"J.BOY" 30th Anniversary Edition
https://ameblo.jp/7200z33/entry-12217901395.html
40th ANNIVERSARY
SHOGO HAMADA
1976/2016
1976(昭和51)年4月21日(水)、シングル♪路地裏の少年♪
アルバム『生まれたところを遠く離れて』の発売から40年。
https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/ShogoHamada/40th/
『J.BOY』30TH ANNIVERSARY
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/ShogoHamada/jboy30th/
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┃ ON THE ROAD'86 I'm a J.BOY ┃
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‡2016(平成28)年11月09日(水) 03:50
https://m.youtube.com/watch?v=cLISYw58vUs 11月9日スペシャルアルバム発売記念。…この曲を聴いて、ふと30年前のあの当時を思い出し…'ON THE ROAD ’86 I’m a J.BOY”ツアー『東京国立代々木体育館』上京して間もない1986年当時、浜田省吾のライブに行こうと…しかしチケットは売り切れ。当時地方でも中々取れなくなっていたけど東京でも?とそう思った。仕方無い、とりあえず会場へ行こう。 原宿から代々木体育館へ。当時は『国立代々木オリンピックプール』チケットもそう書いてあった。運良くダフ屋さんから買うことが出来た。代々木体育館は入り口が1箇所のためか入ってアリーナ、2.3階席、ステージが丸見え、また会場の作りがミラクルであり広さに圧倒された。さすが『丹下健三』作。 みたいな印象。入り口側、ステージ反対側には、当時飛び込み台があった。そこから一万人超える人たちがアリーナ、2、3階席を埋めてる眺めはデカイ!!凄い!!圧巻!!はじまる前から興奮度MAXに達した。また…浜田省吾はついにここまで来たか…そんな想いとうらはらにあまりにも遠くなってしまったと思う気持ちで複雑だった様な。今思えば、今でこそアリーナ会場は全国的にあるが当時は武道館ぐらいだった。浜田省吾のイベントでも、数万人規模のコンサートは野外『福岡海の中道』ぐらいで、普通は会館レベルだったので、広いアリーナ席、高い2.3階席の景色は上京仕立ての田舎者にとって、見るもが全て驚きだったのは当たり前である。ステージ正面に垂れた 'ON THE ROAD ’86 I’m a J.BOY”は今でも目に焼き付いてる。オープニングから矢継ぎ早に盛り上がり中盤そしてアンコールへと。当時は休憩も無く、また座ってと語ること無いから、ほぼ3時間立ちっぱなし、皆が若かったし、そんなのは関係無いくらい盛り上がったのも事実。 このコンサート以来またハマってしまい、結局代々木4日間のうち2日間行った。また追加の新宿厚生年金会館まで行くことが出来た。次のツアー88年までが長かった。まる2年待ちでした。もしかしたら、あの日に行かなかったら、今は無かったかもと思ってます。そんなコンサートでした。あれから30年が過ぎ、今年2016年ツアー参加…今でもコンサートを生で観れてる奇跡に感謝です。600人のステージ初見から36年目。長いことNO1であり続けること…このアルバムの深さやもしかしたらこのステージが通過点であったのでは?と思ってしまう。アリーナツアーでもやっぱり『代々木』は何か違う感じがします。『代々木体育館』を眺めては、あの頃の想いからか特別な思いがあります。懐かしい場所、思い出の場所、大切な場所 なのでしょう。長くなりあしからず、ついつい、ゴメンなさい。
https://open.mixi.jp/user/61498351/diary/1956667522
(完全生産限定盤)
