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┃ 浜田省吾 #14 ツアトラ真っ二つ事件 ┃
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2016(平成28)年04月21日(木)
1982(昭和57)年の秋のツアーでの出来事です。
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1982(昭和57)年の9月21日(火)から始まった浜田省吾秋のツアーは、
1982(昭和57)年9月21日(火)岡山市民会館、
‡1982(昭和57)年9月22日(水)津山市民会館、
1982(昭和57)年9月23日(木)広島郵便貯金会館と順調なスタートを切り、
1982(昭和57)年9月25日(土)は三次市文化会館でのコンサートを控えていた。
1982(昭和57)年9月24日(金)は完全オフ日で、ぼく達は広島に滞在してつかの間のオフを楽しんでいた。その日はぼくも友人宅にお邪魔して家庭料理を御馳走になりながら、テレビで野球中継など観戦していた時であった。どこでどう調べたのか、その友人宅の電話が鳴った。電話の主はマネージャーのAさん。「板さん、休みのところ申し訳ないんだけど、ツアートラックが事故に遭って大変なことになっている。至急ホテルに戻ってくれないか。」Aさんが受話器の向こうから早口で捲し立てて来た。「分かりました。すぐに戻ります。」ホテルに戻ると、すでにメンバー全員が揃っていた。この時点で分かっていたことは、次の公演地である広島県三次市に向かって走行中の楽器を載んだトラックが、センターラインをはみ出して来た対向車を避けようとして横転し、道路脇の田んぼに突っ込んでしまい、楽器を積んだコンテナの部分が真っ二つに折れて、身動きが取れなくなってしまったという事だった。幸いにもドライバーと同乗者はかすり傷で済んだらしい。しかし楽器が無事かどうかはこの時点ではまだ分からなかった。そこで急遽、浜田省吾さんを含めたぼく達バンドのメンバーは、大事をとってこの日のうちに三次に移動することとなった。イベンターがチャーターしたワゴン車に乗り込み、ぼく達は降りしきる雨の中、深夜に三次に到着したのだが生憎どこもホテルが満室とのこと。そこで苦肉の策で、我々は街道沿いのちょっと怪しげなホテルに宿泊することとなった。
次の日、風は強かったが天気も回復して、ぼく達は早めに会館入りをした。先に会館入りしていたスタッフの情報によると、折れたコンテナからぼく達の楽器のいくつかは救出出来てはいたものの、まだすべては回収出来ていないとのこと。そこで急遽ぼく達は地元のアマチュアバンド所有の楽器を調達してもらい、足りない楽器を借りてライブをやるという、前代未聞の事態となった。それでも何とか借りた楽器を使用してのコンサートは、アクシデントを物ともしない、逆にとても熱いステージとなった 幸いにも田んぼに突っ込んだトラックに積んであった楽器に、ダメージは殆ど無かった。しかし後日判明したのだが、ぼくの所有するカワイのエレクトリック・グランドピアノのフレームが歪んでしまっていて、修理をしなければ直らないとのことだった。ショックだったのは、このエレクトリック・グランドピアノは、今回のツアーに出る前に購入したばかりのピカピカの新品で、購入して約10日ほどで事故に遭うことになってしまったことだった。でも幸いというか虫が知らせた言うか、普段は楽器に保険など掛けた事の無いぼくが、今回はエレクトリック・グランドピアノを購入した際に、何故かわざわざ赤坂の保険代理店まで出向いて保険に加入した。そのおかげで無事保険金が下り、修理代金を保険で賄う事が出来た。その後、東京から代わりのトラックが到着して、我々はツアーを続けることが出来た。買ったばかりで事故に遭ってしまったKAWAI KP-308。独特の音色が好きだった。
写真◆1981(昭和56)~1982(昭和57)年頃のツアーで使用していたギター&ベース。
写真◆左からB.C.リッチ・モッキンバード、オベーション・アダマス6弦、フェンダー・ジャズベース、B.C.リッチ・イーグル、オベーション・アダマス12弦、フェンダー・ストラトキャスター、フェンダー・テレキャスターカスタム、フェンダー・プレシジョンベース。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/04/blog-post_21.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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映像◆詩人の鐘 1999.8.7(土) http://www.nicovideo.jp/watch/sm13812727
99' Let'S Summer Rock Hiroshima
♪鐘が鳴ってる 約束の地に 打ち上げられた罪を知る者に
1986(昭和六十一)年10月5(日) 東京・代々木国立競技場第①体育館
A NEW STYLE WAR 浜田省吾 http://video.fc2.com/content/201103270zqQ0B5G
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
八月の歌(AUGUST SONG) 2010 REMAKE version http://video.fc2.com/content/20110331BuRukkYn
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
八月の歌(AUGUST SONG) 1986 LIVE version http://video.fc2.com/content/20110331CKhdyKfh
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
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BIG BOY BLUES 浜田省吾 http://video.fc2.com/content/20110331TZ0p4EX2
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
浜田省吾インターネットライヴ⑦ J.BOY http://video.fc2.com/content/20110327z5MgmbQR
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
