過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

2022(令和四)年十月二十一日(金)の初記事ですヨ(=^◇^=)



『丘の上の愛』浜田省吾(1980)
「愛が買えるなら~」のフレーズで有名な曲。今では金持ちの男と結婚すりゃ幸せになれると考えてる女よりも、自分がカネを稼げるようなりさえすれば幸せになれると勘違いしてる女が多くなってしまってますね。カネをもらって自分を売って幸せになろうとする女より、自らカネで幸せを買おうとする愚かな女の方が増えてる気がします。
 https://nihon-omokage.com/?p=708


 浜省流ストリート・ロック全開のライヴ
 5月13日 10:52
 日本のストリート・ロック御三家(僕が勝手に命名)、浜省、佐野元春、尾崎豊の80年代前半~半ばくらいの作品は、スプリングスティーンの影響が強いとよく言われてきたし、僕もそう思っていた。しかし、あらためて聴き直すと、昔感じていたほどではなかった。85年の4月まではほとんの日本人が生身のスプリングスティーンを見たことがなかったわけだから、”イメージ”のスプリングスティーンと彼らを比較して似てるとかパクリだとか言っていたのだと思う。実際に高校生の僕がそうだった。浜省や佐野元春を聴き始めた友達に、アメリカにブルース・スプリングスティーンってアーティストがいて、彼らはその真似をやってるんだよ!と必死に訴えていた記憶がある。でも、85年に初めて見たスプリングスティーンのステージは涙が止まらなくなる程の経験ではあったのだったが、僕がイメージしていたものとは全然違っていた。単なる都会的な格好良さとかカリスマ性とかじゃなく、アメリカのロックンロールの歴史の重みの凄さを目の当たりしたというか。アメリカと日本の音楽って全然違うんだな、とあたりまえのことを痛切に思ったのだ。もちろん、御三家は”イメージ”のスプリングスティーンを自身の創作の大きなモチベーション、ヒントにしていたのは間違いないと思う。ただ、それは少なくともパクリや物真似では終わっていない。彼らにはそれぞれ強い創作的エゴと言うか、独自の世界観というのが強固にあったので、その影響は表層に留まっている。”一皮むいたら”スプリングスティーンっぽさはほとんどない。もちろん、それだからこそ、3人とも日本のポピュラー音楽史に残るような存在になっているわけだが。仮に例えば、創作者としてもっとスプリングスティーンに気質の近い人が日本でロックをやっても果たして売れたのか?日本の情緒に訴えるメロディーメイカーであり、言葉の才能だけじゃなく、繊細なポップ・センスも強く持った3人だったからこそ、日本ならではのストリート・ロックが生まれ得たのではないか、そんな風に今の僕は感じている。で、今回あらためて検証してみた結果、この3人についてスプリングスティーンからの影響がより強いのは楽曲単体やオリジナル・アルバムよりもライヴ・パフォーマンスだという結論に至った。
 まずは浜田省吾。1980年に「Home Bound」でロック路線に思いっきりシフトした彼だが、セールス的にはいま今一歩、ブレイクの2~3歩手前という感じだったと思う。そこでスタッフサイドが用意した”起爆剤”が武道館公演だった(1982年1月)。当時、音楽雑誌をチェックしていた僕は「史上最強の挑戦者」といったフレーズで、当時の彼には無謀と思える試みに挑むことが大きな宣伝材料になっていたことをおぼえている。しかも、その頃から彼のコンサート動員は東京より地方が強いという傾向があったようだ。武道館を成功させるために、その前にもう一枚アルバムが必要ということで作られたのが「愛の世代の前に」だったとのこと。そういう事情だったので、わずか2週間で制作されたらしい。ただ、長い試行錯誤の末ようやくロックンローラーとして勝負する、という”太い芯”が出来た彼のモチベーションは高かったようで「愛の世代の前に」はとてもクオリティーの高い作品になった。そして、その反響を受けて武道館公演も即日完売となった。そして、このアルバムは武道館公演のわずか一ヶ月半後にリリースされている。武道館公演はメンバー全員のテンションが高すぎてテンポが早すぎたようで、ひと月前の広島の郵便貯金ホールのテイクが多めに採用されているとのことだ。さて、「ストリート・ロックの時代」的には、キーボードの西本明と並んで日本のストリート・ロック最重要ミュージシャンであるサックスの古村敏比古が82年から浜省のバンドFuseのメンバーに加わっているというのは大きいトピックだ。ただし、それは武道館公演より後なので、このライヴアルバムには参加していない。彼がいたら、このアルバムのストリート・ロック度の目盛りがもう少しあがってただろう。残念。
