No.06 ご冥福をお祈りします。
†通夜 12月10日(土)午後7:00 分開式
葬儀 12月11日(日)午後1:00 分開式
出棺 12月11日(日)午後2:00
喪主 安保 道子(妻)
式場 セレモニーホール青山会堂
新潟県新潟市西区青山8丁目4番15号
TEL.025-265-7667 FAX.025-265-7110 生花は0120-414107へ
http://www.arkbell-ceremony.com/ch/aoyama_kaidou/車
アクセス:JR小針駅または青山駅より約5分。JR新潟駅(万代口)よりタクシーで約20分。バスは、新潟駅万代口より西小針経由「内野」または「新潟大学前」または「信楽園病院」行きに乗車、「上山」バス停下車、徒歩約1分
2016(平成28)年12月07日(水) 日本自律神経病研究会事務局
※足を運んでみては如何でしょうか※
2016(平成28)年12月09日(金) 16:58:36 東京都民9
https://ameblo.jp/64152966/entry-12226985539.html
ファンに愛され半世紀 コロナ禍でロックバーが歴史に幕 広島
‡2020(令和二)年12月10日(木) 20:39配信 HOME広島ホームテレビ
写真◆ロックバー ジュゲム
広島で半世紀にわたって音楽ファンに愛されてきた広島市内のロックバー。コロナ禍をきっかけにその歴史に幕を閉じることになりました。その店にはいつも音楽好きが集います。1971年にオープンしたロックバー「ジュゲム」。あの吉田拓郎さんが中心となって結成し、浜田省吾さんなど多くのシンガーが在籍した「広島フォーク村」のメンバーたちも開店当初、足しげく通っていたといいます。
45年来の男性ファン「(当時注文したのは)100円のトーストと水」
ルーシーさん「その当時としては高級でしたよ」オーナーは「ルーシー」の愛称で親しまれる上岡るみ子さん(70)。2006年に夫・洋さんが亡くなってからは1人で切り盛りしてきました。
ルーシーさん「(当時の)初任給が2~3万円とかそんな時代ですから一枚のレコードがなかなか買えない。新しい音源を聞いてもらえる場所として頑張ってました」しかし来年迎える50周年を前に閉店を発表しました。その理由は新型コロナウイルスの感染拡大。売り上げの減少ではありません。クラスターが発生した市内のライブハウスへの誹謗中傷が上岡さんの心を痛めたといいます。
ルーシーさん「ミュージシャンもライブハウスも大変な思いをしていた。成功事例をつくればライブもできたり活性化につながったりとかという思いもありました」どうしたら再び音楽を届けることができるのか?悩みながら答えを出せず歴史に幕を降ろすことを決意したそうです。
客「色んなジャンルの音楽を聞くことができるので、知らない世界が広がって楽しいです」
ルーシーさん「思いっきり楽しませてもらうのと皆さんにお礼の気持ちを最後に伝えていきたい」半世紀の歴史を刻んだロックバー「ジュゲム」。
2020(令和二)年12月19日(土) 今月19日の閉店まで音楽の光を放ちます。
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ファンに愛され半世紀 コロナ禍でロックバーが歴史に幕 広島
◎地域が違うので行った事はありませんが、ロックが聴けるバーの閉店とあって、記事を読みました。店主さんもお客さんも残念ですよね。夜な夜な好きな曲聴けて、お酒をたのしんで、マスターや馴染みの人と会話したり。そんな楽しみさえ奪われていくのですかね…コロナってなんなんだろう。楽しみがあるから頑張れるのに。
◎ロックバーはコンサートホールでもないしライブハウスでもないしロックバーなんだよ個性のあるマスターと客の闘いの場でもあるロックンロール!
◎ルーシーさん、素敵な空間を出逢いを想い出をありがとうございました!
◎今度ルーシーさんに会ったら泣いてまうなぁ…
◎もう、オラたちの時代じゃないじゃけんのー。
◎松本英志 |全てチャイニーズウィルスのせい。世界の幸せをぶち壊した。全てをめちゃくちゃに壊す。コロナも自分らで発生させてマスクを買い占め高値で転売。中国人なんて世界の敵。百害あって一利なし。言葉に出来ない位、全てが害。やることなす事酷過ぎる。
◎まじか、大ショック、、あー、若き日の想い出
◎感謝しかない
◎武漢ウィルスのせいだな
◎武漢肺炎は文化殺しの厄病神
◎仲間と集いおいしい料理とおいしいお酒で盛り上がる。そしてロックは最高だ。人間が人間らしい営みをして何が悪い。コロナへの過剰反応こそ精神疾患レベル。医療関係者のひ弱な発言も実に迷惑。医療関係者が黙っていれば幕を下ろさずすんだのに。人々が集う場がこうやって消えていくことが残念でならない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4e73eb762ea9949f6f8b6a83349595ef214e65f
動画◆【※2009年にされた話】地震 津波 サイクロンは「HAARP」による人為的なものだった…?! https://youtu.be/yJmDoaRWe8E
らく らく cat55jp 11:54 2019/01/23(wed)
国連の公認技術です=米ソが競い合った地震兵器が1970年代に国際問題となり
‡1976(昭和51)年12月10日(金)第30回の国連総会で「環境改変兵器:禁止条約」が多数決で採択された。
※禁止された兵器は人工的な地震/津波/台風の進路変更など。?
