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┃『トットチャンネル~徹子の小さな放送局~』あいさつチャンネル ┃
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2002(平成14)年01月27日(日) 今年のユニセフミッション 情報配信日
‡2002(平成14)年01月31日(木) アフガニスタン へ 出発
2002(平成14)年02月09日(土) アフガニスタンから帰国 昨年に続き、アフガニスタンへ行きます。(1/31~2/9)同じ国へ2度行ったことはありませんが、爆撃後の子どもたちがどんな状態なのか心配で仕方ないので、行くことに決めました。
2002(平成14)年02月18日(月)『スーパーモーニング』で報告
http://www.inv.co.jp/~tagawa/totto/message.html
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1977(昭和52)年01月31日(月)浜美枝
②1978(昭和53)年01月31日(火)小林生加代(追悼)
③1979(昭和54)年01月31日(水)馬場敬直
④1980(昭和55)年01月31日(木)安達瞳子
⑤1983(昭和58)年01月31日(月)ヒロシ&キーボー
⑥1984(昭和59)年01月31日(火)笑福亭鶴瓶
⑦1985(昭和60)年01月31日(木)田沼武能
⑧1986(昭和61)年01月31日(金)郷ひろみ
⑨1989(平成元)年01月31日(火)江川悦子
⑩1990(平成二)年01月31日(水)ジャンヌ・モロー
⑪1991(平成三)年01月31日(木)加東祥子
⑫1992(平成四)年01月31日(金)山崎章郎
⑬1994(平成六)年01月31日(月)水上勉 ※二日連続1日目
⑭1995(平成七)年01月31日(火)篠田正浩
⑮1996(平成八)年01月31日(水)尾高忠明
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑯1997(平成九)年01月31日(金)ミッシャ・マイスキ
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
2001(平成13)年01月31日(水)加藤晴彦
2006(平成18)年01月31日(火)和田アキ子
http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
┌─――――――――――――――――┐
|2002(平成14)年 1月31日(木) 蓮ホウ |第回
└─――――――――――――――――┘蓮ホウは、ほうれん草の片方がだいすきですヨ(=^◇^=)
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-1-31.html
┌─―――――――――――――――――┐
|2003(平成15)年 1月31日(金) 林美智子 |第回
└─―――――――――――――――――┘
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-1-31.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2006(平成18)年 1月31日(火) 和田アキ子 |第回
└─――――――――――――――――――┘「30周年特集・和田アキ子母を亡くし」
http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
┌─――――――――――――――――――――┐
|2008(平成20)年 1月31日(木) BIGBELL |第回
└─――――――――――――――――――――┘「癒やし音楽でセレブ注目」「癒し音楽の新星」として注目されているボーカルデュオBIGBELLの鈴木貴雄さんと西原大介さんがゲスト。「イケメン」でならす2人だが、音楽大学声楽科出身というだけあって、クラシックを基調としたツインピアノから生み出される心響く美しい旋律を特徴にしている。人気番組『旅の香り』のテーマソングや『ちい散歩』のテーマ曲も手掛ける実力派!2人とも子供のころに父親をガンで亡くす経験をしており、現在の活躍を母親たちは非常に喜んでくれていると語る。
☆CD「風の色」価格:1,200円(税込み)販売:ユニバーサルJ株式会社 発売中
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080131.html
┌─――――――――――――――――――――――――┐
|2011(平成23)年 1月31日(月) 加藤武 小沢昭一 永六輔 |第8901回
└─――――――――――――――――――――――――┘「祝35周年で爆笑放談(1)」番組放送35周年を迎える今週は、“スペシャルウィーク“と題して多彩なゲストに出演いただく。1日目は番組の出演回数が多く、なおかつ友人関係という加藤武さん小沢昭一さん永六輔さんの3人が登場。加藤さん小沢さんは中学の同級生という仲、永さんは2人の大学の後輩にあたる。闘病の成果があらわれ、元気になった永さんが語る近況とは。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/110131.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2012(平成24)年 1月31日(火) 月丘 夢路 |第9153回
└─――――――――――――――――――┘「90歳!月丘夢路の若さと美を保つ秘訣を公開」往年の大女優・月丘夢路さんが、32年ぶりに「徹子の部屋」に登場!月丘さんは昨年10月90歳のお誕生日を迎えパーティーを開くことになったが、「卒寿?誰が?」と納得いかず改めて娘に調べるように言ったとか。そんな驚くほどの美しさと若さを誇る月丘さんの暮らしぶりとは?テレビを観てはイケメン探しに余念がないと黒柳を笑わせる場面も。
①2012年1月31日の『徹子の部屋』に出演した時のトーク内容からこのようなことが明かされている。◎娘・絵美は月丘を「台所の宇宙人」と称している。過去に台所のことが出来る人がいないときに客がきて、もてなせなかったことを娘に非難されたためである。まともに料理ができないのに客を呼び、「よくこれで人を呼んだな」と言われたこともある。月丘が料理をできなかったのは、夫・井上が家事などをしないでよいと言ったためである。井上は自立した女性を認める人であり、月丘自身も絵美が料理を勉強するためにフランスのリヨンに留学した際には背を押している。◎若いイケメンが好き。市川海老蔵が最もお気に入りで、赤ん坊の写真をもらったという。またダルビッシュ有や石川遼、髙橋大輔らも好きだという。娘には顔が良ければ良いのかと言われているが、彼らは一芸に秀でているから好きだと語る。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/120131.html
