過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)


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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年06月07日(月)梅宮辰夫
②1977(昭和52)年06月07日(火)河野保人?
③1978(昭和53)年06月07日(水)マコ岩松?
④1979(昭和54)年06月07日(木)市川染五郎
⑤1982(昭和57)年06月07日(月)ジョーン・シェパード
⑥1983(昭和58)年06月07日(火)カール・セーガン?
⑦1984(昭和59)年06月07日(木)奈美悦子
⑧1985(昭和60)年06月07日(金)有島一郎
⑨1988(昭和63)年06月07日(火)増山たづ子?
⑩1989(平成元)年06月07日(水)欧陽菲菲
⑪1990(平成二)年06月07日(木)野際陽子
⑫1991(平成三)年06月07日(金)岩本恭生
⑬1993(平成五)年06月07日(月)酒井美意子?
⑭1994(平成六)年06月07日(火)志茂田景樹?
⑮1995(平成七)年06月07日(水)中村あゆみ
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑯1996(平成八)年06月07日(金)団しん也
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
 2001(平成13)年06月07日(木)杉良太郎
 2006(平成18)年06月07日(水)林文子
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 6月 7日(金) 熊井啓 |第回
 └─――――――――――――――――┘
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-6-7.html
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 |2006(平成18)年 6月 7日(水) 林文子 |第回
 └─――――――――――――――――┘「高卒OLがカリスマ経営者に」
 http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
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 |2010(平成22)年 6月 7日(月) ペギー葉山 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「幸運の衣装で再び快挙を」 「南国土佐を後にして」「ドレミの歌」など数多くの大ヒット曲を持つペギーさん。新曲「夜明けのメロディー」が、39年ぶりにオリコンランキングにチャートインし話題になっている。
この新曲のCDジャケットを飾る赤いドレスに秘められたドラマとは…。今年1月に腕を骨折したペギーさん。同年代の黒柳と共にケガ防止策の心得を語り合う場面も。  
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★CD「夜明けのメロディー」キングレコード株式会社  1200円発売中
★DVD「55th Anniversary Super Lady Live2007ペギー葉山」
「サウンドオブミュージック」の中の曲「すべての山に登れ」の曲だけ使用しました(コンサートDVDです)
 キングレコード株式会社  4300円発売中
★コンサート ペギー葉山コンサート~一歌一会~
6月26日(土)14:00~ 東京文化会館小ホール 予約・お問い合わせ 東京労音 03-3204-9933  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/100607.html
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 |2011(平成23)年 6月 7日(火) 園 まり |第8989回
 └─―――――――――――――――――┘「3人娘の友情に支えられて」中尾ミエさん、伊東ゆかりさんとともに「3人娘」を盛り上げる歌手の園まりさん。3人娘は、昨年の『徹子の部屋コンサートin日本武道館』に参加し、歌にトークに大活躍! その爆笑場面を紹介する。今年1月にくも膜下出血で突然、最愛の姉が他界した。悲しみと心労から、声が出なくなるというハプニングに襲われた園さんを支えたのも3人娘の"絆"だったという。 
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☆シングル『もう一度逢いたくて』  
 テイチクエンタテインメントより発売中
 TECA-12287/\1,200(税込)/シングルCD 
 TESA-12287/\1,200(税込)/シングルカセット 
☆園まり 「もう一度逢いたくて」 新曲発売記念ライブ 
 6月17日(金) 六本木・スイートベイジル 
 《開場》18:00 
 《開演》19:30 
 《料金》 6300円 (要1ワンオーダー) 
 《お問い合わせ》 STB139スイートベイジル TEL 03‐5474‐0139
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/110607.html
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 |2012(平成24)年 6月 7日(木) 木内みどり |第9245回
 └─――――――――――――――――――┘「夫の病気で人生見直し還暦を過ぎ」人生の節目である還暦を迎えた心境を語ってくれるのが、女優の木内みどりさん。アンチエイジングが求められる時代に反し、年齢を重ねる喜びを実感したいと語る。数年前に夫が心筋梗塞で倒れ、木内さんは仕事をセーブ。生活改善の努力が実り夫婦でドバイ旅行を楽しむまでになった。今年の春、一人娘は晴れて社会人に。初任給で贈り物を用意してくれたと明かす。 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/120607.html
