過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の英米のヒットチャートだヨ(=^◇^=)

 

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    ┃ 洋楽データベース版:今日は何の日? ┃
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 今日は┃6┃|月|┃26┃|日|です④(=^◇^=)
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 https://yougaku-data.com/res/today-what.php?SY=2019&M=6&D=26
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 ┃ テレビのステレオ放送 ┃現代の驚異◇ステレオ http://youtu.be/5O6aXm3oJ6E
 ┗━━━━━━━━━━━━┛1952(昭和27)年12月11日(木)、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で演じられたオペラ『カルメン』をケーブルテレビ方式で全米各地の劇場に放送し、それにRCAの開発したステレオ音響システムが使われた[35]。1958年から1959年には、ABCネットワークが75の受信エリアで音楽番組 The Lawrence Welk Show を何回か実験的にステレオで放送した。このときは一方のチャンネルをABCのAMラジオネットワークで放送した[36][37]。1958(昭和33)年10月21日、NBCも同じようにテレビとラジオのネットワークを使い、The George Gobel Show という番組の中で3分間だけステレオ放送を行ったことがある[38]。1959(昭和34)年1月30日、ABCは Walt Disney Presents の番組枠で The Peter Tchaikovsky Story のステレオ放送を実施した。これはディズニーのアニメ映画『眠れる森の美女』の場面を使ったもので、ABCはAM局とFM局を動員して左右の音声チャンネルを放送した。●1984(昭和59)年6月26日、NBCが部分的にこれを使ったステレオ放送を開始した(ただし、ニューヨーク局のみ)[42]。定期的なステレオ放送は1985年になってからであるヨ(=^◇^=)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA#.E3.83.86.E3.83.AC.E3.83.93.E6.94.BE.E9.80.81
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 ┃ マイケルとSMAPのスマスマホットミーな関係 ┃(=^◇^=)ゞ
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 |2005(平成17)年12月26日(月)|スマスマ年末の4時間半スペシャルで
 |2006(平成18)年 5月31日(水)|pm10時過ぎ SMAPとマイケルが初御対面
 |2009(平成21)年 6月26日(金)|マイケル他界
 |2009(平成21)年 6月29日(月)|SMAP×SMAP追悼特別企画ありがとうマイケル・ジャクソン
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 映像①◆http://youtu.be/op8avVvVul8
 
 映像②◆http://youtu.be/cwgAAMPUMmU
 
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①┃ コロネル・トム・パーカー大佐とは何者か? ┃EJ第2200号
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛1955(昭和三十)年11月21日のことです。エルヴィスは、サン・レコードからニューヨークに拠点を持つ世界的レーベル、RCAビクターに移籍したのです。移籍料は当時としては3万5000ドルという破格なものだったといわれます。 このRCAビクター移籍を実現させた立役者は、トーマス・アンドリュー・パーカーという人物――この男は、パーカー大佐と呼ばれており、生涯エルヴィスにつきまとうことになるのです。 なぜ、パーカー大佐と呼ばれるかですが、パーカーというのは彼の本名ではないのです。大佐というのは敬称であり、自分を偉そうに見せるための肩書きとして使っていたに過ぎないのです。 彼はどこの国の市民権も持たないオランダ人亡命者であり、本名は、アンドレアス・コーネリス・ファン・クーイクというのですが、このアイデンティテイは既に捨てていたのです。 彼は米国にやってきて国籍を取得する目的で軍隊に入り、1929年~1932年まで、第64沿岸砲兵部隊で任務に従事し、米国の国籍を取得しています。パーカーという名前はそのときの上官の名前をそのままパクッタのです。 彼は国籍を取ると、早速ビジネスを始めます。最初はサーカスとカーニバルの世界に入り、辣腕を発揮して、巡業団を立ち上げ興行師として成功しています。第2次世界大戦後は、カントリー歌手のマネジメントに乗り換えて、エディ・アーノルドやハンク・スノーを大物スターに育て上げています。