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┃ 『ゴルゴ13』 My First BIG ┃
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01 1999(平成11)年07月23日(金) 第001巻 ISBN 4-09-109202-0
02 1999(平成11)年08月06日(金) 第002巻 ISBN 4-09-109208-X
03 1999(平成11)年08月20日(金) 第003巻 ISBN 4-09-109214-4
04 1999(平成11)年09月10日(金) 第004巻 ISBN 4-09-109220-9
‡05 1999(平成11)年09月24日(金) 第005巻 ISBN 4-09-109226-8
『HE CAN DO EVERYTHING!』「軌道上狙撃」「皇帝と共に北へ向かう」
扉の聖書の出典・・・詩編57章6節
06 1999(平成11)年10月08日(金) 第006巻 ISBN 4-09-109232-2
07 1999(平成11)年10月22日(金) 第007巻 ISBN 4-09-109238-1
08 1999(平成11)年11月05日(金) 第008巻 ISBN 4-09-109244-6
09 1999(平成11)年11月19日(金) 第009巻 ISBN 4-09-109250-0
10 1999(平成11)年12月03日(金) 第001巻 ISBN 4-09-109256-X
11 1999(平成11)年12月17日(金) 第011巻 ISBN 4-09-109262-4
12 1999(平成11)年12月31日(金) 第012巻 ISBN 4-09-109268-3
備考・・・扉に引用されている聖書は、特記なしは『旧約聖書』13節からの引用が多い
備考・・・My First BIG版には巻数表示はない。㊤↑の一覧では、編集者が便宜的に付番
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%89%E4%B8%80%E8%A6%A7#My_First_BIG%E7%89%88
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┃ 『ゴルゴ13』SPコミックス ┃
┃ ポケットエディション ┃
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19 2012(平成24)年09月06日(木) 第036巻 第1刷発行日 ISBN 978-4-8458-4232-2
「神の眼力」「種子探索人」「ブラックジャイアント伝説」「ウエストウッドに死す」
‡20 2012(平成24)年09月24日(月) 第037巻 第1刷発行日 ISBN 978-4-8458-4334-3
「ジャパン・オリジナル」「天使と悪魔の“腕”」「北緯九十度のハッティ」「黒い通信」
18 2014(平成26)年09月08日(月) 第080巻 第1刷発行日 ISBN 978-4-8458-4635-1
「マークのリクエスト」「楽園の汚染」「一年半の蝶」「戦域ミサイル防衛」「TMD幻影」
‡19 2014(平成26)年09月24日(水) 第081巻 第1刷発行日 ISBN 978-4-8458-4636-8
「ヨルダン川西岸」「ゼロ・エミッション排ガスゼロ」「ストレンジャー」「害虫戦争」
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%89%E4%B8%80%E8%A6%A7#SP%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9_%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
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┃さいとう・たかを┃
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1936(昭和11)年11月03日(火) 齊藤隆夫 生誕、和歌山市で生誕、5人兄弟の末子、生後すぐ転居、のちに大阪府堺市に移り住む
†2021(令和三)年09月24日(金) 逝去
1979(昭和54)年 さいとう先生は43歳まで和歌山で生まれたことを知らず
2006(平成18)年02月05日(日)『情熱大陸』毎日放送
2007(平成19)年02月26日(月)『カンブリア宮殿』放送
2013(平成25)年01月16日(水)『探検バクモン』NHK
2013(平成25)年01月23日(水)『探検バクモン』NHK
「ゴルゴ13の秘密基地に潜入せよ!」
2015(平成27)年09月25日(金)『浦沢直樹の漫勉』NHK Eテレ
2015(平成27)年12月14日(月)『漫道コバヤシ #22』フジテレビONE
「画業60周年記念!ゴルゴ13シリーズ さいとう・たかをSP」
2016(平成28)年05月26日(木)『週刊文春』発売
2016(平成28)年06月02日(木)号 頁64-67 樋口武男「複眼対談」第68回 対談記事「さいとう・たかを 劇画家」掲載
2016(平成28)年07月21日(木)『ゴロウ・デラックス』TBSテレビ
2019(令和元)年12月21日(土)『SWITCH インタビュー 達人達』NHK Eテレ
