渡辺徹と「ザ・ベストテン」
2022(令和四)年12月04日(日) 17:53:48 テーマ:茶屋町通信
俳優・渡辺徹が亡くなった。あまりに突然であったが、その後半生は、一日七食という暴飲暴食による過度な肥満→糖尿病に始まった様々な持病との付き合いであったことから危惧されたものでもあって…。しかし、まさかこんなに早くお別れが来るなんて思いも寄らなかった。物心付いた時からの『太陽にほえろ!』ファンであった自分、1981年に渡辺徹が新人刑事として番組に加入した前後、神田正輝、三田村邦彦とのミワカントリオ、そして世良公則が加入してのカワセミ・カルテットあたりが一番熱中して観ていた。なかでも、渡辺徹演じるラガー刑事が一番好きであった。最年少者でまだ二十歳そこそこの青二才キャラではあったけれど、当時小学校低学年だった自分から見れば、そのほとばしる情熱が憧れのお兄ちゃんそのものであったのだ。訃報を知った日からいまも喪失感でいっぱい。いまさらながらに思う、1987年に裕次郎逝去の報を受けた日活アクション映画全盛期世代もこんな感じだったのかな。
◎https://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-12375633131.html
ラガー刑事が登場した時期で思い出深いのは、その登場回の次回より番組に投入されたセリカXXゆえにラガー刑事が一番ハンドルを握っていたかと振り返る
『太陽にほえろ!』時代のキャリアについては、自分よりも遥かに詳しい北の山村警部補こと通称・けぶさんがご自身のブログにて綴っておられるので、そちらを参照してもらいたい。
◎https://blog.goo.ne.jp/taiyokebu/e/d8a6f517b34bfe5dace25e86418b8e12
自分は同時期のことで、追悼したい。『太陽にほえろ!』出演中の活動として忘れてならないのが歌手活動である。大ヒット曲「約束」で幾つものの歌番組に出演し、そのなかでも『太陽にほえろ!』と並ぶ国民的番組のTBS『ザ・ベストテン』への長期間に渡る毎週の出演は絶大なものであった。これを機に渡辺徹は、人気刑事ドラマのひとつに出ている若手俳優から、誰もが知る存在へとステップアップしていく。
1982(昭和57)年08月25日(水)に発売された二枚目のシングル♪約束♪は、
1982(昭和57)年10月21日(木)に第8位で初ランキング。その出演は『ザ・ベストテン』が放送されている港区赤坂のTBS局舎内Gスタジオからではなく、なんと『太陽にほえろ!』が撮影されている世田谷区・砧の国際放映からで、ファンにはご存じ7番ステージに組まれた捜査一係・刑事部屋セット前からの中継と相成った。他のレギュラー刑事たちの出演はなかったのだけど、大勢の撮影スタッフ、それから出待ちしているファン(全員十代であろう女の子!)らを招き入れての応援もあって賑やかなものとなり、オマケに第10位で一足早くランキングされて出演していた、「約束」が使われているグリコアーモンドチョコレートのCFで共演している小泉今日子とのイチャイチャした掛け合いを見せるなど、まさにラガー刑事=渡辺徹=80年代の青春キャラという図式を大いにアピールしたのであった。
1982(昭和57)年10月22日(金) 翌日金曜の『太陽にほえろ!』は、タイミング良くラガー刑事主演エピソードの第528話「真夜中のラガー」。視聴率的なことを持ち出すと、
1982(昭和57)年10月21日(木)の『ザ・ベストテン』は24.9%、翌22日の『太陽にほえろ!』は25.8%(どちらも関東地域・ビデオリサーチ調べ)と、ラガー刑事=渡辺徹出演の相乗効果に加えて、レギュラー番組が霞む秋改編期の特番ラッシュが過ぎ去った後ともあってか、ともに前週よりも5%も以上伸ばしていて、ともに10月の最高視聴率を獲得している。♪約束♪はそれ以降も第6位、第4位、第3位と調子よく順位を伸ばして、初登場から4週後の
1982(昭和57)年11月18日(木)にはとうとう第1位を獲得。
1982(昭和57)年12月09日(木)まで4週に渡って第1位に君臨し続ける。当時、男性アイドルのトップと云えば、ジャニーズ事務所所属の田原俊彦と近藤真彦。『ザ・ベストテン』常連である彼らを抑えて、この期間限定ながら名実ともにトップへと立ったのだった。その間、歌唱前にあるトークコーナーでの底抜けに明るいキャラクターがウケていて、
1982(昭和57)年12月02日(木)には「迷場面集」で度々出てくる一瞬芸の“想像妊娠”を披露したりした。
1982(昭和57)年12月16日(木)、中森明菜の大ヒット曲♪セカンド・ラブ♪に第1位を明け渡したものの、♪約束♪は翌年
1983(昭和58)年01月20日(木)まで三か月にも渡ってランキングし続けていく。♪約束♪愛の中へ♪が連続ヒットし、アイドル街道を突っ走っていた
1983(昭和58)年01月24日(月)に発売したアイドル雑誌では堂々の表紙を飾る。また、♪約束♪がヒットする中で
