過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)



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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─―――――――――┐Top row <一行目>
08| Edgar Allan Poe |『Wikipedia』作家
08|エドガー・アラン・ポー|『discovermusic.jp』
 └─―――――――――┘♪I Am The Walrus♪で名前を出される前に、エドガー・アラン・ポーは『Sgt. Pepper』のコラージュで最上段の右側に登場していた。彼が1820年代から1840年代にかけて執筆した詩と短編小説は、モダンホラーというジャンルを創設し、現代のSF小説や探偵小説の土台を作ったヨ(=^◇^=)
 1809(文化六)年01月19日(thu) Born
†1849(嘉永二)年10月07日(sun) Died. 40 years old
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
†https://en.wikipedia.org/wiki/Edgar_Allan_Poe
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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 「ジョンは米政府に殺された」… オノ・ヨーコ、惨劇を回想
 2020(令和二)年12月07日(月) 19:07配信 NIKKEI STYLE 編集委員:小林明
【写真】家族で日本を旅したときの貴重なカットや展示会の様子はこちら
 写真◆世界平和を訴え続けたオノ・ヨーコさん(左)とジョン・レノン(1969年、モントリオールで「ベッドイン」 Photo by Ivor Sharp (C)Yoko Ono)
 ジョン・レノンが亡くなってから今年12月でちょうど40年の節目を迎える。妻のオノ・ヨーコさんとジョンの人生の軌跡を紹介する展覧会「ダブル・ファンタジー ジョン&ヨーコ」が来年1月11日まで開催中だ(ソニーミュージック六本木ミュージアム)。これは2018年から19年にかけてジョンの故郷・英国リバプールで開催した展覧会をほぼそのまま日本に持ってきたもので、筆者はちょうど同時期(18年7月)に米ニューヨークのヨーコさんの自宅で単独インタビューに応じてもらっていた。今回はインタビューでのヨーコさん自身の貴重な肉声を引用しながら、ジョンとの出会いや音楽活動、反戦運動、家庭生活、さらに衝撃的な別れなど2人の足跡を改めてたどってみよう。
■ベトナム反戦運動の闘士、FBIから行動を監視■40年前の
 1980(昭和55)年12月08日(月) 午後10時50分。ニューヨークの自宅アパートの入り口でジョンが射殺された事件は全世界に大きな衝撃を与えた。ヨーコさんはこう振り返る。「ジョンはね、後で振り返ると、自分が殺されることが分かっていたんじゃないかなって気がするの。私たちが平和、平和って、ずっとアクティブに運動していたでしょう。だから、ジョンはガバメント(米政府)に殺されたんじゃないかって私は思っているの……」反戦運動の先頭に立ち、世界平和を訴え続けたヨーコさんとジョンは71年に英国から米ニューヨークに生活の拠点を移した後、米連邦捜査局(FBI)に活動を厳しく監視されていた。世界の若者に絶対的な影響力を持ち、ベトナム戦争のさなかから反戦を呼び掛けてきたヨーコさんとジョンの言動に、米政府はかなり神経をとがらせていたようだ。69年に結婚した2人はオランダ・アムステルダムとカナダ・モントリオールのホテルで平和のためのパフォーマンス「ベッドイン」を敢行する。そして米国の左翼活動家であるジェリー・ルービンやアビー・ホフマンらと連携して活動の政治色を強めてゆき、72年3月には米国から国外退去を命じられる。「私とジョンは、ルービンやホフマンらと一緒に政治運動をしていたでしょう。政府はきっと私たちのことが怖かったのよ。でも逆に言うと、私は女だったから助かったんだと思う」
