過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─―――――――┐Second row <二行目>
19| Dylan Thomas |『Wikipedia』
19|ディラン・トマス|『discovermusic.jp』
 └─―――――――┘ 人々に愛されたウェールズ著述家。1953年死去。『Sgt. Pepper』のジャケット制作に取りかかる頃までに、ザ・ビートルズの4人はディラン・トマスの詩のファンとなっていた。「4人ともディラン・トマスのファンだったんだ」とポール・マッカートニー(No. 64)は後に回想している。「僕も彼の作品をたくさん読んだ。確かジョンは、彼がきっかけで詩を書きはじめたんじゃないかな」。故サー・ジョージ・マーティンもトマスのファンで、1988年にトマスのラジオ・ドラマ『Under Milk Wood』のミュージカルをプロデュースしたヨ(=^◇^=)
 写真◆ポール・マッカートニーによるとジョン・レノンが、作詞するきっかけとなったウェールズの詩人Dlylan Thomas
‡1914(大正三)年10月27日(tue) Born
 1953(昭和28)年11月09日(mon) Died. 39 years old
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Dylan_Thomas
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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■『The BEATLES 1』とは?②
‡2015(平成27)年10月27日 テーマ:ビートルズ
【第2話】ビートルズの「ビデオクリップ」
 今回、『1』の映像集(ビデオクリップ集)には豪華なブックレットや解説も付くそうですが、先に色々書いちゃいましょう!!ビートルズの楽曲ビデオクリップ(以下「PV」で!!)は、その始まりや制作意図について、1966年8月の「コンサート活動停止」と結びつけて語られる事が多い(先日のテレビ番組でも「ライブ」に代わるプロモーションとして・・・的なナレーションだったと思います)のですが、正確に言うと「誤り」です。結果的に「ライブに代わる」機能を果たすこととなる「PV」ですが、最初の「PV」制作時点、つまり、1965年11月時点のビートルズは、「映像を作って、ライブを止めよう」などとは全く考えていませんでした。(1966年6月のフィリピン公演の混乱、同8月の北米ツアー中にジョンの「キリスト発言」がバッシングを受けたことなどがコンサート停止の直接の原因とされています)当時のビートルズの「活動」は、「①レコーディング」(年間2枚のアルバムとアルバムに収録されないシングル2枚)、「②コンサート」(大規模な北米・ワールドツアーをはじめ、国内ツアー、単発のコンサートなど)が「二本柱」でした。 これに、デビュー当初の、地元リバプールやロンドンの小規模クラブでの演奏に代わって、①と②を縫うようなスケジュールで、新たに「③メディア出演」が加わります。 ③の多くはBBCラジオ番組での演奏がメインでしたが、次第にテレビ番組への出演機会も増えます。ビートルズのメンバーから厚い信任を一身に得ていたマネージャー、ブライアン・エプスタインですが、彼は薬物中毒で夭逝する1967年8月(既にコンサートを停止し、アルバム『サージェント・ペパー』で大成功を収めたビートルズはコンサート再開の意思はありませんでした)でさえも、「ビートルズの真骨頂はライブだ」との信念を捨てていませんでした。 そんなブラインでしたので、当時(1965年)、まだ次々と遠征先をブッキングし、コンサート活動に力を注ぎます。 盛大なコンサートを続けていくために!! ですから、多忙を極めるビートルズのコンサート回数を軽減するのに、一度に大人数の集客が可能な「スタジアム」でのコンサートを企画しました。 そうして、コンサート活動は維持しつつ、メディア出演の効率化を図りたいと考えます。新曲を出す度に、各国からテレビ出演依頼が殺到、「同じ1曲」を何度も演奏して局を回るのであれば、新曲を映像にして各局に配給してしまえばいい、という訳です。 実は、このアイディアは、
 1965年11月01日、ジョンとポールがホストを務め、自分たちの曲を有名人が歌う、という特番『ザ・ミュージック・オブ・レノン・マッカートニー』の収録時に思いついた、とも言われています。 真相はわかりませんが、ブライアンは自身の会社「NEMS」(リバプールの家具屋から、この頃にはビートルズを始め有名ミュージシャンを多数抱える芸能事務所に成長していました)の総力を上げて、映像の専門家を招聘し、直ちに撮影準備に取り掛かかりました。【※下記「PV」(1)~(2)】ところが、ブライアンの気持ちとは裏腹に、ビートルズのメンバーは、既述の「キリスト発言」などの騒動や混乱を機に、急速にコンサートへの情熱を失います。 「少し休もうか」という事になり、その後、レコーディング活動にのみ100%集中することになります。 そうして完成した曲は、ライブ再現が出来ないものでした。 そんな中、ブライアンが急逝します。【※下記「PV」(3)~(5)】ブライアンの死により、「空中分解」しそうなビートルズを、ポールがまとめようとしますが、映画『マジカル・ミステリー・ツアー』の酷評により一時的に失脚!! ジョージの「インド志向」が急場をしのぎ、メンバーシップを取り戻すためには、(ブライアンが切望していた)もう一度「ライブ演奏」を目的に一致団結しようという試みでした。 この時期の「PV」はとにかく「ライブ演奏」を模した内容となります。【※下記「PV」(6)~(9)】結局ビートルズは解散しますが、この時期、「ジョンとヨーコ」だらけの映像【※下記「PV」(10)】や、メンバーが一緒でなく、それぞれが奥さんと一緒にいるだけの映像【※下記「PV」(12)】が象徴的です。
