教えて!食べ物ランキング 2015 ~全国グルメランキング 都道府県ランキング
20位 あなごめし 広島県宮島口駅
http://www.japan-rank.com/article/220789828.html
あなごめし(1,470円)
宮島口駅・(有)うえの
味 ★★★(素材の味が活きる)
容器収蔵 ★ (掛紙もタレまみれ)
‡2006(平成18)年01月12日(木)、京王百貨店新宿店における駅弁大会で購入。日本人が大好きな穴子を使った駅弁は日本各地に数あれど、その中で絶対王者に君臨する一品。宮島口駅の売店では本店の状況や食材の調達具合等で販売されないこともある。また、作りたてを重視しているので、一回の入荷がごく僅かとなることが多いなど、入手し難いことがその価値をさらに高めている。 パッケージは、のせ蓋も底もすべて経木製の深めな折箱に掛紙をかけた昔ながらのスタイル。ちなみに、現在使用されている掛紙は創業当時のものの復刻版で、いくつかのパターンがある模様。なお、オール経木製の泣き所として、掛紙に内容物の汁気がかなり滲み出してしまうことは覚悟しなければならない。 蓋を開けると、小さく切られた穴子が一面に敷き詰められている。一つ一つは小さい上に今回は遠く東京まで輸送されたのにもかかわらず、その身は固さを感じさせない。これまでに食した穴子飯の多くはタレが身にもご飯にもかなり滲み込んだものが殆どだったが、さすがは頂点に君臨する一品、タレは控えめで炭火焼の風味が薫り、素材本来の味が引き出されていた。この駅弁のためだけに足を延ばす価値は十分にある。
http://ekiben.sakura.ne.jp/hiroshima-and-yamaguchi.html#shamoji-kakimesi
2015(平成27)年06月02日(火) 02:15 signifie 凛々子さん、ですよね??、創価で欲に目が眩むという点は、ネットワークビジネスとまるっきり同じです。ちょうどいい機会ですので、このブログを初めて間もない頃に書いたネットワークビジネスについて私の体験を再掲させていただきます。創価に引き込まれようとしている恋人たち!創価はネットワークビジネスよりももっともっとたちが悪いですよ。創価にくらべれば◯ムウェイとかニュー◯キンなんて可愛いもんです。
─―昔、私が若い頃勤めていた仕事場の同僚がネットワークビジネスにはまったことがありました。「ちょっと話があるんだけど家に行っていいかな」から始まりました。私も別に断る理由はなかったので、軽い気持ちで彼が来るのを待っていました。結局簡単に言うと「一生遊んで暮らせるビジネスをしないか?」ということでした。「これだけのことをやるだけで、孫の代まで遊んで暮らせるんだ」ということです。「今度そんな暮らしを実現している凄い人が来るから、話だけでも聞きに来ないか」と言うんです。どこかで聞いたような話でしょ(笑)。「僕はね、君の幸せを思って誘っているんだ」「ここでほんの少し頑張れば、あとは素晴らしい人生が待っている」「ほら、こんなにたくさんの人が入っていて、みんなで楽しくやってるよ」「僕もね、最初はそんなうまい話があるわけないだろと思ってたんだけど、実際にこれをやってる人たちは、ものすごい財産を築いてる。それも最初に数人の友だちを誘うだけで、あとは何にもしなくてもその友だちがまたその友だちを誘って、その人たちが稼いだ利益が全部自分のものになる仕組みなんだよ。これは驚いたね。友だちに健康にいい食品や素晴らしいキッチン用品を勧めるだけで、あとは何もしなくてもどんどんお金が舞い込んでくる。夢のビジネスが目の前にあるんだ。その利益はたとえ自分が死んだとしても、自分の子どもたちに入って来るんだよ、ありがたいよね、凄いだろ。」やはりどっかで聞いた話です(笑)。そのとき私は友人として止めるべきだったのかもしれません。しかし彼はまさに欲に目が眩んでしまって「僕はこの夢のようなビジネスに人生をかけてみるよ」という始末。結果は案の定でした。もちろん私はそんな口車には乗りませんでしたが、つきあいでいろんな健康食品やキッチン用品を買いました。商品はどれも粗悪なものでした。トマトすら切れない包丁やバカ高いフィルターをしょっちゅう交換しなければならない浄水器。ほんとに効果があるのか分からないサプリメント…彼ばかりではなく、それまで会ったこともなかった彼の家族までがどかどかと自宅に乗り込んで来ては商品を売りつけに来ます。30万円ほどは買ったでしょう。そのうち彼はそのビジネスを辞めました。私に何も言わなくなりました。辞めたことすら言いませんでした。まあ、それはそれでよかったのだと思います。それから10数年後に、別の友人が彼とは別のネットワークビジネスにハマりました。