過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)

 


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 ┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 1889(明治22)年05月06日(月) エッフェル塔がパリ万国博覧会の開催に合わせて公開
 1962(昭和37)年05月06日(日) 人気テレビコメディー「てなもんや三度笠」の放送開始
 1994(平成六)年05月06日(金) ユーロトンネルが開通 ⇒ ドーバー海峡の海底を貫くユーロトンネルが開通し、英国とフランスは陸続きになった。全長は約50キロ。ロンドン?パリ間は、列車「ユーロスター」で約3時間で移動できるようになった。写真は、フランス側のトンネル出口を出てパリに向かうユーロスター【AFP時事】※2021(令和三)年記事削除
 2005(平成17)年05月06日(金) 日本のプロ野球でセ・パ交流戦が開幕
 https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2008(平成20)年05月06日(火) ソフトバンク・小斉祐輔が育成出身者第1号ホームラン
‡2017(平成29)年05月06日(土) 11:10 プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は5月6日だ。
 写真◆ポスト・松中信彦とも期待され、背番号は55(写真は初ホームランとは別の試合)
 2017年5月2日のソフトバンク-西武戦(ヤフオクドーム)は、ソフトバンク打線が爆発し、14対4で勝利したが、その功労者がソフトバンクの育成出身選手たちだった。 
 投げては千賀滉大(11年育成ドラフト4位)が6回2失点で勝利投手。しかも、その後で投げた2人、2番手・石川柊太(14年育成ドラフト1位)、3番手・飯田優也(13年育成ドラフト3位)も育成出身だった。打っては先発マスクをかぶった170センチの小兵・甲斐拓也(11年育成ドラフト6位)が、2点を先制された2回裏、プロ第1号の逆転満塁ホームラン。ソフトバンクのドラフト戦略の“勝利”とも言える試合となった。 
 2008年5月6日は、同じソフトバンクの小斉祐輔(現在は引退)が楽天戦(Kスタ宮城。現Koboスタ宮城)で育成ドラフト出身第1号のホームランを放った日だ。小斉は06年育成ドラフト1位でソフトバンク入団。06年5月に支配下登録され、07年には育成ドラフト出身初の一軍ヒットも打っていた。08年は二軍スタートながらファームでは打率.413と打ちまくり、一軍昇格を果たした。 
「いつかは打てると思っていましたが、実際に打てると本当にうれしいです」と声を弾ませた小斉。強打の左打者として期待されたが、層の厚いソフトバンクではなかなかチャンスをつかめず、12年楽天に移籍し、15年限りで現役を引退した。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2006(平成18)年05月06日(土) 踊るバレンタイン!
‡2018(平成30)年05月06日(日) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は5月6日だ。
 写真◆華麗なダンスを見せるバレンタイン監督
 メジャーでもその手腕が高く評価されていたボビー・バレンタイン監督。1995年、低迷が続いていたロッテの監督就任し、2位に食い込むも同年限りで退任となった。その後、熱烈なラブコールに応え、2004年に復帰し、05年には日本一にも輝いている。 
 バレンタイン監督は采配だけではなく、ファンサービスにも気を配る男だった。ただまあ、この日のパフォーマンスはやや悪乗り気味と言っていいかもしれない……。 
 2006年5月6日、千葉マリンでのオリックス戦だった。試合前、タキシード姿で現れたバレンタイン監督は、寺門亮子さんとなんと得意のチャチャダンス(キューバ音楽に乗っての社交ダンス)を披露。ハイスクール時代、社交ダンスの全米大会で優勝したというのは有名な逸話だったが、まさか球場で披露するとは……。 
「野球を知らない人にも楽しんでもらいたいと思ったので。またやるかもね」 
 とボビー。ただ、試合は4対11で大敗となった。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2013(平成25)年05月06日(月) 谷繁元信が捕手として3人目、史上最遅の2000安打達成
‡2019(令和元)年05月06日(月) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2013年5月6日だ。 
 写真◆試合後に2000安打の記念ボードを掲げた谷繁
 神宮球場で行われたヤクルト戦で中日の谷繁元信は4回に一時同点となる左翼線2点適時打。これで通算安打を1999とし、偉業へ王手をかけて6回、打席に入った。「先頭だから塁に出ようとだけ考えていた」と平常心でマウンドの押本健彦と対した谷繁は見事に右前打を放った。 
「ああ、打ったんだな、と。何かを感じるかなと思ったけど、いつもと一緒でしたね」 
 史上44人目となる2000安打を達成した瞬間も、いたって冷静だった。この2000安打にはいくつかの枕詞がつく。42歳4ヵ月での達成は史上最年長(当時)、2803試合での達成は史上最遅。さらに捕手としては野村克也氏、古田敦也氏に続く史上3人目の快挙だ。この最年長、最遅が、谷繁のすごさを表している。 