だが、「明日なき世代」などはオリジナルとは違いイントロからサックスが入っている。「Home Bound」のときにはほとんど使われなかったサックスの魅力、効力に遅ればせながら気づいたのだろうか。また、以前も書いたが彼の場合、オールドスタイルのR&R、R&Bのほうが「明日なき世代」などの疾走系よりストリート・ロック感が強いと僕は思うのだが、このライヴではそういうものが「土曜の夜と日曜の朝」「独立記念日」「反抗期」と3曲入っている。それに加えて、アルバムのオープニング曲でデビュー・アルバムに入っていた「壁にむかって」が古いR&Bスタイルで演奏され、デビュー曲「路地裏の少年」がしっかりフィル・スペクター調で演奏されていることもあって、全体的にいい意味でオールド・スタイルのR&Rが主役になっている。
『Home Bound』はLA産のアメリカン・ハード・ロック調だったし、「愛の世代の前に」はポップスとバラードの存在感も大きい作品だったが、このアルバムは、古いR&Rを今に蘇らせるという、当時のストリート・ロック本来の意義にすごくハマっている。古いR&Rスタイルを収録曲のメインにしたこと。そして、サックスの重用。というわけで、彼のアルバムの中で最もストリート・ロックっぽい、スプリングスティーンに近いのはこの「On The Road」ではないだろうか、という結論に至った。浜省の場合スプリングスティーンを引き合いに出されることになった根源は、ロック路線を打ち出した楽曲「終わりなき疾走」「明日なき世代」というタイトルにつきるような気がする。スプリングスティーンの”邦題”にインスパイアされているだけで、曲自体は両方とも「明日なき暴走」に似たところはない。僕が思うに、彼の場合は、自分の創作の切り口や導入部、ライヴ・パフォーマンスの作法などの「ヒント」を当時多くスプリングスティーンに頼っただけで、彼の曲を事細かに分析したりなどはしていないのだと思う。しかも、ロック路線以前に彼はすでに4枚のオリジナルアルバムを発売していて、ソングライターとしてのスタイルはかなり確立されていたので、ロック路線にするからといって、いきなりメロディーの作り方や作詞の作法を全面的に変える必然性はなかったわけだ。少し話はそれるが、彼とスプリングスティーンと似たところを考えた時、アマチュア時代からの旧友でギタリストの相棒がいることが思い浮かんだ。スティーヴ・ヴァン・ザントと町支寛二。町支もスティーヴのようにソロ活動もするし、尾崎の「15の夜」などにアレンジャーとして参加し小山卓治に曲を書いていて、日本のストリート・ロックキーパーソンのひとりだ。(近年は古村と「カンフル罪」というユニットでも活動しているそうで、ストリート・ロック・マニアは注目したいが、やっているのはストリート・ロックではないようだ。)さて、このアルバム、ジャケットは完全にジャクソン・ブラウンの「孤独のランナー」をイメージしている。直前の「愛の世代の前に」が「レイト・フォー・ザ・スカイ」のジャケットのレイアウトをモチーフにしているので、彼の”ジャクソン愛”はハンパじゃない。そして、彼はこのアルバムが発売された82年以降自身のコンサート・ツアーはずっと「On The Road」と銘打って現在に至っている。ジャクソン・ブラウンが「孤独なランナー」で提示した、コンサート・ツアーで国中を移動して過ごすロッカーのイメージを自身になぞらえるように。ツアーを長期にわたりひたすら継続することで、”ツアーを生業にするロッカー”というイメージを作り上げた。ひょっとしたら彼は「孤独なランナー」的世界観を現在も継承し続けている唯一の存在なのかもしれない。彼にとってひとりの聴き手として、ソングライターとしては、ジャクソン・ブラウンに心酔しながらも、プロのロッカーとしてのスタイルを構築する際、特にライヴ・パフォーマンスのお手本としたのがブルース・スプリングスティーンだったのだろう。そして、「J・BOY」で自身のスタイルを確立し、同時に多くのファンも獲得した後は、スプリングスティーンっぽさは急速に薄れていった。
 http://blog.livedoor.jp/iroh/archives/66071353.html




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 ┃Hiroshima Photo Album ┃