私は以前の友人のことがあったので、「君とは今まで通り友人としてつきあっていきたいから、僕の前ではネットワークビジネスの話をしないでくれ」と言いました。彼は約束を守ってくれました。そのうち彼もネットワークビジネスから足を洗いました。以前の友人と同じで、そうとう損をした結果のようでした。ネットワークビジネスがあれだけ社会問題として世間を騒がしていたにもかかわらず、なぜ彼らはハマっていったのか。それはまさに欲に目が眩んでまわりが見えなくなるんですね。「一生遊んで暮らせる方法」を目の前にちらつかせる。実際に億万長者になったほんの一部の人の体験談のパンフレットを読ませる。話を聞かせる。自分もこんなふうになりたいと思ってしまう。それはそっくりそのまま創価学会の折伏にあてはまります。学会はそれこそ「功徳」ということばの魔力によって多くの会員を獲得しました。「これをやれば夢のような人生を送ることができる」「これをやれば不治の病も必ず治る」といった甘い言葉で会員を増やしていく手法はネットワークビジネスとひとつも変わりません。ご存知のようにネットワークビジネスで実際に利益を上げるのは、上層部のほんの一部だけです。上にお話しした友人のようにほとんどの人が犠牲となります。つまりもともとこの犠牲を目的としています。会員は多くの自分の顧客(会員)を獲得することで組織の上部に昇進することが出来ます。逆に昇進しなければいつまでも自分で商品を仕入れて売り続けなければなりません。会員の多くは昇進を目指してビジネスを続けますが、結局とんでもない量の在庫を抱え込んで破綻します。一定期間に販売実績を確保しなければ上には上がれない。だから売れもしない商品を自腹を切ってでも仕入れて数字をあわせることで現状をキープするのです。来月もその次の月も同じように…ということで、いつのまにかビジネスではなく自分自身がネットワークビジネスの餌食になっていることに気づかない。それは欲に目が眩んでいるから現実が見えなくなってしまっているんですね。ほんの一部の億万長者を掲げることで、そこにたどり着けるよう一心不乱にビジネスに駆け回る。あの遠慮のない異様な姿はほんとうに創価学会員によく似ています。こうした何も知らされずに狂ったように働く末端会員の犠牲をほんの一部の上層部が吸い上げて巨万の冨を独占するシステムがネットワークビジネスであり、それはそのまま創価学会の「功徳」による集金システムでもあります。もうひとつ創価学会によく似たことをやる集団がいます。「あなたは先祖を粗末にした罰で病気になった。このままではあなたの子どもまで長くは生きられない。でもこの印鑑を買えばすばらしい先祖供養ができて、家族共々幸せがやってきます。はい30万円」「どうやらあなたの曾祖母がとてもひどい死に方をして成仏できないでこの家に災いをもたらしています。でも安心してください。この壷を買って玄関に飾っておけば、すべての災いを跳ね返してくれます。はい200万円」こうした霊感商法に引っかかる人が今でも絶えません。わけのわからない不安を煽って恐怖心を植え付け、そこにつけ込んで法外な高額商品を売りつける。この手口もどこかで聞いたことがありますよね(笑)。創価学会員がみんな口にすることば「地獄に落ちる」。会員さんの多くはほんとうにそれを信じています。私もそうでした。毎日行なっている朝晩の勤行を何かの理由でできなかった日に、ちょっと悪いことが起こると「あ、勤行さぼったからかもしれない」と思ってしまう(笑)。それくらいならまだ可愛いものですが、子どもが大きな病気にかかってしまったとか、連帯保証人になって他人の莫大な借金をかぶってしまったとか、そんなこともみんな自分の信心が足りなかったからなんだと思い込まされて、ますます学会活動に励みます。それでいくら折伏や新聞啓蒙をやり、全財産を財務に貢いでも何も事態は変わらない。当然です。たとえ疑問を抱いたとしても幹部は「仏法は道理だ。仏法に背けば地獄に落ちるのはあたりまえ」そんな言葉で脅しに脅してなんとか学会に留まらせる。こうした精神的な脅しは完全に暴力です。いまどき他人にそんなことを言えば普通に訴えられます。ここにコメントしてくださる方も、この精神の暴力に耐えられなくて脱会できないでいた場合が多いようです。創価学会は精神の暴力をつかって巨万の冨を集める集団です。その莫大な利益はすべて「先生」に集まってきます。このように創価学会はネットワークビジネスと同様の「功徳」と、霊感商法と同様の「精神の暴力」によって末端会員からお金をすいあげてきました。こんなわかりやすいシステムが内部にいるとわからなくなるんですね。これがMCの恐ろしいところです。要は人間の心の弱さにつけ込んで、どこまでもお金をしぼりだしていく。それだけの集団です。