①https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E4%B8%98%E5%A4%A2%E8%B7%AF
┌─――――――――――――――――――┐
|2013(平成25)年 1月31日(木) 小西真奈美 |第9409回
└─――――――――――――――――――┘「30代でバレエと茶道を習い始め」 ※“小顔美人”として世の女性に憧れられている女優・小西真奈美さんを迎える。家族そろって小顔で、特に姉は小西さんよりも顔が小さいそう。今年の正月は家族や友人が故郷の鹿児島から上京し、楽しく案内役を務めたとか。小西さんは30代になってからバレエと茶道を始め、今では趣味が仕事の励みになっていると語る。また、気になる結婚についても話も…。
☆テレビ朝日開局55周年記念 2夜連続ドラマスペシャル「最も遠い銀河」2月2日・3日 土・日2夜連続 よる9時
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130131.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2014(平成26)年 1月31日(金) 辺見えみり |第9664回
└─――――――――――――――――――┘「待望の女児出産に両親は」昨年6月に長女を出産したばかりの辺見えみりさんを迎える。10代の頃から辺見さんを知る黒柳は、すぐさま育児日記をプレゼント。今日はその日記を持参して、愛娘の成長ぶりを黒柳に報告してくれる。母の辺見マリさんは初孫に子守唄を歌ってくれるのだが、ちょっと困った問題が発生し…。そして父の西郷輝彦さんからも温かい思いを込めた手紙が届く。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/140131.html
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
┌─――――――――――――――――――――――┐※解説放送
|2017(平成29)年 1月31日(火) 津川雅彦 中村玉緒 |「亡くなって20年…笑いと涙で語る“勝新太郎”」
└─――――――――――――――――――――――┘42年目突入ウィーク2日目のゲストはこの2人! 津川雅彦さんと中村玉緒さん。今年は昭和の名優・勝新太郎さんが亡くなって20年。縁の深い2人に、知られざる勝さんの素顔を伺う。勝新太郎さんが65歳で亡くなるまで35年間、妻として波瀾万丈な人生を支えた玉緒さん。プロポーズ秘話や、最高に嬉しかった、ある日のデートを告白する。そんな夫婦の姿を見て来た津川さんは、豪快そうに見えて実は繊細で後輩思いだった勝さんの素顔や、津川さんが勝さんに最後に会った日の姿を明かす。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/2017013.html
┌─―――――――――――――――――――――┐※解説放送
|2018(平成30)年 1月31日(水) 田辺靖雄 梓みちよ|「ヘイ・ポーラ」から55年…ケンカするほど仲が良い!?」
└─―――――――――――――――――――――┘あの名曲「ヘイ・ポーラ」から55年…田辺靖雄さんと梓みちよさんを迎える。2人はデビュー時、「マイ・カップル」というコンビで売り出され、数々のデュエット曲を歌っていたが、歌番組の最中もケンカが絶えなかったという…。トークでは互いに言いたい放題の2人だが、55年前と変わらぬ息の合った歌唱に黒柳は賛辞を送る。2人とも10代のころから「夢であいましょう」という番組で黒柳と共演していた。渥美清さんや、坂本九さんなど出演者で中華料理を食べに行ったときの黒柳の珍行動で盛り上がる!
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20180131.html
┌─――――――――――――――――――――――┐
|2019(平成31)年01月31日(木) 萩本欽一&徳光和夫 |
└─――――――――――――――――――――――┘「TVの大御所!2人の「喜寿」が激突」
間もなく放送開始から44年目に突入する「徹子の部屋」がお招きするのは、テレビ界が誇る大御所・萩本欽一さんと徳光和夫さん。2人は同じ年の77歳で、気を許し合う仲である。互いの結婚生活を明かす場面で、萩本さんが驚きの事実を口にする。73歳で大学受験に挑戦し、今も大学生として日々勉学に励む萩本さんに徳光さんが思わず漏らす本音は?
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190131.html
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|2020(令和二)年01月31日(金) 松岡昌宏 |
| 大竹まこと 梅沢富美男 |
└─―――――――――――――――――┘「祝45年目突入!「松竹梅」華麗な女形を披露!」※解説放送
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200131.html
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
┌─――――――――――――――――――――――――┐
|2022(令和四)年01月31日(月) 奈良岡朋子 EXILE AKIRA|
└─――――――――――――――――――――――――┘「52歳差!大女優とEXILEのリーダーが初トーク」※解説放送
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20220131.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
┌─――――――――――――┐
|2023(令和五)年01月31日(火)|
| 高橋英樹 高橋真麻 |
└─――――――――――――┘「孫2人を溺愛する“じぃじ”に娘が苦言!?」※解説放送
https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20230131.html
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|2024(令和六)年01月31日(水)|
| 中尾ミエ 伊東ゆかり |
└─――――――――――――┘「盟友コンビ…歌手活動の原動力は「借金」!?※解説放送
☆伊東ゆかり POPS QUEEN ~オールタイム・シングル・コレクション~(Sony Music Labels Inc.)
https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20240131.html
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|2025(令和七)年01月31日(金) 佐久間良子 |
