映像◆松○聖子のそっくりさんのAV(*^_^*) http://video.fc2.com/a/content/20110124Gm6xCgTX
【久留米】このためだけに久留米に行ってもいい程ウマい松尾食堂の肉丼
1931年08月15日オープン日
2015年10月10日(土) 8時30分
http://piq.life/y-ta/article/4879
http://tabelog.com/fukuoka/A4008/A400801/40000657/
マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論(転載)
2013(平成25)年09月11日(水)
80年代女性アイドル格付シリーズは英時一がはてな匿名ダイアリーで連載したものです。今回、ブログ開設に伴ってこちらにも転載することにしました。
80年代女性アイドル格付http://anond.hatelabo.jp/20130821065806
80年代女性アイドル格付を書いたマスダです。80年代女性アイドルについて語り倒したくなったので、順繰りにそれぞれの女性アイドルについて話してみたいと思います。今日は松田聖子について。松田聖子のデビュー曲は「裸足の季節」、そのB面曲は「RAIMBOW~六月生まれ」と言う楽曲です。どういう事情でこのB面曲が選ばれたのか、ちょっとした謎ですね。デビューシングルと言えば、売出し中のアイドルにとっては名刺みたいなもんじゃないですか。そのB面曲が「六月生まれ」だったら、普通は、ああ、この子は六月生まれなんだなあって思いますからね。でも実際には聖子は3月10日生まれ、早生まれなんですね。この早生まれ、ということを初期の聖子は最大限に活用しています。三作目のシングル「風は秋色」はB面曲(扱いは両A面扱いですが)が「EIGHTEEN」で、聖子の初期の代表曲の一つです。あーここでついでに言っておきますが、聖子のシングルのB面はA面よりもむしろ優れた楽曲が多くて、ファンから強く支持されているのもB面曲が多いですね。何といっても「SWEET MEMORIES」が「ガラスの林檎」のB面曲なんですから。主演映画の主題歌だった「花一色」や「夏服のイヴ」がB面だなんて、他の歌手では絶対にありえないですよね。で、「EIGHTEEN」を歌っている時、彼女は実際に18歳だったのですが、早生まれなので学年で言えば、「19歳」なんですよね。山口百恵は19歳の時には「プレイバックPart2」を歌っていました。そして21歳の時に引退しました。山口百恵が脱アイドル路線を進み、既にその前年に嫁に行く娘の母への気持ちを「秋桜」で歌っていたことを踏まえれば、普通はもうアイドル路線から転換するような年齢で、聖子はアイドルを開始したということになります。既に高校を卒業して、社会人としてアイドルデビューをした松田聖子でしたが、「高校三年生の年齢である18歳」を強調することで、ファン層である中高生との乖離を極力狭めようとした、「EIGHTEEN」という楽曲にはそういう意図が感じられます。聖子は高校1年生の時にミスセブンティーンコンテストで歌唱力を認められ、CBSソニーが直ぐにでもデビューさせたいとアプローチをかけます。彼女はサンミュージック所属でしたが、レコード会社が発掘したアイドルなんです。CBSソニーとサンミュージックが綱引きをしたら、聖子はあくまでソニーのタレントです。このことがアメリカ進出の際、亀裂となって生じるのですが、それはまた別の話です。聖子のデビューが遅れたのは、父親を説得するのに2年を費やしたからです。14歳でデビューした山口百恵らはさすがにデビューが早い方ですが、アイドルは普通は16歳前後でデビューします。田原俊彦は19歳でのデビューでしたが(学年で言えば実際には20歳でのデビュー)しばらく年齢を詐称していたように、18歳以降でのデビューはアイドルとしては年齢が立ちすぎていて、著しく不利です。いいよいいよで済ます家庭で育っていれば、聖子のデビューは石野真子と同期、1978年になっていたはずです。2年デビューが遅れたのは後から見れば実にラッキーだったのですが、おそらくその2年間は聖子の人生の中で一番悶々としていた時期だろうと思います。娘が芸能界でデビューしたいと聞いて、まずまともな父親なら反対が先に来ると思います。決して内実は美しい世界ではありません。暴力団などに食い物にされている人もいます。横目で見ていて、そんなことに娘が関わって欲しくないとまともな父親ならばそう思うのではないでしょうか。娘が芸能界に入りたいと言って、これで一儲けが出来ると思うなら、いいよいいよと父親は言うでしょう。問題は果たしてそう言う父親がまともな父親かどうかです。芸能界に入る時に父親に反対されたというアイドルほど、荒波を乗り越えてタフなように見えます。それは最後の砦である家族を信じられるからです。家族を信じられるのは家族がまともだからです。松田聖子にはこの、「父に愛された娘」としてのタフネスがあります。それは中森明菜が結局手に入れられないものでした。デビューが遅れて良かったのはまず第一に黄金期にあった山口百恵、キャンディーズ、ピンクレディーらと競合せずに済んだことがあげられます。本来、ポスト百恵の世代は、石野真子、榊原郁恵、大場久美子らが担う位置にありましたが、彼女らは既に聖子がデビューした時には息切れしていました。78年にデビューしていれば聖子もそうなった可能性があります。聖子と百恵の活動時期は殆どかぶっていなくて、百恵の引退直前に聖子が挨拶に行った、くらいの関わりです。百恵が不在になって、いなくなったのは百恵だけではなく、めぼしい女性アイドルたちもそうでした。80年組が豊作の年と言われるのは、女性アイドルたちが不在で、80年組がまたたくまにその空間を埋めたからです。