1982(昭和57)年12月10日(金)に発売された三枚目のシングル♪愛の中へ♪もその余勢をかって1983年最初の放送である
1983(昭和58)年01月06日(木)に第10位でランキングされ、この日から♪約束♪とともに二曲歌唱した。なお、「愛の中へ」でのランキング時における出演は、スカパー!のTBSチャンネルで放送している
‡1983(昭和58)年01月27日(木)放送分のものが時折リピートされているので視聴環境がある方は是非ともチェックされたし。「愛の中へ」は残念ながら「約束」以上のヒットは適わなかったが、2月10日まで6週に渡ってランキングし続けた。
‡1983(昭和58)年01月27日(木)放送『ザ・ベストテン』音楽|TBSチャンネル - TBS所属していた文学座の先輩・中村雅俊も大ヒット曲「恋人も濡れる街角」で出演その関係から、♪約束♪、「愛の中へ」は中村が持っていたバックバンドでの歌唱そして、渡辺よりも多忙な中村に代わってリハーサルでの歌唱も請け負っていたとか偶然の一致 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)1983年1月、テレビ大好きっ子は毎日どんな番組を観ていたのかさて、♪約束♪とともに代表曲として並べられている、
1983(昭和58)年09月21日(水)に発売された5枚目のシングル♪AGAIN♪は、主演映画『夜明けのランナー』の主題歌であるととともに、「約束」、「愛の中へ」同様に『太陽にほえろ!』のなかでも掛かっていたグリコアーモンドチョコレートのCF曲だったからファンにはおなじみではあったはずなんだけど…、『ザ・ベストテン』では20位圏内にもランキングされることはなく、NHK初出演となった『レッツゴーヤング』やフジテレビ『夜のヒットスタジオ』のほうには出演を果たした一方で、ランキング番組とは無縁のものとなった。それ以降は『ザ・ベストテン』とは縁が切れたかと思いきや、1985年4月の男性司会者・久米宏の降板後に10月の二代目男性司会者・小西博之登場まで、番組は黒柳徹子との代理パートナーとして週替わりでゲスト司会者制度を設けていて、渡辺徹は
1983(昭和58)年05月30日(木)に出演している。#渡辺徹#ザ・ベストテン
https://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-12777618478.html
伝説の40%超え『ザ・ベストテン』 ランキングが公正だったからこその功績
2022(令和四)年01月08日(土) 07:15『 NEWSポストセブン』
2022(令和四)年01月20日(木)号『女性セブン』取材・文/北武司
‡2022(令和四)年01月27日(木)号『女性セブン』取材・文/北武司
1980年代、久米・黒柳の2人は毎週木曜日の顔となり、息の合った名司会で番組を盛り上げた
さかのぼること40年。驚異の視聴率「41.9%」を記録したのが、
1981(昭和56)年09月17日(木)に放送された『ザ・ベストテン』(TBS系)だ。同番組の第189回となったこの回は、コアなファンたちの間で「神回」と呼ばれている──。
【写真】今と変わらない!『ザ・ベストテン』の司会をする黒柳徹子
「現在のTBSの最高視聴率番組がドラマ『日本沈没 ─希望のひと─』(2021年)の約16%ですから、41.9%は目を疑うような数字。平均視聴率20~30%でしたから、いかにおばけ番組だったかがわかります」と話すのは、元TBSアナウンサーで、1986年から約2年半、同番組の司会を務めた松下賢次さん(68才)だ。こんな裏話がある。
「実は『ザ・ベストテン』の第1回放送では、当時絶大な人気だった山口百恵さんが集計の結果11位で選外となった。それを知った局の上層部は、『歌番組、しかも新番組で山口百恵を登場させないなんてことがあるか。ほかの歌手と入れ替えろ』とプロデューサーの故・山田修爾さんに迫った。しかし山田さんは頑なに『それはできません』と譲らなかった。厳正なランキング方式を貫く山田さんの姿勢に、司会の黒柳徹子さん(88才)は信頼を厚くし、『何かの都合で本当の1位じゃない人を、私に1位と紹介させないでくださいね』と微笑んだそうです」(松下さん)こうしたランキング形式の歌番組は従来にない試みで、それゆえ難儀したと語るのは、同番組で美術デザイナーを務めた三原康博さん(84才)だ。三原さんが述懐する。
「『ザ・ベストテン』以前に『TBS歌のグランプリ』という番組があって、それにぼくも多少かかわっていました。そもそも昔の音楽番組は、所属レコード会社が異なる歌手が一緒に出演することはありませんでした。それを変えようとしたのがTBSの音楽班で作曲家でもあった故鈴木道明さん。鈴木さんの働きかけによって、レコード会社も他社の歌手との共演を徐々に承諾するようになっていきました。そうした素地が整った後、『ザ・ベストテン』が企画されたのです。ところが、そうした流れにあっても、歌手の間で順位がつくとなるとまた大変で、出演交渉の段階からかなり難航したようです。制作陣の苦労は相当なものでした」同番組元ディレクターの宇都宮荘太郎さん(68才)が語る。