2020(令和二)年01月09日(木)『ごごナマ』NHK
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86%E3%83%BB%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%92
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『ビッグコミック』さいとう・たかをさん追悼号 『ゴルゴ13』の傑作「海へ向かうエバ」再録
2021(令和三)年10月25日(月) 15:21
写真◆『ビッグコミック』21号ではさいとう・たかをさんを追悼
漫画誌『ビッグコミック』21号(25日ころ発売)が、
†2021(令和三)年09月24日(金)に亡くなった漫画家のさいとう・たかをさんを追悼特集していることが明らかになった。
仲間たちとのオフショットや、秋本治氏、黒鉄ヒロシ氏、ちばてつや氏、藤子不二雄A氏、武論尊氏・池上遼一氏、やまさき十三氏・北見けんいち氏からのメッセージ入り色紙に加え 、漫画原作者で小説家、脚本家そして『ゴルゴ13』元担当編集者の長崎尚志氏へのインタビュー記事などで、改めてさいとうさんの功績を振り返る。
さらに、さいとうさんが自身で脚本を手がけ、『ゴルゴ13』を代表する傑作のひとつと謳われる「海へ向かうエバ」を再録。表紙は金子ナンペイ氏によるさいとうさんの肖像画。
また、同号では人気作 『BLUE GIANT』の2022年アニメ映画化を発表。
2021(令和三)年10月29日(金)ごろに米国編『BLUE GIANT EXPLORER』第4集を発売することと併せ、直筆サイン入り複製原画プレゼント企画も告知されている 。
https://www.oricon.co.jp/news/2211483/full/
映像◆川崎市市民ミュージアム「さいとう・たかを ゴルゴ13」展https://youtu.be/5n6GmESDs7E
2018(平成30)年09月25日(火) YouTube公開 1,204 回視聴0:45 2020/11/06(金)
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┃ 連載50周年危険特別展 さいとう・たかを ┃
┃ 『ゴルゴ13』用件を聞こうか・・・・・・ ┃
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ゴルゴ50年の集大成、この秋、川崎に─―
2018(平成30)年09月22日(土) 開幕
†2018(平成30)年09月24日(月) 休館日だが開館
2018(平成30)年09月25日(火) 休館日
2018(平成30)年09月30日(日) 劇場版アニメーション『ゴルゴ13』上映会
2018(平成30)年10月08日(月) 休館日だが開館
2018(平成30)年10月09日(火) 休館日
2018(平成30)年11月03日(土) さいとう・たかを サイン会
2018(平成30)年11月30日(金) 閉幕
川崎市民ミュージアム 企画展示室1、アートギャラリー1・2・3
開館時間:09:30~17:00(最終入場16:30)
休館日:(月)曜日
https://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/13382/
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┃ 『週刊少年ジャンプ』連載『北斗の拳』 ┃
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‡1984(昭和59)年09月24日(月)発行 第41号 051話「悲しき天才!の巻」
※漫画『北斗の拳』が掲載された週間少年ジャンプの号数、発行日のリストです。発行日=発売日ではありません
┏━━━━━━━━━━┓原作:武論尊
┃ 『北斗の拳』6巻 ┃漫画:原哲夫
┗━━━━━━━━━━┛東京・一ツ橋 集英社
JC851666「悲劇の再会!!の巻」
1985(昭和60)年 JUMP COMICS 2冊目
1985(昭和60)年06月15日(土) 第1刷発行 定価360円
1985(昭和60)年10月15日(火) 第5刷発行 定価360円
1984(昭和59)年08月13日(月)発行 第35号 045話「乱を呼ぶ星の巻」
1984(昭和59)年08月20日(月)発行 第36号 046話「狂気の堕天使!の巻」
1984(昭和59)年08月27日(月)発行 第37号 047話「死のパワーゲームの巻」
1984(昭和59)年09月03日(月)発行 第38号 048話「悲劇の再開!!の巻」
1984(昭和59)年09月10日(月)発行 第39号 049話「悲劇の星の下に!の巻」
1984(昭和59)年09月17日(月)発行 第40号 050話「仮面の裏!の巻」
‡1984(昭和59)年09月24日(月)発行 第41号 051話「悲しき天才!の巻」
1984(昭和59)年10月01日(月)発行 第42号 052話「飢えた荒野!の巻」
1984(昭和59)年10月08日(月)発行 第43号 053話「伝説をつくる男たち!の巻」
●『週刊少年ジャンプ』S59年35号~43号掲載分収録 ※検印省略 著者承認済
************ http://www.hokuto-no-ken.jp
http://hokutosite.com/sakuhin/gensaku/hokuto/hokuto-keisai.html