■ビートルズが制作した“PV”■幾つあると思います? 現役時代から、有名な「エド・サリバン・ショー」以外にも、国内でも積極的にテレビ番組に出演し、あるいは主演映画、そしてコンサートの記録映像などから、ビートルズの演奏シーンは意外と多く残されています。 これから「PV」っぽく編集されたコンテンツも少なくありません。 ですが、「当初からPVとして企画・制作された作品」となると・・・。以下、制作日ごとにまとめてみました。 今回『1』としてリリースされる映像コンテンツは、画期的なクリーニングを施された、「この中のどれか」になるはずです!! 現役時代の(1)~(13)と、解散後の(14)(①~⑪)は、その性格は全く異なりますが、ここではビートルズの「PV」として一括りにしました。
①:制作日
 1965年11月23日 トゥイッケナム・フィルム・スタジオ 初めて、ビデオクリップ制作を目的とした撮影が行われる。深夜にわたり、映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」や「ヘルプ!」でも使用したお馴染みの「トゥイッケナム・フィルム・スタジオ」にで、10本の作品を撮影。 このタイミングで最新のシングルは「両A面」の「デイ・トリッパー」「恋を抱きしめよう」(但し、発売日は撮影後)でしたが、同時に、前3作のシングル「A面」のPVも制作されました。
 1964年11月27日「アイ・フィール・ファイン」モノクロの2バージョン
※(01) ボクシングのパンチボールやバーベルをセットに、演奏シーン。
※(02) 同じセットで、メンバーがひたすらフィッシュ&チップスを食べている(但し、②はマネージャーの意向で没作となる)
 1965年02月15日「涙の乗車券」(発売:)モノクロの1バージョン
※(03) 色々な「乗車券」「切符」を模したセット
 1965年07月23日「ヘルプ!」カラーの1バージョン
※(04) 4人がベンチにまたがって演奏、リンゴは傘を差している。大量の「雪」が降る(同名映画の「冒頭」演奏シーンの映像も編集され、配給された)
 1965年12月03日「デイ・トリッパー」モノクロの3バージョン
※(05,06) シェアスタジアムのスーツで、列車と飛行機のセット。動きが異なる
※(07) 2作を組み合わせたもの
 1965年12月03日「恋を抱きしめよう」モノクロの3バージョン
※(08) ジョンとひまわりのスチールで始まる
※(09) シェアスタジアムのスーツ
※(10) 2作を組み合わせたもの
②:制作日
 1966年05月19日 アビーロード・スタジオ、チズウィック・ハウス 後に映画『レット・イット・ビー』でお馴染み、マイケル・リンゼイ=ホッグが監督。 テレビ番組「レディ・ステディ・ゴー!」での演奏シーンの演出だったことから招聘された。
 1966年06月10日「ペイパー・バック・ライター」カラー2バージョン、モノクロ2バージョン。
 1966年06月10日「レイン」カラー2バージョン、モノクロ1バージョン。
③:制作日
 1967年01月30日 ノール・パーク
 1967年02月17日「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」旧友・クラウスフォアマン(アルバム『リボルバー』のジャケ絵を描いた)の紹介で、招聘されたピーター・ゴールドマンによる、演奏シーンを使わない幻想的なイメージ映像。 ビートルズの曲でも頻繁に使用された「逆再生」をうかがわせるシーンも。
④:制作日
 1967年02月05日(エンジェル・レイン、ノール・パーク)、後日(リバプールで風景のみ)
 1967年02月17日「ペニー・レイン」ロンドン郊外にて、乗馬の4人を撮影、別撮りによるリバプールの光景を編集したもの。
⑤:制作日
 1967年02月10日(アビーロード・スタジオ)
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」(UKシングル無し)オーケストラのゲスト・ミュージシャンや、ビートルズの友人が仮装して、夜会を催しているような、なんともアナーキーな映像。
⑥:制作日
 1967年11月10日(サビル・シアター)
 1967年11月24日「ハロー・グッドバイ」カラーの3バージョン。曲の作者でもあるポールが監督。
 (1)「ペパー」の衣装で演奏。デビュー当時の「襟なしスーツ」を着用したカットも。
 (2) 普段着で演奏。
 (3) 2バージョンを編集。ジョンがツイストを踊りまくったり、ジョージがオカマの真似をするカットも。
⑦:制作日
 1968年02月11日(アビーロード・スタジオ)インド合宿出発直前、完成したばかりのポールの作品「レディ・マドンナ」のPV撮影に集まったが、急遽、ジョンの新曲「ヘイ・ブルドッグ」のレコーディングが開始される。 そのレコーディング風景を撮影。
 1968年03月15日「レディ・マドンナ」という訳で、映像は、実は「ヘイ・ブルドッグ」を録音するシーンだった!!(これと別に、同じソースの未公開映像から「ヘイ・ブルドッグ」のPVも制作され、1999年に公開された)
⑧:制作日
 1968年09月04日(トゥイッケナム・フィルム・スタジオ)
 1968年08月30日「ヘイ・ジュード」マイケル・リンゼイ=ホッグ監督による演奏シーンは、テープによる楽器の伴奏に、ポールが重ねて歌った。 メンバーの楽器は、ジョンはギブソンではなくカジノを、またジョージのリードギターはほとんどカットされたが、ベースを持ってそれぞれ映像に収まっている。(これと別に、デビット・フロストによる曲紹介と、彼を無視してギターを鳴らしまくるビートルズのカットも撮影された)
 1968年08月30日「レボリューション」同じく、マイケル・リンゼイ=ホッグ監督による演奏シーンは、初期のバンド・スタイル。 こちらも演奏はテープだが、ジョンは『ホワイトアルバム』の「レボリューション1」(スロー・バージョン)の歌詞を引用して、本格的に歌っている!!
