過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 ザ・クオリーメンが集まっていたジョン・レノン母の家、4,400万円で落札される
 2022(令和四)年09月27日(火) 16:01
 ジョン・レノンの母、ジュリアさんが1950年から亡くなる1958年まで暮らしていた家がオークションに出品され、
‡2022(令和四)年09月26日(月)、27万9,500ポンド(約4,400万円)で落札された。ジョンはこの時期、ミミ伯母さん一家と生活していたためここには住んでいなかったが、よくザ・クオリーメンの練習を行っていたそうだ。
 英国リバプールの南西部、Blomfield Road 1番地にあるこの家で、ジュリアさんは夫のJohn ‘Bobby’ Dykinsさんとジョンの異父妹であるJuliaさん、Jacquelineさんと暮らしていた。Juliaさんは著書『Imagine This: Growing Up with My Brother John Lennon』の中で、この家について「母が未来のザ・ビートルズと分かち合っていた滑稽なバスルーム・ジャム・セッションのことは、絶対に忘れることがない」と綴っている。「Blomfield Roadの小さな家のあのバスルームは多分、英国で最も小さなものの一つ。ジョンとポール(・マッカートニー)、ピート・ショットン、アイヴァン・ヴォーン、母、それにおそらく取り巻きらがその中で座る場所を取り合うのを見るのは、まるでコメディだった」オークションを主催したOmega Auctionsによると、英国からの入札者がザ・ビートルズの大ファンである娘のために落札したという。
 Omega Auctionsが今週主催するオークションの目玉は他にもあり、その一つがデヴィッド・ボウイによる手書きの「Starman」の歌詞で、火曜日(9月27日)の午後2時(日本時間午後10時)に行われる。英国の博物館V&Aに貸し出されていた時期があり、東京でも展示されたことがあるという。3~4万ポンド(約470~620万円)で落札されるのではと推定されている。
 https://www.barks.jp/news/?id=1000225043

 コロナ禍下、Spotifyで最多DL数の「意外な」ビートルズ楽曲とは?
 2022(令和四)年02月05日(土) 11:30 Forbes JAPAN
 現在、定額音楽聴き放題サービス最大手「Spotify」でもっともダウンロード回数が多いビートルズの楽曲が何か、知っているだろうか。驚いたことに、「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」などの超ヒット曲におおきく水を開け、ほぼ2倍の回数聞かれているその曲は、「ヒア・カムズ・ザ・サン」なのだ。その理由には、「コロナ禍」という時代背景があった。「アメリカ国立衛生研究所」ディレクターが弾き語り、デトロイトの医療機関が退院時に再生──アメリカ国立衛生研究所(NIH)ディレクターのフランシス・コリンズ博士が「ヒア・カムズ・ザ・サン」をギターとピアノのデュアル演奏で、そして「NIHのみんな、長く寒く、孤独なコロナの冬だったね、テレワークが1年も続くとは予想もしただろうか?、ワクチンが出来て、希望がついに見えてきた……」と替え歌で、弾き語りしている。 また、米国内で感染状況がもっとも深刻な都市のひとつデトロイトにある、ミシガン州南東部で最大の医療機関バーモント・ヘルス(Beaumont Health)病院では、コロナ感染患者が退院するたび、また、人工呼吸器を外して自力呼吸ができるようになるたびに「ヒア・カムズ・ザ・サン」を再生していた時期があったという。ほかにもマサチューセッツ州のビバリー(Beverly and Addison Gilbert)病院では、コロナが癒えて退院する患者に「Here Comes the Sun」のロゴがプリントされたTシャツをプレゼントするのが習慣になった。看護師たちがこの曲を歌いながらTシャツをたたむ様子の映像は、フェイスブックで1.5万回再生されている。この楽曲の歌詞は、「太陽が昇る……うまくいくさ、大丈夫、長く寒く、孤独な冬だったが、氷がゆっくり融けていくのがわかる、みんなの顔に微笑がもどってきたね」といった内容。まさに「雪解け」を心待ちにするわれわれ21世紀の地球人の気持ちを代弁しているようだ。1969年に発表されたこの曲が21世紀の今、米国を中心につよく愛し直されている理由に、そんな時代性が関連していることは間違いないだろう。
■ある音楽関係者はこう見る■VOZ Records(ボズレコード)代表、堀克巳氏は、自身のブログ(まいにちポップス)で以下のようなことを書いている。
「実は『ヒア・カムズ・ザ・サン』人気はコロナ以前からのものだ。2019年9月の集計を見てみると、イギリス国内で一番ストリーミング再生され、ダウンロードされたビートルズの曲がこの『ヒア・カムズ・ザ・サン』だったそうだ(5000万再生。『レット・イット・ビー』は2600万回)。
 (George Harrison, Paul McCartney, Ringo Starr and John Lennon at All You Need Is Love TV Show from Abbey Road June 1967, Getty Images)