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‡2006(平成18)年10月21日(土) 最終更新日
 2004(平成16)年02月10日(火) SINCE
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 http://hiroshimagogo.fc2web.com/
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3┃ 『Led Zeppelin Ⅲ』 ┃
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 1970(昭和45)年10月05日(mon) US released
‡1970(昭和45)年10月21日(wed) UK released
 2014(平成26)年06月02日(mon) 2014 Deluxe Edition released
 1970(昭和45)年01月24日(sat) Zacron met the band at their gig at his university and agreed to do the cover
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 https://music.amazon.co.jp/albums/B00KLKB5N0
 https://en.wikipedia.org/wiki/Led_Zeppelin_III
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00IZ6B708
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①┃ 『THE SONG REMAINS THE SAME』 ┃
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   LED ZEPPELIN album
 1973(昭和48)年07月27日(fri) New York's Madison Square Garden
 1973(昭和48)年07月28日(sat) New York's Madison Square Garden
 1973(昭和48)年07月29日(sun) New York's Madison Square Garden
 1976(昭和51)年09月28日(tue) released ※wiki English
 1976(昭和51)年10月22日(fri) released ※wiki Japanese
 2007(平成19)年11月20日(tue) 2007 reissue
 2008(平成20)年07月29日(tue) 2007 reissue 4-disc LP
 2018(平成30)年09月07日(fri) 2018 reissue
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②┃  『永遠の詩 (狂熱のライヴ)』 ┃
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   LED ZEPPELIN film
 1973(昭和48)年07月23日(mon) Scenes of young fans attempting to buy tickets, an unruly fan being ejected by security, and Grant berating the promoter for receiving kickbacks were all shot at the Baltimore Civic Center on 23 July 1973.
 1973(昭和48)年07月24日(tue) The footage of the band arriving at the airport in their private jet airliner, The Starship, and travelling in the motor cavalcade to the concert was filmed in Pittsburgh, before their show at Three Rivers Stadium on 24 July 1973.
