過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のetSETOraだヨ(=^◇^=)O♂

そもそも、日本と日本人を貶めている慰安婦問題は、元軍人の吉田清治氏が1983年に出版したフィクション本「私の戦争犯罪」と、朝日新聞が91年8月に掲載した「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という事実誤認の記事で広まり、調査のずさんさが指摘されている93年の「河野洋平官房長官談話」で定着した。
万死に値する朝日・慰安婦報道 (その2)
― 朝鮮人慰安婦 ―
     5    朝日慰安婦報道の始まり
1991(平成3)年8月11日付け朝日新聞は、「ソウル10日発 植村 隆 」 として、〈 思い出すと今も涙 〉と大きく横見出しをとって、〈 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く 〉 のもと、次のようにつたえました。
1991年8月11日付け朝日新聞

 〈 日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」 の名で戦場に連行され 、
 日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、
 1人がソウル市内に生存していることがわかり、
 「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹 貞玉・共同代表、16団体約30万人)が
聞き取り作業を始めた。同協議会は10日、
 女性の話を録音したテープを朝日新聞社に公開した 。・・・ 〉

 この報道は、強制連行された元慰安婦の生存者1人が分かったというのです。この記事によって、慰安婦が強制連行されたとして大問題に発展するのですから、植村記者のスクープといってよく、本人も「してやったり」と鼻高々であったに違いありません。
  4ヵ月後、この元慰安婦を含めた“太平洋戦争の犠牲者” を原告にした補償請求裁判が起こされる前触れとなったのでした。なぜこのテープが朝日に持ち込まれたのかは後述するようなワ ケ があったのです。

    (1)   意図が丸見え
 この女性は中国東北部(旧満州)生まれ、17歳のとき200~300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れていかれ、毎日3、4人の相手をさせらたといいます。数ヵ月後に逃げることができ、戦後はソウルに落ちついたということです。
  朝日報道3日目の8月14日、この女性は金 学順 という実名を初めて出し、ソウルでの記者会見に臨みました。彼女こそ、終わりの見えない慰安婦問題の中心人物の一人であり、象徴的な女性といってよいでしょう。
  このときの発言を、8月15日付けの左派系の現地紙「ハンギョレ新聞」が次のようにつたえています(西岡力、「文藝春秋」1992年4月号ほか)。

 〈  生活が苦しくなった母親によって14歳のとき平壌にあるキーセンの検番に売られていった 。
  3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れられていった所が、
  北中国の日本軍300名余りがいる部隊の前だった。 〉

  本人が話すとおり、「キーセン」(妓生) として売られたのであって、「女子挺身隊」として日本官憲の強制力で連行されたのではなかったのです。「女子挺身隊 」 というのは、終戦も近い1944(昭和19)年8月の「女子挺身勤労令」 により、勤労奉仕として工場などに動員されたもので、慰安婦とはなんの関係もありません 。
  ですが、韓国では「 従軍慰安婦=女子挺身隊(員)」と決めつけ、子どもまでも女子挺身隊として動員されたとしています。つまり日本軍兵士の慰みものとして連行されたとする朝日記事に乗ったのでしょう、韓国マスコミが一斉にあおったため、日本非難に一層、油を注ぐことになったのです。
  「従軍慰安婦=女子挺身隊(員)」とする事実とかけ離れたこんな馬鹿なことも、さかのぼれば朝日報道に行き着きます。それが、今では少女の慰安婦像 がアメリカに建立され、日本人の反人道的な悪逆さが喧伝される事態にまで進んでいるのです。
  こうした事実関係があるにもかかわらず、植村 隆記者は「女子挺身隊の名で戦場に連行された」 と書き、「慰安婦強制連行」 を強く示唆しました。報道の意図するところはミエミエでしょう。しかも、植村記者は金 学順がキーセンとして売られたことを故意に隠し、記事にした疑いが濃厚なのです。
  というのも、植村記者がこの事実を知らなかったとは考えにくく、その後、彼女について長文の署名記事(同年12月25日付け)を書きながら、キーセンとして売られたことをやはりつたえていないからです。ですから、故意に書かなかった、そこに不純な動機(功名心、訴訟の応援など)があったと疑われて当然のことですし、おそらく当たっているはずです。
  朝日は、おかしいとの抗議にもかかわらず今日なお、間違いを明確に認めていないのです。彼女は日本に補償を求め、原告の一人として東京地裁に訴えを起こすことになります。

    (2)   縮刷版から消えた「女子挺身隊」
朝日新聞
  左画像は縮刷版からコピーしたのものです。ですがこの記事、おかしなことに8月11日付けではなく8月12日付けなのです。
  「ソウル10日 植村隆」とあり、冒頭(リード部分)の文章も同一ですので、同じ記事のはずですが、見出しが「慰安婦の痛み 切々と」 とあり、「 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」 と違っています。
  見出し、記事、レイアウトなどは版が違えば変わるのは普通の事ですからよしとして、不思議なのは11日の縮刷版に記事の掲載がなく、12日に掲載されていることです。
  しかも、縮刷版の冒頭は、

〈 日中戦争や第2次大戦の際、戦場に連行され 、
 日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、
 1人がソウル市内に生存していることがわかり、・・・ 〉

 となっていて、〈 『 女子挺身隊』の名で 〉 という重要部分がきれいに消え去っています。
  この消去された記事が、何版から何版まで掲載されたのか( あるいは掲載されたものは実在せず、縮刷版にのみ登場 ? )、分かりません。ですが、どんなに遅くとも縮刷版の編集時点で、朝日は間違いに気づいていた、「女子挺身隊」は間違いだと認識していたことは明らかです。ならば、紙面を通じて訂正するのが当たり前というものでしょうが、朝日は間違いを絶対といってよいほど認めません。
  私の推量ですが、間違いを認めれば、社内的に責任の所在を明らかにする必要がでてきます。誰かに傷がつくおそれがあります。そこで、ウヤムヤにしてそれを避けたのだと思います。
  この種の小手先の「改ざん」は他にも例があり、珍しいことでもないのです。誰もが傷つかない、傷つけないという永年の経験からきた朝日新聞社諸氏の知恵なのでしょう。ですから、植村記者もおとがめナシだったのではないでしょうか。

    (3)   金 学順ら35人、東京地裁に提訴
  途中経過は略しますが、金 学順氏ら元慰安婦3人を含む元軍人、遺族ら35人が、1991(平成3)年12月6日、日本政府を相手に補償請求(2000万円)の訴訟を起こしました。
原告の1人、金 学順  前述の植村記者による報道が8月11日でしたから、わずか4ヵ月後になります。また、彼女らを裁判に引き出したのは高木 健一弁護士 らでした。
  同日付け朝日夕刊は第1面で取り上げ、こう書き出します。

〈 日本による植民地支配を受け、戦地にかり出された元従軍慰安婦や
軍人・軍属、遺族らでつくる韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」 ( 会員約1万5千人)のメンバー35人が6日、
 日本政府を相手取り、植民地支配と戦争で被った犠牲の補償として、
 1人当たり2千万円の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こした。 〉

 上の写真は提訴時のものですが、タスキに「太平洋戦争犠牲者遺族会」と書いてあります。
提訴を伝える1991年12月6日付け朝日夕刊一面  130ページを超す長文の訴状だったとし、以下のように記事はつづきます。
  〈(訴状は ) 日本による植民地支配の実態と原告らの経歴を詳述。中でも10万人とも20万人ともいわれる従軍慰安婦に対する日本国と軍の行為を、人道に対する罪の典型だと指摘している。〉
  〈  従軍慰安婦として前線に狩り出された3人は、当時15歳から18歳だったが、組織的、強制的に故郷から引きはがされ、逃げることのできない戦場で、日本兵の相手をさせられた 〉