■ベッドイン・ヌートピア・ミリタリー…■米国から退去命令 73年3月、米政府はヨーコさんの永住申請だけを認め、ジョンには再び国外退去を命令した。危険な政治活動に奔走する夫婦を引き離す狙いがあったとされる。これを受けて、73年4月に2人は領土も国境もパスポートもない架空の理想国家「ヌートピア」の誕生を宣言。米政府の対応を痛烈に批判し、抗議活動で真っ向から対峙する。この頃、2人がコンサートや平和運動などで好んで着用していたのがミリタリールック。「単に『平和、平和』と叫んでいるだけではダメでしょう。政府のやっていることを逆に皮肉るために、あえて軍服をファッションにしてみたの。でも『おまえたちは戦争に賛成する気なのか』なんて世間から私たちを批判する声も随分と聞こえてきたわ」と当時を振り返る。2人の人生は、巨大な政治権力との壮絶な闘争の軌跡でもあったのだ。
■勝ち取った永住権、サングラスに込めたジョンの思い■2人が勝ち取った成果の1つがジョンの米国永住権(グリーンカード)。法廷闘争の末、
‡1975(昭和50)年10月07日(火)にようやくニューヨーク州最高裁がジョンへの国外退去命令を破棄するという判決を下した
 1975(昭和50)年10月09日(木)(その2日後に息子ショーンが誕生)。翌
 1976(昭和51)年07月27日(火)にジョンは晴れて、米国での永住権を正式に取得する。「私たち夫婦への嫌がらせだったけど、苦労してジョンのグリーンカードを何とか勝ち取ることができた。でもトランプ大統領がいるので、また私もいつ国外に出て行けと言われるか分からないわ」と不安を見せる。ヨーコさんが愛用していたサングラスにもジョンとの大切な思い出が込められている。アルバム「ダブル・ファンタジー」(80年発表)の制作中だったある日、2人はニューヨークの百貨店「サックス・フィフス・アベニュー」まで散歩に出かける。「すると眼鏡売り場で、ジョンは黒い大きなレンズのサングラスを取り上げて私にかけさせたの。そして私の顔を見ながら『君はいつもこれをかけているといいよ』と言ってくれた。最初はその意味が分からなかったけど、私たちはカメラにいつも追いかけられて写真をたくさん撮られていたでしょう。だから、ジョンは私にサングラスをかけさせることで守ってくれようとしたのね」ジョンの銃撃事件が起きる少し前のことだったという。以来、ヨーコさんはこの大ぶりのサングラスをかけてメディアに登場することが多くなった。「ジョンの大切な思いが込められているから……」。このポルシェデザインのサングラスも展覧会場に展示されている。
■♪イマジン♪共作が正式認定、ヨーコさんが身を引いた理由とは?■不朽の名作「イマジン」にもエピソードが多い。リリースされた71年から46年後の2017年、同楽曲の共作者としてヨーコさんの名前がクレジットに追加されることが米音楽出版社協会により正式に認められた。生前、ジョン自身もそう希望していたという。ヨーコさんの詩をまとめた作品集「グレープフルーツ」を読めば、「イマジン」の歌詞が明らかに大きな影響を受けていたことがすぐに分かる。「実はあの曲はジョンと私が一緒に作ったのよ。でも、私はそうだとはずっと言わないようにしてきたの。もし私との共作として発表していたら、世界の皆が曲をちゃんと聴いてくれなかったと思うから」楽曲を世界に普及させるために、あえて自分は身を引いたというわけだ。でも正式に「イマジン」の共作者として認められたヨーコさんは視線を上げ、言葉の調子を強め、晴れ晴れとした表情でこう強調してみせた。「まあ、色々なことがあったけど、結局、私は『イマジン』を作るために生まれてきたような気がするのよ……」。ヨーコさんの満足そうな表情と相まって、それはインタビューを通して筆者が感じた最も印象的な言葉だった。
