『THE BEATLES IN SWEDEN 1963-1964』2CD+2DVD 9,800円(税込)
‡1963(昭和38)年10月24日(木) カープラン公演
1963(昭和38)年10月26日(土) 初登場ストックホルム公演音源
1964(昭和39)年 7月28日(日) 近年発掘されたストックホルム公演音源だけでなく映像も収録
http://www.teenagedream-record-3rd.net/?pid=90921603
音源◆Beatles - Swedish Radio Show - Part 1. https://youtu.be/BQ9HMIe_dJI
音源◆Beatles - Swedish Radio Show - Part 2. https://youtu.be/pBdKYV3abpw
音源◆Live at the Karlaplan Studios, Stockholm 19:21 https://youtu.be/FE1vKRrtVXI
‡24th October 1963
音源◆the beatles『SWEDISH RADIO SHOW』mono https://youtu.be/vbey0NA6vGU
‡October 24, 1963
音源◆The Beatles "Swedish Radio Show" (Live) [Complete Show] http://youtu.be/xx_VYQqmQuc
01. 00:00 "Introduction"
02. 00:46 "I Saw Her Standing There"
03. 03:36 "From Me to You"
04. 05:42 "Money (That's What I Want)"
05. 08:33 "Roll Over Beethoven"
06. 11:00 "You Really Got a Hold On Me"
07. 14:04 "She Loves You"
08. 16:35 "Twist and Shout"
This session was recorded live at Karlaplansstudion, in the center of Stockholm, Sweden, October 24, 1963
音源◆The Beatles - (BBC Radio Here We Go October 25 1962) #3 https://youtu.be/osEarGWKvr8
Love Me Do [NOT AVALIBLE]
A Taste Of Honey [0:00] (CUT)
P.S. I Love You [NOT AVALIBLE]
Sheila [NOT BRODCASTED]
‡RECORDED: 24 October, 1962 8:00 - 8:45 p.m.
TRANSMITTED: 25 October 1962 5:00 - 5:30 p.m.
ANNOUNCER: Unknown
PRODUCER: Unknown
The Beatles #3 BBC Appearance, first with Ringo. Only a excerp of A Taste Of Honey survived and Sheila was never broadcated.
The Beatles(ビートルズ)/THE BEATLES IN SWEDEN 1963-1964 【2CD+2DVD】
フォーマット:2CD + 2DVD with BOOKLET
コンディション(ジャケット/盤):NW/NW
備考:
■カープラン公演を既発盤より長いアップグレード音源で収録
■初登場1963年10月26日ストックホルム公演音源
■近年発掘された1964年7月28日ストックホルム公演音源だけでなく映像も収録
■スウェーデンに到着から帰国までのドキュメンタリー映像
■ドロップインを3回分収録
■スウェーデンツアーの写真をふんだんに使用した当時のブックレット付
●マニア必携Mクローデル・レーベルの中でも、特に人気の高いライヴ・クロニクル・シリーズの最新作が入荷します。今回も圧倒的なグレードアップと初登場音源に初登場映像を含む、同シリーズの名に恥じない素晴らしい内容です。今回は1963年と1964年の2度に渡って行なわれたスウェーデンツアーを集大成したもので、時系列に沿って実り多きスウェーデンでのビートルズを演奏のみならずオフステージを含め、残存するマテリアルを全て収録しています。
●ビートルズは1963年、「WITH THE BEATLES」のレコーディングを終えた後、初めてのスウェーデン・ツアーに向かいます。そこでラジオ出演、テレビ出演、コンサートと、短い期間に精力的に活動、その伝説は日本における武道館コンサート同様に、現在でもスウェーデンで語り継がれています。1963年の短期滞在が大歓迎に満ちたものであったこと、そしてパフォーマンスも充分に満足できるものであったこと(それは本作を聴いても納得できるものです)などの理由から、翌1964年にもスウェーデン・ツアーが組まれました。2年に渡るスウェーデン・ツアーにおいて、残存する音源および映像はそんなに多くありませんが、そのどれもがパフォーマンスのクオリティが高く、また音源&映像のクオリティも抜群で、アンソロジーに置いてもかなり時間をとって収録されていたほどです。
●CDのディスク1は、ビートルズのスウェーデンにおけるライヴ音源を中心に収録しています。まず最初は1963年10月24日カープラン公演です。1980年代にはオフィシャル・リリースされる予定であったという噂が真実であるかのような高音質ライヴ音源として古くから知られており、あの「海賊盤辞典」においても別格の扱いで紹介されていました。しかも、このコンサートは高音質であるだけでなく、その凄まじいばかりの熱気に溢れた名パフォーマンスとしても有名で、内容的には不完全であるものの、1995年アンソロジー・プロジェクトでやっと陽の目を見たライヴ音源です。本作に収録されているのは、まさにその完全版。さらに同じ完全版でも、既発盤においてはビートルズの演奏部分のみが収録されていましたが、本作は、わずかながら共演者ノースメンの紹介とアウトロダクションが初登場で収録された、より長い収録となっています。初登場部分があることからわかる通り、本編のビートルズ部分も既発盤よりジェネレーションが若くさらに音質が向上。この名演にして名音源の決定盤となっています。
●続いて、初登場音源として、1963年10月26日ストックホルム公演から、「I Saw Her Standing There」と「She Loves You」の2曲が収録されています。残念ながら両曲とも短い収録ですが、本作で初登場の貴重なライヴ音源です。続くDROP INは、映像でもお馴染みの音源で、ビートルズは4曲を披露しています。こちらは映像とあわせて楽しんでいただけたらと思っています。