  元慰安婦3人が前線に狩り出されたとありますが、誰が狩り出したのか、日本官憲とは明示されてなく、なんとなく日本軍の強制という文脈で読んでしまいます。このように、主語が明らかでないことは、韓国慰安婦の証言に共通する点 なのです。
  また、この報道のどこにも、金学順がキーセンとして売られたことは書いてありません。訴状にはこのことも書かれているとのことで、この報道も、知りながら故意に隠しつづけたとの疑いが残るのです。
  外務省アジア課の談として、慰安婦の苦しみについて「深い心のいたみと同情を禁じえない」としながら、「一般論として、日韓両国間の財産請求権の問題は、1995年の日韓基本条約と関連協定で完全かつ最終的に解決済みだ」として、記事は終わります。
  なお、植村記者の夫人は本訴訟の推進役「太平洋戦争被害遺族会」の常任理事(後に会長)・梁 順任 の娘という関係にあることは一部でしょうが知られている事実で、梁 順任もまた原告の一人に名を連ねています。
  だからこそ、冒頭の録音テープが朝日、というより植村 隆記者個人の手に渡ったのです。
  まったくもってお笑いなのですが、2011年5月に入って、「補償金目当ての詐欺容疑」 で梁 順任を含む数十人 が韓国警察によって摘発され、「太平洋戦争犠牲者遺族会」と彼女らのいかがわしさが明らかになるのでした。
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/ianfu/ianfu-asahi-2.html

 

 

●保存版●保存版●保存版●保存版●保存版●保存版●
そもそも、日本と日本人を貶めている慰安婦問題は、元軍人の吉田清治氏が1983年に出版したフィクション本「私の戦争犯罪」と、朝日新聞が91年8月に掲載した「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という事実誤認の記事で広まり、調査のずさんさが指摘されている93年の「河野洋平官房長官談話」で定着した。
万死に値する朝日・慰安婦報道 (その2)
― 朝鮮人慰安婦 ―
     5    朝日慰安婦報道の始まり
 1991(平成3)年8月11日付け朝日新聞は、「ソウル10日発 植村 隆 」 として、〈 思い出すと今も涙 〉と大きく横見出しをとって、〈 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く 〉 のもと、次のようにつたえました。
1991年8月11日付け朝日新聞

 〈 日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」 の名で戦場に連行され 、
 日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、
 1人がソウル市内に生存していることがわかり、
 「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹 貞玉・共同代表、16団体約30万人)が
聞き取り作業を始めた。同協議会は10日、
 女性の話を録音したテープを朝日新聞社に公開した 。・・・ 〉

 この報道は、強制連行された元慰安婦の生存者1人が分かったというのです。この記事によって、慰安婦が強制連行されたとして大問題に発展するのですから、植村記者のスクープといってよく、本人も「してやったり」と鼻高々であったに違いありません。
  4ヵ月後、この元慰安婦を含めた“太平洋戦争の犠牲者” を原告にした補償請求裁判が起こされる前触れとなったのでした。なぜこのテープが朝日に持ち込まれたのかは後述するようなワ ケ があったのです。

    (1)   意図が丸見え
 この女性は中国東北部(旧満州)生まれ、17歳のとき200~300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れていかれ、毎日3、4人の相手をさせらたといいます。数ヵ月後に逃げることができ、戦後はソウルに落ちついたということです。
  朝日報道3日目の8月14日、この女性は金 学順 という実名を初めて出し、ソウルでの記者会見に臨みました。彼女こそ、終わりの見えない慰安婦問題の中心人物の一人であり、象徴的な女性といってよいでしょう。
  このときの発言を、8月15日付けの左派系の現地紙「ハンギョレ新聞」が次のようにつたえています(西岡力、「文藝春秋」1992年4月号ほか)。

 〈  生活が苦しくなった母親によって14歳のとき平壌にあるキーセンの検番に売られていった 。
  3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れられていった所が、
  北中国の日本軍300名余りがいる部隊の前だった。 〉

  本人が話すとおり、「キーセン」(妓生) として売られたのであって、「女子挺身隊」として日本官憲の強制力で連行されたのではなかったのです。「女子挺身隊 」 というのは、終戦も近い1944(昭和19)年8月の「女子挺身勤労令」 により、勤労奉仕として工場などに動員されたもので、慰安婦とはなんの関係もありません 。
  ですが、韓国では「 従軍慰安婦=女子挺身隊(員)」と決めつけ、子どもまでも女子挺身隊として動員されたとしています。つまり日本軍兵士の慰みものとして連行されたとする朝日記事に乗ったのでしょう、韓国マスコミが一斉にあおったため、日本非難に一層、油を注ぐことになったのです。
  「従軍慰安婦=女子挺身隊(員)」とする事実とかけ離れたこんな馬鹿なことも、さかのぼれば朝日報道に行き着きます。それが、今では少女の慰安婦像 がアメリカに建立され、日本人の反人道的な悪逆さが喧伝される事態にまで進んでいるのです。
  こうした事実関係があるにもかかわらず、植村 隆記者は「女子挺身隊の名で戦場に連行された」 と書き、「慰安婦強制連行」 を強く示唆しました。報道の意図するところはミエミエでしょう。しかも、植村記者は金 学順がキーセンとして売られたことを故意に隠し、記事にした疑いが濃厚なのです。
  というのも、植村記者がこの事実を知らなかったとは考えにくく、その後、彼女について長文の署名記事(同年12月25日付け)を書きながら、キーセンとして売られたことをやはりつたえていないからです。ですから、故意に書かなかった、そこに不純な動機(功名心、訴訟の応援など)があったと疑われて当然のことですし、おそらく当たっているはずです。
  朝日は、おかしいとの抗議にもかかわらず今日なお、間違いを明確に認めていないのです。彼女は日本に補償を求め、原告の一人として東京地裁に訴えを起こすことになります。

    (2)   縮刷版から消えた「女子挺身隊」
朝日新聞
  左画像は縮刷版からコピーしたのものです。ですがこの記事、おかしなことに8月11日付けではなく8月12日付けなのです。
  「ソウル10日 植村隆」とあり、冒頭(リード部分)の文章も同一ですので、同じ記事のはずですが、見出しが「慰安婦の痛み 切々と」 とあり、「 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」 と違っています。
  見出し、記事、レイアウトなどは版が違えば変わるのは普通の事ですからよしとして、不思議なのは11日の縮刷版に記事の掲載がなく、12日に掲載されていることです。
  しかも、縮刷版の冒頭は、

〈 日中戦争や第2次大戦の際、戦場に連行され 、
 日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、
 1人がソウル市内に生存していることがわかり、・・・ 〉

 となっていて、〈 『 女子挺身隊』の名で 〉 という重要部分がきれいに消え去っています。
  この消去された記事が、何版から何版まで掲載されたのか( あるいは掲載されたものは実在せず、縮刷版にのみ登場 ? )、分かりません。ですが、どんなに遅くとも縮刷版の編集時点で、朝日は間違いに気づいていた、「女子挺身隊」は間違いだと認識していたことは明らかです。ならば、紙面を通じて訂正するのが当たり前というものでしょうが、朝日は間違いを絶対といってよいほど認めません。
  私の推量ですが、間違いを認めれば、社内的に責任の所在を明らかにする必要がでてきます。誰かに傷がつくおそれがあります。そこで、ウヤムヤにしてそれを避けたのだと思います。
  この種の小手先の「改ざん」は他にも例があり、珍しいことでもないのです。誰もが傷つかない、傷つけないという永年の経験からきた朝日新聞社諸氏の知恵なのでしょう。ですから、植村記者もおとがめナシだったのではないでしょうか。