■ジョンと出会った個展、「想像」がつないだ2人の運命■ジョンとの最初の出会いも感動的だ。父方の祖父が日本興業銀行総裁、母方の曽祖父が安田財閥の創業者という家柄に生まれたヨーコさんと、英国の港町リバプールの労働者階級に生まれたジョンが初めて出会ったのが66年11月のロンドンのインディカ・ギャラリーだった。前衛芸術家のヨーコさんはそこで個展を開いていた。ジョンはギャラリーのオーナーに誘われて、オープニング前日の内覧会を見に訪れる。ジョンがまず関心を示したのが「アップル」という作品。台の上に実物のリンゴが展示され、来場者は200ポンドを払い、そのリンゴが朽ちてゆく様子を観察するという趣向だった。法外な値段が付けられていることにユーモアを感じたジョンは、称賛の意味を込めて、リンゴを手に取って一口かじり、ヨーコさんにニッコリと笑いかけた。続いてジョンの目に入ったのが「釘(くぎ)を打つための絵」。白い木の板に来場者がくぎを1本ずつ打つことで作品を完成させてゆくという仕掛けだ。ジョンがくぎを打っていいかと尋ねると、ヨーコさんは1本5シリング払うならば打ってもいいと伝える。するとジョンは「では僕が想像の5シリングを払うから、想像のくぎを打ってもいいかい」とさらに聞き返したそうだ。「ビートルズのことをよく知らず、関心もなかった」というヨーコさんは「自分と同じ次元のゲームができる相手と巡り合ったと感じた」という。最初に出会った時点で、すでに2人が後の「イマジン」につながる「想像」のコミュニケーションをしていたことは興味深い。さらに2人の関係を決定づけたのが「天井の絵」。はしごに登って虫眼鏡で天井の額縁をのぞき込むという作品で、そこには小さな「YES」という文字が書かれていた。ジョンは「前衛芸術にありがちな『拒絶』ではなく、『肯定』だったから僕は心が救われた気がしたんだ」と感銘を受けたという。これをきっかけに2人の人生が重なり合ってゆく。
■親子水入らずのひととき、「いつか空の上でジョンと一緒に」■ヨーコさんとジョンと息子ショーンが来日して親子水入らずでくつろぐオフショット写真も楽しい。「専業主夫宣言」をしていたジョンが子育てに使った抱っこひもや日本語を練習していたスケッチブックなどプライベートな品々も展示されている。ジョンを失って以後、最愛の息子ショーンはかけがえのない存在となった。「父親のジョンが亡くなって、ショーンには本当に悪いことをしてしまった。だって、私が死んだら、息子は親無し子になってしまうから」。こうつぶやいたヨーコさんは、キッパリとした口調でさらにこう付け加えた。「でも、私にはどうしてもやらなきゃいけないことがあるの。それはジョンと一緒に見続けてきた夢……。たとえ私が死んでも、いつか空の上でジョンと一緒になれると信じて、命が続く限りずっと活動を続けてゆきたい」。夫として、同志として、心の中で生きるジョンと最後まで歩みをともにする覚悟のように見えた。
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 なぜあいつが部長に 「リーダー選び」にはワナがある
◎直接、手を下したのは狂信的ファンのチャップマンだがベトナム戦争当時に反戦を歌えば「政府に殺された」とヨーコさんがそう思う位にさぞ煙たがられていただろうと思う、ベッドインとかついていけない部分もあるが曲は永遠に残ると思うよ、共作とは知らなかった
◎ロメオ | ベッドインは、二人がベッドの上で、色々な人に会い、インタビューを受けたりした、平和活動のパフォーマンスだよ、、、、むしろ、ついていけない部分って言うなら、二人して一糸纏わぬオールヌードでアルバムジャケットになった、トゥーヴァージンズの方だな。
◎イマジンが世紀の駄作・・・人それぞれ感じ方は違うにしても、大多数の人が支持してるからには、それなりの理由があるはず。自身が否定的なものでも認める勇気は必要では?
◎jkk6009 | イマジンは社会主義のイメージをもち、ジョンはアイルランドにルーツを持っている。キリスト発言もあったり、米国政府からのマークは有名だった。今、ジョンが生きてたらどんな行動に出るのだろうか?
◎911テロの時のタイムズスクエアのカウントダウンの時ニューヨークにいたんですがイマジンが放送禁止になってたんですよ、初めての本土攻撃で頭にきていたバカブッシュがそうしたと聞いています、翌年年末はかかってましたけど宗教、肌の色、とか気にいらなかったんでしょうね?ポールも同年、リリースしたフリーダムなんて曲は要は”自由を得るためにみんなで戦おう”結局ブレアとブッシュくらいしか賛同者いませんでしたからね、小泉はお財布扱い。ジョンが生きてたらどういう行動起こしてたでしょうね?