●1964年7月28日ストックホルム公演は、近年になってスウェーデンのラジオ番組で「All My Loving」まず放送され、その明瞭な音源に驚かされたものでした。ポールのマイクばかりがオンでジョンのマイクがオフというバランスの悪いもので、このような不備から、おそらく公式にリリースされることはまずない貴重なライヴ音源です。その後、どういう経緯か、その全長版が流出しました。本作は、もちろん「All My Loving」のみならず、この1964年7月28日ストックホルム公演の全長版を収録しています。当日のセットリスト全てではないにせよ、このようにまとまった音源が21世紀になって流出したということがマニアには非常に衝撃なことでした。しかも内容的にも非常に興味深いもので、ビートルズは余裕たっぷりに、おふざけいっぱいに演奏している、ちょっと悪ノリ気味のライヴが楽しめます。
●CDのディスク2は、前述の1964年7月28日ストックホルム公演の「All My Loving」1曲が放送されて話題となったスウェーデンのラジオ・プログラムを完全収録しています。ストックホルム公演の「All My Loving」はこのプログラムの目玉として最後に放送されたものですが、それ以外でも興味深い内容のラジオ・プログラム。単にビートルズの曲を流すだけでなく、関係者のインタビューやライヴ音源を交えての、スウェーデン・ローカルとはいえ、よくこのような音源の放送を許可したなという驚きの内容です。ピートベストやシジミーニコルらに交じって、初めてビートルズのレコードをNEMSで買い求めたという伝説の人物、レイモンドジョーンズまでがインタビューに答えているのが特に興味深いところです。
●続いてDVDの紹介です。DVDのディスク1は1963年の映像を収録しています。初めてのスウェーデン・ツアーに向かうロンドン空港でのビートルズから、ストックホルムの空港に到着して、大勢のファンが出迎える中、車に乗ってホテルに向かう様子など、当時のニュース映像から貴重なドキュメンタリー映像を収録しています。特に1963年10月26日ストックホルムのコンサート映像は、短いながら超貴重なもの。その中でも「蜜の味」の演奏シーンは、同曲をライヴで演奏している唯一残されている映像です。「蜜の味」をステージで演奏しているビートルズです!! 翌1963年10月27日の映像は、前座の演奏から、ビートルズ登場、そして演奏シーンまで、なんと美しいカラー映像で収録されているのです。若々しい襟なしスーツに身を包んだビートルズの貴重なカラー・ライヴ映像です。
●後半は1963年10月30日に収録されたテレビ番組「Drop In」を2種のソースで収録しています。最初の「ALTERNATE VERSION」はビートルズのシーンのみですが、タイムコードが入らず、画質もアンソロジー収録と同様のハイクオリティのもの。そして「COMPLETE VERSION」はタイムコードが入り、画質は前者に若干劣るものの、当日の放送を完全収録しています。
●DVDのディスク2は1964年の映像が収録されています。前年に引き続き2度目となるスウェーデン・ツアー。こちらも、ストックホルムの空港で大勢のファン、そして吹奏楽団までがビートルズを歓迎する様子から始まります。記者会見ではフランクな私服姿でタバコを吹かしながら、足を投げ出し、非常にリラックスした様子で質問に答えています。そして注目は、近年ライヴ音源が流出した1964年7月28日ストックホルム公演の映像です。こちらも短い収録ながら、「あのライヴ音源」が収録された日の映像ということで、非常に感慨深く観る事が出来ます。
●続いて「PA Ne Sverigeturne」という、スウェーデンで制作された、スウェーデン・ツアーに特化したドキュメンタリー番組が収録されています。当時の映像をふんだんに使用し、スウェーデンでのビートルズの位置付け、当時の盛り上がりを振り返る素晴らしいドキュメンタリーです。貴重な映像、ファンが提供したと思しきフィルム、写真、そしてメモラビリアなどを散りばめ、さすが地元ならではのドキュメンタリーです。例えば日本公演の映像であれば、日本側が撮影したフィルムや当時の関係者の証言など、日本にしかないマテリアルがあるように、スウェーデン・ツアーを特集したスウェーデン制作のドキュメンタリーが存在するということは、非常にビートルズの歴史を残すという点で意義あるものとなっています。
●ディスク2の後半は、現存が確認されている「Drop In」、1963年12月1日放送分、1965年1月13日放送分の2回分を完全収録しています。ビートルズは出演していませんが、同時期のアーティストが数多く出演しており、当時のミュージックシーンを知る一級の資料となっています。「Drop In」はビートルズが出演した1963年10月30日放送分と、ここに収録の2回分、合計3回分のみ、フルで残っていることになります。注目は1963年12月1日放送分にペースメーカーズが出演している点でしょう。この時の映像から「How Do You Do It」が部分的に映像版アンソロジーに使用されましたが、本作にはその完全版のみならず、もう1曲「A Shot Of Rhythm & Blues」も収録されています。アンソロジーCDにはビートルズが演奏する「How Do You Do It?」が収録されていますが、このペースメーカーズの演奏の方が断然出来が良く、ビートルズのメンバーがノリ気でなかった、結局ボツになった理由が、この日のペースメーカーズの演奏から伺えます。
●最後になりますが、本作には当時のツアーの様子を特集したブックレットが全セットに付属します。これは当時のビンテージのレア・アイテムとして前述のドキュメンタリーでも厳かに紹介されていた、スウェーデンのみで発売されていた貴重なもので、残存数も少なくほとんと見たことがありません。内容はスウェーデンにおけるビートルズのステージ写真、オフの写真、ファンの写真など、当時の熱狂を余すところなく伝えてくれる充実したもので、スウェーデン公演の大切なスーベニアとなっています。
●Mクローデルのライヴ・クロニクル・シリーズ最新作は、1963年と1964年のスウェーデン公演を集大成。初登場音源と初登場映像、アップグレードを含むずっしり重い究極のセットです。全セットにスウェーデン公演の写真をふんだんに使った当時の特集号ブックレットを封入。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。スリップケース付。
