1973(昭和48)年05月23日(木)『●●新聞』公演先の金沢
人気におごる よしだたくろう デーと断られ女性襲う
写真◆婦女暴行未遂で逮捕されたよしだたくろう
【金沢】金沢中署は警視庁の協力を得て二十三日午前九時半、東京渋谷区恵比寿南三丁目、東光苑マンション内、フォークソング歌手、よしだたくろう(二七)=本名、吉田拓郎●を監禁、婦女暴行未遂、傷害の疑いで逮捕、同日夕、身柄を同署に護送した。
調べによると、吉田は
十九日午前二時ごろ、金沢市片町一丁目の喫茶店で居合わせた石川県石川郡野々市町、大学生A君(二一)と金沢市内の女子大生B子さん(一九)と知合い、その場でB子さんにデートを申込み断られた。腹を立てた吉田はA君を外に連れ出し、顔をなぐり一週間のけがを負わせたうえ、さらにB子さんを同市片町一丁目のホテル・片町ビレジの自分の泊まっている部屋に連れ込みカギをかけ、不法監禁したうえ乱暴しようとして、六日間のけがを負わせた疑い。
吉田はフォークソングのトップスター。最近まで東京の民放の深夜ディスクジョッキー・ラジオ番組を担当するなど中、高校生など若者のアイドル的存在。この事件の前夜、吉田はフォークソンググループ「新六文銭」の仲間と金沢市観光会館の公園で来ていた。
なお、A君、B子さんは吉田のファンでもなく、たまたま喫茶店に来ていて知合った。
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吉田拓郎「金沢事件」 女子大生の狂言でCM自粛、放送禁止に
2011(平成23)年09月21日(水) 16:00 公開日 プレイバック芸能スキャンダル史
2018(平成30)年06月20日(水) 15:42 更新日
ー1973年5月ー食道がんを克服した桑田佳祐が宮城で復活ライブを行った。パワフルな桑田を見て誰もが「あの人は……」と思い浮かべたのが、肺がんを患った吉田拓郎(65)。8年前に手術。2年前には生涯最後と銘打った全国ツアーを途中で打ち切る事態になったが、今はラジオ「オールナイトニッポンGOLD」にレギュラー出演している。そんな拓郎にも人に歴史ありのスキャンダルがあった。
「男を殴り、女性を監禁して乱暴した」「落ちた偶像」……。拓郎が一斉にバッシングされたのは
1973(昭和48)年05月23日(水)朝、拓郎宅に石川県警金沢中署の3人の刑事がやってきた。容疑は“婦女暴行致傷”。警視庁の取調室で逮捕され、手錠をかけられた拓郎は金沢に連行された。マスコミはこれに飛びついた。ヒットを連発し、“テレビ出演拒否宣言”など生意気な言動にイラだっていたこともあり、「フォークの貴公子」をこき下ろした。拓郎、陽水が出現した70年代、フォーク歌手はテレビに出なかった。今にして思えば、目立つためのパフォーマンスにしか思えないが、チャラチャラしたテレビを低く見てマスコミの取材も拒否したりで敵をつくった。もっとも、事件はとんだ茶番、女子大生の狂言だった。
1973(昭和48)年04月18日(水)深夜。金沢でのコンサートを終え、メンバー3人と入った市内繁華街のスナックに“被害者”となる女子大生A子がいた。一緒にいたボーイフレンドが拓郎と意気投合するA子に気分を害して険悪な雰囲気に。一緒に店を出る時に男は拓郎に捨てぜりふを吐き、むかついた拓郎が男の顔をポカリと殴った。唇から血を流していた男は拓郎のホテルで手当てを受け、ひとり帰宅。部屋に拓郎とメンバー、一緒についてきたA子、スナックの女子店員が残った。それから酒を飲みながら皆でトランプなどに興じたが、その後、拓郎とA子の姿が消え、隣の拓郎の部屋に移った。ここからが事件の核心。金沢中署の発表ではA子は拓郎から20分にわたって監禁され、暴行されかけたが、懸命の抵抗で未遂に終わったという。が、逮捕から10日後、拓郎は不起訴処分で釈放――。
「襲われたというのはA子の狂言。部屋に鍵はかかっておらず、途中でメンバーが将棋盤を借りに入ってきたりもしたのです。拓郎は彼女が部屋を出ていく際、おでこにキスしただけ。A子はもちろんケガもしていなかった」(元女性誌記者)A子は翌日大学で「拓郎とデートした」と自慢していた。それがなぜ暴行致傷になったのか。
「A子はあの日、友人の家に泊まると言って朝帰りしたんですが、ウソがばれ、両親に責められ、とっさに拓郎に暴行されたと口走ったんです」(同)A子には別に婚約者がいた。その晩のことを知った婚約者は激怒し、A子はますます口からデマカセを引っこめられなくなり、告訴せざるをえなくなったのだが……。
「その後、現場にいた人の証言が次々に出て、結局、A子側は告訴を取り下げました」(同)拓郎の受けたダメージは大きかった。ツアーは中止。歌うCMは自粛。他人に提供した楽曲まで放送禁止。にもかかわらず敵対していたマスコミからの謝罪はなかった。(敬称略)
◇1973年5月 当時公開されていた映画は『同棲時代―今日子と次郎―』。主演の由美かおるが初のヌードを披露して話題だった。均整のとれた肉体を惜しげもなくさらしたポスターは貼ったそばから盗まれていった。映画の平均入場料金は500円。シングルレコードは400円だった。
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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/133609