「僕はクリーンアップを打ったわけではなく、七、八番でコツコツとやってきたものの積み重ねです」 
 そう冷静に語る谷繁に、試合終了後には中日ファンが待つレフトスタンドだけでなく、ライトスタンドからも大記録を祝福する大きなコールが沸き起こった。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170506-01
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180506-12
 ③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190506-10 ************************************************************
 ■『二軍だより』では巨人の■馬場正平投手■が登場■
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.056 ┃  30円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1959(昭和34)年05月06日(水)号 特集 ペナント・レース開幕熱戦号
 2017(平成29)年12月22日(金) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎『駒沢球場の新しい人気者』東映の新人・張本勲
 写真◆表紙は中日・森徹
 今回は『1959年5月6日号』。創刊56号で定価30円だ。グラビアページは、開幕したペナントレースの模様を巨人のカード中心に構成しているが、後ろグラビアでは『駒沢球場の新しい人気者』のタイトルで東映の新人・張本勲をピックアップしていた。 
 センターカラーは『風雲を呼ぶ鉄腕』と題し、国鉄・金田正一が登場。前年同様、この年も開幕の対巨人戦に先発し、勝利投手となっている。 
 本文巻頭は『球界の紳士藤田の宿命~爆発する打線の陰の一つの顔』。入団3年目の右腕で、1年目から当時でさえ、「藤田は酷使」という声があったほど投げまくっていた巨人の藤田元司である。巨人の投手陣は(実は野手陣もだが)世代交代の時期にあり、水原円裕監督も藤田に頼らざるを得なかったとも言える。 
 細身の体でのピッチングは悲壮感も漂っていたといい、野手のエラーにも捕手のサインミスにも絶対に怒らない様から「球界の紳士」の異名を取っていた。 
 対談は『真剣勝負のときがきた』。巨人・長嶋茂雄と中日・森徹と大卒2年目のスラッガー2人。長嶋といえば、プレーヤーズコラム『ぼくの日記帖』は突然終了し、この号から『ぼくの雑記帖』として長嶋の立大同期、阪急の本屋敷錦吾が登場した。中断なのか、最終回だったのかは現時点では不明だ。 
 パの代表する大打者、西鉄・中西太については『故障と闘うスーパーマン』という気になる記事があった。キャンプ中から右肩痛に苦しみ、開幕から欠場が続いていたようだ。 
 それでも明るい性格もあって、開幕戦で勝利後、「俺の出る幕はないな。いよいよ墓場行きや」と言って笑っていたという中西。治療は「レーダー療法」だった。これが何か当時の記事を抜粋しよう。 
 一口でいえば、殺人光線による治療である。もともと飛行機のために使う探知機と同じ電磁波を使うもので、この超短波と赤外線の中間に当たる電磁波を使っての治療である。その即効性は大したもので四十肩や五十肩の頑固なものでも一週間くらいで治ると言われる。 
 実際には肩ではなく、手首の腱鞘炎。以後、完治することはなかった。 
 特別リポートとして『阪神の危機を救う男』という記事もあった。新人・村山実である。オープン戦の巨人戦で1失点完投で脚光を浴び、小山正明に続く第2エースにと期待されていた。田中義雄監督も「直球に威力があるし、スタミナもある。それに落ちるシュートが有効だ。いまは内緒だが、新しい球も研究していてね。一応、フォークのように落下するのだがね」と語っている。村山は当時からフォークを投げていたはずだが、もしかしたらオープン戦では監督の指示で封印していたのかもしれない。 
■『二軍だより』では巨人の■馬場正平投手■が登場■。身長2メートルの巨漢選手で、とにかく水を飲みまくるらしい。記者に「1日に一升くらい?」と聞かれると、 
「えへへ、一升じゃ一回分かな。夏なんかのんだ水で、ユニホームを洗っちゃいますよ」 
 と言っていた。「ユニホームを洗えるくらい水を飲みますよ」の意だろう。のちのプロレスラー、ジャイアント馬場の青春時代である。 
 今回からではないが、『読者サロン』では「乞う文通」コーナーがある。若い人は知らないかもしれないが、読者が住所を出して、同じ趣味の人との文通を楽しもうというものだ。少なくとも30年くらい前までは、多くの雑誌にあった。 
 では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.266 ┃  50円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1963(昭和38)年5月06日(月)増大号 村山実、離脱で阪神の危機
 2018(平成30)年7月23日(月) 11:24 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎王貞治、笑顔で帰宅
 写真◆表紙は巨人・王貞治
 今回は『1963年5月6日号』。定価は50円だ。 
 連覇を狙う阪神だが、開幕ダッシュに失敗。理由には前年のMVP・村山実の不振があるが、その背後に小山正明、さらに藤本定義監督との確執があったようだ。 
