過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)

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 ┃ よしだたくろう 全国縦断リサイタル '74 秋 (愛奴・春のツアー) ┃
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‡1974(昭和49)年6月25日(火) 16回 北九州市立八幡市民会館
 01♪おろかなるひとり言♪
 02♪ひらひら♪
 03♪君去りし後♪
 04♪むなしさだけがあった♪
 05♪親切♪
 06♪竜飛崎♪
 07♪もうすぐ帰るよ♪
 08♪祭りのあと♪
 09♪落陽♪
  ♪これからは君の世代だ♪
  ♪夏の光の中で♪
 10♪今日もまたペニーレインで♪ ※♪ペニーレインでバーボン♪の原曲
 11♪襟裳岬♪ 
 12♪高円寺♪or♪リンゴ♪
 13♪夏休み♪
 14♪忘れかけた一日♪
 15♪野の仏♪
 16♪シンシア♪
 17♪イメージの詩♪
 18♪私♪ ※♪悲しいのは♪の原曲
 概要・・・デビュー後初めて開催された単独コンサートツアーである。日本のファークシンガーとして初の全国ツアー。広島フォーク村の後輩である『愛奴[29]』をバックバンドに従えた全国縦断ツアー[30]。
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 http://setlist.mx/concerts/215351 http://setlist.mx/events/40308?page=1
 https://www.uta-net.com/song/51514 https://www.uta-net.com/song/44469
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①┃ ♪SOMEDAY♪ ┃
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‡1981(昭和56)年06月25日(木) リリース
 1990(平成二)年04月21日(土) リリース 再発盤
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②┃ 『SOMEDAY』 ┃
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 1982(昭和57)年05月21日(金) リリース
 2002(平成14)年05月22日(水) リリース『SOMEDAY Collector's Edition』
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 https://music.amazon.co.jp/albums/B00FRC56PA
 ①https://ja.wikipedia.org/wiki/SOMEDAY_(%E4%BD%90%E9%87%8E%E5%85%83%E6%98%A5%E3%81%AE%E6%9B%B2)
 ②https://ja.wikipedia.org/wiki/SOMEDAY_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
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サザンオールスターズ!名前の由来
このグループがデビューしたのは1978年です。桑田さんは ”サザンロック” という、リズム&ブルースを基にした音楽を好んで聞いていたそうです。そして、自身のバンド名を考えていた時、”ファニアオールスターズ” という、サルサ(ラテン音楽)のグループが日本にやってきて、ちょっとした話題となっていました。そこで、桑田さんのお友達が、サザンロックの ”サザン” と ファニアオールスターズの ”オールスターズ” をくっつけて、「サザンオールスターズ」がいいんじゃね?
という運びとなり、今日に至るそうです。桑田さんが考えたネーミングじゃないんですね。。雑学研究家 安田泰淳)
http://www.cocoro-skip.com/entame/130029.html

1988年08月29日、RCサクセション『COVERS』がオリコンのアルバムチャート1位を獲得
2016年08月29日 執筆者:今井智子
「RCサクセション「COVERS」8月6日発売予定/「ラヴ・ミー・テンダー」6月25日発売予定 上記の作品は素晴らしすぎて発売できません。 東芝EMI株式会社」と新聞広告が打たれたのは1988年6月22日。