└─――――――――――――――――――┘「充実したおひとり様を楽しみ」※解説放送
☆著書『ふりかえれば日々良日』小学館
https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20250131.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
黒柳徹子「はなまる」出演、トークの“後輩”薬丸、岡江ねぎらう
‡2014(平成26)年 1月31日(金) 09:50 Photo By スポニチ
女優の黒柳徹子(80)が31日、TBS「はなまるマーケット」(月~金曜前8・30)のゲストコーナー「はなまるカフェ」に出演した。もっぱら聞き役として、長きにわたりテレビ朝日で「徹子の部屋」(月~金曜後1・20)に出演してきた黒柳だが、この日は3月末に番組終了する司会の薬丸裕英(47)岡江久美子(57)をねぎらった。薬丸には「10代の頃から知ってますから」と語りかけ、17年の長寿番組だったことを聞くと「こんなに長く、ご苦労様でした。本当に偉かった、お褒めしましょ」と賛辞を送った。写真を紹介しながらのトークでは、親交のあるタモリ(68)の愛猫「パトラ」について話し、年1回のタモリ宅訪問時には座って待ってくれていることや、“猫語”が通じ、意思疎通ができることなどを披露した。4月からは「徹子の…」放送時間が正午スタートに繰り上げとなり、3月に終了するフジテレビ「笑っていいとも!」(月~金曜正午)の後継番組と“勝負”することに。38年の歴史で午後0時台は初めてとなる
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/01/31/kiji/K20140131007491820.html
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①┃ ジャイアント馬場 ┃ 1938(昭和13)年1月23日(日) 生誕
┗━━━━━━━━━━┛†1999(平成11)年1月31日(日) 満61歳没
②ジャイアント馬場がゲスト出演した際にヒンズースクワットをすすめられ、現在も毎日行っている。馬場はこれからわずか2ヵ月後に亡くなり、黒柳は「スクワットは馬場さんの遺言」と言っている
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③┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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|2002(平成14)年 4月16日(火) 野際陽子 |第回
└─―――――――――――――――――┘
「そうすると尼さんは訓練もしてらっしゃるんでしょうけど長年背筋を伸ばしてらっしゃるということなの。それとあなたは私が教えした●ジャイアント馬場さんから遺言●のように教えていただいた●ヒンズースクワット●をあなたにお教えしたらあなたはやってらっしゃる」
≪やってるんです。(黒柳さんは)50回やってる≫
「●(馬場さんが1日)50回でいいとおっしゃるから」
≪50回でいいとおっしゃったの≫
「(馬場さんが)あなたが100歳まで芝居をしたいとおっしゃるのなら寝る前に50回でいいからヒンズースクワットをやって、階段を2階まで上がるのを2回やればそれでいいですとおっしゃったの。毎日やってください。次の日抜かしたらダメなの。段々年取ったらいろんなものにつかまる様になってだめになるって」
≪毎日やらなきゃダメなの≫
「あなたやってなかったの」
≪私は酔っぱらった日とかはよくないだろうと思って≫
「酔っぱらった日は止めたほうがいいわ」
≪1週間に5日ぐらいかな。でも徹子さんが50回なら私は100回と思ったんです。≫
「100回やろうと思ったら大変かもしれないわね」
≪それだけじゃなくて負荷をかけようと思ってダンベル持ってやってるんです。≫
「ジャイアント馬場さんに聞いてみたいぐらい(それがいいのか悪いのか)。体をかがめた時に」
≪かがめるの?≫
「かがめてないの」
※立って実演
≪こうやってその時にダンベル持ってやればよりいいんじゃないかなって≫
「何キロのでやってんの?」
≪1キロづつ(両手で)。やってて良かったと思ったのは毎年お正月にスキーに行くんだけど今年はすごい楽だったの≫
「それを教えてくださったジャイアント馬場さんはその後1ヵ月後に亡くなったの。だから私はね遺言のように思って毎日毎日やってるのね。だから芝居をやってる時なんかはものすごい楽ね」
≪息も弾まないし足も痛くならないし筋肉痛も起こらないし。≫
「でも毎日やるのよ」
≪酔っぱらう前にやることにします≫
「でもあなた100回もやらなくていいんじゃないの強気に(笑)私よりは少しでも多くやればいいかなって。私は100歳までやるんだからあなたは105歳まで生きようとしてるんでしょ」
≪そんなことないけど(笑)≫
「ダンベル持つのは良くないんじゃないの?」
≪私はねえこういうところの筋肉(※二の腕)をつけようと思って一挙両得にしようと思って≫
①http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E9%A6%AC%E5%A0%B4
②http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9F%B3%E5%BE%B9%E5%AD%90#.E3.80.8C.E5.BE.B9.E5.AD.90.E3.81.AE.E9.83.A8.E5.B1.8B.E3.80.8D
③http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-4-16.html
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┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
┌─――――――――――――――――┐
|2002(平成14)年 1月31日(木) 蓮ホウ |第回
└─――――――――――――――――┘蓮ホウは、ほうれん草の片方がだいすきですヨ(=^◇^=)
黒柳「前回は双子の男の子と女の子が生まれたって言うときに出てくださったんですけどそのこたちがもう4歳」
蓮ホウ≪はやいですね≫
「なんで違うんでしょうか男の子と女の子は双子なのに。全然違うんですって」
≪身長は10センチ違いますし、体重は4キロ違いますか。頭のサイズもちがくて息子は私と同じ帽子のサイズでかなり大きい。娘はキュっとちっちゃくなって寝たままの姿でそこにいるんですよ。でも息子は寝ている間ずっと回転をして寝てますね。運動量が全然違う。≫
「だけど女の子の方がませてる。発達している」≪してますね私に似て≫
「男の子になんか言っても次の日には忘れちゃったりしてるんだって」
≪そうですね≫「りんごかなんかが教えたんですって」