創価学会は世界の平和や文化とは無縁の非合法な営利集団なのです。53年間、創価学会員であるこの私がはっきりと言います。創価学会の信心による功徳なんかありません。功徳欲しさに信仰にすがりつく姿は、欲に目が眩んでネットワークビジネスに明け暮れる人と同じです。学会活動をやめても地獄へ落ちません。私はこの2ヶ月間、勤行唱題目を全くしていません。でも悪いことは何一つないばかりか、以前より仕事も順調で家庭も円満です。創価学会員のみなさん。ここに寄せられる多くの学会員の体験や思いを、この「功徳」と「精神の暴力」といった観点から、もう一度見直してみてはいかがでしょうか。自分が日々行なっている信仰は、単に「功徳」と呼ばれる甘い汁欲しさのためではなかったろうか。そして信仰に背くことに対して異常なまでに恐怖心を抱いてはいないか。はたしてそれが信仰と呼べるものなのかどうか。もしかしたらとんでもないネットワークビジネスと霊感商法の餌食になっているんじゃないか。一度でいいですからそうした視点でここに寄せられる多くのコメントを読んでみてください。きっと自分のやってきたことの本当の姿が見えてくるかもしれませんよ。
─―以上、
‡2012(平成24)年01月12日(木)「功徳って何だろう?」より抜粋
https://signifie.wordpress.com/2015/05/31/%e5%89%b5%e4%be%a1%e3%81%ab%e5%8b%a7%e8%aa%98%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%88%e3%81%86%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e5%bd%bc%e6%b0%8f%e3%81%95%e3%82%93%e5%bd%bc%e5%a5%b3%e3%81%95%e3%82%93/
天皇陛下を「盗っ人」と呼ぶ韓国の卑劣さ
2019(平成31)年03月22日(金) 15:15 上永 哲矢
2018(平成30)年12月11日(火)写真◆PRESIDENT Online 韓国国会の文喜相議長= 韓国・ソウル(写真=時事通信フォト)
2019(平成31)年02月 今年2月、韓国国会の議長が「日本は盗っ人たけだけしい」と発言し、物議を醸した。歴史著述家の上永哲矢氏は「あの『盗っ人』発言から、過去の日韓問題だった倭寇および『応永の外寇』(1419年)を連想した」という。その理由とは――。
▼朝鮮半島にも伝わる「盗っ人たけだけしい」今年2月、韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が「日本は盗っ人たけだけしい」と発言したことが大問題となった。文国会議長は、先に慰安婦問題について「天皇陛下が謝罪すれば解消される」などと発言。この発言に日本政府が謝罪と撤回を求めたことに対し、「謝罪すべき側がせず、私に謝罪を求めているのは盗っ人たけだけしい」「(謝罪すべきは)現職の首相が1番目で、2番目が天皇になる」と反発したのだ。いわば首相や天皇陛下を「盗っ人」呼ばわりしたも同然である。日本政府には同議長の非礼な発言を忘れず、何度でも謝罪と撤回を求めていただきたいと願う。と同時に、ふと気になったことがある。「盗っ人たけだけしい」という言葉は、韓国にあるのだろうか――。そう思って調べたら「賊反荷杖(チョクバンハジャン)」という言葉が、それに該当するそうだ(同じことが
‡2019(平成31)年01月12日(土)付けの産経新聞「産経抄」でも述べられていた)。中国由来かと思えば、どうやら朝鮮半島にも古くからある言葉のようである。つまりは「悪事を働いた賊が、開き直って武器(杖)を振り上げ抵抗する」という意味。日本語訳に近いとはいえ「賊」という文字から、「盗っ人」よりも強い表現に受け取れる。
▼2万人が600人に敗れた「応永の外寇」朝鮮半島の人が、日本を「賊」よばわりする根拠として考えられることは何か。近代以前の歴史を紐解けば「倭寇(わこう)」の存在がある。倭寇とは13世紀から16世紀に活動した倭人、主に日本人が行なった朝鮮半島沿岸での海賊行為を意味する言葉だ。「倭」は「魏志倭人伝」でも有名な、中国発祥の日本の蔑称である。実際は日本人だけでなく、高麗(朝鮮)人も混ざっていたし、中国人の海賊も多かった。当時の東アジアには国籍の概念は存在しないから、日本列島の人であろうが、大陸や半島に住む人であろうが、明確に区別されなかったのである。ただ、倭寇の活動は「盗っ人」という生易しいものではない。時に戦争へと発展した。あまり知られていないが、朝鮮は対馬を倭寇の根拠地と考え、これを攻めたことがある。1419年(室町時代の応永26年)、蒙古襲来の「元寇」から、およそ140年後のことだ。朝鮮国王・太宗の命令で、朝鮮は2万人近い兵で対馬に上陸した。しかし、結果は600人ほどの対馬軍(日本軍)による鉄壁の守備に阻まれて敗退。甚大な被害を出し、つないでいた船も多く焼かれて大損害を被った。一説に朝鮮軍は4名の将軍と2000人以上の兵が討たれたという。これが「応永の外寇」である。