「ランクインが予想される20~30人の歌手のスケジュールを約2か月先まで調べ、所属プロダクションや歌手の移動先に前もって連絡や根回しをしました。ランキングは流動的で不確定ですから、かなりの激務でした」紆余曲折を経て出演許諾を得た歌手たちの魅力を、番組は最大限引き出そうとした。スタジオで歌う歌手には凝った美術セットを全力で提供する一方、スタジオ出演できない歌手のためにもバンドや音響などの環境を整えた。中継を担った地方局スタッフと綿密な連携をとりながら、10組の歌手を生放送でつないだ。
「追いかけます。お出かけならばどこまでも」というキャッチフレーズが生まれた陰には、全国の系列局の協力があった。芸能ジャーナリストの渡邉裕二さんが言う。
「黒柳徹子と久米宏(77才)による漫才のような早口で軽妙な司会もよかった。トークにたくさんの情報が入っていて、歌手の近況がリアルタイムでわかる“音楽情報ドキュメンタリー番組”でした。また、公正なランキング形式というスタイルは、音楽番組になかなか呼ばれなかった弱小プロダクション所属の歌手にも等しく光を当てた。それも『ザ・ベストテン』の功績だと思います」
◎角田陽一郎 認証済み バラエティプロデューサー/文化資源学研究者 今では音楽番組でよく観る地方の名所からの音楽中継は実は『ザ・ベストテン』が産み出したスタイル。以前の番組は収録日に東京赤坂でスケジュールが押さえられる歌手の範囲で出演者を決めていたのですが、それだと本当のランキング番組はテレビではやれないことになる。それこそ当時の中島みゆきさんや松山千春さんはそもそもテレビ出演自体 N...もっと見る
◎この時代と今とを単純に比較することは滑稽だけど、記事の末尾の「公正だからこそ、、、、音楽番組になかなか呼ばれなかった弱小プロダクション所属の歌手にも等しく光を当てた。」の一文は今にも通じる。 だから、ネット視聴が好まれるのかも知れない。
◎凄く良い時代だった。カラオケで歌える曲のほとんどはベストテンで、ほとんど覚えた。終盤は多少の偏りがあったけど、歌手がほぼ、ブッツケ本番の生歌だったからハプニングが面白かった。
◎2008年頃までは、"オリコンシングルチャート"が割と人気との相関性が強く、それに他の有線や放送のデータを合わせれば、文句のないランキングができたわけです。ところが、その後CDは売れず、
・配信が増えて、そのデータを出さない企業が増えた
・歌だけでは売れず、ダンス・DVD・動画・握手券で売るグループ/事務所が増えた
・動画投稿で儲けるアーティストも増えた
・複数年、人気のある楽曲が増えた
ということで、CDTVが面白くなくなったようにランキングの意味が薄れましたね。日本での歌謡ランキングの意味は、その後もドンドン薄れたように思いますね。
◎「時間よ止まれ」がランクインした矢沢が、ライブを大切にしているという理由で出演が叶わなかった、が、そういった事も含めて、この番組は厳正なんだな、と思った。矢沢ファンの私は、来週こそは出演があるのでは??とワクワクしていた記憶がある。(結局、出演はなかったけど) 黒柳さんも「矢沢さん、来週もお待ちしてます」とテレビを通してお話されていたのも覚えている。
◎矢沢だけではなく、松山千春や中島みゆき、当時ニューミュージックと呼ばれた方々の中にも、テレビに出ないアーティストは他にもいましたね。それでも、ちゃんとランキングに入れて、発表してましたね。
◎矢沢永吉、中島みゆき、チューリップ、南こうせつ、オフコースは一度も出なかった。松山千春は【季節の中で】の時に中継で出演。ギター1本で歌ったのが子供心に印象的でした。【長い夜】でも確かライブ映像で出たかな?…あと甲斐バンドが私は大好きだったのですが、一度だけラジオのスタジオからの中継で出演。一言も黒柳さんと久米さんとは話さずに、酒を飲みながら甲斐さんが勝手に話して、【HERO】を歌ったのも子供には衝撃でした。とにかく木曜9時が毎週楽しみでした。
◎さだまさしさんは放浪旅行中で事務所でも居場所がわからなかった。黒柳さんが「どこにいるんですか、さださん!」と呼びかけるのを、どこかの街の定食屋でごはんを食べながら見ていたと、さださんのエッセイで読んだことがあります。
◎>そんな中でサザンの桑田さんが禁を破って(?)出演したのは痛快だったサザンの所属事務所アミューズの社長は、マネージャーとしてキャンディーズを国民的スターに押し上げた大里さん。実際、サザンのスポットライト出演を直談判したそう。キャンディーズの成功で『テレビの影響力』を誰より知る大里社長だからこそ、サザンという爆発力のあるバンドを“テレビスター”として世に知らしめるという戦略を取ったんだろうね。
◎サザンと原田真二は、最初からテレビで売り出していた人たち 当時徹底的にテレビに出なかったチューリップの財津和夫さんは、近年になってあんなに意固地にならないで出とけば良かったかなぁ、なんて言ってますよ
◎長渕は普通に出てたと思う。TBSで親子ドラマやってたし。スーパースターはスポットライトじゃなかったっけ?