 一つひとつは、細かいことだが、積もり積もってプライド高き男、村山の心を傷つけた。 
 最初はやはりMVPが成績的には上と思われた小山ではなく、村山に輝いたことからだ。 
 小山も悪気はないのだろうが、基本毒舌。 
「ちぇ、あほらし。あれがMVPかいな。俺を忘れたのと違うかいな」 
 と記者たちの前で平気で言う。これは当然、回り回って村山の耳にも入る。言いたことがあっても小山は先輩だ。のみ込むしかない。 
 その後、契約更改で歴史的なゴネ方をした小山に対し、藤本監督が気を使うのも面白くない。 
「自分は早めに契約更改をし、自主トレも一生懸命やった。米キャンプぎりぎりまでゴネた小山さんがなぜ厚遇されるのか」 
 と思ったのだろう。 
 アメリカキャンプから帰国した会見でも、こんなことがあった。 
 出席者は藤本監督、青田昇コーチ、吉田義男、小山、村山。年下の村山は一番最後に入ってきたが、席が藤本監督の隣しか空いておらず、そこに座った。すると、藤本監督は、 
「おい、ムラ、そこをどいて小山に座らせろ」 
 村山は立ち上がり、一度は小山と席を代わって座ったが、すぐ立ち上がり、目の前にあった爪楊枝を鷲づかみすると、叩きつけて席を蹴った。 
 さらに小山がスローペースの調整をしていたこともあり、「自分が」と思っていた開幕投手が小山になった。それを聞いた後、練習の途中なのに家に帰ってしまったという。 
 藤本監督もあわてて村山の家を訪れ、話し合いを持った。投手育成名人も少々しくじったようだ。 
 ただ、村山は前年の熱投と、おそらくはストレスもあって体調を崩し、目の下にクマができ、血液検査では、白血球数で異常な数値が出た。 
 試合もなかなか勝てず、ついに「しばらく待っていてください」と自ら離脱を選んだ。 
 愉快な記事もあった。 
 巨人・王貞治の実家である中華料理屋『五十番』で、両親が巨人戦のテレビ中継を見ているところを取材しようという企画だ。 
 ただ、店は営業時間中。王の活躍もあって大盛況だ。 
 2人とものんびりテレビを見ているわけにはいかない。父親は厨房で料理、母親は接客で大忙し。ただ、そうは言っても息子のことも気になる……。 
 両親の姿やお客さんの反応がホームドラマのように描写されていた。 
 試合は、15時開始のゲームで巨人が勝利、王は5号本塁打を放った。 
 最後がいい。 
 黄昏。さすがに街を行く人通りも少なくなる。 
 そして、 
「ただいま」 
 明るい声がした。 
「御苦労様」「5号ホーマーおめでとう」 
 お客さんが口々に叫んで拍手。 
 王が帰ってきたのだ。ホームラン賞を両手にかかえて顔中が笑いでいっぱい。 
 お母さんがレジのところで目を細くする。 
 まさに庶民のヒーローだ。 
 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.521 ┃  60円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1968(昭和43)年05月06日(月)号 巨人のサインを分析した?
 2019(令和元)年08月06日(火) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎二刀流・永淵洋三登場!
 写真◆表紙は巨人・高田繁
 今回は『1968年5月6日号』。定価は60円。 
 V9巨人の80種類と言われるサイン。どうせテレビに全部映っているのだから分析してみようという企画があった。 
 そもそも巨人のサインは川上哲治監督が口にしたものを傍にいる選手が発信するところから始まる。 
 前年までは、これを須藤豊がやっていたが、この年から二軍にコーチがメーンになったので別の人間になるという。ただ、67年の須藤はまだ、選手で37試合に出場していた。 
 攻撃の際の伝達経路は、川上─須藤─牧野茂。守備の際は、川上─須藤─牧野─王貞治、森昌彦になるという。 
 たとえばの例があった。 
 4月20日の阪神戦、高田繁が四球で出塁すると、牧野コーチは左手で帽子のひさしをさわり、その後、左手で右手のそで、マークと触った。 
 これを見た打者・黒江透修は1球目からバント。ただ、これがファウルになった。 
 最初の帽子のひさしは誰に対してなのかのサイン(巨人は攻撃時、打順一番から三番、四番から六番、七番から九番と3つのグループに分けていたという)で、二番目が実際のバントのサイン、三番目はごまかしではないか、と推察していた。 
 次は右手で帽子のひさしをさわり(左右の手は関係ないようだ)、その手で二度口に触れ、次がマーク。これで黒江はヒッティングに転じ、凡打。つまり二度口に触ったのが、バント取り消しということだ。 
 ただ、同じサインでもグループが変わるとパターンが変わり、四番の長嶋茂雄からのグループは、胸のマークにさわるのが、「次がサインだぞ」という予告のようだ(長嶋がどこまで覚えていたかは定かではない)。 
 牧野が最後に両手をパチンとたたいた際は、「いまのサインは偽装。前のサインのままでいいぞ」らしい。 
 さらにバントに限っては、一度サインが出た後、どんなポーズをとったにしても、それが「取り消し」でない限り、バントのサインのままだという。 
 守備中は一塁の王が捕手の森にサインを送り、森が他の野手に伝える。これはマスクの何番目かの金具に触ったら、バントシフト、ミットを2回たたいたらけん制とか、少しシンプルで外野手にも伝えてある。 
 ONには基本的にサインがないというが、盗塁の際はそのサインを見て自然と「待つ」になっていたという。 