ロックの名曲に忌野清志郎が独自の日本語詩をつけたものを収録したアルバム『COVERS』は、反原発を歌ったことで親会社が原発を作っているレコード会社によって発売中止にされた。'86年のチェルノブイリ原発事故以後、日本でも原発への危機意識が高まっていたこともあり、この件はマスコミが大いに取り上げ話題になった。そして約2ヶ月後の8月15日、別のレコード会社(キティ・レコード)からリリースされ、8月29日にはRCサクセション唯一のヒットチャート1位を獲得したのだった。
この作品が再び注目を集めたのは2011年。東日本大震災で起きた福島第一原発事故だ。”放射能はいらねえ 牛乳を飲みてえ”と歌う「ラヴ・ミー・テンダー」、いつか来ると言われている東海地震と原発を歌い込んだ「サマータイム・ブルース」はラジオのリクエストが急増したと言われている。'09年に亡くなった清志郎が蘇ったかのように過去の彼の発言が引用されたり、反原発の象徴めいた存在にするような動きもあった。
もちろん彼は原発に反対していたし、だからこそこの作品を作り、世に出そうと戦ったのだから、それが今も聴き継がれていることを天国の彼は喜んでいることだろう。けれども反原発だけに終始しては十分とは言えまい。よきリスナーであり優れた音楽家である忌野清志郎が、彼の原点とも言えるロック観をストレートに表しRCサクセションとともに作った名作なのだ。だからこそ広く共感を呼び、何度でも話題になる。
ここでカヴァーしているのは、清志郎が10代の頃によく聴いていたと思われる曲だ。マニアックなものではなく、60~70年代にロックを聴き漁っていたら知らないはずはない曲から、反戦歌や反骨精神を歌うものを選んでいる。「ロックってそういうものだろう?」と彼が言っていたことを思い出す。甘い甘いラヴソングもあるけれど、メッセージもあるのがロック。そのスピリッツを受け継ぐのが『COVERS』だ。
1曲目の「明日なき世界」はベトナム戦争を批判するP.F.スローンの曲。’65年にバリー・マクガイアが歌ってヒットしたが、歌詞が過激すぎると物議を醸した。日本では高石ともやが69年にカヴァーしており、その歌詞を元に清志郎は歌っている。ジョニー・サンダーズがコーラスと朗読で参加している貴重なテイクだ。2曲目「風に吹かれて」は言うまでもなくボブ・ディランの代表的なプロテスト・ソング。最後に入っている「イマジン」は、ご存知の通り平和を願うジョン・レノンの曲だ。どちらも清志郎らしい言い回しの日本語詞になっている。
一方「ラヴ・ミー・テンダー」や「サマータイム・ブルース」は、原曲の歌詞から離れて日本語詞をつけている。痛烈な原発批判になっている2曲だが、だからといって原曲へのリスペクトがないわけではなく、思わず「替え歌」にしてしまうほど親しんだ曲だったのではなかろうか。そして、大好きなローリング・ストーンズやビートルズの曲を自分の書いた歌詞で歌ってみたいというミュージシャンなら当然思うことをそのまま実行した「黒くぬれ!」や「マネー」からは、生涯”ロック小僧”の清志郎と相棒の仲井戸”チャボ”麗市が飛び出してくる。10代の頃から二人はこんなことをしていたのではないかと想像し、そういう意味でも原点回帰的な作品かとも思う。いわゆる初期衝動を喚起して、少々停滞していたバンドの空気を活性化しようとしたのかもしれない。だが、この作品へのメンバーとの温度差がバンドの足並みを乱す一因にもなって、RCサクセションは活動休止へと向かっていく。
http://music-calendar.jp/2016082901

 BOΦWY MC~CLOUDY HEART 1985.06.25  http://youtu.be/hrJ3oo8Ch9s
 BOΦWY メンバー紹介~Oh! My Jully Part I 1985.06.25  http://youtu.be/23VOzHHH9UA

1973年6月25日にリリースされたのが、キャロルのデビュー曲以来、ソングライティング・コンビ「ジョニー&矢沢」の最高傑作と言っても良い「ファンキー・モンキー・ベイビー」だった。
2015年6月25日 執筆者:中村俊夫
1972年6月、横浜を拠点とするバンド「ヤマト」のメンバーだった矢沢永吉(ベース、ヴォーカル)と、川崎を拠点とするビートルズ・コピー・バンド「ジュリア」で活動していたジョニー大倉(ギター、ヴォーカル)に、関東学院大学の学生だった内海利勝(リード・ギター)、そして、その後何度も入れ替わるドラマー(最終的にはユウ岡崎に落ち着く)が加わった4人で結成されたキャロルは、同年8月に、かつてカーナビーツもレギュラー出演していた横浜・伊勢佐木町の「ピーナッツ」(当時はディスコ)でステージ・デビュー。店のレギュラー・バンド(所謂「ハコバン」)として、荒くれ米兵や、“夜の女”たちと連れの酔客などを相手に、ビートルズ・ナンバーやオールド・ロックンロール、時おり客のリクエストに応えての最新ヒット曲などを毎夜演奏する日々で、それは東京・蒲田のキャバレー「ウラシマ」に拠点を移してからも続いた。