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 |2013(平成25)年 6月 7日(金) 高橋真梨子、ヘンリー広瀬 |☆第9500回☆
 └─―――――――――――――――――――――――――┘「夫婦で苦難を乗り越えて」 「バラードの女王」こと高橋真梨子さんが20年ぶりに登場。「ジョニィへの伝言」など名曲を熱唱するライブの様子を紹介する。高橋さんは2011年、食べ物を全く受け付けられない状態に陥りながら、ステージに立ち続けた。そんな高橋さんを支えたのは夫のヘンリー広瀬さん。音楽上のパートナーでもある夫も加わり、互いを思いやる夫婦愛に迫る。 
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☆CD「高橋40年」 CD3枚組 3,800円 ビクターエンタテインメントより発売中 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130607.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2016(平成28)年 6月 7日(火) 国谷裕子 |第10265回 ※解説放送
 └─―――――――――――――――――┘「夫と家族の応援で…名物キャスターの素顔」民放番組に初出演となる国谷裕子さんを迎える。国谷さんは生放送で時代に鋭く斬り込む『クローズアップ現代』のキャスターを23年間つとめ、今年3月に卒業したばかり。いわゆる「NHKの顔」としてその活躍ぶりを知られるが、私生活に触れる事はなかった。以前から国谷さんのファンであった黒柳が解き明かす素顔は? 男性と肩を並べ、テレビジャーナリズムの世界を生きてきた2人の本音トークに乞うご期待!            
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20160607.html
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 |2017(平成29)年 6月 7日(水) 井ノ原快彦 |「大人気!“イノッチ”愛され笑顔のヒミツ」
 └─――――――――――――――――――┘親しみやすい笑顔で情報番組の司会者としても大活躍し、幅広い世代から支持されているイノッチこと井ノ原快彦さん。実は“おばあちゃん子”の井ノ原さん。99歳になる母方の祖母は、今でも冗談を言うと、ちゃんとツッコミを入れてくれるほど元気だと明かす。また、好奇心旺盛で、これまで様々な趣味を見つけてきたが、現在夢中になっている趣味を、自宅で撮影した写真と共に紹介する。更に人気アイドルグループ「V6」のメンバーである井ノ原さんに、「踊ってみて」と黒柳がまさかのムチャぶりを!? 
☆ドラマ「警視庁捜査一課 9係」6月7日(水)よる9時 最終回
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20170607.html
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 |2018(平成30)年 6月 7日(木) 津川雅彦 |
 └─―――――――――――――――――┘「追悼 朝丘雪路さん…夫が明かす妻への思い」
4月に亡くなった女優・朝丘雪路さんを偲び、45年間連れ添った夫の津川雅彦さんがスタジオで朝丘さんの思い出と現在の心境を語る。朝丘さんは「徹子の部屋」に過去8回登場。いつも華やかな姿と楽しい語り口で、家族のことを話してくれた。在りし日の朝丘さんの姿を珠玉の映像で綴る。津川さんと朝丘さんは長く別居するなど、決して順風満帆な夫婦生活ではなかった。また朝丘さんは数年前からアルツハイマー型認知症を患っていた…。自身の体調不良を押してスタジオに来てくれた津川さん、盟友黒柳にだからこそ、妻への想い、最期を看取った気持ちを明かす。
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20180607.html
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 |2019(令和元)年06月07日(金) 伊藤 蘭|
 └─――――――――――――――――┘「キャンディーズ解散から41年…再び歌を」
☆アルバム「My Bouquet」(マイ・ブーケ)発売:ソニー・ミュージックダイレクト
☆伊藤蘭 ファースト・ソロ・コンサート2019 6月11日(火)12日(水)東京ドームシティホール
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190607.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
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 |2021(令和二)年06月07日(月) 美川憲一 |
 └─―――――――――――――――――┘「“すっぴん”で初公開!これが私の「美容法」
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20210607.html
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 |2022(令和四)年06月07日(火) 平野レミ |
 |  &森山良子&清水ミチコ&吉行和子|
 |&冨士眞奈美&水谷八重子&波乃久里子|
 └─―――――――――――――――――┘「愉快な女友達!|」※解説放送
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20220607.html
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 |2023(令和五)年06月07日(水)    |
 |坂本スミ子&田辺靖雄&九重佑三子|
 |ジェリー藤尾 梓みちよ 永六輔  |
 └─―――――――――――――――┘「永六輔&中村八大「六八コンビ」の名曲」※解説放送
 https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20230607.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋

黒柳徹子 長寿番組「徹子の部屋」で頭からケータイ出す!? 