【やりすぎ都市伝説】2009 夏
主題:大災害には黒幕がいた
語り:テレンス・リー
・東南アジアの某国に起きた地震と津波は人為的だった…?!
・1970年代に旧ソ連とアメリカで極秘に結ばれた条約があった?!
・アメリカ軍が持つ「HAARP(ハープ)」とは?
・地球を囲う電磁層とHAARP
・東南アジアの某国が津波の被害に遭ったのにはイラク戦争が原因だった…?!
・HAARPの持つ本当に怖い使い道
・地震、津波、サイクロン…天災はもはや天災ではなくなっている
・東日本大震災は2011年…。
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┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものですヨ(=^◇^=)
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1968(昭和43)年12月10日(火) 東京都府中市で3億円強奪事件発生 ⇒ 東芝府中工場の従業員のボーナス資金、約3億円を積んだ現金輸送車が、東京都府中市の路上で白バイ警官を装った男に強奪された。遺留品は多かったが解決には至らず、1975年12月に時効が成立した。写真は現場に犯人が乗り捨てたオートバイ【時事通信社】
1901(明治34)年12月10日(火) 第1回ノーベル賞授賞式がスウェーデンで開催
1935(昭和十)年12月10日(火) 大阪野球倶楽部(現阪神タイガース)が創設
1979(昭和54)年12月10日(月) マザー・テレサにノーベル平和賞 ※2019(令和元)年記事消滅
https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1935(昭和十)年12月10日(火) タイガース球団創設
‡2017(平成29)年12月10日(日) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月10日だ。
写真◆タイガース創設メンバー
1934(昭和九)年12月26日(水)に大日本東京野球倶楽部(のち巨人)が誕生。その中心となった読売新聞社主・正力松太郎は、1920(大正九)年に発足した日本最初の職業野球チーム・日本運動協会が1チームのみの構成で、対戦相手をアマに求めて失敗したのをかんがみ、米球界同様、複数チームのリーグ戦を目指した。その際に声を掛けたのが東洋最大の球場・甲子園を持つ阪神電鉄だった。阪神では
1935(昭和十)年10月01日(火)には設立に向けた準備委員会が発足し、フロントの組織づくり、選手の勧誘と動き始めたが、当初、誕生への動きは秘密裡に行われた。おそらく情報が漏れることで反対意見が強まることを恐れたのだろう。職業野球は、まだ海の物とも山の物とも分からなかった。しかし、
1935(昭和十)年10月10日(木)になって、なぜか読売新聞が「大阪でも職業野球結成」と報じ、世間にパッと広がった。
‡1935(昭和十)年12月10日(火)は、日本で二番目の職業野球団・大阪野球倶楽部が誕生した日だが、実は社内稟議に決裁が下りたのが
1935(昭和十)年12月06日(金)というあわただしさだった。ちなみに社内公募で球団のニックネームが「タイガース」と決まったのは翌
1936(昭和11)年01月10日(金)だったという。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2002(平成14)年12月10日(火) 伊良部秀輝がメジャーから阪神へ
‡2018(平成30)年12月10日(月) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2002年12月10日だ。
写真◆入団会見で星野監督(右)と握手をする伊良部
レンジャーズを自由契約になっていた伊良部秀輝の阪神入団が決定し、この日、西宮市内のホテルで入団発表と記者会見が行われた。1997年、ロッテからメジャーへと旅立ち、7年ぶりの日本球界復帰。「子どものころは阪神の優勝をいつも夢見てました」と伊良部は幼いころからの阪神ファンであることを強調した。
星野仙一監督は「先発で使うという考えもある」とスターター起用を示唆したが、これは伊良部本人の希望でもあった。1994年にはパ・リーグ最多の16完投をマークしたこともあり、先発には自信を持っている。懸念材料は33歳という年齢と肺血栓からどれだけ回復しているかだったが、「巨人と清原(清原和博)さんは意識せざるを得ません」と闘志は旺盛だった。
伊良部は03年、27試合に先発して13勝をマーク。阪神の18年ぶりの優勝に貢献し、自らの夢を実現させた。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171210-11
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20181210-11 ************************************************************
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画No.035 ┃ 30円
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‡1958(昭和33)年12月10日(水)号 特集 悩める巨人と阪神
2017(平成29)年12月01日(金) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎中カラー見開きは『小さき大遊撃手』
