれて収録された。
Debut of timpani, on take 9 of ♪Every Little Thing♪
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┛THE BEATLES 1963 Recording Sessions ┛Studio 2
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛6:30-10:30pm
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②┃ ♪What You're Doing♪ ┃takes 8-12
┗━━━━━━━━━━━━━┛No.2 初回から数えて12テイクが録音された。 第11テイクがベストとされつつも、ビートルズはこれまでのアレンジ、録音を放棄することに決定。この時点ではジョンによるハモりが全般に入っており、完全エレキ編成であった。
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③┃ ♪No Reply♪ ┃takes 1-8
┗━━━━━━━━┛■この日のみ■アビイ・ロード第2スタジオにて録音された。全部で8テイク録音され、第8テイクが最終テイクに選ばれた。
Note・・・『The Beatles Anthology 1』1964(昭和39)年9月30日(wed)のテイク2が収められている。これはリリースされたものにかなり近いアレンジになっている。
┏━━━━━━━━━━┓■1964/9/30ではなく1964/8/14の可能性大■
④┃ ♪I'm a Loser♪ ┃■BEATLELinksにはない情報■
┗━━━━━━━━━━┛■この日のみ■アビイ・ロード第2スタジオにて録音された。全部で8テイク録音され(完全バージョンはその内4テイク)、第8テイクが最終テイクに選ばれた。めずらしく12弦のアコースティック・ギターが録音に使用されている。ジョージはチェット・アトキンス奏法を存分に披露している。(かなりうまくなった?)
Note・・・『THE BEATLES Live at BBC』にはBBCセッションでの演奏が収められている。スタジオ版とほとんど変わらないが、さすがにハーモニカを吹いているときにはアコースティック・ギターのストロークは止まっているようだ。エンディングもなくフェードアウト処理である。
Producer: George Martin
Engineer: Norman Smith
2nd Engineer: Ken Scott/Mike Stone
‡1964(昭和39)年9月30日(wed)
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①https://beatlesdata.info/4/11_everylittlething.html
①https://en.wikipedia.org/wiki/Every_Little_Thing_(Beatles_song)
②https://beatlesdata.info/4/13_whatyouredoing.html
②https://en.wikipedia.org/wiki/What_You%27re_Doing
③https://beatlesdata.info/4/01_noreply.html
③https://en.wikipedia.org/wiki/No_Reply_(song)
④https://beatlesdata.info/4/02_imaloser.html
④https://en.wikipedia.org/wiki/I%27m_a_Loser
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