◆等身大フィギュアのお披露目式に出席した黒柳徹子。自慢の“タマネギ頭”からケータイを出す!? 
2013(平成25)年 5月15日(水)15:14 スポニチ
 東京・お台場のアトラクション施設「マダム・タッソー東京」で等身大フィギュアがお披露目された女優の黒柳徹子(79)が15日、司会を務めるテレビ朝日系の長寿番組「徹子の部屋」(月~金曜後1・20)の今後について語った。同番組で、黒柳は単独司会者長寿番組のギネス認定記録を更新し続けており、まもなく9500回を迎える。「ちょうど38年。当面は50年までできたらいいなと思っている。そしたら、私は90すぎになっちゃうけど、そこまでいけたら面白いなって。そうすれば、もっと皆さんにズバズバと深いところまで聞いていけるのかな」とまだまだ意欲満々。自慢の“タマネギ頭”から飴などを取り出すことでもおなじみの黒柳。「頭の中から飴を取り出すのって珍しいみたいなのよね。『ザ・ベストテン』でそれを見ていた人たちがお母さんになっているから、子役の方は“頭の中から飴ちゃん出ますか?”って必ず聞いてくるからあげてるの。大人の方には“心の清らかな方にだけお出ししてます”ってお出ししないんです」とニッコリ。「おせんべいも入れたことあるのよ。いろんなものが結構入るの。将来は『徹子の部屋』でゲストの方のケータイをここ(頭)に入れておいて、“お電話ですよ!”って出せたら面白いなと思っていて。それぐらいは入るわよ」と驚きのアイデアを明かし、報道陣を沸かせた。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/15/kiji/K20130515005809240.html

2013(平成25)年5月16日 長寿番組「徹子の部屋」 今後どうなる?「もっとズバズバ聞けるかな」 http://youtu.be/Y9tHGOEflEU
東京・お台場のアトラクション施設「マダム・タッソー東京」で等身大フィギュアがお披露目された女優の黒柳徹子(79)が15日、司会を務めるテレビ朝日系の長寿番組「徹子の部屋」(月~金曜後1・20)の今後について語った。同番組で、黒柳は単独司会者長寿番組のギネス認定記録を更新し続けており、まもなく9-500回を迎える。「ちょうど38年。当面は50年までできたらいいなと思っている。そしたら、私は90すぎになっちゃうけど、そこまでいけたら面白いなって。そうすれば、もっと皆さんにズバズバと深いところまで聞いていけるのかな」とまだまだ意欲満々だった。(ヤフーニュース)
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/16/kiji/K20130516005812830.html

『徹子の部屋』40年で放送1万回 最多出演はタモリさん…ではなかった! (1/4ページ)
 2015.6.7(sun) 07:15
「徹子の部屋」1万回の放送で、ギネス世界記録の更新認定証を受け取る黒柳徹子さん(右)
「徹子の部屋」1万回の放送で、ギネス世界記録の更新認定証を受け取る黒柳徹子さん(右)
【拡大】昭和57年には王貞治さん(左)が出演した