⑨:制作日
 1969年01月30日(アップル・ビル屋上、トゥイッケナム・フィルム・スタジオ)
 1969年04月11日「ゲット・バック」「ドント・レット・ミー・ダウン」マイケル・リンゼイ=ホッグ監督による、映画『レット・イット・ビー』のハイライト「ルーフ・トップ・ライブ」のシーンから。 但し、映画のカットと重複しない映像が編集されている。
⑩:制作日
 1969年01月(ジョンのプライベート・ビデオから)
 1969年05月30日「ジョンとヨーコのバラード」ジョンとヨーコの新婚旅行をテーマにした曲なので、ほぼジョンとヨーコの映像で構成された。最後にトゥイッケナム・フィルム・スタジオでのメンバーが映る。
⑪:制作日:不明
 1969年10月30日「カム・トゥゲザー」
 1967年02月10日 映像は「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」1967年02月10日撮影のもの。 非公式に制作されたものか? シングル・リリース当時、アップルは杜撰な体制により、プロモーション一切の統率がとれない状態だったのだ!!
⑫:制作日
 1969年10月(メンバーの自宅)
 1969年10月30日「サムシング」ビートルズのデビュー以前からメンバーの親友、デビュー以降はローディを務めていたニール・アスピノールの撮影による映像。(彼はその後、アップルの代表に就任)メンバーそれぞれが、自宅でパートナー(奥さん)と一緒に収まった映像を編集したもの。 ちなみに、ポールは、当初、このニールの「案」に乗り気でなく、撮影させなかったのだけど、結局「自撮り」した映像を彼に送っている。
⑬:制作日
 1969年04月
 1970年03月06日「レット・イット・ビー現役時代、最後の「PV」は、映画『レット・イット・ビー』の為に撮影された膨大なフィルムの中から、映画で使用されなかった、「レット・イット・ビー」「トゥ・オブ・アス」「ザ・ロング・アンド・ワインッディング・ロード」の演奏シーンを編集。
⑭:ビートルズ解散以降「アップル」が公式に制作した「PV」
 (01) 1976年06月「バック・イン・ザ・USSR」編集盤『ロックンロール・ミュージック』のプロモーション用。
 (02) 1982年05月「ザ・ビートルズ・ムービー・メドレー」編集盤『リール・ミュージック』のプロモーション用。
 (03) 1982年10月「ラヴ・ミー・ドゥ」デビュー20周年シングル再発のプロモーション用。
 (04) 1983年01月「プリーズ・プリーズ・ミー」デビュー20周年シングル再発のプロモーション用。3バージョンあり。
 (05) 1983年11月「抱きしめたい」デビュー20周年シングル再発のプロモーション用。2バージョンあり。
 (06) 1984年03月「キャント・バイ・ミー・ラヴ」デビュー20周年シングル再発のプロモーション用。映画の演奏シーンより。
 (07) 1984年07月「ア・ハード・デイズ・ナイト」デビュー20周年シングル再発のプロモーション用。映画カットを編集。
 (08) 1995年10月「フリー・アズ・ア・バード」『アンソロジー』計画からシングル第一弾のプロモとして。ビートルズの様々なコラージュによる映像。日本時間
 1995年11月20日 15時に放送解禁、世界中で放映され、話題となった。
 (09) 1995年09月「リアル・ラヴ」『アンソロジー』計画からシングル第二弾のプロモとして。 当時、シングルのレコーディングに集まったポール・ジョージ・リンゴ3人が出演。 また、生前のジョンとヨーコ、ほかメンバーとパートナーの映像を編集したバージョンもある。
 (10) 1999年09月「ヘイ・ブルドッグ」コンピ盤『イエロー・サブマリン・ソング・トラック』のプロモ用。前述の「レディ・マドンナ」PVの未公開映像。 レディ・・・」ではカットのつぎはぎだったが、映像と音楽が完全にシンクロしている。
 (11) 2000年11月「愛こそはすべて」コンピ盤『ビートルズ1』のプロモ用。1967年6月の全世界同時中継番組「アワ・ワールド」の映像(モノクロ原版をカラーリング)で、ノーカツト。という訳で、『1』の選曲にもれた幾つかの「代表曲」は、「PV」というキーワードで、ちゃんとラインナップ(補足)されちゃいます!! では、次回は『1』についての勝手な総括です!!