≪実験してみたくなってどれだけ物を憶えてられるかという。りんごならりんご赤くて、丸くて、食べられるって教えてその日は”りんご、りんご”って言うんですけど次の日になったら男の子は忘れてるんです≫
「これなあにって言ったら」≪ボーとして全然憶えてない。でも女の子に見せると赤くて、丸い、食べられる、りんごって。記憶が非常に繋がりやすいんですよね。女のこの方がおませさんっていうのは記憶が繋がってるからじゃないですかね。≫
「仲もいいんですってね。当たり前ですけど」
≪非常に仲良く遊んでるか、流血騒動でけんかしているか。彼は3回ぐらい縫ってますから。結局彼女に押されてボーとしているからドンと倒れて≫
「この二人が通っている幼稚園はどんなことがあっても車はいけません電車でいらしてくださいと」
≪電車で通園なんです。高校生、大学生以来ですかね。ちょうラッシュの時間に乗るんですけどひどいですね。ちっちゃい子がいるから空いてる車を選んで乗るんですよ。ちっちゃい子を連れてるのに後ろにおじさんが並ぶんですよ。なんで隣に並ぶんだって思うんですけどおじさんからすればなんでこんなにちっちゃい子が並ぶんだって思うんですよ。非常に非難の目でこっちが見られてしまって≫
「子供はどうするの」
≪けなげに乗って”ママ苦しい”って≫
「女の人はなんとか守ろうとするんじゃない」
≪欧米人は空間を作ってくれますよね。だから外国人がいたらそこを目指しますね≫
「何時ごろ乗るって?」
≪大体8時半から9時ですね。込んでるのは乗らないで≫
「ママなんでこれには乗らないのって聞かない」
≪わかってますね”ママこれは込んでるから”って≫
「4つになるとそれぐらいはわかるのね」≪そうですね≫
「あなたはあれでしょう仕事で集中して長くやる物なんてできないでしょう」
≪長期のロケとかだと子供たちはわかってるんでFAXを送ったり電話をすることで交流を取ればいいんですけど突発的に仕事が入ると不安になりますね≫
「できないじゃない前みたいに」
≪そうですね午前中はいっしょにいてあげるんですけど午後は自分の時間に使えるように合わせてきているんですけど子供たちもわかってきていますね≫
「男の子はかわいいのね名前が」
≪琳(りん)≫「おじょうちゃんのほうがかわいくて」≪すいらん≫
「でも2人がいるときに顔なんか見合わせて笑ってるとかわいいんだって」
≪2人でコミュニケーションをとってますから非常に楽なんですよ。ママって来るんじゃなくて2人で遊んでますから。怒られたときにも2人で話し合うんですよ。相談するときは離れてしなさいって言ってるのに1メートルぐらいのところでしているんですよ。聞こえるんですよ”ママなんで怒っているのかな。きっと壊したことだよ”それでランちゃんが”手をグーにして行こうよ。””なんで?”、”がんばれるから”って。それだけで笑える。手をグーにして歩いてくるんですよで”ママごめんなさい”って。≫
「許しちゃう?」≪それは許しますね≫
「幼稚園に行くことになって男の子と女の子の別のクラスに行ったら全然違っちゃたんですって」
≪社会にあんなに違う男の子と女の子がいるんだって2人は理解できなかったんじゃなかったんですか。普通の一人っ子の子供は幼稚園にお友達と遊びに行くという感じだと思うんですけど、幼稚園に行かなくても常にいるから何で幼稚園に行くのかわからない。男の子は戦いごっことか忍者ごっことか武器を新聞のチラシとかで作って遊ぶようになったんですけど、女の子は彼に守られていつも来たから女の子だけの遊びに”入れて”って言えないんですよ。女の子だけのおままごとを知らないんで≫
「何してるのいつも2人だけで」
≪折り紙を2人でして動物ごっことかをしたり≫
「おもちゃとかおままごととか持ってないの」
≪持ってないですね。買っても使わなくなったんで今は自分たちで作らせたりとかして拾ってきた石に絵の具でペインティングさせたりとかすごく悲しい遊びをさせてるんですけど≫
「創作的でいいですね。幼稚園に行くといろいろあってランちゃんが」
≪もう幼稚園に行きたくないっていう発言まででてしまって≫
「男の子は女の子がいっぱいいていいなって」
≪うれしくてしょうがないんですよ。みんなに靴とか出してあげてるんです≫
「ほとんどみつぐ君なんですって」
≪でもそれが当たり前で育っているんで≫
「どっちが上ってあるの」
≪帝王切開だったんで今は先に生まれたほうが上なんですってねえ。昔はあとに生まれたほうが上だったんですけど。だからスイランのほうが姉で、琳の方が弟なんですよ≫
「今のアフガニスタン情勢なんかで琳君はむずかしい国の名前なんかを覚えてるんですって」
≪タジキスタンとかウズベキスタンとかすらすらいってますよね。地球儀を買ってあげたんですねでまず日本ていう国の感じを教えてあげて台湾ていう国も教えてあげて留学してたんで中国も教えてあげて。ニュースで国と国が戦争をしていると報道していたら場所を知りたいっていってきてそうすると2人で地球儀で探し始めて”あったパキスタン”とか。≫
「字なんか読めちゃうの」
≪カタカナ、ひらがなは≫
「行ってみたいと思ってるんですってそのウッズベキスタンとかに」
≪”アフガニスタンとパキスタンとアメリカには行かないでね戦争しているからウズベキスタンはしていないんだよね。行きたい、ママ歩いていける”っていきなり子供になるんですけど”じゃあ泳いだら”って≫
「なるほど周りは海ですから」
≪”じゃあ飛行機は”ってでも”飛行機は駄目だよビルにぶつかるから”って自分たちの世界とニュースがくっついたり離れたりするんですね。≫
「あなたは戦争っていうことと平和っていうことをちゃんと教えてるんですってね」
≪家は父から与党、野党の区別ですとか、台湾と中国大陸の違いですとかいろんなことを父から教えていただいてて政治とか経済とかが身近な環境で育ったんで仕事にも役立ってますし今の自分があるのも父のおかげですから≫
「あなたが平和っていったら平和ってなにって」
≪平和の定義付けって難しいですよね≫
「しかも4歳の子にね」
≪しかも戦後世代の私たちにとって当たり前のように抱きしめている空気ですから”食べられること”かなって、それと戦争にならないことっていうしか答えられないですよね。一言ではとても言い表せられないんですよね≫
「お母さんは戦争を体験してらっしゃる」
≪世代的には。全部おばあちゃんに押し付けちゃうんで≫
「おばあちゃんに”生きてんだ”って」
≪家のママは子供だったときに戦争を経験したんだよって言ったら”ええ!!何で生きてるのまだ”って聞いてきてごらんって。おばあちゃんに”戦争したんでしょ。怖かった。爆弾飛んできた。ご飯は無かったんでしょ”ってそしたら”すいとんはあった”とか”鯨はおいしかった”とか聞いてこっちに帰ってくるんですよそしたら”鯨は食べていいの”って。全然本来の話とは離れていくんですが≫
「じゃああなたお母様と近くに暮らしているの」
≪同居してます≫
「子供たちはいいですよね」
≪はい逃げ場がありますから≫
「ある日突然おじょうちゃんのランちゃんは突然宝石箱がほしいと」
