過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

 

 8/23映像◆https://v.youku.com/v_show/id_XNDUyNTM2OTQ0OA==.html

 音源◆ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ! AT THE HOLLYWOOD BOWL https://youtu.be/X7Jwl-DQlDw
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL』  ┃
 ┃  『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!』  ┃
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 1977(昭和52)年05月04日(wed) US released
 1977(昭和52)年05月06日(fri) UK released
 1977(昭和52)年05月20日(fri) JP released
 1977(昭和52)年06月06日(mon)付 オリコン週間LPチャート第①位
 1977(昭和52)年06月13日(mon)付 オリコン週間LPチャート第①位
 1977(昭和52)年06月27日(mon)付 オリコン週間LPチャート第①位
 時代を揺れ動かすエネルギーは10年にひとつ。
 そのすべてがこのアルバムには吹き荒れている。
 ビートルズは20世紀にロールしている。
 そしてロックよ、果てしなく続け!!
 KEEP ON ROLLING, John, Paul, George & Ringo!! ●内田裕也●
 Side A
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Twist And Shout♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪She's a Woman♪
 1965(昭和40)年08月29日(sun) ♪Dizzy Miss Lizzy♪後半部分
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Dizzy Miss Lizzy♪前半部分
 1965(昭和40)年08月29日(sun) ♪Ticket to Ride♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Can't Buy Me Love♪
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪Things We Said Today♪
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪Roll Over Beethoven♪
 Side B
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪Boys♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪A Hard Day's Night♪
 1965(昭和40)年08月29日(sun) ♪Help!♪
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪All My Loving♪
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪She Loves You♪
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪Long Tall Sally♪
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 ┃ 『LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL』 ┃THE BEATLES
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 A RON HOWARD FILM『EIGHT DAYS A WEEK』THE TOURING YEARS
 2016(平成28)年09月09日(fri) released
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪You Can't Do That♪
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪I Want to Hold Your Hand♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Everybody's Trying to Be My Baby♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Baby's in Black♪
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 https://www.amazon.co.jp/dp/B01ISHCD8I
 https://music.amazon.co.jp/albums/B01KBWETBW
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT6LBXS
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_at_the_Hollywood_Bowl
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL』 ┃ 
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1964(昭和39)年08月23日(sun) recorded
 1964(昭和39)年08月27日(thu) Stereo mixing
  Studio, Capitol Records, 1750 North Vine Street, Hollywood, California, US.
  All songs from Live Concert at the Hollywood Bowl, August 23. 1964
  01♪Twist And Shout♪
  02♪You Can't Do That♪
  03♪All My Loving♪
  04♪She Loves You♪
  05♪Things We Said Today♪
  06♪Roll Over Beethoven♪
  07♪Can't Buy Me Love♪
  08♪If I Fell♪
  09♪I Want To Hold Your Hand♪
  10♪Boys♪
  11♪A Hard Day's Night♪
  12♪Long Tall Sally♪
  Producer: Voyle Gilmore
  Engineer: Hugh Davies
  2nd Engineer: not assigned
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 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17107
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『The Beatles At The Hollywood Bowl』 ┃
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 Capitol SMAS 11638 - May 6, 1977
 Parlophone EMTV 4 - May 6, 1977
 Music For Pleasure MFP 4156761 - September 3, 1984
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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 削除映像◆HOLLYWOOD BOWL Concert August 23 1964 THE BEATLES  http://youtu.be/D15ojax_T8k
 Live At The Hollywood Bowl, Los Angeles, CA, USA August 23rd 1964
 01. 00:00 Opening / Twist and Shout
 02. 02:02 You Can't Do That
 03. 04:38 All My Loving
 04. 07:00 She Loves You
 05. 09:33 Things We Said Today
 06. 11:54 Roll Over Beethoven
 07. 14:12 Can't Buy Me Love
 08. 17:00 If I Fell
 09. 19:34 I Want to Hold Your Hand
 10. 22:00 Boys
 11. 24:48 A Hard Day's Night
 12. 27:20 Long Tall Sally

 削除音源◆"The Beatles At The Hollywood Bowl" (U.S. Stereo Live LP - Capitol) [Full Album] http://youtu.be/lGdWN_N8u8g
 01. 00:00 "Introduction / Twist and Shout"
 02. 01:31 "She's a Woman"
 03. 04:48 "Dizzy Miss Lizzy"
 04. 08:28 "Ticket to Ride"
 05. 10:51 "Can't Buy Me Love"
 06. 13:15 "Things We Said Today"
 07. 15:25 "Roll Over Beethoven"
 08. 17:56 "Boys"
 09. 20:35 "A Hard Day's Night"
 10. 23:41 "Help!"