そのマネジメント能力は優れており、その業界では有名な存在だったのです。 そして、パーカー大佐は、1954年から1955年にかけて彗星のごとく出現したエルヴィスに目をつけたのです。「これは良い商売になる」と考えたわけです。そして、エルヴィスに近づき、エルヴィスと当時マネジャーをしていたボブ・ニールに、大きな仕事をとってプロモートし、もっと有名にしてやるといい、そのための契約をしようと迫ったのです。 当時、エルヴィスには仕事の話が多く舞い込み、その活動範囲が拡大して、サム・フィリップスのサン・レコードではとうてい捌き切れない状況になっていたのです。パーカー大佐はサン・レコードのそういう状況を見て積極的に動き、エルヴィスをサン・レコードから、RCAビクターに移籍させたのです。地方レーベルからメジャー・レーベルへの移籍であり、エルヴィスの価値が大きく上がったことは確かです。しかし、そのとき、パーカー大佐がエルヴィス側に突き付けた契約条件はエルヴィス側にとってきわめて不利なものだったのですが、エルヴィスの両親はその条件を受け入れています。この間の事情について、前田絢子氏は次のように書いています。
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エルヴィスのキャリアの最後までマネジメントを独占したパーカー大佐の評価は二つに割れる。エルヴィスを食い物にしつづけた貪欲な商人とするものと、エルヴィスを大スターに仕立てた有能なマネジャーというものだ。パーカー大佐の取り分が、最初の契約では収益の25%だったものが、1967年の契約更改では50%という異常な数字に跳ね上がっている事実を併せ考えれば、その両方が正しかったということになる。――前田絢子著/角川選書/413『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
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エルヴィスについて語るに当たって、パーカー大佐という大物マネージャーにふれないことは困難です。なぜなら、エルヴィスの1955年のRCAビクター移籍以来、エルヴィスの行動はほとんどパーカー大佐によってコントロールされていたといっても過言ではないからです。ひとつ例を上げましょう。エルヴィスはあれほどの大スターになったにもかかわらず、なぜ日本にきていないのでしょうか。それどころか、エルヴィスがショーを行ったのは、米国以外ではカナダだけなのです。どうしてなのでしょうか。本当のところは闇ですが、パーカー大佐がエルヴィスの海外公演を許さなかったというのが本当の理由ではないかと思われます。ある説によると、パーカー大佐はオランダ人で不法滞在をしていて、いったん米国から出たら、再び米国へは帰れなくなるからではないのかという話があるのです。しかし、パーカー大佐は米国国籍を持っており、別に米国から出ても帰れなくなることはないと思うからです。しかし、エルヴィスが42歳の若さで死んだこととパーカー大佐の存在は無関係ではないと考えるのです。これについてはやがて明らかにしていくつもりです。さて、パーカー大佐はどういう風貌をしていたのでしょうか。添付ファイルには、おそらくパーカー大佐と思われる人物の写真を付けていますが、既出のボビー・アン・メイソンによるパーカー大佐についての記述をご紹介します。
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彼は禿げかかった肥満男で、歩くというよりは、よたよたすると常に評される男だった。奇妙な帽子をかぶり、だらしない衣装を身につけ、葉巻を吸った。彼は人前でもシャツ姿だった。騒々しく愛想がよく、文字通り口の端で、奇妙な言語障害にも見える話し方をした。実際のところそれは彼のオランダなまりの名残だったが、誰も彼がオランダ人とは知らなかった。――ボビー・アン・メイソン著/外岡尚美訳『エルヴィス・プレスリー』より。岩波書店刊
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 エルヴィス側がパーカー大佐と結んだ契約は、ボビー・アン・メイソンによれば、「年季奉公」の契約書のようなものだったのです。それなのに、どうしてエルヴィスはこの契約を受け入れたのかについては、エルヴィスサイドのいろいろな事情が存在していたのです。――[エルヴィス/12]
≪画像および関連情報≫
・サム・フィリップスのエルヴィスへの思い/2003年没
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むろん、ジミー・ロジャーズやハンク・ウィリアムズも悪くはないだろう。……知ってのとおり、私は大のロジャーズ・ファンだ。……ハウリン・ウルフほど深いところまで、食いこんではこないにしても。ただ、ウルフを筆頭とする偉大な
ブルース・シンガーたちからは、もうとにかく絶対的に真実で、南部の人間たちが、白人、黒人を問わず経験してきた暮らしにとことん密着した何かが感じ取れる。そういう一番基本的なもろもろを思い出させてくれる男の魂が死ぬなんてことは、絶対にありえないんだ、そうだろう?その手のことは買ってきた本で覚えられるようなもんじゃない。現場に居合わせなきゃ駄目だ。私もたぶん解かってると思う。それはいつまでも心の中にある。絶対に忘れない。絶対に忘れられない。――サム・フィリップス ――http://homepage3.nifty.com/cross-may/impre48.htm