DISC ONE
Karlaplans Studio, Stockholm October 24, 1963
01. Introduction by Klas Burling
02. I Saw Her Standing There
03. From Me To You
04. Money
05. Re-introduction The Norsemen
06. Roll Over Beethoven
07. You Really Got A Hold On Me
08. She Loves You
09. Twist And Shout
Kungliga Hallen, Stockholm October 26, 1963
10. I Saw Her Standing There
11. She Loves You
DROP IN October 30, 1963
12. Drop In Signature Tune
13. introduction by Klas Burling
14. She Loves You
15. Twist And Shout
16. I Saw Her Standing There
17. Long Tall Sally
18. Drop In Signature Tune
The Johnneshovs Isstadion Stockholm July 28, 1964
19. introduction
20. I Saw Her Standing There
21. You Can’t Do That
22. She Loves You
23. All My Loving
24. Roll Over Beethoven
25. Can’t Buy Me Love
26. I Wanna Be Your Man
DISC TWO
RADIO PROGRAM in SWEDEN
01. From Us To You
02. Introduction
03. Raunchy
04. That'll Be The Day
05. Ain't She Sweet
06. Raymond Jones Interview
07. My Bonie
08. Love Of The Loved
09. Ken Thompson Interview
10. Love Me Do
11. Pete Best Interview
12. How Do You Do It
13. George Harrison Interview
14. Love Me Do
15. Please Please Me
16. Ask Me Why
17. Beatles Introducing themself
18. Drop In Introduction - She Loves You
19. Paul McCartney Interview
20. Till There Was You
21. Rattle Your Jewerly
22. Komme Gimme Dine Hand
23. Twist And Shout
24. Fans Interview
25. Jimmy Nicol Interview
26. Beatles Interview
27. All My Loving
28. Beatles Interview
Klas Burling MEETS The Beatles
29. Interview #1
30. Interview #2
31. Interview #3
32. Interview #4
DVD DISC ONE 1963
DOCUMENTARY
01. London Airport
02. Stockholm Airport
03. Beatles’ Arrival #1
04. Beatles’ Arrival #2
05. Beatles’ Arrival #3
Kungliga Hallen, Stockholm October 26, 1963
01. A Taste Of Honey - She Loves You
Cirkus, Goteborg October 27, 1963
01. Opening Acts
02. Beatles Concert Footage
TV SHOW “DROP IN” October 30, 1963
ALTERNATE VERSION
01. Introduction
02. She Loves You
03. Twist And Shout
04. I Saw Her Standing There
05. Long Tall Sally
06. Drop In Theme
COMPLETE VERSION
01. Drop In Signature Tune
02. Leva Livet
03. Bossanova U.S.A.
04. Hully Gully Holiday
05. Save all Your Love For Me
06. She Loves You
07. Twist And Shout
08. I Saw Her Standing There
09. Long Tall Sally
10. Drop In Signature Tune
33. Interview #5
34. Interview #6
DVD DISC TWO 1964
DOCUMENTARY
01. Stockholm Airport #1
02. Stockholm Airport #2
03. Fans Waiting for The Beatles