 1976(昭和51)年10月20日(wed) NY released
‡1976(昭和51)年10月21日(thu) US released ※wiki Japanese
 1976(昭和51)年10月22日(fri) LA released
 1999(平成11)年12月31日(fri) DVD released
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 https://music.amazon.co.jp/albums/B07DVDQZM8
①https://en.wikipedia.org/wiki/The_Song_Remains_the_Same_(album)
②https://en.wikipedia.org/wiki/The_Song_Remains_the_Same_(film)
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07VWJZS9B
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 映像◆Led Zeppelin - Dazed and Confused ( Song Remains the Same ) 1080p https://youtu.be/ZQgYn23Xvck
 


 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪trampled under foot♪ ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛LED ZEPPELIN
 1975(昭和50)年04月02日(wed) released
 1975(昭和50)年02月24日(mon)『Physical Graffiti』released
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②┃ 『BAD COMMUNICATION』 ┃B'z
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 エンドレスで、かまわない。止めるまで、DANCE空間。DANCE ORIENTED SPECIAL
‡1989(平成元)年10月21日(土) released
 1989(平成元)年10月30日(月)付オリコン週間アルバムチャート初登場15位
 1991(平成三)年01月28日(月)付オリコン週間アルバムチャート最高位12位
 1989(平成元)年10月30日(月)付から
 1993(平成五)年09月20日(月)付まで100位以内に163週。その期間中、9回にわたって100位圏外へ落ちている)チャートインしている。
 1992(平成四)年03月09日(月)付においてオリコンでの累計100万枚突破達成。ちなみにオリコンアルバムチャートにおいて、10位以内に一度も入らずにミリオンヒットを達成した作品は本作と『Kind of Love』Mr.Childrenのみ。ちなみに本作と『FRIENDS II』までの1990年代にミニ・アルバムとして発売された作品は、全てミリオンセラーとなっている
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①https://en.wikipedia.org/wiki/Trampled_Under_Foot
②https://ja.wikipedia.org/wiki/BAD_COMMUNICATION
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00S0C36E2
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‡2008/10/21『ほとんど食べずに生きる人―引き算の生き方革命』三五館 柴田年彦:著   
 2008/04/15『「食べること、やめました」―1日青汁1杯だけで元気に13年』マキノ出版 森 美智代:著
 2013/11/28『「食べない」生き方』サンマーク出版 森 美智代:著
‡2004/10『人は食べなくても生きられる』三五館 山田鷹夫 著
 2006/06『不食実践ノート―食べずに暮らす人たちの記録』三五館 山田鷹夫 著 - つづく -
 https://martin310.exblog.jp/19628968/
【話題作】「「食べない」ひとはなぜ若い? 空腹でオン!「長寿遺伝子」の驚異」を世界一わかりやすく要https://youtu.be/lkDgEd1MC4s


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 ┃NHKスペシャル『映像の世紀』┃NHK総合テレビ
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‡1995(平成七)年10月21日(土) 第7集「勝者の世界分割 東西の冷戦はヤルタ会談から始まった」
‡1995(平成七)年10月21日(土)『NHKスペシャル「映像の世紀」』サウンドトラック発売。なお都合上、収録しきれなかった曲は
 2000(平成12)年10月12日(木)に発売された『「パリは燃えているか」NHKスペシャル「映像の世紀」オリジナル・サウンドトラック完全版』に収録
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E5%83%8F%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%B4%80
 http://www.nhk.or.jp/archives-blog/genre/document/14179.html