 https://ameblo.jp/magic7-koba/entry-12088731220.html

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 ┃ Dakota Apartments ダコタ・ハウス ┃
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 1880(明治13)年10月25日(月) 着工
‡1884(明治17)年10月27日(月) 竣工
 1972(昭和47)年04月26日(水) NRHP指定日
 1976(昭和51)年12月08日(水) NHL指定日
 1980(昭和51)年12月08日(月) ジョン・レノン、ダコタ・ハウス玄関前で射殺
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/ダコタ・ハウス
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 ブッチャーカバー
‡2015(平成27)年10月27日(火)放送
 鑑定依頼人 寺田明夫さん
   鑑定士 本多康宏 
  ジャンル ビートルズ 
 本人評価額 ¥ 800,000
 エピソード お宝はファンの間では幻のお宝と言われているもの。16年前、ビートルズグッズの専門店でこのお宝が売りに出ることを知り、一目見てみたいと思い店を訪れた。一体どんな人が買うのだろうかと見ていたが、一向に売れる気配が無い。すると、メンバー達が自分に向けて、「お前が買ってくれ!売れ残りにしないでくれ!」と訴えているような気がして、我慢できなくなり、思い切って購入した。
 https://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/20151027/02.html

【ジャケット写真】
 ★アイドル時代の4人のロウ人形はロンドンの人形館「マダム・タッソー」から借りた物。返却後に行方不明になっていたが、2005年になってマダム・タッソーの倉庫から発見された。しかし、ポールの人形だけが見つからなかった。この人形は結局見つからなかったポールの人形だけ新たに作られて、4人そろった状態でオークションに出品され、
 2005(平成17)年10月27日(木)に81,500ポンド(当時のレートで日本円にして約1,630万円)で落札された。
 https://beatlepedia.web.fc2.com/album-sgt-pepper.html
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 ┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃
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 1995(平成七)年11月20日(mon) UK Released
 1995(平成七)年11月21日(tue) US Released
 1995(平成七)年11月21日(tue) JP Released
□Disc one (CD1)
◎LP A面 (Record Disc 1)
 09."First of all ... it didn't do a thing here" (McCartney speaking to Malcom Threadgill)
  1962(昭和37)年10月27日(sat) Hulme Hall, Port Sunlight, UK 0:07
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 https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTWQN3X
 https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHDFSO
 https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_1
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年10月27日(木) ライヴ演奏:カイザーケラー/ハンブルグ (24日目)
②1961(昭和36)年10月27日(金) ライヴ演奏:ノッティ・アッシュ・ヴィレッジ・ホール/リヴァプール
③1962(昭和37)年10月27日(土) 初のラジオ・インタビュー/バーケンヘッド
④1962(昭和37)年10月27日(土) ライヴ演奏:ハルム・ホール/バーケンヘッド
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②1961(昭和36)年10月27日(金) ライヴ演奏:ノッティ・アッシュ・ヴィレッジ・ホール/リヴァプール
 ビートルズはノッティ・アッシュ・ヴィレッジ・ホールに、8回出演しているヨ(=^◇^=)
 1961(昭和36)年09月15日 22日 29日
‡1961(昭和36)年10月20日 27日
 1961(昭和36)年11月10日 17日
 1962(昭和37)年03月17日
③1962(昭和37)年10月27日(土) 初のラジオ・インタビュー/バーケンヘッド
 この日の8:45pmからビートルズはバーケンヘッド (Birkenhead) のハルム・ホール (Hulme Hall) に出演し、4回目で最後の演奏を行うのだが、それに先立ってラジオ・クラッターブリッジ (Radio Clatterbridge) によるインタビューが録音された。これは彼らの現存する最古の肉声によるインタビューである。このラジオ局はクリーヴァー (Cleaver) とクラッターブリッジ (Clatterbridge) という2つの地元病院の患者をリスナーとし、ボランティアによって運営されるホスピタル・ラジオ (Hospital radio) であった。ビートルズはモンティ・リスター (Monty Lister) によってインタビューされ、マルコム・スレッジル (Malcolm Threadgill) とピーター・スメサースト (Peter Smethurst) から追加の質問を受けた。リスナーは『Music With Monty』と『Sunday Spin』という2つの番組でこのインタビューを聞くことができた。ビートルズは♪Love Me Do♪のリリースからまだ3週間しか経っておらず、こうした経験はほとんどなかった。インタビューの多くはグループについての基本的な情報の紹介に費やされた。ジョン・レノン次のシングルになることを期待して♪Please Please Me♪に取り組んでいると語り、ポールはジョンがビートルズのリーダーであるとはっきり言っている。マーク・ルイソン (Mark Lewison) が1986(昭和61)年に出版した『The Beatles Live!』には、このインタビューを収録したソノシートが付属していて、それ以降広範に海賊版が出回った。またポールの♪My Bonnie♪についてのコメントは1995(平成七)年の『ANTHOLOGY1』に収録された。
 モンティ:今宵、マージーサイドの新生グループ、ザ・ビートルズに挨拶できることは非常な喜びです。私は彼らの名前は知っていましたが、これからそれぞれの名前と顔を照合してみたいと思います。さて、あなたはジョン・レノンですね。 
 ジョン:はい、そうです。
 モンティ:ジョン、あなたはグループの中では何をやっていますか?
 ジョン:僕はハーモニカ、リズム・ギター、そしてヴォーカルです。そう言われてます。
 モンティ:ハーモニカ、リズム・ギター、ヴォーカル。次はポール・マッカートニーです。それはあなたですか?
 ポール:はい、そうです。僕です。
 モンティ:それであなたは何をやってますか?
 ポール:ベース・ギターを弾いて歌います。たぶん。そう言われてます。
 モンティ:それはヴォーカルとはまた違ったものなのですか?
 ポール:えーっと、はい。そうです。
 モンティ:それからジョージ・ハリスンです。
 ジョージ:ごきげんよう。
 モンティ:ごきげんよう。あなたの役目はなんですか?