 11. 26:15 "All My Loving"
 12. 28:28 "She Loves You"
 13. 31:37 "Long Tall Sally"

 LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL CDを聴いて(その1)
 Beatlesのl『LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL』CDも結局HMVの4点セット買いで注文していた。8日に発送され10日午前に届いた(関東圏なら9日に到着していただろう)*映画サントラとして発売された感が強いデザイン 発売までにネットで3曲ほどプロモーション的に聴けた。それらを聴いて受けた印象は「77年のオリジナルLP(以後、旧盤と呼ぶ)とあまり変わらない」と言うものだった。 今日ようやく商品としてのCDを自分のオーディオで聴けた。4回は繰り返したし、比較のために各国の旧盤やらブートも引っ張り出した。CDを聴いての率直な印象としては、事前にネットで聴いた印象の通り、あんまり旧盤と変わらない。remixで歓声の音量レベルが下げられて、聴きやすくなったというのは間違いではないけれど、正直、旧盤についてもDrumsやボーカルが十分に良い音で録音されていたことはよくわかっていた。特にDrumsは。旧盤が、「歓声が演奏よりも大きくて聴けなかった」という意見の人もあるようだが、当時どういうアナログオーディオを使って、どれくらいの音量で聴いていたか?これによって印象が大きく変わると思う。僕の推測だが、もし今回、旧盤のオリジナルマスターをそのまま使用したCDが登場していたとしても、そのように言っている方々はきっと「旧LPよりも聴きやすくなった」と言ってる気がする。なぜなら旧盤当時の普及クラスのオーディオ機器の(特にアナログ関連の)実力は、現在のCDプレーヤーのそれに比べると、同価格帯の場合実力が劣っていると思われるからだ。想像するに、ナローレンジな再生音で、ちょうど一番耳につく帯域に歓声が飛び込んできてしまう、みたいな。でも、それはレコードに刻まれた音信号のせいではなく、使用していたオーディオ装置のせいであり、高い実力を持つアナログオーディオで再生すれば、旧盤も(歓声の音量レベルは下げようがないが)問題なく聴けるし、旧盤の音に驚くことだろう。*デジパックの中は、そっけないデザイン。編集盤『1』から、デザインのクオリティは音楽に反比例して下がっているとは言うものの、今回のCDは実際に音質が向上しているのは事実だ。冒頭の「Here they are the Beatles」のアナウンスから旧盤よりも明らかに音質が向上しているとわかる。マスターの音に近づいたのだ。推測になるが、旧盤制作時に使用された3トラックマスターはコピーtapeだったのではなかろうか?今回はCapitol recordsに保管されていた3トラックマスターを使ったとのこと。さらに、77年当時は3トラックを一度アナログのマルチトラックテープ(普通に考えれば24トラック)にコピーし直してマルチトラックでのミキシング・マスタリング作業をしており、そのようなtape to tapeでの作業においても音質劣化が当然発生する。今回はオリジナルマスターをそのままデジタルに変換しての作業だったなら、旧盤との比較で2世代以上の音質差が生じてもおかしくないだろう。そのように、オリジナルの3トラックマスターに納められた収録音の音質劣化は旧盤よりも避けられているので、それぞれがより明瞭になり、細かなニュアンスが以前よりもわかるというのも事実だ。では、今回のミキシングや新たな技術の効果(成果)はどうだったのか?長くなるので、次回に持ち越し。
 http://jdanalog.blog111.fc2.com/blog-entry-1041.html
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ 
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
 ┌─――――――――――――┐
 |1964(昭和39)年 8月23日(日)|「よみがえったライブ演奏」
 |2010(平成22)年 8月23日(月)|甲虫日記更新日 No.079
 └─――――――――――――┘
1964年8月~9月、ビートルズは2回目の米国公演に出かける。カナダの3都市を含めた25都市を巡る大規模な演奏旅行の全行程は、2万2千マイルを超えた。その年の2月、「I Want To Hold Your Hand」が全米ナンバー・ワン・ソングに輝き、初の米国公演が実現。ワシントンのD.C.コロシアムとニューヨークのカーネギー・ホールでの歴史的な公演は、英国のポップ・ミュージシャンにとって快挙となる「全米制覇」の象徴的な出来事になった。彼らの勢いは、半年たっても衰えることはなかった。映画「A HARD DAY'S NIGHT」は全米で500以上の映画館で上映され、レコードも大ヒットしていた。ツアーが始まると、舞台にはジョージが「好物だ」と発言したゼリー・ビーンズが雨あられと投げ込まれ、しばしば演奏が中断することもあった。熱狂した女性がステージに押し寄せようとしたことから、演奏の途中でショーが中止されるハプニングも起きた。前売り券は、瞬く間に売り切れた。8月23日にロサンゼルスのハリウッド・ボウルであった公演は、フランク・シナトラとディーン・マーチンですら切符が買えないほどだった、という逸話もある。このハリウッドの丘陵にある野外音楽場でロックンロールが演奏されるのは、それが初めてだった。1万8700人分の入場券は売り切れ、600人以上のファンが会場の外にあふれ、木によじ登って演奏を見ようとしたファンもいた。この異様な雰囲気のなか、駐車場で男児を出産したファンもいたという記録も残っている。巨大な貝のような壁に囲まれた野外音楽場は、音響効果がいいことでも知られていた。キャバーン・クラブでのライブ演奏を録音しようと考えたことがあるジョージ・マーティンは、キャピトル・レコードのエンジニアを手配した。