"J.BOY" 30th Anniversary Box Limited Edition (2CD+2アナログ盤+2DVD+1アナログ7inchドーナツ盤+メモリアルアイテム)
https://www.amazon.co.jp/dp/B01EKO6ECO
"J.BOY" 30th Anniversary Edition Limited Edition (2CD+2DVD)
https://www.amazon.co.jp/dp/B01EKO6JXI
『J.BOY』'86年盤と'90年盤の音源は同じ
違うのは、
ジャケットの背表紙と
レコード(CD)番号
1986年のジャケットの背表紙は小さな■色は、黄色。
CD:5000円(消費税無) LP:4200円(消費税無)
1990年のジャケットの背表紙の小さな■色は、青色。
CD:??円(消費税有)
1 1986(昭和61)年9月04日(木) オリジナル盤
1 1990(平成二)年6月21日(木) オリジナル盤再発盤
2 1999(平成11)年9月08日(水) 初回盤 リマスタリング、リミックス&リアレンジメント盤
2 1999(平成11)年9月29日(水) 通常盤 リマスタリング、リミックス&リアレンジメント盤
3 2016(平成28)年11月9日(水) 1999音源のリマスター盤(CD)
4 2016(平成28)年11月9日(水) 1986音源のリマスター盤(アナログLP)
㊤↑の『J.BOY』は4パターンあるヨ(=^◇^=)
J.ROCKの記念碑的アルバム。
それは音楽(ロック)の魔法(マジック)――
あれから30年、あなたにはどう聴こえるだろうか。
浜田省吾『J.BOY』
1986年、ひとつの作品が僕たちを解き放った。
30年の月日が経った今わかる。
それは『J.BOY』という音楽ロックの魔法マジックだったのだと。
1986年、アナログ盤2枚組という大作が、4週連続、通算5週にわたりアルバムチャート1位(1986/9/15付~10/6付・10/27付/オリコン調べ)を獲得するという快挙を成し遂げた。テレビにはまったくと言っていいほど出演せず、コマーシャルなどのいわゆるタイアップもほとんどおこなっていなかったために、曲はもちろん、作者であるソングライターの名前や顔を初めて知る人も多かった。
しかし、世間一般の認知度とは異なり、年間100本を超えることもあるライブツアーの会場はつねに満席、それまでのアルバム作品からライブで歌われ続けてきたいくつもの歌が、リスナーたちに深く愛されていた。コンサート中心の活動の結果としてのこの快挙に、ある音楽評論家は「日本のロックがひとつの成熟期を迎えていると感じさせる」と語り、一方で、小さなライブハウスや800席ほどのホールが半分ほどしか埋まっていなかったデビュー当時を知るリスナーは、大切にしていたものがちょっと遠くに行ったしまった切なさも感じた。
浜田省吾『J.BOY』。
まだJRもJリーグも、J-POPという呼び名もなかった、あの頃。
作者本人が語るアルバムのテーマは“成長”。戦後40年、一見サクセスストーリーの中にいるように見える日本という国の成長。そこで生きる少年や少女たちの成長。バブル期がすぐそこまで迫り、MADE IN JAPANが世界を席巻していた。
なかでもタイトル曲「J.BOY」は衝撃的だった。“果てしなく続く生存競争サバイバルレース”“頼りなく豊かなこの国”。連ねられた歌詞に、大人になりかけていた少年少女、つまり僕たちは抱えていた怒りや焦燥の理由を言い当てられた気がした。そして、続けて叫ばれる“打ち砕け 日常ってやつを”という言葉とともに拳を振り上げ、解き放たれたのだと思う。怒りや焦燥、あるいはそれぞれが抱えていた何かから。
“おろしたてのバスケット・シューズ”や“予備校の湿っぽい廊下”などの言葉が印象的な、ほろ苦くセンチメンタルな歌の数々。60?70年代ソウルやR&Bへの再評価が広く定着する以前の、メロウでグルーヴィーなバラード。9.11以降の世界を歌ったかのように重くシリアスでありながら、心高ぶらせるビート感に身をゆだねることのできる楽曲。
2枚組の大作が歌う世界は多岐にわたるが、ジャケットの写真やデザイン同様、これだけシンプルで真っ直ぐな印象を残すアルバムも希有だろう。発表から30年を経た今、改めて思うのは、『J.BOY』という大作が、実は単純と言ってもいい音楽的快感に満ちているということだ。