 実際、前年オフの契約更改で柴田勲が、 
「ONのようにノーサインで野球ができたら俺の打率はもっとアップしている。その点を契約更改で含んでほしい」 
 と要求していた。 
 パ・リーグでは三原脩監督率いる近鉄がスタートダッシュ。ボレス、土井正博、ロイのクリーンアップ、若きエース、鈴木啓示の活躍もあったが、注目は新人・永淵洋三だ。 
 初登板は4月7日、西鉄戦で3対3の7回に登板し、1イニングを3人でピシャリ。 
 12日の阪急戦では0対4とリードされた5回に登板し、3回を1安打ピッチング。打っても第1打席にドラッグバント、第2打席にライト前ヒット。さらに、3イニングを投げた後、ライトに入った。 
 16日の東映戦。1対3の2回裏に代打で登場し、ホームラン。その後、2回と3分の2を投げてライトに入った。 
 そう、二刀流である。 
 本人は、 
「試合に出ることが一番大事なことでしてね。どんな使われ方だって、僕は感謝していますよ」 
 と話していた。 
 南海の身売り話のウワサがあった。 
 発端は3カ月前の南海電鉄の大事故。運輸省から経営の合理化を求められ、話の俎上に球団経営の赤字が挙がったことで、そういうウワサになったらしい。 
 では、またあした。<次回に続く> 
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171222-10
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180721-03
 ③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190802-02
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
①┃ プロ野球仰天伝説 No.152 ┃ ONLINE
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
 特攻隊に志願し戦死した石丸進一
 2018(平成30)年5月24日(木) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 「最後のキャッチボール」
 左から石丸進一、西沢道夫、小鶴誠
 1941(昭和16)年、石丸進一は兄・藤吉が入団していた名古屋へ入団。ポジションは兄の応召で空いていたセカンドとショートだった。 
 希望していた投手になったのは、翌
 1942(昭和17)年には20勝を挙げたが、
 12月に応召。翌年
 1944(昭和19)年2月20日(日)には特攻隊に志願した。 
 1944(昭和19)年4月18日(火)夜、鹿児島にあった特攻隊の出撃基地へ。
‡1944(昭和19)年5月06日(土)、出撃命令が出た後、石丸は、法大野球部で一塁手だった本田耕一とキャッチボール。10球と決めて投げた球は、すべてストライクだった。 
 「これで思い残すことはない。報道班員、お元気で、さようなら」と笑顔で言ったという。この報道班員が作家・山岡荘八。のち山岡が発表した手記で広く知れ渡り「最後のキャッチボール」と言われた逸話となった。 
 ただ、実際にはこのときは悪天候のため出撃がなく、
 1944(昭和19)年5月11日(木) 朝6時50分にあらためて沖縄方面に出撃。消息を絶ち、二度と帰ってこなかった。
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
②┃ プロ野球仰天伝説 No.134 ┃ ONLINE
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
 シーズンで125通りの打順を採用したバレンタイン監督
‡2018(平成30)年5月6日(日) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
“競争意識と休養”で選手を刺激
 ロッテ・バレンタイン監督
 1995年、9年連続Bクラスが続いていたロッテの監督に就任し、2位躍進に導くも広岡達朗GMとの確執もあって1年で退任したバレンタイン監督が、メッツ監督として、さらなる実績と箔をつけて2004年、2度目のロッテ監督に就任した。 
 1年目は4位だったが、2年目の05年は緻密なデータ分析を行いながら、なんと125通りの打順で、まさに“日替わり打線”を組む。さらに1つのポジションを複数の選手で競わせ、“競争意識と休養”で選手を刺激しながら徐々に加速した。最終的にはシーズン2位ながらプレーオフでソフトバンクを破って優勝を飾っている。 
 日本シリーズでも阪神を4勝0敗で破り、31年ぶりの日本一に輝き、“ボビー・マジック”、“バレンタイン・マジック”と呼ばれた。ただ、データ至上主義は時に冷酷にも映る。以後は一度も優勝がなく、09年限りで退団した。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180524-11
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180506-13
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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 ■『二軍だより』では巨人の■馬場正平■投手が登場■

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