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┃ 福娘童話集 今日のイソップ童話 ┃ジャンル・・・楽しい話
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛対象年齢・・・0才~
┌─――――┐ 内容 : 色の黒いカラスが白鳥を見て、自分も白くなろうとしましたヨ(=^◇^=)
|2月21日|『カラスと白鳥』
└─――――┘http://hukumusume.com/douwa/pc/aesop/02/21.htm
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┃ YAHOO!JAPAN きっずクイズ ┃
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01|2004(平成16)年 2月21日(土)|Q:トマト、ピーマン、なす、きゅうりあわせて何歳?(考えた人:タコちゃんさん)
02|2005(平成17)年 2月21日(月)|Q:眠くなると必ずくっついてくるものな~んだ?(考えた人:りんごさん)
03|2006(平成18)年 2月21日(火)|Q:さしても痛くないもの、なーんだ?(考えた人:HGさん)
04|2007(平成19)年 2月21日(水)|Q:れいとうこから聞こえてくる歌声な~んだ。(考えた人:キャラメルさん)
05|2008(平成20)年 2月21日(木)|Q:ほくろが 21コあるものって、なーんだ?(考えた人:食い食い王さん)
06|2009(平成21)年 2月21日(土)|Q:キツネがうける テストってな~んだ?(考えた人:あかのさたのはさん)
07|2010(平成22)年 2月21日(日)|Q:旅行にいったら、夜、オナラが止まらなくなったよ。
07|2010(平成22)年 2月21日(日)| さて、それはどこの国?(考えた人:ダンゴ?さん)
08|2011(平成23)年 2月21日(月)|Q:車が落としても拾わないものは?(考えた人:GALさん)
09|2012(平成24)年 2月21日(火)|Q:最近増えている「菌」は?(考えた人:※閉鎖 (夏目歌恋)さん)
10|2013(平成25)年 2月21日(木)|Q:夜、倉庫に入れた物はなーんだ?(考えた人:老いぼれさん)
11|2014(平成26)年 2月21日(金)|Q:ある大金持ちが死にました。すると家族のおなかが急に痛くなりました。
11|2014(平成26)年 2月21日(金)| さあなぜ??(考えた人:ts歴史マンさん)
12|2015(平成27)年 2月21日(土)|Q:世の中には「さむくなる」ほど「あつくなる」物があるらしい?
12|2015(平成27)年 2月21日(土)| 一体なんだろう?(考えた人:えんだーーーーーいあーーーーーさん)
13|2016(平成28)年 2月21日(日)|Q:お坊さんは、お坊さんでも、起きる時間が、遅いお坊さんは!? (考えた人:抹茶 さん)
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01|2004(平成16)年 2月21日(土)|A:野菜
02|2005(平成17)年 2月21日(月)|A:まぶた
03|2006(平成18)年 2月21日(火)|A:かさ
04|2007(平成19)年 2月21日(水)|A:こおらすから、コーラス。
05|2008(平成20)年 2月21日(木)|A:サイコロ
06|2009(平成21)年 2月21日(土)|A:コンテスト。
07|2010(平成22)年 2月21日(日)|A:バンコク。(晩こく)
08|2011(平成23)年 2月21日(月)|A:スピード
09|2012(平成24)年 2月21日(火)|A:細菌(最近だから)
10|2013(平成25)年 2月21日(木)|A:ばんそうこう(晩 倉庫)
11|2014(平成26)年 2月21日(金)|A:遺産がでたから。(胃酸がでたから。)
12|2015(平成27)年 2月21日(土)|A:氷(寒くなるほど厚くなる)
13|2016(平成28)年 2月21日(日)|A:お寝坊さん