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 映像◆【的中率100%】未来予知できる原作者が書いた漫画の内容が怖過ぎる!これから世界に起きることとは?【都市伝説 2021年 予言 予知夢 地震 火山 私が見た未来 たつき涼】https://youtu.be/Rx7P43iadcs
 2021(令和三)年03月22日(月) YouTube公開 2,215,168回視聴14:56 2022/02/14
 
 映像◆リミットはあと3年!未来予知できる漫画家たつき諒氏の最新作!20年で何が変わった?【都市伝説 予言 私が見た未来 たつき涼 漫画】https://youtu.be/tvkyWEEQa1U
 2021(令和三)年09月25日(土) YouTube公開 669,943回視聴14:56 2022/02/14
 
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①┃『私が見た未来』┃
 ┗━━━━━━━━┛ほんとにあった怖い話コミックス
 1999(平成11)年07月01日(木) 著:たつき諒
 中古商品 ¥ 75,000 良い
 中古商品 ¥ 85,000 良い
 中古商品 ¥101,975 良い
 中古商品 ¥108,415 非常に良い
 中古商品 ¥177,900 良い
 ┏━━━━━━━━━━━┓
②┃『私が見た未来』完全版┃
 ┗━━━━━━━━━━━┛
 2021(令和三)年10月01日(金) 著:たつき諒
  定価1200円(税込) P.216 ISBN:9784864108515 A5判並製
  ジャンル:学問・雑学・サブカルチャー
 2022(令和四)年02月14日(月) 14:18:22 Sharqi_pupilla もしかしたら、私がこれまでに見た予知は、誰かの力を借りられれば変えることが出来たのだろうか? 悍ましい夢たち。 あれらは、未来を変えるために私へ告げたのだろうか。 目の前で起きた出来事が、それを肯定していた。
 2022(令和四)年02月14日(月) 13:40:51 315azibell レトロなワンピースやドレスを着て遊んでる私を画家が絵に描きおこして色までぜんぶ塗ってくれて、綺麗な私の姿が描かれたその絵をヒューベルトが死ぬまで大切にしていたことが歴史の教科書にも載ってて、未来の授業まで語り継がれてる夢を見た
 2022(令和四)年02月14日(月) 12:46:48 nankurunaisalol 今、コレが気になる 私が見た未来 完全版 https://t.co/eDKuUrIXFm 人気です
 2022(令和四)年02月14日(月) 12:46:43 soaredbooks Amazonで人気急上昇のKindle書籍/雑誌(12時台)ランキング9位は 『私が見た未来 完全版』 (たつき諒) 発売中 1080円
 内容紹介:空前の売れ行き! 発売1ヵ月半で40万部突破!!月間ベストセラー書籍総合第1位(トーハン・日販調べ 10月期)テレビでも続々紹介、大反響
 2021(令和三)年12月08日(水) TBS『ワールド極限ミステリー』
 2021(令和三)年10月27日(水) フジテレビ『めざましテレビ』
‡2021(令和三)年10月21日(木) TBS『THE TIME』
 2021(令和三)年07月04日(日) TBS『週刊さんまとマツコ』
 幻の「予言漫画」復刻!!22年の沈黙を破り、作者が新たな警告「本当の大災難は
 2025(令和七)年7月にやってくる」
 1999(平成11)年に刊行され、
 2011(平成23)年03月11日(金) 東日本大震災を予言していた漫画として話題沸騰。絶版のため中古市場では10万円以上の値がつく本作にたつき諒氏の新たな予知夢を加え解説した完全版。元ネタにもなっている自身の夢を書き溜めた「夢日記」の内容をついに本書で初公開。漫画に描かれたもの描かれなかったもの―――「夢日記」を元に予知夢の詳細を解説。なぜ表紙に「大災害は
 2011年3月」と描いたのか?
「富士山大噴火」の夢が意味していたことは...そして、新たな「未来の夢」のメッセージとは―――
★収録漫画★
 ◎私が見た未来
 ◎夢のメッセージ
 ◎縁の先
 ◎ちいさなカラの中
 ◎浮遊霊
 ◎地下街
 ◎冥界の壁
 ◎もうひとりの自分
 ◎闇の中へ ...
 ◎そんな馬鹿な
 ◎雨月物語
★「夢日記」解説★なぜ夢日記を書き始めたのか 表紙に描いた予知夢の真相 漫画家を辞めた理由 インド旅行が大きな転換点になった 漫画の中に描いた大津波は2011年3月のことではない 2025年7月に起こること 大津波の後に訪れる新たな世界 ...etc
■著者紹介:たつき諒 Tatsuki Ryo
 1954(昭和29)年12月02日(木)生まれ、神奈川県出身。横浜在住。1975年、『月刊プリンセス』(秋田書店)でデビュー。著書に『人形物語』『時の中の少女』『水色の航空書簡』『タージ・マハル廟のある町』ほか。『私が見た未来』は1994~98年に雑誌『ほんとにあった怖い話』および『恐怖体験』上に掲載された漫画をまとめたもので、99年に朝日ソノラマより単行本化。同99年、漫画家を引退している。『私が見た未来』の表紙に「大災害は2011年3月」と書かれていることから、東日本大震災を予言した漫画家として注目を集める
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①https://www.amazon.co.jp/dp/4257986999
②http://www.asukashinsha.co.jp/bookinfo/9784864108515.php
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 「アイドルはシングル曲で勝負」という定説を覆し、松田聖子のアルバムが売れ続けた理由とは?