そんな彼らに転機が訪れたのは、1972年10月8日、フジテレビの若者向け情報バラエティ番組『リブ・ヤング!』に出演した時だった。愛川欣也が司会を務め、毎週日曜日の昼下がりに生放送されていたこの番組の中で、英国で流行していたグラム・ファッションから派生した50年代リバイバル色の濃いロキシー・ファッション(初期のロキシー・ミュージックの格好が代表的)特集の一環としてロックンロール・パーティーが企画され、ジルバを踊れる一般出演者を募集しているのを知ったジョニーがバンド出演を希望して応募。当初は門前払い状態だったが、矢沢の猛烈な売り込みでキャロルの出演が実現したのである。
ハンブルグ時代のビートルズに触発されたリーゼント&革ジャン・スタイルで、エネルギッシュにロックンロールをプレイするキャロルの姿は全国の視聴者たちに強烈なインパクトを与えた。かつてロカビリー三人男として活躍し、当時は音楽プロデューサーとしてガロ、小坂忠などを手がけていたミッキー・カーチスもそんなひとりで、たまたま自宅で放送を観ていた彼はすぐさまフジテレビに電話を入れて、翌日にはキャロルと契約。さっそくレコーディングが行なわれ、TV出演からわずか2ヵ月後の72年12月20日、矢沢の作曲、ジョニー作詞によるオリジナル「ルイジアンナ」でキャロルはレコード・デビューを果たした。
ミッキー・カーチスのアイディアで、新人グループとしては異例の毎月1枚というハイペースでシングル・リリース計画が組まれ、「ルイジアンナ」発売の翌月には、軽快なブギーの「ヘイ・タクシー」をリリース。以後、「やりきれない気持ち」「レディ・セブンティーン」、「彼女は彼のもの」「0時5分の最終列車」と、毎月キャロルの新曲が全国のレコード店頭に並び、新曲が出るたびにメディアの露出量と店頭におけるキャロル作品の占有率も増えていった。
そして、この“月1シリーズ”の最後を飾る7thシングルとして、今からちょうど42年前の今日、1973年6月25日にリリースされたのが、デビュー曲以来、歴代シングル両面を飾ってきた名ソングライティング・コンビ「ジョニー&矢沢」の最高傑作と言っても良い「ファンキー・モンキー・ベイビー」だった。キャッチーなイントロ、サビメロ、どこをとっても無駄のない見事な曲構成のこの曲は、当時の日本のロック作品としては破格の10万枚を超えるヒットとなり、翌月リリースされた同名アルバムも7万枚という好調なセールスを記録。一躍キャロルは国民的知名度を誇る人気バンドへと大ブレイクするのである。
プリミティヴなロックン・ロールにマージー・ビート的な感覚がミックスされたサウンドと60年代初頭の漣健児の和訳カヴァー・ポップスをほうふつさせる“日本語英語”的な歌詞を意匠としたキャロルの原点回帰とも言える音楽スタイルは、ニューロック台頭以降、テクニック至上主義と反商業主義が蔓延し低迷を続けていた70年代初頭の日本のロック状況を根底から覆すほどの強力なインパクトと新鮮な魅力にあふれていた。
そのキャッチーな音楽性とファッショナブルな感覚は、これまでロックとは無縁だった世代層から熱狂的に支持され、キャロルのライヴ会場には、ヤンキー風リーゼント族や、GSブーム終焉以来、久しく絶えていた黄色い嬌声を上げるローティーンの女の子たちが押し寄せ、従来のロック・コンサートのメイン・オーディエンスだったヒッピー風ロングヘアーのハード・ロック・ファンを凌駕していった。ここに日本のロック・マーケットは確実に新たな裾野を拡げたのである。
複雑化していったロックに対するアンチテーゼとして、シンプルでポップなサウンドとファッション性で新たなマーケットを創成していったという意味では、同時代のグラム・ロックや70年代末に巻き起こったパンク・ムーヴメントとも一脈通じる部分を持ち合わせていたキャロル。まさに「日本ロック中興の祖」と呼ぶにふさわしい存在だ。
http://music-calendar.jp/2015062502

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①┃        ♪ロード♪        ┃
②┃      ♪ロード~第二章♪      ┃
▼┃   『シンデレラ ロード~序章~』   ┃
③┃      ♪ロード-第三章-♪      ┃
④┃      ♪ロード-第四章-♪      ┃
▲┃    『ベスト~ロード第4章』    ┃
⑤┃ ♪届くことのない手紙-ロード第五章-♪ ┃
▼┃      『ロード・上巻』      ┃
▲┃      『ロード・下巻』      ┃
■┃       『THE ROAD』       ┃
◆┃『ロード ザ・ベスト~25th anniversary~』┃
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①1993(平成五)年01月21日(木) released
②1994(平成六)年01月01日(土) released
▼1994(平成六)年10月21日(金) released
③1995(平成七)年01月01日(日) released
④1997(平成九)年02月12日(水) released
▲1997(平成九)年02月26日(水) released
⑤1997(平成九)年06月25日(水) released??
