過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)


 日々の積み重ね 
 2018/9/30(日) 午後 6:27 情報(トレーニング) 筋力トレーニング 
 自分史上最高最強を目指して?
 日々の積み重ねが、力になる 
 https://blogs.yahoo.co.jp/artstudio_k2001/29390890.html

 映像◆ついにオープン!!『一蘭仙台店』の天然とんこつラーメンを食べてきました!!https://youtu.be/Gx6WhK77Zy8
‡2021(令和三)年01月30日(土) YouTube公開
 2021(令和三)年02月02日(月) 2,432回視聴
 
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 ┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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‡1996(平成八)年01月30日(火) アマチュア天文家が「百武すい星」を発見 ⇒ アマチュア天文家、百武裕司さんが百武すい星を発見した。発見から2カ月後、地球から約1530万キロの距離まで最接近。その距離は地球から月までの約40倍。すい星は一等級を超える明るさを放った。
 1996(平成八)年03月24日(日) 写真は、長野県佐久町(現・佐久穂町)で撮影=3月24日【時事通信社】
‡1948(昭和23)年01月30日(金) インド独立の父、ガンジー暗殺 ⇒ インドの独立運動指導者で非暴力主義を提唱したマハトマ・ガンジー(写真=1931年撮影)が、ヒンズー教徒に殺害された。インドは前年に独立を果たしたが、国内での宗教対立が激化していた【AFP時事】※2021(令和三)年説明削除
‡1970(昭和45)年01月30日(金) 公衆電話の市内通話料金が3分10円に※2022(令和四)年記事追加
‡1991(平成三)年01月30日(水) 平壌で日朝国交正常化交渉スタート ※2021(令和三)年記事削除
‡2008(平成20)年01月30日(水) 中国製ギョーザで10人の食中毒が発覚 ※2022(令和四)年記事削除
 https://www.jiji.com/jc/daily
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 ┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2005(平成17)年01月30日(日) ソフトバンクホークス、世界一への船出 
‡2018(平成30)年01月30日(火) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月30日だ。 
 写真◆超満員のファンで埋まった客席は「レボリューションイエロー」に染まった
 2005年1月30日、福岡ヤフードームで、ダイエーから球団経営権を譲渡され誕生した新球団「福岡ソフトバンクホークス」の発足記念イベントが行われた。 
 当日は王貞治監督、選手全員がモデルになっての新ユニフォームもお披露目。デザインは白を基調に、ソデ部分にチームカラーのレボリューションイエローのラインが2本入ったホーム用と、黒を基調にしたビジター用の2種類。ダイエー時代からファンに定着している応援歌「いざゆけ若鷹軍団」のソフトバンクバージョンも発表された。 
 あいさつに立った孫正義オーナーは「私には夢があります。福岡ソフトバンクホークスが海を渡ってアメリカで戦い抜くこと、メジャー・ナンバーワンチームとホークスが戦って世界一になることです」と3万4200人のファンに力強く語り、王監督も「選手、球団すべてが心を一つにして、世界一になるという大きな目標、理想を実現したい」ときっぱり。 
 ここから新生ホークスが華やかにスタートを切った。「世界一」の夢はまだまだ遠いが(強さというより、その仕組みづくり)、国内無敵は年々近づいている。 
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 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180130-13
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 ┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.453 ┃  60円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1967(昭和42)年01月30日(月)号 球界年俸トップは長嶋茂雄に
 2019(令和元)年05月03日(金) 16:01 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎桑田に三原監督が嫌がらせ?
 写真◆表紙は中日・広野功
 今回は『1967年1月30日号』。定価は60円だ。 
 給料番付が出ていた。1位は史上初の3000万円プレーヤーとなった巨人・長嶋茂雄だ。盟友・王貞治も2200万円と大幅アップ。 
 ともに本人の要求額どおりだったらしいが、球団はもっと出すつもりだったという。それをあとで聞いた2人は「僕らは人がいいな」と苦笑いしていた。 
