近藤真彦と田原俊彦 “元たのきんトリオ”の2人を分けた明暗【芸能記者稼業 血風録】
‡2020(令和二)年12月09日(水) 9:26配信 日刊ゲンダイDIGITAL
写真◆田原俊彦(C)日刊ゲンダイ
【芸能記者稼業 血風録】#101
近藤真彦(56)の不倫がさまざまな波紋を広げている。近藤の妻が激怒。離婚の話も取り沙汰されているが、別な視点から見えてくるものもある。まずは不倫の決め手となった沖縄旅行。ゴルフを兼ねていたとはいえ、同伴の男性諸氏は、不倫をカムフラージュするためだったとの見方が妥当だろう。それだけに「絶対、バレない」という自信が近藤の油断につながった。芸能人のデートにカムフラージュを付けるケースは昔からよくあったが、時にはもろ刃の剣になることもある。近藤の同伴者はタニマチ的な存在だとみられる。事務所とは関係ない極めて個人的な付き合いのある人物。タニマチ的な人を取材した経験から私なりに分析してみた。芸能人と個人的な付き合いを持つことは優越感を満足させるもの。初めて芸能人と飲んだだけでも自慢げに話す人がいるが、タニマチはその集大成的な存在だ。ましてや誰も知らない秘密を知っていればこれ以上の優越感はなく、誰かに話したくなるのが心理だ。真っ先に話すのが家族や親友。「内緒の話」は漏れやすく、また誰かに話す。やがて伝言ゲームのように伝わりメディアの網にも引っかかる。そんな推測も成り立つ。似たようなケースがあった。“たのきんトリオ”で近藤と人気を二分した田原俊彦(59)が人気絶頂の頃だった。箱根のホテルで女子大生と密会という記事を報じた。当時、ジャニーズファンから伝言のように伝わった話からたどりついたのが田原と女子大生の話だった。「ファンのひとりが田原さんに誘われている」という話だった。話はさらに具体的になり「いつ、どこで会う」まで聞けた。取材に行くまで「本当?」と正直、半信半疑だったが、話は情報通りだった。女子大生は小田原まで一人で行き、カムフラージュ役と思われる面々が車で迎えに来た。名前などは伏せるが業界関係者だった。田原は仕事で遅れて合流。一夜を共にした。この取材を通して見えてきたのがファン心理だった。情報提供の表向きの理由は「田原君は遊びでしょう。彼女が可哀想だったから」と言っていたが、本音は違う。現在のようにSNSなどない時代でもファン同士は電話などで情報交換。密度の濃い情報が飛び交う。特に「女性」の話には敏感だ。情報を得たところでファンは微妙な変化をもたらす。女性に対する嫉妬心である。ファンのひとりからこんな話を聞いた。「ジャニーズの場合、熱愛が発覚すると事務所が別れさせるという話がある。週刊誌が記事にすれば別れてくれる」別れさせるためにあえて情報を提供する。ジャニーズファンの多くは疑似恋愛をしている。特定の恋人らしき存在は許さない。実際、熱愛発覚後、別れたケースも少なくない。ファンを大切にするゆえ、恋愛は最大の裏切り行為だ。人気にも影響する。今は結婚にも寛大になったとはいえジャニーズに所属している近藤は56歳になった今もアイドル枠。ジャニーズを早々に退所。のびのびと活動している田原が生き生きとして見える。
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マッチ引退窮地…事務所の後ろ盾・人望・居場所すべてナシ
傲慢マッチ処分の裏側…“育ての親”メリー氏が苦渋の選択
◎オラ・ジョヴォヴィッチ | 二人とものびのびやってることには変わりないでしょ。しかし地道にギタリストとしてのキャリアを積み上げた野村義男がトリオの中で一番の成功者かもしれないよね。
◎人間の評価は棺の中に入った時に決まるってよく言われてましたねぇ。鬼籍に入った後に再評価される人もいるし?!個人的にマッチに言いたい事は、中森明菜を返せ。。。
◎匿名 | ダラダラと記事にまとめなくても明白ですよね。トシちゃんは地道に努力を重ねてコツコツと活動してきた結果が今。マッチは事務所に守られて自己防衛を知らなかった結果が今年。以上です。
◎マッチの話が上がると必ずトシちゃんが出てきます。評価されるのは嬉しいけど、トシちゃんの姿勢は変わらない。ファンとしてはもうマッチとの話はいいです。
◎トシちゃんは明菜ちゃんをずっと気にかけている。優しいんだよね。
◎きなこ | 近藤真彦はやり方が酷い!人間性の問題でしょう。56歳でアイドルとは?誰が近藤真彦と疑似恋愛してるの?今はそんな人ほぼいないでしょう。
◎人間性 田原俊彦は 本業をストイックにやり続けている 歌って踊ってステージに立ちファンを楽しませる ステージのクオリティは高く 芸能界デビューから今も基本は全くブレない コロナ過の 配信ライブもファンの為に出来る限りを尽くす姿勢 田原と近藤を 比べるなら 女性関係は邪道 その大差は 芸能 芸術面で必然的につく 近藤は事務所の長男やらずレース界に身を移していたら良かったかも、、
◎マッチの不倫には全く関係のない何年も前のトシちゃんとファンの子の事を今ここに記事にするのって変でしょ!トシちゃんが今でも活躍してるのはトシちゃんの努力だよ!