怒りも孤独も懐疑も抱えながら心を解き放つ、音楽ロックの魔法マジック。
2016年版のリマスター音源。デザイナー/フォトグラファー田島照久氏による初公開カットを大量に含む写真集。制作スタッフらへのインタビューで構成された音楽評論家田家秀樹氏「もうひとつのJ.BOY物語」、1998年からのツアーメンバーでもある福田裕彦氏の「30年目の全曲解説」が載るライナーノーツブック。浜田省吾本人手書きの歌詞カードなどのレプリカ。
『J.BOY』という音楽の魔法を解き明かす鍵の数々が収められた、30周年記念盤。ほぼ未発表だった1986年当時の“ON THE ROAD ’86 I’m a J.BOY”ツアーの映像を収めたDVDも貴重だ。そこにいるのは、ステージ上で圧巻のパフォーマンスを展開するJ.BOYと、客席で拳を振り上げるJ.BOYたち。
あれから30年経った今、君にはどう聴こえるのだろう。あの頃の少年や少女は大人になったのだろうか。この国や世界は、成長したのだろうか。そんな問いを心の片隅に、僕たちはこれかもこのアルバムを聴き続けるに違いない。それぞれの歌に自分の人生の日々の場面を重ねながら、次の世代を思いつつ、音楽ロックの魔法マジックにかけられたまま。
――― Written by 古矢 徹
『J.BOY』30周年記念盤 2016.11.9 発売
20,000セット限定『“J.BOY”30th Anniversary Box』,
完全生産限定盤『“J.BOY”30th Anniversary Edition』
(C)2016 SME RECORDS. ALL RIGHTS RESERVED.
〒102-8353 東京都千代田区六番町4番地5
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/ShogoHamada/review/
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┃ 浜田省吾 #29 J.BOY 2 ┃
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2016(平成28)年8月05日(金) J.BOY Part.2です。
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「遠くへ - 1973年・春・20才」は結果としてアルバムの中で二番目に長い曲になった。「遠くへ」ではあえて間奏にソロ楽器を入れないで、コード進行や楽器のアンサンブルで聴かせる構成にした。レコーディングのリズム録りは、大体どの曲でも最初の1テイク目でアレンジの構成やテンポの確認等をして、次の2テイク目か3テイク目ぐらいで元となるOKテイクを録ってしまうことが多い。あまり何回もテイクを重ねると鮮度と集中力が落ちて、結果としてあまり良いテイクが録れなくなる。 OKテイクが録れて次にやることは、間違えた箇所や演奏し直したい箇所の修正。それぞれが演奏し直したい箇所を自己申告して録音する。これをパンチインと呼ぶ。パンチイン、パンチアウトはスタジオ作業の中で頻繁に使われる用語で、ミュージシャンとエンジニアの間で「3小節目の2拍目からパンチインして 、4拍目のアタマでパンチアウトして下さい」と言ったような会話が飛び交っていた。「遠くへ - 1973年・春・20才」は長い曲だったので、何回もテイクを重ねると集中力が持たなくなるため、少ないテイクでOKになるようにバンド全員が高い集中力で録音に臨んだ。 インストゥルメンタルナンバーの
