筋トレ前後のビール(アルコール)摂取が及ぼす6つの悪影響
‡2016(平成28)年12月24日(土)
筋トレを行っている最中はビールは避けるべきと言われる理由とは?筋トレ後の「ビール」というのは、特に汗をかいた時にはいつも以上に美味しく感じ、ついつい飲み過ぎてしまいがちです。しかし、筋トレ後にビールを飲むというのは、良くないと言われています。今回は、筋トレ前後にビール(アルコール)を飲むことによる6つの悪影響と適量の飲酒量について詳しく解説していきます。筋トレ前後にビールを飲むことの悪影響
1.男性ホルモンに影響を与える 筋トレの効果に大きく関わるホルモンの一つに“テストステロン”と呼ばれる男性ホルモンがあります。このテストステロンが働くことによって、筋肉が発達していくのですが、ビールのようなアルコールを飲むことで、テストステロンの分泌を妨げてしまい、せっかくの筋トレの効果を小さくしてしまうのです。
2.筋肉に大きく関わるタンパク質を分解する まず、筋肉はタンパク質からできているということを頭に入れておいてください。人は皆、ストレスを感じた時や空腹となった時等に分泌されるホルモンがあるのですが、実はビールのようなアルコールを飲んだ時にもこのホルモンが分泌されます。人は、空腹といった軽い飢餓状態となると筋肉の元となっているタンパク質から糖を作り出し、その状態を乗り切ろうとすると言われています。ということは、筋肉を成しているタンパク質も失われてしまいますので、筋トレを行った効果も薄れるということは言うまでもありません
3.内臓の疲労に追い打ちをかける 筋トレを行った後というのは、体が疲れているのは間違いありませんが、内臓も疲労しているということを忘れてはいけません。人がアルコールを飲んだ時にその分解を行っているのは肝臓であり、アルコールを飲み続けることによって、肝臓が休まる時がなくなってしまいます。また、肝臓は私たちが活動するためのエネルギーを送り出している臓器とも言われていますので、肝臓が疲労しすぎることでそのエネルギーが上手く送り出せなくなるため、体の疲労感が抜けなくなってしまうのです。これは、筋トレをしている人以外にも重要なことでありますが、筋トレをしている人であれば疲労感が抜けないことで筋トレをする意欲を失ってしまうことも考えられますので、ビールの飲み過ぎには十分気を付けましょう
4.筋肉の回復に影響を与える 筋トレをして筋肉量がアップするのは、筋肉に負担をかけることで筋肉に傷が付き、それを治そうとする際、今度はそのような負担がかかっても大丈夫なようにするため、以前より強い筋肉が作られる仕組みとなっています。傷が付いてしまった筋肉は数日間で治るものと言われていますが、当然、筋肉を治すためにもエネルギーが必要ですので、肝臓の力も必要となってくるわけです。その時に肝臓がアルコールの分解のために働いていたのでは、筋肉が治る日数にも影響を与えてしまうのは言うまでもありません。さらに言えば、ビールを飲み過ぎてしまうことによって、次の日に二日酔いとなり、それにより筋トレをしたくてもできないという最悪の状況も考えられるのです
5.筋トレをする前なら大丈夫? ここまでは筋トレをした後のビールについてお話してきましたが、では、筋トレをする前に飲んでしまえばいいのでは?と普段からビールを飲んでいる方は思われるかもしれません。しかし、これも実は良くないとされていて、人はビール(アルコール)を飲むことで判断が鈍るとされているからです。これは、アルコールを飲んだ後は自動車を運転してはならないと言われているのと同じ理屈であり、アルコールを飲んだ後に筋トレをしてしまうと、判断が鈍ることでいつも自分がやっている以上の負担をかけてしまう危険があります。そうなれば、翌日起きた時に体が異常に痛く感じる等で、筋トレどころではなくなってしまうのです。また、人はアルコールを飲むことで尿の排出によってたくさんの水分が失われます。アルコールを飲んでいることでいつも以上の筋トレをしてしまい、汗を大量にかくことによって、脱水症状を起こす危険もあるとされているのです。したがって、筋トレをする前でもビールは控えるべきだと言えるでしょう
6.脂肪が付き過ぎてしまう危険がある 筋トレというのは決して楽ではなく、筋トレ後は汗を大量にかくという人も多いかと思われます。そのような状況で飲むビールは筋トレをした人にしか分からないぐらい、美味しく感じるものですから、ついつい飲み過ぎてしまうのです。ところが、ビールはアルコールの中でもカロリーが高めとされていますので、ビールを飲み過ぎることで、太ってしまうのは間違いなく、その上中性脂肪も付いてしまうため、せっかく筋トレを行って引き締まった体となるものが、それとは逆の体型となってしまいますし、別の病気の危険も出てきてしまいます。どうしてもアルコールが欲しい時は? 筋トレというのは決して楽ではないことから、ちょっとした息抜きのようなことをしない限り、続けられないという場合もあるでしょう。息抜きというのは人によって違うものであり、それがビールのようなアルコールを飲むことだという方もいらっしゃるかと思われます。そのような場合は、ここまでとお話と矛盾するようですが、少しのアルコール(ビール等)であれば飲んでも構いません。具体的には、ビールであれば、500ml缶一本、焼酎であれば110mlが一般的に見ても適量とされているので、これぐらいで抑えられるのであれば飲んでも良いと言えます。ただ、できればビールは避け、焼酎を水割りにして飲む方がカロリーの面、アルコール度数から考えてもよいのは間違いありません。その他、カロリーが低いアルコールとしては、ジン、ウイスキー、ウオッカ等が挙げられます。ちなみに、焼酎も含めたこれらのアルコールはあの“ライザップ”に通われている方でも多少の量であれば認められていて、糖質の量が基準とされており、やはりビールは認められていないようです。この点からも筋トレ中は可能な限り、ビールを避けた方がよいことが分かります
終わりに ここまで、筋トレとビールの関係について色々とお話してきましたが、いかがだったでしょうか?運動不足の解消等といった比較的軽い気持ちで筋トレを行っている方であれば、筋トレ中にビールを飲むのは問題ありませんが、本当に心の底から筋肉を付けたくて筋トレを行っている方の場合、ビール等のようなアルコール類は飲みたくても極力避けるべきです。理由は、筋トレの効果を減少させてしまう等といったことですが、それでもどうしても我慢できない時は、無理に我慢をせずに摂り入れた方が精神的な面や途中で挫折しにくくなるといった点からも良いかもしれません。ただ、その場合は筋トレの効果に多少なりとも影響を与えるということも忘れないでください。しかし、絶対に避けてほしいのが筋トレ前のビールであって、これは先ほどもお話した通り、ビールのアルコールによって、必要以上のトレーニングを行ってしまう危険性があるからです。そして、筋トレというものは正しいやり方をしないと効果が出ないばかりか、自分の体を傷める結果ともなりますので、くれぐれも無理はせず、規則正しいトレーニングを行っていくことを心がけてください。