04. Interview #1
05. Interview #2
06. Interview #3
The Johnneshovs Isstadion Stockholm July 28, 1964
01. Can’t Buy Me Love
02. Airport #1
03. Airport #2
Beatles P.A Ne Sverigeturne
01. Opening
02. Unknown Artist
03. London Palladium
04. Interview #1
05. Interview #2
06. Foto Martin Dyfverman
07. Foto Sture Karlsson
08. She Loves You
09. I Saw Her Standing There
TV SHOW “DROP IN” December 1, 1963
01. Drop In Signature Tune
Michael Cox
02. Stand Up
03. I've Been Thinking
The Telstars and Gals & Pals
04. Five Hundred Miles
Monika Lind
05. Jag Maste Ga I Skolan
Osten Warnerbring
06. Unknown Song #1
07. Unknown Song #2
GERRY & THE PACEMAKERS
08. A Shot Of Rhythm & Blues
09. How Do You Do It?
TV SHOW “DROP IN” January 13, 1965
01. Drop In Signature Tune
The Dee Jays
02. Farmer John
03. Long Tall Shorty
Git Hill
04. Downtown
05. Hundred Sixty
Bob Asklof
06. I Love You
07. I Who Have Nothing
The Honeycombs
08. Have I The Right
09. Is It Because
10. That's The Way
11. She's Too Way Out
12. Drop In Signature Tune
ALTERNATE VERSION
01. How Do You Do It?
9,800円(税込)詳細■http://www.teenagedream-record-3rd.net/?pid=90921603
DISC ONE
Karlaplans Studio, Stockholm October 24, 1963
01. Introduction by Klas Burling
02. I Saw Her Standing There
03. From Me To You
04. Money
05. Re-introduction The Norsemen
06. Roll Over Beethoven
07. You Really Got A Hold On Me
08. She Loves You
09. Twist And Shout
●CDのディスク1は、ビートルズのスウェーデンにおけるライヴ音源を中心に収録しています。まず最初は1963年10月24日カープラン公演です。1980年代にはオフィシャル・リリースされる予定であったという噂が真実であるかのような高音質ライヴ音源として古くから知られており、あの「海賊盤辞典」においても別格の扱いで紹介されていました。しかも、このコンサートは高音質であるだけでなく、その凄まじいばかりの熱気に溢れた名パフォーマンスとしても有名で、内容的には不完全であるものの、1995年アンソロジー・プロジェクトでやっと陽の目を見たライヴ音源です。本作に収録されているのは、まさにその完全版。さらに同じ完全版でも、既発盤においてはビートルズの演奏部分のみが収録されていましたが、本作は、わずかながら共演者ノースメンの紹介とアウトロダクションが初登場で収録された、より長い収録となっています。初登場部分があることからわかる通り、本編のビートルズ部分も既発盤よりジェネレーションが若くさらに音質が向上。この名演にして名音源の決定盤となっています。
9,800円(税込)詳細■http://www.teenagedream-record-3rd.net/?pid=90921603
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃♪You've Really Got a Hold on Me♪┃
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‡1963.10.24
『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』にストックホルムでのテレビ出演の際に演奏したテイクが収められている。のっけからジョンが歌詞を間違えているwもちろんではあるが4人の演奏なのでピアノは入っていない。
https://beatlesdata.info/2/10_youreallygotaholdonme.html
《 Single"Love me Do"から"Please Please Me"へ 》