「滑走路 - 夕景」は、浜田さんが井上鑑さんのアルバムに提供した曲のセルフカバー。ぼくはエレキギターがリードを取るインストナンバーにするのが良いのではと思い、浜田さんに提案したところ、それで行こうということになった。例によってイントロのメロディが浮かんだ時点で、ぼくはほぼアレンジが出来た気分になったが、この曲に関してはそこから先が結構大変だった。 法田勇虫さんの弾くラリー・カールトンばりのエレキギターが格好良い。レコーディングスタジオでの唯一の息抜きは、短い食事の時間だった。食事と言っても外に食べに行くわけではなく、スタジオで出前を取ることが殆どだった。また全員が同じタイミングで食べられるわけではなかったので、出前のメニューも延びてしまう麺類は基本的にNG。必然的に弁当か揚げ物系になってしまうことが多かった。しかもそんな脂っこいものを深夜に食べるものだから、レコーディングの期間中はいつの間にか体重が増えてしまっていた。出前でミュージシャン、スタッフに人気があったのが、信濃町ソニースタジオの1階に入っていたレストラン「VEGA」のオムライスとにんじんリンゴジュース。特ににんじんリンゴジュースはNo.1の人気メニューだった。ぼくもにんじんリンゴジュースを飲むのが信ソでの楽しみのひとつだった。それと当時はレコーディングと言えば煙草が当たり前の時代だった。スタジオにいるほぼ全員が煙草を吸っていた。勿論ぼくもその中の一人で、レコーディングになると緊張からか、普段の3倍ぐらいの本数を吸っていた。町支さんはコーラスダビングの最中に、狭いボーカルブースの中で歌いながら矢継ぎ早に煙草を吸うものだから、ブースの中が白く煙って本人の姿が見えなくなるほどだった。 それでいてあの美声のコーラスを決めるのだから、ぼく達は感心するしかなかった。アルバムタイトル曲でもある
「J.BOY」は、ぼくと江澤くんの共同アレンジ。アレンジをするにあたりまず決めたことは、リズムはタイトなエイトビートにして、その上にホーン・セクションを入れようということで、江澤くんの家で二人でリズムのコンビネーションやホーンのフレーズを考えた。「J.BOY」は同じコードの展開が続く曲だったので、途中ベースソロを入れたり、クラビネットを入れたりして、サウンドに起伏を付けるようにした。サウンド的にはイントロのツインリードギターと、間奏のギターソロからサックスソロにバトンするところがスリリングで気に入っている。ただホーンセクションがミックスの段階で、かなりレベルを下げられてしまって、サウンドのダイナミズムが減少してしまったのがちょっと残念だった。
「AMERICA」は町支さんアレンジ。ザ・バーズを彷彿とさせる12弦ギターのフレーズがとても印象的なナンバー。町支さんが弾いたのは、リッケンバッカーのエレクトリック12弦ギター。ぼくはヤマハDX5シンセサイザーで作ったオルガンの音色をプレイした。「AMERICA」のサウンドの鍵を握っているのは、町支さんの多重録音によるコーラスと、リッケンバッカーの12弦ギター。
「想い出のファイアー・ストーム」「悲しみの岸辺」「晩夏の鐘」「A RICH MANS GIRL」は江澤くんのアレンジ。アルバムの前半は江澤くんのアレンジした曲が続くせいか、彼のカラーが色濃く出ている。江澤くん&ドラムの高橋さんの新リズム隊コンビも、ノリがバッチリ決まっていて心地良い。 このあたりの曲は、ぼくの演奏もシンセサイザー全開といった感じで、殆どシンセでプレイしている。「想い出のファイアー・ストーム」のイントロとアウトロの箇所で、印象的なパーカッションを演奏しているのはペッカーさん。”シモンズ”というシンセドラムを使ってプレイしている。ペッカーさんとは、1988(昭和63)年渚園でのA Place In The Sunでも一緒にステージに立った。
「悲しみの岸辺」で登場するフリューゲルホルンの音色は、イミュレーター2というサンプリングマシンでサンプリングしたもの。間奏とエンディングで登場するフリューゲルホルンの音色によるソロは、江澤くんが鍵盤で弾いている。
「晩夏の鐘」はインストゥルメンタルナンバー、ぼくと古村くんと江澤くんの三人だけで演奏した。この曲も 江澤くんの弾くシンセベースがいい味を出している。この頃はシンセサイザーのマニピュレーターという職種の人がいて、スタジオに山のような機材を持ち込んで、音色を作ったり打ち込みのデータを作ったりしていた。J.BOYのレコーディングでは梅原篤さんという方が、マニピュレーターでぼくとタッグを組んだ。使用したシンセは、オーバーハイムOB-8、 プロフィット5、ミニ・ムーグ、イミュレーター2等々。86年当時の流行だったとはいえ、 アルバムJ.BOYには今聴くとびっくりするぐらいたくさんのシンセの音が入っている。「DOWN BY THE MAINSTREET」のレコーディングの時は、フェンダー・ローズ・エレクトリックピアノやハモンドB3オルガンといった、本物の楽器を使っていたのに、J.BOYのレコーディングでは殆ど使っていない。今思えば「何で?」と首を傾げたくなるが、86年当時はやはりそういう時代だったのだろう。