◎そうですね。あの当時、ニューミュージックの歌手は軒並み出演しなかった。そんな中でサザンの桑田さんが禁を破って(?)出演したのは痛快だった。
◎長渕が順子の歌唱中に、「失恋の歌なんで手拍子止めて!」と訴えたのがカッコよかった。あと、吉川晃司のバク宙飛び込み。
◎松山千春とか長渕剛ってスタジオ来たっけ?HOUND DOGは仙台の会場で行われた特番で出た記憶ある
◎長渕剛は日テレの歌のトップテンで離婚した前妻である司会の石野真子の前でスーパースターを唄ったの覚えてるw
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https://news.yahoo.co.jp/articles/cebf8b182fe8102b33b962da9d39d18436a0ffe9
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓日本テレビ系列
┃ 1986(昭和六十一)年 今日の『ザ・トップテン』 ┃司会:堺正章&榊原郁恵
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛20:00-20:54
┌─―――――――┬―――――┐
‡| 1月27日(月) |第247回|新田恵利、C-C-B、少年隊、荻野目洋子、
└─―――――――┴―――――┘小林明子、中山美穂、尾崎和行&コースタルシティ ほか
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http://www.north-tt.com/01_record/01_bestten.php?rb=0&re_rk=tp&re_ymd=20180127
http://kayari.a.la9.jp/topten/index.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 明菜 in『ザ・ベストテン』 ┃
①┃ No.02 ♪セカンド・ラブ♪ 09週 136,913点 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1982(昭和57)年11月10日(水) リリース
‡1983(昭和58)年01月27日(木) 第1位
レ:1 有:2 ラ:1 ハ:2 9839点
第1位獲得回数7回 ☆\(=^◇^=)/☆
第1位獲得回数69回 歴代第1位
1位7週目。軽井沢からの中継。アラレちゃんに声も姿も似ているということで、伊達眼鏡をかけて「んちゃ」。アラレちゃんはこの頃の明菜のネタのひとつでした。そして様々な氷の像を歩き回って明菜は歌唱。 喉の調子がまた悪くなったのか、歌はちょっとつらそう。しかも今回は歌い終わりにセキをしてしまう。ちなみにこの回の明菜の得点は自身の最高得点。はがきが2位のラッキーが効いている。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 明菜 in『ザ・ベストテン』 ┃
②┃ No.19 ♪AL-MAUJ♪ 76,593点 ┃
┃ 8週ランクイン 最高第1位(3週) ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1988(昭和63)年01月27日(水) 7インチシングルレコード
1988(昭和63)年02月25日(木) 8cm CDシングル
1988(昭和63)年12月21日(水) シングルカセット
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①http://wagamamakorin.client.jp/akina-bestten001.html
①https://ja.wikipedia.org/wiki/セカンド・ラブ_(曲)
②http://wagamamakorin.client.jp/akina-bestten005.html
②https://ja.wikipedia.org/wiki/AL-MAUJ
https://www.amazon.co.jp//dp/B006MKNARM
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ 1983(昭和五十八)年 本日の『ザ・ベストテン』第①位獲得作品 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─―――――――┬―――――┐通算7週目
‡| 1月27日(木) |第259回|先週 今週
└─―――――――┴―――――┘ 1 ⇒ ① ♪セカンド・ラブ♪ 中森明菜
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ 1983(昭和五十八)年 今日の『ザ・ベストテン』ランク in 20作品 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
今週 先週 先々週 楽曲 アーティスト レコ 有線 ラジ 葉書 総合得点
● ① 1 1 セカンド・ラブ ㊥森明菜 1 2 1 2 9839
● ② 2 5 恋人も濡れる街角 ㊥村雅俊 4 6 5 - 7939 ㊦↓僅か10点差(=^◇^=)
● ③ 7 8 さざんかの宿 大川栄策 2 1 - - 7929 ㊤↑僅か10点差(>▽<)
● ④ 4 3 3年目の浮気 ヒロシ&キーボー 3 3 7 - 7789
● ⑤ 5 6 愛の中へ 渡辺 徹 7 - 3 5 7646
● ⑥ 8 15 冬のリヴィエラ 森 進一 9 5 - 7 7499
● ⑦ 6 7 Invitation 河合奈保子 - - 4 4 6949
● ⑧ 13 - 春なのに 柏原芳恵 6 - - 9 6903
● ⑨ 3 2 ラブ・シュプール 田原俊彦 - - 2 1 6843
● ⑩ 12 14 琥珀色の想い出 あみん - - 6 - 5909
----------------------------------------------------------------------------------------
● 11 16 - Gジャンブルース シブがき隊 - - - 6 5279
● 12 19 19 ドラマティック・レイン 稲垣潤一 10 - - - 5193
● 13 9 9 Ya Ya(あの時代を忘れない。) サザンオールスターズ - - - - 4606
● 14 20 29 めだかの兄妹 わらべ 8 - - - 4380
● 15 11 10 野ばらのエチュード 松田聖子 - - 8 10 4080
● 16 14 13 哀しみの黒い瞳 郷ひろみ - 10 - - 4020
● 17 - - 大輔★哲太のRock'n Roll 嶋大輔・杉本哲太+① 5 - - - 3950
● 18 17 20 花ぬすびと 明日香 - - 10 - 3840
● 19 24 35 ミッドナイト・ステーション 近藤真彦 - - 9 3 3760
● 20 23 23 あなた 五木ひろし - - - 8 3730
映像◆河合奈保子 Invitation(バリ島電話) 1983年01月27日 https://youtu.be/9baDrfMlexU
今夜映像◆河合奈保子 Invitation(バリ島電話) 1983年01月27日
今夜映像◆河合奈保子 1983年01月27日 Invitation(バリ島電話)B
⑦ Invitation 河合奈保子
⑧ 春なのに 柏原芳恵
⑨ ラブ・シュプール 田原俊彦
⑩ 琥珀色の想い出 あみん
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン~甦る!80'sポップスHITヒストリー~』 ┃(P.191)
┃ 『ザ・ベストテン』高得点①位ランキング ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡ 9839点 1983(昭和58)年 1月27日(木) ♪セカンドラブ♪ 中森明菜
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
④┃ 9700点以上で第①位を獲得した曲 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡第12位(9839点)♪セカンド・ラブ♪ 中森明菜
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①http://edelweiss.inside-ricefield.com/bestten/1983_numberone.html ①http://ja.wikipedia.org/wiki/Template:1983%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%B31%E4%BD%8D%E7%8D%B2%E5%BE%97%E4%BD%9C%E5%93%81 ②http://www.os.rim.or.jp/~katokiti/
③http://www.amazon.co.jp/dp/4048944533 ④http://kajiyannet.web.fc2.com/best10/best10kan.htm
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ オリコンで第⑩位以内(第①位除く)を獲得しながらもベストテンでは第⑩位以内に入らなかった曲 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐オリコン最高位第④位
|1986(昭和61)年 1月27日(月)|リリース ♪悲しいな♪ 杉浦幸
└─――――――――――――┘
音源◆ザ・ベストテンのテーマ ⇒ 久米、黒柳のOPコールあり ⇒ http://youtu.be/6ssipSEhBOc
音源◆ザ・ベストテンのテーマ(ニューバージョン) 新版 ⇒ 黒柳・松下時代 ⇒ http://youtu.be/eOFRw5zXfXA
音源◆ミラーゲートのテーマ ⇒ https://youtu.be/JuPB9wRUSJg
音源◆パタパタ+ミラーゲート(イベント用SE・BGM)) ⇒ https://youtu.be/wtbZ1cyQkXs
はじめが短いver、次が長いver
┏━━━━━━━━━━━┓1978(昭和53)年1月19日(木) 放送Startin'
┃ 『ザ・ベストテン』 ┃1989(平成元)年9月28日(木) 放送The End.