 昨年までのトップ・金田正一はダウンし、1725万円。ただ、成績の割にダウンが少ないのでは、と他選手からは不満が上がっていた。 
 パ・リーグ最高額は、優勝した南海でホームラン王、打点王を手にした野村克也。現状維持の1472万円だった。尾張久次スコアラーがつくった尾張方式による貢献度があまり高くなかったらしい。 
 悔しさもあっただろうが、野村はプロ入り初めてという一発更改をし、「もう一度、三冠王に挑戦や」と語り、自宅に庭にバッティングマシンを設置し、連日打ち込みをしていた。 
 大洋では桑田武の契約更改が複雑怪奇になっていた。 
 第1回目は10パーセントのダウン。桑田は保留も2回目にサインするつもりでいたが、今度は25パーセントダウンと言われ、なんとか3回目で10パーセントに戻してもらったというが、それが4回目では15パーセントダウンと言われた。 
「どうなっていたんだ」と憤った桑田。ウワサでは、桑田を嫌っていた三原脩監督の嫌がらせとも言われる。 
 当時は各球団に1千万プレーヤーがだいたい一人。広島とサンケイにはおらず、広島は古葉竹識、興津立雄の600万が最高だった。 
 毎年巨額の赤字が出ていた近鉄は生き残り策をかけ、積極的に動く。 
 前回触れたスカウト全員クビもそうだが(そもそも3人しかいなかったらしい)、独立採算制に向け、大胆な策を次々打っていた。 
 ただ、球団が大赤字とはいえ、近鉄グループはプロ野球の親会社の中でも屈指の大企業だ。 
 佐伯勇オーナーもまた、経営者としての手腕が高く評価されていた超一流企業人である。 
 削減のみではなく、南海、阪急に声をかけ、関西に屋根付き球場をつくるプランも練っていた。 
 ただ、同時に1リーグ制移行の推進派であり、その場合、最初に消える球団とうわさされていたのが近鉄。不思議といえば、不思議だ。 
 果たしてどのような絵図を描いていたのか。 
 では、また。ゴールデンウイークの10連休中は時々アップします。ただ、週刊ベースボールは合併号にせず、5月1日も発売いたしましたので、よろしくお願いします。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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 https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190503-02
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
 ┃ プロ野球仰天伝説 No.038 ┃ ONLINE
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
 初の開幕投手&日本一なのに引退も考えていた山田久志
‡2018(平成30)年1月30日(火) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 ターニングポイントの1年
 サブマリンで200勝も達成した山田
 1975(昭和51)年、阪急は優勝、そして広島を破り球団初の日本一に輝いた。しかし、開幕投手でもあったエースの山田久志は、引退か現役続行かで日々揺れていたという。この年、12勝10敗2セーブ。誇り高き男にとって納得できる数字ではないかもしれないが、そう悪いものではない。27歳と脂が乗り切っている。やめる理由などないように思うが、山田は本気だった。 
「みんな山口、山口って(新人・山口高志。日本一の立役者、史上最速のストレートを投げる男とも言われた)。上田(利治)監督の使い方も、ほんと存在感のないやり方。いままで山田って言ってたヤツはどこに行ったんだって。こんなことを考えている自分も嫌だったんで、だったらやめたろかって」 
 実際、水面下で阪神との移籍話もあったが、上田監督との話し合いで残留。その後、「見返したる」と燃え、シンカーを習得。それまでのストレート、カーブのピッチングからグッと幅が広がり、翌76年は26勝で最多勝&MVP。以後、MVPは3年連続で獲得している。 
 奇しくも75年は、山田の勲章でもある12年連続開幕投手のスタートの年だ。いろいろな意味でターニングポイントとなった1年だった。 
 山田久志(やまだ・ひさし) 
 1948(昭和23)年7月29日(木)生まれ。秋田県出身。能代高から富士鉄釜石を経て
 1968(昭和43)年秋のドラフト1位で阪急に指名され、腰痛の治療のために
 1969(昭和44)年途中に入団した。3年目の71年に最優秀防御率に。
 1976(昭和51)年から3年連続MVP。82年には200勝を達成。
 1988(昭和63)年限りで現役引退。
 2006(平成18)年野球殿堂入り。主なタイトルはMVP3回、最優秀防御率2回、最多勝利3回、通算成績654試合登板、284勝166敗43セーブ、防御率3.18
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 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180130-10
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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