■超参考■http://www.tapthepop.net/story/76557
https://www.uta-net.com/song/3233/
https://www.uta-net.com/song/34843/
https://www.uta-net.com/song/53997/
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1億2000万人「明日、手錠の時代」吉田拓郎×久保利英明弁護士
2011(平成23)年05月24日(木) 23:58
①事実に反する記事①
1973(昭和48)年05月24日(木)『讀賣新聞』朝刊
②事実に反する記事②
1973(昭和48)年05月24日(木)『讀賣新聞』夕刊
1973(昭和48)年06月03日(日)『讀賣新聞』朝刊
1976(昭和51)年『For Life』創刊春号
■1億2000万人「明日、手錠の時代」吉田拓郎×久保利英明弁護士
本誌 きょうはお二人に単に”アーチストの人 権“とかいうことでなく、すべての人に関わり のあるプライバシーの問題とか、あるいはマスコミの報道のあり方などを中心に、ごくザックバランに話し合っていただきたいと思います。 久保利さんは例の金沢事件で吉田拓郎の弁護士として仕事に取り組まれたわけですが、あの事件は、いろんな意味で本日話し合っていただ こうとしている問題を含んでいたし、日本の現状を象徴していたように思うのですが……。
吉田 あの事件までは弁護士とは全然縁がなかったし,話したこともなかった。だいち弁護士 というのがどういう職業かも知らんかったのだけど、あそこへ入ってとにかくすごくこわかったんだよね。
久保利 警察というか、権力というものはこわいものだと思ったでしょう。
吉田 思いましたね。いきなり逮捕され、手錠なんかかけられ引きずり回されてね。あんなに 簡単に逮捕なんかしていいものなんなのだろうか。それから留置場というところ、これがまたこわい。
久保利 ふつうのこわさとは違った意味でね。
吉田 そうなんですよ。すごい孤独感。接見禁止で誰にも会えない。唯一何ができるかっていうと弁護士に会うことなんだね。窓越しに。それがとっても1日の楽しみなんですよ。それから取調べが楽しみになってくるんだよね(笑)。だが実はここがこわいんだなあ。取調べが終われば保釈で外へ出られるから、やりもせんことでもやったって言ってしまいたい気になる。よくいろんな事件で、被告が公判の席で自供をひるがえすってことがあ るでしよう。警察でおどかされたとかいって。ああいうことは実際にあると思うね。ぼくだって久保利さんが来て「そんな弱気を出しちゃダメだ」と力づけてくれなかったら、あぶなかった…(笑)
久保利 弁護士の立場からいうと、被疑者に完全に黙秘しろと指示するのは非常にむずかしいんだよ。だから「もしやりもしないことを自供 したら弁護士なんかしてやらないぞ」っておど かすわけだ(笑)
吉田 そういう点でも"教訓的“だった(笑)
久保利 だが、あの事件を教訓にして、自分の生き方を変えるなんてことは、この人は決して していないんだな。普通の人間だったら、やっ ぱりアレを教訓にして神妙になるだろうね。
吉田 まるでぼくは普通じゃないみたい (笑)
久保利 教訓にする方法を知っていながら、あえて教訓にしてたまるかって頑張ってるんじゃないかなって感じがする。そこが拓郎の拓郎たるゆえんだろうけどね。 吉田 それはどうだか知らないけど、とにかくあの事件で学んだことはいろいろあったね。まず警察はああも簡単に人を逮捕してもいいのか ということ。それとマスコミが警察の発表をうのみにしすぎること。ぼくの場合だと婦女暴行。 すごく安易だと思う。しかも書いたら書きっぱ なし。無実だとわかっても、事後処理は何もしてくれない。
久保利 いわゆるペンの暴力ね。
吉田 そうなると、ぼくらのように多少なりと も世間に名の知れた人間ばかりでなく、普通の人も警察の権力やマスコミに対して、ある種のガードをしなきゃならないし、弁護士というものがどうしても必要になる。自分の身を守るためにね。でないと、逮捕だけを待っていること になるし、マスコミの暴力とも戦えない。自分 では自分を弁護できない場合って、絶対にあるからね。
久保利 事件が起こってから弁護士のところへ 駆けこむというのではなく、ふだんから相談相手というか、ブレーンとして弁護士と親しくし ておくということがある程度必要だろうね。 。
吉田 そうだな。女の子の肩に手をかけるとき は、まず久保利さんに「大丈夫ですか?」ときいてからにする(笑)「そのへんならまだいい よ」という返事もらってから、さわったり(笑)
久保利 それは冗談として、いまの日本は危険 がいっぱいの時代だと思うんだよ。警察権力がくまなく行き届いているから、ちょっと何かあると、いや何もなくたって、誰かれなしにバカバカッとやる時代だし......。
吉田 この雑誌よんでる人だっていつ手錠か られないともかぎらない。
久保利 そうなんだ。しかもほとんどの場合、常習犯でないかぎり、突然捕まる。
吉田 久保利さんにゴマするわけじゃないけど、そういう時、頼みの綱は弁護士さんだけだもんね。ぼくはあの事件の前までは、警察なんてものは全然こわくないと思ってた。ところが、ほんとに捕まって 留置場へほおりこまれてみないと、その無言の圧力やおそろしさはわからない