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******************** http://kids.yahoo.co.jp/quiz/backnum/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA
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<No.2412> 1992(平成四)年 2月20日(木) 桑野信義 <通算2回出演>
<No.2413> 1992(平成四)年 2月21日(金) モト冬樹 <通算1回出演>
映像◆放送事故?笑っていいとも https://youtu.be/dbDBxFeZZgs
タモリ3「明日、来てくれるかな?」
志村けん「駄目です」 ⇒ モト冬樹になるヨ(=^◇^=)
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┃ 『森田一義アワー 笑っていいとも!』 最 終 回まであと26回 ┃2/21
┃ 『森田一義アワー 笑っていいとも!』 The End.まであと38日 ┃
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┃ 『森田一義アワー 笑っていいとも!』テレフォンショッキング・ゲスト ┃
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01|<No.0100> 1983(昭和58)年 2月21日(月) 藤村俊二 |<通算1回出演>
02|<No.0361> 1984(昭和59)年 2月21日(火) 古尾谷雅人|<通算1回出演>
03|<No.0619> 1985(昭和60)年 2月21日(木) 怪物ランド|<通算1回出演> ※テレフォンショッキング最初で最後の出演
04|<No.0876> 1986(昭和61)年 2月21日(金) 渡辺美佐子|<通算2回出演>
05|<No.1646> 1989(平成元)年 2月21日(火) 日野美歌 |<通算2回出演> ※テレフォンショッキング最後の出演
06|<No.1902> 1990(平成二)年 2月21日(水)太平サブロー|<通算3回出演> ※ペアで最初で最後
06|<No.1902> 1990(平成二)年 2月21日(水) 太平シロー|<通算2回出演> ※テレフォンショッキング最後の出演 ※ペアで最初で最後
07|<No.2157> 1991(平成三)年 2月21日(木) 松本典子 |<通算2回出演> ※テレフォンショッキング最後の出演
08|<No.2413> 1992(平成四)年 2月21日(金) モト冬樹 |<通算1回出演>
09|<No.2927> 1994(平成六)年 2月21日(月)ともさかりえ|<通算1回出演>
10|<No.3181> 1995(平成七)年 2月21日(火) 藤井尚之 |<通算2回出演> http://youtu.be/yuVlMHpCLhQ
11|<No.3437> 1996(平成八)年 2月21日(水) 谷村新司 |<通算1回出演>
12|<No.3689> 1997(平成九)年 2月21日(金) 朝丘雪路 |<通算4回出演>
13|<No.4456> 2000(平成12)年 2月21日(月) 神田うの |<通算2回出演>
14|<No.4713> 2001(平成13)年 2月21日(水) hiro |<通算1回出演>
15|<No.4969> 2002(平成14)年 2月21日(木) 吉川晃司 |<通算8回出演>
16|<No.5225> 2003(平成15)年 2月21日(金) 篠井英介 |<通算2回出演>
17|<No.5735> 2005(平成17)年 2月21日(月) 宮藤官九郎|<通算2回出演>
18|<No.5990> 2006(平成18)年 2月21日(火) 岡本真夜 |<通算4回出演>
19|<No.6245> 2007(平成19)年 2月21日(水) 古澤 巌 |<通算2回出演> ※テレフォンショッキング最後の出演
20|<No.6501> 2008(平成20)年 2月21日(木) 立川志の輔|<通算5回出演>
21|<No.7266> 2011(平成23)年 2月21日(月) 笑い飯 |<通算1回出演> ※テレフォンショッキング最初で最後の出演