その夜、演奏されたのは12曲。ジョンの「森の中にようこそ」というあいさつで幕を開けたショーは、「Twist And Shout」で始まり、「Long Tall Sally」で閉じられた。約29分間の演奏すべてが3トラックのテープに収録された。ところが、4日後にテープのミキシング作業を始めたマーティンは、頭を抱えた。「観客の絶叫がまるでジャンボ・ジェット機のエンジンの後ろに置いたマイクで拾ったようなサウンドで全体を覆ってしまった」キャピトルはライブ・レコードのリリースをあきらめなかった。翌65年8月29、30の両日、3回目の米国公演を果たしたビートルズは、再びハリウッド・ボウルでコンサートを開く。そして、その両日ともコンサート全曲が録音された。だが、
1965(昭和40)年8月29日(日)の公演は最初の4曲でポールのボーカルの声が入っていないなど技術的な欠陥が発覚して没になった。
1965(昭和40)年8月30日(月)の公演も、舞台での演奏より観客の悲鳴のほうに圧倒されるような録音だった。結局、ビートルズは発表すべきではない判断した。
 ◎最悪のコンディションのライブ音源。しかしレコード化に… 次のページへ
この歴史的なテープが日の目を見るのは、最初の録音から約13年後の77年5月。EMIの保管室に埋もれていたテープをキャピトルの社長が見つけ、マーティンにレコード化を依頼したのがきっかけだった。しぶしぶテープに耳を傾けたとされるマーティンだが、当時のしびれるような雰囲気と演奏から醸し出されるエネルギーに圧倒され、心を動かされた。ビートルズのスタジオ・エンジニアを担当したジェフ・エメリックの協力を得てテープを磨き直し、レコードとして見事に編集した。アルバム「THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL」は、64年と65年の双方の公演からベスト曲が収録されている。現在では当然とされている、ボーカルや楽器のオーバーダビングが一切されずにオリジナル演奏だけが収められた。
1964(昭和39)年8月23日(日)の公演からは「All My Loving」「She Loves You」「Things We Said Today(今日の誓い)」「Roll Over Beethoven」「Boys」「Long Tall Sally」の6曲。
1965(昭和40)年8月30日(月)の公演からは「Twist And Shout」「She's A Woman」「Dizzy Miss Lizzy」「Ticket To Ride(涙の乗車券)」「Can't Buy Me Love」「A Hard Day's Night」「HELP!」の7曲が選ばれた。
ビートルズ唯一の公認ライブ・レコードは、英国で音楽チャートの1位、米国でも最高3位を記録した。今と比べて音楽に関する情報量が圧倒的に少なかったころ、レコードとはいえ初めてビートルズのライブ演奏を体験した。ジョンがニューヨークのマンションで「主夫」生活をしていたころでもあり、中学生だった僕に「再結成」という淡い夢を抱かせてくれた。 ハリウッド・ボウル公演の録音テープは、ライブ・レコード以外でも使われている。64年11月に米国で発売された企画盤「THE BEATLES STORY」には、「Twist And Shout」が48秒間だけ抜粋されている。このほか
1965(昭和40)年8月15日(日)のシェア・スタジアム公演のテレビ番組用サウンドトラックを修正するため、8月30日のハリウッド・ボウルでのライブ収録テープが使われている。ビートルズのライブ演奏は、その熱狂的な観客の歓声も含めて歴史的ドキュメントとしての価値がある。96年3月に発売されたシングル「Real Love」には、
1965(昭和40)年8月30日(月)に演奏されたもののレコードには収録漏れした「Baby's In Black」が収められた。CD化が待たれる名盤だ。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は9月11日(更新は10日)です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ シングル「Real Love」は、「Free As A Bird」(95年)に続く第2弾のマキシシングルとしてリリース。「Baby's In Black」に加え、「Yellow Submarine」「Here There And Everywhere」の未公開バージョンが収められた。
 リアル・ラブ 1996年3月4日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/100823.html
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 ザ・ビートルズがハリウッドを圧倒した時『Live At The Hollywood Bowl』
 2016(平成28)年09月05日(月) Published
 北米に進出し始めた段階で、ザ・ビートルズは既に3年間もライヴ活動の経験を重ねていた。そのあいだには故国イギリスだけにとどまらず、過酷なハンブルグ巡業(スター・クラブへの出演)もこなしている。こうしてジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人は、しっかりとライヴの経験を重ねたベテランとなっていた。イギリスで熱烈なファンを獲得した彼らは、ザ・ビートルズ旋風がピークに達した1964年の初め、次の照準をアメリカに定めた。この時点になると、ザ・ビートルズのメンバーは観客席から投げつけられそうなものは既に全部見たと考えていた ―― なにしろハンブルグでは、文字通りありとあらゆるものが投げつけられていたのだから。それでも、イギリス最高のバンドを歓迎するために集まったアメリカのファンはイギリスのファンを上回る熱気で4人を圧倒した。ザ・ビートルズがアメリカで最初に大きな反響を呼んだのは、「エド・サリヴァン・ショー」に出演したときのこと。その模様は、1964年2月9日に北米全土の家庭に向けて放送された。視聴者数は推定7,300万人 ―― このとき「エド・サリヴァン・ショー」は番組始まって以来の最高視聴率を叩き出した。この出演を皮切りにブリティッシュ・インヴェイジョンが怒濤の勢いで始まり、ザ・ビートルズは一夜にして有名人になった。首都ワシントンで初コンサートを行ったあと、ザ・ビートルズはニューヨークの有名なカーネギー・ホールのステージを踏む。その後「エド・サリヴァン・ショー」にはさらに2回出演した(どちらも放送日は日曜日)。本人たちが帰国したあとも、アメリカのザ・ビートルズ熱は高まるばかり。ただし夏に再びアメリカを訪れた4人は、過去の開拓者と同じ目的地 ―― つまり西海岸を目指した。こうしてザ・ビートルズは、