◆斬り捨て御免!の記事であおるマスゴミに問題が・・・
本誌 金沢事件は結局不起訴になったわけですが 一般の人の感覚では、不起訴というのは無罪と違って何かもやもやしたニュアンスがあって、やっぱり 何かあったんじゃないかという感じが残ったように思うのですけど……。
吉田 たしかにあるんだな。それが…。裁判で無罪となったほうが、本当にシロみたいな……。
久保利 だけど不起訴というのは、裁判するまでもなく無罪だということだから……。
吉田 それが一般の人にはわかりにくい。新聞に不起訴って書かれるより、無罪と書かれたほうが、身の潔白が証明されたようなイメージがあるんだな。 不起訴の不という字が、不真面目とか不良の"不 という字と同じせいかもしれないけど(笑)
久保利 でも刑事やお巡りさんにはちゃんとわかっているから、拓郎が不起訴ときまったとたん、サインなんかもらいに来てたじゃないの (笑)要するに天候でいえば、不起訴は最初から晴れ、無罪は雲りのち晴れということなんだよ。
吉田 あれで裁判までいっちゃったらサインはないと・・・。
久保利 そこで今度は社会部記者だとか芸能記 者は、釈放した時にサインくれというのは不謹 慎だと思うわけよね。
吉田 それから非常に恐ろしいと思ったのは、 検察官を見ていると、自分の立場を守るために確定的にシロって段階でも、自分の立場があるって発言をするんだよね。これだけ騒がしといてナンちゅうことだってワケよ。
久保利 検察官なり警察の立場っていうのがよ り強くなっているからね。君の場合だって1日 11日でわかってたんだから、あんなに頑張ることないのに、叩けば何か出てくるんじゃないかと… (笑)
吉田 二日か三日目まではキツかったけど、あ とはロクなこときかなかったんだ…。
久保利 メンツっていうか、捕まえた時は知ら なくて、捕まえてみたら意外と人気のあるアー チストだとわかって…。
吉田 言ってましたよ。あんたのためにジェッ ト機が飛んだんだってね。大変なことなんだな って… (笑)
久保利 だから弁護団がジェット機で小松まで 飛んで来たなんて話になると、ギョギョッてな感じになるんでしょ。そんなえらい人だったのかって(笑) ところがマスコミ側ではこういった事実に基づかず、警察発表をウのみにして こちらの言い分はほとんど何もきかない。特に女性週刊誌はひどかった。あの時、いろんな記事を収集して回ったんだけど、あの女の子がかわいそうだという立場に最初から立って、読者の 同情心をあおりたてるようなことばかりワアワ ア書きたてていた。
吉田 ぼくのことにかぎらず、ああいうのは許されるんですかね、法律的に…。
久保利 基本的には法律的にも、道徳的にも許されないんだけど、日本の場合、書くほうばかりでなく、書かれるほうも遅れているからね。
吉田 しかも日本人は活字に弱いときてる。も し、書かれたのがテメエのことだったらどうするんだと言いたい。手錠の問題と同じでさ。他人のことだから面白がって見ているけど……。
久保利 日本人というのは、そういう点で非常 に操作しやすいんだな。拓郎の歌にあるけど、見出し人間がヒラヒラみたいな感じで、新聞や週刊誌の見出し一行読んだだけで「オッ、あいつやったな」と簡単に信じてしまう。それをさらに増幅するような記事をマスコミは書きたてる。そうなれば、もうマスコミなんてものじゃないよね。
吉田 例えば学生と機動隊の衝突現場を見ていると、機動隊のやり方はひどすぎると学生に同情するくせに、活字になった警察の発表を読むと、やっぱり警察のほうが正しいみたいなことになっちゃう。
久保利 自分で見たことよりも活字で書いてあるもののほうを信じる。活字の魔力なのかな。
吉田 それだけに、マスコミはもう少し何が真実かを見きわめた上で記事を書いてほしい。特に、斬り捨てご免みたいなことはやめてもらいたい。いくら事実はそうじゃないといっても、 決して反論はのせてくれないんだな。それどころか、ぼくなんかが記事にクレームつけると、 「あんた、ウチのような大出版社に文句をいうんですか?」(笑) そうかと思うと「わが社には謝罪広告を出す規定がありませんので……」 なんていう例もある(笑)
久保利 フランスには勝手に何か書かれた場合は反発権があって、その記事に対して同じ分量で反論できる権利が法律で認められてるんですね。アメリカでも最近アクセス権といって、マスメディアにアプローチしていく権利が認められてきている。先進国では日本だけなんだな。そう いう権利も何もなくて、謝罪広告二、三行ですまされちゃうというのは……。
吉田 ぼくらもそういう問題を、根本的に考えていかなくちゃならない時期に来てるわけなんだな。
久保利 アーチストとか芸能人というのは、強そうに見えて実は非常に弱い存在なんだな。だから、まずユニオンを作って、これまでみたいないい加減な報道は絶対に許さないというようにしないと……。 それをしないと、いまに芸能人はみんなスッ裸にされ、見せ物にされてしまうよ。
吉田 しかし現在何も問題のない連中は、ユニオン作るといったってノラんだろうね。なかなか・・・・。
久保利 ところが、いつ突然火の粉がふりかかってくるかわからん。さっきの手錠の話じゃないけど、絶対安全なんてありえないんだからね。
◆アーチストにプライバシーってあるのだろうか!