◎去年の氣志團万博でトシちゃんや地図の御三方を久しぶりに生で観たけど皆んな楽しそうで凄く良かったよ。特にファンて訳では無いけどやっぱスターだな…とマジで思った
◎アーティストとしてのプロフェッショナル魂がまったく違います。トシちゃんとマッチは同じ物差しでは語れませんよね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/627d70e01b87157af9d870995dd5451e94ef698e
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┃ 『We Love SEIKO -35th Anniversary ┃
┃ 松田聖子究極オールタイムベスト50Songs-』 ┃
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‡2015(平成27)年12月09日(水) リリース
2017(平成29)年11月15日(水) Deluxe Edition
2015(平成27)年12月21日(月)付のオリコン週間アルバムランキングで初週5.0万枚を売り上げ、3位に初登場した。週間アルバムTOP3入りは、『Vanity Fair』が
1996(平成八)年06月10日(月)付で2位を獲得して以来、19年半ぶり。ベスト盤では
1987(昭和62)年11月21日(土)発売、最高①位『Snow Garden』が
1987(昭和62)年12月14日(月)付で3位を記録して以来、28年ぶりとなったヨ(=^◇^=)
私は、2015年の今年、デビュー35周年を迎えました。
ここまでくることができたのは、
たくさんの皆様の応援のおかげだと心から感謝いたしております。
本当にありがとうございます。
私は、デビューしてから35年間、
たくさんの素晴らしいアーティストのかたがたに素敵な曲を書いていただきました。
私が歌ってきた全ての曲は、私にとってキラキラ輝く大切な宝物です。
この宝物を、デビュー35周年という特別な年に、
ベストアルバムという形で皆様にお届けすることができることになりました。
このベストアルバムは、私にとってもずっと忘れることのできない
貴重な思い出になることでしょう。
私の35周年は、応援してくださった皆様の35周年でもあります。
皆様と私とで一緒に歩んできた35年を、
このベストアルバムと共に振り返り、楽しんでいただけたら幸いです。
これからも、皆様への感謝の気持ちを胸に頑張ってまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。
2015年12月9日 松田聖子
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https://ja.wikipedia.org/wiki/We_Love_SEIKO_-35th_Anniversary_松田聖子究極オールタイムベスト50Songs-
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┃ 松田聖子様 TV御出演 西暦1982(昭和五十七)年 ┃
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|1982(昭和57)年12月 9日(木)|♪野ばらのエチュード♪『』
└─――――――――――――┘03:01
1982.12.9野ばらのエチュード 松田聖子03:01
82映像◆http://list.youku.com/albumlist/show/id_19385570.html
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┃ 過去の今日の松田聖子様 ┃1987(昭和62)年12月9日(水)
┗━━━━━━━━━━━━━┛レコーディングのためLAに出発、デビット・フォスターのプロデュース
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┃ 過去の今日の松田聖子様 ┃1996(平成八)年12月 9日(月) 3回目 熊本ホテルキャスル
┗━━━━━━━━━━━━━┛1996(平成八)年12月10日(火) FNS歌謡祭
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
http://www.universal-music.co.jp/matsuda-seiko
http://www2a.biglobe.ne.jp/~seikofan/html/text/his1b.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
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┃ 『夜のヒットスタジオ』司会一代目:前田武彦・芳村真理 ┃
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①|歴代出演歌手-前田武彦・芳村真理司会時代Ⅰ(1968~1969)|
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‡第0006回 1968(昭和43)年12月 9日(月) 和田弘とマヒナスターズ、森進一、布施明、奥村チヨ、大形久仁子、
じゅん&ネネ、中井昭、高橋勝とコロラティーノ、泉アキ
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②|歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(1-2)68年11~12月② |改訂版
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♪愛するってこわい♪ じゅん&ネネ ※初出演
♪花になりたい♪ 奥村チヨ ※初出演
♪思案橋ブルース♪ 高橋勝とコロラティーノ ※初出演
♪想い出の夕焼け♪ 泉 アキ ※初出演
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|『夜ヒット』今夜のエピソード|
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■第六回 (nana) 2008-03-06 12:06:37 1968年12月9日(第6回)の出演者の中に布施明がいました。三億円事件の数時間前。なにを歌ったかは覚えていません。