1962(昭和37)年10月02日(火)に発表された「Love me Do」は、ブライアン・エプスタインにとって、そしてビートルズにとっては絶対にヒットさせなければならない曲で、彼はその為にあらゆることを考え、熱心に曲を紹介ます。彼の謙虚なところは「ビートルズはあくまでも自然な勢いで世間に知られて欲しい。この曲も同様で売り込むつもりは無い!」と明言し、「激しい売り込み」を否定する発言です。「Love Me Do」は大企業のロンドンのEMI社から発売されたと云うだけあり、全国に注目を浴びることとなります。「Love Me Do」と云う曲は、世間のイメージでは「かなり風変わりな曲」と言われることが多い中、発売当初のイギリスのヒットチャートでの記録は最高17位まで達しますが、大ヒットと云う訳には行きません。
‡1962(昭和37)年10月24日(水)の全国チャートでは48位となり少しずつ人々に浸透して行きます。ビルボード(Billboard)誌では、
1964(昭和39)年05月30日(土)に週間ランキング第1位を獲得、ビルボード誌1964年年間ランキングでは第14位、「キャッシュボックス」誌でも最高位第1位を獲得し、1964年度年間ランキングでは13位、アメリカでは100万枚以上のセールスを記録します。イギリスでは、デビュー20周年を記念して1982年に再発された時は最高位第4位となり最終的にはトータルで30万枚以上のセールスを記録することになります。このシングルはオリジナル盤・リイシュー盤ともに、パーロフォンの赤ラベルと黒ラベルが存在しており、オリジナル盤の方はいずれも希少価値の高いレコードで、特に黒ラベルは入手困難であり、ビートルズコレクターの間では人気アイテムとなります。しかし、ブライアンの回りは彼への心配が募り、忠告される日々を迎えます。「あんな若者たちと関わり続けると大変なことになる!」「音楽業界の連中など信じるな!」彼の両親に至っては「ビートルズがエルヴィス・プレスリーよりもビッグになるなんて信じられない!」と告げ、彼の将来を案じます。これらは、至極当たり前の接し方には違いありません。ジョージ・マーティンにもまた別の「やらなければならないこと」が存在し、それは、「マーティン自らが評価し、契約したリバプールの若者達が、間違いなく素晴らしかったと云うことの証明」です。それは言いかえれば、デビュー曲「Love Me Do」で注目を浴びたからには、次は彼らに大ヒット曲を与えなければならないと云う使命です。ビートルズにとって、「ジョージ・マーティンとの出会い」は必然ではあるものの「幸運」と云う言葉が適切でしょう。何も考えずに行動している者同士では、「普通」こうは行かないはずです。そして、ジョージ・マーティンは、ファースト・スングル「Love me Do」に続き、セカンド・シングルの候補を挙げます。マーティンは、一度封印した「How Do You Do It」を提案しますが、ビートルズはマーティンが用意したこの曲にまたも難色を示し、対抗曲として「Please Please Me」と云うオリジナル曲を提案します。今ならば多くの人が「なるほどあの曲ならば、ヒット間違いなしだ!」と納得されるでしょうが、ジョンが作ったこの曲はこの時まったくと云って使い物にならない作品で、マーティンはこの曲に違和感を覚えます。ジョージ・マーティンは語ります、「ビング・クロスビーの「Please」と云う古い曲からタイトルを引用した云う『Please Please me』を初めて聴いた時、ジョンはロイ・オービソン風のファルセット唱法で歌った。スローで、もても悲しげで、全く売れそうもなかったと感じた」。しかし、ジョージ・マーティン・マジックここから始ります。マーティンは「このままの曲調では使えないが、リズムをアレンジし、テンポを上げればヒットする可能性はある」と提案し、彼らも受け入れます。「Please Please me」はこうした経緯により、今私たちの前に現れることになります。
1962(昭和37)年11月26日(月)、ビートルズはEMIスタジオ(通称:アビーロード第2スタジオ)で「Please Please Me / Ask Me Why」を録音をすることになるのですが、その前にこの曲の注目すべき点を少し書かせて頂きます。この曲をモニターヘッドホンなどで聴いて頂くとよく分かるとは思いますが、ベースとヴォーカルそしてコーラスが結構複雑な構成で仕上げられています。演奏全体の印象としてジョンの素晴らしいハーモニカが目立ち、ギターの音が聴き取りにくい感じに仕上がっています。ここで注目べきはポールのベースとジョージのギターで、「Come on」のコードA ⇒ F#m ⇒ C#m ⇒ A のところでは、ジョージが意図的に「Come on」に合わせ BとC#を弾き、ポールのベースが3回目のC#mのところでは、主音と5度の音をひっくり返し G# ⇒ C# と弾いていることです。これはビートルズの音創りが当たり前でない証拠で、簡単ではありますが、工夫を凝らしています。エンディングの E ⇒ G ⇒ C ⇒ B ⇒ E と云うコードも曲の終わりを意識させる音創りの奥深さが感じられます。そしてボーカルでは、曲の冒頭の「Last night I said these words to my girl」と云う個所のメロをポールはEの音だけで歌い、ジョンはそのEの音から D# ⇒ C# ⇒ B と移って行き、ポールの少し揺れながらの声とジョンの安定した声がマッチし、素晴らしいハーモニーを作り出しています。また、3部にコーラスになる部分でもジョンとポールの高低音パートが入れ替わり、その下をジョージがコーラスをつけています。このように3人同時に歌う個所では互いが意識してトーンを近づけている感が強く、完全に一つの固まりでスピーカー(ヘッドホン)から飛び出てきます。デュエットになるエンディング「Please please me, who, yeah, like I please you…」の部分も「please」と「you」の高低音がジョンとポールで入れ替わります。この複雑な入れ替わりハーモニーと3部コーラスは、ビートルズの大きな特徴で、後に発表される「From me To You」や「I Wont Horld Your Hand」などでも多用されることとなります。サビのところのジョンのボーカルの合間に「In my heart」とバックが入りますが、これもこの曲で重要な雰囲気作りの個所で、マーティンのアイデアかもしれません。(ビートルズ大研究から引用)