┗━━━━━━━━━━━┛毎週(木)曜 21:00~21:54 <全603回>
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BF%AE%E7%88%BE
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン~甦る!80'sポップスHITヒストリー~』 ┃
┃ 『ザ・ベストテン』が放送された①②年間はこんな年だった ┃(P.192)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛『ザ・ベストテン』が放送された期間は、1978(昭和五十三)年の1月から1989(平成元)年の9月まで。その間世の中で起こったさまざまな出来事を年代別に紹介(=^◇^=)。東京ディズニーランドのオープン、ジョン・レノンの暗殺、山口百恵の結婚・引退、昭和天皇の崩御・・・。昭和から平成に変わる激動の時代を当時の時代を当時のニュースとともに振り返ってみよう(=^◇^=)O♂
┌─――――――――――――┐
| 1983(昭和五十八)年 |【J.TφMMY 13才~14才<㊥①~㊥②>】
└─――――――――――――┘
‡1月27日(木) 青函トンネルの先進導坑が着工から①⑨年で貫通
http://ja.wikipedia.org/wiki/1983%E5%B9%B4
┌─―――――――――――――――――――――――┐
| 浜田省吾の『ザ・ベストテン』省語ROCK(●◎●) |【SHOGO 30~31才】
└─―――――――――――――――――――――――┘
[①]1970年代後半の長い下積み時代、小さな街で数百人を集めてのライヴに全精力を使い果たして、ホテルに帰ってテレビを付けると『ザ・ベストテン』をやっていて、後からデビューした人達が何十万枚とレコードを売って歌う姿を見る。テレビという巨大な主流・メインカルチャーに対して、「ライヴはカウンターカルチャーだと思う。テレビからこぼれ落ちた大切なものを僕達は丁寧にすくって、大切に育ててきた」という自負をインタビューで述べている。
[10]『青空のゆくえ~浜田省吾の軌跡』P.79~80 ⇒ 1978(昭和53)年から始まった『ザ・ベストテン』等で、後輩の原田真二や世良公則&ツイストらがブレイクする㊥、「あ~、俺の時代はやっぱ来ないまま終わるのかなあ」と感じる(*´○`)。o○
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[10] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E7%9C%81%E5%90%BE#cite_note-9
[①]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E7%9C%81%E5%90%BE#.E3.82.B3.E3.83.B3.E3.82.B5.E3.83.BC.E3.83.88.E9.96.A2.E9.80.A3
http://shogo.r-s.co.jp/disco/album10.html ①⑨⑧③
http://ja.wikipedia.org/wiki/Sand_Castle
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菊池桃子、アイドル人生の今/<視線の先>インタビュー
2015(平成27)年1月27日(火)15時49分『トレンドニュース(GYAO)』配信
写真:歌手デビュー30周年記念DVD「菊池桃子inトップテン-日本テレビ秘蔵映像集-」を2014年12月にリリースした菊池桃子さん。
菊池桃子――現在は女優やタレントとして活躍する彼女だが、言わずと知れた80年代アイドルブームを代表するアイドルの1人。歌手デビュー30周年を迎え、アイドル時代を振り返りながら、今思うことについて語ってくれた。
■「あれ? 合格しちゃったなぁ……」
―― 菊池が14歳のとき、本人の写真が、芸能関係者の目にとまりスカウトされ、芸能界入りすることになった。菊池自身は芸能界に対して強い憧れや目標とする芸能人が存在したわけではなく、「見てみたい」という好奇心からの芸能界入りだった為、デビュー以前は、常に「自分にはむいていないのでは」という不安な気持ちがついてまわっていたという。
当時は、自分が芸能界でうまくいくなんて思ってなかったんです。というのも、スカウトされてデビューするまでの2年くらい、いろいろなオーディションを受けていたのですが、なかなかうまくいかなくて、両親も3年くらいしたら諦めるだろうと思っていたみたいです。……だから、ずっと自信が持てなかったんです。そんなとき『パンツの穴』という映画のオーディションに受かって、「あれ、合格しちゃったなぁ」と(笑)。そこからようやく、映画出演、歌手デビュー、私の名前の本『Momoco』が学研から出版され、芸能活動が始まりました。レコードデビューして3枚目の『雪にかいたLOVE LETTER』でようやく全国的に名前を知られるようになって、ようやく「あ、わたしでも大丈夫なんだ。わたしでも出来るんだ」と、少しずつ自信を積み重ねていきました。
菊池桃子、アイドル人生の今/<視線の先>インタビュー
写真:ザ・トップテン『青春のいじわる』にて初登場(1984年5月21日渋谷公会堂)
■放送事故の夢を時々見るんです。
―― 1984(昭和59)年「青春のいじわる」で歌手デビューを果たすと、その後もヒット曲を連発。少しずつ自信を積み重ねたが、それでも日々緊張の連続だったという。
私、実はとても緊張しやすくて、1人で舞台に立って歌うのがすごく怖かったんです。当時、歌番組はほとんど生放送だったのですが、「ステージで歌詞が出てこなかったらどうしよう」なんて放送事故の夢をよく見て、汗びっしょりで目が覚めることがありました(笑)。大人になった今も、回数こそ減りましたけど、まだ時々見ますね。そういった意味では、スタッフさんや共演者の方々が一緒にいて、一人ぼっちにならないお芝居のお仕事は好きでしたね。
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■アイドルからロックバンドへの転機
―― 1988(昭和63)年ロックバンド「ラ・ムー」を結成。今でこそアイドルが、ロックバンドといっても違和感のない時代ではあるが、当時清純派なイメージの強かった菊池が、ロックグループに転身というのは非常に画期的な試み。アイドル時代の一部ファンは戸惑いがあったのだが、菊池自身としては自然な流れだったという。
デビューから同じ音楽スタッフで続けていて、「こういう時代にはこういうのが良いだろう」「今度はこんな感じはどうだろう?」と導いていただいたので、私としてはすごく自然な流れでした。昔から応援してくれていた方々は、「なんか急に派手になっちゃってハラハラした」とか賛否両論あったみたいですが、今のようにネット時代ではなかったので、あまり私の耳には入ってきませんでした。私としては、「ソロもラ・ムーも含めて愛していただきたい」という思いで、一生懸命でしたね。
■音楽を通じて暮らしが豊かに。
実は小さい頃から音楽は好きで、親の勧めもあってピアノを習い事として続けていました。ラ・ムーのメンバーはスタジオミュージシャンの方が多く、そういう環境の中に身を置くことで、クラシックの譜面だけではなく、音楽理論やピアノも上達しました。楽器を弾くのはいまだに好きで家でよく弾いています。
子どもを持つようになってからは、ポケモンや、NHKの子供番組の曲など、いろいろ耳でコピーをして自分で弾いて聴かせるんです。そうすると「お母さん、魔法使い!」「もっと歌って」と喜ばれましたね(笑)。最近だと娘の好きなバンドのSEKAI NO OWARIを弾いて「お母さん完全コピーじゃん!」なんて褒められています(笑)。
親からお稽古事として与えてもらったピアノの基礎があって、ソロで活動したときの積み重ね、そしてラ・ムーでポップスを知り、今は音楽を通じて暮らしが豊かになっているなぁと実感しています。
■芸能活動・母親・大学教授という“3足のわらじ”
――「ラ・ムー」以降、菊池は芸能活動での軸足を女優へとシフトさせていく。