80年組が活発な活動を続けていた81年には、逆に女性アイドルが出てくる余地が無くて、81年組は近藤真彦、竹本孝之、沖田浩之などの男性アイドルは輩出されましたが、女性アイドルには本当にめぼしい人がいません。伊藤つかさだけですね。
70年代は60年代の延長ですが、80年代は新しいステージに入りました。戦争を知らない子供たちどころか石油危機を知らない子供たちが青年期を迎え、先進国の日本しか知らない若者が世相をリードするようになりました。
70年代末期には、海外ご当地ものの楽曲が数多く出ました。「とんでイスタンブール」とか「サンタモニカの風」とかですね。海外ご当地ものは聖子も数多く歌っていますが、日本の若者は行こうと思えば気軽にそこへ行けるようになっていたのが70年代と異なっています。ハワイやグアムではもはや歌の舞台には陳腐になっていて、聖子の海外ご当地ものはより遠くへ、穴場へ行く傾向にありました。グアムではなくセイシェル、ロスではなくマイアミ、カリフォルニアのディズニーランドではなくニューヨークのコニーアイランド。聖子の歌には、特に初期には憂いのようなものはなく、ふわふわとしたポップな高揚感がありましたが、80年代はそれをファンタジーではなく、普通のことにする時代でした。あの時代の日本人はすべて、準超大国であった日本という国家を背負っていたのです。聖子はその象徴になりましたが、それは78年にデビューしていればたぶん不可能なことでした。
「裸足の季節」がスマッシュヒット、「青い珊瑚礁」が大ヒット、続く「風は秋色」という地味な曲が80万枚を売り上げたことから(今の感覚ではたぶん倍の枚数で考えればちょうどいいんじゃないかと思います。だから160万枚)、聖子なら何でも売れることがはっきりとしました。続く「チェリーブラッサム」は最初のターニングポイントになった楽曲です。続いて「夏の扉」「白いパラソル」と財津和夫が作曲を手掛けますが、財津和夫の流れからJ-POP原理主義とも言うべき、「はっぴいえんど」人脈とのつながりが出来て、松田聖子の楽曲はアイドルの枠を超えて、日本のミュージックシーンでもにわかに実験的な色彩を強めていきます。アルバム「風立ちぬ」はこの時代、もっともアグレッシヴなアルバムであり、日本音楽史上、聖子の楽曲は単に売れている、という以上の意味を越えて特筆すべきものになりました。売れているから何でもできたのです。
「チェリーブラッサム」は初期シングルの中では最高傑作との評価も高い楽曲で、人気も高いのですが、歌うのはかなり難易度が高い曲です。聖子はその後も「いちご畑でつかまえて」のようなあり得ないような難しい楽曲をわりふられて、楽々と歌っているばかりか、生放送で披露して作品世界観までしっかりと表現しているのですが、まず普通の歌手には真似できないことです。第一に何でも売れる、第二に何でも楽々と歌える、という二つの条件が揃ったことにより、一種の「聖子解放区」なるものが出現し、日本のトップアーティストたちがこれでもかと腕を振るって練りに練った楽曲を提供し、ソングライターにとっての桃源郷が聖子という媒体を通して出現します。その契機をつくったのが財津和夫であり、「チェリーブラッサム」でした。聖子自身は当初、この楽曲に拒否反応を示し「こんなのを歌っていては駄目だわ、と思った」と述べているのですが、それはアイドル歌謡の枠からあまりにも外れていたからでしょう。聖子はなりたくてアイドルになっただけに、アイドル的なるものが好きでした。聖子は80年代初めに、ふわりとした髪型(いわゆる聖子ちゃんカット)、ロココ趣味のドレスという天地真理スタイルを復活させた人ですが、当時は既に山口百恵後期のスタイリッシュな大人の女性路線を経ていたために、下手したら冗談と受けとられる可能性がありました。そんな恰好をするのはもはや聖子だけだったのです。その後、聖子がブレイクした結果、猫も杓子もエピゴーネンになりましたが、その時にはもう聖子はそうしたスタイルをやめていました。
そして「赤いスイートピー」で作詞・松本隆、作曲・呉田軽穂(松任谷由実)のコンビが実現するのですが…。松本隆は80年代を代表する作詞家で、トップアイドルたちのほとんどに詞を提供しています。上位から8位までのアイドルたちで言えば、中森明菜に「愛撫」「Norma Jean」、小泉今日子に「魔女」「水のルージュ」、薬師丸ひろ子に「Woman~"Wの悲劇"より」、中山美穂に「派手!!!」「JINGI~愛してもらいます」、斉藤由貴に「情熱」を提供しています。特に中山美穂については初期にプロデュースも手掛けています。しかし松田聖子のプロデューサーとしての活動が著名で、松本隆と言えば松田聖子、松田聖子と言えば松本隆といってもいいでしょう。「秘密の花園」は元は別の人が作曲していたのですが、松本隆が気に入らなかったので急遽、作曲者を松任谷由実に替えています。松田聖子プロジェクトにおいてはそういう権限を持っていた人です。松任谷由実のアーティストとしての全盛期を、荒井由実時代に求める人は多いのですが、私は松任谷由実になってから7年間、アルバムで言えば「紅雀」から「DA・DI・DA」までがソングライターとしての全盛期だと思います。セールス的にはその数年後に絶頂が来るのですが、セールス的な絶頂が来た頃にはソングライターとしては下降期に入っています。