 2020(令和二)年03月23日(月) 文=馬飼野元宏/まかいの・もとひろ
 今年の4月でデビュー40周年を迎える松田聖子。それを記念して1983年にフジテレビで放送された伝説の音楽番組「ザ・スター 松田聖子 振り向けば…聖子」や、同じく83年公開の映画「プルメリアの伝説 天国のキッス」、さらには4月から始まる新番組「MUSIC JUNCTION」の事前番組として「80年代女性アイドル伝説 feat.松田聖子」を放送するなど、今月は松田聖子をパワープッシュ。また、本HPでも3回にわたり聖子の魅力を紹介するコラムを、音楽ライターの馬飼野元宏氏が書き下ろす。第1回のテーマは「松田聖子のアルバムはなぜ売れたのか?」。
 1980(昭和55)年08月01日(金)に発売された 松田聖子のファースト・アルバム『SQUALL』は、オリコン・アルバム・チャートの最高2位を記録し、セールスも50万枚を突破、アイドルのアルバムとしては異例の大ヒットとなった。続いて同年
 1980(昭和55)年12月01日(月)に発売されたセカンド・アルバム『North Wind』はチャート1位を獲得、以降も年2枚発売されるアルバムはいずれもアイドルとしては桁違いのセールスを記録している。70年代までのアイドルは、シングル曲が大ヒットしても、それがアルバムのセールスに結びつくケースは少なく、主な購買層はそのアイドルの熱心なファンに限定されていた。アルバムはむしろ、シンガー・ソングライターなどのニュー・ミュージック系アーティストが強く、アイドルを含めた歌謡曲ジャンルの歌手たちはシングル曲で勝負することが通常だった。この傾向は松田聖子以降のアイドルたちでも、基本的には変わっておらず、聖子だけがほぼ唯一、アルバムでもトップ・セールスを記録するアイドルであった。彼女のアルバムは、アイドルとしてのファン以外の購買層にも訴えかける内容だったのである。松田聖子のオリジナル・アルバムは夏と冬の年2枚ペースで、半年ごとのきっちりとしたローテーションで発売されており、常に季節感を意識した内容となっている上、1枚ごとに少女から次第に大人の女性へと成長していく過程が表現されている。楽曲のクオリティーも押しなべて高い。例えば夏の名盤と呼ばれる
 1982(昭和57)年05月21日(金)発売の『Pineapple』には呉田軽穂(松任谷由実)、原田真二、来生たかお、財津和夫らが作曲に加わり、夏のリゾートイメージで統一感を出し、同年
 1982(昭和57)年11月10日(水)発売の『Candy』では大瀧詠一、細野晴臣、南佳孝らが参加し、今度はヨーロッパ的な雰囲気を持たせた冬のムードで統一されている。また
‡1981(昭和56)年10月21日(水)発売の『風立ちぬ』は、アナログ盤の片面5曲を大瀧詠一が作編曲とプロデュースまで手がけ、魅力的なガール・ポップのアルバムに仕上がっている。アイドルや歌謡曲系歌手のアルバムは、シングル・ヒットを代表曲に置いて、それに沿って作られるのが常であったが、聖子の場合は全体のコンセプトに従って統一感が図られ、アルバムのテーマに沿った粒ぞろいの楽曲が見事な配置で収められているのだ。シングル曲も収録されてはいるが、通常なら各面の1曲目に配するところを避け、全体のバランスの中に上手く溶け込むように配されているのも特徴だ。また、結婚・出産による活動休止中の
 1986(昭和61)年06月01日(日)にリリースされた『SUPREME』などは、シングル曲が一切収録されておらず、音楽番組への出演もないのに、彼女のアルバム中最大のセールスを記録している。これは『風立ちぬ』以降、聖子の楽曲を数多く手がけている作詞家・松本隆が、アルバム曲の作詞もすべて手掛けていることで、アルバム全体の統一感が図られていることが大きい。アレンジ面でも大村雅朗を中心に、松任谷正隆や井上鑑など、現在、シティ・ポップの担い手として脚光を浴びているアレンジャー陣が、洗練された高水準のサウンドを作り上げている。