◎中3の時からビートルズを聞いて育った。1960年代のアメリカは、社会にカリスマ的な影響力を持つリベラル派指導者を標的にした”暗殺の時代”だった。63年、大統領のジョン・F・ケネディ(JFK)が暗殺された。68年にはノーベル平和賞を受けた穏健黒人運動指導者キング牧師が暗殺され、次いで大統領選に立候補し圧倒的支持があったジョンの弟ロバート・ケネディが暗殺された。また65年には主張は過激だが誰も論破できない黒人運動指導者マルコムXも暗殺されている。さてジョン・レノンである。1980年に突然に殺害された。私はニュースを聞いて先ず、政府による巧妙な暗殺を疑った。ジョンの不退転の精神と社会的影響力は米政府には邪魔であったのは間違いない。その後時代は、力によるマッチョな世界戦略を陽気に進めるレーガン大統領の時代になった。これは偶然だろうか? 少なくともJFK暗殺は政府機関が知っていた傍証が多々ある。
◎JFKはリベラルじゃないけどね。もともとアメリカ初のカトリック教徒の大統領で、本音では有色人種を強烈に差別していた。それは彼の言葉の節々にたびたび出ていた。赤狩りも積極的に賛同していたし、赤狩りの生みの親であるマッカーシーに対する批難決議に党議拘束がかかる中、ケネディは欠席した。JFKが黒人を差別しないというイメージが広がったのはキング牧師の釈放だった。しかしそれは選挙戦の終盤、ケネディの参謀だった人物による作戦であり、マスコミにそれを発表して大成功を収めた。判事とキング婦人へのたった2回の電話がケネディ大統領を誕生させたと言われている。ケネディには2面性があり、表面上リベラル、内面コンサバな人間性が、全てのアメリカ人を取り込めた要因だと思っている。
◎レーガンはミュージシャンから、KKK扱い。ジョージ・ブッシュは元CIA。アーティストはこの政権が出来る事を恐れてた。
◎政府による暗殺なら、犯人をも暗殺すると思う
◎何年か前のドキュメンタリーでオノ・ヨーコが証言していた。家の周囲を毎日のようにFBIが張り付いていたという。捜査ではなく恐怖心を与える脅迫が目的だろう。FBIに残っている捜査記録にも黒塗りだがレノンの活動への妨害工作を示唆したものが残っている。ゴダールの「勝手にしやがれ」の主演女優ジーン・セバーグもFBIに悪質なデマを流され自殺に追い込まれた。
◎ジョン自身が電話を盗聴されてるって言うてたよな。
◎ロメオ | ジョンを撃ったポール・チャップマンは、そのままダコタハウスの階段で、ライ麦畑でつかまえてを読んでいたらしいが、レーガン大統領暗殺未遂事件の犯人も、ポケットに、ライ麦畑でつかまえてをしのばせていたらしいね、、、、当時は、催眠だ、洗脳だ、陰謀だ、色々言われたな。
◎ごめんけど、ポール・チャップマンはさすがに誰..?
◎陰謀かどうか、その時代を知らないし、よくわからない。けれど、日系人を妻に持つチャップマンという男がジョンを殺し、一つの素晴らしい才能がこの世から消えたのは事実。NYのセントラルパークのイマジンは想像より大きくて、ダコタハウスは重厚に感じました。いまだにたくさんの人々が募っていて、あそこに行くと、時代や国籍を超える皆からジョンへの愛を感じます。
◎そういえば「イマジン」は発売当時イギリスで放送禁止とかなりました。無政府論の歌だとかいって、全く馬鹿げてました。ロンドン五輪で派手に演出されたな。なに考えてるんだと思いました。ついでですが、にポールは「ヘイ!ジュード!」歌ったりしてアホかと思いました。ああ、それがポールのメッセージだったのかも知れません。
◎明日でジョンを失って40年になるのか・・・F1のセナ、バスケットボールのブライアントの突然の死も世界的にショックが大きかっただろうけど、音楽は大抵の人が聴くから、その影響とショックは更に大きかったんだろうな。もしリアルタイムでそのニュースを聞いてたら、俺もすごくショックでしばらくジョンの曲ばかり聴いてたかもしれない。
◎ジョンには色んな面があるけど、1番好きなのはビートルズ初期のシャウトしていたジョンですね。まさに天才だったと思う。
◎レノン射殺を廻る陰謀論の真偽がどうなのかは知らないがあり得ない話ではなさそうだ。それはさておきヨーコの歌などとても聞けたものではない。なので「ダブルファンタジー」からヨーコのボーカルの歌は全部削除しレノンの歌だけコピーして「ファンタジー」として聞いていた。
◎ダブルファンタジーは謎のアルバム。売れたけど、買ったけど。wプラスティック・オノ・バンドとかジョンが音楽に対してのアンチテーゼを表現したかったのかな。
◎同感。ヨーコの歌は飛ばして聴いてた。酷くて聴いてられないって言うパス!って感じ。
◎子供も生まれて幸せの絶頂期に撃たれた。歌う活動を再開しなければ、撃たれなかっただろうか。アメリカの銃社会は予想外のことが起きる。
◎へストンか、会長とかやったっけ?ジョンはアメリカの行く末を案じて活動はじめたのです。ある大統領選挙ですよ。
◎あのバカのチャールトン・ヘストンがアメリカの銃社会に一役も二役もかってる。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/5e268fc6cac4b3ef706f70a62032f178e68f2cb7




 映像◆The Beatles - Shindig! TV Special (Complete Performance) https://youtu.be/D2b02nZzCOM
 October 3, 1964 - Granville Studio, London
 Track Listing:
 1. Intro 0:00
 2. Kansas City / Hey-Hey-Hey-Hey! 0:50
 3. I’m A Loser 4:00
 4. Boys 6:23
 5. Outro Credits 8:33
 
 映像◆Shindig October 7 1964 - Beatles appearance - complete episode https://youtu.be/Q9MaxkzCY0w
◆Opening song: "Kansas City/Hey Hey Hey Hey" - performed by The Beatles
 02:45 American Dairy Association ad
 04:17 "Wimoweh" - Karl Denver
 06:47 "Fever" - Lyn Cornell
 09:18 "Stagger Lee" - Tommy Quickly
 11:34 Beach-Nut Gum ad