⑤1998(平成十)年09月20日(日) released??
▼2000(平成12)年01月21日(金) released
▲2001(平成13)年05月21日(月) released
■2003(平成15)年01月21日(火) released
◆2018(平成30)年02月21日(水) released
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/ロード_(THE_虎舞竜の曲)
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 あの1曲で高橋ジョージ「今も年間1200万円ぐらい黙ってても入る」 
 2010(平成22)年09月15日(水) 08:23 
 演出家のテリー伊藤が夢の印税生活を目指し、奮闘する自身の姿を収めたドキュメンタリー映画「10億円稼ぐ」(11月20日東京で公開)をPRするため東京都内で学生向けセミナーを開催。ゲストの「THE 虎舞竜」の高橋ジョージが、作詞作曲した「ロード」で印税16億円を稼いだと明かし、会場はどよめいた。
 1993(平成五)年01月21日(木)発売の曲は220万枚を売り、高橋は印税をなんと2年で使い切ったそうだが「皆さんがカラオケで1回歌うと7円入りますし、今も年間1200万円ぐらい、黙ってても入ってきます」。何でもないようなことが幸せだったと思うと歌った曲は、とんでもない印税を生み出していて、テリーも降参。 
 https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/09/15/kiji/K20100915Z00000150.html
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 ┃ MTV Video Music Awards Japan  ┃
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 |第10回 2011(平成23)年6月25日(土)|司会者・・・AKB48
 └─―――――――――――――――┘会場名・・・幕張メッセ(1)
  2011年は名称を『MTV Video Music Aid Japan』
  東日本大震災のチャリティーイベントとして初めて6月に開催された
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/MTV_Video_Music_Awards_Japan
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 ┃ オリコン時間記録 ┃10位内獲得最多週数歌手:サザンオールスターズ
 ┗━━━━━━━━━━┛246週 2013/05/02(木)現在
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 |1978(昭和53)年 6月25日(日)|♪勝手にシンドバッド♪
 └─――――――――――――┘デビュー曲リリース
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%89%8B%E3%81%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%89
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 ┃ オリコン時間記録 ⇒ 発売から首位達成まで時間が一番掛った曲(再発売を含めて) ┃
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  ♪勝手にシンドバッド♪ サザンオールスターズ 1306週・1978年6月25日発売~2003年7月7日付 2013/05/02(木)現在
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 ┃ 当時だれも真似できなかった5曲連続ミリオンセラー達成アーティスト ピンク・レディー ┃
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       曲 目  売上枚数 ランキング週数   リリース日 http://youtu.be/mpwpKmS_T74 (10;46)
 ♪渚のシンドバッド♪ 100.0万枚   38週  1977年 6月10日
   ♪ウォンテッド♪ 120.1万枚   33週  1977年 9月 5日
      ♪UFO♪ 155.4万枚   32週  1977年12月 5日
    ♪サウスポー♪ 146.0万枚   29週  1978年 3月25日
    ♪モンスター♪ 110.2万枚   20週  1978年 6月25日
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 http://en.wikipedia.org/wiki/Pink_Lady_(band)