    (3)   金 学順ら35人、東京地裁に提訴
  途中経過は略しますが、金 学順氏ら元慰安婦3人を含む元軍人、遺族ら35人が、1991(平成3)年12月6日、日本政府を相手に補償請求(2000万円)の訴訟を起こしました。
原告の1人、金 学順  前述の植村記者による報道が8月11日でしたから、わずか4ヵ月後になります。また、彼女らを裁判に引き出したのは高木 健一弁護士 らでした。
  同日付け朝日夕刊は第1面で取り上げ、こう書き出します。

〈 日本による植民地支配を受け、戦地にかり出された元従軍慰安婦や
軍人・軍属、遺族らでつくる韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」 ( 会員約1万5千人)のメンバー35人が6日、
 日本政府を相手取り、植民地支配と戦争で被った犠牲の補償として、
 1人当たり2千万円の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こした。 〉

 上の写真は提訴時のものですが、タスキに「太平洋戦争犠牲者遺族会」と書いてあります。
提訴を伝える1991年12月6日付け朝日夕刊一面  130ページを超す長文の訴状だったとし、以下のように記事はつづきます。
  〈(訴状は ) 日本による植民地支配の実態と原告らの経歴を詳述。中でも10万人とも20万人ともいわれる従軍慰安婦に対する日本国と軍の行為を、人道に対する罪の典型だと指摘している。〉
  〈  従軍慰安婦として前線に狩り出された3人は、当時15歳から18歳だったが、組織的、強制的に故郷から引きはがされ、逃げることのできない戦場で、日本兵の相手をさせられた 〉

  元慰安婦3人が前線に狩り出されたとありますが、誰が狩り出したのか、日本官憲とは明示されてなく、なんとなく日本軍の強制という文脈で読んでしまいます。このように、主語が明らかでないことは、韓国慰安婦の証言に共通する点 なのです。
  また、この報道のどこにも、金学順がキーセンとして売られたことは書いてありません。訴状にはこのことも書かれているとのことで、この報道も、知りながら故意に隠しつづけたとの疑いが残るのです。
  外務省アジア課の談として、慰安婦の苦しみについて「深い心のいたみと同情を禁じえない」としながら、「一般論として、日韓両国間の財産請求権の問題は、1995年の日韓基本条約と関連協定で完全かつ最終的に解決済みだ」として、記事は終わります。
  なお、植村記者の夫人は本訴訟の推進役「太平洋戦争被害遺族会」の常任理事(後に会長)・梁 順任 の娘という関係にあることは一部でしょうが知られている事実で、梁 順任もまた原告の一人に名を連ねています。
  だからこそ、冒頭の録音テープが朝日、というより植村 隆記者個人の手に渡ったのです。
  まったくもってお笑いなのですが、2011年5月に入って、「補償金目当ての詐欺容疑」 で梁 順任を含む数十人 が韓国警察によって摘発され、「太平洋戦争犠牲者遺族会」と彼女らのいかがわしさが明らかになるのでした。

    (4)   吉田証言で訴訟を応援
  訴訟を応援するためでしょう、朝日新聞をはじめ各紙は吉田証言をさかんに紙面に登場させます。また、各地で行われた市民グループなどの「訴訟支援集会」などを積極的に取り上げました。

      ①  朝 日 新 聞 ・・・ 北畠論説委員
  「 木剣ふるい無理やり動員」(1991年5月22日付け、大阪版)と書き、あるいは「 乳飲み子から母引き裂いた 日本は今こそ謝罪を」( 同年10月10日付け、大阪版)という見出しのもと、長文の記事を掲載しました。見出しだけでも「なんて日本人(軍)はひどいことをしたのか」と読者は思ったことでしょう。
  この2つは「語りあうページ 女たちの太平洋戦争」という欄に書かれたもので、筆者は井上 裕雅・編集委員でした。掲載日だけを見れば提訴より前ですが、提訴の動きがあることは、筆者を含む朝日記者は早くからつかんでいたに違いありません。
  提訴後の1992(平成4)年1月23日付け夕刊、コラム「窓 論説委員室から」に北畠 清泰 ・大阪本社論説委員は「従軍慰安婦」と題して以下のように書きました。


〈 記憶のなかで、時に心が痛むのは従軍慰安婦の強制連行だ。
 吉田さんと部下、10人か15人が朝鮮半島に出張する。
 総督府の50人、あるいは100人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。
 木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。
 一つの村から3人、10人と連行して警察の留置所に入れておき、予定の100人、200人になれば、下関に運ぶ。
 女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られて行った。
 吉田さんらが連行した女性は少なく見ても950人はいた。
  「 国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、
 1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。
 私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います 」

 吉田さんは78歳である。
 「遺言として記録を残しておきたい」と、60歳を過ぎてから、体験を書き、話してきた。 〉
  〈 マスコミに吉田さんの名前が出れば迷惑がかかるのではないか。
それが心配になってたずねると、吉田さんは腹がすわっているのだろう。
 明るい声で「いえいえ、もうかまいません」といった。 〉

 朝日新聞の読者はもとより、これらを目にした誰もが「強制連行」は疑いのない事実と思ったことでしょう。朝日新聞の記者が十分に裏づけをとったうえでの報道と読者は思ったはずですから。

   ②  東 京 新 聞
  提訴当日(1991=平成3年12月6日付け)の東京新聞も見ておきましょう。
  「慰安婦集めは軍命令」とするメインタイトル、「村も警官で囲む 一民間業者に出来ぬ 謝罪活動の吉田さん証言」のサブタイトルのもと、

〈 昭和17年から敗戦までの3年間、・・・吉田さんは朝鮮半島から
男性約5千人、女性約千人 を強制連行したことを明らかにした。
・・・4、5日から1週間で50人の若い女性を集めなければならない。
 朝鮮総督府の警察官や軍を使って農村を取り巻き、
 乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかったのだから村はパニック状態。
 女性たちは南方へ軍の船で送られるのだから、民間業者にできることじゃないですよ 」と話す。 〉

 などと吉田の話を核に大々的に報じました。
  毎日新聞も1992年8月12日と13日に報じ、13日付けでは吉田がソウル市で行われた慰霊祭に出て元慰安婦たちに謝罪したことなどを報じています。また、読売新聞も同年8月15日付けで大阪で開催された集会に吉田が出席し、100人を海南島に連行したとの証言を記事にしています。当然、日本中のテレビも競うように放送したことでしょう。私もこの頃、吉田清治が訪韓し、集会で謝罪する場面を見た記憶があります。
  このように、日本軍の「悪行」となると、ほとんどの報道機関が裏づけをとることなどまったく忘れてしまいます。「 1人だけの証言というのは危険、検証が不可欠 」 などという意見は当然のことのように無視されます。それもこれも日本軍を叩くことのみに目が奪われ、叩くことが国民を「善導」するくらいに記者連中は思っているのでしょう。その結果、日本軍の残虐さのみがイメージとして国民の脳裏に刻み込まれていったのです。