≪これは子供たちに言っているんではなくて私の主人に毎日のように”ダイヤモンドがほしいダイヤモンドがほしい”と言ってたんです。そしたらインプットされてママは宝石がほしい。宝石は買えないでも宝石箱は買えるかもしれない。母が昔使ってたシャネルの香水が入っていた箱があったんですよ。それをランちゃんにあげるとすごい喜んでギュと抱きしめてたんです。私は仕事にいって彼女たちが寝てから帰ってきたんです。そしたらおもちゃ箱のラックがあるんですけどそこの一番上に大切そうに置いてあるんですよでパカッと開けたら指輪の絵がいっぱい描いてあるんですよ。で宝石箱にして”ママはい”って。だからすごくほしかったんだなって私のいらなくなったイルミネーションとかを全部あげて。私自身も兄と弟の年子の家に育っているんで女の子らしい遊びをしたことが一個も無いんですよ≫
「大体あなたがダイヤモンド欲しい欲しいというから」
≪そこが間違いだったんですけど今度からキャビアが食べたいとか食べ物攻撃にすると一緒に共有できるかなっと≫
「指輪の絵を書くと子がかわいいわね」
≪男の子は相変わらず武器作ったりして≫
「腰に10本ぐらいさして歩いてるんだって」
≪だらしないったらありゃしない。全然違います≫
~CM~
「カンボジアの子供たちに学校を」
≪ごみの山で暮らしている子供たちがいるんですけどその子供たちに教育を与えてあげたい、次にその子達が自立できるように手に職を付けさせてあげたい。男の子だったらバイクの修理工だったりとか、女の子だったら美容師とかの職業訓練所みたいな学校をボランティアの活動を筑紫哲也さん、政治学者の福岡正行さん達といっしょにさせていただいております≫
「隣のベトナムは成功してベトナムに行こうっていう観光の本ができているんだけど本当に・・・」
≪進まないですね≫
「今でもそうですか」
≪プノンペンはいいんですけど首都から離れれば離れるほど病院はないし、学校はないし。親御さんが子供たちを学校に行かせるよりも稼いで欲しいと。なるべく子供たちに知識を与えてあげたいし本当はそんなことしている場合じゃないのかもしれないんですけど子供を手にして感じる日本の豊かさ。不況だとはいわれてますけどまだ豊かだとは思います≫
「知識階級の人達はポル・ポトに殺されちゃって。本当にたくさん殺されたんですって」
≪そうですね≫
「そこで育った子供達は親が殺されているからどうやって子供を育てていいのかわからない」
≪子供たちが大きくなったら連れて行きたいなって≫
「そうですかこの次お会いするときは子供が小学校にあがったとか本当に楽しかったです」
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-1-31.html
┌─―――――――――――――――――┐
|2003(平成15)年 1月31日(金) 林美智子 |第回
└─―――――――――――――――――┘
黒柳「まぁ本当にしばらくでございました
林≪しばらくでございました
「みなさんはよく見ていらっしゃると思うのですが女優さんでいらっしゃるのですけども昔は渦潮、あの渦潮のヒロインをなさったのでもずいぶんになるんですよね。あのころ朝の恋人と、夫を遅刻させるヒロインと朝のテレビ小説の渦潮というのは男の人も見ていたんですってね。
≪そうなんですか。
「だから男の人が遅刻する、夫を遅刻させる朝の恋人があなただったんですけども。
≪新人が主役をするのは初めてだったんです。
「あの時バイオリンをお引きになったりしたの。
≪ああだいぶやせている(写真)(笑)
「でもあなたお変わりないわ。いわゆる若かったころの面影がそのままですもの。それはすごいと思いますよ。おかわいらしい面影が。その間に舞台を一緒にしたりとかいろいろあるんですけども。なんといってもこの番組に関していますと森繁さんが第1回のこの徹子の部屋のゲストだったんですね。
≪だからその時覚えています。みんな1回目だからね徹子さんがお祝いにみんな行こうと。
「そうなんです。ずっと森繁さんが出てくださっていたんですけども最後のコーナーのところでホントのちょっとのところで森繁劇団に出ていらっしゃったあなた方がそこにも出てくださっているので。でも第1回目のゲストにあることには変わりないのです。。27年前でございます。【写真】ここにあなたがいらっしゃるでしょう。
≪(笑)
「こんな感じですよ。そしてこの2月2日がきますとまああさってになるんですけどもちょうど28年目に入るんです。その次の月曜日からはこの28年目に入ってみなさまにお目にかかる。
≪だから若いわね。お互いに。
「それはそうですよ貴方28年目ですよ。
≪さようでございますね。
「でも若い時の28年とこのころの28年はあなたの方が若いと思うんですけどもこのころの28年でそんなにはね。でもで生まれた子が28になるの。と比べたらあのくらいの人間が28年かわるのとはそうは違わないでしょう。そんなには。
≪そうですか(笑)
「だって生まれた子供が28になる変わりようとですよあのくらい人(40代)が今ぐらいになるのとですよ変わってはいますけども面影はあるでしょう多少はね。森繁さんはちょっと変わってらっしゃいますけどね。
≪そうですね。
「その第1回目の時の森繁さんのは何回も放送しているんですが、あなたに私が質問をしております。第1回目ですから徹子の部屋の
≪覚えていない
「覚えてらっしゃるない。まる27年前のあなたさま。徹子の部屋第1回目でございます皆様その時のお客様はちょっとお話しをしておりますので。
≪見せてください
*****************************
黒柳「演出家として私はご一緒にお仕事をしたことはないのですがどうですかご覧になって
林≪何かもうため息ばかりついています
「あなたはお太りになりません?ずいぶんご健康そうな
≪健康でございます。舞台で今痩せる思いでやっております。
*****************************
「
≪太っているのに痩せる思いだなんて(笑)
「いやいや。でもあれが出そうだったんですよねなつかしいこと。ちょっと画面が
≪森繁先生もふっくらとお若い。
「そうですね髪の毛の色も。だからある年代、私たちもちょっと変わっているんだけどもある年代になるとうんと変わって見える年代というのがきっとどこかにあるでしょうね。
≪節目節目がね。
「節目がでどなたにでもね。そんなわけで。その間にも出ていいただいているんですけども、でも痩せる思いでございますが
≪私ってトークって本当に初めてなんですよ。一対一のトークが。だからよろしくお願いいたします。
「うそ!!
≪本当なんです。全然出たことないんです。
「そうあなたがトークってないかもしれない。その間出ていただいていないの。あれ以来?
≪ええ
「あらびっくりした。
≪28年、27年ぶり(笑)
「私その間にお会いしていると思ったんだけども芝居やなんかではお会いはしていたんだけどもこういうふうにしてその間他の物にも出ていらっしゃらないのトークって。
≪ええ
「わあびっくりした。じゃ貴重な
≪黒柳さんがね全部引っ張ってくださるとおっしゃるからそれじゃ何とかできるかなって。
「いやいや林美智子さん。まああのころ本当に渦潮ですごい人気だったのでご一緒にお芝居に出たときにすごい人気だったんですけども名古屋でね。
≪あれは何年前?