そのソングライターとしての全盛期がまさしく彼女が松田聖子プロジェクトに関与した時期で、さすがにどの曲も珠玉の傑作ばかりです。「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」「Rock'n Rouge」「秘密の花園」「瞳はダイアモンド」「時間の国のアリス」が松任谷由実が松田聖子に提供したシングルA面曲になります。B面曲/アルバム曲では「制服」「レモネードの夏」「蒼いフォトグラフ」「恋人がサンタクロース」などが有名なところでしょうか。彼女はソングライターとして全盛期だった松任谷由実の楽曲を歌うことで、松任谷由実のエピゴーネンになる危険を冒しました。ユーミンサウンドのチャンネルのひとつ、になってしまう可能性があったのですが、そうはならなかったのは、第一に二三の例外を除き、松任谷由実がセルフカバーしていないから、そして、松田聖子が独自の歌唱で、世界観をくっきりと提示したからでしょうか。これは彼女の楽曲をカバーしたアーティストの歌を聴き比べればはっきりとします。カバーアーティストたちはプロですからそれぞれに上手いのですが、聴き比べればやはり聖子の歌唱が圧倒的に優れているのが分かります。これは単にオリジナルシンガーというだけでなく、楽曲の世界観を提示する能力が卓越しているからです。彼女は洋楽の日本語版をカバーして歌っていることも多いのですが、それらはオリジナルよりもよほど強い輪郭を持っています。松田聖子は演技は致命的に下手ですが、歌の中にドラマを作り上げる技量は他の追随を許しません。いわゆる歌が上手いと言われる人、例えば美空ひばりは、彼女自身が器楽として優れているのであって、実はその歌は、世界観を味わうというよりは、音楽としての歌を楽しむ、実はより純粋音楽の方向に寄り添っています。松田聖子は歌を映像として見せる技量に秀でているのであって、その圧倒さは唯一無二のものです(対照的に中森明菜は器楽寄りの歌手です)。
「はっぴいえんど」人脈によって松田聖子というアイドルの楽曲の風景は歴史的なものになったのですが、松田聖子自身は本来はそちらの性向ではなかったのでしょう。「花一色」は文芸映画「野菊の墓」の主題歌で、やはり数多くの文芸映画に主演した山口百恵の中期の路線を思わせる楽曲でしたが、しっとりと日本の情感を歌い上げています。彼女自身はそういう、「大人」の路線にシフトして行きたかったはずですが、松田聖子プロジェクトが圧倒的な成功を収めたために彼女自身、その成功に圧倒されていきます。
「チェリーブラッサムを歌いたくなかった」という言葉は実は、「案外、自分のことはわからないものだ」という自己反省の文脈で語られています。自分よりも周囲の方が案外分かっているのではないか、チェリーブラッサムはそういう教訓を彼女に与え、彼女自身、松田聖子を自己模倣していきます。アイドル時代のキャリアの後半になるにつれ、子供っぽい、可愛い歌の傾向に拍車がかかるのは、その表れでしょう。「時間の国のアリス」「天使のウィンク」「ボーイの季節」は過剰な少女趣味が行き過ぎていて悪趣味ですらあります。ほとんど自らの巣に絡まる蜘蛛のような、自虐的とも言えるまでに肥大化してゆくアイドルとしての松田聖子の路線に、松田聖子は結婚休業をすることでけりをつけるのです。
https://hanabusatokiichi.hatenablog.com/entry/2013/09/11/203226
┏━━━━━━━━━━━┓
①┃『青色のタペストリー』┃
┗━━━━━━━━━━━┛P.218
1982(昭和57)年12月01日(水) CBS・ソニー出版
表帯言葉・・・この本の中には、本当の聖子がいます。ちょっと勝気だけれども、明るくて、傷つきやすい女の子。そう、あなたとまったく変わりなく、精いっぱい生きていこうとする私の青春があります。
②1983(昭和57)年の3月10日(木)、私は21歳の誕生日を迎えます。そしてその日に向かっていま私は少しす゛つ変わろうとしています――20歳の記念に書き下ろした『青色のタヘ゜ストリー』に、そうつつ゛った松田聖子。撮影:中島清一
本誌独占入手!「松田聖子が一冊の本に託した“愛”“夢”そして“人生”の真実」
渦中の人が20歳の記念に書き下ろした『青色のタペストリー』の中身
③当時本誌に掲載された『青色のタペストリー』未収録カット。撮影:中島清一
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①https://www.amazon.co.jp/dp/478970064X
②https://jisin.jp/kasou/1991617/image/3
③https://jisin.jp/kasou/1991635/image/0
https://www.uta-net.com/song/3554
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映像◆プロポーズ大作戦1 松田聖子 河合奈保子 浜田朱里http://v.youku.com/v_show/id_XNTk0MjI5MDk2.html
映像◆松田聖子 1980-1989金曲
2017(平成29)年11月25日(土) 21:23:11
https://www.bilibili.com/video/BV1Lx411576C/?spm_id_from=333.788.videocard.7
22:48映像◆ドリフと松田聖子様https://youtu.be/NcrX1RNGka4