‡1964(昭和39)年08月23日(日)にハリウッド・ボウルに出演した。会場はスケールの面ではおそらくシェイ・スタジアムに次ぐ大きさ。そんな大会場であるハリウッド・ボウルに、ザ・ビートルズは1年間に3度出演することになる。この1964年8月のコンサートのあとは、1965年の8月29・30日に2日続けてライヴが行われている。それら3公演から選りすぐりの演奏を集めたのが、1977年のアルバム『The Beatles At The Hollywood Bowl(邦題:ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル)』だった。この音源は観客の絶叫が演奏に被さっていることで有名だ。おそらくこれは、ザ・ビートルズ旋風の熱狂ぶりを最もよく伝える作品なのではないだろうか。そのマスターテープをジャイルズ・マーティンとアビイ・ロードのエンジニア、サム・オーケルが発掘したことにより、この『Live At The Hollywood Bowl』はまた新たなかたちで蘇った。ボーナス・トラック4曲が追加されたこのリマスター版で、ファンはついに当時のザ・ビートルズの演奏をはっきりと確認することができる(メンバー自身は自分たちが演奏する音を聴くことさえできなかったのだが)。このニュー・マスターでも、ハリウッド・ボウルに詰め込まれた約2万人の熱狂的ザ・ビートルズ・ファンの絶叫は完全には消えていない ―― しかしそれは決して悪いことではない。イギリス最高のバンドを目にしただけで身も心も張り裂けんばかりになった観客の声は、50年後の今聴いても驚異的なのだから。こうした様子からは、ザ・ビートルズが台風の目だったことが感じ取れる。ただしその台風は実に貪欲な台風であり、進路にあるものすべて、そして最終的には自分自身をも飲み込もうとしていた。そんな狂乱の渦に周りを囲まれているにもかかわらず、ザ・ビートルズの面々はステージ上で奮闘し、驚くほど平静に曲をやりこなしている。ここでの「ツイスト・アンド・シャウト」(演奏位置がコンサートの最後から最初に移されたばかりだった)は、有名なアルバム『Please Please Me』収録ヴァージョンをもしのぐ強烈な仕上がりになっていた。ここでのジョンは、ほとんどの歌手がステージ最後まで取っておくような激しい歌声を披露している。そうした爆発的なエネルギーが『Live At The Hollywood Bowl』には記録されていた。一方このアルバムでは、ザ・ビートルズのメンバーの熟練した演奏ぶりも確認できる。周囲の狂騒をよそに、彼らは最初から最後までプロとしての仕事に徹していた。観客の絶叫にかき消され、自分たちの演奏さえ聴くことができない……とザ・ビートルズが発言していたのは有名な話(このアルバムでも、ある時点でポールは「こちらの音、聞こえてる?」と尋ねている)。しかし「Ticket To Ride(邦題:涙の乗車券)」を聴けば、それでも演奏には問題がなかったように思える。ジョージの弾く冒頭のフレーズもリンゴの正確なドラムスも完璧な仕上がりだった。ただし、プロの仕事に徹していても、メンバーの個性が消えたわけではない。曲を紹介するジョンとポールは、上品な司会役であると同時に小粋な芸人コンビでもあった。自分たちのいる状況をユーモラスに感じたふたりは、おどけた囁きを交わしている ―― ある時点では、ジョンが観客の馬鹿げた振る舞いを見て吹き出していた。そうしたやり取りからは、当時のザ・ビートルズが置かれていた状況が痛烈なまでに伝わってくる。激流の真ん中で、このリヴァプール出身の4人の若者たちは音楽を一緒に演奏しながら、世界を変えようとしていたのだ。
 ザ・ビートルズ アーティストページ
 ザ・ビートルズ関連記事
 ザ・ビートルズと横断歩道、そして8トラック・レコーダー
 ポップ・ミュージックの存在価値を変えた『Revolver』
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/bowled-over-by-the-beatles-in-hollywood

 

 映像◆Live at Shea Stadium, New York, The Beatles https://youtu.be/PWIscnd2J4k
‡August 23, 1966
 I synced a variety of sources including three 8mm films and two/three newsreel films. Unfortunately all of these 8mm films have speed issues, which I have tried my best to fix. One ran 30% too slow, while the others ran 50-60% too fast! Audio is synced to both real audio from the show (from NBC News cameras) and audio from Candlestick Park on August 29. Enjoy!