 もっとさかのぼると、iTunesで『ダウンロード販売開始週にトップになった』初めてのビートルズの曲も、この曲だった(2010年)。それを考えると21世紀、世界でもっとも人気のあるビートルズ・ソングは『ヒア・カムズ・ザ・サン』だと言っていいのかもしれない。しかし、ビートルズのオールド・ファンにしてみると、これは意外なことなのではないだろうか。だいたい、この曲は当時シングルになってさえいない。音楽のダウンロード販売が始まった2010年に初めてチャート入りしたのだ。これは、いわゆる『ビートルズ神話』とは離れたところで、この曲が聴かれているということなんじゃないだろうか。そこには、Spotifyをはじめとする『定額聴き放題』サービスの構造にも理由があるような気がする。『聴き放題』サブスクリプションサービスの中心は『プレイリスト』、すなわち、『あるテーマのもと、誰かが選曲したもの』だ。そして、元になるテーマの多くは、元気を出したいときに聴く曲とか、ドライブで聴きたい曲といった、『気分』や『聴く状況』だ。『ヒア・カムズ・ザ・サン』は、『明るく、いい気分になりたい』ときに聴く曲としての定番になっているのではないか。それはポップスのそもそもの存在意義ともいえるかもしれない。そしてコロナ禍は、そういう気分への希求を後押ししたのだろう」堀氏は、『ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE』(2002年、河出書房新社刊)から以下の箇所を引用している。「『ヒア・カムズ・ザ・サン』はアップル(注:ビートルズが設立したイギリスの企業アップル・コアのレコードレーベル、『アップル・レコード』のこと)が学校のようになってしまっていた時期に書いた。僕らは毎日オフィスに通い、ビジネスマンのようにあっちの書類、こっちの書類にサインしなければならなかった。それはまるで冷たい冬が永遠に続くようなもので、春が来るのをひたすら待ちこがれていた。そんなある日、意を決してアップルを『フケる』、つまり無断欠勤することにした。ぼくはエリック(クラプトン)の家に行き、庭を散歩した。会社に行って間抜けな会計士たちと顔を合わせなくていいというだけで、すばらしくやすらかな気持ちになった。そして、エリックのアコースティック・ギターを一本借りて庭を歩き、『ヒア・カムズ・ザ・サン』を書いたのだ」。
──今、1970~80年代のディスコブームを牽引したといってもいいR&Bの名曲、アース・ウインド&ファイアー の「セプテンバー」がリバイバルしている。TikTokerたちが踊りをつけて歌い始めたことから、21世紀のティーンエイジ層に受け入れられているのだ。この再流行にも音楽が「ストリーミング」「サブスクリプション」で聴かれるようになったことが関係していそうだ。そしてなにより「明るく、いい気分」を感じる音楽が時代や世代を越えてリスナーを獲得することが、この現象によっても示されている。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/a22183c3caa921f4205f6bfbb3a9516bab8abc01

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─――─―――――――――┐
85|Stone figure of Snow White|『discovermusic.jp』
85|    白雪姫の石像    |『discovermusic.jp』
 └─――――─―――――――┘ 福助人形(No.84)の前にあるのは、『グリム童話 Grimms' Fairy Tales』の白雪姫像ヨ(=^◇^=)
 1937(昭和12)年12月21日(火) 米国公開
‡1950(昭和25)年09月26日(火) 日本公開
 ┌─―――――――――┐Third row <三行目>
51|Sri Lahiri Mahasaya|『Wikipedia』
51|スリ・ラヒリ・マハサヤ|『discovermusic.jp』
 └─―――――――――┘ スリ・ラヒリ・マハサヤはスリ・マハー・アヴァター・ババジ(No. 27)の弟子で、1861年にクリヤー・ヨガの規律を学ぶと、その後はその教えをスリ・ユクテスワ・ギリ(No. 1)に伝えると、ユクテスワ・ギリはスリ・パラマハンサ・ヨガナンダへとその教えを伝えた。なお、ヨガナンダについてマハサヤは「精神的なエンジンとして、彼は多くの魂を神の御国へと運んでいくだろう」と語っているヨ(=^◇^=)
 1828(文政11)年09月30日(tue) Born
†1895(明治28)年09月26日(thu) Died. 66 years old
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
白https://en.wikipedia.org/wiki/Snow_White_and_the_Seven_Dwarfs_(1937_film)
†https://en.wikipedia.org/wiki/Lahiri_Mahasaya
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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 Abbey Road:ザ・ビートルズと横断歩道、そして8トラック・レコーダー
 2019(令和元)年08月08日(木) Published, Written by Paul Sexton
 1969(昭和44)年08月08日(金)、ザ・ビートルズを象徴する非常に有名な写真のひとつがロンドン北西部の路上で生まれた。名高いレコーディング・スタジオにほぼ隣接する道で、写真家のイアン・マクミランが撮影したその写真は、アルバムのジャケットを飾ることになった。そのアルバム『Abbey Road』は、イアン・マクミランが立っていた道の名前をそのままタイトルとしていた。写真に映し出されていた横断歩道は、ザ・ビートルズがほとんどのレコードの録音を行ったアビイ・ロード・スタジオのほぼ真正面にあった。アルバム発売後、この横断歩道はロンドンでも特に有名な観光名所のひとつとなった。イアン・マクミランはジョン・レノンとオノ・ヨーコの友人だった。撮影が始まる前に、彼はポール・マッカートニーが描いたジャケット案のスケッチをふまえ、その横断歩道を渡る四人組というイメージにディテールを加えた。またアルバムの裏ジャケットになったアビイ・ロードの道路標識は、今は存在しないアレクサンドラ・ロードとの交差点でマクミランが撮影している。
 写真:アビイ・ロードで撮影された別ショット 