 ■「♪ルールル ルルル ルールル」のテーマ曲とともに始まるテレビ朝日系トーク番組「徹子の部屋」(平日正午)が放送1万回の節目を迎えた。放送開始から約40年。ゲストの魅力を引き出す自然体のトークは今も変わっていない。司会の黒柳徹子さん(81)は「1万回やって、ゲストの皆さんがただの一人もお越しにならないということがなかった。心からお礼を申し上げます」とコメントした。(本間英士)5月27日の放送1万回で、「同一司会者によるトーク番組最多放送」のギネス世界記録の更新認定証を持った記録員が登場すると、黒柳さんは目を潤ませた。その後、黒柳さんはゲストの近藤真彦さんと東山紀之さんに「今、40年なので、とりあえず50年までやりたい」と語り、さらなる記録更新に意欲を見せた。番組は、ワイドショー「13時ショー」の後番組として昭和51年2月にスタート。1回目のゲストは俳優の森繁久彌さんで、以後、多彩な顔ぶれのゲストが黒柳さんの元を訪ねた。多いのは芸能界からで、俳優の石原裕次郎さんや松田優作さんら“レジェンド”も登場した。長嶋茂雄さんらスポーツ選手、三笠宮家長男の寛仁親王殿下やエディンバラ公フィリップ殿下ら国内外の皇族・王族、伊女優のソフィア・ローレンさんや米歌手のレディー・ガガさんといった時代を代表する世界的スター、サッチャー元英首相ら政治家も出演した。
 ■テレビ番組に詳しい影山貴彦・同志社女子大教授(メディア論)は「テレビ放送の創生期から活躍する黒柳徹子という人が、さまざまな分野で歴史に残る人を招き、対話するということ自体が貴重。特に近年は、出演者の方から『是が非でも出たい』と思う数少ない番組の一つになっている」と評する。収録は放送の1、2カ月前。しかし、できるだけ編集を加えないのが番組の信条だ。平成15年から11代目プロデューサーを務める田原敦子さんは「黒柳さんには『編集でゲストの話をカットするのは失礼』というお考えがある。感覚的に生放送に近い」と話す。ゲストの選択は、約20人のスタッフが話し合いで決める「民主主義」。韓国俳優のペ・ヨンジュンさんや歌手の福山雅治さんら数少ない例外を除けば、黒柳さん自らゲストを指名することはないという。 ⇒ 番組の人気が保たれている理由は…
 ■大いなるマンネリ ⇒ なぜ、約1万回という長期にわたり、番組の人気が保たれているのだろうか。理由について、影山教授は「『私、動物と話せるのよ』など、ゲストが答えにくいことを言っても『あの人なら仕方ない』と許され、愛される。テレビ界でも希有(けう)な人」と、黒柳さん特有の「魅力」を指摘する。そのうえで、「決して偉ぶらないし、知らないことは『教えてくださる?』と率直に聞き、時には若手芸人からいじられるなど懐が広い。一方で、ゲストの“失言”には毅然(きぜん)と対応するので、安心して番組を見られる」と語る。番組が常に順調だったわけではない。田原プロデューサーによると、視聴率の低迷で少なくとも2度、打ち切りの危機があったという。それでも継続してきたのは、そのたびに「この番組はなくしてはいけない」との声が社内外を問わず、上がったためだ。同局の吉田慎一社長は同番組を「会社の宝」と表現する。田原プロデューサーは「基本的には、番組のスタイルが変わらないことの安心感を大切にしたい。『大いなるマンネリ』を続けることが視聴者から信頼をいただけているのでは」と話している。 ⇒ 加山雄三さん41回、タモリさんは39回
 ■加山雄三さん41回 最高視聴率14.5% ⇒ 最多出演ゲストは俳優の加山雄三さん。これまでに41回登場した。一昨年まで年末に登場していたタモリさんは39回だった。最高視聴率は昭和56年4月に俳優、三浦友和さんが出演した回の14・5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。前年に結婚した歌手、山口百恵さんとの新婚生活を語り、視聴者の注目を集めた。1回当たりの最多出演人数はウィーン少年合唱団で、先生や通訳も含め、約20人が登場した。「ヤマンバギャル」や「セーラームーン」のコスプレなどビジュアル的な面白さが話題になった回も。近年では、レディー・ガガさんらゲストの奇抜な衣装や、枠にとらわれないトークが人気のモデル、ローラさんとの“対決”がネットを中心に話題となった