「勝利への道」や「路地裏の少年」での古村くんによる躍動感溢れるアレンジも、他のメンバーのアレンジと違って、イギリスっぽいアプローチで古村くんらしい尖ったサウンドが格好良い。
「路地裏の少年」もとても長い曲になったため、リズム録りは大変だった。1テイク録り終える毎に、どっと疲れたのを覚えいてる(笑)ぼくがこのアルバムで一番好きな曲は
「19のままさ」。浜田さんの書くプロテスト・ソングも嫌いではないが、ぼくは浜田さんのメロディックでセンチメンタルな雰囲気の曲が特に好きだった。「19のままさ」は町支さんのアレンジも素晴らしくて、ぼくは町支さんの考えたイントロのピアノのフレーズを、レコーディングの時に感動しながら弾いた。
「八月の歌」と「こんな夜はI MISS YOU」も 町支さんのアレンジ。 「八月の歌」では、ぼくはアコースティックピアノを弾いた。シンセは福ちゃんこと福田裕彦さんが演奏している。
「こんな夜はI MISS YOU」は町支さんとドラムの高橋さんの共同アレンジ。高橋さんはリズムマシンのプログラミングを担当した。過酷なツアーのヒトコマを描いた小品だが、ぼくはとても好きな曲。 J.BOYのレコーディングは締め切り日が決まっていたため、終盤になると大忙しとなった。時には二つないし三つのスタジオで作業が同時進行していて、あるスタジオでダビングが終了したばかりのテープを、エグゼクティブ・プロデューサーの鈴木幹治さんが抱えて別のスタジオに持って行き、そこで待機しているミュージシャンがそのテープにダビングしたりと、終盤は綱渡りのようなレコーディングが続いた。レコーディングの最後のほうは、自宅からそう遠くない目黒川近くのスタジオでのダビングが多かったので、ぼくは自転車でスタジオに通った。長かったレコーディングも終わり、最終ミックスはロスアンゼルスで行うことになっていた。アレンジを担当したぼく達バンドのメンバーも、当然ミックスに同行するものだとばかり思っていたのだが、ミックスには浜田さん以外には事務所とレコード会社のスタッフ、カメラマン等が同行することになり、ぼく達はミックスに立ち会うことが出来なかった。何だか腑に落ちないものを感じながら、ぼく達はレコーディングした音を渡米するスタッフに託した。ロスでのミックスを終えた音を聴いて、ぼくは複雑な気持ちになった。ミックスを担当したのは、ジャクソン・ブラウンやTOTO、ドン・ヘンリー等のアルバムのミックスを手がけていたグレッグ・ラダニー。ぼくはジャクソン・ブラウンの「The Pretender」や「Running On Empty」等のアルバムの音がとても好きだったので、大いに期待してグレッグのミックスしたJ.BOYを聴いた。グレッグのミックスしたサウンドは、タイトで音像がくっきりとしていてリバーブも浅めで、確かにLAっぽい乾いた音をしていたが、いかんせん全体的に小じんまりとしていた。そしてぼくがアレンジした際にイメージしていたサウンドとは少し違っていた。J.BOYが完成して少し経った夏のある日、ぼくは下北沢で浜田さんとばったり会った。お茶でも飲もうと言うことになって、近くの喫茶店に入った。自然と話題はロスでのミックスを終えたばかりのJ.BOYのことになった。浜田さんから感想を聞かれたぼくは、アルバムを聴いて自分が感じたことを率直に伝えた。そんな経緯もあってかどうかは分からないが、J.BOYは
1999(平成11)年09月8日(水)にリミックス、リアレンジ、リマスタリングが施されてリイシューされた。その内容は1986(昭和61)年版のオリジナルバージョンのJ.BOYとは別物と言っていいぐらいにかなり違っていて、ぼくは99年版を聴いてますます複雑な気持ちになった。 二枚組アルバム「J.BOY」は、