▼「盗っ人」発言は文氏の本性 ⇒ 当然、対馬には海賊以外にも多くの住民がいた。そもそも「倭寇討伐」は口実で、朝鮮軍は実際には対馬占領を狙っていたという説もある。対馬の人にとってみれば、攻めてきた朝鮮軍から島を防衛したに過ぎなかったことになる。しかし、現在の韓国人の価値観では「倭寇」とは日本人のことに他ならず、「応永の外寇」も正当防衛ではなかったと認識されているだろう。「応永の外寇」当時、朝鮮の官僚は日本人を「倭奴(わど)」と文書に記した。いまでも韓国の政治家のなかには、身内同士で日本人をその蔑称で呼ぶ人もいる(趙慶泰=チョ・ギョンテ氏など)。冒頭の文氏の発言も、普段から日本を「盗っ人」と考えているからだろうし、その身内言葉をうっかり公にしてしまったのかもしれない。日本人記者の質問には慎重に口をつぐむのも、その表れだろう。
▼仏像の盗難、竹島問題から見えた韓国の性質 ⇒ 1990年代以降、壱岐島にある安国寺の経典(大般若経)や、対馬の観音寺などの仏像が韓国人窃盗団に盗まれ、韓国へ持ち去られる事件が相次いでいる。持ち去られたまま返還されていないものが多い。日本側は返還を要求しているが、韓国側は「倭寇や秀吉の朝鮮出兵で略奪されたものを取りかえしただけ」と応じない。しかし、その根拠となる文献は存在しない。朝鮮半島から伝来したにしても、貿易で輸入されたものも多く、すべてを略奪品とみなすことはできないはずだ。竹島の問題もある。日本政府は竹島を「歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに日本固有の領土」としている。しかし、韓国も1952年から竹島(韓国名:独島)の領有権を主張、それを占拠し続けており、司法解決の申し入れさえも拒否している。日本の船が島に近づけば拿捕(だほ)され、話し合いの機会すら持てない。一体どちらが「盗っ人たけだけしい」といえるだろうか。そもそも、韓国はすでに漢字文化を棄てた国家。本当にその意味を理解できているのだろうか? と首を傾げざるをえない。
▼一連の問題から連想したかぐや姫 ⇒ ここからは余談になるが、漢字文化圏の人間として考えたい。この「盗っ人たけだけしい」(猛々しい)という言葉は、いつごろからあったのか。文献を調べると、江戸時代初期の俳諧集『玉海集(ぎょっかいしゅう)』に用例が出てくる。「藪きはの華ぬすびとやたけだけし」(藪のそばに咲く花を盗んでいく輩は、なんとも図々しいものだ)とある。同じく『毛吹草(けふきぐさ)』には、「ぬすびとの昼寝もあてがある」(盗っ人が昼寝をするのは夜の稼ぎに備えてのこと、つまり、なにか思惑があってしているのだ)と、意味や用例は違うが、その言葉を使った一節がある。ほかにも「盗人をみて縄をなう」「盗人の昼寝」「盗人に鍵を預ける」など、「ぬすびと」に関する言葉は、江戸時代にはすでに広く使われていたようだ。だが、今回の韓国との問題で、私はそれよりずっと古い平安文学の『竹取物語』の一節を連想した。お読みになった方はご存じかと思うが、ヒロインのかぐや姫は、言い寄ってくる5人の男に「私の望むものを持ってきた方に嫁ぎます」と条件を出す。その望みは「釈迦が使った仏の御石(みいし)の鉢(はち)」「金銀玉でできた蓬莱(ほうらい)の玉の枝」「焼いても燃えない火鼠(ひねずみ)の皮衣」など。どれも絶対に手に入らないような無理難題ばかりだ。しかし、なんとしてもかぐや姫を我がものにしたい――。男たちは無謀にもチャレンジするが、もちろん、ことごとく失敗した。
▼その言葉を言えるだけの資格があるのか ⇒ そのうちの一人、大伴(おおとも)の大納言が頼まれたものは、龍の首に付いた珠(たま)だった。大伴は龍を探すため、勇ましく海へ漕ぎ出すが、やがて雷雨と嵐に見舞われて遭難。ほうほうの体で陸へ戻ってきた。しかし、彼は哀れにも海上で病をわずらい、腹は大きく膨れ上がり、2つの目はスモモを付けたかのように大きく腫れあがってしまった。龍は水神である。その宝を奪おうとしたので、怒りに触れたのだ。大伴は懲り懲りといった顔で従者たちをねぎらい、「あのかぐや姫とかいう“大盗っ人”は、我々を殺そうとしたんだ。もうあんな女の家に近づきたくもない!」と、悪態をついた。かぐや姫との結婚を夢見ていた彼は、離婚までしていた。そのこともあって彼は大きく評判を下げ、もの笑いの種となってしまう。恋い焦がれた人を罵り、笑いものになった大伴の大納言だが、彼もそれ相応の努力はした。最初からその気(嫁入りする気)がなく、相手のことを慮らない要求をしたかぐや姫を「大盗っ人」と呼ぶぐらいは許してもいいと思う。この『竹取物語』のことは連想であって、現在の日韓関係に当てはめるつもりは毛頭ない。ただ、相手を「盗っ人」呼ばわりするのであれば、近代のみならず、日朝韓にまつわる歴史上の出来事をしっかりと認識し、問題解決に向けた努力を重ねてからにしてほしいと断固申し上げたい。