http://hokutosite.com/sakuhin/gensaku/hokuto/hokuto-titlelist.html
http://www.biwa.ne.jp/~starman/index.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/北斗の拳
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■1984(昭和59)年09月24日(月)号 第41号 定価170円『ウイングマン』
■ウイングマン:桂正和:連載再開
■こちら葛飾区亀有公園前派出所:秋本治
■キン肉マン:ゆでたまご
■北斗の拳:原哲夫・武論尊
■キャプテン翼:高橋陽一
■男坂:車田正美
■きまぐれオレンジロード:まつもと泉
■シェイプアップ乱:徳弘正也
■海人ゴンズイ:ジョージ秋山
■コブラ:寺沢武一
■ハイスクール!奇面組:新沢基栄
■ブラックエンジェルズ:平松伸二
■よろしくメカドック:次原隆二
■銀牙-流れ星銀:高橋よしひろ
■キラーBOY:うすね正俊
■キャッツアイ:北条司
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┃ 『きまぐれオレンジ☆ロード』 ┃
┃ 『週刊少年ジャンプ』連載 ┃
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‡1984(昭和59)年09月24日(月)号 第41号 027話「優柔不断でゴメンなさい!」
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http://www.sky.sannet.ne.jp/manotaku/orangeroad/list.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/きまぐれオレンジ☆ロード
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┃ 『世紀末救世主伝説 北斗の拳2』 ┃フジテレビ系列
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 19:00~19:30
‡1987(昭和62)年09月24日(木) #23 第132話「問答無用の男達!遂に荒野の七人がケンを襲う!!」
(第6部)・・・修羅の国編 第10話 全30話構成。話数は前作からの連番となっているヨ(=^◇^=)
脚本・・・清水東
演出・・・渡部英雄
作画監督・・・敷島博英
美術・・・市谷正夫
OP・・・♪TOUGH BOY♪
ED・・・♪LOVE SONG♪
第三の羅将になろうと、サソリの修羅ギャモンとその一味は、人質を取ってロックたちをけしかけ、ケンシロウを襲撃。ロックの瞳の奥に宿る哀しみを見抜いていたケンシロウは、あえて罠にかかることで黒幕のギャモンを引っ張り出そうとしていた
ラオウとの死闘から5年、ケンシロウの手によって取り戻されたはずの平和は乱れ、天帝を操る総督ジャコウによって、再び世は混沌に投げ出された。そんな天帝軍に北斗の反旗を翻すのは、成長したリンとバット。二人の前に、ケンシロウが姿を現す!賞金稼ぎのアインや元斗皇拳の継承者ファルコとの対決の中で、天帝ルイとリンの出生の秘密が明かされる。修羅の国での、北斗琉拳の使い手シャチ、羅将ハン、ケンシロウの実兄ヒョウとの死闘。そして北斗宗家2000年の深い愛と哀しみを心に刻み付け、悪に身を染めたラオウの実兄・魔人カイオウとの最終決戦!勝利の女神はどちらに微笑むのか!?
(C)武論尊・原哲夫/NSP・東映アニメーション 1987,版権許諾証TH-116
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『北斗西斗』羅将ハンを倒した男として、ケンシロウの名は既に修羅達の間に広まっていた。郡将ギャモンもまた、空白となった羅将の地位を狙い、ケンシロウ抹殺を企む修羅の一人であった。苦労しないで勝つ。その信念に従い、ギャモンが目をつけたのは、あのロックであった。部下に近くの村を襲うよう命じた、ギャモンの真意とは・・・愛馬の手入れをするロック達に駆け寄ってきたのは、先日ロックに助けられた少年ヨハンであった。彼もまた男として、ラオウの軍への入団を希望しに来たのである。しかし彼は闘うには余りにも幼すぎた。お前が死ねば、おまえのお袋が哀しむ。自らのその言葉を、ロックはかつての体験から身にしみて感じていた。その時、一同のもとに緊急の知らせが入れられた。西の砂漠にある村が、修羅達に襲われたのだという。急いで現場へと馬を走らせるロック達であったが・・・人影どころか死体すら見当たらぬその村の様子に、異様さをおぼえるロック達。その時、飛来した毒針がロックの頭をかすめた。ロックが見やったその先にあったのは、崖の上に姿を現したギャモン一味と、捕らえられた村人達の姿であった。ロック達を従わせるため、ギャモンは村人を人質にとったのである。ギャモンが提示した解放条件。それは、ケンシロウの抹殺であった。一日という期限をつけ、ギャモン達は砂嵐と共に退散。だが、ロックに然程動揺はなかった。ケンシロウはもともとこの国に来るべき人間ではなかった。そう考えるロックにとって、人質とケンシロウの命など、比べるまでも無かった。とある峡谷にケンの姿はあった。