 撮影現場には、追加ショットを写すカメラマンとしてリンダ・マッカートニーも立ち会っていた。やがて道路が通行止めになると、イアン・マクミランが脚立に上がり、横断歩道を渡るザ・ビートルズの姿を6枚撮影した。採用テイクの選考はポール・マッカートニーを中心に進められ、最終的には5枚目に撮影されたショットが選ばれた。理由のひとつには、4人の歩調が揃っているのがその1枚だけだったこともあった。2012年には没テイクの1枚がオークションにかけられ、1万6,000ポンドで落札されている。ジャケット写真を撮影した日の午後、ザ・ビートルズとジョージ・マーティンはアビイ・ロード・スタジオの外から中に戻り、新作アルバムのレコーディングを再開した。そこで録音された「Ending」は、その後「The End」という題名になった。スタジオは午後2時半から予約されていたため、マーク・ルウィソーンの『ビートルズ・レコーディング・セッション』(シンコーミュージック刊)にもあるように、撮影後のメンバーはレコーディング開始まで各自時間をつぶしている。ポール・マッカートニーはキャヴェンディッシュ・アヴェニューの自宅にジョン・レノンを連れて行った。ジョージ・ハリスンはパーソナル・アシスタントのマル・エヴァンズと共にロンドン動物園へ、またリンゴ・スターは買い物に出かけた。この写真撮影日の7週間後に、アルバム『Abbey Road』は発売されている。そのころにはザ・ビートルズのレコーディングの歴史は終わりを迎えようとしていた。ザ・ビートルズの11枚目のスタジオ・アルバム『Abbey Road』は
‡1969(昭和44)年09月26日(金)に発売された。発表当時、このアルバムはどの評論家からも絶賛されたわけではない。たとえばタイムズ紙のウィリアム・マンはこう書いている。「ライヴ演奏と同じサウンドのレコードを求める人たちからは、イカサマと呼ばれることになるだろう」。またローリング・ストーン誌では「複雑というよりは難解」と評されていた。一方ニューヨーク・タイムズ紙のニック・コーンは、B面のメドレーを『Rubber Soul』以来久々の「実に素晴らしい楽曲」だとしている。しかしアルバムの「個々の」収録曲は「大した作品ではない」と述べていた。レコード評の筆者は、〆切までに何らかの意見を考え出さなければならないという時間的制約でいつも苦しむものだ。アルバム『Abbey Road』は、今ではザ・ビートルズの最高傑作、あるいは(変化に富んだ)才能の結晶として広く認められている。これは、当時の定義で言えばポップ・ミュージックではなくロック・ミュージックだった。その複雑な構成は、部分的には8トラック・レコーダーで録音されたことから来ていた(・ビートルズがアビイ・ロード・スタジオで従来使っていたのは4トラック・レコーダーだった)。また『Abbey Road』は、ザ・ビートルズがトランジスタ回路のミキシング・デスク、TG Mk Iだけを使って録音した唯一のアルバムとなった(従来使用していたのは真空管回路のミキシング・デスク)。このTGというデスクには8トラック・マルチトラック録音の音質が向上するという利点もあり、そのおかげもあってオーヴァーダビングの苦労が以前よりも減っている。エンジニアのジェフ・エメリックによれば、『Abbey Road』の録音で使われたTGデスクでは各オーディオ・チャンネルごとにリミッターとコンプレッサーが組み込まれていたという。その結果、全体のサウンドは従来の真空管回路を使った録音よりも‘柔らかく’なっている。アビイ・ロードに行くと、季節を問わず、あの有名な横断歩道を渡りながら写真を撮ろうとする人たちがいつも見られる。そうした観光客は、時にはかなりの人混みになることもある。またアビイ・ロード・スタジオの公式ウェブサイトでは、現在の横断歩道の様子を生中継で見ることさえできる(http://abbeyroad.com/Crossing)。
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/four-famous-men-one-zebra-crossing

 ビートルズの『Abbey Road』発売当時の賛否両論と傑作と評される理由、そして知られざる10の事実
 2019(令和元)年08月09日(金) Published
‡1969(昭和44)年09月26日(金)以前は、世界のほとんどの人々が、ロンドンのアビイ・ロードにEMIが所有するレコーディング・スタジオがあることなど全く知らずにいた。あるいは、ザ・ビートルズの熱狂的なファンの中には、彼らの動向を追うニュース記事の中でその名前を目にしたことがあったかもしれないが、その頃はまだ、ほとんどのファンにとって彼らの音楽がどこでレコーディングされたのかは、さほど重要ではなかった。皮肉にも、『Abbey Road』と名付けられたアルバムに収録されている全曲がアビイ・ロード・スタジオで録音されたわけではないのだが、そのタイトルは実際に、アビイ・ロードの通りそのものや、そこにかかる横断歩道、そしてアビイ・ロード・スタジオにちなんで付けられたものである。ただ結局のところ、この記事の著者を含む多くのファンにとって、このアルバムはバンドの壮大なキャリアにおける絶頂期だったと言える。内部の対立や苦難の渦中、バンドが崩壊していく過程に全てのレコーディングが行われていたという事実にも関わらずだ。
■“天然ガスのようなアルバム”■アルバム『Abbey Road』はザ・ビートルズの11作目のスタジオ・アルバムであり、バンドにとって最後のレコーディング作品でもある(12作目のスタジオ・アルバム『Let It Be』のほとんどの曲は、この作品の前にレコーディングされていた)。発売当時、ローリング・ストーン誌は、このアルバムを「複雑というより難解である」と批判し、批評家のニック・コーンは「個々の曲自体は全く平凡である」とニューヨーク・タイムズ紙に書き、ガーディアン紙はこのアルバムを「大したことのない作品」と呼び、デトロイト・フリー・プレスは「独創性を期待していたが、いいアルバムである」と評した。一方で、評論家のクリス・ウェルチは全く反対の評価を下し、メロディ・メイカー誌にこう書いている。「実のところ、このニュー・アルバムは、主張や深い意味、象徴性といったものが全く存在しない天然産のガスのような作品である」。同様にレコード・ミラー誌も、アルバム『Abbey Road』について、「バンドの過去の3作にひけをとらないくらい素晴らしいアルバム」として熱っぽく評価した。歴史もまた、この作品には寛容で、いまだ多くのビートルズ・ファンが一番好きなアルバムとして挙げているのだ。