1986(昭和61)年09月4日(木)に発売されると4週連続でチャートの一位になった。ツアーに出ていたぼく達は、初のアルバムチャート一位獲得の知らせを旅先で聞いた。初の一位獲得で沸き立つ周囲の喧噪をよそに、ぼく達は快挙の知らせをまるで人ごとのように感じていた。J.BOYは今の耳で聴くと結構ポップな印象を受ける。そして全編を通して伝わってくる勢いが凄い。サウンドに悔いは残るが、浜田さんのシンガー/ソングライターとしての創造力と、バンドの勢いが最初のピークに達した作品だと思う。
‡2016(平成28)年11月9日(水)に"J.BOY" 30th Anniversary Editionが発売される。
オリジナルバージョンの86年版J.BOYも、リマスターが施されて2枚組アナログ盤でリイシューされるとのこと。今回のリマスターで、どこまで音質が向上しているか楽しみだ。
写真◆J.BOYツアーパンフより。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/08/29-jboy-2.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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┃♪はぐれそうな天使♪┃
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1985(昭和60)年09月10日(火) 来生たかお リリース
1986(昭和61)年03月20日(木) 岡村 孝子 リリース
1986(昭和61)年12月20日(土)『Noel』PV収録
2006(平成18)年12月13日(水)『Noel』DVD化
1986(昭和61)年05月24日(土)&25日(日) ホンダプリモデー
1986(昭和61)年10月04日(土)&05日(日) ホンダF-1 ワールド・グランプリフェア
‡1986(昭和61)年11月08日(土)&09日(日) ホンダプリモフェア
1986(昭和61)年12月06日(土)&07日(日) ホンダプリモ 大商談会
1987(昭和62)年02月14日(土)&15日(日) オールホンダ 春の大商談会
1987(昭和62)年03月14日(土)&15日(日) 春のホンダプリモデー
映像◆44秒から映像◆http://www.nicovideo.jp/watch/sm14656473
映像◆1986(昭和61)年CM ホンダ トゥデイ 青山育ちのハンサムです。今井美樹 https://youtu.be/wQ4E0X8MvkU
映像◆来生たかお 編 今井美樹 HONDA TODAY CM https://youtu.be/pI0F2_NT5-0
懐かし車CM集1985 映像◆https://youtu.be/na14GE0Ztj4
映像◆はぐれそうな天使(HONDA today CM 今井美樹)岡村孝子https://youtu.be/gSFZDMiv4jc
1985~1986映像◆https://youtu.be/_HexZv7EdXE
1985年音源◆ホンダトゥディ ラジオCM 1985年 https://youtu.be/GsmJEOdHeLM
1986削除映像◆https://youtu.be/g6vtEkwIFlI キミとなら仲良くできる。
1986(昭和61)年05月24日(土)&25日(日) ホンダプリモデー
削除映像◆1987 ホンダ トゥデイ(JW1)HONDA today https://youtu.be/r9qHx5hSPBM
'86 グッドデザイン選定商品
1987(昭和62)年前半 ホンダ トゥデイ「21世紀のハンサムです。」
1987(昭和62)年後半 ホンダ トゥデイ「ポシェット誕生」
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%81%90%E3%82%8C%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%AA%E5%A4%A9%E4%BD%BF
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1989(平成元)年11月09日(木) ドイツを分断していた「ベルリンの壁」が崩壊し、出国が自由化
https://www.uta-net.com/song/102328/