 1. Introduction / Setup 0:00
 2. Rock and Roll Music 1:47
 3. She’s A Woman 2:21
 4. If I Needed Someone 2:45
 5. Day Tripper 3:33
 6. Baby’s In Black 3:37
 7. I Feel Fine 4:07
 8. Yesterday 4:42
 9. I Wanna Be Your Man 5:06
 
 音源◆The Beatles - Live At Shea Stadium, August 23 1966 https://youtu.be/HZeRXeAPojM
 
 映像◆(Synced) The Beatles - Live At The Shea Stadium - August 23rd, 1966  https://youtu.be/swCmutypWvw
 
 The Beatles - Live At Shea Stadium, August 23 1966 https://youtu.be/HZeRXeAPojM
 0:00 Intro
 1:29 She's A Woman
 1:45 If I Needed Someone
 2:25 I Feel Fine
 3:37 Yesterday
 4:28 Paperback Writer
 4:57 Outro
 This is one of the worst sounding Beatles concert, you can only hear people taking and screaming girls.
 


 白黒映像◆The Beatles Live At The Hollywood Bowl, Los Angeles, USA https://youtu.be/pl8SG6wVUG8
 Sunday 23rd August 1964
 
‡1964年8月23日 Hollywoodbowl カラライズいくらライブ盤音源収録がメインで映像はおまけ?とはいえ、カメラ稼働とカメラワーク共にグダグダなのが惜しまれるライブ。最低でも4台のカメラがあるのに各カメラ頻繁にダウンして稼働してるのは常時1-2台というお粗末さ。近年別角度映像が出始め総計8台態勢説も出ていますが、何台で撮ろうとグダグダです(笑) Twist & shoutのイントロで引いてて唄い出しでクローズアップするのが何故シンバルで顔が隠れてるリンゴ? と感じるのは私だけではないはずですし、アップしてる時にグラグラするなよと(笑) You can't do that前半は3台死んで1台だけの稼働カメラが観客をずっと撮ってる.....ディレクションはどうなってるの? とか突っ込めばキリがない(苦笑)。とにかく、まともにステージすら撮れてない曲もかなり多いんですね。カラライズはあまりうまくいきませんが、BBC Motion Gallery中心の素材でアタマ3曲は何とか、というところです。
 映像◆https://www.facebook.com/groups/720792321370235/posts/4142895379159895/
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES INTERVIEW   ┃  DM's Beatles site
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛by Dmitry Murashev
 ┌─―――――――――――――――――――――┐
 |Press Conference in Los Angeles, California |No.25
 └─―――――――――――――――――――――┘
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) August 23
 Q: "A psychiatrist in Seattle is saying that you are a menace - You bring out the destructive instincts in teenagers, and you oughta be banned."
 George: "Psychiatrists are menaces, too."
 (laughter)
 Q: "Do you plan to visit Iron Curtain countries?"
 John: "We don't plan our vinits! ...Visits."
 Paul: "Vinits."
 John: "Our manager does. So ask him."
 Q: "Would you like to make a film in Hollywood?"
 John: "Yeah."
 George: "We don't mind, but we make the film where the company thinks it's suitable."
 John: "...and cheaper."
 (laughter)
 Q: "What movie actors would you like to meet in Hollywood?"
 Ringo: "Paul Newman."
 Q: "What about actresses?"
 Paul: "Jayne Mansfield."
 Q: "Paul, do you guys plan to date while you're in L.A.?"
 Paul: "Alright. See you 'round about nine then."
 (laughter)
 Q: "Are any of you fellows athletes? and what is your favorite sport?"
 Ringo: "No."
 George: "None of us are athletes. No. and we don't particularly like any sport, except swimming."
 Q: "How content will the Beatles be when they return from here to civilization on the cheap side?"
 John: "I don't know where that is."
 (laughter)
 Q: Would you care to venture a guess as to how long you think your success as the Beatles might last?"
 John: (giggles) "No."
 Ringo and Paul: "No."
 George: "No."
 John: "No."
 Q: "I asked Elvis a couple of months ago if the Beatles bugged him, and he said not at all, and was really happy about the whole thing. I'd like to ask the boys what kind of opinion the boys have got of Elvis."
 John: "We've got all his early records."
 Paul: "No joke."
 John: "It's true."
 Q: "What happened to the suits they used to wear - with no collars and the black trim, and all that?"
 George: "They're in the wardrobe in mothballs."
 Q: "I want to ask the Beatles what they think of Barry Goldwater."
 Paul: "Boo!" (shows thumbs down)
 (the crowd cheers Paul's response)
 Paul: (through the crowd noise) "I don't like him... I don't like him... unquote!"