■「何が“Abbey Road”を傑作と言わしめるのか」■では、一体何がアルバム『Abbey Road』を傑作と言わしめているのだろうか? 音楽的ビジョンの広大さ、バンドいう集合体としての音楽的創造力の絶大なスケール、そしてザ・ビートルズが解散に近づいていた時期ならではの、あらゆる意味での大胆さであろう。そして、そこにはジョージ・ハリスンによる「Here Comes the Sun」と「Something」という傑作が収録され、この2曲はザ・ビートルズ史上最高のレコーディング作品としてランク付けされている。uDiscoverの元記者であるマーティン・チルトンは、デイリー・テレグラフ紙に「シンガロングせずにはいられない曲」と記していたが、全くその通りである。「Something」は崇高且つ完璧なラヴ・ソングで、ジョン・レノンがこのアルバムの中で1番好きな曲として挙げている。フランク・シナトラは、自身のコンサートでこの曲を歌う前に、よく「この世で最も素晴らしいラヴ・ソング」として紹介していた(一方で謝って、彼が一番好きなのはレノン=マッカートニー作品とも呼んでいたが)。
■「じっくりと楽しみたい作品」■15分間の「メドレー」で構成されているサイド2は、ポール・マッカートニーの「You Never Give Me Your Money」で始まる。そこからジョン・レノンが作曲し、ジョン、ポール、ジョージによる非の打ちどころのないハーモニーをフィーチャーした「Sun King」へと美しく移行していく。そこにポール・マッカートニーによる4連作、「She Came In Through The Bathroom Window」から美しい「Golden Slumbers」、「Carry That Weight」(‘You Never Give Me Your Money’が引用されている)へと流れ、最後は「The End」で幕を閉じる残りの収録曲については、ファンや批評家の間で意見が分かれる点もあるが、このアルバムの持つパワーに議論の余地はなく、素晴らしい作品であることは明白であり、ジョン・レノンが手掛けた2曲のうちのひとつ「Come Together」は、どんなアルバムにも合う素晴らしいオープニング曲である。同様に、「I Want You (She’s So Heavy)」は、彼らが今まで到達したことのないような高くそびえ立つ場所へとバンドを連れて行った。レコーディングの一部がアビイ・ロード・スタジオ以外の場所で行われた作品に、「Something」があるが、この曲のオーバーダブは、西ロンドンのバーンズにあるオリンピック・スタジオで録音されている。さらに、「I Want You (She’s So Heavy)」のリズム・トラックは、1969年2月にソーホーのウォーダー・ストリートにあるトライデント・スタジオで録音され、合わせられたものだ。アビイ・ロード・スタジオでの制作作業は同年8月まで続けられ(アルバム・カヴァー写真の撮影を敢行した
 1969(昭和44)年08月08日(金)のセッションを含む)、トライデント・スタジオで作られたオリジナルのテープに、新たな録音を重ねていった。そうしてアビイ・ロードで完成した楽曲は、2つのヴァージョンを組み合わせた全くの別ヴァージョンとなった。一方で、「You Never Give Me Your Money」のレコーディングは1969年5月にオリンピック・スタジオで始まり、同年7月と8月に行ったたくさんのセッションを経て、アビイ・ロードで完成を迎えた。アルバム『Abbey Road』は個々の楽曲の集合体というよりも、ひとつの作品としてはるかに素晴らしく、ザ・ビートルズのどのアルバムよりも、長きにわたって賞賛されている作品なのである。決してランダムに再生していいとこ取りするようなアルバムではなく、1曲目の「Come Together」から始まり、ポール・マッカートニーが“可愛い素敵な女の子”について歌う最後の隠しトラック「Her Majesty」で笑顔を浮かべながら聴き終えるべき作品なのだ。
■アルバム『Abbey Road』について知られざる10の事実
 01. ジョージ・ハリスンが「Here Comes The Sun」を書き始めたのは、エリック・クラプトンの別荘の庭に座っていた時だった。
 02. ザ・ビートルズの4人が最後に一緒にレコーディング・スタジオで過ごしたのは、アルバム『Abbey Road』を終えた1969年8月20日だった。
 03. ジョージ・ハリスンによると、「Sun King」のギター・パートはフリートウッド・マックの大ヒット・シングル「Albatross」からインスパイアされたものである。
 04. 「Maxwell’s Silver Hammer」の歌詞にある“パタフィジック(形而上学)”という言葉は、1907年に亡くなったフランス人前衛作家、アルフレッド・ジャリから引用されたもので、ポール・マッカートニーが“虚数解の科学”と定義していた彼の作品に興味を持ち、彼の晩年の作品から“パタフィジック”について知った。
 05. 「Come Together」は、歌詞の中に“コカ・コーラ”が出てくるため、1969年、BBCは特定商品のコマーシャルに関する同局のポリシーに違反するとして、ラジオでの放送を禁止した。
 06. リンゴ・スターによる「Octopus’s Garden」 は、彼がピーター・セラーズのヨットで地中海をセーリングしていた時に着想を得た。船長がリンゴ・スターに、タコは海底から石や光るものを集めて、自分たちの庭を作る習性があることを教えたそうだ。