https://maxbody.jp/152
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飲酒が与える身体への影響とは?【日本酒好きの医師に聞く!日本酒と健康の関係】
2018(平成30)年07年29日(日) 日本酒と健康 取材協力/葉石かおり 文/乃木章
最近「日本酒は健康に良い」という情報をよく見聞きするようになりました。日本酒には、アミノ酸をはじめとする700種類もの栄養成分が含まれているため、日本酒が健康に及ぼす肯定的な影響についての情報が、ネットを中心に多く流布しています。いち日本酒ファンとしては、願ったり叶ったりでしょう。しかし、医学的な観点からみた本当のことを知りたいですよね。そこで今回、『酒好き医師が教える最高の飲み方』(日経BP社刊)を監修した日本酒好きの医師・浅部伸一先生に、お酒にまつわる素朴な疑問を聞いてみました。
■飲み過ぎを自覚するのは難しい ⇒ 厚生労働省が示す適度な飲酒量は、純アルコール換算で、1日あたりおよそ20グラム。それ以上を摂取すると、健康のリスクが高まると言われています。お酒を飲みすぎると身体にどんな負担がかかるのか、浅部先生に伺いました。「多くの人が知っていると思いますが、いちばん大きな影響を与えるのが肝臓ですね。さらに、膵臓(すいぞう)や脳など、がんのリスクを高めることも報告されています」
■物言わぬ「肝臓」⇒ 「お酒を飲み過ぎると肝臓に悪い」ということを多くの人が知っているように、アルコールを分解する機能をもっている肝臓は、処理能力をオーバーするほどの飲酒をすると大きなダメージを受けます。肝炎という炎症から始まり、症状が進むと肝機能が著しく落ちる肝硬変になり、最後は肝臓がんになってしまうことも。現在、肝硬変に対しては、健康な肝臓を移植する以外に根本的な治療法がないと言われています。また、肝臓はアルコール以外に脂肪などを分解する機能がありますが、アルコールを分解している間は、脂肪の分解が止まってしまうのだそう。大量のアルコールを分解するのに時間がかかると、その間、脂肪の分解が止まってしまうため、肥満の要因にもなってしまいます。
■治療が難しい「膵臓」⇒ お酒を飲み過ぎることで、膵炎を起こしてしまう人もいるのだとか。炎症がひどくなると、痛みの激しい急性膵炎を発症してしまうことも。アルコールの影響で、膵臓がじわじわとダメージを受けてしまうのです。もっとも恐ろしいのが、膵臓がん。これは、がんのなかでもかなり治療が難しいのです。膵臓を悪くしてしまう人は比較的少ないようですが、膵臓がどのくらいダメージを受けているのかは、血液検査ではわからないため、注意する必要があります。
■アルコールは「脳」の萎縮を早める ⇒ 極端な量のお酒を飲むと脳が萎縮するということもわかってきました。アルコールの影響で、脳細胞が死んでしまうのです。もともと、脳は年齢を重ねるごとに少しずつ萎縮していくのですが、それを早めてしまうのだそう。どれくらいの摂取量で脳が影響を受けるのか、まだはっきりとはわかっていません。脳への影響はゆっくりと進行するため、何十年という経過を見ないと検証が難しいのです。ただ、酔っぱらうと性格が変わる人がいるように、アルコール摂取は脳に大きな影響を与えています。
■お酒に弱いと高まる「がん」のリスク ⇒ 飲酒をすることで、がんのリスクが高めることは実際に報告されています。特に、大腸がんや乳がんについては、影響が確実だろうと言われているのだそう。しかし、がんの発症にはアルコール以外の要因もたくさんあるようで、50歳を超えてから急激にリスクが高まるという事実もあります。お酒を飲むと顔が赤くなる人、すなわち、アルコールに弱い体質の人は注意が必要です。顔が赤くなるというのは、アルコールが分解されたときに発生するアセトアルデヒドという物質が溜まりやすいということ。これは発がん性物質のひとつで、最新の調査によると、アセトアルデヒドの溜まりやすい人がお酒を飲むと、食道がんなどの発症率が大きく高まることが報告されています。しかし、これはあくまでも、長期的な目で見た場合の影響です。お酒を飲んだらすぐにがんを発症してしまうというわけではありません。もちろん、個人差もあります。「近年、がん患者が増えている要因として、現代人が長生きになったことも挙げられますね」と、浅部先生は言います。厚生労働省が発表している平成28年の資料によれば、日本人の死因第1位はがん、第2位は心疾患です。その背景には、カテーテル治療が劇的に進歩したことで、心筋梗塞で亡くなる人が減った反面、年齢を重ねた人たちががんを発症させる傾向があるという見方をすることもできるようです。出典:厚生労働省「平成28年人口動態統計月報年計(概数)の概況」より
■自分の身体は、自分自身で管理する
「お酒を飲んで臓器がダメージを受けた場合、それを自覚するのはとても難しいです」と浅部先生。飲み過ぎたときに体調が優れなくなる人もいますが、そうした悪化を感じない人もいます。自覚症状のある場合はもちろん、症状がないからといって大丈夫だとは言い切れません。
「お酒を飲んだ後に気分が悪くなる場合は、身体に異常が起きているかもしれません。ただ、まったく平気だという人も、肝臓にダメージを受けていることがあるのです」
"沈黙の臓器"とも言われる肝臓の不調は自覚症状が出にくいため、気付くのが難しいもの。飲酒の適量を守ること、そして、健康診断を定期的に受けることが重要です。
◎参考文献『酒好き医師が教える最高の飲み方』著者:葉石かおり、監修:浅部伸一/日経BP社 最新医学のエビデンスをもとに、お酒の正しい飲み方を指南した一冊。お酒の楽しみ方はもちろん、健康や美容との関係など、お酒を飲む人が抱く素朴な疑問に回答を示し、多くの読者から高い評価を得ている。
https://jp.sake-times.com/think/health/sake_g_nihonsyu-kenkou_01-02
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┃ Danny Hodge ダニー・ホッジ ┃
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1932(昭和七)年05月13日(金) 生 誕
†2020(令和二)年12月24日(木) 88歳没
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B8
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“最強プロレスラー”ダニー・ホッジさん死去 テーズ、BI砲にも勝利
2020(令和二)年12月27日(日) 12:15配信 デイリースポーツ
写真◆ダニー・ホッジ氏=2014年撮影