 ジョージ:えーっと、リード・ギターとある種の歌唱です。
 モンティ:リード・ギターを演るということは、あなたがこのグループのリーダーということですか? それとも…
 ジョージ:いえいえ、つまりわかるでしょう。もう1つのギターはリズムです。チャン・チャン・チャンですね。
 ポール:彼はソロギターなんです。実際はジョンがこのグループのリーダーです。
 モンティ:私にはよくわかりませんが、みなさんには理解されたことを望みます。そして後方で、グループの背後にあって騒がしく音を出しているのはリンゴ・スターです。
 リンゴ:ハロー。
 モンティ:あなたはこのグループには新しいんですよね?
 リンゴ:はい、ただいま9週間です。
 モンティ:『Love Me Do』のレコーディングではあなたが演奏してるんですか?
 リンゴ:はい、僕が演ってます。僕はレコードに載ってます。
 (クスクス笑う声) 
 リンゴ: (コミカルな声で) それはレコードの深層部に刻まれてますよ。わかりますか?
 モンティ:さて、えーっと…
 リンゴ:僕はドラマーです。
 モンティ:あそこであなたが振り回している凶器は何ですか? あなたのドラムスティックですか?
 リンゴ:ええあれは、旅に出かけるので、僕が見つけて買ったただのスティックです。そしてそれに名前を書きました。いいことでしょ。
 モンティ:旅に出かけると言いましたが、それが次の質問につながります。どこへ行くのですか?
 リンゴ:ドイツのハンブルグです。2週間です。
 モンティ:あなたはあちらで過酷で長期間の仕事をしてきたんでしょう?
 リンゴ:ええ、他の3人はけっこう長く行ってました。僕は他のグループと行ってたんです。僕がビートルズと行くのはこれが初めてです。
 モンティ:ではポール、聞かせて下さい。どのようわけでドイツで演奏するようになったのですか?
 ポール:はい、それは昔のエージェントがすべて手配しました。
 (笑)
 ポール:僕らは最初はかつてのマネージャーと一緒に現地に行きました。それはリヴァプールのジャカランダ・クラブ (Jacaranda Club) のアラン・ウィリアムズ (Allan Williams) という人です。彼はその仕事を見つけて来て、僕らはそこに行ったのですが、その後は自分たち自身の…。
 ジョン:蒸気。
 ポール:蒸気… (笑)
 ジョン:…いわゆる。
 ポール:いわゆる。そしてその後は行ったり来たり、行ったり来たりしてます。
 モンティ:すごく忙しかったのではないですか?
 ポール:はい、確かに。それで僕は片足を失いました。わかるでしょ、ほとんど戦争でした。
 (笑)
 モンティ:ジョージ、あなたはリヴァプールで育ったのですか?
 ジョージ:はい。現時点まではそうです。
 モンティ:どのあたりですか?
 ジョージ:ええっと、ウェーバーツリー (Wavertree) で生まれて、ウェーバーツリーとスピーク (Speke) で育ちました。飛行機がたくさんある所ですね。
 モンティ:するとあなた方はみんなリヴァプール種なんですか?
 リンゴ:はい。
 ジョン:種類は… はい。
 ポール:オー、イェー。
 リンゴ:リヴァプール種のポールです。
 モンティ:さて私が聞いた所では、若い時あなたはロン・ウィチャリー (Ronald Wycherley) と同じ学年にいたとか?
 リンゴ:ロナルドね。そうです。
 モンティ:…今はビリー・フューリー (Billy Fury) ですね。
 リンゴ:セント・シラス (St. Silas primary school) でね。
 モンティ:どこですって?
 リンゴ:セント・シラス。
 ジョン:本当か?
 リンゴ:ミュージカル・エキスプレス誌 (New Musical Express) は、ディングル・デール (Dingle Dale Secondary modern school) と書いてるけど、あれは違うんだ。
 ポール:そう、あれは間違いだ。 セント・シラス・スクールだよ。
 モンティ:それではクリーヴァー病院とクラッターブリッジ病院での番組で協力してくれている若きDJを紹介します。彼の名はマルコム・スレッジルで16歳です。きっと彼はティーンエージャーの視点からの質問があると思います。
 マルコム:はい。ありがとうございます。あなたたちは以前ドイツのレーベルでレコーディングしていると聞いてます。
 ポール:うん。
 マルコム:それらはどんなものでしたか?
 ポール:僕らが作ったレコードじゃないんだ。まずはじめにトニー・シェリダン (Tony Sheridan) という人とレコーディングした。当時僕らはハンブルグのトップ・テン・クラブ (Top Ten Club) というクラブで仕事をしてた。それで僕らは彼と一緒に『My Bonnie』という歌を録音した。それはドイツのヒットチャートでは5位まで上ったんだ。
 ジョン:アフトング! (Achtung:ドイツ語で「尊敬」) 
 ポール:だけどこっちじゃ鳴かず飛ばずだった。あれはあまりいいレコードじゃなかったんだけど、ドイツ人はああいうのがちょっと好きなんだろうね。それからジョージとジョンが自作したインストゥルメンタル曲もやってて、それはフランスではトニー・シェリダンのEPでリリースされたんだけど、こっちでは発売されなかった。僕は1枚持ってるよ。それが一部始終なんだ。わかるだろ。何事も起こらなかった。
 マルコム:あなたたちは『PS I Love You』と『Love Me Do』を自作してますよね? あなた方の誰が作ったのですか?