 07. ジョン・レノンによると、彼がヨーコ・オノにベートーヴェンの「ピアノソナタ第14番」を逆引きコードで演奏してもらい、「Because」が出来上がったそうだ。完全にそうとは言えないまでも、確かにそれらは酷似している。
 08. リンゴ・スターは、サイド2のメドレー構想は、必要にかられて生まれたものだと説明している。「ジョンとポールがいろんな破片を持っていたから、それを録音して、後から接合したんだ。そこにはたくさんの労力をかけたよ。僕個人としては、最後のセクションが1番良い出来だと思ってます」。ポールもまた「サイド2はオペラのような構成になって、結果的にいい意味で曲を削ぎ落とすことができました」と熱弁している。
 09. 「She Came In Through the Bathroom Window」はApple Scruffs(アップルのオフィスの前で、彼らの出待ちをしていた熱狂的なファンの女の子たち)のひとりがポール・マッカートニーの自宅のバスルームの窓からよじ登って中に侵入したという事件からインスパイアされた曲である。彼女は他の女の子たちを家の中へと入れ、写真や衣装を盗ませたという。
 10. 「Golden Slumbers」の歌詞は、トーマス・デッカーによる1603年の喜劇『Patient Grissel』の子守唄「Cradle Song」が基になっている。ポール・マッカートニーが、彼の義姉妹であるルースがリヴァプールの父の家にあるピアノに置き忘れた楽譜を見たのことがきっかけだった。
 Written by Richard Havers
■『Abbey Road』50周年記念エディション:フィジカル6形態とデジタル配信にて発売
 ①4枚組スーパー・デラックス・エディション
 ②2CDデラックス
 ③1CD
 ④3LPデラックス・エディション
 ⑤1LP
 ⑥カラー1LP デジタル/ストリーミングの各フォーマットで発売。
■①スーパー・デラックス・エディション
 <3CD + 1ブルーレイ(音源のみ)収録、100p豪華本付ボックス・セット>
 英文ライナー翻訳付/歌詞対訳付 <輸入国内盤仕様/完全生産盤>価格:12,800円+税 / SHM-CD仕様
 CD1: ジャイルズ・マーティン&サム・オケルによるニュー・ステレオ・ミックス
 CD2&CD3: セッションズ/「i Want You」を筆頭に、レコーディングされた日付順に23曲収録
 ブルーレイ(音源のみ): ドルビー・アトモス、5.1 サラウンド、ハイレゾ・ステレオ・ミックス
■②2CDエディション<期間限定盤>
 英文ライナー翻訳付/歌詞対訳付
 デジパック仕様 / 40ページのブックレット付
 価格:3,600円+税 / SHM-CD仕様
 CD1: ジャイルズ・マーティン&サム・オケルによるニュー・ステレオ・ミックス
 CD2: セッションズ/オリジナルのアルバムの曲順通り収録
■③1CD
 英文ライナー翻訳付/歌詞対訳付
 価格:2,600円+税 / SHM-CD仕様
■④3LPデラックス・エディション
 <直輸入盤仕様/完全生産限定盤>3枚のLP入り限定盤ボックス・セット / 4枚のインサート付 英文ライナー翻訳付/歌詞対訳付
  価格:11,000円+税
   LP1: ジャイルズ・マーティン&サム・オケルによるニュー・ステレオ・ミックス
 LP2&LP3: セッションズ/「アイ・ウォント・ユー」を筆頭に、レコーディングされた日付順に23曲収録
■⑤1LP
 英文ライナー翻訳付/歌詞対訳付
 価格:4,000円+税
■⑥カラー1LP
 限定盤ピクチャーディスク仕様
 英文ライナー翻訳付/歌詞対訳付
 価格:4,600円+税
『Abbey Road』50周年記念エディション:全てのフォーマットの購入はこちらから
『Abbey Road』50周年記念エディション:商品情報はこちら
 https://www.udiscovermusic.jp/news/beatles-abbey-road-streets-ahead-time


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 ┃ 『John Lennon/Plastic Ono Band ジョンの魂』 ┃
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 1970(昭和45)年09月15日(tue) ジョンとヨーコ 米国から帰国
‡1970(昭和45)年09月26日(sat) Start recording, Abbey Road Studios
 1970(昭和45)年10月23日(fri) Recording End, Ascot Sound Studios
 1970(昭和45)年12月11日(fri) Released
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 https://en.wikipedia.org/wiki/John_Lennon/Plastic_Ono_Band
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00447UOHE
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 発表から50周年となるアルバム『ジョンの魂』を巻頭で特集した『ロック・ジェット Vol.81』発売
 2020(令和二)年12月08日(火) 14:00配信 CDジャーナル
 写真◆発表から50周年となるアルバム『ジョンの魂』を巻頭で特集した『ロック・ジェット Vol.81』発売
 発表から50周年となるジョン・レノンのソロ・アルバム『ジョンの魂』を巻頭で特集した『ロック・ジェット Vol.81』が