人質救出に燃えるロック達の攻撃に、容赦は無かった。爆撃や罠で崖際へと追い込んだケンに、とどめのナイフ攻撃で襲い掛かるロック。しかし、彼にはケンの動きを捉えることは出来なかった。だが、ケンにロックを殺すつもりは無かった。ロックの目にあるのが殺気ではなく、哀しみである事を、ケンは見抜いていたのである。しかし、ロックは引くわけにはいかなかった。ケンが崖を下り降りた瞬間、峡谷にロックの指笛が響かせた。それは、谷底のケンに向かい大岩を落とさせるための合図であった。無数に積み重なった岩を見て、勝利を確信するロック達。その模様を、ギャモン達もまた見つめていた。約束どおり村人達を返す。そう語るギャモンは、ロック達連れて秘密の砦へと向けて進み始めた。その場に残されたのは、ケンの死体確認に残された修羅二人と、ロックのあとをつけてきたヨハンの三人であった。砦に着いた途端ロック達は殺される。そう話す修羅達の声を耳にしたヨハンは、急いでロック達の後を追おうとする。しかし、転倒したヨハンが落とした竹槍は、派手な音を上げ、修羅達を振り向かせた。秘密を知ってしまったそのヨハンを、じわじわいたぶりながら殺そうとする修羅達。しかし彼等が止めの刃を振り上げた瞬間、その身体は断末魔と共に消滅した。やはりケンは死んでなどいなかったのである。ロックの意志になぞらい、ケンに向け竹槍を構えるヨハンであったが・・・ヨハンは知らぬ間に気を失っていた。目覚めたときそこにあったのは、自らを手当てをするケンシロウの姿であった。しかし、ヨハンはそれでもケンシロウを認めるわけにはいかなかった。崇拝するロックがケンを敵視する以上、ヨハンにとってもケンは敵だったのである。ヨハンは知っていた。ロックがこの国を憂い、闘い続ける理由。その切欠となった日の出来事を・・・数年前、まだ若さの残るロックのもとを訪れたのは、修練場から逃げ出してきた少年であった。修羅の道に耐え切れず、村へと逃げてきたのである。だがその時、追っ手である巨漢の修羅が、二人の前へと姿を現した。修羅の前に立ちはだかり、ロックは言い放った。自分達は戦わないことに誇りを持っている。戦わないほうが立派なのだと。だがその言葉は仇となった。ロックをかばうように現れた母親を、修羅は突如槍で貫いた。母を殺して怒らせる事で、戦いを否定したロックに剣を握らせようとしたのである。しかし、それでもロックは動かなかった。己を腰抜け呼ばわりし、悠々と少年を連れ帰っていく修羅の背を、ロックは悔しさを堪え見つめていた。だがその時、ロックは誓った。いつかこの手で修羅の国を覆す。伝説のラオウが訪れたその時、己の剣をこの国のために振るうことを。ヨハンにとってロックは、この国に残された最後の希望であった。ロックが死んだとき、この国の未来も閉ざされる。そのためにもヨハンは、今すぐにでもロック達の後を追わねばならなかった。しかし、ロックを死なせてはならないという思いは、ケンもまたおなじであった。ギャモンの砦に着いたロック達は、その周囲を円状の鉄柵に覆われていた。まず逃げ道を奪い、中で全員を取り囲んで抹殺する。それがギャモンの用意した罠だったのである。しかし、ロックとてギャモンの言葉を信用していたわけではなかった。いつの間にかその鉄柵の向こう側は、弓を構えた村人達によって取り囲まれていた。ロックには、常に彼を支持する民衆の力がついていたのだ。だがギャモンにとって、彼等は戦いを拒んできた無力な存在でしかなかった。彼の尾から放たれた無数の毒針は、援軍達を一瞬にして葬り去ったのであった。一気に勝負をつけんとするギャモンは、部下達による奥義・呪龍羅斬陣を発動。連続する肩車により、巨大なムカデと化した修羅達の刃が、村人達を襲う。もはやロックは、これ以上村人達に血させるわけにはいかなかった。俺ひとりの命で許してくれ。そう言って頭を下げたロックであったが、ギャモンはそのような約束を守るような男ではなかった。捕らえられたロックに修羅の刃が迫る。だが次の瞬間、その修羅は横っ面を蹴り飛ばされていた。巨大ムカデを一撃で地に伏させたその男は、ロック達が殺したはずのケンシロウであった。四方を取り囲む呪龍羅斬陣を旋風脚で一掃したケンは、残されたギャモンと対峙。全身に生やした毒針を一斉に飛ばす奥義、剛牙鉄条刺を繰り出すギャモンであったが、ケンの闘気をそれを全て止め、そして跳ね返した。自らの毒針に全身を突き刺した後、ギャモンはその身を崩壊させたのであった。礼を言ってきたロックに対し、ケンは言った。村人達のためにも、そして土に染み込んだ母の血のためにも、お前は死んではならないのだと。去り行くそのケンの背に、ロックはやっと己の進むべき道を見出していた。帰る途中、出会ったヨハンから事情を聞いたロックは、更にその確信を強めた。ラオウ伝説を継ぐのは自分ではない。ケンシロウであるという事を。
[漫画版との違い]
・呪龍羅斬陣が登場する以外は全てアニメオリジナル
・呪龍羅斬陣を使うのが、カイオウ滅殺隊から、ギャモン配下に変更。旋風脚で倒された後に粘りを見せるソーンは削除。
◎PICK UP◎
・村人になれば戦わなくたっていいんだぞ ⇒ ってロックさんはいってますが、え・・・・そうなんですか?この国の男児は15歳になったら修羅を目指さなきゃだめなんじゃ・・・んー、村人になるにはチ○コ切らなきゃだめとか、そういうのなのかな・・・
・デコ助野郎 ⇒ ケンに助けられた瞬間から「さん」付けにする、超わかりやすい男ロック。しかしまだ「様」じゃない分、ラオウ様よりは評価は下・・・なのかしら。
************ http://www.hokuto-no-ken.jp
https://www.amazon.co.jp/dp/B00MF5JSQK