米国の元プロレスラー、ダニー・ホッジさんが25日に死去したと、米国の世界最大手プロレス団体WWEの公式ホームページなどが伝えた。88歳。死因は不明。ホッジさんは56年のメルボルン五輪レスリング・フリー79キロ級で銀メダルを獲得。ボクシングでも58年に米国のアマチュア大会ゴールデングローブでヘビー級王者となり、59年にプロレスデビュー。60年には当時の世界最高峰団体NWAのジュニアヘビー級王座を獲得し、12年以上も保持した。だが、76年に交通事故で重傷を負い、引退した。レスリングとボクシングの実績、さらにリンゴを握りつぶす怪力の持ち主であることなどから、最強との呼び声も高かった。来日も多く、67年には国際プロレスに参戦し、68年には“鉄人”ルー・テーズからTWWA世界ヘビー級王座を奪取。69年には日本プロレスに参戦し、ウィルバー・スナイダーとのタッグでジャイアント馬場、アントニオ猪木組からインターナショナル・タッグ王座を奪取。74年には全日本プロレスに参戦した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a1a209c38f2cdc02f3e17c103e79a053286d457d
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ダニー・ホッジさん死去 88歳「史上最強のジュニア選手」BI砲からインタータッグ奪取
2020(令和二)年12月27日(日) 12:09配信 スポーツ報知
写真◆ダニー・ホッジさん
日本でも人気を誇ったプロレスラーのダニー・ホッジさんが24日、米オクラホマ州ペリーの病院で死去した。88歳だった。ホッジさんは
1932(昭和七)年05月13日(金)、オクラホマ州の出身。アマレスでは52年ヘルシンキ、56年メルボルンと2度五輪に出場。フリースタイルで2度、銀メダルを獲得した。アマチュアボクサーでも実力を発揮した後、プロレス入り。NWA世界ジュニア王者のタイトルを1960年から76年にわたってのべ16年保持。「史上最強のジュニアヘビー級選手」とも称される。日本にもたびたび来日。69年の日本プロレス参戦時には、ウィルバー・スナイダーと組んでジャイアント馬場、アントニオ猪木組からインターナショナルタッグ王座を奪取した。プロレス評論家の流智美氏は「ルー・テーズさんがよく私に『ノールールで、ホッジに勝てるヤツはこの世の中にいない。ホッジが現役時代にアルティメット・ファイトがあったら、冗談ではなく彼の相手は何人か死んでいたと思う』と何度も言っておられた」とホッジさんの強さを回想し、故人を悼んだ。
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【武藤敬司、さよならムーンサルトプレス〈9〉ブロディ刺殺事件に遭遇したプエルトリコ】
https://news.yahoo.co.jp/articles/afbdb2901b7169ef54547ba623506d91be87b025
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「何で私がバードマンなんだ?」名レスラー、ダニー・ホッジ逝く…“ノールール最強”の異色な才能
2020(令和二)年12月29日(火) 17:01配信 Number Web 「格闘技PRESS」高木圭介 = 文
オクラホマ大学時代のダニー・ホッジ photograph by AP/AFLO
【この記事の写真】2014年来日時の様子はこちら!
米国より、往年の名レスラー、「鳥人」ダニー・ホッジの訃報が入ってきた。享年88。NWA世界ジュニアヘビー級王者としての実績云々だけでも語り継ぐべき存在なのだが、1990年代に入り、それまでプロレスが売りとしてきた「強さ」が他の格闘技やMMA(総合格闘技)興行の台頭とともに揺らぐ中、時代を共にした鉄人ルー・テーズをはじめとする往年のレジェンドたちが「彼こそが最強だった」「彼がもし、ノールールの試合に出場していたら大惨事が起きる……」などと語ったことで平成時代のファンにも、その幻想が一気に広まった伝説のプロレスラーなのである。ホッジがプロレスに転向したのは27歳とかなり遅め。と、いうのもプロレス入り前の経歴が異色すぎる。まず少年時代から親しんだレスリングで、オクラホマ大学時代にAAUを4度、全米大学選手権を3度制覇。19歳で1952年ヘルシンキ五輪に出場、56年メルボルン五輪ではフリースタイルのミドル級(79kg級)で銀メダル獲得と輝かしい成績を残している。五輪銀メダリストの経歴でプロレス入りならば、さもありなんなのだが、ホッジは大学時代に誘われて、ほんの“かじった”つもりで始めたボクシングでも頭角を現わしてしまう。それも、半端なレベルではなく、すぐにオクラホマ州王者となり、その後はヘビー級で全米ゴールデングラブ王者に君臨し、短期間ながらプロボクサーとしても活躍。プロレス転向はその後の話なのである。
■「奇跡」を達成した稀有な存在■レスリングとボクシングはともに古代オリンピックから競技採用された格闘技の二大古典。長い長い人類の歴史の中で駆逐されずに生き残ってきたことは、無駄なモノがそぎ落とされた両競技が非常に実戦的だという証拠にもなる。93年に米国でさまざまな格闘技の選手を寄せ集めてノールールの“何でもアリ”を売りにアルティメット大会(現在のUFC)がスタートした際、まずはグレイシー柔術がその強さと実戦性を証明し、その後もさまざまな格闘技の選手が、その特性を生かした強さを披露した。しかし、スタートから20年以上が経過し、「ノールールというルール」が整備され、MMA(ミックスド・マーシャルアーツ)なる名称も一般化してきた頃になると、互いの攻撃や防御も知り尽くされ、もはや「秘技」などは存在せず、その戦い方も、ボクシングに近い構えでステップし、レスリングの間合いとなれば、タックル等で相手を倒し、有利なポジションをキープしつつ殴るという「ボクシング&レスリング」スタイルに落ち着く傾向が見られた。“何でもアリ”で最も実戦的だったのは結局はレスリングとボクシングの二大古典だったということが証明された。ストライカーとグラップラー。打撃系と組み技系格闘技では、強化すべき筋力も異なるし、選手の適性も違う。ゆえにトップレベルで両競技を両立させた選手はいないはずなのだが、ホッジはその二大格闘技でトップクラスに君臨する「奇跡」を達成した稀有なる存在なのだ。
次ページは:スポーツ・イラストレーテッドの表紙にも
■スポーツ・イラストレーテッドの表紙にも■現在、YouTubeなどでホッジのアマチュア時代の映像が、レスリングとボクシングの両方で視聴可能となっている。レスリングのほうは、寝技で相手の手首を掴むや、そのまま長いリーチを活かしつつ、相手をひっくり返してフォールを奪うモノだった。大学生が圧倒的な体力差をもって高校生を組み伏せているならば納得だが、大学のトップレベル同士の対戦ではまず見られないシーンだ。レスリング時代から「普通ではない」握力を武器にして戦っていたことが分かる。だから、ホッジのレスリングを研究したところで、一般の選手にはまるで参考にならない。ホッジの握力や身体能力には、後天的に鍛錬して身につけたというよりは、先天的にリミッターが外れた強者のみが持つ「何か」が感じ取れる。 プロレス転向前の57年に『スポーツ・イラストレーテッド』誌の表紙を飾り、生まれ故郷のオクラホマ州ペリーに偉業を称えた銅像が立つのも、プロレスラーとしての実績よりも、むしろそれ以前の異色すぎるトップアスリート歴が称えられたものだろう。