 Source: Video copy of the press conference
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 http://www.dmbeatles.com/interviews.php?interview=25
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES ON ED SULLIVAN 1964-1970 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─―――――――――――――┐PERFORMANCE of THE BEATLES Vol.3
 | 『The Ed Sullivan Show』 |3rd broadcast
 └─―――――――――――――┘
 1964(昭和39)年02月23日(sun) TV broadcast <from 1964(昭和39)年2月9日(日) live audience taping> 8:00pm
  ♪Twist and Shout♪
  ♪Please Please Me♪
  ♪I Want To Hold Your Hand♪
 ┌─―――――――――――――┐
 | 『The Ed Sullivan Show』 |6th broadcast
 └─―――――――――――――┘
‡1964(昭和39)年08月23日(sun) TV broadcast 8:00pm Repeat of 1964(昭和39)年2月23日(日) broadcast 
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 http://www.rarebeatles.com/photopg7/sullivan.htm
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Ed_Sullivan_Show#The_Beatles
 https://www.uta-net.com/song/4221 https://www.uta-net.com/song/46551
 https://www.uta-net.com/song/38557 https://www.uta-net.com/song/51514
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年08月23日(火) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (07日目)
②1961(昭和36)年08月23日(水) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
②1961(昭和36)年08月23日(水) ライヴ演奏2:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
③1962(昭和37)年08月23日(木) ジョンとシンシアが結婚
④1962(昭和37)年08月23日(木) ライヴ演奏:リバーパーク・ボールルーム/チェスター
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①1960(昭和35)年08月23日(火) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (07日目)
 平日の夜は、
 08:00pm~09:30pm
 10:00pm~11:00pm
 11:30pm~00:30am
 01:00am~02:00am 以上、4時間半の演奏良好だヨ(=^◇^=)
③1962(昭和37)年08月23日(木) ジョンとシンシアが結婚
‡1962(昭和37)年08月23日(木)のこの日、ジョン・レノン (John Lennon) とシンシア・パウエル (Cynthia Powell) はリヴァプールのマウント・プレザント (Mount Pleasant) 登記事務所に婚姻届を提出した。ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) が介添人となり、ジョージ・ハリスン (George Harrison) とポール・マッカートニー (Paul McCartney) も出席した。シンシアの異父兄とその妻は出席したものの、この結婚を認めなかったジョンの叔母のミミ (Mimi:Mary Smith) は欠席した。式が始まった途端、向かいの建物で空気さく岩ドリルによる工事が始まり、すべての言葉はその騒音に飲み込まれてしまう。登記者が花婿に1歩前に進み出るように言うと、ジョージが進み出で、茶番の度合いを高めた。その後エプスタインのおごりで、クレイトン・スクウェア (Clayton Square) のリーシーズ (Reece's) というレストランで、スープとチキンとトリュフのセットメニューを食べた。このリーシーズは1938(昭和13)年にジョンの両親のアルフ (Alfred Lennon) とジュリア (Julia Stanley) が結婚祝の食事をした同じレストランであった。結婚したその夜、ジョンはチェスター (Chester) のリバーパーク・ボールルーム (Riverpark Ballroom) でのショーにビートルズの一員として出演している。ジョンとシンシアは共にリヴァプール・アート・カレッジ (Liverpool Art Collage) に在学中の1957(昭和32)年に出会い、その翌年に交際を始めた。1962(昭和37)年の中頃、彼女は妊娠に気が付く (このペアは避妊はしなかった)。彼女がジョンにそれを告げた時のジョンの反応は、「シン、それには一つしか無い。僕らは結婚しなければならない。」ブライアン・エプスタインは、ビートルズの一人が結婚していたとなるとファンは裏切られた感じを持つだろうと考えた。そのためジョンは結婚を秘密にしていた。エプスタインはフォークナー通り (Falkner Street) 36番にある彼のフラットを、ジョンとシンシアに無料で貸してやった。2人は
 1963(昭和38)年04月08日(月)にジュリアン・レノン (Julian Lennon) が生まれるまでそこに住んだ。それ以降は実質メンディップス (Mendips) に移って、ジョンの叔母ミミと一緒に住んでいる。ただその頃までには、ジョンはバンドと共にほとんどロンドンで生活するようになっていた。 
④1962(昭和37)年08月23日(木) ライヴ演奏:リバーパーク・ボールルーム/チェスター
 これはビートルズのチェスター (Chester) のリバーパーク・ボールルーム (Riverpark Ballroom) への2回目の出演だった。この日はまたジョン・レノンの新婚初夜でもあった。彼はこの日リヴァプールのマウント・プレザント (Mount Pleasant) 登記事務所にシンシア・パウエル (Cynthia Powell)との婚姻届を提出していた。しかし彼は新婦と夜を過ごすことより契約の履行を優先した。この時のサポート出演者はザ・レモ・フォー (The Remo Four) であった。伝えられる所では、彼らがビートルズが演奏を予定していたレパートリーのいくつかを演奏したため、ジョンは怒ってステージに上り、まだ自分たちの予定曲をやるつもりなのかと噛み付いたという。