22|<No.7518> 2012(平成24)年 2月21日(火) 加山雄三 |<通算1回出演> ※テレフォンショッキング最初で最後の出演
23|<No.7774> 2013(平成25)年 2月21日(木) THE ALFEE |<通算1回出演> ※テレフォンショッキング最初で最後の出演
24|<No.8028> 2014(平成26)年 2月21日(金) 米倉涼子 |<通算5回出演> ※テレフォンショッキング最後の出演
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1995(平成七)年 2月21日(火) 藤井尚之 http://youtu.be/yuVlMHpCLhQ
解散して二年で二回目のテレビ出演。今日キャンセル待ちが70名で徹夜したのが40名。昨日の午後11時くらいにアルタに並び始めたそうだとタモさんが言ってたヨ(=^◇^=)
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┃ 過去の今日のエピソード ┃2012年2月21日
┗━━━━━━━━━━━━━┛ゲストの加山雄三が登場する際、階段で転びそうになった。
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①http://www.246.ne.jp/~jun-nara/iitomo/iitomo.html ⇒ 1982.10.4~2011.6.29
②http://www007.upp.so-net.ne.jp/iitomo/index.htm ⇒ 2011.6.30~至 現 在
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
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┃ 要 潤 ┃|1981(昭和56)年 2月21日(土)| 生誕
┗━━━━━┛|1999(平成11)年10月 6日(水)|『笑っていいとも』に初登場
|2013(平成25)年11月21日(木)|『女性セブン』号 「アルタ警備員だった要潤 いいともコーナー出演で芸能界入り」
|2013(平成25)年11月 8日(金)|『NEWSポストセブン』
└─――――――――――――┘芸能界入りのきっかけは、1999年当時スタジオアルタで警備のアルバイトをしていたところをタモリの目に止まり、『笑っていいとも!』のイケメン男性を紹介するコーナー[8]に出演したことだった
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http://mushoku8.com/keibiin/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%81%E6%BD%A4
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映像◆1991.2.21 第58話 コレクター 田中律子 塩見三省 原作・脚本:関澄一輝
タモリさんが本人役で出てた。http://yonikimo.com/58.html https://youtu.be/KbQK52UOGrU
タモリ「引退するから世界一周を」がん逝去親友との涙の約束
‡2017(平成29)年02月21日(火) 0:00『女性自身』配信 Copyright (C) 2017 Kobunsha Co. Ltd. All Rights Reserved.
2017(平成29)年02月13日(月)、東京・目黒区の碑文谷会館の葬儀会場には、悲しみに暮れるタモリ(71)の姿があった。トレードマークであるサングラスの奥に光るものをたたえながら、じっと無言で祭壇の前に立ち尽くす。その視線の先には、「タモリカップ」のロゴ入りの帽子をかぶった男性の笑顔の遺影が。金井尚史さん(享年56)。数多の人気番組に出演してきたタモリがもっとも信頼を寄せていたテレビマンが、この金井さんだった。「タモリさんとは90年代にラジオ番組『タモリの週刊ダイナマイク』で仕事をしたのが親しくなったきっかけだったと聞いています」(芸能関係者)タモリと金井さんは、瞬く間に意気投合。2人の親密ぶりを、ニッポン放送関係者が明かす。