■リンゴを片手でつぶす82歳■ホッジと最後に会い、インタビューさせていただいたのは6年前、東京・高円寺で『U.W.F.スネークピット・ジャパン』を主宰する宮戸優光氏の招聘で来日した2014年5月だった。当時82歳だったホッジは、ニッコリ笑顔で握手してくれたのだが、ウインクと同時にギュッと手を握られるや右手に激痛が走り、1週間は痛みが取れなかった。ホテルの部屋では得意とする、片手のみでリンゴを握り潰すパフォーマンスも見せてくれた。こんな82歳はなかなかいない。その来日時に、ホッジと久々の再会を果たし、握手を交わしたアントニオ猪木氏も、相変わらずの握力維持に驚きつつ「レスリングはもちろん、ボクシングも強かったし、あの時代に今でいうアルティメットみたいな競技があったら、凄い実績を残しただろうね」と語っていたのが印象深い。
次ページは:代名詞的な技がない
■代名詞的な技がない■打撃と組み技で高すぎるスキルを持ち、プロレスラーとしても華麗なる実績を残しているホッジだが、ルー・テーズ=バックドロップ、ビル・ロビンソン=人間風車(ダブルアーム・スープレックス)、フリッツ・フォン・エリック=アイアンクロー……といった代名詞的な技は思い浮かばない。フリースタイルレスリングの「股裂き」の体勢からフェイントで相手の四肢にからみつくコブラツイスト(アブドミナル・ストレッチ)や、下半身を固めるオクラホマ・ヘイライドなども印象深いが、小学生がプロレスごっこでモノマネするような浸透度はなかった。本来はテクニシャンタイプなのに、披露されるパフォーマンスは「リンゴ潰し」と怪力系。それほど凄まじい握力を誇示しつつも、試合でクロー技を披露することもない。そして何よりも謎だったのが、「鳥人」なる異名だった。
■「何で私がバードマンなんだ?」■ギリシャのイカロスは別として、それまで日本国内で「鳥人」の異名で呼ばれた存在は大正時代の映画スタア・高木新平や、戦前映画界で「昭和の鳥人」と呼ばれたアクションスタアのハヤフサヒデト、そしてコウモリ(哺乳類)のはずなのに、日本のTVドラマ版で「怪鳥人間」なる謎の冠がつけられてしまったバットマン、フォーリーブスが主題歌を歌っていた米国産アニメ『電子鳥人Uバード』、ウクライナの棒高跳び選手、セルゲイ・ブブカ、プロレス界ではドロップキックを得意としたアントニオ・ロッカらがいる。しかし、ドロップキックは得意技としていたものの、ホッジに「鳥人」のイメージは乏しい。ホッジ本人に日本で「鳥人」と呼ばれていることについて訊ねてみたのだが、首をかしげつつ「何で私がバードマンなんだ?」と、鳥の仕草をマネしつつ大笑い。日本国内での「鳥人呼ばわり」はまったく周知していない様子だった。鉄人、神様、銀髪鬼、人間発電所、荒法師、人間風車、鉄の爪、黒い魔神、魔王、仮面貴族、人間山脈、不沈艦etcと、昭和期を飾った外国人プロレスラーの異名は、意味こそ少々不明だが傑作が多い。しかし、ホッジの「鳥人」は失敗作の部類に入るだろう。日本で「まだ見ぬ強豪」であり続けたアントニオ・ロッカとも丸被りだし……。 インタビュー時、あらためて、プロレスラーとしての必殺技を問うてみたところ、ホッジの答えは「私の必殺技はコンディション。いつでも60分、90分を戦い続けられるコンディションにあった。コンディションさえ保っておけば、レスリングの攻防でもパンチの攻防でも負けない」だった。その言葉は、トップアスリートだった者のみが有する自信に満ち溢れていた。合掌。
◎puramu | ホッジが現役の頃のプロレスは今とはまるで別物だからね。ちょっとでも油断すると相手が潰しにくるような代物。だからテーズも相当「リアルファイト」を経験している。そのテーズが強いと言うんだから間違いないだろう。
◎>ホッジが現役の頃のプロレスは今とはまるで別物だからね。MMAでさえ初期のUFCに比べると随分とマイルドになってしまった印象が否めない。地下プロレス的な初期のUFCは流血など当たり前だったが、今のMMAは(ボクシングでは当たり前の)ダウンカウントさえ取らず即KO決着で面白味が無い。恐らく昔のプロレスは初期のUFCに似た空気が漂っていたのだろう。
◎意表を突くのは卑怯、というプロレスの価値観があるからね。あえてそれをやる場合もあるけど、それはやる方もやられる方も、わかっててやってる。その土俵で強さを競うのがプロレス。そこを理解しない人は永遠に総合>プロレスって言いつづける。
◎フレッド・ブラッシーとかゴージャス・ジョージとかバディ・ロジャースとか大人気だったんだけどね。どんなにガチが強くても客呼べないレスラーは価値がない。
◎見た目からして本当に強そう。ホッジさんの全盛期はとてつもなく強かった事が窺い知れるエピソードですね。長い間、お疲れ様でした。御冥福をお祈り致します。
◎ボクシングとレスリングの実績、現代の総合格闘家と同じような引き締まった肉体、数々の強さのエピソード。間違いなく総合格闘技で活躍できただろうね。もし時代が合っていたらグレイシー一族もあれほど時代を風靡しなかったかもしれない。
◎ウィルバー・スナイダーとのタッグは当時最強でしたね。この方スタミナが無尽蔵だったらしく、フルタイムファイトしても全然平気だったようです。この方の逸話と言えば片手だけでリンゴを粉々に砕いたことで凄まじい握力だったみたいです。レスリングも基礎がばっちりだったので強く、ストリートファイトも強かったという噂があります。ディック・マードックもレスリングも強く、ストリートファイトも滅法強かったので他のレスラーから一目置かれていたのと似ていますね。
◎ボロ | >ディック・マードックもレスリングも強く、ストリートファイトも滅法強かったので他のレスラーから一目置かれていたのと似ていますね。
こういう逸話は良いよね。不良の価値観を大人になってまで引きずってる感じがてさ。オレも含めて、大人になったら大抵は物分かりが良くなっちまうからさ。
◎時代は変われどやっぱりレスラーが最強であって欲しい。プロレスファンにとってダニー・ホッジとは最強という幻想を抱かせてくれる存在であったと思う。
◎ホッジさんが現役の頃に初期UFCがあったら・・柔術家をタックルでテイクダウンし上をキープしつつ超威力のパウンドで制圧!きっと凄い活躍をしたでしょう私は本気でそう信じています
◎藤波がJr.のままならば、ホッジ、マツダの後を継いだ正統派のJr.チャンプだったと思う。藤波はJrでは大きく、ヘビーでは小さかった。努力でヘビーの中で負けない身体を作ったね
◎名優バート・ランカスターに似た風貌から、ランカスターが英国アカデミー賞主演男優賞を受賞した名作「終身犯/Birdman of Alcatraz」から名付けられたというのは考えすぎかな。
◎試合会場への車のなかでエネルギー浪費させるため あんなこと、したて80年代の暴露本に書いてありましたが・・創りですよねたいへんすごいかたでした。
◎バスのなかで発電してたのは有名ですね!突き抜けた人はやることが違います!凡人は真似出ません!