浜田省吾 J.BOY http://video.fc2.com/content/20150509CDFGxmVH
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
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Promotion film for album『J.BOY』http://video.fc2.com/content/20130112BvwGxVvf
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
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┃ The History of Shogo Hamada "オリコン週間アルバムヒットチャートはNo.①"一蘭 ┃
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通算01回 1986(昭和61)年 9月15日(月)『J.BOY』連続第1位第一週
‡通算02回 1986(昭和61)年 9月22日(月)『J.BOY』連続第1位第二週
通算03回 1986(昭和61)年 9月29日(月)『J.BOY』連続第1位第三週
通算04回 1986(昭和61)年10月 6日(月)『J.BOY』連続第1位第四週
通算05回 1986(昭和61)年10月27日(月)『J.BOY』※LP&TAPESチャート
通算06回 1987(昭和62)年 7月 6日(月)『CLUB SURFBOUND』通算第1位第一週
通算07回 1987(昭和62)年 7月20日(月)『CLUB SURFBOUND』通算第1位第二週
通算08回 1988(昭和63)年 3月28日(月)『FATHER'S SON』
通算09回 1989(平成元)年 9月11日(月)『Wasted Tears』通算第1位第一週
通算10回 1989(平成元)年 9月25日(月)『Wasted Tears』通算第1位第二週
通算11回 1993(平成五)年 9月 9日(月)『EDGE OF THE KNIFE』
通算12回 1993(平成五)年 9月20日(月)『その永遠の一秒に』
通算13回 1996(平成八)年11月25日(月)『青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~』
通算14回 2000(平成12)年11月20日(月)『The History of Shogo Hamada "Since1975"』
通算15回 2015(平成27)年 5月11日(月)『Journey of a Songwriter~旅するソングライター』連続第1位第一週
通算16回 2015(平成27)年 5月18日(月)『Journey of a Songwriter~旅するソングライター』連続第1位第二週
おれにせよ この国にせよ 確かにチャンスはあったはず
胸を張って 志を高く持って進むべき道が確かにあった・・・
だけどおれたちどこかで見失ってしまった
どこへ行くのか 本当にわかっているのか J.BOY
音源◆1986.9.4♪J.BOY♪写真◆https://youtu.be/XkoW1-eB_H8
映像◆1986.9.4♪AUGUST SONG♪https://youtu.be/BlKdB7DcxkI
映像◆1986.10.5♪AUGUST SONG♪https://www.youtube/kEcDBHEudmg
映像◆1986.10.5♪BIG BOY BLUES ♪https://youtu.be/rqRUCOQwsV0
映像◆1986.10.5♪AUGUST SONG♪https://youtu.be/UimawAkVGx4
音源◆♪こんな夜はI MISS YOU 1989♪https://youtu.be/ei6xJv7PlOg
映像◆1986年を覚えていますか? http://youtu.be/khcTAZb_KeI
映像◆1986年ヒット曲メドレー【作業用BGM】https://youtu.be/Am7hgk0CCk0
映像◆『J.Boy (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』 http://youtu.be/7dUfaCD5Y0A
音源◆1986.9.4♪もうひとつの土曜日♪写真◆https://youtu.be/gq00MlN1sa8
ヒットチャートはNo.① 1988映像◆https://youtu.be/9mAc-F2oGnE
ヒットチャートはNo.① 2011映像◆https://youtu.be/YS5v_DAXTzw
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http://ja.wikipedia.org/wiki/J.BOY_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
http://www.uta-net.com/song/9047/ http://www.ichiran.co.jp/index_hp.html
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[Q2]BARKSユーザーに質問「“サングラス”と聞いて思い浮かぶアーティストは?」
2008-09-22(mon) 21:39:41
いまも昔も、ミュージシャンとは切っても切れないアイテムのひとつ。それは、サングラス。単なるオシャレ・アイテムとしてだけではなく、アイデンティティになっているアーティストも少なくない。
たとえば、サングラスをはずしたところを見たことがないのでは? と思われるほど、サングラスが“顔の一部”になっている浜田省吾、桜井賢(THE ALFEE)、木根尚登(TM NETWORK)、黒田俊介(コブクロ)、ロブ・ハルフォード(JUDAS PRIEST)。
イメージ・チェンジのアイテムとしてサングラスを取り入れたともいわれているCHAGE(CHAGE and ASKA)。空港や街中でパパラッチに激写されたサングラス姿が印象深い沢尻エリカ、ブリトニー・スピアーズ、パリス・ヒルトンなどのセレブリティたち。
そして、「日本メガネベストドレッサー賞/サングラス部門」を受賞するなど、音楽ファン以外からもサングラス姿を評価されているGackt(第15回/2002年)や浜崎あゆみ(第14回/2001年)など。
…ということで、BARKSユーザーのみなさんに質問。
【Q】“サングラス”と聞いて思い浮かぶアーティストは誰ですか?