(写真=時事通信フォト)
2車線ふさぎ停車 トラックが進路妨害
安倍首相が「続投」を強く拒む理由
https://president.jp/articles/-/28107
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┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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1914(大正三)年01月12日(月) 桜島が大噴火、大隅半島と地続きに ⇒ 桜島(鹿児島市)が大規模噴火を起こし、死者・行方不明者58人、負傷112人に上り、家屋2148棟が焼失した。大量の溶岩によって、鹿児島湾に浮かぶ島は大隅半島と地続きになった。写真は、大噴火で溶岩に埋もれた黒神埋没鳥居=鹿児島市黒神町【時事通信社】※2022(令和四)年記事追加
1976(昭和51)年01月12日(月) ミステリーの女王、アガサ・クリスティー死去 ⇒ ミステリーの女王と呼ばれた英国の推理作家、アガサ・クリスティが死去。50年以上におよぶ作家生活で生み出した作品は、英語以外の多くの言語にも翻訳されており、死後もその人気は衰えていない。写真は1946(昭和21)年撮影【AFP=時事】※2020年説明追加 2022年説明削除
2004(平成16)年01月12日(月) 国内では79年ぶりの鳥インフルエンザが山口県で発生 ⇒ 人への感染の恐れもある鳥の病気「高病原性鳥インフルエンザ」が山口県で発生した。国内での発生は1925年以来、79年ぶりで、県は家畜伝染病予防法に基づき、死んだニワトリ約3万4600羽を地中投棄した。写真はニワトリがいなくなり、がらんとした鶏舎(山口県畜産課提供)【時事通信社】※2020年説明削除 2022年記事削除
1911(明治44)年01月12日(木) オーストリア陸軍少佐が日本で初めてスキーを指導。日本にスキー伝来
https://www.jiji.com/jc/daily
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┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1957(昭和32)年01月12日(土) 大投手スタルヒン、交通事故死
‡2018(平成30)年01月12日(金) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月12日だ。
写真◆大破したスタルヒンの車
1955年、日本球界初の通算300勝を花道に引退したスタルヒン。帝政ロシア時代に迫害を受け、少年時代に家族で日本に亡命。34年、旭川中を中退して日米野球のために結成された日本代表入りし、そのまま巨人軍の一員となった。37年秋からは4シーズン連続の最多勝、39年には日本記録の42勝を達成した大投手である(53年の記録の見直しで40勝に)。
190センチを超す長身で、日本語はペラペラながら見た目は完全に「ガイジンさん」。戦争中の40年には「須田博(すだひろし)」を名乗らされ、終戦時は在日外国人として軟禁状態となっていたが、実際にはロシア国籍も日本国籍も生涯持っていない。
終戦後の46年、巨人の誘いを断り、恩師・藤本定義が監督だったパシフィック入り。引退時の55年の球団はトンボ(高橋)だった。
明るい性格を生かし、引退後はラジオのパーソナリティー、バラエティ番組の司会とタレント業に転身。忙しい日々を送っていたが、1957年1月12日、自家用車で「旭川中同期会」に向かう途中、東京・玉川線三宿駅前で電車に激突し、死亡した。まだ、40歳だった。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180112-14
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 新年特大号
┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.614 ┃ 90円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
1970(昭和45)年01月05日(月)新年特大号 三原脩監督「ストライク、ボールは機械で判定を」
‡1970(昭和45)年01月12日(月)新年特大号 三原脩監督「ストライク、ボールは機械で判定を」
2019(令和元)年12月19日(木) 13:54 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎広島・古葉は南海へ
写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
今回は『1970年1月5・12日号』。定価は90円。
新春号だけあって、豪華な企画が満載。値段もついに90円と100円が見えてきたか。
近鉄・三原脩監督と巨人・川上哲治監督の対談が巻頭だ。
少しやり取りを紹介する。
三原は数々の斬新なアイデアを持っていたが、今回は「ストライク、ボールは機械が判断すればいい。公平だ」と主張。川上は「人間がやるから面白い」と反論した。
2つめは、「故意の四球は打者、走者に2つ塁を与える」というもの。
一気にセカンドに進み、セカンドランナーは本塁にかえる。これについては「面白いですね」と川上も賛同。確かにONがいる巨人はかなり有利になる。
なお、三原監督は最近、若い女性ファンからのファンレターが増えているらしい。
内容はほぼ同じ。
「太田(幸司)さんをしっかり使ってください」
だった。
広島では根本陸夫監督とは旧知の関根潤三がコーチ就任。
「人にものを教える場合。うわっつらだけではダメだ。佃煮のように選手にしみわたっていくようにしなきゃアカン」
と抱負を語った。
一方、広島生え抜きの古葉竹識は国貞とのトレードで南海へ。古葉は当初は「広島で骨を埋めたい。ユニフォームを脱ごう」と決めていたというが、1カ月近く悩み、移籍を受け入れた。
「熱心なファンに応援され過ごした広島での日々に後悔はない」
と古葉。
カープファンで雑誌酒の編集長・佐々木久子さんは、生え抜きが冷遇されつつあるのではと危惧し、「私は合点がいかない」と憤っていた。
連載では、あけましておめでとう、になる。いよいよ70年代か。
本日は、アップ遅れすいません。
では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20191219-01
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┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
①┃ プロ野球仰天伝説 No.020 ┃ ONLINE
┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
外野手が前進した中西太の特大場外ホームラン
‡2018(平成30)年1月12日(金) 11:06 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
怪童と呼ばれた伝説の強打者
本塁打王には5回、輝いた中西
すさまじい打球スピードを誇った怪童・中西太(西鉄)。けんしょう炎に苦しみ、全盛期は短かったが、名将・三原脩をして「打球のスピードに関しては、中西の前に中西なく、中西のあとに中西なし。球界のためにも不幸な故障だったと惜しまれる」と断言せしめる伝説の強打者だ。
「ファウルチップを打つと、球から焦げ臭い匂いがした」というほどの猛烈なスイングからの打球は、角度があまりつかないライナー性となることが多かった。それを内野手が捕れると思ってジャンプし、外野手が低いと思って前進するような角度から、グン・グン・グンと三段階で伸びていき、右中間スタンド、あるいは場外に消えていった。ゴロを打った際、内野手がグラブも出せず足に当てケガをしたという話もある。
1953(昭和28)年8月29日(土)、当時、史上最長とも言われた160メートル級のホームランを平和台で大映・林義一から放ったことがあるが、中西は打球が低過ぎてフェンスに当たると思って全力疾走。だから「打球は見てないんだよ。どのくらい飛んだか分からんから、自慢もできん(笑)」と話している。
なお、平和台球場では、一時、中堅後方の通過点に標識を立てていた。
中西太(なかにし・ふとし)
1933(昭和八)年4月11日(火)生まれ。香川県出身。高松一高から
1952(昭和27)年に西鉄入団、新人王に輝くと、翌
1953(昭和28)年に36本塁打、86打点で本塁打王、打点王の2冠。以降