映像◆夜ヒット総集編 松田聖子 山口百恵https://youtu.be/Abc-UrvfP7w
▼松田聖子フル収録▼
映像◆松田聖子 seiko prism agency http://v.youku.com/v_show/id_XNDk0MzIwNTky.html
映像◆松田聖子 fantastic http://v.youku.com/v_show/id_XNDkzNzc3OTI0.html
映像◆明菜ちゃん ちびっこの♪1/2の神話♪質問に苦笑い
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『松田聖子と中森明菜 増補版 一九八〇年代の革命』 ┃
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2015(平成27)年02月06日(金) 朝日文庫 Kindle版 著:中川 右介 P.217
https://www.amazon.co.jp/dp/B00T683SYC
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┃ 聖子ちゃん編年史 ┃http://i.youku.com/u/UMTMzMjQxNzky
┗━━━━━━━━━━┛82 http://www.youku.com/playlist_show/id_19385570.html
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┃ 聖子ちゃん編年史 ┃http://i.youku.com/u/UMTMzMjQxNzky
┗━━━━━━━━━━┛83 http://www.youku.com/playlist_show/id_19385572.html
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┃ 聖子ちゃん編年史 ┃http://i.youku.com/u/UMTMzMjQxNzky
┗━━━━━━━━━━┛84 http://www.youku.com/playlist_show/id_19385576.html
松田聖子 アルバムメドレー http://youtu.be/NUYTezrKsO0
1980-1992 松田聖子CM集with soikll5 http://youtu.be/r833V2fQ7UI
5:41 1982グリコ ポッキー
6:54 1982グリコ カレー
7:40 1983エスエス製薬 ブロン液W
8:09 1982グリコ カプリソーネ
10:38 1983グリコ ポッキー
11:52 1983月星 ファルコンバイオフェック
16:51 1985SONY HIT-BITワープロ
19:05 1984グリコ ポッキー
21:19 1984エスエス製薬 エスタック顆粒
21:34 1984エスエス製薬 ブロン液W
22:33 1985グリコ ポッキー
24:47 1985CBS-SONY アルバム告知
25:01 1986資生堂 ピンポンパンツ
26:30 1988グリコ フレンドベーカリー
26:46 1988日立 オリエント急行
27:16 1989たかの友梨ビューティークリニック
27:30 1989スバル レックス
27:45 1989森永乳業 L&L
28:00 1990たかの友梨ビューティークリニック
29:00 1992金鳥 ゴン
映像◆21歳の誕生日 ⇒ 再UP。聖子ちゃんのインタビューは、 いつもチャーミングで、 聡明さが出ていて大好きでした。
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
映像◆松田聖子 徹子の部屋 ⇒ 85年。某所に上げた物よりちょぴり長めです。本当に 当時の聖子ちゃんに、さやかちゃんを見せてあげたいなあ…
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
┏━━━━━━━┓
┃ 松田聖子様 ┃1997(平成九)年12月 7日(日) 実父の蒲池孜さん死去 享年72歳
┗━━━━━━━┛1997(平成九)年12月28日(日) 福岡県柳川市の浄土宗良清寺で蒲池孜さん葬儀、聖子出席
映像◆松田聖子ちゃんのステージを観覧するお父様お母様 http://youtu.be/1BYeblTx2dI
聖子様を作ってくれてありがとう
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
http://www.universal-music.co.jp/matsuda-seiko
http://www2a.biglobe.ne.jp/~seikofan/html/text/his1b.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
***********************************************************
松田聖子 カコナールCM http://v.youku.com/v_show/id_XMzQ0Nzk3MDY4.html
松田聖子特集 http://youtu.be/HC_MSHGSbTo
松田聖子ちゃんの転機? (音声のみ) http://youtu.be/2Q3PyQgmaYY