 http://www.sankeibiz.jp/business/news/150607/bsj1506070715002-n1.htm
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 6月 7日(金) 熊井啓 |第回
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黒柳「映画監督の熊井啓さんです。よくいらしてくださいました。奥様のアキ子様がですね当時珍しいポプリと言うものをご研究で旦那様よりもずいぶん早くいただいてしまったんですけども(笑)。とっても大作の監督で社会派と言われていらっしゃるんですけども私が興味がありますのは去年お作りになった「日本の黒い夏」。松本サリン事件の河野さん。あの方がお気の毒なんですけども最初犯人だと言われてしまった。マスコミと警察の事をいろいろ描いてらっしゃるんですがベルリン映画祭の正式代表作品ということとカメラの特別功労賞をお取りになっている。」
※松本サリン事件=長野県松本市でカルト宗教団体がサリンを散布。当初事件と関係のない河野さんが犯人と疑われた。
熊井≪はい≫
「びっくりしたんですけども河野さんとのご関係が、まずお母さまが」
≪東京のジョコウシュをでまして最初に赴任したのが長野県の長野高等女学校でその時の校長先生が河野レイゾウ先生とおっしゃいまして母がお世話になっていたものですから僕は子供の頃しょっちゅうお使いに行ってたんです。≫
「ジョコウシュというのは今の御茶ノ水ですか。そこで先生にお成りになって一番先の赴任先の校長先生が河野レイゾウさんということで大変な植物学者でもいらしたそうです。この方のお家が河野さんの住んでいるあのお家だったんですか?」
≪はい、そうです。≫
「松本サリン事件の時にほとんど毎日のように(テレビに)写りましたよね。」
≪あの建物を見て「ああ!!これは河野さんの家だと思いました。≫
「今の河野さんはお孫さんに当たる?」
≪はい。養子という風に聞いておりますけども。≫
「あのサリン事件で河野さんが看病されている奥様のおじい様。映画を作りになるときにいろいろお気持ちはあったと思いますがあの河野さんがと」
≪そうですおしゃるとおりです。あの家風から犯人が出るわけがないと。≫
「すばらしい校長先生で植物学者としても素晴らしかった校長先生のお孫さんの旦那様がそんな事をするはずがないと。もちろんその後冤罪ということが分かったんですがお作りになるときはずいぶん力がこもったんじゃないですか?」
≪周辺に私の中学・高校の友達の家がたくさんありまして≫
「お育ちになったのが長野ですものね。それじゃあ(事件で)亡くなった方はいらっしゃらなかったんですか?」
≪(亡くなったのは)長野県外の方が多かったと聞いておりますけども。地元の方たちは軽い被害を受けた方が大勢いらっしゃいましたし、私の親戚にもそういう被害を受けた人もたくさんいますし松本(市)にとっては大変な事件でしたね。≫
「河野さんもこちらにお出でいただいたんですけどもお気の毒な事でしたよね。」
≪しっかりした方ですよね≫
「素敵な方でね。奥様は今だにまだ?」
※河野さんの奥様は事件後意識不明の状態が続いている
≪という風に聞いておりますけども。でも(河野さんは)仕事が終りますと毎日奥様のところに行ってその日のことを報告したり≫
「昔元気だった頃に2人でデートした場所に連れて行ったらだいぶ反応が良くなったとおっしゃっていました。意識が戻って昔のようになればいいと思っておりますけども。「日本の黒い夏」中井貴一さんが主演をなすってご覧になった方も多いと思いますけども。最初にお作りになった映画が”帝銀事件”。これもなんだか分からない平沢という人が捕まって」