◎オレが持ってたプロレス大百科にはゆりイス固めが必殺技って書いてあって、写真もあった。その後、小橋がローリングクレイドルを使い始めた時、コレがゆりイス固めかと思ったが、全然違ってた。
◎不覚にもホッジの動いている姿を見たことがない。ゆえにこの記事は非常に興味深かった。
◎フィジー | 昔のプロレスって十字架固めばっかりで退屈だけど、今の新日とかスターダムよりはマシかな。
◎木村政彦先生とガチ勝負では、どちらが勝つだろうか?
◎エビデンス将軍 | 自分も彼がバーリトゥーダーのパイオニアだと思っていた スキルが高い人は全ての技の破壊力が有るから必殺技なんて要らない かつてのジャンボ鶴田にしてもバックドロップが無かった時も技が全て強力だったから他の技でピンフォールしてたしね得てして格闘技はそう言う事です
◎ビル・ロビンソン曰く「鶴田とはグレコローマンでもやったが正直大したレベルではなかった」。鶴田が一度も勝てなかった磯貝頼秀氏は「アマレスルールなら谷津、長州、鶴田の順」で、長州と鶴田の間はかなり差があると言ってる。鶴田が五輪代表になった時の身体測定では体重110kgで背筋力228kg(吉田沙保里が200kg超、中西は330kg)なので、そこから体重が増えて筋力アップしてるとしても、外人をフィジカルで圧倒できるレベルとは思えない。性格もガチ向きではないので顔面への打撃センスが特に優れてでもいない限りは厳しいと思う。
◎鶴田はアマレス2年くらいしかやってないんだから、強いわけないです。あと、背筋力とか個別の筋力の数値って意味ないですよ。明らかに性格的に向いていないのでMMAには出ていないでしょう。当時だからプロレスラーだったけで、現在ならバスケやサッカーやってたんじゃないかな?いずれにせよ、歴代のプロレスラーの中では身体能力はNo1でしょう。
◎鶴田はお坊ちゃん育ちだからね。(自分で言ってた)あまり野蛮なことはしないよ。でも鶴田が総合でガチギレしたら、ああ、怖くて書けない…
◎それこそジャンボのMMA参戦を見てみたかったですよね!
◎エビデンス将軍 | ビルロビンソンのコメントはあくまで新人時代 ナンセンスな話し それこそルーテーズから1000マン払って学んでからのスタート 学識有る彼は貪るように格闘哲学、運動生理学まで学んだらしい 故に強い 強いのは完成形は無く 伸び代の多さが重要 何々出身なんて正にナンセンス レスリングは総合格闘技の一部分 レスリングだけでは今や勝てない進化してしまったパンクラチオンなんだよ 現在はボクシングの方が重要殺傷力が有るからでもそれも総合格闘技では一部分日本は遅れているから勝てない
◎エビデンス将軍 | 5さんじゃ中西、永田は総合格闘技で通用したの?アマレスの実績とか性格が優しいとかナンセンスだと思わないのですか?要するに通用する資質は順応性、鶴田は順応性が高く、能力が有ったと戦ったレスラーがほとんど言っている 貴方の何を知ってるの? ナンセンスな事言って知ったかぶりしてもね 彼は元々バスケだし サッカーなんて関係ない インターハイ選手だよ 彼は全日に就職したから業務命令が無い限り総合格闘技に参戦しないよ 彼の順応性の高さを評価してるだけ エビデンスが無いコメントは不毛です
◎aornxuiwin | テレビで馬場、猪木VSスナイダー、ホッジを見たのが、懐かしく思える。
◎ダニー・ホッジの強さだけでなく、身体能力は伝説だからね。◎読み応えのある、いい原稿だね。プロレスLOVEが伝わってくるよ。◎自分もホッジの「鳥人」はピンと来てなかったがやはり誰もピンと来てなかったと聞いてなんかホッとした。
◎バーンバニア、レオノメリーニ、カールゴッチ、ダニーホッジ、ルーテーズ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3972abdb756478715905794533e29168a57a6b55
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カール・ゴッチとダニー・ホッジとではどちらが強いですか?