私事ながら、ネット完全復帰記念といたしまして、数十年前のエアチェック・ライブラリーから少しだけ、初公開させていただきます。(申し訳ありませんが、画像はありません)番組の途中部分を抜粋したため、前後のつながりが解かりづらくて申し訳ありません。この番組は昭和58年(1983年)の松田聖子さんの活躍を紹介しており、このナレーションの前は『ガラスの林檎』の両面の曲を、後はアルバム「Canary」の全曲が紹介-されています。
昭和59年(1984年)11月17日深夜放送 「ソニー・ビッグ・スペシャル」 松田聖子 スーパー4WEEKS 第3回 ナレーションは高山栄さん(故人)このナレーションですが、原稿の読み間違いのほか、原稿自体が間違っているとおもわれる箇所があります。ディープな聖子ちゃんファンのご指摘や、ご意見などいろいろとお待ちしております。
http://www.youtube.com/playlist?list=PL18F2C8AA771ED222
┏━━━━━━━━━━━┓
┃過去の今日の松田聖子様┃
┗━━━━━━━━━━━┛
1962(昭和37)年03月10日(土) 17時30分久留米市荒木病院にて蒲池法子誕生 2600グラム
1962(昭和37)年03月 健康優良児コンテストで2位入賞
1968(昭和43)年03月 久留米付設小学校受験日に肺炎をおこして受験出来ず
1974(昭和49)年03月 福岡教育大学付属中学校を受験し、失敗
1975(昭和50)年?月 この頃から郷ひろみに憧れるようになる。
1976(昭和51)年?月 宮崎・青島などに修学旅行
1979(昭和54)年03月 上京して、若松宗雄氏と共にサンミュージックの面接を受ける
1981(昭和56)年?月 聖子ちゃんカット流行しはじめる
1982(昭和57)年03月10日(水) TV東京ヤングベストテン
映像◆[Heyx3] 080310 (松田聖子)
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┃ 松田聖子聖誕記念夜ヒットURL一蘭(=^◇^=) ┃聖理聖頓したいモンダミンだヨ(=^◇^=)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
『夜のヒットスタジオ』美空ひばり 松田聖子 2大歌姫が並ぶ! ⇒ http://v.youku.com/v_show/id_XMjcyOTA3NzYw.html
松田聖子様 珠玉のカバー曲http://www.youtube.com/playlist?list=PLAtYq7w4LhsL9EVvo9vKzPZS1AL_51ng9
松田聖子様 年表http://v.youku.com/v_show/id_XNDk4NDY2NDE2.html
松田聖子様メドレーin-夜ヒット_ http://v.youku.com/v_show/id_XNDgzMTI1NjI0.html
松田聖子様VS中森明菜 FNS火曜祭 http://v.youku.com/v_show/id_XMjYzMzMzMjYw.html
松田聖子様VS 中森明菜 http://v.youku.com/v_show/id_XMjY3ODQ1MTEy.html
松田聖子様『夜のヒットスタジオ』●①蘭 ⇒ http://www.youtube.com/playlist?list=PL1D43A56A4DE7E540
松田聖子夜ヒット総集編でも画質悪いヨ(=^◇^=) ⇒ http://youtu.be/OqJaGrAfJzg
松田聖子様メドレーin-夜ヒットhttp://v.youku.com/v_show/id_XNDgzMTI1NjI0.html
松田聖子様 シングルメドレーhttp://v.youku.com/v_show/id_XNDgzMTAyOTY0.html
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
http://www.universal-music.co.jp/matsuda-seiko
http://www2a.biglobe.ne.jp/~seikofan/html/text/his1b.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
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松田聖子X 藤井隆 対談 第一夜http://v.youku.com/v_show/id_XNDMxNDMxNDYw.html
http://i.youku.com/u/UMjE2MDY1MTky/videos/order_1_view_1_page_1
1988(昭和63)年12月7日(水)放送映像◆『夜ヒット20年 あの時 あなたも 若かった!』http://youtu.be/oMOWAqjy_yY
「聖子メモリーズ」(23:34~27:54)
第0986回 1987(昭和62)年11月 4日(水) 松田聖子(69) Pearl White Eve(1)
第0829回 1984(昭和59)年10月15日(月) 松田聖子(64) ハートのイアリング(1) 黄スーツ
第0800回 1984(昭和59)年 3月26日(月) 松田聖子(54) Rock'n Rouge(1) ピンクのタンクトップ
第0782回 1983(昭和58)年11月14日(月) 松田聖子(48) 瞳はダイアモンド(2) ㊤↑薄緑㊦↓と黄