写真◆表紙は西鉄・中西太。黒バックで迫力満点
今回は『1958年12月10日号』。創刊第35号で定価30円。中カラー見開きは『小さき大遊撃手』と題し、阪神・吉田義男、阪急・本屋敷錦吾。ともに身長170センチに満たぬ小兵だが、華麗な守備で日米野球で来日していたカージナルスの選手たちをうならせた。
本文巻頭は『悩める巨人と阪神~水原・川上・田宮の腹の中』。もめていた水原円裕監督の留任は決まったが、引退表明後、いまだ球団との話し合いに応じず、禅寺で修行する川上哲治に対しては、品川主計球団社長が「川上君には第一線から退いてもらいたいと思っている。彼(川上)がいると、ほかの選手が使えない」と何やらきな臭いコメントをしている。
一方、阪神では首位打者となった田宮謙次郎が移籍の自由があるA級10年選手となり、大争奪戦となっていた。田宮自身は残留を希望しているが、阪神が他球団の条件待ちもあってか、なかなか条件を提示しなかったことで、徐々に混迷を深めていたようだ。
恒例の座談会は『さよなら!ニッポン~カージナルス送別座談会』として巨人・長嶋茂雄、大毎・荒巻淳、カージナルスのスタン・ミュージアル、ケン・ボイヤーが出席。なおカージナルスは日本16試合を行い、14勝2敗だったようだ。
その中で出席者ではないが、ブラッシンゲームについての荒巻の言葉が興味深い。抜粋しよう。
荒巻 あれは1つの曲芸だものね。ぼく一番ビックリしたのはね、山内がライト前にヒットを打ったときかな。ライトがそれを後逸したら、それを追っかけて捕っているのは二塁のブラッシンゲームなんだね。セカンドがいつの間にかライトの後ろに行ってる。あれにはびっくりしたよ。
全球カバーに行っていたのか、どうかは分からないが、驚異的だ。長嶋も鮮やかなダブルプレーに触れ、「ほんと手品だと思いましたね」と語っている。
のち南海に入団し、引退後コーチ、監督も務めたブレイザーだ。野村克也兼任監督とともに“シンキングベースボール”で球界に革命を起こした男らしい逸話である。
スカウト戦線では『スカウトを手玉に取った板東~すべての人を煙に巻いた板東投手の周囲とは…』という記事もあった。徳島商高の板東英二である。甲子園を沸かせた怪腕として注目されていたが、家族、親族、学校関係者の思惑がグチャグチャに絡み合って、いまだ入団が決まっていなかったのだ。
記事中の条件をうのみにはできないが、国鉄が700万円、阪神が1600万円、中日が1800万円、広島が2000万円とある。巨人が入っていないのは、板東の叔父が巨人、中日に「進路について親族会議を開くからぜひ来てほしい」と手紙を出し、品川主計球団社長が「ナマイキを言うな」と激怒したためだという。
では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.245 ┃ 40円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1962(昭和37)年12月10日(月)号 水野天皇、豊田を攻略す
2018(平成30)年06月30日(土) 11:11 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎永田雅一のオーナー論
写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
今回は『1962年12月10日号』。定価は40円だ。
ストーブリーグ最大の焦点だった西鉄・豊田泰光の国鉄入りが決まった。下手をしたら越年し、もめにもめるはず、との予想を裏切り、11月中の決着だった。
経緯を少し抜粋する。
11月26日、豊田から西鉄・西亦次郎社長に電話があり、移籍希望を伝えたという。その後、西社長は球団で会議。「気持ちの切れた選手を無理やり引き留めても仕方がない」と結論を出し、すぐ記者会見。
「豊田を国鉄に正式に送り出すことを決めました。国鉄には交換でほしい選手はいないのでトレードマネーで譲ります」と話した。
実際には、こんな単純な話ではない。
かなり前から豊田は国鉄への移籍希望を西鉄に伝え、西鉄は交換相手として最初は金田正一、二番目に徳武定之、村田元一。最後は村田だけでもと話したが、いずれも折り合いがつかず、金銭となったらしい。
西社長が「豊田は出さない」と言ったのも、事実だ。ただ、国鉄側は、実質的オーナーと言える産経の水野成夫社長が、豊富な人脈を駆使し、政治家も動かしながら西鉄本社をまずは納得させた。
雇われ社長だった西は、親会社同士のやり取りに翻ろうされていただけとも言える。三浦という人物とのやり取りは、なかば脅迫されているようでもあった。
これで西鉄には、国鉄からトレードマネー5000万円が入り、ウワサされていたとおり、外国人選手の補強資金にあてることになったようだ。
南海・鶴岡一人監督獲得に失敗した大毎・永田雅一社長の話もあった。
その中のオーナー論が面白い。
「永田オーナーはカネも出すが口も出すと言われるが、そんなの当たり前。オーナーとは何だ、持ち主だ。口も出す、カネも出す、当たり前のことじゃないか。カネだけ出してお前勝手にやれ、そんなやり方ありませんよ」
言うことは言うが責任も持つの意か。確かに当たり前だ。
もめていた広島の監督問題は、やはり白石勝巳常務の監督復帰で収まった。
では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180629-03
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