 http://electronic-journal.seesaa.net/article/64808184.html
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 ┃ キング・オブ・ロックンロール エルビス・プレスリー物語 ┃
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②|[19]やり手のマネジャー現れる|
 └─―――――――――――――┘エルヴィス・プレスリーの初期の成功に関わったもう一人の人物が、コロネル・トム・パーカーだった。以前は劇場やカーニバルでの客の呼び込みをやっていた。その後、カントリー・ミュージシャンのマネジャーに転職した男である。本名はアンドリア・コメリアス・ヴァン・クジクでオランダのブレダで●1909年6月26日に生まれた。彼は1929年までそこで住み、米国へ不法移民でやってきたので名前をトム・パーカーと名乗り、生まれをウェスト・ヴァージニアのハンティントンと言っていた。(エルヴィスはヨーロッパや日本へコンサート・ツアーを行ったことがなかった。パーカーは不法移民だったため、強制送還を恐れてパスポートを取得出来なかったからである)パーカーは、1929年から1932年の3年間、陸軍の第64沿岸砲兵部隊の任務に就いていた。彼は除隊後の1932年にマリー・モット・ロスと結婚した。
それから、フェアーやカーニバルの呼込師として働き始めた。そして彼はペテン師(詐欺師)でもあった。彼にはもっと不名誉な行為があった。グレイト・パーカー・ポニー・サーカスとコロネル・パーカーとダンシング・チキンズである。後者のダンシング・チキンでは、おがくずで覆ったホット・プレイトの上に生きた鶏を乗せたのである。鶏がダンスしたのは、音楽ではなく足下が熱いからであった。しかし、鶏の足が燃えるのだけは差し控えた。パーカーは、1940年代、歌手のジーン・オースティンのショーをプローモートしたのをきっかけにミュージック・ビジネスに入った。パーカーの好きなプロモーション小道具は,歌手の出演スケジュールがでてくる数週間前から町中をチラシとポスターで覆うことにだった。パーカーは、あのカントリー・ミュージックの大御所エディー・アーノルドのマネジャーを1942年から1951年までやり、エルビスの憧れのカントリー歌手ハンク・スノーのマネジャーも1954年から1956年まで続けた。彼は、エルビスに多くの可能性を見た; しかしながら彼は、エルビスが、売れる歌手になるためにはさらに磨きをかけることが必要であることを知っていた。パーカーは,時間をかけて獲得を狙った。プロモーターとして、プレスリーを自分のクライアントにしたいことはわかっていたが、何にも急ぐことはないと考えていた。一方、プレスリーはボブ・ニールと契約結んでいることもわかっていた。パーカーは、彼の両親に若いエルビスがどれくらい影響を及ぼされるかを見て、彼は注意を払いながら、最初は父親のヴァーノンに、次に母親のグラディスに近づき始めた。1955年の夏、パーカーは自分のプロモーション会社「オール・スター・アトラクション」を通してエルヴィスのショーをやらないかとボブ・ニールに話を持ちかけた。
働きすぎて過労ぎみのニールは、パーカーの申し入れを喜んで受け入れた。
写真◆は、コロネル・パーカーとエルヴィス・プレスリー
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③|[21]エルヴィスを本格的に売り出す作戦|
 └─―――――――――――――――――┘パーカーが、プレスリーのマネジャーとして最初にしたことは、エルヴィスをルイジアナ・ハイライドとの契約から抜け出すことだった。ルイジアナ・ハイライドが過去2年間エルヴィスに出演のチャンスを与えたことによって南部中至る所でエルヴィスのことが知れ渡った。その間に、エルヴィスが上昇機運に乗ることが出来るなら、ハイライドが提供することができなかった全国的に売り出すということが必要となるだろうことは分かっていた。そしてまた、パーカーはエルヴィスがサン・レコードとの契約を切り、全国展開しているメイジャー・レーベルのレコード会社と契約をしなければならないと考えていた。サム・フィリップスは、そのような兆しがあることを薄々感じていた。そして、パーカーのやることが見えてきた。フィリップスはエルヴィスがサン・レコードにいる日もそんなに長くはないと分かった。そして、フィリップスは完全に、エルヴィスを失うことを嫌ではなかった。プレスリーは、今にも巨大な歌うスターになる寸前だった。パーカーは、プレスリーをルイジアナ・ハイライドの契約から解除した後に、プレスリーのために出来る限り全国のテレビに出演させると同時に、一流の巡業に参加する交渉をし始めた。エルヴィスが本当に全米で大ヒットを飛ばすようになったら、 サン・レコードのような小規模のレコード会社なんかすぐに破壊することができるということをサムは分かっていた。フィリップスは、単に100万枚のレコードをプレスして配給するのに必要な資金を持っていなかったのだ。一方、パーカーがメジャー・レーベルとの有利な取引を手配することができるならば、サン・レコードは、フィリップスが一押しする最新の若いロカビリー天才歌手カールパーキンスのために十分な資本を受けられるだろうと思った。フィリップスは、パーキンスがプレスリー以上ではないとしても、少なくとも同じくらいの可能性を感じていた。