「金井さんは、相手の懐に入るのが早くてうまい。タモリさんと番組を始めたときもそう。タモリさんがヨットが好きだと聞くと、あっという間に1級船舶免許を取って周囲を驚かせた。以降、公私に渡って親しい付き合いを続けていました。毎年お正月はタモリさん宅で過ごしていましたし、『笑っていいとも!』が終わった直後のタモリ夫妻のヨーロッパ旅行にも、彼は同行していました」タモリの夢の実現に一役買ったのも、金井さんだった。前出の芸能関係者は語る。「タモリさんは昔から『ヨットレース=お金持ちのスポーツというイメージをなんとか払拭したい』と話してました。参加費を下げて、誰でも気軽に楽しめる、そんなヨットレースをやりたいというのがタモリさんの夢でした。ですが、いくら著名なタモリさんでも、ヨットレースを主催するのは難しいだろう、というのが大方の関係者の意見でした」これまで、いくつもの難しい番組企画を成立させてきた金井さんは、その高い交渉能力、プロデューサーとしての手腕を、タモリのためにいかんなく発揮した。参加費を抑えるために、たくさんの企業に協賛を求めて回った。「そうして09年、『日本一楽しいヨットレース』を謳い文句にスタートしたのが『タモリカップ』です。大会プロデューサーとして毎年開催を続けながら規模を拡大させて、昨年には237艇が参加する日本一のヨットレースにしたんです」(ヨット関係者)タモリカップをここまで大きく育ててきた2人。その絆はいつしか揺るぎないものとなっていた。しかしタモリにとってかけがえのない存在である金井さんに、病魔が襲い掛かる。15年5月、検診を受けた金井さんの体にがんが発見されたのだ。金井さんの友人が語る。「肝臓がんでした。精密検査の結果から、医師は『余命3年』と告げたそうです。金井は人一倍明るい性格なので『まいったよ~』と笑顔で僕らには話してましたけど……」医師からの余命宣告に、本人以上にショックを受けたのがタモリだった。「彼の病状を聞いたタモリさんは、ひどく驚いていたようです。そして金井に向かって突然、『おれ、引退するから。ヨットで世界一周しよう』と言ったんです」(金井さんの友人) 複数のレギュラー番組を抱え、芸能界で不動の地位を築いたタモリ。だが、それらすべてを投げ捨ててまで、タモリは金井さんに生きるための希望を与えたかったのだ。しかし、金井さんの病状は予想以上に早く悪化していった。1月末、家族以外面会謝絶だったがタモリだけは面会を認められた。やがて金井さんは意識を失う。ベッドサイドから見守っていたタモリはこんな提案を。タモリはジャズ好きなことで有名だが、金井さんもサックスが趣味だった。好きな音楽を聞いたらもしかして――。「音は聞こえているかもしれない。耳元で音楽を流してあげたらいいんじゃないかな」しかし
2017(平成29)年02月09日(木) 今月9日、午前2時4分。タモリの願いもかなわず、金井さんはついに帰らぬ人となった。冒頭で紹介した葬儀会場でのこと。身じろぎもせずに金井さんの遺影を見つめ続けたタモリは、出棺直前、真っ先に棺に歩み寄った。「タモリさんがとくに弔辞を述べることはありませんでした。でもこのとき、棺の中には2人が育てたタモリカップのパンフレットも収められていました。そのパンフレットに目を落としながら、タモリさんは故人の顔の横にそっと花を置いたんです」(前出・芸能関係者)
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タモリ愛妻と豪華客船「ブラ・ランデブー」は320万円
タモリ 『いいとも』31年間で稼いだ「135億円の使い途」
タモリがお忍びで通う京都の名宿「古民家で1泊1万5千円」
30周年『笑っていいとも!』でタモリが隠したい唯一の失態
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170221-00010004-jisin-ent
キーパーソンに聞くフジテレビ逆転のシナリオと「ほこ×たて」成功の秘密
‡2013(平成25)年02月21日(木) 09時36分@DIME配信
04~10年まで7年連続で視聴率3冠王( 19 ~22時のゴールデンタイム、19~23 時のプライムタイム、6~24時の全日)を獲得していたフジテレビ。ところが、3年前この座から転落……。そこで、若い人材を積極的に起用し、攻めの姿勢で改革に乗りだした。先頭に立って指揮をとる編成制作局長の荒井昭博さんに話を聞いた。