「あれももう30何年前ですね。(笑)それで駆け込み寺というお芝居。
≪そうでしたね。
「山田五十鈴さんとか八千草薫さんとか
≪私思い出すの黒柳さんがね初日の前の日でしたっけ長いというのでお出になるとすごいしゃべってらした。それが半分ぐらいになっちゃったでしょう。
「それはカットになったんですよね。
≪カットになったんですよ。それで皆がウワーお気の毒って言ってたのにね黒柳さんがはつらつとそれでも素晴らしくやってらしたので。皆で感心しました。
「女の人がそこにさえ駆け込めばどんなおってがきでも助かるという駆け込み寺というのがあったんです。そこのお話でね
≪そう。みんな駆け込んでくる女の人が
「私たちが悩みを持って駆け込んでくるという女だったんですけども。
≪そういうのがあるといい、今はいないですね。
「今は駆け込めなくもないらしいんですがやっぱりあの様にで私が門のところに立っていると山田五十鈴さんが向こうからいらっしゃってかごでいらっしゃってね草履をパッと門の中に放り込むの。向こうから追ってが来ていたんですよね。そのとき私がね野球でセーフってこうやるんでしょう。それで喜劇でしたのでこうやったの(大きく手を横に広げる)そしたらすごい受けたんですよね。セーフとは言いませんでしたけども。榎本ジミーさんがご本をお書きになってね。榎本ジミーさんは私はジミーというん外人の方だとばっかり思っていたんですお会いするまで。外人の人でね脚本を書くのって珍しいわねって言ったらみんなが「え!」なんて言ってジミーさんでしょう?ジミンさんですと言われて(笑)私覚えていなかったんだけどもあなたはすごく覚えてくださっていたのはあの何か私がいつも音楽をかけていたんですて楽屋で。
≪ええいらっしゃるとね音楽がかかってくるんですよ。だから今楽屋入りなさったのねって。それと私初めて教えていただいたパンダ、全然知らなかったのに
「私おしゃべりでパンダの話をしていましたもう
≪パンダをねあのねあのこんなはがきをね見せてくださってこれがパンダよって。
「まだみんなが知らないときですから。
≪知らないだれも知らなくて。大きさもわからないんですよ絵はがきだから。あとで大きさがわかってこんなに大きいものかと思って。
「あの時はパンダが来る前のことでしたからね。きっとあなたにパンダが、私パンダ博士なんて自分で言っていましたから。
≪いやだから取材に依頼したりしてパンダを一生懸命宣伝なさっていたのをよく覚えていますよ。
「そうでしたか。音楽がかかっていてミュージカルかなんかがかかっていてやっているのは時代ものなのに全然違う(笑)音楽をかけて。
≪すごい賑やかですよ、入っていらしたら。それでペラペラペラペラペラ・・・・・ってその音楽に合わせてこうやってしゃべっていてまぁこれも発声練習のひとつなのかなって
「(笑)あのとき楽屋の天井が突き抜けているから全部聞こえちゃったんですよね。でも一緒にご飯を食べに行ったりねあく楽しいことありましたよね舞台1カ月ご一緒でしたから。結局私次の芝居もあったものですからあの2カ月あそこに行って朝早くから言ってあそこで免許証を取ったんですよ私。名古屋であの時。
≪すごいですよ何しろね暇があったらじっとしていらっしゃらないのね。楽屋にいらっしゃらない。パっとどこか行ってらっしゃる。あれ黒柳さんどこいらっしゃった?いやちょっとすぐ帰ってまいりますからといってぎりぎり位にお帰りにならないから最初心配しましたね。
「そうでしょうどこ行っちゃったかなと思もって。ちゃんと帰ってはくるんですの。
≪でも毎日なんですよねそれが。いつもいつもお出かけなんですよ。
「どこ行っちゃったんでしょう誰かの楽屋に行ってたんでしょうかね。いやですね
≪私なんかは楽屋にじっとしている。
「あなたはいつもじっとしてらしたのね。通るたびに私がアラ~とか言ったりしたりね。でご飯は何にします、ご飯は何食べる?とか何とか言ったりすると
≪お世話になりました付き人の方にも。
「そうでしょう。懐かしい昔の話。でもアレなんですよねあなたは私知らなかったんですけども大阪のOSKの
≪学校を卒業して。
「そうなんですって。OSKて京マチコさんとか
≪笠置しずこさん
「笠置しずこさんとかおでになったをおいう。宝塚とはまた違うんですよね。大塚松竹
≪松竹なんです。
「松竹歌劇団のそこの学校。私あなたにいろいろなことうかがっていなかったんですけどもあなたすごいのびっくりしたんですけども7人姉妹で全部
≪女の子。
「全部女の子ですって。財産つぶすといいますよね女の子がいっぱいいると。
≪そうですよ本当に。
「何番目それで?
≪真ん中。
「真ん中
≪4女です
「4女。まあお嬢さんばっかりであなた方かわいかった。【写真】あらかわいいこれあなた?
≪長女とね。
「お姉様とあなた。
≪1番上のね。
「これ男の子かと思いましたけども女の子しかいないのでこれあなた(笑)元気そう。
≪かわいいね。このころは(笑)
「で当時はあなた(笑)かわいいこのころ。ってでも当時って本当に考えられないけどもお着物などね。今って子供に着物ってあまり着せないでしょうこういうふうに。1歳のときに。
≪そうですか。
「当然のように。でも大きい一歳ねあなた。
≪そうですかチビだったんですよ。
「でもお姉様かわいいよねぇランドセルをしょっちゃって。いくつ違いなのお姉様と?。
≪8つ。2個ずつしか違わないの。
「だから1番上でもそんなには違わないという感じなのね。でもお父さんも大変だと思ってお父様は当時に市議会議員。市議会議員もやってらしてお父様ミシン工場、縫製工場やってらしたので女の子たちはお家でミシンのお掃除とかをしなければいけなかったんですって
≪もう7人いるから当番で2人ずつ1番下はちょっと離れているもんですからですから6人を2人親分と子分とね
「そういうふうに分かれちゃうの。女の子ばっかりいると。
≪だんだんで派閥でねけんかがなんかがが始まったりする
「お家の中で。ミシンといってもご商売で縫製してらっしゃるからそういうところや何かをお掃除を、売る方のミシン
≪店は売り場ばっかりなんですよ。工場は別なんですね縫製の方は。
「じゃああなたは売り場の方の
≪売り場の方の担当のものとそれから台所をする担当のものとかいろいろみんなあれして
「じゃあ縫製は違うんだけども売る方のミシンの大掃除等台所とは
≪学校へ行く前にさせられちゃったりするんですよ。
「それは大変ね。でも今うかがっていると7人も女の子ばっかりだとあなたよりうんと下の子は別としてと派閥ができてしまう。
≪だから子分がね言いあげるんですよ親分に。あれがここをこうしてるとか。そうしたらね親分同士がわっとケンカして
「あなたはどっちの親分についていたんですか?長女の親分の方それとも
≪え!私は下の子の親分ですよ。
「あなたが親分!!あってあなた親分だったんですか。親分ってすごいでしょうお家の中ですけども(笑)じゃあなたが下の子の親分そうしたらお姉様に対してあの下の子を代表して何か言う?