写真◆右からサム・フィリップス(サン・レコードのオーナー)
プレスリー、ボブ・ニール(エルヴィスの最初のマネジャー)
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④|[22]大手レコード会社が興味を示した|
 └─――――――――――――――――┘フィリップスとの同意で、パーカーは、大手レコード会社との協議をするためにニューヨークへと向かった。フィリップスがパーカーに与えた唯一の条件は、20000ドル未満では絶対に契約しないようにと言うことだった。3社のレコード会社が、人気急上昇のメンフィスの若者に真剣に興味を示した。コロンビアとRCAビクターそしてアトランティック・レコードだった。1950年代は、RCAビクターとコロンビアがレコード業界で2大トップ企業であった。カントリー・ミュージックは、テネシ-州ナッシュビルが本拠地で、そこではRCAビクターがナッシュビルでのシェアーをほとんど支配しており独占状態だった。コロンビアは、ナッシュビルでの足場を固めるため必死になってエルヴィスの獲得に動いた。コロンビアの役員は、プレスリーは将来カントリー・ミュージック界のスターになると信じていた。一方、アトランティックは、トルコ国米国大使の息子であるアーメット・アーテガンと元ビルボ-ド誌のリポーターだったハーブ・アブラムソンの2人が始めたものでまだ若い会社だった。主にリズム&ブルースのアーティストが中心のレコード会社。アトランティックは、スウィングタイム・レコードから25000ドルでレイチャールズの契約を買うことによって、3年早く成功を収めた。コロンビアと同様に、アトランティックもエルヴィスを有利なナッシュビル/カントリー・ミュージック市場で確固たる地位を確立する方法とみなした。3社のうち、RCAビクターは、多分プレスリーとの契約に対しては最も少ない関心度ではなかっただろうか。ビクターでエルヴィスを一押していた役員は、A&R(アーティスト&レパートリー)マン(ディレクター)のスティーヴ・ショールズだった。ショールズは、ハンク・スノー、エディー・アーノルド(2人ともパーカーのクライアント)とピー・ウィー・キングのような大スターにRCA/ナッシュビルで署名をさせた実力ある人物である。彼はグランド・オール・オプリーでエルヴィスのパフォーマンスを見て、特別な何かを持っていることを見抜いていた。
写真◆プレスリーとギターマンのスコッティー・ムーア
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⑤|[23] RCAビクターと契約|
 └─――――――――――┘最初に契約金を提示したのはコロンビアだった。同社のディレクター、ミッチ・ミラーはエルヴィスとの契約金15000ドルを提示した。 契約するかしないかはパーカー次第だった。たとえフィリップスが契約の条件として最低20000ドルを望んでいるとしても、サム・フィリップスは金が必要なのは分かっている。しかしながら、パーカーは鋭い交渉者であって、より多くの金がどこか他で調達出来るかも知れないと考えていた。パーカーも、ミッチ・ミラーがロックンロール音楽に対してあまり乗り気でないことも分かった。そして、エルヴィスが必ずしも、コロンビアでいい待遇を受けて指示されるとは限らないだろうと思った。それでも、パーカーは20000ドルを要求した。思った通りミラーはすぐに拒絶しました。そして、エルヴィスにはそんなに多くのお金の価値がなかったと述べた。次に、アトランティックは、25000ドルの契約金を提示した。その金額は正当なものであった。しかし、エルヴィスはこれから大スターになる歌手である。比較的小さな独立系レーベルでプレスリーに歌わせることが少し気にかかった。パーカーは、アトランティックが25000ドルをエルヴィスに費やすとすれば、会社の運営資金が足りなくなるだろうと感じた。そして、きちんと彼のレコードを売り出すための充分な資金もないだろうと判断した。一方、RCAビクターは、ショールズが遂に、プレスリーに賭けることを会社に納得させた。 ショールズは、アーティストとレパートリーを担当する役員として基本的に彼の全ての将来を賭けるのに十分な可能性をエルビスは持っていると信じた。もし、プレスリーが失敗したならば、ショールズは確実に音楽ビジネスから追放されるだろう。RCAはサン・レコードから契約を買い取って、プレスリーのサン・レコードでの権利すべてを得るために25000ドルを提示した(フィリップスは、サンがすでにプレスしたプレスリーのレコードの残りのコピーを売り払らうことも認めた)。さらに、もう5000ドルはエルヴィス自身に手付け金として前払いすると言うものだった。エルヴィスは自分の母 (運転はしない) にピンクのキャデラックを買うためにその中から一部の金を使ったのだった。
写真◆エルヴィスが母グラディスに買ったと言われる車「ピンク・キャデラック」
***************** http://en.wikipedia.org/wiki/Elvis_Presley
 ①写真◆http://electronic-journal.seesaa.net/article/64808184.html
 ②http://www.maxinter21.com/cgi-bin/cn2/c_note.cgi?v=19 ③http://www.maxinter21.com/cgi-bin/cn2/c_note.cgi?v=21