 ポール:あれはジョンと僕だよ。2人の共作だ。僕らはある種の契約に合意してるんだ。
 ジョン:均等割り。
 ポール:そう。常に50:50の持ち分として、権利や何かも一律に対等にしてるんだ。だからほとんどの曲は単に僕ら2人の50:50の共作ということになってる。ジョージも確かにこれのインストゥルメンタルな部分を書いている。でも大部分はジョンと僕の作だ。僕らは100以上の曲を書いてるけど、その内半分も実際には使っていない。僕らがたまたま『Love Me Do』と『PS I Love You』のアレンジを変えてレコード界の人に聞かせたら、彼らはそれらが気に入ったみたいなんだ。だからそれらがレコードになったということさ。
 モンティ:今話してくれたのはポール・マッカートニーでした。
 マルコム:レコーディングしようと思っている作品は他にもありますか?
 ジョン:あの時もう1曲録音しているんだけど、まだ完全に仕上がってなかった。だから次回にまた持って行って、彼らの反応を見たいと思ってる。
 (長い沈黙)
 ジョン: えー、私からは以上です。
 (笑)
 モンティ:マルコム、質問してくれてありがとう。では最後にお聞きしたいのですが、私たちはポート・サンライト (Port Sunlight) のハルム・ホール (Hulme Hall) でこれを録音していますが、有名になる以前にこっちサイドに来たことのある人はいますか? この地区を知ってますか?
 ポール:僕らはこの地区で演奏してましたが、「有名」がどういう意味なのかわかんないな。
 ポール:もし「有名」という意味がヒットチャートにランクインしているということなら、僕らはここにいた。2ヶ月前にもここにいた。2回来てたんじゃないかな。
 ジョン:僕はロック・フェリー (Rock Ferry) に親類がいる。
 モンティ:そうなんですか?
 ジョン:はい。マージー川のあらゆる岸にいます。
 ポール:僕もアプトン通り (Upton Road) のクロートン (Claughton) に親類がいるよ。
 リンゴ:バーケンヘッドに友だちがいるぞ!
 (笑)
 モンティ:私も欲しかった。
 ジョージ:僕はチェスターの男を知ってるぞ!
 モンティ:それはとても危険な発言ですね。あそこには精神病院がありますから。さてピーター・スメサーストもここにいて質問したそうにしています。
 ピーター:はい1つ質問したいことがあります。これはみんなが聞きたいと思ってると思います。初めてTVに出演した時の印象を聞かせて下さい。
 ポール:とても不思議な感じだった。僕らはひどく緊張するんだろうなと思った。みんな「カメラを見たらただちに200万人が注目してると思えよ」と言ってた。後になって僕らが出演した『People And Places』は200万の人が見てる番組だということを聞いた。ところが不思議なことに僕らは緊張しなかった。僕らはそんなことはまったく考えなかった。TVはラジオよりはるかに楽だった。ラジオは今でも緊張する。満員の観客がいるラジオ放送よりTVはずっと簡単だったよ。
 モンティ:今やっているこのインタビューも緊張しますか?
 ポール: (ジョークっぽく) はい、それはもう。
 モンティ:とにかくクラッターブリッジとクリーヴァーの両病院でたくさんのリスナーが聴いていることを望みます。マディ (Maddy) からロバート・カート病棟 (Robert Cart Ward) のアイリーン (Eileen) に送る曲に、パーロフォンのあるレコードのA面がリクエストされています。そして奇遇にも同じ病棟のアイリーンからマディに送る曲にも同じリクエストが来ています。ではビートルズからその曲は何か彼女らに告げてもらえますか?
 ポール:そうだな~。僕は『Love Me Do』だと思う。
 ジョン:パーロフォンのR4949だ。
 (笑)
 ポール:♪Love Me Do♪
 モンティ:私は彼女らの答えは『PS I Love You』に違いないと思いますね。
 ポール:イェー。
④1962(昭和37)年10月27日(土) ライヴ演奏:ハルム・ホール/バーケンヘッド
 ビートルズはハルム・ホールには4回出演しているヨ(=^◇^=)
 ハルム・ホールの収容能力は450人だったが、その人気の高さ故にビートルズが出演する時には、非公式に500人に拡大された。
 1962(昭和37)年07月07日
 1962(昭和37)年08月18日
‡1962(昭和37)年10月06日 27日
************************************************************
 ①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19601004_live_kaiserkeller1.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620317_knotty_ash.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19621027_radio_interview.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620707_live_Hulme_Hall.html
  https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─―――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃| October 27|300
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|10月27日|
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛└─―――――┘
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17168
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/010/1027.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
*******************************************

 ┏━━━━━━━━━━┓
①┃ 『SUNDAY SPIN』  ┃BBC 
 ┗━━━━━━━━━━┛
  1962/10/25(thu) recorded, At Cleaver And Clatterbridge Hospitals
 ‡1962/10/27(sat) broadcast
  Recording for BBC's『SUNDAY SPIN』
  First Radio Interview with Monty Lister
  Note・・・1st ever interview, for the radio of the Cleaver and Clatterbridge hospital, Wirral. Paul comments: "John Lennon is the leader of the group".
  Note・・・The Beatles perform at Hulme Hall, Port Sunlight, Birkenhead. Before going on stage, they are interviewed by Monty Lister and two teenage friends, Malcolm Threadgill and Peter Smethurst, for a closed-circuit radio broadcast within local hospitals Cleaver and Chatterbridge.