 2020(令和二)年12月15日(火)に発売されます。巻頭特集は『ジョンの魂』発表50周年記念。曽我部恵一、あっこゴリラ、立川直樹、田中俊之のインタビューのほか、中村隆宏による2020年に聴く『ジョンの魂』と〈ダブル・ファンタジー〉、片山“Brian”健雄による名盤『ジョンの魂』全曲解説、橋口衞(Swingin’Drive)の永遠の新作〈ダブル・ファンタジー〉など。第2特集はローリング・ストーンズ『山羊の頭のスープ』2020を聴く。「ローリング・ストーンズのオリジナル・ブルースの中で〈お前の愛を隠して〉が最も好きな曲だったのだけれど、このバージョンを聴いて、さらに大好きになった」山本慎也、「さあさあ、みなさん、儀式の始まりですぜ。お香を焚いて部屋を暗くして軽く一杯やりながらヘッドフォンにて爆音でお楽しみ下さい」五十嵐“Jimmy”正彦、「10代後半に聴いた〈ダンシング・ウィズ・ミスターD〉に脳天を吹っ飛ばされました。こんなふうにやりたいと活動を始めたんです」流賀良志彦(イージー・ウォーカーズ)。そのほか、「コロナの時代、日本のライヴ・ハウスはいかに戦っているか」、「5歳で亡くなったエドワード・ヴァン・ヘイレンを悼む」影山亜紀子、ナンバーガール仙台公演レポなどを掲載。
◎ジョンの魂」は名盤なのか?ビートルズ解散後の初のアルバムに世界中が期待した。ポール・マッカートニーの初ソロアルバムが不発(今は再評価されている)だったから、なおさら期待大であった。しかし、重いアルバムだった。ひたすら重く、延々とジョン・レノンのつぶやきを聞く思いであった。しかし、この重たさや悲痛な叫びがビートルズという喧噪の後に発表されたこともあり、詩も含めてジョン・レノンの神格化みたいなものが始まったような気がする。しかし、セールス的にはあまり芳しくなく、次作のアルバム「イマジン」をメロディアスにする必要があった。はたして「ジョンの魂」は名作なのか?ジョン・レノンの初のソロアルバムである。駄作なわけはないのだ。しかし、重すぎる。痛々しすぎる。気楽に聞いてみようかというようなアルバムではないのである。POPミュージックシーンでは異端である。
◎とても率直なご意見だと思います。自分が思うに、このアルバムはジョンの最高傑作だと思っています。思いを吐き出して、裸の自分をさらけ出す、とても芸術的であり、世界一有名で、陽気な男と思われていたジョンの本音が詰まったこのアルバムが、ロックやポップスの中に存在する事そのものが奇跡。これは芸術作品で、傑作、名盤だと思っています。
◎名盤です。ソロになってからのジョンのアルバムは、彼の日記を読んでいるようです。
◎何度も聴いたアルバムだけど、改めて、聴きたくなりました。
◎名盤です
◎激しすぎて軽く聴ける作品ではない。ただ当時のジョンの想いを赤裸々に表現した作品で、売れる事よりジョン自身の為につくられた気がする。この作品があったから、イマジンでは少し余裕が出て、穏やかさを感じさせるものになったと思う。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/bdc3e19441b0748afaa1e35afeb7c4fc50b15cc0

‡映像◆【驚異の新発見】ジョンの魂「神」に込めた秘密「ジョン・レノン生誕80周年」①https://youtu.be/0fB0R6DOiwQ
 
 ┏━━━━━━━━┓
 ┃ Ketty Lester ┃
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 1934(昭和九)年08月16日(thu) 生誕
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Ketty_Lester
 https://en.wikipedia.org/wiki/Love_Letters_(song)
 https://en.wikipedia.org/wiki/God_(John_Lennon_song)
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 音源◆https://youtu.be/txahSHR2Jb8
 
 音源◆ケティ・レスター ラヴ・レター 1962 / Love Letters https://youtu.be/OSMHDZR5ofM
 

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 ┃   『The U.S. vs. JOHN LENNON』   ┃
 ┃ 『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』 ┃
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 2006(平成18)年08月31日(thu) Venice Film Festival
 2006(平成18)年09月15日(fri) LA released 先行ロードショー
 2006(平成18)年09月15日(fri) NY released 先行ロードショー
 2006(平成18)年09月29日(fri) US released 全米公開
 2006(平成18)年12月08日(fri) UK released
 2007(平成19)年12月08日(mon) JP released
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃   『The U.S. vs. JOHN LENNON』   ┃
 ┃ 『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 2006(平成18)年09月25日(mon) UK released
‡2006(平成18)年09月26日(tue) US released
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_U.S._vs._John_Lennon
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_U.S._vs._John_Lennon_(soundtrack)