2017(平成29)年04月09日(日) 19:34
2017(平成29)年04月09日(日) 19:36 ベストアンサー rewens2659さん
ダニー・ホッジがレスラー仲間から恐れられたのは、反則ながら時折見せる強烈なパンチ攻撃と、キレたら何をしでかすかわからない無鉄砲な性格からでした。ホッジはプロレス入りする前は、レスリングの選手として鳴らし、1956年にはメルボルン・オリンピックのレスリング競技にアメリカ代表として参加し、ミドル級で銀メダルを獲得しています。しかし、オリンピックを終えてアメリカに帰国してから、なんとプロボクシングの選手としてリングに上がり、1年半にわたって活躍し、ライトヘビー級で17戦し11K.Oの記録を残したのです。ホッジのボクシングには、先ほど紹介したキレたら何をしでかすかわからないという自身の性格が影響していました。それはホッジが大学生の時分まで遡ります。ホッジの所属していたレスリング部の選手とボクシング部の生徒が喧嘩になってしまったため、ホッジが仲裁に乗り出したのですが、あるボクシング部員がホッジを怒らせてしまい、ホッジが怒り狂って、こともあろうに当時のボクシング部のエース選手の腕を折ってしまったのです。あとで冷静になってから、そのことを反省したホッジが罪滅ぼしのためにボクシングの練習に加わり、自分が怪我をさせてしまった選手の代わりに競技に参加するようになりました。ところが、もともと抜群の運動神経をホッジは誇っていたために何なくボクシングのテクニックをマスターしてしまい、ボクシングでも一流の選手に名を連ねるまでになったのです。
このようなホッジの性格でしたから、対戦した選手は大いに気を使いました。特に、打撃や顔面への攻撃には細心の注意をはらっていたそうです。あのルー・テーズですら、試合中にホッジの様子がおかしくなってきたのがわかると自らリング外に出て、ホッジが冷静になるまで決して戻らなかったそうです。また、NWA世界Jr.ヘビー級タイトルを賭けて長年に渡りライバルとしてしのぎを削ったヒロ・マツダさんも、試合中は絶えずホッジの目の動きを気にしていたそうです。マツダさんが言うには、キレそうになると目が据わってくるらしく、そうなってしまった時は、テーズ同様リング外に逃げて時間稼ぎを試みたそうです。
このように述べると、ホッジは喧嘩屋の印象を持たれがちですが、プロレスにおいては派手な投げ技や立ち技は使わず、アームロックやヘッドロックなどの基本技を大切に、小技からじっくりと大技につなぐという形に試合を組み立てる正統派のテクニシャンタイプでした。また、その体格からは考えられないほどの怪力と握力の持ち主だったため、相手を押さえ込む力や締め上げる力が非常に強く、一度技を決められてしまった場合はほとんど脱出不可能でした。それに加えて、パンチ攻撃とキレやすい性格でしたから、強さと言ったら並のものではなかったように思います。それなので、ゴッチとの対戦は非常に興味深いものがあったように思います。ゴッチも、ホッジほどではありませんが、気の短いのには定評があり、また喧嘩早さでも名前が通っていまし、それぞれが持っていたプロレスのテクニックも似ているようなところがありましたから、なかなか面白い試合になったのではないでしょうか。展開としては、寝技中心のあまり動きの活発なものにはならないでしょうが、それだけに技の一つ一つに力が入って、緊迫したものになったと思います。また、仮にホッジがキレたとしてもゴッチならそのまま受け流して自分の攻めを続けていったかもしれません。ですから、最終的にどのような形で決着が着いたかといえば、プロレス流なら一瞬の隙を突いての返し技でピン・フォールというものになったような気がします。このふたりの性格から考えて、技を決められてもう逃れられないような場合でも、決してギブアップはしなかったと思います。ギブアップするくらいなら、腕か足でも折られても構わないと考えそうな感じです。また、展開によってはお互いのキレやすい、喧嘩早い性格が顔を出して、正統派テクニシャン同士の試合とは思えないような、凄惨な内容にも変化したとも想像できます。このふたりに限っては、まったく実力的に互角のように思えて、どちらが強いのか、結果を出すのが非常に難しいです。しかし、あえていうならば、ボクシングのテクニックのあるホッジのほうが、ゴッチよりはもしかしたら強いかな…という気はしないでもないですね。しかし、きっぱりと断言出来ないところがまことに残念です。 3人がナイス!しています
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13172796778
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Q:鉄の爪 フリッツフォンエリックと 鳥人 ダニーホッジが握力勝負、若しくは、リング上で戦えばどちらが勝つでしょうか?
2015(平成27)年01月25日(日) 21:58
A:ベストアンサー ダニー・ホッジのプロボクシング試合記録
2015(平成27)年01月31日(土) 22:33 元NWA世界J.ヘビー級チャンピオン、日本でもTWWA世界ヘビー級選手権(ルー・テーズに勝利)、インター・タッグ(馬場・猪木組に勝利)を奪取したダニー・ホッジのプロボクサー当時の試合記録。ホッジは1955年アマレスの全米選手権優勝、翌56年のメルボルン五輪では銀メダル獲得。1957年ボクシングのアマチュア大会ゴールデングローブの全米王者となったあとプロボクシングに転向。以下がその成績。対戦相手の名前の後の()内の成績は相手の当時のレコード。
1958(昭和33)年06月10日(火) ペンシルベニア ○ホッジ(KO1R、タイム不明)ノーマン・ジャクソン●(デビュー戦?)
1958(昭和33)年07月14日(月) カンサス ○ホッジ(KO3R2:03)ドン・ジャスパー●(25勝15KO勝9敗6KO敗1分)
1958(昭和33)年08月06日(水) シカゴ ●ホッジ(TKO4R、タイム不明)アート・ノリス○(0勝2敗)
1958(昭和33)年09月18日(木) カンサス ○ホッジ(判定10R)アート・ノリス●(1勝1KO勝2敗)
1958(昭和33)年10月07日(火) オクラホマ ○ホッジ(KO2R1:15)モーリス・グリーン●(0勝2敗1KO敗)
1958(昭和33)年11月06日(木) カンサス ○ホッジ(TKO5R2:45)テッド・プール(10勝2KO勝8敗2KO敗)
1959(昭和34)年01月29日(木) カンサス ○ホッジ(判定8R)ルー・ベイリー●(5勝1KO勝9敗1KO敗3分)
1959(昭和34)年02月24日(火) マイアミ ○ホッジ(KO8R、タイム不明)ゲルビン・ソイヤー●(14勝9KO勝6敗1KO敗)
1959(昭和34)年04月28日(火) カンサス ●ホッジ(TKO8R、タイム不明)ニノ・バルデス○(46勝34KO勝17敗5KO敗3分1無効試合)
12戦9勝3敗の説もあるが今回判明したレコードは9戦7勝(5KO勝ち)2敗(2KO負け)。プロボクサーとしての生活は約1年。見る限り月1回のハイペースで試合を行なっている。しかし対戦相手はキャリアが浅かったり負けが込んでいる選手が多い。短期促成栽培だったのかも知れない。最後の試合の相手ニノ・バルデスはキューバの強豪選手。当時の上位コンテンダーで、世界王者のソニー・リストンと対戦経験もあり。
1958(昭和33)年08月06日(水) の初黒星の日のメインがそのリストンだったそう。この8月6日の試合、4Rにダウンしたホッジはカウント9で立ち上がると自分のコーナーに戻ってさっさと試合放棄してKO負けとなりボクシング・ジャーナリズムから批判の対象にされたとか。しかし0勝2敗の選手にKO負けとは(まあ再戦で判定勝ちしているようだが)。何かコンディションなどに問題があったのだろうか。なのでダニー・ホッジが勝つと思います。握力勝負ではフリッツ・フォン・エリックが勝つと思います。エリックは握力計の針を吹っ飛ばしたり本気になれば相手の頭蓋骨から顔の肉をむしり取ることさえ可能と言われたり相手の顔面を掴めば血ダルマにして胃袋を掴めばヘドを吐かせ連戦連勝です。地上最強の鉄人ルー・テーズさえいつもエリックの鉄の爪に血ダルマにされての反則勝ちばかりで1度も2フォールは奪えず、エリックに完勝したレスラーは0です。生傷男ディック・ザ・ブルーザーが、警官隊と乱闘してブタ箱入りとなったのは1度でしたが、エリックは2度も打ち込まれました。エリックのアイアンクロー で頭を締め上げられて脳波が狂ったレスラーは5人を超えます。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12141129277