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1995/11/20(mon) UK
②┃ 『The Beatles Anthology 1』 ┃1995/11/21(tue) JP、US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
 09.First of all ... it didn't do a thing here" (McCartney speaking to Malcom Threadgill) 27 October 1962 Hulme Hall, Port Sunlight, UK 0:07 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1995/11/20(mon) UK
②┃ 『The Beatles Anthology 1』 ┃1995/11/21(tue) JP、US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
 09.Speech:Paul 1962年10月27日、リバプールの病院向け有線放送で流されたという、何とも貴重なポールのコメント。しかし、何で次の曲のイントロに被るかなあ。 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ The Savage Young Beatles 1950s 1962 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡(sat)27 October 1962  Hulme Hall Port Sunlight, Birkenhead
 Photographer: Don Valentine
This photo is backstage prior to The Beatles' performance at this venue. It was taken during The Beatles' first radio interview conducted by Monty Lister for "Sunday Spin". The program was broadcast via closed-circuit radio to patients of local hospital Cleaver and Clatterbridge. For questions from "the teenage point of view", Lister brought along Malcolm Threadgill and Peter methurst.Hear the interview - here  Interestingly, this recording, in essense, is the earliest recording on The Beatles speaking voices and their wit. John, Paul and George can be heard in the distance on the 1960 rehearsal tapes and they all can be heard speaking briefly on The Cavern recordings but this is the earliest to feature conversation. Just think - they are on the door-step to stardom and have no clue what lies ahead.See further details and a transcript of the interview - here Hear Peter Smethurst, Monty Lister, Sam Leach & Ray O'Brien reminisce about the interview on a 2002 Radio Clatterbridge special programme along with an additional transcript - here
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
 ①http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_1  http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb20.html
 ③http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.10.27%20hulme/62.10.27hulmehall.html
************************************************************
 音源◆The Beatles first radio interview  https://youtu.be/wJeaoHe3Bus
‡10/27/1962
 ◎The Beatles (John Lennon, Paul McCartney, George Harrison and Ringo Starr) with Monty Lister at their first radio interview, 27 October 1962. Before their fourth and final live appearance at the Hulme Hall in Birkenhead, The Beatles recorded a radio interview for Radio Clatterbridge. It's the first surviving spoken-word interview.
 ◎The Beatles perform at Hulme Hall, Port Sunlight, Birkenhead. Before going on stage, they are interviewed by Monty Lister and two teenage friends, Malcolm Threadgill and Peter Smethurst, for a closed-circuit radio broadcast within local hospitals Cleaver and Chatterbridge.
 
 音源◆Beatles 1st Radio Interview 10. 28. 62 https://youtu.be/kzHAHw9HCek
 1962/10/28(sun) Recorded at Cleaver/Clatterbridge Hospital, Wirral on October 28th, 1962
 

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Autumn 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.3 (sun)27 October 1963 Gothenburg, Sweden, Cirkus 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Late 1963 Concert Reference Guide ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡写真◆October 27 Cirkus, Goteborg, Sweden ※A brief portion of this performance circulates from film.
 Note・・・It is planned to continue The Savage Young Beatles  through to the end of 1963. However, this will focus only, as was the original intention of the site, on "performances". This page is simply both a preview and a quick-reference to date and venue of The Beatles' concert performances through the rest of 1963. For 1963 television appearances, see here Radio appearances will be forthcoming. What this page is NOT...At this point, unlike the rest of The Savage Young Beatles... - Photographers are not named. That will be added later. - There are no enlargement links. - These are not all the photos I have but all dates are represented - These are not intended to be the best quality or most complete photos - The layout is not as concise as the rest of this site MANY thanks to Marcelo Ravello for his considerable help with this page. An additional thanks to Jules, Grinch, Murray15 and Trini.