1962(昭和37)年11月26日(月)、ビートルズはロンドンのセント・ジョンズ・ウッド・アビー・ロード3番にあるEMIスタジオ(通称:アビーロード第2スタジオ)での3時間のレコーディング・セッションを行い、セカンド・シングル「Please Please Me / Ask Me Why」の録音を開始します。1時間のリハーサルが用意されていたため、ビートルズは午後6時にスタジオに姿を現します。そして、午後7時、「Please Please Me」のレコーディングが開始されます。まずは、あの印象的なハーモニカ抜きで録音されます。それは、この曲は歌いながらハーモニカを吹くことができる構成ではないからで、そのパートはその日オ-バーダブされます。ハーモニカの編集用を含め『Pleas Pleas me』は18テイク録音されます。レコーディングが終了すると、ジョージ・マーティンはトーク・バックを使いこう叫びます、「初のナンバー1ヒット曲、間違いなしだ!」。「Please Please Me」収録後、ビートルズはB面「Ask Me Why」のレコーディングに開始します。この曲は、6テイクを録り、これにてこの2曲は完成に至ります。マーティンは放った「初のナンバー1ヒット曲、間違いなしだ!」と云う言葉の奥には、マーティンの想いと予感が多分にあったのでしょう。
1962(昭和37)年10月30日(火)、「Please Please me / Ask Me Why」のリミックス作業は行われます。この日はまず「Please Please Me」がミックス・ダウンされ、そのモノラルミックスはシングル盤とアルバム「Please Please Me」の両方に収録、その後「Ask Me Why」の第6テイクがモノラルにミックス・ダウンされます。この作業の開始・終了時間は記録に無く、またビートルズは、昼はキャバーン・クラブのランチタイムショーに出演し、夜はニュートン=ル=ウィローズのタウン・ホールに出演していたため、この場にはおらず、リミックス作業に参加するようになるのは、ずっと後の話になります。このシングルは
1963(昭和38)年01月11日(金)に英国で発売されますが、メロディ・メーカー紙、NME紙、ディスク紙では確かに発売6週間でNo.1を獲得します。しかし、、ニュー・レコード・ミラー紙 (New Record Mirror) が指標としていたレコード小売店チャートでは2位どまりとなり、正真正銘のNo.1をビートルズが獲得するのは「From Me To You」以降となります。ジョージ・マーティンは語ります、
「自分が高く評価したビートルズは、E.M.I.では評価されなかった。ビートルズとEMIの契約に関しては、トップも批判的で、保守的な考え方の持ち主である宣伝部長も『マーティンは「今まで見たことのない可能性を秘めているグループ」だと言うが、ビートルズには何の将来性も見い出せない!』と言う始末だった。」。ビートルズのデビュー曲「Love Me Do」は、E.M.I.としてヒットさせようという努力がなされず、放置とも云える状態になります。いつの世も、グループやレコードをヒットさせるためには、当然、大変な企業努力が必要であり、全国的に宣伝するには、かなりの出費を覚悟せねばなりません。当時の宣伝部長はあまりにも保守的過ぎて、その決断ができなかったと云うことです。「Love Me Do」がごく限定されたラジオでのオン・エアしかされなかったのは、このような背景があったせいだと推測されます。ブライアン・エプスタインは、ほとんど宣伝しようともしないE.M.I.に失望し、マーティンに相談します、
「ビートルズの次の曲は出版社に話を持ちかけて、そこで宣伝してもらうようにしたい」。E.M.I.の宣伝部門が殆ど動いていなことの知ってたマーティンは、冷静かつ積極的にアドバイスします、「ブライアン、僕はアメリカの会社よりもイギリスの会社の方がいいと思うよ。出来れば、とてもハングリーな人間がベストだ。ビートルズや君のために一生懸命やってくれる会社を探すんだよ。」。エプスタインはマーティンに告げます、
「僕はエルヴス・プレスリーの曲を出版している“ヒル&レンジ社”との契約を考えいる。あなたはどう思いますか?」、それを聞いたマーティンは、「ヒル&レンジは、君達がいなくても全然困らない。彼らにはエルヴィス・プレスリーがいるから、君達はきっと重要視されないと思うよ」とブライアンに再びアドバイスします。エプスタインは、ヒル&レンジ社の他にこれと云う会社に心当たりが無く、ここでもジョージ・マーティン相談するとことになります。エプスタインは語ります、
「これまで事あるごとに僕たちに幸運をもたらしてくれたジョージ・マーティンに話しを聞いてもらうしかなかった。彼はアメリカの出版社の人間とイギリスの出版社二人、計三人を紹介してくれた。」。そして、マーティンの紹介で、イギリス資本の出版社を経営する“ディック・ジェイム”に話を持ちかけることとなります。ディック・ジェイムズは、マーティンととても親しい間柄で、ビートルズのデビューにふさわしい曲をマーティンが探している時、「How Do You Do It」を提供してくれた人物であり、マーティンのプロデュースの下、歌手活動の経験も積んだ人物で、テレビドラマの主題歌をヒットさせことも多々あり、二人は強い信頼関係で結ばれていたのです。ディック・ジェイムズは語ります、