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 ┃ 光GENJI ┃
 ┗━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐
 |1987(昭和62)年 6月25日(木)|「GENJI」と「光」の2つのグループが合体されて結成
 |1995(平成七)年 9月 3日(日)|解散
 └─――――――――――――┘1988年のオリコン年間シングルチャートで♪パラダイス銀河♪/♪ガラスの十代♪/♪Diamondハリケーン♪が第①位 第②位 第③位を独占するという、1978年のピンク・レディー以来の快挙を成し遂げた。また、1stアルバムの『光GENJI』も同年のオリコン年間アルバムチャートの第1位に輝いている。♪STAR LIGHT♪~♪荒野のメガロポリス♪までデビュー曲から8作連続でオリコンシングルチャート第①位を獲得し、当時の新記録となった(後に同事務所の後輩KinKi Kidsがこの記録を抜く)デビューから解散までのCD売上は、シングル総売上29タイトル計755万枚(オリコン調べ)、アルバム総売上29タイトル計467.3万枚(オリコン調べ)、ビデオ総売上は、15タイトル計320万本、コンサート動員数は、539公演計333万6594人動員
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89GENJI
 映像◆SMAPが語る史上最大の人気を誇ったグループ「光GENJI」とは http://youtu.be/oSr4_vjr4IU

浜田省吾、マドンナの記録を7ヵ月更新
2015(平成27)年5月05日(火) 09:53:02
2015(平成27)年4月29日(水)に発売となった、浜田省吾の10年ぶりのオリジナルアルバム『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』が、初週で8.0万枚を売り上げ
2015年5/11付オリコン週間アルバムランキング(集計期間:4/27~5/3)で初登場首位をマーク、オリジナルアルバム18年半ぶりの首位獲得により、マドンナの記録を7ヵ月更新しインターバル歴代1位となった。
浜田省吾にとって、シングル・アルバムを通じて首位は2000/11/20付のベストアルバム『The History of Shogo Hamada “Since 1975”』(2000年11月発売)以来14年半ぶり、アルバムでの首位獲得は通算で9作目となった。同時にオリジナルアルバムの首位は、1996/11/25付の『青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~』(1996年11月発売)以来18年半ぶりである。これまでマドンナが保持していた『オリジナルアルバムの首位インターバル記録』である17年11ヵ月(1990/6/25付『アイム・ブレスレス』~2008/5/12付『ハード・キャンディー』)を7ヵ月更新し、同記録で初の歴代1位を飾ることとなった。
浜田省吾にとって今作『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』は、2005年7月発売の『My First Love』(最高位2位)以来約10年ぶりのオリジナルアルバムだ。全17トラック、収録時間75分を超える大作で、完全生産限定盤・期間生産限定盤・通常盤・完全生産限定アナログ盤のラインナップでリリースとなり、完全生産限定盤は、アルバム収録曲のアコースティック・バージョンやリミックス・バージョンなどのボーナストラックを収録した特典CDと、ミュージックビデオなどを収録した特典映像(Blu-ray DiscまたはDVD)との3枚組の豪華仕様となっている。
また、今週付アルバムランキングでは、浜田省吾が1975年のデビュー当時ドラマーとして在籍していたAIDOのコンプリート・コレクション『AIDO Complete Collection』が0.5万枚で初登場11位を獲得、シングル・アルバムを通じ初のランクイン(=TOP300入り)にしてTOP20入りを果たしている。
■オリジナルアルバムの首位インターバル記録 上位TOP3
1位:18年半    浜田省吾1996/11/25付『青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~』
            ~2015/05/11付『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』
2位:17年11ヵ月 マドンナ●1990/06/25付『アイム・ブレスレス』
            ~2008/05/12付『ハード・キャンディー』
3位:17年7ヵ月   徳永英明1991/10/14付『Revolution』
            ~2009/05/18付『WE ALL』
浜田省吾「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」
2015年4月29日発売
【完全生産限定盤】CD + 特典CD + 特典映像(Blu-ray DiscまたはDVD)価格:7,000円+税