     6    「 軍 関 与 」 と報道
 1992(平成4年)1月11日付け朝日新聞は1面トップに、「 慰安所 軍関与示す資料」 「政府見解揺らぐ 」 などと大きな見出しを立て、吉見 義明・中央大学教授が発掘したという資料をもとに以下のように報じました。
  念のために記しておきますが、掲載日の1月11日は元慰安婦3人らを原告にして提訴のあった日から1ヵ月足らず、秦教授の済州島における慰安婦狩り調査報告が公表される4ヵ月ほど前に当たります。
  秦・報告書は月刊誌「正論」1992年6月号(5月1日発売)で発表され、これに先立つ4月30日付けの産経新聞(上記写真を参照)でその概略が報じられました。
  つまり、こういうことになるでしょう。
  報道時、朝日も吉見教授も吉田証言をもとに「慰安婦強制連行」間違いなしと考えていたでしょうし、日本軍叩くべしが朝日内の「支配的空気」だったことは間違いないでしょうから、この報道が訴訟を応援するためであったことは容易に想像できることです。
宮澤 喜一・78代首相  もう一つ大事なことがあります。このとき、宮沢 喜一首相 は韓国訪問を直前にしていて、この時期を狙って報道をぶつけたのではという疑いです。客観状況から、この疑いは十二分に考えられることですし、秦教授も2012年1月21日のシンポ「竹島・慰安婦問題の真実」で、これを肯定する見解を述べています。
  この報道のため、1月16日に訪韓した宮沢首相は、盧 泰愚(ノ テウ)・大統領をはじめとする韓国要人との会談で6回とも8回とも言われる謝罪の言葉を口にすることになったのです。してやったりと、朝日記者らはほくそ笑んだことでしょう。

    (1)   「軍関与」とは具体的に何なのか
 発見された「資料」には何が書いてあったのでしょうか。また、見出しにいう「軍関与」というのは何を指し、「強制連行」の存在を公的に裏づける資料だったというのでしょうか。
朝日新聞  記事によると、吉見 義明教授(日本現代史)が防衛研究所図書館に保管されていた「陸支密大日記」などの資料から見つけた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」と題したものとし、以下のように報じています。
  〈 日本国内で慰安婦を募集する際、業者などがトラブルを起こして警察ざたになるなどしたため、陸軍省兵務課が作成、派遣軍などに通達された。「募集などに当たっては、派遣軍が統制し、これに任ずる人物の選定を周到適切にし、実施に当たっては関係地方の憲兵および警察当局の連携を密にして軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮」するよう指示・・・〉 などと書かれ、梅津美治郎陸軍次官らの承認印が押されているとしています。
  また、歩兵41連隊の「陣中日誌」につづられていた北支那参謀長名の通牒の写しが見つかったとし、〈 占領地域内で交通網の破壊など治安回復が進まないのは、住民に対する強姦事件などの不法行為が反日感情を高め、軍の作戦を阻害しているため、とし、「すみやかに性的慰安の整備を整え・・・」と慰安所の設置を指示している。 〉と写しの内容を報じています。
  これらの資料は戦後、連合軍に押収され、ワシントンで保管されていたものが1958(昭和33)年に返還され、防衛庁の戦史資料室に引き渡されたとあります。
   そして、 吉見教授の「軍関与は明白 謝罪と補償を」とする談話を以下のように載せています。
 〈 当時、軍の部隊や支隊単位で慰安婦がどれだけいたかもわかる資料で、軍が関与していたことは明々白々。元慰安婦が証言をしている段階で「関与」を否定するのは恥ずべきだろう。日韓協定で、補償の請求権はなくなったというが、国家対国家の補償と個人対国家の補償は違う。慰安婦に対しては、謝罪はもとより補償をすべきだと思う。 〉

    (2)   何が証明されたのか
 では、この「新発見」で何が判明したのでしょうか。もっともこれらの資料は「新発見」ではなく、研究者の間では知られていたとのことです。資料の中身を要約すれば、次のようになるでしょう。
   ①  募集などにあたって、国内で業者などがトラブルを起こし警察ざたになったことを考慮し、現地でこうしたことを防ぐために、募集の任にあたる適切な人物を選定すること。実地にあたっては憲兵、警察と緊密にし、社会問題になることのないよう配慮すること。
   ②  住民に対する強姦などの不法行為を防ぐため、慰安所の設置が指示されていたこと。

  軍にとって、「結核と性病」 は厄介あつかいで、軍の内部に持ち込んではならない病でした。今と違って抗生物質もなく、蔓延する恐れが高かったからです。
慰 安 所  このため、結核は徴兵検査の際、慎重に検査され、戦争たけなわの頃でも重症と判断されれば兵役免除となりました。性病も同様に徴兵検査の対象となりましたし、兵の士気にかかわりますので、嫌われていたのです。ですから、慰安婦の性病予防は軍にとって関心事ですから、この面からも「慰安所」との係わり合い、つまり「軍の関与」がでてきたわけです。
  また、また募集業務にあたっては、誘拐まがいの民間悪質業者(朝鮮人女衒=ぜげん)を排除するために、業者の選択および指導・監督が行われました。
  こうしないと軍の名を使い、あるいは騙って募集が行われてしまい、軍の威信が失墜するからです。また、慰安所内で慰安婦が業者から金銭面で騙されたりしないよう監督してもいました。こうしたことは、将兵はじめ軍の関係者にとって周知の事柄で、こうした意味の「軍の関与」を否定する人など1人もいないはずです。もちろん慰安婦、慰安所の存在もです。
  ですから吉見教授がいう〈 「関与」を否定するのは恥ずべき行為 〉は、「強制連行」に日本が「関与」したことの証明がないかぎり、言えることではありません。新発見されたという資料には、「強制連行」を裏づけるものはなかったのですから。

    (3)   8~20万人を強制連行 ・・・ 朝日解説
  この報道が及ぼした影響をという点では、本文より次の「従軍慰安婦」の説明の方かもしれません。説明は上写真の右下にでていますが、全文をお目にかけましょう。

 〈 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、
 反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。
元軍人や軍医などによると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。
 太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行 した。
その人数は 8万とも20万人 ともいわれる。 〉

 明らかに女子挺身隊と慰安婦との区別がこの時点でもついていません。上述したように、〈 『 女子挺身隊』の名で戦場に連行された 〉 と報じたにもかかわらず、縮刷版では単に〈 戦場に連行された 〉とし〈 『 女子挺身隊』の名で 〉を落としていました。つまり、挺身隊について朝日としての定見はなく、ある記者は女子挺身隊=慰安婦、別の記者(あるいは別部門)は女子隊身隊≠慰安婦と認識していたわけで、一致していたことはといえば日本を叩くことだったのでしょう。
  しかも、8~20万人の慰安婦の大部分を占める朝鮮人慰安婦を強制連行した、というのが朝日見解であってみれば、この路線で報道しつづけたであろうことは、容易に想像できることです。この報道を韓国のメディアが飛びついて大騒ぎ 、その勢いに押されて韓国政府が日本に強く出ざるをえない、という悪循環がまたはじまったのです。そして、女子挺身隊=慰安婦が明らかな間違いであるにもかかわらず、朝日は明確に訂正していないのです。これは吉田証言についても同じでした(後述)。
  また、毎日新聞も〈 第2次世界大戦当時、朝鮮半島を中心として、約10万~20万人の10代から40歳未満までの女性が「挺身隊」の名で集められた。うち8割が朝鮮人ら、2割が日本人と推定される 〉(1992年3月5日付け)と書いています。
  慰安婦数については20万人は過大だとする声はあったのですが、秦教授が資料に当たって精査した結果、慰安婦総数は1万数千人、内訳は日本人(内地人)が最大 と見積もり、朝日、毎日記事とは慰安婦数はもとより、朝鮮人と日本人の割合も逆になるなど大差があります。
千田夏光 『従軍慰安婦』  では8万人~20万人の出所、とくに20万人はどこから出てきたのでしょうか。
  毎日新聞記者出身の千田 夏光(ノンフイクション作家 )が1973(昭和58)年、「声なき声 8万人の告発」として『従軍慰安婦』(双葉社。のち講談社文庫)という、慰安婦問題の草分けともいうべき本を出版しました(のちに続編も)。
  書名の「従軍慰安婦」という言葉は「従軍看護婦」などとは違って、もともと存在しない言葉でしたから千田の「造語」ということになりますが、彼が「従軍慰安婦」を最初に使用したといわれています。
  このなかで、千田は1969年の韓国の新聞(ソウル新聞)を紹介し、挺身隊として動員された数を「約20万人」、うち慰安婦数は「約5万人ないし7万人」としています。
  千田は秦 郁彦との対談で、20万人の出所について問われると、