「ジョージ・マーティン氏がその依頼で僕に電話してきた。尊敬する彼が選んだグループなので、素晴らしいことは間違いないはず、使用できたよ。」。この時、エプスタインも独自で動いており、EMI傘下の子会社の出版社の幹部と会う約束を取り付けますが、約束の時間にその会社を訪れた彼を、担当者は30分近く待たせます。エプスタインは語ります、
「約束を守れない人間ではダメだと判断し、その会社の秘書にその旨を伝え、その足でディック・ジェイムズの会社に向かった」。
★マーティンとブライアンの間に居るのが「ディック・ジェイムズ」です。ディック・ジェイムズの会社に向かったブライアンは、彼のオフィスに、約束の時間より随分早く着いてしまいます。ブライアンは受付の女性に、
「ここで待たせて頂けますか」と告げると、彼女はジェイムズに連絡し、ジェイムズは待っていましたとばかりにオフィスから現われ、ブライアンを笑顔で迎えます。ディック・ジェイムズは、マーティンの云うところの「まさにハングリーな心情で、ブライアン、そしてビートルズのために全力を注いでくれる存在」だったようで、歌手としてそれなりのヒット曲も出した過去もあり、曲を作り上げる仕事にも係わりそこでもヒット曲を生み出し、約1年前に現役を引退し、出版社として独立したばかりの44歳の彼へのオファーはチャンスとも云える出来事だったのです。ディック・ジェームズは語ります、
「あの時、すぐに、出来たばかりのシングルレコード『Please Pleas me』を聴かせてくれとブラインに告げたんだよ、聴き終えた僕は感動したね。これは行けると思ったよ。」。彼もまた、ヒット曲を見い出す才能に長けた男だったと云うことです。この時、ジェイムズは思いがけない行動をとります。エプスタインが長期契約の話を持ちかけた時、「please please Me」が間違いなくナンバーワンになると信じたジェイムズはその場で歌手だった頃の友人関係や各方面に電話をかけ始めます。エプスタインはじっと見守ります。ジェイムズはフィリップ・ジョーンズと云うテレビ番組のプロデューサーに電話し、頼みごとをします、「リバプール出身の素晴らしいグループがいる。彼らを土曜のショーに出演させてくれないか」。しかし、一流のプロデューサーであるジョーンズはこう返答します、
「如何に友人と云えど、自分で彼らの実力を確認するまでは、予定を変更してまで特別に出演させるわけにはいかない」。しかし、それで引き下がるジェイムズではありません。彼は、「Please Please Me」を電話を通して聴かせると云う行動に出ます。これは、如何に彼が「Please Please Me」に感激したかを物語ります。曲を聴き終えた友人ジョーンズは即答します、
「とても素晴らしいサウンドだ。合格だよ!今週の土曜のショーに出演させよう!」電話を終えたジェイムズはブライアンに伝えます、
「彼らの土曜の予定はどうなっている?空いているか確認して欲しい。テレビに出られるんだ!」そしてビートルズにジョーンズが担当する全国ネット人気番組「サンク・ユア・ラッキー・スターズ」の
1963(昭和38)年01月13日(日)の出演予約が入ることとなります。そして、周りの人を巻き込む奇跡がとうとう起こり始めます。
1963(昭和38)年01月13日(日)の人気TV音楽番組『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』への出演は、ビートルズにとってこれまででもっとも重要なことだと云えるしょう。『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』とは、ABCテレビがTVネットワークのために制作し、ミッドランドと北イングランドのエリアで放送され、撮影収録にはABCとATVの共同所有のバーミンガム・アストンにある「アルファ・スタジオを使い、ミッドランドでは平日に、ロンドンでは週末に放映される番組です。この日ビートルズはその「アルファ・テレビジョン・スタジオ」で演奏、収録します。当時の『サンク・ユア・ラッキー・スターズでは、通常出演者はスタジオの観衆を前にレコードに合わせてリップシンク (くちパク)するのが恒例で、1961年4月から出演している多くのミュージシャン同様、7組の出演者リストの最後の出演リストに書かれたビートルズも「Please Please Me」をリップシンクし、この時の収録は6日後の
1963(昭和38)年01月19日(土)にオンエアされます。番組での彼らの登場部分は前半最後で、CMの直前と云う記録が残っています。当時『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』は非常に人気の高い番組で、前述通りビートルズが出演できたことは、大事件とも云え、また、彼らの出演を演出したディック・ジェームスは、ビートルズの曲を管理するようになってから巨万の富を蓄積することとなり、彼にとっても一大事件だと云うでしょう。そして、このTV出演が起爆剤となりビートルズの快進撃は始まります。下記写真は、
1962(昭和37)年09月下旬の水曜日、
1962(昭和37)年09月19日(水)、
1962(昭和37)年09月26日(水)、リヴァプール埠頭周辺の倉庫にて、写真家レス・チャドウィックによって撮影されたものです。そしてついに、