https://www.uta-net.com/song/462
https://www.uta-net.com/song/2208
http://hokutosite.com/sakuhin/gensaku/hokuto/132.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/北斗の拳_(テレビアニメ)#北斗の拳2
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┃『愛と死の記録 The Heart of Hiroshima』 ┃
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1967(昭和42)年09月17日(日) 劇場公開
1966(昭和41)年夏、広島・撮影『愛と死の記録』中本総合印刷、舞台 ※Internet Archive
1966(昭和41)年08月18日(木)号『週刊平凡』P.56-58「浜田光夫のピンチヒッター 『愛と死の記録』で吉永小百合と初共演渡哲也が悩んでいる!」
1966(昭和41)年08月29日(月)号『週刊サンケイ』P.102「芸能ジャーナル 長びいた静養の真相は? 純愛コンビの抵抗作?」
1966(昭和41)年09月15日(木)号『週刊平凡』P.11?13「グラビア 浜ヤンのためにも… 日活『愛と死の記録』/ピンチヒッター渡哲也・吉永小百合を相手に大熱演」
1966(昭和41)年09月23日(金)号『週刊読売』P.45「いま何してる? 渡哲也」
1966(昭和41)年09月29日(木)号『週刊平凡』P.50「シネ・ガイド 日本映画 愛と死の記録 感動的な愛のドラマ/今週の演技賞 気迫に満ちた吉永小百合」
1966(昭和41)年10月07日(金)号『週刊読売』P.48「ワイド 芸能 一般席 青春ものの佳作 『愛と死の記録』」
1966(昭和41)年11月号『月刊平凡』P.225「今月の日本映画ご案内 『愛と死の記録』」
1968(昭和43)年07月26日(金)号『週刊朝日』P.100「スクリーン 吉永の"乙女心"に泣く日活 『愛と死の記録』出演延期申し入れ」
1998(平成十)年03月30日(月)読売新聞夕刊 芸能A:P.7“吉永小百合2年ぶり映画『時雨の記』 大人の恋しっとり渡哲也、相手に指名”
2015(平成27)年08月14日(金)『AERA dot 朝日新聞出版』“独占インタビュー吉永小百合さん「戦争はだめ、核もだめ」前編”
2016(平成28)年08月06日(土)『中国新聞デジタル』有岡英俊“「愛と死の記録」映画50年展 原爆資料館に脚本や取材ノート”
‡2018(平成30)年09月24日(月)『デイリースポーツ神戸新聞社』“吉永小百合 核兵器廃絶への思い訴え「私の声は小さいけど…切実に」”
amazon・・・ある日偶然に出会った、和江と幸雄。二人はすっかり打ち解け、愛を感じていた。ただ幸雄の親代わりの岩井だけは深刻な表情をみせる。幸雄は被爆者で、一度発病して入院していたのだった。再発を心配する岩井の恐れは、非情にも早く現実となってしまう
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https://www.amazon.co.jp/dp/B08Z3ZPGPV
https://eiga.com/movie/38281/review/02413383/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E3%81%A8%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2
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┃ 『予告犯』 ┃
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2015(平成27)年06月06日(土) 公開
2015(平成27)年12月04日(金) Blu-ray DVD
2017(平成29)年01月09日(月) 26:05~28:00 TBS地上波初放送
2017(平成29)年01月10日(火) 02:05~04:00 TBS地上波初放送
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%91%8A%E7%8A%AF
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映像◆予告犯 - ドラマ 日本 人気 フル 2017 https://youtu.be/YfQdqGiPWIY
‡2014(平成25)年09月24日(日) 1:23:00 奥田宏明:お客様署名
『ジャンプ改』で2011年から2013年にかけて連載されて人気を博した筒井哲也のコミックを実写化したサスペンス。法では裁けぬ悪や罪をネット上で暴露し、その対象への制裁を予告しては実行する謎の予告犯シンブンシとエリート捜査官の攻防が展開する。監督は『ゴールデンスランバー』、『白ゆき姫殺人事件』などの中村義洋。『脳男』などの生田斗真が、新聞紙製の頭巾を被った異様な主人公を怪演、その脇を戸田恵梨香、鈴木亮平、濱田岳、荒川良々ら実力派が固める。息詰まるタッチに加え、社会のさまざまな闇に光を当てる硬派な視点にも注目.