特典映像Blu-ray版/品番:SECL2016-2018
特典映像DVD版/品番:SECL2019-2021 ※三方背スペシャルBOX仕様
【期間生産限定盤】CD + 特典CD 価格:4,500円+税 / 品番:SECL2022-2023
【通常盤】CDのみ 価格:3,000円+税 / 品番:SECL2024
【完全生産限定アナログ盤】重量盤LP2枚組  価格:4,000円+税 / 品番: SEJL25-26 ※収録内容はCD通常盤と共通です。
AIDO「AIDO Complete Collection」
2015.4.29 Release!【完全生産限定盤】CD2枚組 価格:4,000円+税 / 品番:SECL1689-1690
 ※メジャーデビュー40周年記念7インチW紙ジャケット仕様http://www.sonymusic.co.jp/artist/Aido/
http://www.barks.jp/news/?id=1000115318

 1988(昭和63)年08月29日(月) RCサクセション『COVERS』がオリコンのアルバムチャート1位を獲得
 2016(平成28)年08月29日(月) 執筆者:今井智子
 1988(昭和63)年08月06日(土)発売予定『COVERS』RCサクセション
‡1988(昭和63)年06月25日(土)発売予定 ♪ラヴ・ミー・テンダー♪ 上記の作品は素晴らしすぎて発売できません。 東芝EMI株式会社」と新聞広告が打たれたのは1988年6月22日。
ロックの名曲に忌野清志郎が独自の日本語詩をつけたものを収録したアルバム『COVERS』は、反原発を歌ったことで親会社が原発を作っているレコード会社によって発売中止にされた。'86年のチェルノブイリ原発事故以後、日本でも原発への危機意識が高まっていたこともあり、この件はマスコミが大いに取り上げ話題になった。そして約2ヶ月後の8月15日、別のレコード会社(キティ・レコード)からリリースされ、8月29日にはRCサクセション唯一のヒットチャート1位を獲得したのだった。
この作品が再び注目を集めたのは2011年。東日本大震災で起きた福島第一原発事故だ。”放射能はいらねえ 牛乳を飲みてえ”と歌う「ラヴ・ミー・テンダー」、いつか来ると言われている東海地震と原発を歌い込んだ「サマータイム・ブルース」はラジオのリクエストが急増したと言われている。'09年に亡くなった清志郎が蘇ったかのように過去の彼の発言が引用されたり、反原発の象徴めいた存在にするような動きもあった。
もちろん彼は原発に反対していたし、だからこそこの作品を作り、世に出そうと戦ったのだから、それが今も聴き継がれていることを天国の彼は喜んでいることだろう。けれども反原発だけに終始しては十分とは言えまい。よきリスナーであり優れた音楽家である忌野清志郎が、彼の原点とも言えるロック観をストレートに表しRCサクセションとともに作った名作なのだ。だからこそ広く共感を呼び、何度でも話題になる。
ここでカヴァーしているのは、清志郎が10代の頃によく聴いていたと思われる曲だ。マニアックなものではなく、60~70年代にロックを聴き漁っていたら知らないはずはない曲から、反戦歌や反骨精神を歌うものを選んでいる。「ロックってそういうものだろう?」と彼が言っていたことを思い出す。甘い甘いラヴソングもあるけれど、メッセージもあるのがロック。そのスピリッツを受け継ぐのが『COVERS』だ。
1曲目の♪明日なき世界♪はベトナム戦争を批判するP.F.スローンの曲。'65年にバリー・マクガイアが歌ってヒットしたが、歌詞が過激すぎると物議を醸した。日本では高石ともやが69年にカヴァーしており、その歌詞を元に清志郎は歌っている。ジョニー・サンダーズがコーラスと朗読で参加している貴重なテイクだ。2曲目「風に吹かれて」は言うまでもなくボブ・ディランの代表的なプロテスト・ソング。最後に入っている「イマジン」は、ご存知の通り平和を願うジョン・レノンの曲だ。どちらも清志郎らしい言い回しの日本語詞になっている。
一方♪ラヴ・ミー・テンダー♪や♪サマータイム・ブルース♪は、原曲の歌詞から離れて日本語詞をつけている。痛烈な原発批判になっている2曲だが、だからといって原曲へのリスペクトがないわけではなく、思わず「替え歌」にしてしまうほど親しんだ曲だったのではなかろうか。そして、大好きなローリング・ストーンズやビートルズの曲を自分の書いた歌詞で歌ってみたいというミュージシャンなら当然思うことをそのまま実行した「黒くぬれ!」や「マネー」からは、生涯”ロック小僧”の清志郎と相棒の仲井戸”チャボ”麗市が飛び出してくる。10代の頃から二人はこんなことをしていたのではないかと想像し、そういう意味でも原点回帰的な作品かとも思う。いわゆる初期衝動を喚起して、少々停滞していたバンドの空気を活性化しようとしたのかもしれない。だが、この作品へのメンバーとの温度差がバンドの足並みを乱す一因にもなって、RCサクセションは活動休止へと向かっていく。
http://music-calendar.jp/2016082901

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