第0766回 1983(昭和58)年 7月25日(月) 松田聖子(44) ガラスの林檎(1) 白胸V字服
第0747回 1983(昭和58)年 3月14日(月) 松田聖子(38) 秘密の花園(4) 白テニス肩チョット見せ服 http://v.youku.com/v_show/id_XNDIzMzA4NTY0.html
第0708回 1982(昭和57)年 6月 7日(月) 松田聖子(27) 渚のバルコニー(4) アリス夏服
第0691回 1982(昭和57)年 2月 8日(月) 松田聖子(22) 赤いスイートピー(2) 赤服
第0652回 1981(昭和56)年 5月11日(月) 松田聖子(9) 夏の扉(2) 黄色服 夜ヒットにヒヨコちゃん登場 家に連れて帰りたい!!(笑)
第0644回 1981(昭和56)年 3月16日(月) 松田聖子(7) チェリー(3) 白服
第0622回 1980(昭和55)年10月13日(月) 松田聖子(2) 風は秋色(1) 白服 http://youtu.be/V90-zTSqxGE http://youtu.be/X9_8jFhrFaE
第0598回 1980(昭和55)年 4月28日(月) 松田聖子(1) 裸足の季節(1) 白服 http://youtu.be/X9_8jFhrFaE
松田聖子2015●http://www.sony.jp/otona/hires/h201502.html?s_tc=jp_adv_ov_otona001_D_03_ST_0001
松田聖子2015●http://www.sony.jp/otona/hires/h201502.html?s_tc=jp_adv_ov_otona001_D_03_ST_0001
映像◆1985 亞洲青年音樂節 (梅艷芳、西城秀樹、田原俊?、松田聖子等) (1/2) http://youtu.be/rcQQ9jV-m_c
02:33 ♪チャールストンにはまだ早い♪ 田原俊彦
04:06 ♪青い珊瑚礁(青春珊瑚島)♪ENGLISH挿入OK VERSION 松田聖子
13:02 13:44 ♪三味線Boogie♪ 少年隊
21:39 ♪ギャランドゥ♪ 西城秀樹
23:50 24:27 ♪涙のリクエスト♪ チェッカーズ
26:35 ♪ハートのイアリング(心型耳環)♪ 松田聖子
29:59 ♪顔に書いた恋愛小説(ロマンス)♪ 田原俊彦
映像◆1985 亞洲青年音樂節 (梅艷芳、西城秀樹、田原俊?、松田聖子等) (2/2) http://youtu.be/ZrmGmKwmSKU
0:27 ♪抱きしめてジルバ(愛的擁抱)♪ 西城秀樹
3:41 ♪Up Where We Belong♪ 田原俊彦&松田聖子
6:02 ♪See You Again♪
▼松田聖子フル収録▼
映像◆松田聖子 seiko prism agency http://v.youku.com/v_show/id_XNDk0MzIwNTky.html
映像◆松田聖子 fantastic http://v.youku.com/v_show/id_XNDkzNzc3OTI0.html
映像◆明菜ちゃん ちびっこの♪1/2の神話♪質問に苦笑い
松田聖子特集 http://youtu.be/HC_MSHGSbTo
夜ヒット総集編 松田聖子 山口百恵https://youtu.be/Abc-UrvfP7w
映像◆Seiko Matsuda 松田聖子 ? JA-POPS NOW Best Stage 19940108 https://youtu.be/eOD6T5P2VF0
00:01 Interwive
07:40 Call Me
12:10 Sweet Memmory
16:27 赤いスイートピー
20:10 Interwive
25:35 大切なあなた (陽光路上) Ke Hui Xiang Qi Wo
30:00 Time For Love
明石家さんま、松田聖子のデビュー当時の印象を明かす「売れるか、こんな田舎娘みたいな顔」
2014.07.20 (Sun)
2014年7月19日(土)放送のMBS放送のラジオ番組『ヤングタウン土曜日』(毎週土 22:00-23:30)にて、明石家さんまが、デビュー当時の松田聖子の印象について語っていた。
アイドルユニット・Juice=Juiceの宮本佳林が、松田聖子に憧れているということから、明石家さんまは、松田聖子についてのエピソードトークを披露。彼女のデビュー当時、『週刊明星』の表紙撮影を一緒に行い、その3ヶ月後、瞬く間にトップアイドルに駆け上がったという。
だが、初対面のときに「この子は売れます」と関係者に言われたが、「『ウソばっかり、売れるかこんな田舎娘みたいな顔した子が』って言うてたんですよ、冗談半分で」と当時の印象を明かした。
さらには、「君も、アカンかったらすぐに辞めや。ズルズルアイドルにしがみついてる場合ちゃうで」とアドバイスしていたという。だが、その関係性は一気に逆転し、もはや手の届かない存在となったそうだ。
宮本佳林:私、松田聖子さんが好きで、目指してたんです。
明石家さんま:あ母さんがファンなのか。
宮本佳林:影響受けちゃって。
明石家さんま:昨日も、ちょうど番組でリンドバーグの渡瀬マキさんと一緒やったけど、あの人らが松田聖子世代なんです。
村上ショージ:はい。
明石家さんま:でも、こんな世代でも憧れてる人はいるんだ。
宮本佳林:もう大好きですね。
明石家さんま:凄いね、松田聖子って。元祖アイドルで、「ぶりっ子」って叩かれてきだけども…お母さんはいくつ?