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 写真◆アビーロードジャケ写 OKバージョン 失敗バージョン 足並み
 http://music-milk-tea.blog.so-net.ne.jp/2005-10-04
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 ┃ 『ABBEY ROAD』  ┃THE BEATLES
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1969(昭和44)年09月26日(fri) UK Released 
 1969(昭和44)年10月01日(wed) US released
 1969(昭和44)年10月21日(tue) JP released
******************************************
 https://en.wikipedia.org/wiki/Abbey_Road
 http://www.geocities.jp/mr_tako_seijin/page_lp/abbey.html#
 英http://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_stereo_a.html##12-1
 米http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_capitol_st4.html##16-1
 日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/lp_ap_8815.html
 Ohttps://music.amazon.co.jp/albums/B019GHCXYS
 ⑨https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT8JSPS
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 ┃ 『John Lennon/Plastic Ono Band ジョンの魂』 ┃
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 1970(昭和45)年09月15日(tue) ジョンとヨーコ 米国から帰国
‡1970(昭和45)年09月26日(sat) Start recording, Abbey Road Studios &
 1970(昭和45)年10月23日(fri) Recording End, Ascot Sound Studios
 1970(昭和45)年12月11日(fri) Released
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 https://en.wikipedia.org/wiki/John_Lennon/Plastic_Ono_Band
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00447UOHE
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 ┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 3』 ┃
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 1996(平成八)年10月28日(mon) JP Released
 1996(平成八)年10月28日(mon) UK Released
 1996(平成八)年10月29日(tue) US Released
◇Disc one (CD1)
◎LP C面 (Record Disc 2)
 20."Glass Onion" (original mono mix)
 1968(昭和43)年09月11日(wed) EMI Studios 2:08
 1968(昭和43)年09月12日(thu) EMI Studios 2:08
 1968(昭和43)年09月13日(fri) EMI Studios 2:08
 1968(昭和43)年09月16日(mon) EMI Studios 2:08
‡1968(昭和43)年09月26日(thu) EMI Studios 2:08
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 https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHDWNM
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT36GH9
 https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_3
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00H77Z0I6
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1959(昭和34)年09月26日(土) ライヴ演奏:カスバ・コーヒー・クラブ/リヴァプール
②1960(昭和35)年09月26日(月) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (41日目)
③1962(昭和37)年09月26日(水) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼)/リヴァプール
③1962(昭和37)年09月26日(水) ライヴ演奏2:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール
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①1959(昭和34)年09月26日(土) ライヴ演奏:カスバ・コーヒー・クラブ/リヴァプール
 クオリーメンとしてはカスバに7回出演していたヨ(=^◇^=)
 1959(昭和34)年08月29日
‡1959(昭和34)年09月05日・12日・19日・26日
 1959(昭和34)年10月03日・10日
②1960(昭和35)年09月26日(月) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (41日目)
 平日の夜は、
 08:00pm~09:30pm
 10:00pm~11:00pm
 11:30pm~00:30am
 01:00am~02:00am 以上、4時間半の演奏良好だヨ(=^◇^=)
⑪1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (1)
  場所:ピーター・ケイ・スタジオ (Peter Kaye Studio)
 撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
 この日ビートルズがケイのスタジオに着くと、ケイは屋外撮影の背景を探しにリヴァプール巡回に出かけていたのでチャドウィックがビートルズの写真を撮ることになった。このセッションは3時間に及び、ビートルズが過去経験した中では最長だった。その結果、チャドウィックがうろたえたことには、彼らは退屈して集中力が途切れてしまった。ケイが戻って来て「どうだった?」と聞くと「見込み無しだ」とチャドウィックは答えた。惨憺たる撮影とみなされてはいるものの、何枚かの写真はは1963年を通して使われている。しかしケイは満足できなかった。数日後に、ケイが探して来た場所での屋外撮影がスケジュールに組み込まれる。
⑫1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (2)
  場所:リヴァプール埠頭周辺の倉庫
 撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
 次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑬1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (3)
  場所:ドック通りにある「The Bally」と呼ばれる場所
 撮影者:ピーター・ケイ (Peter Kaye)
 次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑭1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (4)
  場所:アルバート埠頭 (Albert Dock) に停泊する「Salvor号」
 撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
 次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑮1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (5)
  場所:アルバート埠頭 ⇒ 背景はロイアル・リヴァー・ビル (Royal Liver Building)  
 撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
 次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑯1962(昭和37)年9月下旬から10月上旬に撮影されたと思しき写真集
  場所:マッカートニー宅 ⇒ リヴァプール・フォースリン通り (Forthlin Road, Liverpool) 
 撮影者:マイク・マッカートニー (Mike McCartney)
 マッカートニー家でのスナップ。いくつかの報告によれば、ジョンとポールはこの時ここで『I Saw Her Standing There』の作曲に取り組んでいた。
 写真◆ポール、父のジム、弟のマイク
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/0history_index-1959.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
  https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600818_live_indra2.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ⑪https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_1.html
 ⑫https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_2.html
 ⑬https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_3.html
 ⑭https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_4.html
 ⑮https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_5.html
 ⑯https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_6.html
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