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┃ 東京国際映画祭 (Tokyo International Film Festival) ┃TIFF
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┌─――――――――――――┐
①|1993(平成五)年 9月24日(金)|第06回 開幕
|1993(平成五)年10月 3日(日)|第06回 閉幕
└─――――――――――――┘グランプリ受賞作品・・・『青い凧』田壮壮監督 中国
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②|1994(平成六)年 9月24日(土)|第07回 開幕
|1994(平成六)年10月 2日(日)|第07回 閉幕
└─――――――――――――┘グランプリ受賞作品・・・『息子の告発』巌浩監督 中国
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①http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC6%E5%9B%9E%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD
②http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD
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┃ 『潮騒“The Sound of Waves”』 ┃原作:三島由紀夫
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┌─――――――――――――┐第3作 封切
|1971(昭和46)年 9月24日(金)|監督:森谷司郎
└─――――――――――――┘主演:朝比奈逸人、小野里みどり
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BD%AE%E9%A8%92_(1971%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
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三島由紀夫vs東大全共闘(長尺版)1969(昭和44)年5月13日(火) 東京大学900番教室 http://youtu.be/5wLaND09VF8
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①┃ 日本週末興行成績第①位の映画作品 ┃西暦2005年第39週目
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┌─――――――――――――┐通算3週目
|2005(平成17)年 9月24日(土)|一日目『チャーリーとチョコレート工場』
|2005(平成17)年 9月25日(日)|二日目『チャーリーとチョコレート工場』
└─――――――――――――┘週末観客動員数・・・
週末興行収入・・・・・
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②┃ 日本週末興行成績第①位の映画作品 ┃西暦2011年第39週目
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┌─――――――――――――┐通算2週目 <第①位最終日>
|2011(平成23)年 9月24日(土)|一日目『アンフェア the answer』
|2011(平成23)年 9月25日(日)|二日目『アンフェア the answer』
└─――――――――――――┘週末観客動員数・・・
週末興行収入・・・・・
備考・・・興行収入は『モテキ』が第①位 (17万6525人、2億4578万0400円/初日 (金曜日) を含めると28万4159人、3億8896万8700円)
****** http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=78817
①http://ja.wikipedia.org/wiki/2005%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%80%B1%E6%9C%AB%E8%88%88%E8%A1%8C%E6%88%90%E7%B8%BE1%E4%BD%8D%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
②http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%80%B1%E6%9C%AB%E8%88%88%E8%A1%8C%E6%88%90%E7%B8%BE1%E4%BD%8D%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
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①┃ 東京都内3地区集計 観客動員数第①位の映画作品 ┃西暦2000年第39週目
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┌─――――――――――――┐通算1週目 <第①位最初で最後の日>