世代によって意見も変わる? みなさんの率直なご意見、お待ちしております。ふるって投票くださいね♪
BARKSユーザー・アンケート
【Q2】 “サングラス”と聞いて思い浮かぶアーティストは?
・Gackt・ルキ(the GazettE)・YAMATO(ORANGE RANGE)・ATSUSHI(EXILE)・川畑要(CHEMISTRY)・DJ OZMA・スガ シカオ・鼠先輩・黒田俊介(コブクロ)・浜田省吾・桜井賢(THE ALFEE)・木根尚登(TM NETWORK)・CHAGE(CHAGE and ASKA)・横山剣(CRAZY KEN BAND)・リアム・ギャラガー(Oasis)・アクセル・ローズ(Guns N' Roses)・ロブ・ハルフォード(JUDAS PRIEST)・浜崎あゆみ・沢尻エリカ・安室奈美恵・倖田來未・木村カエラ・青山テルマ・YUKI・PUFFY・ブリトニー・スピアーズ・パリス・ヒルトン・グウェン・ステファニー…more?
⇒アンケート・フォームへ
※アンケート受付期間 2008年9月22日(月)~9月28日(日)23:59
アンケート受付期間は終了しました。ありがとうございました。
http://www.barks.jp/news/?id=1000043513
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┃ 浜田省吾 #4 The Fuse 誕生 ┃
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2016(平成28)年03月20日(日)
ぼくが浜田省吾さんのバンドに加入して初めてのツアー?The Fuse誕生のエピソードなど。
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ぼくが正式に浜田省吾さんのバンドに加入して初めてのツアーが、
‡1979(昭和54)年9月22日(土) 岡山市民文化ホールを皮切りに始まった。翌年
1980(昭和55)年2月01日(金)の横須賀市民文化会館までの40数本のツアーである。ぼくも浜田さんとの初めてのツアーということで最初は緊張していたのだが、本数を重ねるうちに雰囲気にも馴染んで来て、ツアーが終わる頃にはバンドのメンバーともすっかり仲良しになっていた。そしてそろそろ春の便りが届く頃、ぼく達は次のツアーに向けて赤坂のリハーサル・スタジオに連日のように詰めていた。1980(昭和55)年の春のツアーは「Vision」という言葉がキーワードになっていて、ステージのバックにも大きくVisionと書かれた書き割りが吊されていた。バンドのメンバーも固定し、これから始まる春のツアーに胸躍らせていた。1980(昭和55)年春のツアーは
1980(昭和55)年3月22日(土)の徳島文化センターから、
1980(昭和55)年7月20日(日) 栃木会館までの計43本。このときのバンドのメンバーは
ドラムス:鈴木俊二
ベース:岡嶋善文
ギター:町支寛二
キーボード:一戸清
キーボード:板倉雅一といったラインアップだった。ある日ツアーの移動中の新幹線の食堂車で、浜田省吾さんを含むバンドのメンバーと食事をしていたときに、このバンドにはまだ名前が無いので、どうせならバンド名を付けようという話になった。それはグッドアイデアとばかりに、みんなあれやこれや思いついたバンド名を挙げたが、どれも今ひとつピンとくる名前が出てこない。そこでぼくが当時よく聞いていた、ジャクソン・ブラウンの「プリテンダー」というアルバムの一曲目に入っている「The Fuse」という曲名をバンド名にするのはどうかな?と提案すると、みんなが「ザ・フューズ?いいねぇ?、その名前!」と言った。The Fuseとは導火線とか触媒とかの意味があって、浜田省吾をバックアップするバンド名としてはなかなかいいのでは?と思った。しかし浜田省吾さんは別のバンド名を考えていたらしく、「The Fuse」もいいと思うけど「プリテンダーズ」とか「アウト・サイダーズ」というのはどうかな?と提案してきた。「プリテンダーズ」というのは言うまでもなく、やはりジャクソン・ブラウンのアルバムタイトルである。しかしすでにイギリスに「プリテンダーズ」というバンドがいたので、これは却下となった。「アウト・サイダーズ」も同じ名前のバンドがいたような気がする、とバンドメンバーの誰かが言ったのでこれも却下と相成った。後に「アウト・サイダーズ」は浜田省吾さんの野球チームの名前となった。そんなわけで1980(昭和55)年の或る日或る場所を移動中、新幹線の食堂車内にて浜田省吾&The Fuseが誕生した。
写真◆1980(昭和55)年Visionツアー。どこかの会館でのリハーサルの様子。ベースの岡島ブンちゃんと。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/03/4-fuse.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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