************************************************************
 http://www.beatlesource.com/savage/1963/63.zz.zz/63.xx.xxConcerts.html
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  ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
  ┛THE BEATLES 1964 Mono mixing ┛Studio 2 (control room only)
  ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00am-12:30pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
①┃  ♪What You're Doing♪ ┃from take 19
②┃     ♪HONEY DON'T♪ ┃from take 5
③┃    ♪Mr. Moonlight♪ ┃remixes 1, 2, from takes 4, 8
④┃ ♪Every Little Thing♪ ┃from take 9
⑤┃  ♪EIGHT DAYS A WEEK♪ ┃remixes 2, 3, from takes 13, 15
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
    ┛THE BEATLES 1964 Editing ┛Studio 2 (control room only)
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00am-12:30pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
③┃    ♪Mr. Moonlight♪ ┃of mono remixes 1, 2
⑤┃  ♪EIGHT DAYS A WEEK♪ ┃of mono remixes 2, 3
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
 ┛THE BEATLES 1964 Stereo mixing ┛Studio 2 (control room only)
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛12.30-1.00pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
⑤┃  ♪EIGHT DAYS A WEEK♪ ┃remixes 1, 2, from takes 13, 15
④┃ ♪Every Little Thing♪ ┃from take 9
①┃  ♪What You're Doing♪ ┃from take 19
②┃     ♪HONEY DON'T♪ ┃from take 5
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
    ┛THE BEATLES 1964 Editing ┛Studio 2 (control room only)
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛12.30-1.00pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
⑤┃ ♪EIGHT DAYS A WEEK♪  ┃of stereo remixes 1, 2
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
   Producer: George Martin
   Engineer: Norman Smith
   2nd Engineer: Ken Scott
  ‡1964(昭和39)年10月27日
***************************************************
 ①https://beatlesdata.info/4/13_whatyouredoing.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/What_You%27re_Doing
 ②https://beatlesdata.info/4/10_honeydont.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Honey_Don%27t
 ③https://beatlesdata.info/4/06_mrmoonlight.html
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/Mr._Moonlight_(song)
 ④https://beatlesdata.info/4/11_everylittlething.html
 ④https://en.wikipedia.org/wiki/Every_Little_Thing_(Beatles_song)
 ⑤https://beatlesdata.info/4/08_eightdaysaweek.html
 ⑤https://en.wikipedia.org/wiki/Eight_Days_a_Week
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪STAND BY ME スタンド・バイ・ミー♪  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1960(昭和35)年10月27日(木) ben e. king recording
 1975(昭和50)年03月10日(月) JOHN LENNON single release
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ 『JOHN LENNON ROCK'N ROLL』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1974(昭和49)年10月21日(月) Start recording
 1974(昭和49)年10月25日(金)  End recording
 1975(昭和50)年02月21日(金) UK released
 1975(昭和50)年02月17日(月) US released
 音源◆『JOHN LENNON ROCK'N ROLL』https://youtu.be/nPrcfHwnDfg
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ 『STAND BY ME スタンド・バイ・ミー』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1986(昭和61)年08月08日(金) US released ※limited
 1986(昭和61)年08月22日(金) US released ※wide
 1987(昭和62)年04月18日(土) JP released
 1989(平成元)年08月12日(土)『ゴールデン洋画劇場』フジテレビ版
 1996(平成八)年08月09日(金) 放送予定『金曜特別ロードショー渥美清さん追悼企画』『男はつらいよ 寅次郎真実一路』
 1996(平成八)年08月23日(金) 差し替え、23日放送予定『火垂るの墓』翌年放送延期
 1998(平成十)年07月24日(金) VHS・DVD版発売
 2011(平成23)年06月22日(水)「製作25周年記念 HD Digital remaster版 Blu-ray Collector's Edition」
 amazon・・・1959(昭和34)年オレゴンの小さな町。文学少年ゴーディをはじめとする12才の仲良し4人組は、行方不明になった少年が列車に轢かれて野ざらしになっているという情報を手にする。死体を発見すれば一躍ヒーローになれる!4人は不安と興奮を胸に未知への旅に出る。たった2日間のこの冒険が、少年たちの心に忘れえぬ思い出を残した・・・・・・
 音源◆https://youtu.be/pHa4pvspCqc
 
 映画◆https://youtu.be/lHLk-KO8Dcs
 
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 https://www.amazon.co.jp/dp/B07Q58DV5Q
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Rock_%27n%27_Roll_(John_Lennon_album)
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Stand_by_Me_(song)
 ③https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%BC
 https://www.amazon.co.jp/dp/B01D2JDVHY
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  DVD DISC ONE 1963
  Cirkus, Goteborg October 27, 1963
  01. Opening Acts
  02. Beatles Concert Footage
 ●続いてDVDの紹介です。DVDのディスク1は1963年の映像を収録しています。初めてのスウェーデン・ツアーに向かうロンドン空港でのビートルズから、ストックホルムの空港に到着して、大勢のファンが出迎える中、車に乗ってホテルに向かう様子など、当時のニュース映像から貴重なドキュメンタリー映像を収録しています。特に1963年10月26日ストックホルムのコンサート映像は、短いながら超貴重なもの。その中でも「蜜の味」の演奏シーンは、同曲をライヴで演奏している唯一残されている映像です。「蜜の味」をステージで演奏しているビートルズです!! 翌1963年10月27日の映像は、前座の演奏から、ビートルズ登場、そして演奏シーンまで、なんと美しいカラー映像で収録されているのです。若々しい襟なしスーツに身を包んだビートルズの貴重なカラー・ライヴ映像です。 
 9,800円(税込)詳細■http://www.teenagedream-record-3rd.net/?pid=90921603

■1963年にBEATLES 4人がスウェーデンで書いたサイン 
¥1,980,000 2017/11/06(mon)現在
注文番号:beatles014
サイズ 29.5cm x 21cm。
額装、保証書、鑑定書付き
UK TRACKS の鑑定書付き
こちらの商品はショッピングクレジット、カード、またカードと現金の併用などが出来ます。
ぜひお問い合わせください。
●1963年の10月26日から30日の間に行われたビートルズのスウェーデン・ツアーの際に書かれたサインです。
こちらはスウェーデンの人気番組である
●「DROP IN」にビートルズが出演した時の同番組のタイムスケジュール、
出演者、スタッフのリストなどが印刷されたキューシートに、ビートルズの4 人はもちろん、
同番組の出演者のサインも共に書かれています。全員が青のボールペンで書いています。
なんとポールは2 箇所にサインしています!
他のメンバーのサインも大きくキレイに書かれています。
コンディションは折り畳み跡、下部に少しシミがありますが、
状態良好です。
この時の映像はアンソロジーでも取り上げられていましたが、
最近では大変きれいな画像も発掘されておりyoutubeなどでも見ることができるようです。
http://www.tracks-japan.com/autograph/beatles-autograph.html

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