吉田 ぼくら例えば、週刊誌の記者に尾行されたり張り込まれたり、うっかり電話に出て一言二言しゃべったらそれが十倍くらいに引き伸ばされてインタ ビュー記事になったり、というようなことは年中あるわけですよ。こういうのは法律的にはどうなんで しよ うね?
久保利 権利としてはプライバシーに属するんだろうが、ただイヤだというのに無理やり家の中へ入っ てきて写真とったりすれば、当然刑事事件になる。 だけど、どうしてそうまでもして人のプライバ ン うねえ。だけど、どうしてそうまでもdて人のプライバシーを侵すようなことをする必要があるんだろうねえ。
吉田 やはり読みたがる人がいるからだろう。
久保利 しかし、そういう記事をのせてくれという要求が、出版社に殺倒してるとも思えない んだけどね。(笑)
吉田 日本人にはノゾキ趣味があるんですよ。 隣りは何をする人ぞ、という伝統が… (笑)
久保利 それにしても、戦後三十年以上たってるんだよ。戦争を知らない人間が、日本の人口 の何十%かを占めてるんだよ。
吉田 そうだな。やっぱりそろそろ変えないと いけないな。いつまでもオヤジやオフクロから 与えられたイメージで物事を把握してちゃ。例 えば警察はいつでも正義の味方だとか、政治家は偉いんだとか、田中さんは悪かったけど三木さんはいいみたいにいわれると、本当にそうかと思うようなところがあるんだな。ぼくなんかにも・・・・。
久保利 何か言われたり、書かれたりするのを待っていてはダメなんだ。ペンの暴力に対して も国家権力に対しても,こちらからカウンターアタックをかけるぐらいの気持ちがないと。
本誌 その点、拓郎の場合ある程度は実践してるんじゃないですか。離婚問題にしても週刊誌にいい加減なこと書かれる前に、自らラジオを通し、自分の言葉で本当のことを喋ったりしている。ああいうやり方もやっぱりカウンター アタックといえるのでは…。
久保利 拓郎の場合、ああいうメディアを持ち得たということは, 一つの幸せだと思うね。も っとも拓郎以外にもそういうメディアを持ってる人はたくさんいる。でもそれを使おうとしない。それを十分に使ったというのはやはり先駆 的だね。この『フォーライフ』という雑誌も、せっかく出すからには,そういう意味でのカウンター・メディアになって斬られっぱなしにはされないぞ、斬られたら斬り返してやるというメディアになってほしいね。同時に,斬られっばなしで泣いている多くの人達にとっての救い のメディアにもなってもらいたい。
吉田 確かにそういう雑誌が必要な時期だ。さっきぼくは恵まれている。幸せだというふうに いわれたけど、それでも離婚問題に関しては女性週刊誌にはいろいろやられた。
久保利 佳子さんのお父さんの名前で発表された手記ね。あれはひどかった。実際の手記なんかじゃなく、インタビューを勝手にアレンジしてのっけて、当然のことと思っている。週刊誌の思い上がりとしかいいようがない。
吉田 ヤクザじゃないけど、シロウトさんに迷惑をかけすぎる。金沢事件のときもそうだし、 今度の離婚問題にしたって、佳子の実家の人間 とか、実家を含む親戚関係の人みんなを巻きこんでいる。 彼らにそんな権利があるのかといいたいね。あんまりハラがたつんで、女性週刊誌の記者にきいてやったんだ。「あんた、プライ ド持ってるのか」と。そしたら「持ってますよ」 というんだな(笑) 本当にプライド持ってたら、いい加減な記事なんか書けるわけがない。 ハッキリいって、持っているのは変なサド趣味 だけなんだな。イヤなことやってるって気持ちは持っていると思うんだ。それから脱け出るんじゃなくて、しょせんこんなことやってるんだ から、とことんイヤな奴は叩いちゃえみたいな 。そういうことで食っていける時代でしょ 本当に恐しいよね。 久保利そういう人間と、それを平気でのせる 編集部があるわけだからね。正常な感覚がマヒ しているというか、欠落している。まったく困ったことだ。