 ④http://www.maxinter21.com/cgi-bin/cn2/c_note.cgi?v=22 ⑤http://www.maxinter21.com/cgi-bin/cn2/c_note.cgi?v=23
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 ┃ KBC今週のポピュラーベスト10 ┃
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 |1983(昭和58)年 6月26日(日)|
 └─――――――――――――┘
  6/26 6/19 6/12 6/5  タイトル        アーティスト 
  ①  1  1  2  ♪君はルッキンホット♪ バリー・マニロウ 
  ②  3  4  6  ♪オーバーキル♪ メン・アット・ワーク 
  ③  6  9  13  ♪レッツダンス♪ デヴィッド・ボウイ 
  ④  2  2  1  ♪Mr.ロボット♪ スティックス 
  ⑤  4  3  3  ♪恋する瞳♪ クック・ダ・ブックス 
  ⑥  10  11  15  ♪今夜はビートイット♪ マイケル・ジャクソン 
  ⑦  5  5  4  ♪君は完璧さ♪ カルチャー・クラブ 
  ⑧  9  8  7  ♪ハングリー・ライク・ザ・ウルフ♪ デュラン・デュラン
  ⑨  11  15  18  ♪カモンアイリーン♪ デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ
  ⑩  7  6  5  ♪ワン・オン・ワン♪ ホール&オーツ 
  11  17  -  -  ♪プリーズテルミーナウ♪ デュラン・デュラン 
  12  8  7  8  ♪君に想いを♪ スティーヴン・ビショップ 
  13  12  10  10  ♪ワーズ♪ F.R.デヴィッド 
  14  18  20  -  ♪君はトゥーシャイ♪ カジャ・グー・グー 
  15  13  17  20  ♪ハレルヤハリケーン♪ ウエザー・ガールズ
  16  20  -  -  ♪ポイズンマインド♪ カルチャー・クラブ 
  17  15  13  9  ♪愛・ひととき♪ ケニー・ロジャース&シーナ・イーストン
  17  14  12  11  ♪あの愛をもう一度♪ セルジオ・メンデス 
  18  16  14  12  ♪セパーレートウェイズ♪ ジャーニー 
  20  -  -  -  ♪フラッシュダンス♪ アイリーン・キャラ 
  -  -  -  19  ♪オールライト♪ クリストファー・クロス 
  -  19  16  14  ♪光の天使♪ ローズマリー・バトラー 
  -  -  19  17  ♪アフリカ♪ トト 
  -  -  18  16  ♪炎の彼方♪ ナイト・レンジャー
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 http://web.archive.org/web/20051101072829/http://www2.wbs.ne.jp/~ms-db/popular%20best%20ten/1983_6.htm
 http://ja.wikipedia.org/wiki/KBC_%E4%BB%8A%E9%80%B1%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%8810
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①┃ 1943(昭和十八)年  Billboard R&B (Harlem Hit Parade) ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算6週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪I Can't Stand Losing You♪
 └─―――――――┘ Ink Spots/インク・スポッツ
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②┃ 1948(昭和二十三)年 Billboard R&B (Race Records JB) ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算6週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪Tomorrow Night (トゥモロー・ナイト)♪
 └─―――――――┘ Lonnie Johnson/ロニー・ジョンソン
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③┃ 1948(昭和二十三)年 Billboard R&B (Race Records BS) ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算5週目 <第①位復帰>
‡| 6月26日(土) |♪Tomorrow Night (トゥモロー・ナイト)♪
 └─―――――――┘ Lonnie Johnson/ロニー・ジョンソン 