〈 出所は不明です。ただ、私も新聞記者あがりなもんですから、
ちゃんとした新聞が書いた数字ですから、ほぼ信用したわけです  〉

 と答えています( 「論 座」、1999年11年9月号)。
  こんなあやふやな根拠でも、朝日という「大新聞」が書いたとたんに日本では事実と認知され、やがて世界で通用してしまうという恐ろしくも腹立たしい実例でしょう。

    (4)   「軍 関 与」 ・・・ 「慰安所司令官がいた」
  「軍関与」報道の11日後、つまり1月22日付けで、「慰安所司令官がいた」とするビックリ記事が朝日紙面を飾りました。この記事が「 慰安所 軍関与示す資料」とした1月11日付け報道を補強するものであったことは明らかでしょう。これも吉田証言に関する報道と同様の怪しげな記事、というよりとんでもない誤報道で、朝日のなりふり構わぬ意図が丸見えとなった報道になりました。
  慰安所司令官の存在が事実とすれば、慰安所は軍の直営ということになるでしょうから、軍と慰安所は組織上一体、関与の度合いが1段も2段も深まります。
  記事は東京都千代田区に住む69歳の元憲兵の証言によるもので、「千葉県地区慰安所司令官」は県下の慰安所を巡回していたというのです。また、1945年(昭和20=終戦の年)、憲兵伍長の身分を隠して、当時、米軍の上陸予想地点とされていた千葉県九十九里の部隊に潜入、慰安婦8名に50円ずつ与え、客の軍人(もちろん日本兵)から陣地構築の模様や地雷設置の確度の高い情報を集めていたともいうのです。
  何とも不思議な話です。何で憲兵がこんな手の込んだ方法で味方の情報をつかむ必要があったのでしょう。陣地構築の模様など、自分で見た方がはるかに早いでしょうに。とにかくおかしな話で、信じる方がどうかしていると思うのですが。
  ところが朝日の記者は疑問にも思わなかったとみえ、毎度のことといえばそれまでですが、こんな怪しげな証言でも飛びついて大がかりな記事に仕立てあげるのです。
  そもそも記者自身、軍隊の経験がないし、「学業秀才」ですから、虚言を見抜く知識、常識など特に持ち合わせているわけでもありませんし、一夜漬けで持てるわけもありません。ならば、裏づけを丹念にとる努力が必要でしょうに。
  ですが、朝日記者(他の新聞社だって大同小異)はしばしばこの過程を省いて既定の路線に沿って記事を仕立てあげようとします。ですから、「特定の組織」の情報や自社に持ち込まれた情報のみを根拠に記事を書いてしまうことになります。こうした不正確または虚偽事実のうえに、「反省のないわれら国民」 に向かって、「歴史を直視しよう」などと教訓、説教をたれるのです。
  「知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」 ともっともらしいことを書いたのは、先の北畠 清泰・論説委員でした。自分の間違いさえ訂正しないくせにです。
  第一、疑問に思った読者にとってみれば、この元憲兵氏の所属が不明ですから、本人へ問い合わせもできないことになります。一般読者は報道のままに信ずるしか選択肢がないのです。
  そこで、故・板倉 由明 は朝日の「読者広報室」に質問書を送りました。
  ・ 千葉県地区慰安所司令官のいた司令部は、軍制上どこに所属していたのか
 ・ 司令官の名前、階級など実在を証明するものは
 ・ 潜入した部隊名と証言者の所属隊を
 など5項目です。
  すでに、板倉は当時、千葉分隊にいた紅林宗一ら元憲兵らに確かめ、「そんな司令官は絶対に存在しなかった」など、元憲兵氏の朝日証言を真っ向から否定する証言をとっていました。私もこのときの状況を板倉から聞いていました。
  朝日の回答は、「(千葉県地区慰安所司令官の)軍制上の組織は分からない」など明確なものはなく、証言者についても「なお、本人の経歴や憲兵の身分などについて調査を継続しており、事実関係がはっきりした段階で、紙面で対応する所存です」と回答を結んでいます。さて、元憲兵氏の軍歴、証言の真贋を含め、紙面に出たのでしょうか。どうもなかったように思いますが。

       (5)   「強制連行」報道に血道をあげた N H K
  ニュース番組を見れば、トップを飾るのはいつも「従軍慰安婦」、こうした時期が長い間つづきました。前述した東京地裁への提訴が起点、つまり1991(平成3)年末からでした。いつまで続いたか、ハッキりしたことは分かりませんが、とにかく年単位の長さなのは間違いないと思います。わけてもNHKの大量報道、そのしつこさは異様でした。
  下の2コマの写真をご覧ください。1995(平成7)年8月、ETV特集「50年目の“従軍慰安婦”問題」 が2回にわたって放送され、そのタイトルを写したものです。

NHK「50年目の“従軍慰安婦”問題その①」 NHK「50年目の“従軍慰安婦”問題その②」 

 1回目は「 “ わかちあいの家 ” のハルモニたち」 (左上写真)で、韓国で共同生活をいとなむ元慰安婦だったという7人の韓国人(ハルモニ=あばさんの意)の生活、その3人の「労苦と怒り」などの体験談を交えながら番組が進みました。
  途中、日本軍に場面が変わり、次のように解説が加えられました。

 〈 第2次大戦中、中国大陸や東南アジア、太平洋諸島を侵略した日本軍は、
 占領地での日本軍兵士による強姦や兵士たちの性病予防などを目的に、
 当時植民地であった朝鮮半島を中心に若い女性を慰安婦として前線に送りました。
その数は 8万人とも20万人 とも言われました。 〉

 2回目は「 日本はいかに償うべきか 」 (右上写真)で、国連人権委員会のクワラスマミ・特別報告官(スリランカ人、女性)一行が、成田空港に到着する場面から始まります。女史は韓国で慰安婦からの聞き取り調査をした後に来日したとのことでした。
  放送は「従軍慰安婦」を以下のとおり定義しました。