■逆転のシナリオは、1.オリジナリティー、2.視聴者に見透かされない演出、3.世界に通用するコンテンツ
「去年の10月改編のテーマはオリジナリティーの追求でした。多チャンネル時代で、視聴者が次々とチャンネルを変えていく視聴習慣の中では、フジテレビのカラーを強く打ち出すことが大切。では、そのフジテレビらしさとは何かというと、楽しくなければテレビじゃないに尽きる。これがうちの憲法だと思っています」例えば、平日23時台のバラエティーは「COOL TV」と名づけ、大きく改革した枠のひとつ。デジタルとの融合を掲げ、YouTubeにオリジナル動画を配信するなどの取り組みも行なっている。「COOL TV枠は、番組を入れ替えて常に活性化させていきます。人気が出たからといって長く定着させる枠とは捉えていません。新しい番組、新しいクリエイターを次々と試していきます」視聴率3冠王時代の7年間を分析すると、前半4年はバラエティーでは『トリビアの泉』(02年~)、ドラマでも『ウォーターボーイズ』(03年~)や『ガリレオ』(07年~)など、オリジナリティーあふれる番組が生まれていた。だが、後半2~3年は3冠王を死守するための弊害もあったと反省する。
■3冠王転落の今こそ再び攻めへ
「視聴率3冠王の時期は、各局が一斉に攻めてくるので、全方位外交を敷かなければならなかった。各局それぞれ特徴があって、その中で全部の週に勝ち続けるのは容易ではありません。どうしても、人気番組を拡大したり、勝てるコンテンツに頼ってしまった部分は少なからずありました。そこで、新しいものを作ろうという原点にもう一度立ち戻り、今年も攻勢をかけます」 オリジナリティーを生み出すには、1.企画力の新しさ、2.出演者の新しさ、3.作り手の新しさが必要だという。3つ揃うのは難しいが、このうち最低1つを取り入れて、新たにフジテレビらしい番組を作っていく腹づもりだ。 作り手の新しさでいえば、すでに多くの若手に機会が与えられている。例えば、去年の4月クールの連続ドラマでは、『鍵のかかった部屋』の小原一隆、『カエルの王女さま』の渡辺恒也、『未来日記』の藤野良太と、フジテレビ制作の連続ドラマ5枠中3本に、30歳前後の若いプロデューサーを登板させた。そして、『鍵のかかった部屋』は、画面が急に暗転したり、オープニングにミステリーのヒントが隠されている演出など、作り手のアイデアも高評価を得て、平均視聴率16%というヒット作に導いている。ちなみに、日本テレビが制作する19~23時台の連続ドラマは2本。これと比較すると、フジテレビの5本がいかに突出しているかがわかる。荒井さんはこの5枠に意味があるといい、若手を積極的に起用するためにも、5枠を死守していきたいと語る。
■クリエイター育成には「ゼロイチ」をどうやらせるか
企画を立案する編成部にも新人を育成するための制度がある。入社1~2年目の社員に深夜や早朝などの特別枠を完全にまかせてしまうニュービーム企画だ。「まずはバッターボックスに立たせてしまって、1から企画を立案させます。教育問題をやりたいのであれば、教育系のドキュメンタリーに強い制作会社を紹介したり、そうした周辺環境を整える手伝いはしますが、発想やプランニングはすべてひとりでやらせます。0から1にするのはまかせて、1から5にするのは手伝って、最後5から10にするのはまた自分で行なわせる。クリエイターを育てるには、ゼロイチをいかにやらせるかだと思いますね」そして、失敗した者にこそ、できるだけ早くもう一度チャンスを与えることも忘れない。そんなニュービーム企画からゴールデンタイムを支える番組も生まれている。現在、土曜19時~放送中の『超潜入!リアルスコープハイパー』だ。ニュービーム企画として、09年1月3日の深夜に初めて特番として放送。大人の社会科見学をコンセプトに、コンドーム製造工程などにカメラが迫り、好評を博した。その後、特番、深夜レギュラーを経て、ゴールデンタイム昇格を果たしたのだ。
■28~38歳の豊富な制作陣が新しいフジテレビを牽引