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┃ 刑事裁判 原審 ┃
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2002(平成14)年10月25日(金) 事件
2002(平成14)年11月18日(月)起訴
2003(平成15)年01月21日(火)10:00~12:00 第01回公判(425号法廷)
2003(平成15)年02月20日(木)15:00~17:00 第02回公判(425号法廷)
2003(平成15)年04月22日(火)10:00~12:00 第03回公判(425号法廷) 秘書1への尋問
2003(平成15)年05月13日(火)13:30~16:30 第04回公判(425号法廷) 秘書2、被告人が住んでいた賃貸人への尋問
2003(平成15)年06月09日(月)10:00~12:00 第05回公判(425号法廷)
2003(平成15)年06月26日(木)13:30~16:30 第06回公判(425号法廷)
2003(平成15)年07月18日(金)13:30~16:30 第07回公判(425号法廷) 警察官への尋問、被告人質問
2003(平成15)年09月01日(月)13:30~16:30 第08回公判(425号法廷) 被告人質問
2003(平成15)年09月22日(月)13:30~16:30 第09回公判(425号法廷) 被告人質問(検察側)
2003(平成15)年10月29日(水)10:00~12:00 第10回公判(425号法廷) 被告人質問
2003(平成15)年11月14日(金)13:30~16:30 第11回公判(425号法廷) 取調検事への尋問、被告人質問
‡2003(平成15)年12月24日(水)10:00~12:00 第12回公判(425号法廷) 被告人質問(弁護側)
2004(平成16)年02月06日(金)10:00~12:00 第13回公判(425号法廷) 証拠物(ビデオテープ)の取調べ、被告人質問(双方)
2004(平成16)年03月05日(金)15:00~15:30 第14回公判(425号法廷) 証拠の取調べ
2004(平成16)年03月24日(水)13:30~16:30 第15回公判(425号法廷) 遺族の意見陳述と、論告求刑(無期懲役が求刑)
2004(平成16)年04月27日(火)13:30~16:30 第16回公判(425号法廷) 弁護側弁論と被告人の意見陳述(結審)
2004(平成16)年06月18日(水) 10:00~10:30 第17回公判(425号法廷) 判決(104号法廷) -無期懲役の実刑判決が出ました。
2004(平成16)年06月18日(水) UP 衆議院議員石井こうき氏の刺殺事件に関し、本日、判決が出されました。2年前の10月25日の事件から1年8ヶ月がたとうとしています。期日も17回を数えました。求刑が無期懲役のところ、判決も無期懲役という判決です。日本の現状の実務を前提とすると、もっとも重い判決と言ってよいと思います。朝日新聞:読売新聞:毎日新聞:東京新聞:産経新聞
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http://masakikito.com/ishii/ito-kohan.htm
https://www.uta-net.com/song/11684/
https://matome.naver.jp/odai/2147997226852760901
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映像◆日本崩壊まであと〇年 殺された石井紘基議員が調べていた日本を蝕む特別会計の闇の話https://youtu.be/dpq-_e0Og4Y
2019(令和元)年08月11日(日) 公開 説明どうも削除されたみたいですが、基礎知識としてこの程度のことは必要と思いますので再掲します。じっくりご覧ください。官僚、公僕?とは名ばかりで陰でいかにえげつないことをしているかよくわかります。一度徹底的に懲らしめないとだめね。
2019(令和元)年12月29日(日) 347,725回視聴 良6,579 悪291
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┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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‡1968(昭和43)年12月24日(火) アポロ8号、史上初となる月の周回軌道に乗る ⇒ 米航空宇宙局(NASA)が打ち上げた有人宇宙船「アポロ8号」が史上初となる月の周回軌道に乗った。アポロ8号は翌日までに月を10周し、
1968(昭和43)年12月27日(金)に地球に帰還した。写真は、「アポロ8号」から撮影された月の地平線と地球【AFP時事】※2020(令和二)年説明追加
https://www.jiji.com/jc/daily?d=1224
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‡1988(昭和63)年12月24日(土) 翌年4月からの消費税導入決まる ⇒ 税制改革法が参院本会議で可決、成立し、翌年4月からの消費税実施が決まった。自民党が10年越しに取り組んできた大型間接税で、税率3%。
1989(平成元)年03月31日(金) JR上野駅写真は、消費税導入で旧運賃の定期券を買い求める人(手前)と運賃表の書き換えに追われる作業員【時事通信社】※2020(令和二)年説明削除
https://www.jiji.com/jc/daily?d=1224
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‡1997(平成九)年12月24日(水) 日本が誇る世界的俳優、三船敏郎さんが77歳で死去
https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=井田新輔
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‡1997(平成九)年12月24日(水) 下柳剛、「サンタさんはおるんやねえ」
‡2017(平成29)年12月24日(日) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月24日だ。
写真◆イチローキラーとも言われていた当時の下柳
鉄腕・下柳剛。阪神時代の2005(平成27)年には最多勝にも輝いている左腕だが、1991(平成三)年に入団したダイエーでは、まずはリリーフで頭角を現した。1996(平成八)年から日本ハムに移籍し、2年目の1997(平成九)年は61試合に投げ、先発1試合のみ、ほかはすべてリリーフながら規定投球回にも到達し9勝を挙げた。
そのオフ、下柳の交渉はもめにもめた。2回の交渉で、いずれもサインを拒否。カッカした様子から「越年、いやキャンプボイコットもありでは」と言われていた。それでも3回目となった
‡1997(平成九)年12月24日(水)、クリスマスイブにようやくサイン。目安にしていたらしい1億円を超え、推定1億500万円。さらに2年の複数年契約、出来高もついた。
「中継ぎという仕事をきちんと評価してくれた。今度から連投にもきちんとポイントがつくというし、ありがたいことです」と下柳。当時の球界では中継ぎに対する評価が低く、それに対する不満も大きかったようだ。
ただ、この日サインする気はまったくなく、実印も家に置いてきたらしい。「拇印じゃまずいと言われ、球団にあった三文判で押しました」と記者たちを笑わせた後、「サンタさんはおるんやねえ。いい子にしておいてよかったよ」とニヤリ。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2004(平成16)年12月24日(金) 球界参入が正式承認!福岡ソフトバンクホークス発進
‡2018(平成30)年12月24日(月) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2004年12月24日だ。