■Unknown (resistnce-k) 2008-03-06 13:18:32 このときも恐らくですが「愛の香り」を歌っていると思います。次のシングルである「華麗なる誘惑」は69年1月10日の発売で、まだ1ヶ月も間が開いてますからね・・・。そういえば三億円事件の参考人の一人として、布施明が事情聴取を受けたという話がありましたね。ほかにも学生だったころの高田純次とかもそうでしったけ。記事作成しているときは全く気づかなかったんですけど、そういえばありましたね、そんな話。でもよくよく考えてみると、この当時、布施朗は渡辺プロの所属、紅白にも前年から連続出場を果たし、いくら知名度が高いといっても、当時既に大御所であったクレイジー・キャッツやピーナッツとは違い、事務所の序列(この事務所は徹底した年功序列型の人事体系を引いていることで有名でしたね)からいけばまだデビュー5年に満たない「若手」。自分の意思で仕事を選び、その間に余暇を作るなどという力は当然になく、仕事は夜中まで事務所側からびっしりと詰め込まれていたはず(この当時、確か彼は他の歌番組やドラマ(何という番組かは記憶にないですが)にもレギュラー出演していたはずです・・・)なので、まずは「あり得ない話」ですよね・・・。まあ・・・、よほど犯行者が発見できないために、片っ端から府中市付近に住んでる学生や若者連中を一から聴取して何とか有力な供述証拠を得たい、という当時の当局の「焦り」が感じられるエピソードでもあります。戦後犯罪史の中でも、これほどまでに捜査が難航を極めた事件もそうそうないですからね。
■なつかしの夜のヒットスタジオ (みっちやん) 2008-03-14 01:12:08 森進一が花と蝶を歌っているとき、バックで畠山みどりが日舞を踊っていました。もう四十年も経つんですね・・・あの時の画像、私の脳裏ではまだ鮮明です。
■初期のヒットスタジオはまさに「夜の盛り場」の雰囲気にピッタリだった? (resistnce-k) 2008-03-14 18:44:54 >>森進一が花と蝶を歌っているとき、バックで畠山みどりが日舞を踊っていました。こういうシーンもあったんですね・・・。勿論、私はいま20代ですから、この時代ということになると、私の親の世代の話になってしまい、ほとんど人伝に聞いた話しかわからないんですよね・・・。ただ、当時のゲストの人選を見ていてわかるのは、何となくですが、思っている以上に「夜のイメージ」が強かったのかな・・・ということでしょうかね。レギュラーに東京ロマンチカ、常連として初めの頃はロス・プリモス、その後から息の長い人気を誇ったクールファイブ、そのほかにも第一人者のマヒナスターズに、ラテン系のロス・インディオス、マイナーなところではコロラティーノ、外国人をメンバーに据えたカサノバ7、「おんな占い」のフルセイルズ・・・・、ムードコーラスのグループの名前がかなり多く登場しますしね・・・。(反面GSバンドの出演は最初の1年間は全くなかったみたいですが)歌っていた歌も「君は心の妻だから」「夜の柳ヶ瀬」「噂の女」「さようならは五つのひらがな」などなど・・・タイトルだけみてもまさに「夜の盛り場」を連想させる作品が次々と登場しますからねえ。うちの父親は若い頃、名古屋方面で営業マンをやっておりまして、よく森進一の「盛り場ブルース」の歌詞にもある、広小路・今池あたりも家に帰らず(汗)夜になると遊びに興じていたそうで、ある酒場でこの頃の夜ヒットが流れていたのを見たのが、この番組を最初に知った瞬間だったと言っていました。井上順時代以降からしか(映像的には)知らない私にはちょっと想像しづらい話ではあるんですが、まあ、出演者の顔ぶれ、曲目を見ると何となくそうだったのかな・・・と納得はできますね(エピソードと関連性が薄い話のしめ方で申しわけありません・・・笑)。貴重なエピソード話、本当にありがとうございました。初期、マエタケ時代のヒットスタジオの曲目を順次アップしておりますので、この時代で印象した場面などありました気楽にレスを残してください。この時代の視聴者の方々からのエピソードは本当に「貴重」ですんで・・・。
http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/29c6599dd4ac800e2df84f6c1508bd3b
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/cfa22197162eba79b973b135a5bd830e
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/3cf200437c58bfd4ad979d0ea641a217
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┃ 『夜のヒットスタジオ』司会二代目a:芳村真理・三波伸介・朝丘雪路 ┃
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┌─―――――――――――――――――――――――――┐ ㊦↓はのちのマンスリー歌手の走りカナ?(=^◇^=)
①|歴代出演歌手―芳村真理・三波伸介司会時代(1974~1976)|※五木ひろし①週連続出演
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‡第0318回 1974(昭和49)年12月 9日(月) 都はるみ、五木ひろし、八代亜紀、中条きよし、野口五郎、殿さまキングス、ほか
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②|夜ヒット・初出演データ(10) 司会者不在→芳村・三波・朝丘時代(1973,10-1976,3)|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
※本日は初出演歌手歌省はありま千と千尋ですヨ(=^◇^=)
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③|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅲ(1974,4~1976,3)|
└─――――――――――――――――――――――――┘◎昭和49(1974)年12月16日(月)(第319回)から昭和49(1974)年12月23日(月)(第320回)まで。同年より制定された「FNS歌謡祭・音楽大賞」特集を組む。同年の年間グランプリを♪みれん♪で受賞した五木ひろしは、この2回を含め、12月9日放送~12月30日放送まで4回連続で出演
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/01012ceff2b26199c8c4289afd6a847e