大学卒業を機に、今までよりも芸能活動できる時間が増えて、連続ドラマに何本か続けて出演しました。女優のお仕事って年代年代で違った役が来るので、自分でも夢中になってしまいました。
――そして1995年に26歳で結婚。96年には長男、2001年には長女を出産し、女性として“母親”という人生の大きな転換期を迎える。さらに近年になって母校・戸板女子短期大学の客員教授に就任。雇用政策におけるキャリア教育の講義を受け持つことになるが、そのきっかけは、長女の障がいにあった。
長女が乳児期に脳梗塞を患い、手足に軽度の後遺症が残りました。子どもを導くにあたって、最初は独学で子育ての仕方や<生きていく>ということについて勉強し始めました。本をたくさん読んだり、いろいろな人の講演を聞きに行ったり、時には論文を読んでみたり。勉強への欲が、独学から教育機関に向き「もっと深い勉強をしたい」「まだ体力も時間もある。だったら真剣に勉強してみよう」と思ったのが39歳の時でした。それが人との出会いや学問との出会いで、今、母校である戸板女子短期大学で客員教授として、教える機会まで持てるようになりました。
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■「気がついたら、30年たっていました」
歌手デビュー30周年を迎えた今の心境を聞いたときの菊池の言葉だ。14歳で芸能界に入り、歌手デビューし、ロックバンド、そして女優やタレント――。
結婚して母親となり、そして大学教授へ。これまでの30年間には幾度もの転換期があったが、自然体であり続けた。自分自身で居続けること、それがいかに難しいことかは言うまでもないだろう。インタビューの最後に彼女の座右の銘をうかがって、納得。
「笑う門には福来る」――なるほど、彼女が常に自然体でいられたのは、その前向きな笑顔がもたらした「福」だったのだろう。
菊池桃子、アイドル人生の今/<視線の先>インタビュー
写真:歌手デビュー30周年記念DVD「菊池桃子inトップテン-日本テレビ秘蔵映像集-」
☆歌手デビュー30周年記念DVD「菊池桃子inトップテン-日本テレビ秘蔵映像集-」発売中。日本テレビの歌番組「ザ・トップテン」「歌のトップテン」出演映像、全52回が完全収録。DISC2には「スーパーJOCKEY」「うるとら7:00」への出演・歌唱映像といった秘蔵映像も収録されている。
◆菊池桃子(きくちももこ)
1968(昭和43)年5月4日(土)生まれ、東京都出身。1983(昭和58)年11月に学研のアイドル雑誌「Momoco」のイメージガールとして創刊号の表紙を飾り、1984年3月公開の映画「パンツの穴」でデビュー。同年「青春のいじわる」でレコードデビュー。現在、女優・歌手・講演活動のほか、ナレーション・CM・婦人雑貨のプロデュースを務める。2012年3月法政大学大学院政策創造専攻修士課程修了後、母校である戸板女子短期大学の客員教授に就任しキャリア教育の講義を担当している。
2014年デビュー30周年記念してCD「青春ラブレター ~30th Celebration Best~」、
DVD「30th anniversary 菊池桃子 in トップテン」が発売。
(文/花@HEW)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150127-00010001-trendnewsn-ent
菊池桃子「トップテン」全出演映像収めたDVD
2014年10月20日 13:52
菊池桃子のDVD「30th anniversary 菊池桃子 in トップテン -日本テレビ秘蔵映像集-」が12月24日にリリースされる。
このDVDは名前の通り、日本テレビ系列で放送されていた音楽番組「ザ・トップテン」「歌のトップテン」の菊地出演回の映像をパッケージしたもの。DVDは2枚組となり、DISC 1には「雪にかいたLOVE LETTER」や「もう逢えないかもしれない」「Say Yes!」などソロ名義のものから、ラ・ムー「愛は心の仕事です」「少年は天使を殺す」まで、菊池の両番組への出演回全52回の歌唱映像が完全収録される。また副音声として菊池本人のオーディオコメンタリーも収録予定。一方DISC 2には「スーパーJOCKEY」「うるとら7:00」といったほかの日本テレビ系番組出演時の映像が収められる。
菊池桃子「30th anniversary 菊池桃子 in トップテン -日本テレビ秘蔵映像集-」収録内容
DISC 1
・青春のいじわる
・SUMMER EYES
・雪にかいたLOVE LETTER
・卒業 -GRADUATION-
・BOYのテーマ
・もう逢えないかもしれない
・Broken Sunset
・夏色片思い
・Say Yes!
・アイドルを探せ
・Nile in Blue
・ガラスの草原
・愛は心の仕事です
・少年は天使を殺す
DISC 2
・「スーパーJOCKEY」「うるとら7:00」出演映像など
http://natalie.mu/music/news/129093
歌手デビュー30周年を迎えた伝説のアイドル、菊池桃子。日本テレビ系列で放送された「ザ・トップテン」「歌のトップテン」などの当時の貴重な歌唱映像を収録したDVD-BOXを発売
購入者特典「オリジナルマグネットクリップ」は在庫分終了致しました。
【商品概要】1984年にデビューし人気を博した伝説のアイドル、菊池桃子。数々のヒット曲をリリースし、武道館公演も行うなど正統派美少女アイドルとして活躍した彼女は、2014年歌手デビュー30周年を迎えました。
その節目の年に、日本テレビ系列で放送された「ザ・トップテン」「歌のトップテン」などの当時の貴重な歌唱映像を収録したDVD-BOXが発売決定!RA MUも含む、秘蔵映像たっぷりの内容でお届けいたします。
【収録内容(予定)】■DISC1「ザ・トップテン」「歌のトップテン」の菊池桃子およびRA MUの出演映像を完全収録!(全52回)<歌唱曲>「青春のいじわる」「SUMMER EYES」「雪にかいたLOVE LETTER」「卒業-GRADUATION-」「BOYのテーマ」「もう逢えないかもしれない」「Broken Sunset」「夏色片思い」「Say Yes!」「アイドルを探せ」「Nile in Blue」「ガラスの草原」「愛は心の仕事です」「少年は天使を殺す」
★菊池桃子本人によるコメンタリーを収録!
■DISC2「スーパーJOKEY」「うるとら7:00」の歌唱映像を収録!さらに菊池桃子写真展で上映されたメイキング映像も収録!
【封入特典】
・40p豪華ブックレット(全シングルレコードのジャケット、各映像の放送日、ランキングなどを掲載ほか)
・デジスタック、クリア三方背BOX仕様
・ミニカード6枚
【スペック】ディスク:2枚組 収録時間:207分 仕様:片面二層・一層/COLOR/4:3/ドルビーデジタル/STEREO/MPEG-2/NTSC
製作協力:パーフィットプロダクション 協力:フジテレビジョン 文化放送 円谷プロダクション スペシャルサンクス:鈴木おさむ 製作著作:日本テレビ
※内容・仕様等は変更となる場合がございます。※放送当時のテープを使用しているため、一部音声・映像に乱れがある部分がございます。予めご了承ください
http://www.vap.co.jp/goods/1413337040705/
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┃ 『30th Anniversary 菊池桃子 in トップテン 日本テレビ秘蔵映像集』 ┃
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|2015(平成27)年12月24日(水)| 価格:¥6,393 通常配送無料
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ディスク:1
01. 青春のいじわる (放送日:1984年05月21日 第10位(セット:ジュース)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