 12:35 "Always Something There to Remind Me" - Sandie Shaw
 14:35 'Sounds Like Locomotion' - Sounds Incorporated
 16:38 "You'll Never Walk Alone" - P.J. Proby
 19:10 "Hold Me" - P.J. Proby
 21:31 Stri-dex Medicated Pads ad, next week announcement
◆23:15 "I'm A Loser" - The Beatles
◆25:36 "Boys" - The Beatles
 27:59 "Old Folks At Home" - Karl Denver
 


 映像◆MikisantaTV【平山みきのお宝ビートルズ編】https://youtu.be/kAvoAF_4dSE
‡2018/10/7放送
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年10月07日(金) ライヴ演奏:カイザーケラー/ハンブルグ (04日目)
②1962(昭和37)年10月07日(日) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール
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①1960(昭和35)年10月07日(金) ライヴ演奏:カイザーケラー/ハンブルグ (04日目)
 平日の夜は、
 08:00pm~09:30pm
 10:00pm~11:00pm
 11:30pm~00:30am
 01:00am~02:00am 以上、4時間半の演奏良好だヨ(=^◇^=)
②1962(昭和37)年10月07日(日) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール
 これは彼らの107回目のイブニングショー出演であり、ランチタイムショーを含めると245回目のキャバーン・クラブへの出演だった。またこの夜は彼らのファースト・EMIシングル『Love Me Do』の発売記念の催しでもあった。他の出演者はザ・スウィンギング・ブルー・ジーンズ (The Swinging Blue Genes)、ザ・レッド・リヴァー・ジャズメン (The Red River Jazzmen)、イアン&ザ・ゾディアックス (Ian & The Zodiacs) だった。
 レイ・エニス (スウィンギング・ブルー・ジーンズ)『The Cavern』スペンサー・レイ ⇒ ビートルズが『Love Me Do』を演るのを聞いたのはあれが初めてだった。あれはロックンロールじゃなく、僕にはスキッフルっぽく聞こえた。EMIは初め、あの曲ではポールにウッドベースを弾くことを望み、ポールはレス・ブレイド (Les Braid) からそのことを言われた。ポールは「ウッドベースにはフレットがないのにどうやって弾けばいいんだ?」するとレスは左手でオクターブの出し方を示した。他の2人も群がってそれを見てたという。だから彼らはダブルベースでの録音もしていると僕は思うよ。リリースはされなかったけど。
 スウィンギング・ブルー・ジーンズは最近ドイツからリヴァプールに戻ったばかりだった。ビートルズと同じように、ハンブルグに長期滞在して演奏の仕事をしていたのだった。彼らのジャズへの傾倒は、ロックンロールへの情熱に取って代わられ、ほとんど消滅していた。彼らは後に The Swinging Blue Jeans へ名前の綴りを換える。
 レイ・エニス (スウィンギング・ブルー・ジーンズ)『The Cavern』スペンサー・レイ ⇒ はじめ僕らのファンは唖然として、僕らの演ってることに納得がいかなかった。だけど僕らがリヴァプールを離れていたひと月で情勢はまったく変わってしまったんだ。キャバーンでのジャズはほとんど絶滅していたし、僕らもロックンロールを続けることを望んでいた。僕らのバンジョー奏者ポール・モス (Paul Moss) は辞めたが、彼は警察官になりたがってたので問題なかった。僕はレイ・マクフォール (Ray McFall:キャバーンのオーナー) がポールのセーターを着て、僕らとステージに上ったことを思い出すよ。
 ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていないが、1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
③1962(昭和37)年9月下旬から10月上旬に撮影されたと思しき写真集
  場所:マッカートニー宅 ⇒ リヴァプール・フォースリン通り (Forthlin Road, Liverpool)
 撮影者:マイク・マッカートニー (Mike McCartney)
 マッカートニー家でのスナップ。いくつかの報告によれば、ジョンとポールはこの時ここで『I Saw Her Standing There』の作曲に取り組んでいた。
 写真◆ポール、父のジム、弟のマイク
④デヴィッド・ルイス・シアター (David Lewis Theatre) は広大なデヴィッド・ルイス・センター (David Lewis Centre) の一部で、1906年に建造された。デヴィッド・ルイス (David Lewis) は実業家で、1856年にリヴァプールに最初の店を設立し、次いで
 1880(明治13)年にはマンチェスターに大きなデパートを開店させた。彼はそのかなりの財産を、二つの都市の労働階級の人々を利する目的のために残している。デヴィッド・ルイス信託 (David Lewis Trust) は
 1893(明治26)年07月07日(金)に創設され、同時に両都市の管理運営委員会も設立されている。デヴィッド・ルイス・センターは
 1906(明治39)年に建造され、ホテル、劇場、スポーツ施設が含まれていた。主に音楽ホール用に作られたデヴィッド・ルイス・クラブは、アマチュア劇団の舞台としても利用された。後には映画館、またボクシングやビリヤードの競技場としても活用された。1960(昭和35)年にクラブの床が平坦化されて客席が設置されたが、
 1977(昭和52)年11月には閉鎖され、
‡1980(昭和55)年10月には道路拡張とリヴァプール大聖堂の近隣地区再開発のために取り壊されている。
