過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)

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①┃ Road&Sky vol.020 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━┛I MYSELF SAW IT
‡1986(昭和61)年11月14日(金)くもり 今日もラジオ番組のゲストが3本。1時半頃クマさんが家までクルマで迎えに来てくれる。道は空いていて予定の45分前にニッポン放送に着いてしまったうえ、出番の時間の食い違いがあって結局1時間半程待ってしまう。結構待ち疲れ、4時になり4階の5スタへ行くと賑やかな声が流れてくる。番組はさんまがパーソナリティ。話した事は初めてだけど前にスポーツジムで見かけたことがあるのでその時の話をしたりして盛りあがる。やはり超売れっ子の人気者だけあって面白かった。時間が少しオーバーしてしまったので急いでニッポン放送を後にして、文化放送の港区海岸一丁目スタジオへ…浜松町の駅からすぐのところだけれど、竹芝桟橋のそばの倉庫の4階にある小さなスタジオで、マイクの置いてあるテーダルに座ると窓ごしにもう暗くなってしまった東京湾を船が通り過ぎるのを見ることが出来る。とてもいいロケーションで、リラックスできる雰囲気だ。本来は日曜日の朝7時から生放送している"海岸通り一丁目"という番組と"地球はまあるいよ"という千倉真理さんがパーソナリティをやっている二つを録音した。"Miss D.J."出身の彼女の家のすぐそばに俺が住んでいた事を知って、しばらく下北沢、代田付近のローカルな話にのめり込んでしまう。最後は一昨日と同じく虎の門のFMサウンズへ向かう。ここも早く着きすぎてしまい、又喫茶店で時間をつぶす。FM仙台で新田一郎氏がやっている番組で、彼とはライブレコーディングの時、一緒にステージを演った間柄だし、今の俺のツアースタッフ達が彼がプロデュースしているいくつかのアーティストに関わっている。一時間ばかりで今日のスケジュールは全て終了、18日の弘前まで、3日間のオフだ。
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②┃ ROAD&SKY vol.032 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛I MYSELF SAW IT
‡1988(昭和63)年11月14日(月)はれ 九州地区3回目のツアーで、コンサートスケジュールは一区切り。来月の2度目の北海道シリーズまでしばらく東京にいることが出来る。今日も事務所で取材が2つ。いずれもMZAのコンサートに関するもので1つは朝日新聞、もう1つは“宝島”のインタビューだ。こうやって雑誌とかマスコミの人達がそれぞれ留学生のことを真面目にとりあげてくれることで少し良い方向に進んでくれれば良いのだけれど…。今日はCBS ソニーの連中と食事会の約束があったのでそのままお店へ直行。お互いそんなに顔をあわせる機会も多くないので、何となく忘年会みたいな雰囲気にもなってしまう。店を出たら外はすっかり冬の感じだ。
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①https://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber020.html
②https://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber032.html
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 ┃ ROAD and SKY vol.019 ┃
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 1986(昭和61)年10月発行 W.K.MONOLOGUE
■1986(昭和61)年11月14日(金)くもり 今日もラジオ番組のゲストが3本。1時半頃クマさんが家までクルマで迎えに来てくれる。道は空いていて予定の45分前にニッポン放送に着いてしまったうえ、出番の時間の食い違いがあって結局1時間半程待ってしまう。結構待ち疲れ、4時になり4階の5スタへ行くと賑やかな声が流れてくる。番組はさんまがパーソナリティ。話した事は初めてだけど前にスポーツジムで見かけたことがあるのでその時の話をしたりして盛りあがる。やはり超売れっ子の人気者だけあって面白かった。時間が少しオーバーしてしまったので急いでニッポン放送を後にして、文化放送の港区海岸一丁目スタジオへ…浜松町の駅からすぐのところだけれど、竹芝桟橋のそばの倉庫の4階にある小さなスタジオで、マイクの置いてあるテーダルに座ると窓ごしにもう暗くなってしまった東京湾を船が通り過ぎるのを見ることが出来る。とてもいいロケーションで、リラックスできる雰囲気だ。本来は日曜日の朝7時から生放送している"海岸通り一丁目"という番組と"地球はまあるいよ"という千倉真理さんがパーソナリティをやっている二つを録音した。"Miss D.J."出身の彼女の家のすぐそばに俺が住んでいた事を知って、しばらく下北沢、代田付近のローカルな話にのめり込んでしまう。最後は一昨日と同じく虎の門のFMサウンズへ向かう。ここも早く着きすぎてしまい、又喫茶店で時間をつぶす。FM仙台で新田一郎氏がやっている番組で、彼とはライブレコーディングの時、一緒にステージを演った間柄だし、今の俺のツアースタッフ達が彼がプロデュースしているいくつかのアーティストに関わっている。一時間ばかりで今日のスケジュールは全て終了、18日の弘前まで、3日間のオフだ。