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④┃ 1954(昭和二十九)年  Billboard R&B(Rhythm & Blues JB) ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算3週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪Shake, Rattle And Roll(シェイク・ラトル・アンド・ロール)♪
 └─―――――――┘ Big Joe Turner/ビッグ・ジョーターナー
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⑤┃ 1954(昭和二十九)年  Billboard R&B(Rhythm & Blues BS) ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算7週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪Work With Me. Annie/ワーク・ウィズ・ミー・アニー♪
 └─―――――――┘ Hank Ballard & The Midnighters ⇒ Hank Ballard/ハンク・バラード
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⑥┃ 1961(昭和三十六)年 Billboard HOT R&B Sides ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算1週目 <第①位>
‡| 6月26日(月) |♪Every Beat Of My Heart(ビート・オブ・マイ・ハート)♪
 └─―――――――┘ Pips ⇒ Gladys Knight/グラディス・ナイト
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⑦┃ 1965(昭和四十)年  Billboard HOT R&B ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算4週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪I Can't Help Myself(アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ)♪
 └─―――――――┘ Four Tops/フォー・トップス
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⑧┃ 1971(昭和四十六)年  Billboard HOT R&B ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算1週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪Don't Knock My Love(ドント・ノック・マイ・ラブ(ドント・ノック・マイ・ラヴ)♪
 └─―――――――┘ Wilson Pickett/ウィルソン・ピケット
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⑨┃ 1976(昭和五十一)年  Billboard HOT R&B ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算1週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪Something He Can Feel♪
 └─―――――――┘ Aretha Franklin/アレサ・フランクリン
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⑩┃ 1982(昭和五十七)年  Billboard HOT R&B ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算1週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪Early In The Morning♪
 └─―――――――┘ Gap Band/ギャップ・バンド
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⑪┃ 1993(平成五)年  Billboard HOT R&B ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─―――――――┐ 通算4週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪Knockin' Da Boots♪
 └─―――――――┘ H-Town/エイチ・タウン
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⑫┃ 1999(平成十一)年  Billboard HOT R&B ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算6週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪Fortunate♪
 └─―――――――┘ Maxwell/マックスウェル
 http://www.stevesbeatles.com/songs/maxwells_silver_hammer.asp