1963(昭和38)年02月07日(木)、ビートルズは待望のセカンド・シングル「Please Please Me / Ask me Why」をリリースします。この曲の販売権のオファーを受けていたE.M.I.のアメリカ・レーベルである「Capitpl Record」は突然その権利を辞退することをE.M.I.に申し出ます。その後販売権は、国外のマスターをアメリカのレコード・レーベルに移すことを業務にしているE.M.I.系列子会社「Transglobal」に委託され、「Transglobal」は、「Atlantic」にオファーをするも受けてもらえず、最終的に「Vee-Jay」がアメリカでの販売を引き受けることになります。これが、アメリカでのデビュー・シングルとなり、イギリスでは
1963(昭和38)年02月25日(月)、日本では
1963(昭和38)年03月04日(月)のリリースとなります。面白いことに、最初のプレスでは「The Beattles」と記載されます。このシングルはイギリスのレコード・リテイラー、ミュージック・ウィークでは最高2位、メロディー・メイカーで2週連続1位、ニュー・ミュージカル・エクスプレスで3週第2位、イギリスでは35万枚のセールス記録、アメリカのビルボード(Billborad)誌では、
1964(昭和39)年03月14日(木)に、週間ランキング最高位の第3位を獲得し、ビルボード誌1964年年間ランキングでは第36位、『キャッシュボックス』誌でも最高3位を記録し、年間ランキング37位を獲得します。尚、B面には、イギリスでは3枚目のシングルとなった「フロム・ミー・トゥ・ユー」が収録され、アメリカでは100万枚以上のセールスを記録ます。イギリス本国でのシングル盤はオリジナル盤・リイシュー盤ともに、パーロフォンの赤ラベルと黒ラベルが存在しており、オリジナル盤はいずれも希少価値の高く、特に赤ラベルのほうが入手困難であり、ビートルズ・コレクターの間では人気アイテムとなります。作曲クレジットは前作のLennon-McCartneyからMcCartney-Lennonに変更された。この表記はアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』を挟み次作シングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」まで使用されることとなります。
<ポールが語る"Lennon=McCartney"の曲作りについて>ビートルズのオリジナル曲の8割は作曲者が「レノン=マッカートニー(Lennon=McCartney)」とクレジット(Credit)されています。ジョンとポールが作曲を始めたのはまだ学生だった10代の頃で、二人は良く学校をさぼりポールに家に行き、曲のアイデアを次々とノートに書き留めて行きます。
「レノン=マッカートニー(Lennon=McCartney)」と題されたそのノートは、現在ポールが所有しています。アメリカのソングライターチーム、「ゴフィン=キング(Goffin=King)(ジェリー・ゴフィン=キャロル・キング)」に憧れた二人は、純粋に二人で共作した曲も、片方がメインでもう片方が手伝った曲も、どちらか一方が書いた曲も、全て「レノン=マッカートニー(Lennon=McCartney)」で発表しようと約束します。この取り決めは1970年のビートルズ解散まで貫かれ、1969年のジョンのソロ「平和を我等に(Give Peace a Chance)」にまで適用されます。興味深いことに、デビュー直前の一時期に限って「マッカートニー=レノン(McCartney=Lennon)」と云うクレジットが使われており、確かな理由や経緯は明らかにされていませんが、1963年7月のシングル「シー・ラヴズ・ユー(She Loves You)」以降は順序が決められ、ジョンの名前が先に来るようになります。ポールは語ります、
「僕とジョンは学校をさぼって、良く僕の家でギターを掻き鳴らしていた。父は働きに出ていたからここが一番いい場所なんだ。パイプに紅茶を詰め込んで吸ったこともある。味は良くなかったけど、大人の気分を味わっていたんだ。二人でアコースティック・ギターを持って、向かい合って吸った。曲を作ろうと自分の心を見つめる代わりに、目の前でプレイするジョンを見ている。まるで自分自身を映す鏡を見てるかのような、最高の時間だった。僕らは一緒に曲を作った。僕がノートに書きつけたタイトルはいつも『アナザー・レノン=マッカートニー・オリジナル(ANOTHER LENNON = MCCARTNEY ORIGINAL)』だった。次のページも『アナザー・レノン=マッカートニー・オリジナル』なんだ。ノートには歌詞とコード・ネームをメモしてるだけだ。カセットテープなんかまだなかったし、グランディグ社のテープレコーダーなんか買う金もなかった。だからメロディは頭に入れておかなければならない。バック・コーラスのところには"oh-"と云う印を付けた。他に書き方を知らなかったんだ。テープレコーダーを持っている友達がいたけど、僕らは録音することはほとんどなかった。まだ僕らが自分たちの曲に入れ込んでなかったせいもあるけど、ジョンと僕の間に、自分たちが覚えられないような曲を他の人が聴いて覚えられるわけがないと云う暗黙の了解があったからなんだ。」。(書籍『Beatles Gear』抜粋参照)
https://beatles-in-ashtray.jimdofree.com/1962-%E5%BE%8C%E5%8D%8A-08-16-11-26/