02. SUMMER EYES (放送日:1984年08月06日 第9位(セット:スイカ)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
03. SUMMER EYES (放送日:1984年09月10日 第10位(セット:貝)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
04. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1984年11月19日 第10位(セット:ロッジ風ホテル)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
05. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1984年11月26日 第4位(セット:クリスマスカード)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
06. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1984年12月03日 第4位(文化放送 第一スタジオからの中継)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
07. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1984年12月10日 第8位(東京タワー展望台からの中継)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
08. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1984年12月17日 第7位(一橋大学・中和寮からの中継)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
09. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1984年12月24日 第4位(福岡・博多 スターレーン ボウリング場からの中継)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
10. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1985年01月07日 第4位(セット:ロッジ風ホテル)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
11. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1985年01月14日 第5位(セット:雪の結晶~花)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
12. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1985年01月21日 第6位(元麻布・スタジオアビからの中継)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
13. 卒業-GRADUATION- (放送日:1985年03月18日 第8位(銀座・東京交通会館スカイラウンジからの中継) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
14. 卒業-GRADUATION- (放送日:1985年03月25日 第4位(セット:卒業アルバム)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
15. 卒業-GRADUATION- (放送日:1985年04月01日 第3位(セット:花)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
16. 卒業-GRADUATION- (放送日:1985年04月08日 第5位(イメージスタジオ109前からの中継)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
17. 卒業-GRADUATION- (放送日:1985年04月15日 第5位(セット:卒業アルバム)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
18. 卒業-GRADUATION- (放送日:1985年04月29日 第7位(調布・日活撮影所からの中継)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
19. BOYのテーマ (放送日:1985年06月03日 第9位(日音スタジオからの中継)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
20. BOYのテーマ (放送日:1985年06月10日 第4位(セット:UFO)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
21. BOYのテーマ (放送日:1985年06月17日 第1位(セット:海底)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
22. BOYのテーマ (放送日:1985年06月24日 第1位(セット:草原、風車)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
23. BOYのテーマ (放送日:1985年07月01日 第2位(セット:宇宙船)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
24. BOYのテーマ (放送日:1985年07月08日 第4位(新宿・日本テレビ音楽学院からの中継)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
25. もう逢えないかもしれない (放送日:1985年10月14日 第5位(セット:すすき)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
26. もう逢えないかもしれない (放送日:1985年10月21日 第3位(セット:空港と飛行機)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
27. もう逢えないかもしれない (放送日:1985年10月28日 第2位(セット:大きな靴)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
28. もう逢えないかもしれない (放送日:1985年11月04日 第4位(日本テレビスタジオ内、象)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
29. Broken Sunset (放送日:1986年03月03日 第3位(セット:ひな壇)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
30. Broken Sunset (放送日:1986年03月10日 第6位(セット:公園、噴水)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
31. Broken Sunset (放送日:1986年03月17日 第10位(セット:階段)) (『ザ・トップテン』における歌唱映像)
32. 夏色片想い (放送日:1986年06月02日 第5位(セット:花壇の下に水槽)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
33. 夏色片想い (放送日:1986年06月09日 第2位(神戸ワールド記念ホールからの中継)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