◆芸能界とマスコミのゆ着に問題が・・・
久保利 ではどうしてマヒしてしまったかというと その裏には芸能誌と芸能界というかプロダクションとの癒着という問題がある。新人とか、落ち目になったタレントが、自分のほうからスキャンダラスな話題を作り上げて売り込むなんて例もあるし、そう いう人たちは何を書かれようと、何にも書かれない よりマシだという考えだからね。そうしたことが慣 習化すると、書く側は芸能人のことなんか何を書いたっていいんだと思うようになる。
吉田 だけど、そういうバーター形式で何らかの名声や地位、地位なんてないけど、それを得たとしても、そいつは結局あとで身動きとれなくなってしまうんだな。何もかもつかまれてるから。それに日本の場合、プロダクションに横暴な部分や陰湿な面が あるし、タレントもミーハーが ほとんどだから、22~23になってやっと自分というものに気がついた時は、がんじがらめになってしまっている。
久保利 日本で大人のスターが育たない原因は、そ のへんにもあるんだな。
吉田 日本の芸能界ってところは、何だか知らないけどカッコよくないんだな。ウジウジしていて・・・・。結婚や離婚にしても、恋愛にしても。だから週刊誌のほうは、昔の女性関係を洗ってみたり、裏ばかり 嗅ぎまわって、揚句の果ては衝撃の告白だろ。,読んでみると、衝撃でもなんでもないのに・・・・(笑)
久保利 マスコミ側に、取材してやるという意識があるみたいだね。取材はさせていただくも ので、喜んで応じる奴もいれば、イヤだという 奴もいるはず。ところが取材を拒否するタレン トはまずいない。自分に不利な場合ならともか く・・・。でも有利だろうが不利だろうが、マスコミ嫌いみたいな、そういう形の拒否の仕方は少ない。その点でも拓郎は先駆的なアーチストだ。 (笑)そういうことがわかってないから、マスコミは従来のバーターで育ったタレントと拓郎のようなアーチストを混同してしまうんだね。
吉田 それに関しては面白い話がある。ロンドンに行った時のことだけど、空港に着くと日本の週刊誌の取材班が待っていてね。冗談じゃない、遊びに来たんだから取材は断わると言った ら、これがロンドンの慣例だといって怒るんだよね。むこうは・・・・・(笑)
久保利 そういう慣例はあくまで拒否すれば拒否できるけど、本人の承諾も得ないで、誰かからちょっと聞いた話を元にデッチあげた記事を衝撃の手記として発表するなんてことは、慣例だからといって許される問題ではない。その上そういった類の記事が出ている週刊誌が何冊もあって、何十万部も売れ、何百万人もの人間が読んでいるというのは少々異常じゃないかね。
吉田 作る側にも問題があるけど、買う側にも確かに問題がある。
久保利 テレビにもふえてるね。その種のノゾ キ趣味の番組が…。それも最近は芸能ゴシップばかりでなく、犯罪の陰に女ありみたいな話で、 ごく普通の人のウラを探り出し、実はこういう 男だとか女だとか暴露してみせたりしている。
吉田 こわいことだな。
久保利 そう、こわいことだ。単に一人のアー チストの問題とかいったものじゃない。マスメ ディアがみんなそういう方向へ行っちゃつて 肝心の田中金脈やロッキード問題などはワアワ ア騒ぐだけで、自分の目と足で真実を究明しよ うとはしない。
吉田 女性週刊誌の記者が全部、せめて一週間だけでもロッキード問題に取り組んでくれたらね(笑)ところがロッキード全然興味ないっていうんだな彼らは・・・。戦争がおこったらどうするんだっていうんだ。人のウラを興信所みたいに探ってさ。いちばんに死刑だ(笑)
◆“今日の幸せ”はどんな“明日”をつくり出すか!!