写真◆多数の報道陣が詰めかけた記者会見。席上で球団新ロゴマークも発表された
福岡の地に「新生ホークス」が発進した。この日、東京都内のホテルで臨時オーナー会議が開催され、スーパー大手のダイエーから、情報通信大手のソフトバンクに球団経営が譲渡されることを正式に承認した。
新球団名は「福岡ソフトバンクホークス」に決定。同日、孫正義新オーナーは午前中に福岡入りして、地元の財界人と面談。午後には王貞治監督と福岡ドームを見学し、会見前には福岡市民に球界参入の報告を行った。
会見では球団ロゴも発表。孫オーナーが尊敬する坂本龍馬が率いた「海援隊」の旗印がベースとなっている。白のラインをはさんだ2本の赤ライン。この赤をソフトバンクカラーの「レボリューション・イエロー」に変えた。
孫オーナーの言う黄色のイメージとは、人を元気にするポジティブな色。「坂本龍馬は高度な情報と知識を持って世界へ目を向けた。私も、そういう志を持って改革を進めていきたい」と孫オーナー。「日本一ではなく、世界一を目指すと言われる。顔は温和だが厳しい注文をつけられる」と、その迫力に百戦錬磨の王監督ですらタジタジだった。
ひるむことなく進む孫オーナーの夢物語。「清く、正しく、強く、ファンに愛される球団」。だれにも負けない志を胸に、生まれ変わった鷹の挑戦が始まった。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171224-13
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20181217-10
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画No.037 ┃ 30円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1958(昭和33)年12月24日(水)号 特集 “三原騒動”の3日間
2017(平成29)年12月03日(日) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎本文巻頭は『品川社長“引退”の真相~報われなかった71歳の情熱』
写真◆表紙は西鉄・三原脩監督
今回は『1958年12月24日号』。創刊第37号で定価30円。中カラー見開きは『巨人の四天王』と題し、広岡達朗、長嶋茂雄、藤田元司、藤尾茂の背広姿。おそらく前回紹介した正力松太郎邸での映画「巨人軍物語」撮影の合間だろう。
巻頭グラビアはオフネタ。長嶋の1日消防署長だ。制服姿もなかなか凛々しい。
本文巻頭は『品川社長“引退”の真相~報われなかった71歳の情熱』。水原円裕監督との確執と歯に衣着せぬ言動で、しばしば話題となった巨人・品川主計社長である。かねてから次期監督にと推してきた千葉茂二軍監督が近鉄監督に就任したことで、野球への情熱が薄れたのでは、という論調だったが、「正力─川上」派に「品川─千葉」派が敗れ、ともに去ったように見えなくもない。
表紙にもなっていた西鉄・三原脩監督の記事がそれに続く。
『三原騒動の三日間~優勝監督はなぜごねたか』だ。巨人相手に奇跡の日本一を果たしたばかりの名将が、大洋監督に就任する寸前までいったという内容だ。
11月29日に報知新聞が「三原監督辞任を決意 大洋新監督へ」といきなりスクープ。大騒ぎとなった。当初はとぼけていた三原監督だが周囲が騒がしくなり、30日になって会見。健康上の理由、自分の仕事は三連覇で終わった、などと理由を語り、西鉄退団の意思は認めたが、大洋監督就任はデマと語った。結局、翌12月1日、球団との話し合いの後、翻意し残留を発表している。
実際には球団フロントとの確執が原因だった。不振のどん底にあった7月、親会社の社長が「こんな陣容で勝てなければ監督の全責任だ。この際休ませては」と言ったことが三原の耳に届き、ぶち切れたという。それ以前から誘いがあった大洋と水面下で条件を詰め、発表目前で新聞報道が出てファンや関係者が騒ぎ立て、結果的には撤回せざるを得なかったようだ。
情報をもらした人物については諸説あったが、後年の「週べ」の記事で大洋にいた青田昇が「ワシがやった」と明かしている。自分が三原構想から外れ、自由契約となったことに腹を立ててだった。
11月30日にはついにミスタータイガース、藤村富美男が引退。会見で藤村に背番号10が永久欠番となることも発表された。
では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.043 ┃ 30円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
1959(昭和34)年2月04日(水)号 特集 二年目の長嶋茂雄 ストーブ・リーグその後の主人公
2017(平成29)年12月9日(土) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎長嶋茂雄のオフの多忙な取材日程
写真◆表紙は南海・野村克也
今回は『1959年2月4日号』。創刊43号で定価30円だ。表紙は南海・野村克也のキャッチャーシーン。なかなか斬新だ。センターグラビアでは里帰りの密着もあった。センターカラーは青空バックで巨人・広岡達朗のゴルフ場での1シーンだ。
巻頭グラビアは残り少ない学生生活を楽しむ王貞治(早実─巨人)。そして本文巻頭が『2年目の長嶋茂雄』。オフの多忙な取材日程があったので抜粋する。
‡1958(昭和33)年12月24日(水) 12時 文化放送正月番組
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③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.247 ┃ 40円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1962(昭和37)年12月24日(月)号 国鉄・金田正一、年俸5000万円をふっかける?
2018(平成30)年07月02日(月) 11:24 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎プロ野球選手の海外旅行ラッシュ
写真◆表紙は阪神・村山実
今回は『1962年12月24日号』。定価は40円だ。
時代もあるのか、海外旅行ラッシュ。巨人・長嶋茂雄は球団に内緒(?)で香港へ。大毎・山内一弘夫妻はハワイへ、大洋・三原脩監督夫妻は日航富士号で世界一周の旅(できたのか?)、さらにこれは優勝チームへの賞品でもあるが、東映・水原茂監督、張本勲、阪神・小山正明、村山実はパリへ旅立った(優勝監督とMVPへ贈られるもの。小山は藤本定義監督から譲られた)。
表紙も村山のバックはトリコロール、フランス国旗だ。海外がぐっと身近になってきた時代なのだろう。
選手の給料の話も出ていた。南海はこの年、郵送方式を取った。契約書と金額を決めた理由を書面で送り、不満があれば連絡を、なければサインをして送り返せ、ということだ。
当時は月給での表記が多いが、この号の中で金額がはっきり出ていたのは、村山の30万円、中日・江藤慎一の25万円。
別格は国鉄の金田正一だ。
「ワシは地上最大の作戦でいくんや。最初は5000万円と吹っかければ、最後は3000万円でかたがつくやろ。まあ見とってみ、封切はもうすぐや」
現状は年俸1080万円。62年は22勝17敗だった。さてどうなるか。
中日に衝撃が走った。優勝に向け、補強を着々と進めていたはずが、突如濃人監督を退任させ、新監督・杉浦清就任を発表した。前年オフ、生え抜き選手と内紛まがいの騒動を起こしたことで濃人人気が下がっていたこともある。
中日も大毎同様、南海・鶴岡一人監督招へいに動いていたが、かなわず、兼任監督の経験がある杉浦復帰となったようだ。
では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171203-10
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171209-10
③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180701-01
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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