|2000(平成12)年 9月23日(土)|一日目『パトリオット』
|2000(平成12)年 9月24日(日)|二日目『パトリオット』
└─――――――――――――┘週末観客動員数・・・1万2377人
週末興行収入・・・・・
備考・・・観客動員数は東京都内3地区(銀座 新宿 渋谷)
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②┃ 日本週末興行成績第①位の映画作品 ┃西暦2006年第38週目
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┌─――――――――――――┐通算1週目 <第①位最初で最後の日>
|2006(平成18)年 9月23日(土)|一日目『イルマーレ』
|2006(平成18)年 9月24日(日)|二日目『イルマーレ』
└─――――――――――――┘週末観客動員数・・・
週末興行収入・・・・・
****** http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=78345
①http://ja.wikipedia.org/wiki/2000%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%80%B1%E6%9C%AB%E8%88%88%E8%A1%8C%E6%88%90%E7%B8%BE1%E4%BD%8D%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
②http://ja.wikipedia.org/wiki/2006%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%80%B1%E6%9C%AB%E8%88%88%E8%A1%8C%E6%88%90%E7%B8%BE1%E4%BD%8D%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
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┃ 『スター千一夜』 ┃フジテレビ系列
┗━━━━━━━━━━┛1981(昭和56)年9月25日
最終回のゲストは、美空ひばり『さよなら!スター千一夜』というタイトルで、19:30からの拡大版で放送(当時19:30開始の『逆転クイズジャック』は●前日の9月24日で終了)。放送では過去当番組に出演した芸能人が多数出演し、その席上、森繁久彌が自作の詩を朗読して番組終了を惜しんだ。放送回数6417回、放送期間22年6ヶ月は、現在放送中の『森田一義アワー 笑っていいとも!』(2011(平成23)年1月現在、28年3ヶ月)に塗り替えられるまで、フジテレビの帯番組では長寿記録であった。その後、1990(平成二)年頃に期首特番で2時間番組として復活したこともある。出演はレギュラーを務めていた露木茂、ビートたけし。通称は「スタ千」
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%8D%83%E4%B8%80%E5%A4%9C
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┃ 『松田優作特集生誕60年・没後20年 』 ┃
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|2009(平成21)年10月30日(金)|『松田優作特集生誕60年・没後20年 』松田優作関連ニュース 更新
|2009(平成21)年10月30日(金)| 般若心経を唱え悟りの境地に至ったのか
└─――――――――――――┘写真◇「無」と刻み込まれた松田優作の墓「無」と刻み込まれた松田優作の墓
アクションスターとして世界に羽ばたこうとした、その矢先に人生を閉じた松田優作。荒々しいそのイメージとは懸け離れた素顔がある。ひたすら般若心経を唱えながら、彼は何を考え、どう生きようとしたのか。西多摩の霊園にその墓を訪ねる。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 般若心経の最後に、こんな呪文(じゅもん)がある。マントラと呼ぶ。「ぎゃーてー、ぎゃーてー…」で始まるそれの、およその意味は「行きて、行きて、悟りの彼岸に行きて、悟りの極みに行きて、悟りよ幸あれ、ここに、知恵の完成に至る者の心を終える」と、解釈するようである。
1984(昭和59)年1月16日(月)、松田優作の母かね子が亡くなった。般若心経を唱え始めたのはこの時からである。未婚の母として、女手ひとつで育ててくれた母親の死。葬儀に立ち会ったある女性宗教家の何げないひと言に心を打たれたからだという。
「般若心経の写経と座禅を始めてから、いろんなものが見えてくるようになった。先月、寺で座禅を組んだんだが、悟りの境地まで、あと一歩のところまでいった」と言った。前妻松田美智子との会話である。「俳優の仕事は、悟りに至るまでの道程だと思っている」と聞かされたとき、美智子はこの男が一体、どこへ行こうとしているのか、広漠とした思いに駆られた。「悟り」という、その言葉の真意をつかみかねたからである。亡くなる前年、88年12月25日のことだった。
3カ月前の●1984(昭和59)年9月24日(月)、松田は家族とともに、山梨・赤石温泉に出かけた。その帰り道、車の中で「トイレがつらい」と訴え、血尿をみた。荻窪の病院に着くなりストレッチャーに乗せられ、応急処置を受け、そのまま入院した。