34. 夏色片想い (放送日:1986年06月23日 第7位(セット:花壇、虹)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
35. Say Yes! (放送日:1986年09月22日 第3位(セット:青空)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
36. Say Yes! (放送日:1986年10月06日 第2位(フジテレビ第1スタジオからの中継)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
37. Say Yes! (放送日:1986年10月13日 第4位(日本テレビのスタジオ、花壇)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
38. Say Yes! (放送日:1986年10月20日 第4位(セット:電光)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
39. Say Yes! (放送日:1986年10月27日 第9位(セット:レンガ風の白壁)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
40. アイドルを探せ (放送日:1987年04月13日 第7位(セット:星空に電飾のMOMOKO)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
41. アイドルを探せ (放送日:1987年04月20日 第2位(セット:レンガ風の白壁、階段、青空)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
42. アイドルを探せ (放送日:1987年04月27日 第1位(セット:喫茶店)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
43. Nile in Blue (放送日:1987年08月17日 第3位(セット:ジャングル)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
44. Nile in Blue (放送日:1987年08月31日 第3位(セット:ピラミッド)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
45. Nile in Blue (放送日:1987年09月07日 第4位(東京厚生年金会館からの中継)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
46. ガラスの草原 (放送日:1987年10月19日 チャート無し(生田スタジオからの中継)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
47. ガラスの草原 (放送日:1987年10月26日 第8位(セット:油絵)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
48. ガラスの草原 (放送日:1987年11月02日 第6位(セット:オープンカフェ)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
49. 愛は心の仕事です (放送日:1988年03月14日 第8位) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
50. 愛は心の仕事です (放送日:1988年03月21日 第9位(セット:グループ名入りセット)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
51. 少年は天使を殺す (放送日:1988年06月27日 第10位(セット:樹木)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
52. 少年は天使を殺す (放送日:1988年07月04日 第9位(セット:ジャングル)) (『歌のトップテン』における歌唱映像)
ディスク:2
01. 雪にかいたLOVE LETTER (放送日:1984年12月30日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
02. 卒業-GRADUATION- (放送日:1985年02月17日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
03. 卒業-GRADUATION- (放送日:1985年03月10日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
04. BOYのテーマ (放送日:1985年05月26日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
05. BOYのテーマ (放送日:1985年06月30日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
06. もう逢えないかもしれない (放送日:1985年09月01日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
07. もう逢えないかもしれない (放送日:1985年09月15日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
08. Broken Sunset (放送日:1986年01月26日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
09. Broken Sunset (放送日:1986年03月02日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
10. 夏色片想い (放送日:1986年05月11日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
11. 夏色片想い (放送日:1986年06月01日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
12. Say Yes! (放送日:1986年09月14日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
13. Say Yes! (放送日:1986年10月05日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
14. DEJA VU (放送日:1986年12月21日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
15. アイドルを探せ (放送日:1987年03月08日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
16. Yokohama City of Lights (放送日:1987年06月28日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
17. Nile in Blue (放送日:1987年08月02日) (『スーパーJOCKEY』における歌唱映像)
18. Ivory Coast (放送日:1987年03月28日) (『うるとら7:00』における歌唱映像)
19. アイドルを探せ (放送日:1987年03月28日) (『うるとら7:00』における歌唱映像)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00OOCAHUS
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E6%A1%83%E5%AD%90