※帝銀事件
≪似たケースですね河野さんの場合と。平沢の場合は1ヶ月近い拷問に近い取調べを受けましたから≫
「これは日活なんですね。日活は裕次郎さんがおでになるような映画も撮っていたしこういう社会派のものも撮っていたし」
≪異色作というこういう映画に大変力を入れる重役の方がいまして≫
「平沢という方が捕まった時はまだ10代?」
≪18でした。松本高校の1年生の時でした。≫
「お取りになったときは34ぐらいだったそうですけどもなにか青春映画というかご自分の青春時代にお撮りになった映画ということですけども。この帝銀事件では日本シナリオ作家協会の賞を本当にたくさんお取りになってらしゃるんですけども帝銀事件は日本シナリオ作家シナリオ賞と第一回ペザロ国際映画祭日本代表作品になってるんですね。それと「日本列島」というのをお撮りになってるんですけどもこれは占領下の三鷹事件、松川事件、下山事件と次々に起こったあの頃の事で日本映画監督協会新人賞、キネマ旬報脚本賞、最優秀監督賞。全部上げていくと時間がないんですけどもつまりこれだけ・・・今監督になって何でしたっけ?」
≪40年近くですね≫
「40年で18本お撮りになった。」
≪今度で19本≫
「これは多いほうですか?」
≪少ないと思います≫
「その代わり1つずつ外国での賞を取ってらっしゃるんですね。でも第一作からこんなに賞を一杯とってびっくりなさいませんでした?」
≪ええ・・・まあ・・・なんともいえません≫
「まあご自分ではおっしゃりにくいと思いますけども。まあそんなお若い時に帝銀事件というあの日活の派手な映画を作る中で異色作品といわれたそうですけども。そういうものをお撮りになってずっといらっしゃったんですけども映画を作ろうとお思いになったのはいつ頃から?」
≪やはり旧制高校の1年生ごろからでしたね。終戦直後外国の映画がたくさん入ってきまして出すね。フランス映画・イタリア映画世界中のいい映画が洪水のように入ってきまして非常に刺激になったんですね。≫
「あの頃見ましたよね。エビスホンジョウというのが恵比寿の駅前にありましてね。1日8本立てなんてあるんですよ。」
≪ほお~≫
「私その8本立てなんかを見ましたけどね。少し気持ち悪くなって。お弁当2つぐらい持っていかなければいけなくて。10時ぐらいから夜の10時ぐらいまで見るんですけども。熊井さんhが映画の世界にお入りになる面白い方なんですけどもお父様も面白い方なんですよね?」
≪ちょっと変わりすぎてましたけども。早稲田の文学部を出ましてそれで友達が朝鮮にいましたので≫
「韓国にいて」
≪新聞記者をずっとしてましてそれで(朝鮮は)住みにくかったと思うんですけども帰ってきまして≫
「非常に満州にお詳しかった?」
≪あの時代アジアのいろいろなところを見て歩きたかったんだと思いますけども日本のやり方があまりにもひどいんで帰ってきまして。戦争中も着流しでした。≫
「熊井さんは軍国少年でしたからお父様のそれがとっても嫌だったそうです。コマーシャルをはさみましてその変わり者のお父様の事をうかがわせて貰おうと思います」
≪≫
黒柳「そのお父様は日本は負けるぞとかおっしゃって。でも新聞記者から長野の清酒会社の重役になんかお成りになったっりしてるんですよね。着流しでっておっしゃいましたよね戦争中。着流しなんかで男の人がブラブラ歩いていると呼び止められたりしないんですか?」
熊井≪まあいろいろあったと思うんですけども僕は軍国少年ですからね父親の態度が異常に見えましてね親子喧嘩が耐えなかったですけどもね。≫
「「負けるぞこの戦争は」ってはっきりおっしゃたりする」