ぼうこうの中ををのぞくと3カ所から出血が認められ、ぼうこう外側上部にできる壁がんと認められた。さらに調べると骨盤に向かってがん細胞が増殖する上皮肉がんと判明した。CTスキャンで見ると、すでにぼうこうの4分の1が侵されていた。兆候は86年ころからあった。しかし「少々の傷はツバでもつけときゃ治る」と育ってきた松田にとって手術を受け入れるはずはなかった。定期通院と副作用の少ない抗がん剤、制がん剤の併用で撮影に向かった。死は確定していた。初のハリウッド進出作品、自らの死によって見ることのなかった映画「ブラック・レイン」のクランクインが迫っていた。
散歩の途中、神社を見つけると般若心経を唱えた。「お経は神社じゃなくてお寺でしょう」と近くの者がいさめると「信じて唱えるぶんには、お寺も神社も関係ない。おれには般若心経しかないからな。お前も覚えろ」と勧めた。「心が落ち着くから」というのがその理由だった。
1989(平成元)年、松田が「兄貴」と慕った俳優原田芳雄の母親が急死した。病院から遺体を引き取り、葬儀の段取りをしているときに電話があった。「今、(桃井)かおりと飲んでいるんです。よかったら3人で飲みませんか」という問い掛けに「今それどころじゃないんだ。おふくろが死んだばかりだ」と告げると下北沢から東北沢の、原田の自宅にすっ飛んできた。「あいつはここぞとばかりに般若心経をあげてくれたのです。ありがたかった」と述懐する。原田の家族と、松田と桃井だけの葬式だった。
何事にも妥協を許さなかった松田は、人との付き合い方が極端だった。撮影現場での、監督、スタッフとの対立は枚挙のいとまがない。映画「誘拐報道」の出演依頼に「子供を誘拐するような役はやりたくない」と断り、伊丹十三の「お葬式」では「(伊丹は)あいつは知識人ではあるけど、それだけだ。知性がないんだよ」と切り捨てた。キャリアの割に、作品の少ない俳優だった。
そのいら立ちは作品だけでなく、自分の、俳優としての生き方を問い直すことになった。アクションスターとして売り出したにもかかわらず「大の男が、おもちゃのピストル持って、昼の日中から一体何をやっているんだと。いったん、しらけてしまうと、こんなばかげたことはないぜ。へたなウソにはもう付き合いたくない」。本物のアクション映画がやりたかった。いつの間にか芝居の出来る俳優として期待され〝芸術〟を求められると、さらにストレスは高まった。未消化の自分にいら立った。
だから、般若心経だったのか―。「兄貴」原田はその心中を推し量る。「般若心経を唱えるのは、肉体的な重労働のようなもので、畑を耕したり、道を掘ったり、青空の下で大汗をかく、それと同じでしょう。何かを得ようということではなく、それをすることで自分の臓物をすっからかんにする。天があって地があるとするならば、天上から地まで突き通すように空気を流したい。内臓から何から全部取っ払って、外も内も気持ち良く風を通したいということでしょう。(中略)般若心経を唱えることが宗教的な感情であることは確かだとしても、宗教そのものではなかった」。
1989(平成元)年11月8日(水)、東京・三鷹の霊泉斎場で松田の告別式が執り行われた。原田が弔辞を読んだ。
「優作。おれは今までお前が死ぬとこを何度も見てきた。そしてその度にお前は生き返ってきたじゃないか。役者なら生き返ってみろ! 生き返ってこい!」。
短い、しかし絶叫に近かった。(敬称略)【石井秀一】
☆参考資料「松田優作クロニクル」(キネマ旬報社)、「永遠の挑発 松田優作との21年」(松田麻妙)、「越境者 松田優作」(松田美智子)ほか。
☆松田優作の墓 西多摩霊園(東京都あきる野市菅生716、電話042・558・7731)に眠る。JR青梅線福生駅下車。西口から無料送迎バスが出ている(平日1時間に1本、土日、祝日は2本)。15分ほどで霊園に着く。正門近くに霊園内バスがあり、5番停留所で下車、32区の標識近くの坂を上ると、樹木に覆われた西洋風平板状の墓が見つかる。墓石にはただ1文字「無」。般若心経の経文に頻繁に登場する「無」「不」の文字のうち、ひとつを採用したと思われる。
墓石の裏側が墓誌と思われ「天真院釈優道居士」が確認できる。
松田を一躍人気者にしたのはやはり日本テレビでの「太陽にほえろ!」でのジーパン刑事役だろう。ラストシーンは自分が助けた青年に拳銃で腹部を撃たれる。「なんじゃ、こりゃあ」と叫んで死んでゆく。このセリフは当初から予定されていたものではなく、松田の創作だった。
そしてもうひとつ、現実の死。松田が亡くなった1989(平成元)年11月6日(月)、元妻の松田美智子は友人と会うために銀座へ出かけた。その出がけ、なぜか愛用の腕時計が動かなくなり、立て続けにストッキングが2足伝線した。息を引き取った午後6時45分、修理を頼んだ時計屋へ出向いたが、腕時計は何の修理もしないのに動きだしていた。後に美智子は作家として独立を決意した。「ものを書いて生きてゆくつもりなら、まず、俺のことから始めろよ」と言われた。洗いざらい描き出す可能性を示唆すると「怖いね。けどいいさ。おまえに書かれるのなら本望だよ」―。
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http://www.nikkansports.com/entertainment/yusaku/2009/news/news-yusaku17.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E5%84%AA%E4%BD%9C
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