本誌 話は変わりますが、いわゆる差別語の問題について話し合っていただきたいのですが。
久保利 いわゆる差別語を使わずに、表現ができるんだろうか? 歌の詞にしても…。
吉田 できっこないでしょ。そんなきれいごとだけではモノなんか書けない。理髪店でなく、 床屋じゃなくちゃいけない歌があるし、百姓じゃなきゃいけない歌があるわけ。
久保利 農業従事者じゃ歌にならんよね。
吉田 農業従事者のほうがいやらしいよ。百姓のほうがきれいなんだ。日本語として・・・・・。
久保利 差別がいかんのと、差別語がいかんの とは別の問題なのだからね。
吉田 特に芸の世界ではどうしても必要な場合 もあるんだな。漫才なんかでは、百姓なんて楽 しいイメージがあって、そこに明るい笑いが生まれる。その笑いは差別なんかじゃないんだ。 だって日本の芸能だし、文化だよね。そういったものをぶち壊そうとしているんだよ。マスコミがそう いう力に迎合している。すごく不愉快だね。
久保利 筒井康隆が書いてたけど、差別語を使うと編集者が勝手に変えちゃうんだってね。女中と書く とお手伝いさんというふうに。これは大変な問題だよね。そんなこというんなら,日本の民法なんて差別語の羅列だよ。例えば聾者、?者、盲者は準禁治産者にできるという条文がある。これはオシやつんぼは法律的な能力が完全にないというわけ。つまり オシやつんぼは差別すべしということなんだな。そういう条文があるのに、オシとかつんぼとか言っち ゃいかんといってもはじまらんよ。
吉田 こんなことしてたら、いまに日本語の文化なんてなくなってしまう。女中とお手伝いさんでは イメージの展開の仕方が違う。それが日本語のよさなんだからね。
久保利 拓郎には放送禁止歌はないの?
吉田 問題になったのは『ペニーレインでバーボン』の中の”つんぼさじき“という言葉。つんぽというのがひっかかったわけですよ。
久保利 ”つんぼさじき“という言葉から、つんぼ をとっちゃって、さじきだけ残ったって何の意味もなさないもんね。
吉田 いまに一階席、二階席も差別語になるんじゃないかな、棧敷に対して(笑) 芽ばえようとして いる日本の文化をぶち壊そうというつもりじゃないのかね。そんな権利は誰にもないはずだ。そういう連中に国語辞典を作らせてみたらいいんだ(笑)
久保利 作れっこないよ。
吉田 ただ、そういう一種の言論弾圧に対して戦う ことは必要だけど、だからといって放送禁止歌にされたことを、何か勲章でももらったみたいに思うのは間違いだ。少くとも前向きじゃない。
久保利 こうした表現の自由の問題ひとつを考えても、この際やっぱりアーチスト・ユニオンを作らなくちゃいけない時代じゃないかな。そうでないと創作の場がなくなってしまう。差別語問題ひとつにしたって、ある日突然、拓郎の歌が槍玉にあがるということだってあるからね。やはり権利のための闘争をして、自分自身の発表の場を確保するための努力をしないと…。
吉田 すべて、今がよければいいって感覚じゃダメなんだな。とりあえず今日、幸せな人だからいいやなんて思ってると、明日は手錠ってことがあるわけだもんね(笑) ぼくたちだけじ ゃなく、普通の人たちも考えなくちゃいけないことなんだよな。明日手錠ってことは……。明 日とつぜん戦争が起きたら、戦場に行かされて しまう。そうしたことに対する自己防衛をして おかないと・・・・・。
久保利 最近の若者たち、ことに芸能界の人間には危機意識がなさすぎるんじゃないかな。アーチスト馬鹿みたいな形で、いい曲作ってそれでおしまいみたいな危険性がある。たかが芸能界の中でも自由が守れないようじゃ、言論のもっと大きなところで自由なんか守れっこない。 本当に今や、明日手錠の時代なんだからね。
吉田 『明日手錠が』って歌、作ろうかなあ・・・(笑)
久保利 『みんな檻の中』というのを作ろうって言ってたじゃない。金沢事件で出てきたすぐ あとの記者会見で……。
吉田 あの時は半分冗談だったけど、 いまが明日手錠の時代だというのは、なにかこう実感と してせまってくるものがあるんだな。その時はまたよろしくお願いします(笑)
本誌 本日はどうも長時間ありがとうございま した。雑誌『フォーライフ』も明日手錠の時代 におけるカウンター・メディアとしても頑張っ ていきたいと思います。
http://starstruck99.cocolog-nifty.com/takuchan/for_life_1/index.html
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┃ ON THE ROAD '88 FATHER'S SON ┃前半戦 日程
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‡025.1988(昭和63)年05月24日(水) 山梨県民文化ホール
1988.5.24 J-Boyサイン Shogo Hamada&THE FUSE
http://www.csf.ne.jp/~kumi/shogo-hosinoyubiwaroom.htm
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http://www.flashandshadow.com/shogo/live/on/on1988.html
https://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11600186984.html
http://ameblo.jp/futabayama69/entry-10819384548.html
http://www9.plala.or.jp/bt-pearl/dear_memories.html