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/e9076525754d4fda5df0b443ce4adea8
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┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』司会四代目:芳村真理・古舘伊知郎 ┃
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①|歴代出演歌手―芳村真理・古舘伊知郎司会時代Ⅱ(1987~1988)|
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‡第0991回 1987(昭和62)年12月 9日(水) 渡辺謙(マンスリー2)、ドナ・サマー、五木ひろし、郷ひろみ、チョー・ヨンピル、柴田恭兵、ラウドネス、
THE ALFEE、森川由加里、少年隊、芳本美代子(特別ゲスト:アン・ルイス、鈴木雅之、バブルカムブラザーズ
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②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(3) 芳村・古舘時代後期(1987,1-1988,2)|
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‡第0991回 1987(昭和62)年12月 9日(水) ♪Dinner With Gershwin♪ ドナ・サマー
♪So Lonely(アレスの嘆き)♪ ラウドネス
♪SHOW ME♪ 森川由加里
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③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ22年史(29) 1987年10-12月(第982-994回)|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0991回 1987(昭和62)年12月 9日(水) ドナ・サマー ♪Dinner With Gershwin♪
渡辺謙 ♪二人のProfile♪
柴田恭兵 ♪大人になる前に♪
郷ひろみ ♪I Love Youの香り♪
チョー・ヨンピル ♪想い出迷子♪
THE ALFEE ♪1月の雨を忘れない♪
鈴木聖美 ♪TAXI♪
ラウドネス ♪SO LONLEY(アレスの嘆き)♪
森川由加里 ♪SHOW ME♪
芳本美代子 ♪ハートのイヤリング
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④|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅸ(1986,4~1988,2<第1000回・芳村勇退まで>)|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘伝説のブリティッシュバンド「ビートルズ」の時代より50曲以上もの全米ベスト10圏内のヒット曲を生み出すなど数々の偉業を成し遂げ「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」のとしてギネスブックにも認定を受けるなど、名実ともにポピュラー音楽を代表するアーティストであるポール・マッカートニーが衛星中継で夜ヒットに登場し、♪ONCE UPON A LONG AGO♪を披露。曲前のインタビュー中に、当日のスタジオゲストの一組である少年隊の東山紀之からの要望に応じて、彼あてに色紙にサインを即興で書き、後日その色紙が番組放送中に東山の元に手渡された(●12月9日放送)
ポール・マッカートニーの『夜のヒットスタジオ』出演
1987(昭和62)年11月18日 夜のヒット・スタジオDeluxe
1989(平成元)年 6月 7日 夜のヒット・スタジオDeluxe
http://jash.hacca.jp/paul/paul_video/live01.htm
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/8656d50951a618ed615a3ebb733fda6f
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/76014af4fe0adde865baa590af25d1da
③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/5da79108c9852a367b622af9e0a37318
④http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/709775bd2cf570fb74385eafdd89fc36
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┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━┛1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
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┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
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┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
************************* http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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]森高千里 NEW SEASON~はだかにはならない http://youtu.be/K7T7iYpHP9Q
1989.12.9(sat) in ANF 「森高ランド」発売前日ミニLive
渡良瀬橋に行ったのか?わからないがスタジオでくしゃみをして風邪をひいていたことが判明した森高千里だヨ(=^◇^=)
1989(平成元)年の10月から11月まで業界最多の21本の学園祭をこなし学園祭の女王と呼ばれるヨ(=^◇^=)