≪はっきりいうんですよ。それと(戦争から)帰ってきた兵隊から新聞記者ですからいろいろ情報を聞くんですよ。中国ではどうだったとか南方ではどうだったかとかそれを分析してたんですね。≫
「で防空壕とかにはお入りにならなかった?」
≪入らなかったですね。同じだって。爆弾が落ちれば入っていても同じだって。≫
「本当に大橋巨泉さんもそうなんですけどもお父様が負けるぞって。大橋巨泉さんも軍国少年だったので恥ずかしくて友達の手前なんかもどうしたらいいだろうっていうぐらい恥ずかしかったって。そういうお気持ちでしたか」
≪非国民ですよね。≫
「そのころ中学生でしたら飛行場とかで働いてらしたわけでしょう?」
≪陸軍の飛行場がありましてその飛行場を作りに行っていまして≫
「ああいうのは学徒動員というんでしたか」
≪勤労動員。今の松本空港です。であの近くには地下の軍事工場がありまして韓国や中国の人が来て相当の数≫
「多くの方が連れてこられて。」
≪飛行場にもだいぶ来てまして一緒に仕事をしてました。トロッコを押したり≫
「でお父様は戦争が終った時はどうなすったんですか?」
≪陛下の(玉音)放送を聞いて家に帰ってきまして座敷にひっくり返って寝てました。何もいわずに。「”耐えがたきを耐え”か」ってボソッと言っただけでした。母のほうは数学者でしたから日本が勝とうが負けようが数学の方が本分で≫
「お茶の水をおでになったお母様ですから数学の先生ですから。当時珍しいですね女性で数学の先生ですから」
≪ですから戦争が終った瞬間に教科書引っ張り出して計算してました。≫
「そういうところは女の人のほうが」
≪強いですね≫
「お父様は負けるぞと言っていても本当にそうなったら」
≪いざねえ≫
「それから日本がどうなるのかとかお考えになったんでしょうね。だからいつも映画をお作りになるときはお父様のそれと重なり合って」
≪まったく性格が違いますので、父は安曇野のトヨシナという町で生まれましてのんびりしたところですから結局そういう風に育ってしまったんでしょうね。≫
「景色のいい自然なとこで。お母さまは町の中で?」
≪はい。共通の話題というのは2人とも東京で勉強しましたんでその時の話だとかをいろいろしておりましたんですけども、こっちは全然知りませんでしたし日本が勝つか負けるかそっちの方が必死だったんで≫
「ですよねちょうど軍国少年の時代ですよね。でもそうかといって連れて行かれる特攻とかではなかったんだけども年代的にはいつ死んでもいいと育てられた年代ですよね。」
≪兄2人は出征していましたから≫
「2人とも出征してらしたんですか。(生きて)お帰りになったんですか?」
≪ええ、帰ってきました。上の兄は船舶に入りまして海上特攻に回されてもうちょっと(戦争が)伸びていたらダメでした。≫
「もう1人のお兄様は?」
≪サンポウヘイで金沢に行っていまして。上の兄は特攻ということで毎日毎日おいしいものを食べさせられて太って帰ってきまして、2番目の兄はサンポウヘイですから≫
「サンポウヘイって何をするんですか?」
≪山の清掃をする時の大砲です。≫
「山砲というのは山の大砲。しかもそれの練習をするときはみんな耳が悪くなるんですよね。アメリカなんかを見ますと耳のプロテクトをしますからね。そんなの無いですからね。寅さん(映画「男はつらいよ」)のたこ社長。あの方も大砲をやらされていて耳が悪くなってそれで声がああいう面白い声になったんですって。山田洋二監督にどうしてあなたは汽笛みたいな声を出すんですかって言われてましたけども(笑)。高射砲のせいなんだよっておっしゃってましたけどね。そうですかそんなのおやりになってたんですか。でもお帰りになったんでお母さまは安心されたと思いますけどね」