≪そう。そしたらまた上がこう言いますでしょ。もうつかみ合いの。母がね女の子なのに何でそんなにケンカするのかってすごい喧嘩していました。
「つかみ合い?
≪つかみ合い。血が出るんですから。
「そんなにすごいの。すごいわね(笑)お猿さん同士のケンカみたいなちゃうの。
≪そう。もう思い出しただけでぞっとします。
「今はみんな仲がいい?
≪みんな仲いい(笑)
「そうでしょうね。
≪でもケンカができるぐらいが元気だといいですよね。
「でも2つずつだと割と近いから
≪近いからそうなんですよ。
「よくほら1番下と1番上はものすごくちがちゃってる兄弟もあるじゃない。
≪はい
「でもそういうふうにして2つ2つ違ったり年子とか。考えただけでもお家大変だったでしょうご飯なんて言ったりするとね。
≪そうですよ。みんなお手伝いさんがねおばあちゃんもいてねあのもうご飯お代わりご飯お代わりとみんながこうやるわけですから。お昼の間もう大変。
「おひつにどんなにご飯があったって7人の女の子とお父様とお母様のみんなのご飯ですからそれは大変です。
≪それと従業員もいましたからね。大変大家族でしたから。
「そんな中でお育ちになったんですか。じゃあそういうふうになっているとやっぱり強くなりますよねどうしても。
≪そうですね。なかなかあの競争が激しいですからね。
「あなたの強さはどこからを出ているのかなと思っていたんですけども
≪黒柳さんみたいにおひとりじゃねぇ私のあの世界なんかは考えられない
「いやいや私4人なんですよ兄弟は。
≪ご兄弟いらっしゃるんですか
「いるんですよいるんですよ。私長女なんですけども
≪お一人ぽいですよね。
「そうみんなに言われるの私長女なんですけども、それにも見えないし下に3人いるんですけどもそうとも見えないといわれて。離れているんですけどもね。父が戦争に行ったり何かしたものですから。でもあなたのような、私の強さは芸能界入ってからですね強くなりましたので。先輩の方々にしごいていただきました。あなたもしごかれた?
≪はい。もういろいろと。
「しごかれた方がいいですよね人間強くなって。
≪強くなりませんけどもちっとも。
「いやいや。でも私は渦潮をお済になって初めて舞台でお会いしたときは強い方なんだろうなとすごいあなたのことをそう思って見ていたんですよ私。
≪そうですか。
「四国のご出身とおっしゃったでしょう。私の学校の先生で四国の土佐の先生ですごい怖い先生がいたの。同じ四国だと思っただけですごく強そう怖そうと思って
≪そんな(笑)
「それでしょっちゅうあなたの楽屋のとこにいらっしゃると言って何か召し上がりはせん?と食べ物を持っていたでしょう私。あれはやっぱり
≪すごい食べることばっかり(笑)
「ああいうふうにした方がきっといいに違いないと思ってあなたのところにしょっちゅう食べ物を持っていった。恐いかもしれないと思って。
≪いやああのおつきの方がでとても気のきく方でね、ちょっとしたものをよくいただきました。ごちそうさまでした(笑)その何十年も前。
「30年以上前のことですけども。昨日のことのように思い出します。ちょっとコマーシャルですまだお話したくさん。
≪
黒柳「でもそんなふうに手広くお父様はやってらしてお嬢さんたちにも全部いろんなものを習わせてあなたも随分いろんなものを習ってらしたんですってねお子さんのとき。
林≪何であんなにな習いものがOKだったんでしょうね。もうみんな習い事をしていました。
「ピアノ、そろばん、バレイ、日舞。ご姉妹7人いてみんなですから大変。【写真】こういうの、かわいいかわいい。
≪私6月6日生まれなんですよ。6月6日から習い事をすれば
「6歳の6月6日。めずらしいですよねあなたは普通の歌舞伎のうちの子じゃなくて6月6日というのはね。
≪そうなんですよ。
「6歳の6月6日。
≪誕生日のときにあのお師匠さんの所に連れていかれて
「今すいませんどっちがあなただか分からなかった。もう1回今の写真をお願いします。今の日本舞踊の方。もう1回よく見てみますね。左の方の・・・
≪左じゃなくて右ですよ。
「あら右があなた。わかってるじゃありませんか可愛い方よだって(笑)皆さん聞こえました。
≪いやプックリしてる方よっていうか。
「そうか今のは女の子になっている方があなた。日本舞踊は気に入ってらしたんですが右側のポプックリしたお嬢さんが今日のお客様ですよ皆さんね。そうか左側は男の子の役で。これでいい着物を着てまた大変でいらしてお父様はなんだかOSKに入ってみたらどうってをお父様が勧めてくださったんですって?