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19601004_live_kaiserkeller1.html
  https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19621007_live_Cavern.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_6.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1961/19611017_live_david_lewis_club.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─―――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃| October 07|280
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|10月07日|
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛└─―――――┘
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17148
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/010/1007.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『THE BEATLES (アニメ ザ・ビートルズ)』Season 3 ┃6 animated color episodes
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛in 30 minute format
‡Ep.037(4) 1967(昭和42)年10月7日(sat) No.73(07) 「♪Taxman♪」
 Sing-a-Longs ♪Got to Get You Into My Life♪
‡Ep.037(4) 1967(昭和42)年10月7日(sat) No.74(08) 「♪Eleanor Rigby♪」
 Sing-a-Longs ♪Here, There and Everywhere♪
 Directed By・・・Jack Stokes
 Voice Cast・・・・・・・Paul Frees...John Lennon.......伊武雅刀
 Voice Cast・・・・・・・Paul Frees...George Harrison...田中秀幸
 Voice Cast・・・Lance Percival...Paul McCartney....小幡研二
 Voice Cast・・・Lance Percival...Ringo☆Starr......曽我部和恭
 Created By・・・Al Brodax & Sylban Buck
 Songs By・・・・・THE BEATLES
**************************** http://beatlescartoon.jp/
 http://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_(TV_series) 
 http://web.archive.org/web/20091028135843/http://geocities.com/garn13/beatles.html
 http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/gallery/photograph/animation.html
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 モノクロ映像◆Beatles appearance - complete episode https://youtu.be/Q9MaxkzCY0w
‡October 7 1964『SHiNdig』
 00:00 "Kansas City/Hey Hey Hey Hey" - performed by The Beatles
 02:45 American Dairy Association ad
 04:17 "Wimoweh" - Karl Denver
 06:47 "Fever" - Lyn Cornell
 09:18 "Stagger Lee" - Tommy Quickly
 11:34 Beach-Nut Gum ad
 12:35 "Always Something There to Remind Me" - Sandie Shaw
 14:35 (unknown instrumental) - Sounds Incorporated
 16:38 "You'll Never Walk Alone" - P.J. Proby
 19:10 "Hold Me" - P.J. Proby
 21:31 Stri-dex Medicated Pads ad, next week announcement
 23:07 "I'm A Loser" - The Beatles
 25:36 "Boys" - The Beatles
 27:59 "Old Folks At Home" - Karl Denver
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Autumn 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.3 (mon)7 October 1963 Dundee, Scotland, Caird Hall
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓ THE ROLLING STONES
 ┃ ♪I WANNA BE YOUR MAN♪  ┃ Released (fri)1 November 1963
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛‡Recorded (mon)7 October 1963