≪はい≫
「まあ1つ戦争があるといろんな風にみんなが巻き込まれるっていうことですね。」
≪ただ父が戦後いろいろ言った事を思い出しますと新聞記事をそのまんま信用するなとか、1つ引いて見なければ間違うぞとかですね≫
「それこそ去年の「日本の黒い夏」の河野さんの冤罪ですけどもあれはマスコミと警察のことを中心にお作りになったと聞いてますけどもやはりそういうお父様の」
≪はい≫
「お父様はご自分で書いてらっしゃるわけですからね(笑)」
※お父さんは新聞記者として嘘の記事を書いていた(本当は負けているのに勝っているとか)。
≪そうです。うそばかし書いてたんです。でないと新聞社として成り立ちませんから≫
黒柳「さっきもおっしゃいましたが思春期の時にアメリカからも映画が来て日本でもどんどん映画を作ってそういうピークの時にお育ちになって。映画のロケ隊が長野に来て。「聞けわだつみの声」のロケーションをご覧になって」
熊井≪「わだつみの声」のロケ地を探しにこられたんです。プロデューサーがこないだまで東映の会長をやっていた岡田シゲルさんなんですね。知的な青年将校みたいな感じで。俳優さんがきたのかと思いましたよ≫
「ああそう。」
≪それでロケーションの場所を探せということで案内してですね。それでずっとご一緒しまして。ところが6月にならないと青いものが出ないと。その時は3月でしたからそんな事をしてたら映画ができないというんで南の九州のほうでお撮りになった≫
「もう長野ではやんないと。その時にお知り合いになった方もいて助監督からお初めになった。こんどお作りになる映画が19本目で黒澤明監督がどうしても撮りたかった映画。これをお作りになったいきさつは?」
≪一昨年の秋頃「日本の黒い夏 冤罪」を完成しまして、黒澤プロの方からこの台本で撮ってくれないかということがありまして。それで10日ぐらい考えさせて欲しいといったんです≫
「脚本は第一項ができてたんですって?」
≪ええあの準備項といってありますけども。じっくり読んでみて原作も読んでみて僕に撮れるか撮れないか。それで何とかいけるかなと≫
「でも考えてみたら遊郭のお話というのは撮ってらっしゃらないですか?」
≪日本のですか?≫
「サンダカンはちょっとそうですね。」
≪それと深川の話ですから忍川が深川ですね。その2つがありましてね≫
「でお返事なさって。でも黒澤さんが生きてお撮りになったらどういう風に撮っただろうってお思いになりました?」
≪それを考える余裕も無かったですね。とにかく預かったものをちゃんと映画にしないというねえこれは監督同士の義務ですから≫
「でもものずごくリアリティーを追求なさった方で、カツラとかも大きすぎると昔は本当の毛で結っているんだからこんなに大きすぎるわけはないとかいつもいろいろおっしゃってますよね。でも今度の拝見するとみんな自分の毛で結っているみたいに小さい頭で」
≪いろいろ研究してやってくれまして≫
「それとお着物の責任者は黒澤監督のお嬢さんでカズ子さんが。」
≪はい≫
~VTR再生~
「びっくりしたのは奥田瑛二さんがでてたんですけども奥田瑛二さんと分からなくて見てたんですね。あんな悪い人の役で顔が全然違って見えて」
≪はい≫
「この映画は6月中に公開・上映されます。黒澤監督が撮りたかったという脚本の遺稿を残しになったものを熊井啓監督がお撮りになったものです。とってもハッピーエンドで。水がすごいですよね。どうもありがとうございます」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-6-7.html

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