≪新聞を見てね田舎ですから宝塚も何もわからないわけですよ。
「愛媛でいらっしゃるのね。
≪ええ、それで新聞を見て松竹何とかかってはこれお前試験をちょっと受けてみるかっていうから、いや受からないでしょうこんなのって思ってまあ経験でいいかと思ってで受けてみたんですよ。たぶんだめだろうなと思って伸長が低かった背が低かったものですから私。皆さん高くて見上げるように高い人ばっかりですから。でも受かったんですよなぜかねぇ。
「でも笠置シズコさんはとても小さい方でしたから。
≪でもで学校に入ってから10センチもビューと伸びたんですよ
「伸びたんですか。すごい10センチも。急に
≪急に。高校の時からですからねちょっと遅いですよね。
「でもそれにしても今26歳の朝飯前まで伸びるそうですから高校でも伸びるんじゃないですかね。ところがそこの学校にいらっしゃっていよいよ舞台にこれから出るとかいうようなときに辞めなければいけないことになったんですって。
≪倒産したんですうちが
「お父様。
≪それでもう仕送り一切ならずということで卒業して親せきが1件もございませんのでね大阪には。一応帰らなくてはいけなくなって。
「愛媛に
≪はい
「ああそうかそうかOSKて大阪にあるんですものね。
≪奈良に学校があるんです
「じゃあそこの寮に入ってらした
≪寮に入っていました
「そこで故郷にお帰りになったんだけどもでもびっくりなさったでしょうそんなにお家が倒産なさったなんて
≪びっくりしました私ね総代で出していただいてね答辞を読んでいて、皆さん父兄が見ていらっしゃっているのにうちだけなんですよきてないのはね。父兄が
「それは倒産しちゃったから。
≪そうなんです。それどころじゃないですようちがもひっくり返っているわけですから。
「大変ですね。
≪だってさびしい、寂しかったですよやっぱり。それはもう忘れられないそれに帰らなければいけないという頭があるでしょう。
「かわいそう。じゃあもう大変ね。
≪
黒柳「それで夜逃げ同然でOSKからあの四国の愛媛にお帰りになったんですけどもおうちの方もお通夜みたいだったんですって。それであなたは仕方なくて自分ひとりでトランク持って
林≪それを夜逃げ同然でした。父親にいったら大変ですからね。そーと。
「まあOSKに入れとおっしゃってもやっぱり大阪にいってどこかの芝居やに行こうというのはね。でも一夜にして倒産というが本当にあるんですね。よくもちろん今もありますけども、そんなお嬢さん7人にね日本舞踊だバレイだピアノだって教えさせていい着物を着てというお家だったのに本当に何もなくなっちゃう状態。それであなたは
≪新春座という劇団にイズムラユキオ先生というその松竹の音楽学校の演劇の先生のひとりだった方に入れていただいたです。
「ヨロズヤミネコさんがいらっしゃった劇団。そこで暮らすことになったんですけども大阪で下宿生活。2食ついて6000円。
≪ええそうなんです。
「そういうところを探してい。
≪探してだから劇団に入ってもしだしという通行人しかで最初はあれですから。それが最初にNHKに出た時に470円なんですよ。手取りが。
「大阪のNHKで
≪だから6,000円あれするのにもう大変だったんですけど劇団の方たちが出なるべ役を回してくださったりして
「じゃ通行人をやればでも15回もやらないとあのアレなんですってね6,000円のお部屋代が出ないから。通行人も舞台やってたんじゃそんなにお金もらえないでしょう。テレビがだんだん上り調子なってきたときだったのでお仕事があったかもしれないけども
≪そうですね1年ぐらいたってから”シャボン玉人生”というので蝶々さんのあれですけどもレギュラーにしていただいてそんな中。でも私大阪弁ができなかったんですよ。
「大阪弁ができない。愛媛は全然違う。
≪松竹の音楽学校で標準語たたき込まれるわけですよね。大阪弁が全然できないですよ。それでもう本当に
「渦潮の時は尾道
≪尾道。
「尾道だからちょっと違うのね。尾道は愛媛からそうすううると瀬戸内海から離れて反対だからまた尾道はよかったですよね。でも大阪弁が。
≪まず最初大阪弁で大変でした。
「私関西でから何でもできるのかと思っていた。大変でしたね。蝶々さんと一緒だったら大変だったでしょう。
≪それで生だったでしょうそのころは。
「渦潮だって生同然?
≪なま同然ですよね。最初から切らないで
「ちゃんとしたVTRみたいなものはあったんですがちゃんとしたVTRというかに切ったら今は「え」というところだけでも切れるんですけど、当時はVTRみたいなものはあったんですけども全部やってあれは15分でしたっけ?
≪音楽入れてナレーションでそこで全部ロケーションも入って最後の続くみたいなところまで全部
「どこまでこの最後のところで失敗があったら頭から撮り直しですものね。
≪そうなんですね。黒柳さんもね経験なさって。
「もういっそう生の方がいいですねやったらもう何があったってそれで終わるんですけども、あの長いセリフなんかがあったらもうよかったと思っても終わりだなと思って誰かが終わりの方で「すみません」なんていっちゃうと「はい頭からもう1度」と言って全部初めからやるんですから。そのうちみんなねをノイローゼになってくるんですよね。
≪だから皆伝染しちゃってね7回やったことあるんですよ15分間。最高。最初のころはご飯をウワーと食べるなんていう元気なフミコさんだったでしょう。もう食べるのがオエーとなるぐらいで
「わかりますね
黒柳「いま私が手に持っておりますのはご商売をやっていらしたころの
林≪なんて言うんでしょうね。
「おかあさまが4年前にお亡くなりになったんですって。それでお蔵の中を調べていたらこれができたんですって
≪そうですね。
「ありがたいことに全部林美智子さんがおでになったもののスクラップ。そしてあなたはすごくかわいいでしょう。だけどすごいのがあってあなたは渦潮が芝居になったんですね。新聞なんですけども宇和島日日新聞。渦潮の林美智子を1行きたる、1000人を超える出迎えの大群衆。パトカーや交通整理の警官出動。こういうものお母様は取ってくださっていたんですよ。一目でも見たい動きのとれるファンの山。すごいですね。テレビより面白い林さんはうどんが好き。今日公会堂で昼夜2回感動の舞台。すごいですねこれお母様が全部。ご存じなかったのやっておいてくださったことを。
≪全然知りませんでしたの。
「あそうじゃありがたいですね。
≪チカオ先生が舞台の演出をしてくださったの。
「どなたが?
≪チカオ先生。
「こういうまぁ週刊誌の表紙にもたくさんなってらっしゃるんですけども当時のかわいい林美智子さん。
≪当時の(笑)
「でもかわいい。お母様がこんなふうに何かもっと他にもあると思いますけどもこうやって下さったということは今になるとビックリなさる。お父様はその前にお亡くなりになったんですって?
≪そうですはい
「でもお元気でね本当になによりでしたしばらくでお目にかかれて。
≪うれしゅうございます。
「ありがとうございました。林美智子さんでした。
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