 https://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber020.html

 1988(昭和63)年12月発行 会報第32号【I MYSELF SAW IT】
‡1988(昭和63)年11月14日(月)はれ
 九州地区3回目のツアーで、コンサートスケジュールは一区切り。来月の2度目の北海道シリーズまでしばらく東京にいることが出来る。
 今日も事務所で取材が2つ。いずれもMZAのコンサートに関するもので1つは朝日新聞、もう1つは“宝島”のインタビューだ。
 こうやって雑誌とかマスコミの人達がそれぞれ留学生のことを真面目にとりあげてくれることで少し良い方向に進んでくれれば良いのだけれど…。今日はCBS ソニーの連中と食事会の約束があったのでそのままお店へ直行。お互いそんなに顔をあわせる機会も多くないので、何となく忘年会みたいな雰囲気にもなってしまう。店を出たら外はすっかり冬の感じだ。
 http://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber032.html

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 ┃ 浜田省吾 #32 『FATHER'S SON』 ┃
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 2017(平成29)年01月14日(土) 今回は
 1988(昭和63)年03月16日(水)に発売された浜田省吾さんのアルバム『FATHER'S SON』の話です。
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 1987(昭和62)年11月01日(日)
 1987(昭和62)年11月02日(月)
 1987(昭和62)年11月04日(水)の三日間と、間に石渡長門くんのリハーサルを挟んで、
 1987(昭和62)年11月11日(水)と
‡1987(昭和62)年11月14日(土)の計五日間、目黒のヤマハスタジオと初台のレオミュージックスタジオ、新宿のミュージックシティスタジオで、ニューアルバムのプリ・プロダクションを行った後、
 1987(昭和62)年11月16日(月)から信濃町のソニースタジオで、ぼくの担当する曲のレコーディングが始まった。ぼくがアレンジを担当した曲は後に「NEW YEARS EVE」「DARKNESS IN THE HEART (少年の夏)」とタイトルが付けられる2曲。今回のアルバムのアレンジは町支さんが3曲、古村くんが1曲、ぼくが2曲、梁くんが4曲を担当することになっていた。キーボードプレイヤーが二人になったことで、どちらがどの楽器を担当するか梁くんと話し合った。基本的には自分がアレンジした曲は自分が弾くということになったが、曲によってはぼくのアレンジした曲で梁くんがピアノを弾いたり、梁くんのアレンジでぼくがピアノを弾いたりした曲もあった。町支さんと古村くんのアレンジした曲でも、レコーディングをしながら楽器の分担を決めて行った。ぼくは今回2曲だけのアレンジだったが、サウンドを考えるのに結構時間がかかった。特に「DARKNESS IN THE HEART (少年の夏)」は、浜田さんからの要望と自分のイメージするサウンドが合致するまで、何度も試行錯誤を繰り返した。まずは打ち込みによるシンセベースのラインを考えることから始めた。8ビートでフレーズをシーケンスするようなクールなベースのラインを作った。そしてそれに呼応するようなタイトなリズムのドラムのパターンを考えた。リズムの上に乗っかる楽器は、イントロとアウトロのテーマを吹くサックスとギターの掛け合いのフレーズや、間奏のブレイク部分やサビのバックで繰り返されるストリングスのライン等、細部に渡ってフレーズを譜面に書き込んだ。レコーディングは断続的に
 1988(昭和63)年の1月の終わりまで続いた。ちょうどこの頃ぼくは幼馴染みでもある、石渡長門くんという新人のシンガーのレコーディングとライブも受け持っていたので、それこそ目の廻るような忙しさだった。渋谷のTake Off7とエッグマンで行われた石渡くんのライブは、江澤くんと古村くんにも手伝って貰った。アルバム『FATHER'S SON』に参加した主なレコーディングメンバーは以下の通り。
    ドラムス:高橋伸之
     ベース:江澤宏明
     ギター:町支寛二
   キーボード:梁邦彦 板倉雅一
    サックス:古村敏比古
  トラッペット:小林正弘
  トロンボーン:清岡太郎