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 https://beatlesdata.info/2/11_iwannabeyourman.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/I_Wanna_Be_Your_Man
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    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
    ┛ THE BEATLES 1968 Tape copying ┛Studio 2
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30pm-7:00am
 ┏━━━━━━━━━━━┓
①┃    ♪Honey Pie♪ ┃of remix mono 1 and remix stereo 1
②┃ ♪Martha My Dear♪ ┃of remix mono 1 and remix stereo 2
 ┗━━━━━━━━━━━┛
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
    ┛THE BEATLES 1968 Stereo mixing ┛Studio 2
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30pm-7:00am
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③┃ ♪While My Guitar Gently Weeps♪ ┃remix 1, from take 25
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     ┛THE BEATLES 1968 Mono mixing ┛Studio 2
     ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30pm-7:00am
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③┃ ♪While My Guitar Gently Weeps♪ ┃remixes 1, 2, from take 25
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┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30pm-7:00am
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④┃ ♪Long, Long, Long♪ ┃takes 1-67
 ┗━━━━━━━━━━━━┛No.1 この曲が録音開始されたのはアビイ・ロード第2スタジオ。ポールのオルガン、リンゴのドラム、そしてジョージのアコギでベーシックトラックが67テイク録音された。ジョージらしく、また曲の題名が決まっておらず「It's been a Long Long Long Time」と呼ばれていた。ポールはオルガンをレズリー・スピーカーを通して弾いていたのだが、そのキャビネットの上にワインボトルが置いてあり、それがスピーカーの振動でカタカタ鳴っているのをおもしろがって、それを録音した。この曲のエンディングではっきりと聞き取ることが出来る。リンゴはこの振動音をサポートする意味で、ドラムロールをオーバーダブする。
   ♪It's Been A Long Long Long Time♪ working title of ♪Long, Long, Long♪
   Producer: George Martin
   Engineer: Ken Scott
   2nd Engineer: Mike Sheady
  ‡1968(昭和43)年10月7日(mon)
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 ①https://beatlesdata.info/11/09_honeypie.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Honey_Pie
 ②https://beatlesdata.info/10/09_marthamydear.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Martha_My_Dear
 ③https://beatlesdata.info/10/07_whilemyguitargentlyweeps.html
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/While_My_Guitar_Gently_Weeps
 ④https://beatlesdata.info/11/07_longlonglong.html
 ④https://en.wikipedia.org/wiki/Long,_Long,_Long
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 ┃ Lost Weekend 失われた週末は本当に失われていたのか・・・  ┃2012(平成24)年2月11日(sat)
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛テーマ:ビートルズ
‡1975(昭和50)年10月7日(火) 裁判所により国外追放命令は破棄され3年に及ぶ闘争は終結(76年7月27日グリーン・カードを取得)。
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 http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11161734029.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ON_THE_ROAD_2011_%22The_Last_Weekend%22_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
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