宮本佳林:42歳ですね。
明石家さんま:もうど真ん中だ。俺とは6つくらい違うからね。彼女が初めて、週刊明星の表紙を飾ったのは、俺と一緒なんですよ。俺もお笑い芸人としては初、週刊明星の表紙、そしてデビュー当時の聖子ちゃん。
宮本佳林:へぇ。
明石家さんま:あの松田聖子が。何も売れてないときの松田聖子やからね。その写真を持ってるわけですから。自慢やね。
宮本佳林:いいですね。
明石家さんま:その前日にみんなでホテル泊まってお食事して喋って。聖子ちゃんが新人で。「はじめまして、よろしくお願いします。松田聖子と申します」って言ってて。「君も、アカンかったらすぐに辞めや。ズルズルアイドルにしがみついてる場合ちゃうで」って言った3ヶ月後に追いぬかれたっていう(笑)
宮本佳林:3ヶ月で(笑)
明石家さんま:3ヶ月なかったかなってくらい。その時も「この子、凄いんですよ。絶対にキますから。この女の子は、絶対にスターになりますから」って。「ウソばっかり、売れるかこんな田舎娘みたいな顔した子が」って言うてたんですよ、冗談半分で。
村上ショージ:へぇ。
明石家さんま:そしたら、その3ヶ月後に会ったときには、松田聖子探して挨拶に行ったもんね。「俺、俺」って(笑)
村上ショージ:知らん、知らん(笑)
明石家さんま:「覚えてる?」って。もう、桁が違うアイドルや。
村上ショージ:ディナーショーもチケットとれないですからね。
明石家さんま:その娘さんが、『アナと雪の女王』で。
道重さゆみ:大活躍。
明石家さんま:それを目指してるんだ?でも、なまじっかでは、聖子ちゃんにはなれないからね。根性の座り方が違う。聖子ちゃんだけは全然違う。
宮本佳林:会ってみたい。
明石家さんま:会ったことないのか?俺は、一度、週刊誌で噂になったくらいですから。
道重さゆみ:凄い(笑)
明石家さんま:もちろん、噂だけですけど。そのときは、「関係持ってます」ってテレビで言うてたんですけど(笑)言うても冗談と分かるときでしたけどね(笑)
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松田聖子 神田正輝と新婚旅行で抱擁、恩人の葬儀で沙也加さんと号泣…目撃した還暦までの激動の現場
2022(令和四)年03月12日(土) 6:09 女性自身
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神田沙也加さん(享年35)がこの世を去ってからまもなく3カ月。
2022(令和四)年02月04日(金) 四十九日にあたる
2022(令和四)年02月05日(土) 翌日には、沙也加さんへ追悼メッセージを寄せることのできる専用ページが開設され、絶え間なくメッセージが届いているという。そんななか、母の松田聖子も悲しみの淵からふたたび歩き始めていた。休止していた音楽活動を再開するのだ。「聖子さんは
2022(令和四)年03月07日(月)に、4月と5月に中止していたディナーショーの振替公演、6月から全国アリーナツアーを行うことを発表しました。先日ファンクラブ会員向けに配布した会報誌では、『悲しんでいるだけではいけない』という新たな決意が書かれていたそうです。還暦を祝う周年イベントについても計画していると聞いています」(音楽関係者)
‡2022(令和四)年03月10日(木)に還暦を迎えた聖子。80年に歌手デビューを果たしてから、42年にわたって“生ける伝説”として芸能界に数々の革命を起こしてきた。しかし、意外にも“満場一致”のデビューではなかったようだ。聖子がデビューから約10年間にわたって所属した事務所「サンミュージック」の名誉顧問である福田時雄(91)は、本誌
2022(令和四)年03月22日(火)号でこう述懐している。「相澤秀禎社長(当時)をはじめ5人で歌を聴きました。80年には中山圭子というアイドルをデビューさせる予定でしたから、大多数の社員が反対した。ところが、音楽ディレクター(月野清人氏)だけは『いい声だから呼ぶだけ呼んでみましょう』と賛成っした。あの一言がなかったらウチに入ってないでしょうね」そんな試練を乗り越え80年4月に「裸足の季節」でデビューすると、またたく間にスターの仲間入りを果たし、3枚目のシングル「風は秋色」(80年10月発売)から26枚目のシングル「旅立ちはフリージア」(88年9月)まで24曲連続でオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得するという偉業も成し遂げた。デビュー同年に入れ替わるように引退した山口百恵が大人な路線を進んだのとは対象的に、「ぶりっ子」と言われることもあるほど可愛らしさを体現した聖子。