 〈 従軍慰安婦とは、各地の日本軍が拘束して、脅迫のもとに、
 兵士たちに性的な奉仕をさせられた女性のことです 〉

 「強制連行」という言葉こそ使用されていませんが、内容は日本軍が「8万人~20万人」もの朝鮮人女性を「強制連行」し、兵士たちに体を売らさせたということであって、このNHK解説を、「なんて日本軍は酷いことをしたのだ。同じ日本人として恥ずかしい、申し訳ない」 など、日本軍に対する一層の嫌悪感をつのらせながら、視聴者は番組の意図するところを“正しく”受け留めたことでしょう。
  ところでこうした間違い、NHKは訂正したのでしょうか。それに吉田清治証言、それこそ「NHKスペシャル」とやらで、徹底的な取材を行って、視聴者に実態を知らせたのでしょうか。するわけありませんよね。

     7    日本政府、「軍関与」につづき、「強制」をも認める

    (1)   第1次政府調査公表 ・・・ 「強制連行」資料ナシ
 「軍関与」報道から6ヵ月を経た1992(平成4)年7月6日、加藤 紘一 官房長官の調査報告「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題について」とする調査結果(第1次)を発表しました。下写真はこれを報じた7月7日付け朝日新聞(1面トップ)です。
1992年7月7日付け朝日新聞"  見出しに見られる通り、政府の関与を認めたものの、強制連行は否定しました。以下にリード部分を引用します。
  〈 政府は6日、従軍慰安婦問題に関して進めていた調査結果を公表、これに基づき、慰安所の設置や経営・監督、慰安所関係者への身分証明書ぼ発給などの点で、政府が直接関与していたことを初めて公式に認めた。
  加藤紘一官房長官は同日の記者会見で、強制連行裏付ける資料はなかった としたが、韓国をはじめ、中国、台湾、フィ出身などの元慰安婦に対する日本政府としての謝罪の意を表明した。 〉
  つまり、日本政府は当時の軍の関係者なら誰でも知っていた「関与」を認め、強制連行については「あった」とする資料はなく否定したというわけです。
  この調査は防衛、外務、厚生、警察など6省庁に保存されていた文書127点の調査結果で、強制連行にかかわる文書はでてこなかったのでした。ついでに本文から、強制連行に関する加藤官房長官の説明を抜いておきます。
  〈 朝鮮人女性の強制連行を示す資料の有無について、加藤長官は「募集のしかたについて、資料は発見されていない」と述べ、政府としてはその事実を確認できなかったと強調した。また、同長官は調査の結果はあくまで「資料に基づいて判断したい」と語り、強制連行についても、政府が保有している以外の資料からその有無を判断することは好ましくない との見解を示した。 〉
   この第1次調査が公表されたのは、吉田証言が虚偽という秦論考が出た2ヵ月ほど後のことで、当然、政府も内容を把握していたことでしょう。ですから、強制連行について、政府保有資料以外の資料からの判断は好ましくないと言えたのだろうと思います。もし、吉田証言の虚偽が証明されていなければ、政府発表も変わった表現になっていたでしょうし、記者などから突っ込まれていたことだろうと思います。

    (2)   河 野 談 話 ・・・ 第2次政府調査公表
  第1次調査公表後、ほぼ1年が経った1993(放、一方の当事者である韓国の盧 泰愚・元大統領は日本発で始まったこの騒動をどう見、どのように受け止めていたのでしょうか。
1993年3月号「文藝春秋」  宮沢喜一首相が訪韓した際に、8回(6回?)も謝罪したと書きましたが、そのときの大統領が盧 泰愚 (ノ・テウ)だったのです。
  盧大統領は日本政府が「軍関与」を認め、謝罪を繰り返すといった展開に、「してやったり」と思っていたのでしょうか。実はこの事態を心よく思っていなかったと推測できる重要な発言があるのです。
  盧 泰愚大統領の次の発言は、慰安婦問題が発生した過程を含め、問題の核心を突いていると思いますので、ご覧いただきます。
  大統領の発言は日韓間の慰安婦をはじめとする歴史問題の認識の格差を考えたとき、はるかに中庸というか公平な見方をしていると思いますし、こうした大統領の下にあった韓国とここまでこじれた原因がどこにあったのか、手遅れかもしれませんが実情を知る重要な手がかりになると思います。
  インタビューは舞台演出家の浅利 慶太で、両者の対面は3度目とのことです。掲載は「文藝春秋」、1993(平成5)年3月号ですから、インタビューは日本政府が「軍関与」を認めた第1次調査報告の後、「強制」 を認めた第2次調査の前に行われたことになります。
  インタビューは日韓間の文化摩擦などを含め幅広く取り上げられ、「慰安婦」に関する大統領の指摘は次の通りです。

 〈 たとえば先般からの挺身隊問題 についても、日本が心からすまなかったと言ってくれれば、
 歴史の中に埋もれていくものだと思います。
ところが実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し 、我が国の反日感情を焚きつけ、
国民を憤激させてしまいました。そうなると韓国の言論、日本は反省していないと叫び、
 日本に対して強い態度に出ない政府の対応をひどいとさらに感情論で煽ってきます。
こうした両国の言論の在り方は、問題をさらに複雑にしても、決して良い方向には導かないと私は考えているのです。
とにかく、もっと両国の言論に携わる識者の人々が冷静になり、反省して、悟らねばならないと私は強く感じます。 〉

  盧大統領がこの問題は日本のメディアが煽ったからとする認識を持っていたことが分かります。同時に収拾に苦労していたことも言外から感じ取ることができるでしょう。
  また、浅利は「戦後48年にわたり、日本は過去において韓国に及ぼした多大な迷惑を深く反省し、できる限りの援助を行ってきました。・・・ところが、韓国の方々の反応を見ていると、これまで日本が戦後行ってきたことに関しては何ら認識が示されず、いまもって日本は何も誠意を示していないという意見ばかりが大勢を占めているようです」 と指摘し、日本は韓国と結んだ条約(1965年6月締結の日韓基本条約 ) に関しても、日本は十二分に履行してきたではないかと問います。これに対し、盧大統領は次のように発言しています。

〈 戦後に日本が与えた協力に対する認識が韓国の人々に足りないという
浅利さんの見方は一理あるという気が私はします。近い将来、
 日本の協力が韓国経済の再建に大きな力となったということを、
 多くの韓国の識者が知るようになるでしょう。 〉

 大統領の発言は一国の最高責任者として抑制の利いた表現になっていますが、言わんとするところは私たち日本人に十分に伝っていると思うのですが。朝日、NHKをはじめ、日本のメディアの罪、まことに深いと言わざるをえません。

     9    吉田証言を訂正したのか

 ところで、あれだけ持ち上げた吉田清治証言について、朝日は吉田本人はもちろん、調査をした秦教授に取材するなどして、証言が信頼できるかどうか、またなぜ朝日はいくたびとなく吉田を紙面に登場させたかなど、詳細に読者に伝える義務があるのはいうまでもないことです。ところが、どうでしょう。朝日は、「真偽は確認できない」 で逃げてしまったのです。
  下の1997(平成9)年3月31日付け朝日新聞をご覧ください。見開き2ページの紙面を使った一大キャンペーンを展開、同時に社説では「歴史から目をそらすまい」と自らの主張を強調しています。