松田聖子のアルバムがサウンド面でもアーティスト系のアルバムと遜色ない完成度を誇っているのは、当時のポップス、ニュー・ミュージック系アーティストのアレンジにも数多く関わっていた彼らの貢献度も大きいのである。80年代は若者層が車を購入し、カーステレオで音楽を楽しむという文化も盛んだった。ドライブ・ミュージックのお伴に聞く音楽としては、ユーミンや山下達郎などのポップス系が人気であったが、それと同じように聖子のアルバムをカセットテープに落として車で聴く若者たちが多かったのだ。アイドルでこういうケースは聖子以外にはほぼなく、聖子の音楽は単にアイドル人気ではなく、アーティストとして聴かれていたことを証明している。松田聖子はスーパー・アイドルでもあり、同時にアルバム・アーティストでもあったのだ。
 文=馬飼野元宏/まかいの・もとひろ右音楽ライター。『レコード・コレクターズ』誌などのほかCDライナーに寄稿多数。主な監修書に『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド』『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(ともにシンコーミュージック)など。近刊に、構成を担当した『ヒット曲の料理人・編曲家 萩田光雄の時代』『同 編曲家 船山基紀の時代』(ともにリットーミュージック)がある。歌謡ポップスチャンネル『しゃべくりDJ ミュージックアワー!』ではコメンテーターを担当した。
 https://www.kayopops.jp/column/202001001






 ♪DANCE♪ 横浜スタジアム初演奏良好アンコール
 ♪DANCE♪ 1984 ALBUM VERSION
 ♪DANCE♪ 1984 ALBUM VERSION
 ♪DANCE♪ 1984 ALBUM VERSION
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 ┃『イニシエーション・ラブ』┃
 ┃  『Initiation Love』  ┃
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 1987(昭和62)年12月24日(木) 1:38:34
 1987(昭和62)年07月10日(金) 1:01:42 U-NEXT ♪DANCE♪
 1987(昭和62)年07月10日(金) 1:38:44
 1987(昭和62)年07月10日(金) 1:40:33
 1987(昭和62)年07月11日(土) 1:40:48
 1987(昭和62)年07月11日(土) 0:59:11 U-NEXT ♪DANCE♪
 2015(平成27)年05月23日(土) 東宝系列劇場公開
【Side-A】1980年代後半、バブル最盛期の静岡。就職活動中の大学生・鈴木は、友人に誘われ気乗りしないまま、合コンに参加。しかし、その席で、歯科助手のマユと運命的な出会いを果たす。奥手で恋愛経験がなかった鈴木だが、マユと出会って変わっていく。流行のヘアスタイル、オシャレな洋服、マユに釣り合う男性になろうと自分を磨く鈴木だったが…。
【Side-B】二人だけの甘い時間も束の間、就職した鈴木は東京本社へ転勤となり、静岡にマユを置いて上京することに。それでも距離は二人の愛にとって障害にならないと、週末ごとに東京と静岡を行き来する鈴木。しかし、東京本社の同僚・美弥子との出会いを経て、心が揺れ始める…。(C)2015 乾くるみ/「イニシエーション・ラブ」製作委員会
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 https://www.amazon.co.jp/dp/B017APJF7Q
 https://video.unext.jp/title/ED00097831
 https://ja.wikipedia.org/wiki/イニシエーション・ラブ
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