 パーカッション:ペッカー 他にも曲によってはゲストのミュージシャンに参加してもらった。「NEW YEARS EVE」では、宮野弘紀さんにガットギターを弾いてもらった。この曲のアレンジは音数を少なくして、淡々とした中にも情感が溢れるようなイメージで作り込んだ。宮野さんの奏でるガットギターは、浜田さんのボーカルに寄り添うような素晴らしい演奏だった。『FATHER'S SON』のレコーディングは、それまでのアルバムのレコーディングよりも更にアレンジを担当した者が中心になって行われたため、J・BOYの時よりもシステマチックに行われた。ぼくもすべての現場に居合わせた訳では無いので、自分のアレンジした曲以外の曲のリズム録りが終わって、しばらくしてスタジオに行くと、たくさんの楽器がダビングされていて驚いたことも多々あった。
 写真◆『FATHER'S SON』のレコーディングが行われた信濃町ソニースタジオの壁に書かれたマイケル・ジャクソン直筆のサインの前で。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
  http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2017/01/32-fathers-son.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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 in Focus 浜田省吾ビデオクリップ '00.10.14(sat) SKY PerfecTV 731ch
 ヒットメーカー 浜田省吾特集 '00.11.14(tue) ABCテレビ
 とくダネ とくダネ特捜部 浜田省吾 いまだ衰えぬ人気の理由 を特捜せよ '00.11.22(wed フジテレビ系
 http://yuu.sky.yamashina.kyoto.jp/sh/index.html
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 ┃ ♪ふられ気分でRockn'n Roll♪/トム・キャット 一度見たら忘れない ┃
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 |2012(平成24)年 3月28日(水)|スポニチ Sponichi Annex 情報配信
‡|1984(昭和59)年11月14日(水)|リリース
 |1985(昭和60)年 3月?日(?)|★1985(昭和60)年3月ランキング★
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1 ミ・アモーレ/中森明菜
2 卒業/菊池桃子
3 Romanticが止まらない/C―C―B
4 シンデレラは眠れない/アルフィー
5 ふられ気分でROCK’NROLL/トム・キャット
6 俺ら東京さ行くだ/吉幾三
7 天使のウインク/松田聖子
8 卒業/斉藤由貴
9 ジェラス・トレイン/河合奈保子
10 熱視線/安全地帯
注目見えない翼/伊藤麻衣子
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。
【♪ふられ気分でRockn'n Roll♪/トム・キャット】身長は1メートル50あるかないかの小柄の女性の顔には大きなサングラス、袖のやたら短い黒のビニール地の衣装を着て、ザンギリ頭のようなショートカットのヘアスタイル…何もかも特徴的な23歳のキーボード兼ボーカルが歌う、早口なロックがヒットチャート賑わしていた。ヤマハの「ポピュラー音楽コンテスト」=「ポプコン」とそれに続く「世界歌謡音楽祭」で連続グランプリを獲得した、5人組「トム・キャット」の「ふられ気分でRockn’n Roll」は、85年にレコード売り上げ36万枚を記録。バンドの顔であるボーカルTOMの風貌のインパクトは一目見たら忘れられないものがあった。必要以上に大きなサングラスは溶接工が使う顔の側面まで覆うものだった。「ピンスポットが当たると、鍵盤が白く光ってしまって、見えにくくなる。そうすると、頭の中が真っ白になってコードも忘れてしまう」という理由でかけはじめた。そのうち街を歩く時もかけるようになってしまったとか…。ロックバンドでボーカルをやるような女性にしては意外にも「外で自分の曲が流れていると恥ずかしくて、恥ずかしくて」と超が付くテレ屋だった。嫌で仕方なかったピアノが役立った。3歳からピアノ教室に通い、とりあえず12歳まで続けた。中学に入りロックに目覚めて、高校に入ると聴くだけでは物足りずバンドを結成した。校内でコンサートを開きたいと教師に申し出たが却下されると、校長に直談判。これが成功した。デビュー曲から順調な滑り出しをみせたバンドには、2曲目で早くも日本航空の沖縄キャンペーンソングのタイアップの話が舞い込むなど順風満帆だったが、これが思ったほどヒットせず、結果的には昭和の“一発屋”の代表格のような扱いに。しかし、TOMのロックへの情熱は高校生の頃にコンサート開催の道を切り開いた時と同じように衰えることはなく、現在でも活動を続けている。
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%82%89%E3%82%8C%E6%B0%97%E5%88%86%E3%81%A7Rock%27n%27_Roll
 http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/03/kiji/K20120328002924820.html
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