1997年3月31日付け朝日新聞
  河野談話が出たいきさつなどについて、産経新聞が石原良雄・元内閣官房副長官のインタビューを記事にしたのは、1997年3月9日でしたから、このキャンペーンはすぐ後になります( ⇒ 河野談話 を参照ください)。見出しを一覧しただけで、産経報道を強く意識したものといってよかろうと思います。
  念のため、見出しを記しておきましょう。「従軍慰安婦 消せない事実 政府や軍の深い関与、明白」 とありますが、「強制連行」 なる言葉を見出しに立てていません。おそらく立てるに立てられなかったのでしょう。だから、「政府や軍の深い関与、明白」としたのに違いありません。
  一方、「河野洋平氏に聞く」とするインタビューの見出しはといえば、「被害者でなければ語り得ない証言」 「まず事実認め教育方法は別に議論を」 とあることからも分かるように、河野元官房長官が依然として強制連行を事実だとしていることがわかります。
  ですが、強制を認める資料は日韓双方から見つかっていませんし、政府は元慰安婦の証言の裏づけ調査をしなかったのですから、慎重に判断する必要があることは分かりきった事柄のはずです。にもかかわらず、「被害者でなければ語り得ない証言」だと、どうして河野に判断がくだせたのでしょう。また、「まず事実を認め」などとよくもまあ安直にものが言えるものだと思います。「偽善に終着点ナシ」なのかもしれません。朝日読者がこの報道によって「慰安婦 = 強制連行」という図式に疑問を持つことはなかったでしょう。

    (1)   「真偽は確認できない」 だって
 吉田清治証言の真偽について朝日が触れたのは、おそらくこの日の紙面だけだったと思います。その部分をご覧ください。
  〈 従軍慰安婦の存在については、戦後、雑誌に公表された手記などで触れられていたが、そのほとんどは兵士らの体験談や伝聞の域を出なかった。元慰安婦や軍関係者の証言を発掘した千田夏光氏の「従軍慰安婦」(1973年)が話題を呼んだことはあったものの、日本の社会は長く、この問題に正面から向き合うことはなかった。
  マスメディアで繰り返し取り上げられるようになったのは、韓国人の元慰安婦らが91年末、日本政府に補償を求める訴えを東京地裁に起こした前後からだ。とくに原告の金学順(キム・ハクスン)さんがテレビや新聞に実名で登場し、その体験が大きな反響を呼んだ。 

 戦時中に山口県労務報国会下関支部にいた吉田清治氏は83年に、
 「 軍の命令により朝鮮・済州島で慰安婦狩りを行い、女性205人を無理やり連行した」とする本を出版していた。
 慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め、朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、
 間もなくこの証言を疑問視する声があがった。
 済州島の人たちからも氏の著述に裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない 。
 吉田氏は「自分の体験をそのまま書いた」と話すが、
 「反論するつもりはない」として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる。 〉
  
 「真偽は確認できない」 「確たる証拠はない」という「台詞」(せりふ)は、状況が不利になってくるときに使用する、朝日お決まりの「逃げ口上」 といえます。
  第一、「済州島の人たちからも氏の著述に裏付ける証言は出ておらず」 と書くのは噴飯もので、済州島の人たちは吉田の著述を「明白に否定」 しているのです。

    (2)   「強制」の拡大解釈
  朝日はこれまで「強制連行」は吉田証言などを根拠に動かしがたい事実と大きく報道してきました。ところが、こう書いているのです。
   〈 「強制 」を 「強制連行」に限定する必要はない。強制性が問われているのは、いかに元慰安婦の「人身の自由」が侵害され、その尊厳が踏みにじられていたかという視点からだ。
  「よい仕事がある」とだまされて応募した女性が強姦され、本人の意思に反して慰安所で働かされたり、慰安所にとどまることを物理的、心理的に強いられていたりした場合は強制があったといえる 〉

  疑問なのは、「強制」を「強制連行」に限定する必要はない、などとなぜわざわざ書いたのでしょう。それは「強制連行」を証明する証拠がないことを朝日自身が認めているからこそ、「強制性」という拡大した解釈をもって「強制連行」に代えようとしているのだろうと思います。つまり、よく言われる「広義の強制性」 への転換です。
  売買の対象にされた慰安婦ですから、金に縛られないわけもありませんし、元を早く回収したい、より儲けたい業者が、何かと慰安婦に強制したであろうことは、誰にでも想像できることです。ですが、この種の「強制」と強制連行の「強制」とは意味するところは全然違います。
  また、「強姦」されたなどと書きますが、「誰がやったのか」にあたる主語が書いてありません。ですが、読者は主語を勝手に補って日本の軍や官憲がしたと読むに違いありません。いやそう読むのをあてにした文章ともいえるのです。第一、「募集」にあたったのは「業者」、つまり慰安所の経営者がほとんどすべてであったという事実です。ですが、朝日はこの「業者」の存在を意識して書き落としているのではと疑えるほど、避けてきています。
  というような次第で、この報道は小狡るい記事で構成されているのです。

     10    「検証抜き」報道は当たり前

 朝日の「強制連行」報道はとどまることを知りません。しかも、検証をした痕跡もなく、ただただ名乗りあげた「証人」の言い分を丸呑みにして、日本軍を叩くという歪んだ報道をつづけたのでした。
朝日新聞  1998(平成10)年7月、朝日は「 旧日本軍被害の補償求め来日」 として、パプア・ニューギニアの日本軍による被害状況を、 

〈 少なくとも7,748人が殺され、1万6,161人の女性が慰安婦とされた 。
さらに2,388人が人肉食の被害にあった という 〉

 などと報じました。
  記事を読めば、多少割り引く人はあるでしょうが、ほとんどは数100、数1000の女性が強制的に慰安婦にされたと信じたことでしょう。
   これには続報(左写真、8月4日付け)があって、ここでも「強姦殺人6,500人」 などとし、「 南太平洋の声 届かず」 「外務省に『生き証人信じて』」 との見出しを掲げ、補償を認めようとしない日本政府が不当であるかのごとくに報じたのです。
  ですが、この報道に何一つ根拠はなく、まったくの虚構だったのです。根拠ナシの指摘があっても、朝日は「加害者」とされた日本側を調べようとせず、ダンマリを決め込んだのです。これでまともな報道機関といえるのでしょうか。ほとんど「アカ新聞」と変わりありません。
  それに介在したのが、またも高木 健一 弁護士でした。また、当時の社会党代議士も手を貸していました。この話の検証は済んでいますので、( ⇒ 東部ニューギニアの強姦殺害 )をご覧になってください。

     11    またまた「偽証」を検証抜きで報道 ― 記憶はさいなむ ―
 もう一例、お目にかけましょう。1998(平成10)年8月11日から1週間、「記憶はさいなむ―元兵士たちは 今」 と題した連載がはじまりました。もちろん、いかに日本軍が残虐非道であったかを告発するもので、元兵士たちに語らせるという趣向です。

朝日「記憶はさいなむ」

  写真(8月11日付け)はその1回目で、「後悔しない、うそじゃないから」 と大見出しをつけて慰安婦連行を証言した主計下士官の話が、「やはり、ウソだった」 という実に読者や日本人を愚弄した報道でした。
  もちろん、記事の影響は大きく、善良な読者はわが日本軍の非道さにさぞ憤慨したことでしょう。なにせ、日本軍をたたけそうとなれば事実関係の確認なんかなんのその、「ダボハゼ」 のごとく喜び勇んで食らいつく、これが担当した女性記者以下、朝日新聞の報道人の習性なのでしょう 。
  この主計下士官は、

 〈 中国北部の部隊で前任者から慰安所管理の引き継ぎを受けたこと。朝鮮半島まで慰安婦集めに行ったこと。
 通訳が連れてきた女性たちは列車に乗ってから"仕事"を知り、泣き叫んだこと。
  「これを言わなきゃ死ねない」 「この問題が解決しないと、戦争は終わらない 」 〉