“アイドルの原点に立ち返った”とも評されることのある聖子だが、同時にアイドル界に変革を起こしてきた。「聖子さんはデビュー前から憧れていた郷ひろみさん(66)と数年間交際しました、85年1月に突如会見で破局を発表。会見で『生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った』と泣きながら語った聖子さんの姿は、当時、多くの人々に衝撃を与えました。そして、破局報道の熱も冷めやらぬ同年2月に神田正輝さん(71)との交際が発覚。そのまま4月に婚約を発表し、6月に結婚式を行いました。挙式には数え切れないほどのマスコミが殺到するなど、全国民がその一挙手一投足に注目していました」(ベテラン芸能記者)本誌も新婚旅行で訪れたハワイで、ボートの上で神田と抱擁を交わす聖子の姿を目撃している。そして、聖子にとって無上の喜びとなったのが沙也加さんの誕生だ。神田と結婚した翌年の86年10月に沙也加さんが誕生すると、あまりの注目ぶりから病院で出産会見を開くという異例の事態に。当時は異例であったが、聖子は出産後もトップアイドルとしてヒットを飛ばし続け、「ママドル」という言葉を生むなど、日本の女性の生き方にも影響を与えた。89年に契約満了に伴い事務所を退所すると、聖子は活動の場を海外へ移すように。同時にこの頃から楽曲のセルフ・プロデュースも手掛けはじめ、96年の作詞作曲も務めたシングル『あなたに逢いたくて~Missing You~』では久しぶりのオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得し、自身で新たな代表曲を作った。97年1月に神田と離婚し、6歳年下の歯科医師との再婚と離婚を経て、12年6月に医大の准教授と3度目の結婚をするなどプライベートでは数々の変化があった聖子。そんな聖子に大恩人との別れが。13年5月に“育ての親”であったサンミュージックの相澤秀禎さんが亡くなったのだ。89年の退所をめぐって絶縁が報じられるも、00年代にはふたたび親交を深めるなど固い絆で結ばれた2人。それ故、
2013(平成25)年05月28日(火)に行われた相澤秀禎会長の通夜に姿を見せた聖子はかつてないほど憔悴していた。そんな、聖子を支えていたのが、愛娘・沙也加さんだった。通夜に参列した沙也加さんは、聖子の手を繋いで隣に寄り添うなど、悲しみにくれる母を終始、気遣っている様子。相澤さんと対面し、涙を流す聖子の背中に沙也加さんがそっと手をそえる一幕もあった。恩人との別れを乗り越え、その後は新機軸となる全編ジャズで構成されたアルバムを発表するなど、精力的な活動を続け、20年にはついにデビュー40周年を迎えた。歩き始めた“最強アイドル”聖子の歌声は、待ち望んでいた人の心を明るく照らすことだろうーー。
【写真あり】1月下旬、都内の閑静な高級住宅街に姿を見せた聖子
【写真あり】公園で沙也加さんと三輪車の練習をする聖子
【写真あり】94年10月、沙也加さんの運動会で楽しげな聖子と正輝
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◎中山さんの下の名前の漢字を間違えていたり、還暦祝いのイベントなどの計画は、ファンクラブからそんなお知らせはありません。会報誌ではさやかさんとの思い出、今の心境、これからことが書かれてあり、さやかさんへの深い愛が感じられる言葉に涙なくしては読めませんでした。 そして今だ癒えずにいる深い傷を背負いながらさやかさんとともに歌っていくこと、また、ファンに対していつも気遣って下さる言葉で最後締めくくっていることに、本当はいつも聖子さんの大きな愛に私たちファンが癒されていることを改めて実感しました。マスコミさんの装飾や過大した表現、誤った情報はどうぞやめていただきたい。私たちファンは、聖子さんのお人柄を分かっているつもりてすが、聖子さんに関する情報で良い印象のものはないように思えます。特に今回のさやかさんの件に関してはあまり過剰に触れないでほしいです。これ以上、聖子さんの心を傷つけないで。
◎ドキュメンタリー調の記事で、年齢だけ現在のものになってるのが違和感…
◎90年代スキャンダルは、仕掛人もいて作られたものも数ある。
◎間違いだらけの記事でも採用されちゃうんですね‥
◎バツ3とは?神田さん、ビビビ婚、の2度でしょ
◎バツ3は違いますよ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e952ef90f3ef7e0d6b0cd2247896f257ebe24e42