1955(昭和30)、1956(昭和32)、1958(昭和33)年と三冠王に迫る活躍で、西鉄黄金時代を支えた。
1956(昭和31)年にはMVP。
1962(昭和37)年に監督兼任となり、
1963(昭和38)年には優勝も。
1969(昭和44)年限りで現役引退、監督も退任した。その後は名打撃コーチとして多くの好打者を育てる。
1999(平成11)年野球殿堂入り。主なタイトルはMVP1回、新人王、首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回。通算成績1388試合、1262安打、244本塁打、785打点、142盗塁、打率.307
┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
②┃ プロ野球仰天伝説 No.023 ┃ ONLINE
┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
球史に残る異色投法。背面投げの小川健太郎
2018(平成30)年1月15日(月) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
王対策として編み出した投法
変則投法で王に立ち向かった小川
球史に残る変則投法が中日のアンダースロー、小川健太郎の背面投げだ。左足を上げた際(小川は右投げ)、重心を下げたところで右腰あたりから、ヒョイと投げるもので、3年連続被打率4割を超えていた巨人・王貞治対策として考えたものである。
記念すべき第1球は、外角に外れてボール。続いて6回裏にも投げたが、外角へのワンバウンド。それでも3回がライトライナー、6回が見逃し三振だから、ストライクにこそならなかったものの、ひとまず効果はあったようだ。
その後、球界でボーク論争も起こったが、“合法”となり、
19XX年08月31日(X)、
19XX年10月19日(X)にも1球ずつ王の打席で投げている。しかし、いずれもボール。これで小川はあきらめたのか、変則投法を“封印”した。
背面投げの練習は
1969(昭和44)年の春季キャンプから始め、以後、毎日20球は投げていたという。捕手の木俣達彦によれば、練習ではほぼストライクだったというからすごい。ただ、王は「最初はびっくりした。でも、超スローボールを投げられているのと同じだから投げ方も気にならなくなった」と語っている。
小川健太郎(おがわ・けんたろう)
‡1934(昭和九)年1月12日(金)生まれ。福岡県出身。明善高から
1954(昭和29)年テストを受けて東映入団。2年で退団し、社会人でプレー。
1964(昭和39)年30歳で中日に入団し、
1967(昭和42)年には29勝で最多勝に輝いた。
1970(昭和45)年オートレースの八百長疑惑で逮捕され、永久追放処分。
1998(平成十)年10月8日(木)死去。主なタイトルは最多勝利1回、沢村賞1回。通算成績253試合登板、95勝66敗、防御率2.62
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①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180112-10
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180115-10
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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鈴木啓示氏、八百長誘い断っていた「黒い霧事件」に関し新事実
2016(平成28)年1月13日(水) 07時05分『スポーツ報知』配信
日本野球機構(NPB)の新人選手研修会が
‡2016(平成28)年1月12日(火)、都内のホテルで行われ、12球団のルーキー116選手が受講した。昨年10月に野球賭博問題が発覚したことを受け、今回から新たに「有害行為について」と題した講義が行われた。1969年に発覚した「黒い霧事件」の概要説明に合わせ、近鉄のエースだった鈴木啓示氏(68)がかつて、実際に受けた八百長行為の誘いを断っていたエピソードを紹介した。講師役を務めたNPBの伊藤修久法規部長は、暴力団関係者を中心に置いた相関図を使って、「黒い霧事件」では先輩や仲のいいチームメートという身近な存在から誘いの手が及んでいた事実を説明。その一方で、鈴木氏が、球団OBに紹介された知人が実は暴力団関係者で、その人物に八百長行為を持ちかけられながらもきっぱりと断り、コミッショナーに報告した事例を紹介。新人選手に毅然(きぜん)とした対応を求めた。