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89.1.28♪ON THE ROAD♪映像◆http://www.nicovideo.jp/watch/sm13810282#
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┃♪はぐれそうな天使♪┃
┗━━━━━━━━━━┛
1985(昭和60)年09月10日(火) 来生たかお リリース
1986(昭和61)年03月20日(木) 岡村 孝子 リリース
1986(昭和61)年12月20日(土)『Noel』PV収録
2006(平成18)年12月13日(水)『Noel』DVD化
‡1986(昭和61)年05月24日(土)&25日(日) ホンダプリモデー
1986(昭和61)年10月04日(土)&05日(日) ホンダF-1 ワールド・グランプリフェア
1986(昭和61)年11月08日(土)&09日(日) ホンダプリモフェア
1986(昭和61)年12月06日(土)&07日(日) ホンダプリモ 大商談会
1987(昭和62)年02月14日(土)&15日(日) オールホンダ 春の大商談会
1987(昭和62)年03月14日(土)&15日(日) 春のホンダプリモデー
映像◆44秒から映像◆http://www.nicovideo.jp/watch/sm14656473
映像◆1986(昭和61)年CM ホンダ トゥデイ 青山育ちのハンサムです。今井美樹 https://youtu.be/wQ4E0X8MvkU
映像◆来生たかお 編 今井美樹 HONDA TODAY CM https://youtu.be/pI0F2_NT5-0
懐かし車CM集1985 映像◆https://youtu.be/na14GE0Ztj4
映像◆はぐれそうな天使(HONDA today CM 今井美樹)岡村孝子https://youtu.be/gSFZDMiv4jc
1985~1986映像◆https://youtu.be/_HexZv7EdXE
1985年音源◆ホンダトゥディ ラジオCM 1985年 https://youtu.be/GsmJEOdHeLM
1986削除映像◆https://youtu.be/g6vtEkwIFlI キミとなら仲良くできる。
1986(昭和61)年05月24日(土)&25日(日) ホンダプリモデー
削除映像◆1987 ホンダ トゥデイ(JW1)HONDA today https://youtu.be/r9qHx5hSPBM
'86 グッドデザイン選定商品
1987(昭和62)年前半 ホンダ トゥデイ「21世紀のハンサムです。」
1987(昭和62)年後半 ホンダ トゥデイ「ポシェット誕生」
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%81%90%E3%82%8C%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%AA%E5%A4%A9%E4%BD%BF
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1983年の本日、YMO『浮気なぼくら』リリース。YMO第三期の残照。
2016年05月24日 執筆者:田中雄二
1983年5月24日は、YMOのアルバム『浮気なぼくら』の発売日。82年の約1年の休眠期間をはさんで、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人が再び結集した復帰第1作である。81年の『BGM』『テクノデリック』の実験的2作を経て、その反動で生まれたまさかのポップ作品。デビュー時から海外進出のため英詞を歌っていたYMOが日本語で歌うアルバムを出すとは、よもや思わなかったというのが当時のファンの心境だろう。「君に、胸キュン。」を先行シングルとしてリリース。松本隆が提供した詞は「イタリアの映画でも見てるよう」と歌われる通り、カトリーヌ・スパークあたりのラブコメ映画のイメージ。マストロヤンニ伝統の艶笑コメディのノリで、10代娘に中年男性が振り回される様を戯画化したビデオクリップも作られた。
1年の休眠期間中、3人はとにかく歌謡曲に手を貸した。細野は前年のイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」の続編や松田聖子、坂本はわらべ、高橋はピンク・レディーに曲提供。今日の打ち込みによる歌謡曲制作の基礎をこの時期に3人が作ったとも。それまでも沢田研二「TOKIO」、榊原郁恵「ROBOT」などYMOブームに便乗した企画物はあったが、イモ欽や松田聖子のミリオンセラーで、テクノ歌謡はノベルティから時代のマジョリティになった。
実験的だった過去2作で売り上げが半分に落ちたのを反省し、あらかじめ売れることがミッションとして課せられた。散開までの1年で4アルバムのリリースを、後に坂本は回収プロジェクトと語っている。つまり、あらかじめ解散を前提に1年だけ期限付きで復活した、ビジネス総決算がYMO第三期。前年の3人の歌謡曲修行を取り入れ「YMOが歌謡曲をやる」というコンセプトから、復帰作は着手された。ミリオンセラー時代の景気の勢いに押され、とにかくポジティヴなエネルギーが充満した内容に。坂本はこの軽薄路線を、無責任なほどポップな表現を目指した、デビュー時のYMOに戻ったようだと語った。業界やファンの「ライディーン」「テクノポリス」の続編待望の声に、その時代のポップ様式で応えたアルバムが『浮気なぼくら』である。細野によればタイトルは、あくまで「本気ではなくて浮気」。英題“Naughty Boys”を直訳すれば「悪ガキ」で、ポップ化もYMOらしいひねくれ精神が貫かれている。