 Harry Prytherch (2011) ⇒ そのダンスホールは細長くて、楽屋はステージの右側にあった。僕らの出番の中程での演奏中に、ジョン・レノンがステージにかけ上って来て、僕らに向かって怒鳴った。「俺達のレパートリーを何曲やれば気が済むんだ?!!」僕はものすごくムカついて、ドラムの椅子から立ち上がった。僕が彼に一番近い位置にいたんだ。幸運にもデイヴ・ウィリアムズ (Dave Williams) が僕を押し留めてくれた。僕らはそこらの新人じゃなく経験を積んだグループだ。同業のバンドに対してあんな態度は決してとらないものだ。当時荒っぽい地区に住んでいれば、常に自分で自分の身を守る術が身に付いたもので、僕は本能的に反応しただけなんだ。デイヴが僕を抑えた後はただ演奏を続けた。結局あの当時、彼らは別のグループの1つでしかなかった。彼らは確かに人気があったが、それはロリー・ストームだって、ファロンだって、ブルージーンズ、キングサイズ、ジェリーだってみんな同じだった。そしてどのグループも人気曲をカバーしてたんだ。自分たちだけの曲もあれば、多くのグループが同じ曲をやる場合だってあった。ステージを降りた後、その日にジョンは結婚したことを知った。ブライアン・エプスタインが介添人で結婚を内密にしたがった。ファンが知ったらビートルズのイメージを傷つけると思ったからだ。ポールとジョージも証人として式に出席した。ジョンの叔母のミミは結婚に反対だったため出席を拒否した。ブライアンは結婚パーティーをリヴァプールのリーシーズでの結婚朝食にすり替えた。またシンシアは妊娠していたことも後にわかった。こうした事情をすべて考慮して、僕らは彼を許した。彼にとって過酷な1日だったんだろう。
 この会場はチェスターのユニオン通り (Union Street) 2番にあり、もともとはパブであったが、20世紀初めに拡張されてグローヴナー・スケート・リンク (Grosvenor Skating Rink) となり、その後「Ack」として知られるブロードウェイ・ダンシング・アカデミー・ボールルーム (Broadway Dancing Academy Ballroom) となる。1950年代にリバーパーク・ボールルームと改名されるが、1963年に閉鎖され、その後取り壊される。現在は銀行の支店となっている。
 ビートルズはリバーパーク・ボールルームには4回出演しているヨ(=^◇^=)
‡1962(昭和37)年08月16日・23日・30日
 1962(昭和37)年09月13日
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
  https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600818_live_indra2.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620823_john_merried_cynthia.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620823_live_Riverpark.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|August 23|235
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|8月23日|
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①1964(昭和39)年08月23日(日) カリフォルニア州ロサンゼルス ハリウッド・ボウル公演
 ★観客数18,700人 宿泊先はレジナルド・オーウェン邸
 ★前日のバンクーバーでの大騒動を聞きつけて、当初はバーバンクのロッキード空港(現在はボブ・ホープ空港)に到着予定だったが、供覧状態になることを恐れた空港側の要請でロサンゼルス国際空港に変更された。
 ★アンバサダー・ホテルが混乱を恐れて宿泊を拒否したため、イギリス人俳優のレジナルド・オーウェン邸をレンタルしたが、プールもあってゆっくりくつろげるオーウェン邸のほうが好評だった。
 ★キャピトル・レコードからライヴ盤発売の企画があり、かねてよりライヴ盤の計画をしてきては断念してきたジョージ・マーティンは自らレコーディング作業にあたっている。
 ★「ボーイング747ジェット機のエンジンの真後ろにいるようだ」ジョージ・マーティンの弁である。あまりにも大きすぎる観客の悲鳴のために、満足のいくレコーディングができなかった。翌年のハリウッド・ボウルにもチャレンジしたが、同様の結果で発売を断念する。
 ★コンサート終了後、ジョン、ジョージ、リンゴはサンセット通りにあるナイトクラブ「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」へ。ポールは俳優バート・ランカスターの家を訪問。
【ライヴ盤発売のもくろみ】
 ★ジョージ・マーティンもツアーに同行した。観客にレコードと同じくらいのクオリティのサウンドを提供する意図があった。
 ★キャピトル・レコードからの要請で、ハリウッドボウル公演を録音してライヴ盤をリリースする計画があった。
【ビートルズとアメリカ】
 ★FBIは「反政府もしくはそれ以外の人種差別的な分子や組織がビートルズ訪問に便乗すれば、ロサンゼルスとサンフランシスコ訪問は格好の標的になる。」との情報をロサンゼルスとサンフランシスコ支局に送った。
 ★宿泊先のサンフランシスコ・ヒルトンにはエルヴィス・プレスリーのマネジャーのトム・パーカー大佐から電報が届いた。「エルヴィスと私から、アメリカにようこそ。ツアーが成功し、良い旅となるよう心から願っている。」
 ★ヒルトン・ホテルのレストランは「ビートル・バーガー」なる商品を便乗販売した。
 ★ヒルトン・ホテルはビートルズが宿泊した部屋のベッドシーツを細かく切り刻んで売り出した。ツアー中の各ホテルにも伝染して、どこのホテルもビートルズが寝たベッドシーツを切り刻んで販売した。
 ★初訪米の際、ニューヨークのプラザ・ホテルでは玄関前に大群衆が押し寄せたり、部屋に侵入しようとしたファンがいたり大騒ぎになった。このため、この全米ツアーでは騒ぎを恐れて宿泊拒否を受けたりしたので、モーテルなどの簡易宿泊所に滞在することもあった。また、宿泊できたホテルであっても、ファンが押し寄せたり、殺人予告が舞い込んだりして、ビートルズ側からキャンセルして、移動に変更する事態も起こった。
 ★初訪米時に話題となったステージに雨あられと降り注ぐジェリー・ビーンズ。初全米ツアー時にも相変わらずジェリー・ビーンズが飛んできたが、さらには生肉や女性の下着まで飛んできた。ジョンはロード・マネジャーのマル・エヴァンスに「(投げ込まれたものの中に)使えるものがあったら、取っておいてくれ」と頼んでいた。
②【エピソード】
 ★1965(昭和40)年08月22日(日)の移動で乗っていた飛行機にアクシデントが起きた。ツアー中都市間の移動に使っていたアメリカン・フライヤーズ・エアライン社のロッキード機がミネアポリスから目的地のポートランドに到着する直前にエンジンのひとつが火を噴いた。
 ★同乗していた記者、、、「ジョンとポールはシートベルトを締めてジッと座り硬い表情をしていた。リンゴは真っ青な顔で、何が起きたのか、もし墜落したらどうすればいいのか尋ねていた。ジョージは非常口のそばに立って皮肉を一言「ボクらがあとどのくらい生きられるかなんて冗談は言わないほうがいいんだろうね。」と。」