こうした人材育成の試みが功を奏し、現在ドラマ班、バラエティー班ともに、28~38歳くらいの制作者の層が実に厚いのだという。「若手芸人が共演する『ピカルの定理』(水曜22時~)は、31歳の福山晋司がほぼひとりで演出を行なっています。10月に復活させた『アイアンシェフ』や特番の芸人大喜利王決定戦『IPPONグランプリ』の演出&プロデューサーの竹内誠。彼は豪華なセットを使うのが得意で芸術的センスがいい プロデューサーの小仲正重にはクイズ番組『ネプリーグ』(月曜19時~)を新しくさせたり、4月からの新番組の立ち上げをまかせている。『笑っていいとも!』には30歳の河本晃典が新プロデューサーに加わりました」と胸を張る。組織を活性化させる時には絶対的に若手の力が必要と力説する一方で、安定感あるベテランの力も忘れてはいない。「時代劇などの哀愁ある奥深い絵はベテランでないと撮れません。要は組織の中のバランスが大事なのですが、若手に元気がなければその組織に未来はありません」アラフォーの読者なら、小学生の頃に『オレたちひょうきん族』に夢中になり、中学時代に『夕やけニャンニャン』に熱狂し、大学時代に『カノッサの屈辱』などのエッジの利いた深夜番組で夜更かしした人も多いはず。かつて、フジテレビの番組は視聴者を画面に釘づけにする力を持っていた。実は、あの頃と同じように高い熱量を持った番組はたくさんある。荒井さんは働き盛りのDIME世代向けに知的探究心をくすぐる『ほこ×たて』『ヌメロン』『ソモサン⇔セッパ!』の3本を推す。
「そのほか、意外かもしれませんが、『笑っていいとも!増刊号』と『めざましテレビ』(月~金曜5時25分~)も見ていただきたい。『笑っていいとも!』は、おもしろい素人やサブカルで活躍する著名人、流行の言葉など、今を切り取る情報が満載。『めざましテレビ』のニュースは突っ込んだ取材をしていて、実は硬派なんです」そして、現在、オリジナリティーの追求と同じくらいこだわっているのが、視聴者に見透かされない番組づくりだという。演出面でも改革に乗りだした。「1位の発表の前に必ずCMが入る、CM明けにまた30秒くらい戻って再開する。そういったことが続くと視聴者は離れてしまう。時にはいきなり1位を発表してしまってもよい。そろそろ視聴者に見透かされずに、いい意味で裏切るくらいの演出をしていかなければならない。そうしたもののひとつに真剣勝負があると考えています。サッカーワールドカップの予選が視聴率30%取るように、結末のわからないものに対する興味は尽きませんよね」 確かに『ほこ×たて』が成功したのは、矛盾する2つのものが真剣勝負する姿を真摯に見せたから。スポーツの試合を見ているかのような一種独特な高揚感がある。
■世界に通用する番組でクールジャパンの先兵に
ライフスタイルや価値観など、ここ数年で日本人のスタンスは大きく変貌した。メディアの作り手としてどう分析しているのか。「5年前、YouTubeはテレビにとって外敵だと思われていましたが、今は連携の時代に入りました。SNSはリアルタイム視聴への誘導に親和性があると実証されてきている。実はスマホの発達は我々にとって追い風なんです。デバイスが次々と増える中で、僕ら放送局ができるのは強いコンテンツを作ること。ネットでも様々なニュースが配信されていますが、放送局の強さはニュースひとつとっても自分たちでしっかりと掘り下げて取材をしていることではないでしょうか」ドラマにせよ、バラエティーにせよ、質が高いといわれる日本のテレビ番組。だが、評価されるのはアニメばかり。強いコンテンツで国内のみならず、世界を席巻してほしいもの。2年前に荒井さんが、番組販売でベトナムを訪れた時、『おしん』以来、日本のドラマが全く放送されていないことを知り、大変なショックを受けたのだとか。「海外に出ていけるストロングコンテンツを作らなければと痛感しました。良質なドラマをそのままの形で放送する。『アイアンシェフ』のようにバラエティー番組をフォーマットとして販売する。もっと言えば海外で現地スタッフたちと一緒に制作する。形はどうあれ、世界に通用する日本のテレビ番組として、クールジャパンの先兵となって、日本人が自信と勇気を取り戻すきっかけになれればうれしいですね」
■フジテレビ編成制作局長・荒井昭博さん
1962年生まれ。85年にフジテレビに入社。92年『夢がMORIMORI』を立ち上げ、当時無名だったSMAPを起用。95年『笑っていいとも!』プロデューサーに。その『SMAP×SMAP』など、多数の人気番組を手がけ、07年に編成部長。11年6月より現職。
https://socialnews.rakuten.co.jp/link/148688