 などと、女性記者に話したというのです。
  吉田証言でミソをつけた朝日が、なりふり構わずに「強制連行」を事実と立証したい、立証記事をかいて社内的にも注目を浴びたいとする記者らの歪んだ行為なのだろうと思います。
『現代史の対決』  この証言も秦 郁彦教授が調べて、「諸君!」1998年11月号 〈 「空想虚言症」 の記憶にさいなまされる朝日新聞 〉に詳述されています。また『現代史の対決』 (文藝春秋、2003年)にも収められています。
  主計下士官というのは誤まり(虚 偽)で上等兵だったそうでが、上等兵という下級兵士が中国北部から越境して朝鮮に出張すること自体、ありえないこと。また出張にあたっては、この上等兵が所属する大隊副官が、「私がハンコを押さないと出られないが、管外出張はめったにないもので、朝鮮へ出せば憶えています。・・」と話していることなどから、「偽証」は証明されています。
  この朝日連載の問題点は、証言者の所属部隊などをまったく書いていないことです。
  所属部隊が書いてなければ、同じ部隊に所属していた人が読んでも、自分の部隊のこととは思わないでしょうから、反論も出しようがありません。変だと思って検証するにも、検証がきわめてやりにくくなります。


所属部隊を明らかにしない報道は、報道以前の問題で、
なにより不公正だと思います。所属部隊の書いていない証言は、疑ってかかる必要ありと思っています。

   今回、秦教授が検証できたのは、以前、この上等兵の証言が「北海度新聞」に実名登場し、その記事の切りぬきをたまたま所持していたからでした。このため、証言者・山岸上等兵の所属部隊(独立歩兵第195大隊)がわかったわけです。
  秦教授はこの記事を書いた女性記者に電話をかけたところ、〈 私の名乗りを聞くと、彼女はうわずってしまい「広報へ聞いて下さい。広報へ」とヒステッリックに叫ぶだけなので、取材は断念せざるをえなかった。 〉とウラ話を書いています。
  それにしても、こうまでして「慰安婦強制連行」を事実と強弁したがる、普通の感覚では考えられないことです。こうして慰安婦問題はことあるごとにより先鋭化した問題となってくるのです。朝日の罪深さ、もっと多くの人が知り、批判すべと思いますが、朝日信者には無理な注文かもしれません。

     11    朝 日 ・ 読 売 新 聞 の 見 解

 慰安婦の「強制連行」について、朝日新聞と読売新聞および産経新聞の事実認識・主張はまったく異なります。正反対ともいえます。なぜこうまで違うのか不思議なくらいです。
  慰安婦問題は国家の名誉がかかった問題、これから先も国益を著しく損なうことが予想できる問題であり、単に「見解の相違」などといった曖昧さで終止符を打たせてはならないと思います。
  問題は「事実はどうだったのか」であって、見方の相違などという次元の問題ではありません。それに、基本的な事実さえ押さえれば、どちらの主張に分があるか、結論を出すのはそう難しくないと思います。
  そこで、次項で読売新聞と朝日新聞の見解がどう違うのか、社説を通して見ておきましょう。読売社説は「一部の新聞が全く事実に反する情報を振りまいた経緯がある」と、朝日新聞を名指し、非難しています。
  両社説をよく読めば、おのずとどちらに軍配があがりそうか、見当がつくと思います。

― 2005年 4月 1日より掲載 ―
 ― 2012年 6月10日より加筆掲載 ―
(もう少し書き加える予定です)
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/ianfu/ianfu-asahi-2.html


人生の必勝テクニック 「やる気・元気」  http://youtu.be/RFtqhSsCzAY
2014/05/11(sun) に公開 

大切な仕事をするなら、火曜午前10時~12時がベスト!?
・曜日ごとの心理状態の流れ⇒
  (土・日)リフレッシュ
   (月)超ブルー
   (火)嫌な気分に慣れ、やる気が出る
   (水・木)疲れが出始め、作業効率が低下
   (金)週末の事を考え、集中出来ない
・曜日は自殺&心筋梗塞が多い!?
・やる気を高めるホルモン(ドーパミン)は、朝に一番出る!?
やる気を上げる鍵は知的好奇心!?
・知的好奇心からやってみた事が成功した達成感は脳に記憶される
・緊張感(焦り)より希望系(目標・夢)を持ち、やる気を上げた方が成功しやすい
マツコ・デラックスは報酬欠乏症!?
・一般の人⇒報酬を求める(賞を獲る・優勝する)
・報酬を求めず常に否定的な人⇒報酬欠乏症
・報酬欠乏症の人は、遺伝子が1つ欠けている!?
・報酬欠乏症の人⇒幸福感を抱かない・不幸に考える・お金の為にやる気を出すも途中で-投げ出す
・幸福感を感じない人は食べて幸福感を得るため肥満になる
やる気を出すには音楽を聴け!?
・自分の好きな曲を聴く事でやる気を上げる事が出来る
・ワーグナーを聴くとやる気が上がる!?
塩分を摂れば更にやる気が上がる!?
・塩分にはやる気を上げる効果があるが、摂り過ぎ=心臓疾患等のリスクになる
・やる気を出す時にちょこっと塩を舐めれば良い
・ダイエットして塩分を控えるとやる気も減る!?
・糖分の摂り過ぎはやる気を無くす!?
「聴覚」は「視覚」より人に伝わる!?
・耳からの情報は脳を直接刺激する=音楽を聴くとやる気が出やすい
・短期的なやる気は音楽等で出るが長続きしない
・やる気を持続させるには、良いライバルを作る!?
・自分より能力が高い人をライバルに設定するとやる気が持続する
褒められたメールフォルダでやる気アップ!?
・褒められた言葉を思い出すとやる気が上がりやすい
・フォルダに保存しておけば探しやすく、見るだけでやる気アップ
泥んこ遊びをすると、やる気がアップする!?
・セロトニンが低下するとうつになるが、泥の特殊な細菌はセロトニン分泌を促す
・泥んこ遊びをする事でやる気が出て、うつ病の治療に効く可能性がある
お金が目当てになると、やる気が出なくなる!?
・報酬が上がらないとやる気は継続しない!?
・やる気満々の人は放っておいた方が良い!?
・[アンダーマイニング現象]好んでやる事に対して報酬を与えると、報酬なしではやら-なくなる現象
「お金」や「褒め言葉」が自発的なやる気を抑える!?
・子供の頃に「内的なやる気(自発的な気持ち)」と「外的なやる気(お金・褒め言葉)-」が争う
・やる気を出している最中にお金などを与えると、自発的なやる気が抑えられる
・途中で物質的な報酬(お金など)をあげる事が良くない
・褒める場合は達成出来た時にするのが良い
・途中でお金などを与えると、自発的にやる気を出す人間に育たない
もともとやる気が自発的に出ない子には物理的報酬を与える方法もある
お金などを与え続けると自発的なやる気は無くなっていく
金メダルを獲得した秘密のメッセージ!?
・今日も素晴らしい一日にしよう
・私の人生はどんどん良くなっていく
・毎日が楽しくて仕方がない
・私には幸運の神がついている
明石家さんまと強烈なキャラクターを持つ頭脳・博識軍団が「世の中で国民が話題にして-いるもの&うわさのホンマでっかなこと」をトーク。
明石家さんま 加藤綾子 ブラックマヨネーズ ホンマでっか 吉田敬 小杉竜一 島崎和歌子 マツコ・デラックス ローラ

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