 ★周囲にいた人の証言によるとジョンは「ビートルズと女性と子供が優先だぜ!」と叫び、「俺たちはバディ(ホリー)のところへ行くんだ。」とも語ったという。
 ★この出来事はメンバーにとって相当ショックだったらしく、
 1965(昭和40)年08月23日(月)~26日(木)はロサンゼルスに滞在予定だったが、ハリウッドのベネディクト・キャニオン・ドライブにある借家で休暇を取ることに変更された。パーティも開かれ、訪れた映画俳優のピーター・フォンダとのLSDの経験は楽曲「She Said She Said」が誕生するきっかけにもなっている。
 ★広報のトニー・バーロウによると、シェア・スタジアムの控え室でインタビューを受けている最中に、突然ポールが演奏曲目を決めていないことに気がついたという。すっかり忘れていたそうである。
③1966(昭和41)年08月23日(火) ニューヨーク シェア・スタジアム
 ★観客数 44,600人 宿泊先 飛行機内(?)
 ★キリスト教発言の影響もあってか、前年に比べて満員にならなかった。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17103
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/008/0823.html
①https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-64.html
②https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-65.html
③https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-66.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES on film and television  1964 ┃
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‡(sun)23 August 1964『Hollywood Bowl』The Beatles second visit to America and their first concert at the Hollywood Bowl. The whole performance was audio recorded for a subsequent live album and much of the show was filmed by a newsreel company. The set included 'Twist and Shout', 'You Can't Do that', 'All My Loving', 'She Loves You', 'Things We Said Today', 'Roll Over Beethoven', 'Can't Buy Me Love', 'If I Fell', 'I Want To Hold Your Hand', 'Boys', 'A Hard Day's Night' and 'Long Tall Sally'.
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 http://www.tvtalkin.esy.es/fab4tv/1964.htm
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
①┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1964(昭和39)年8月23日(日)
‡No.045(29) 1964-08-23(sun) Beatles / Los Angeles, California (5 photos) Beatles press conference at the Cinnamon Cinder nightclub. 
 Beatles Press Conference: Los Angeles 8/23/1964
②━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
‡1963(昭和38)年8月23日(金)
‡No.005(04) 1963-08-23(fri) Beatles / Bournemouth, Hampshire (1 photo) Swedish radio personality Klas Burling interviews the Beatles backstage. 
 Beatles Interview: Klas Burling, Bournemouth 8/23/1963
③━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 1966(昭和41)年8月22日(月)
 No.097(17) 1966-08-22(mon) Beatles / New York City (4 photos) The four Beatles face the New York press at the Warwick Hotel. 
 Beatle Press Conference: New York City 8/22/1966
 The Beatles flew into New York in the late hours of 
August 21st during their 1966 tour of North America. They took August 22nd as a night off in New York, still making time for the following press conference at Manhatten's Warwick Hotel.
Following the two press conferences on the 22nd, the Beatles enjoyed the rest of the night off. 
●On August 23rd(tue), the Beatles would return to New York's Shea Stadium, the venue that had been the highlight of their previous American tou
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 ①http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0823.beatles.html
 ②http://www.beatlesinterviews.org/db1963.0823.beatles.html
 ③http://www.beatlesinterviews.org/db1966.0822.beatles.html
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