ヒットすることを前提に化粧品メーカーとのタイアップが用意された「胸キュン」は、シングルチャートで健闘するも残念ながら2位に留まったが、それを阻止した1位の松田聖子「天国のキッス」が細野の曲だったというオチも有名。本作のプロフィールとしてすでに定番のwikiネタだが、細野を軸に考えるとまた別の風景が見えてくる。
それまでプロデューサーは細野晴臣だったが、本作からプロデュース=YMO。もともと細野が海外の大物プロデューサーに倣い、「売れるものを作る」を標榜して結成されたのがYMOだった。シングル「ファイヤークラッカー」を米ダンスチャート上位に送り込むことから歴史は始まる。その目的は2回のワールドツアーで半ば果たされ、前作『テクノデリック』の非商業路線でピリオドを打たれた。いや、打たれるはずだったが、プロデューサーの細野、エグゼクティヴ・プロデューサーの村井邦彦(当時・アルファレコード社長)の解散の意向は、マネジメントの希望で引き留められ、1年間の休眠をはさんで期限付きで再結集したのがYMOの復活だった。
前年、細野は久々のソロアルバム『フィルハーモニー』を発表。「YMO解散まではソロをやらない」と宣言していたから、ソロに着手した当時の心情は推して知るべしだろう。YMO活動の学習から、細野はこのときローランドMC-4というシーケンサーを購入する。「松武さんがやっていることを自分でやらなければ自分の表現にならない」と語り、元喫茶店スペースを改造したLDKスタジオという半プライベート空間で、アトリエのような気分で制作された。デザイン界の寵児だった横尾忠則が、このころから個人のためのドローイングを始めるが、マス表現から個人の創作へと向かっていくアート界の潮流ともダブって映る。
『浮気なぼくら』でも、自曲の打ち込みは細野自身が担当した。MC-8の時代はテンキーでリズム、音階を別々に入力し、エディット不可のためやり直しは最初から。数値化した譜面が必ず必要で、専業のキーパンチャーがスタジオに同席した。鍵盤入力やループが可能になるのはMC-4以降。ミニマルな表現が可能になったことが、『BGM』というアルバムの大きなファクターになる。よく引き合いに出される「キュー」誕生の逸話もこれで説明できようか。MC-8時代は譜面を必要としたため、必ず坂本がプログラマーとの橋渡し役を務めていた。『BGM』録音初日に予定されていた3人の共作計画が、よく知られる坂本のボイコットで反故に。そのとき坂本不在の中で、2人だけの力で「キュー」が完成したことの感動が語らせたエピソードと私は思う。
「第4のメンバー」だったプログラマーの松武秀樹が本作から参加していないのも、MC-4などの新しいテクノロジーの利便性と無縁ではないだろう(実質はLMD-648などの機材提供のみ)。あるいはYMOの所属事務所が、新しく楽器レンタルビジネスを始めた「大人の事情」もあるのかもしれぬ。坂本、高橋の曲は、事務所のアシスタント、藤井丈司がプログラミングを担当。幸宏も使いやすくなったテクノロジーの恩恵を受け、本作ではインスタントなリン・ドラム(リズムマシン)に任せて、ドラムを叩かない曲まである。
82年10月に最初のミーティングが行われ、「キュート」(仮題)というコンセプトはこのとき生まれる。一年ぶりに再会した3人にはまだ緊張関係があったが、ゲストで英国のギタリスト、ビル・ネルソン(元ビ・バップ・デラックス)が招かれ、ビートルズ後期におけるビリー・プレストン役を務めた。ビル参加を提案したのは幸宏で、次作でも三宅裕司らスーパーエキセントリックシアターに出演要請し、『サーヴィス』はミニアルバムではなくコント入りのフルアルバムとして完成。『浮気なぼくら』の雛形になったのも、前年から日本語曲を披露していた幸宏ソロで、第三期を通して高橋幸宏はグループ存続のキーマン役を担った。一方、本作のカラオケ版『浮気なぼくら インストゥルメンタル』、および散開ライヴ用のバックトラック制作は坂本。プロデュース=YMOの下で、幸宏、坂本が果たした役割が大きいことがわかる。
「YMOが歌謡曲をやったアルバム」とよく例えられる本作だが、実際の現場はリン・ドラムをアンプを介して録音するなどの実験手法の連続で、細野いわく「『テクノデリック2』のようなもの」。細野だけ個人的動機から前作のラーガ路線を続行しており、そこだけ抜き出すとまるで細野ソロのよう。坂本&幸宏プロデュースの下、一メンバーとしてのびのびと細野が作曲している様が痛快で、「浮気ならぬ本気」さえ伝わってくる。最終曲「ワイルド・アンビションズ」が、本作を企画アルバムに終わらせない、強いプログレスの意志を感じさせる。
録音後行われたジャケット撮影で3人は、パステルカラーのサマーセーターを着てアイドルを演じて見せた。イタリア映画『浮気なヴァカンス』のように、若い娘に翻弄される自分らを自嘲気味に「オジサン」と呼んだが、今のSMAPに比べても年齢はまだまだ若い。80年代がいかに成熟した時代だったか。ロシア構成主義やドイツ的イディオムの暗くて重い第二期から、マーブルカラー・テクノへ。そうした気分は遠く海の向こうと呼応し、「ポストYMO」は日本ではなくヨーロッパから登場することになる。ベルギーのミカドらの鮮やかでカラフルのデザイン、インスタント録音による爽やかなサウンドは、『浮気なぼくら』の続きのようだった。そして彼らを紹介するために、細野は84年にノンスタンダードレーベルを自ら立ち上げることになるのだ。
『浮気なぼくら』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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