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⑬┃ 2004(平成十六)年  Billboard HOT R&B ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算4週目 <第①位最終日>
‡| 6月26日(土) |♪Burn♪
 └─―――――――┘ Usher
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⑭┃ 2010(平成二十二)年 Billboard HOT R&B/Hip-Hop Songs ┃
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 ┌─―――――――┐ 通算6週目 <第①位>
‡| 6月26日(土) |♪Un-Thinkable (I'm Ready)♪
 └─―――――――┘ Alicia Keys
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 ①http://yougaku-data.com/chart/us-rbhh-number1.php?CH=RBBS&SY=1943
 ②http://yougaku-data.com/chart/us-rbrr-jb-number1.php?CH=RBBS&SY=1948rrjb
 ③http://yougaku-data.com/chart/us-rbrr-bs-number1.php?CH=RBBS&SY=1948rrbs
 ④http://yougaku-data.com/chart/us-rbrb-jb-number1.php?CH=RBBS&SY=1954rbjb
 ⑤http://yougaku-data.com/chart/us-rbrb-bs-number1.php?CH=RBBS&SY=1954rbbs
 ⑥http://yougaku-data.com/chart/usrb-bs-number1.php?CH=RBBS&SY=1961
 ⑦http://yougaku-data.com/chart/usrb-bs-number1.php?CH=RBBS&SY=1965
  http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=4020 1990
 ⑧http://yougaku-data.com/chart/usrb-bs-number1.php?CH=RBBS&SY=1971
 ⑨http://yougaku-data.com/chart/usrb-bs-number1.php?CH=RBBS&SY=1976
 ⑩http://yougaku-data.com/chart/usrb-bs-number1.php?CH=RBBS&SY=1982
 ⑪http://yougaku-data.com/chart/usrb-bs-number1.php?CH=RBBS&SY=1993
 ⑫http://yougaku-data.com/chart/usrb-bs-number1.php?CH=RBBS&SY=1999
  http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=3346 1986
  http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=1575 1988
  http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=11684 1990
 ⑬http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_number-one_R%26B_singles_of_2004_(U.S.)
 ⑭http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_number-one_R%26B_singles_of_2010_(U.S.)
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 ┃ What is U.S.A. R&B Chart? ┃
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*********** http://yougaku-data.com/guide/guide-rb.php
 http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=11612 1979
 http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=38560 1981
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 http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_number-one_rhythm_and_blues_hits_(United_States)
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