過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)

 

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 ┃ 呉そごう ┃
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  ※呉ではじめての、都市型本格派百貨店
 1981(昭和56)年06月X日(X)『呉駅前再開発特別委員会』設置
‡1987(昭和62)年09月26日(土) 設立
 1988(昭和63)年02月01日(月) 呉市交通局は国鉄が所有する隣地に建築した新庁舎に移転
 1988(昭和63)年02月08日(月) 呉駅前西地区第一種市街地再開発計画認可
 1988(昭和63)年08月X日(X) 建物着工
 1990(平成仁)年03月01日(木)『呉駅前西地区再開発ビル』交通局権利分の貸付事業開始
 1990(平成仁)年03月03日(土) 同時に建築していた貸しビル『交通局西中央ビル』が完成
 1990(平成仁)年03月18日(日) 株式会社そごう(初代)の系列会社である株式会社呉そごうにより、そごうの27号店「呉そごう」として開店
 1990(平成仁)年06月X日(X) 事業終了の認可公告
 2000(平成12)年07月26日(水) 民事再生手続開始決定。
 2001(平成13)年02月X日(X) 100%減資を行い株式会社十合の完全子会社となる
 2002(平成14)年02月X日(X) 株式会社そごう(初代)が、現そごう横浜店の旧法人であった株式会社横浜そごうに吸収合併され解散、横浜そごうが株式会社そごう(2代目)に商号変更
 2002(平成14)年09月01日(日) 株式会社そごうに吸収され、呉そごうは解散。店舗呼称を「そごう呉店」に変更
 2002(平成14)年09月01日(日)「十合」傘下の再生各社との合併により、百貨店運営会社「株式会社そごう(旧株式会社横浜そごう)」へ統合
 2009(平成21)年08月01日(土) そごうを存続会社として、西武百貨店、持ち株会社ミレニアムリテイリングと合併、株式会社そごう・西武の運営となる
 2012(平成24)年06月27日(水) 運営するそごう・西武が、そごう呉店を2013年1月末で営業終了する方針であると発表
 2013(平成25)年01月31日(木) 閉店
 ※・・・日本百貨店協会に入っている系列の店舗としては呉初である。ただし、1970年代に『大呉百貨店』ジャスコ系列・現「クレアル」『銀座デパート』ニチイ系列・現在閉店『いづみ呉店』イズミ系列・現『イズミシティパルク呉』があり、当時の百貨店並みの施設を有していた。また、市内には小規模店舗の福屋呉店がある
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/そごう呉店
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 ┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 1954(昭和29)年09月26日(日) 青函連絡船・洞爺丸が転覆、沈没。1155人死亡 ⇒ 台風15号の接近に伴う強風の中、函館港を出港した国鉄の青函連絡船・洞爺丸が、高波を受けて航行不能に陥り、出港からおよそ4時間後の午後10時45分、転覆して沈没した。乗客乗員の多くは海へ投げ出され、1155人が死亡、わが国最大の海難事故となった。写真は事故の翌朝、転覆した洞爺丸に近づく救助船【時事通信社】
 1959(昭和34)年09月26日(土) 伊勢湾台風が上陸。死者・行方不明者5000人超
 1972(昭和47)年09月26日(火) プロ野球阪急の福本豊選手がシーズン105個目の盗塁を決め、世界記録達成
 https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2001(平成13)年9月26日(水) 代打逆転サヨナラ満塁優勝決定弾!近鉄が球史に残る劇的優勝
‡2017(平成29)年9月26日(火) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月26日だ。 
 写真◆あまりにも劇的な代打逆転サヨナラ満塁弾を放った北川は大きくジャンプした
「これはもしかしたら……」 
 9回裏、先頭の六番・吉岡雄二が出塁したとき、近鉄・梨田昌孝監督はそう感じたという。近鉄は2対5とオリックスに3点のリードを許していた。 
 これはたぶん梨田監督だけではない。この年の近鉄は選手もファンも“あきらめが悪かった”。楽天的というわけではなく、何度も何度も奇跡のような逆転勝利を飾っていたからだ。中村紀洋、ローズらを擁する自慢のいてまえ打線が、それだけ猛威を振るっていたことに加え、投手陣がモロかったからでもある。 
 この日も、そのまま無死満塁とし、打席には代打・北川博敏が入る。阪神から移籍1年目、サヨナラ打を連発し、自らヘルメットに「サヨナラ男」のステッカーを貼っていた男だ。敵将・仰木彬監督も「やばいかな」と感じ、次の投手を考えて始めていたというが、もう遅い……。 
 オリックス・大久保勝信が2ストライク1ボールから投じたスライダーにバット一閃。打球はレフトスタンドへ飛び込んだ。代打・逆転・サヨナラ・満塁・本塁打だ。 
‡2001(平成13)年9月26日(水)、大阪ドーム。2年連続最下位だった近鉄が、これ以上ない劇的な展開で12年ぶり、そして結局最後となる優勝を飾った日だ。 
 梨田監督は、いつものように穏やかな笑みを浮かべ、「夢のような優勝、素晴らしい仲間たちと優勝できて本当にうれしい」と語った。二軍監督を経て00年に一軍監督就任。「監督は手助けできても手出しはできない」が口癖。放任主義の下で、いてまえの男たちは伸び伸びと躍動し、頂点をつかんだ。ただし、その笑顔の奥には、現役時代の恩師・西本幸雄氏が驚いたほどの頑固さと負けん気の強さがあった。だからこそ、腹をくくって、あれだけ攻撃的な野球ができたとも言える。梨田監督もまた、いてまえの血を受け継ぐ、荒ぶる男だった。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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 1977(昭和52)年9月28日(水) 野球を取るか女を取るか迫られ、南海・野村克也監督が退任!
 2017(平成29)年9月28日(木) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月28日だ。 
 写真◆チームは2位と健闘していたのだが……
‡1977(昭和52)年9月26日(月)、スポーツ紙が「南海・野村克也監督解任」とぶち上げた。南海のプレーイングマネジャーだった野村は、離婚前から前夫人と別居し、現・沙知代夫人と新スタートを切っていた(のちに離婚成立が
 1977(昭和52)年9月22日(木)だったと明らかになった)。 
 記事の内容は、この沙知代夫人がグラウンドや監督室に出入りし、さらにはコーチ会議にまで顔を出して選手の起用法にまで口を出すのはおかしいと、選手から不満が出ているというものだった。 
 それが川勝オーナーの耳に入った。もともと野村監督を高く評価していた人物だが、騒ぎが大きくなったため、事態収束に向け、「野球を取るか、女を取るか」と野村監督に迫ったが、野村監督はなんと「女」、つまりは沙知代夫人を選んだ。 
 1977(昭和52)年9月28日(水)は、野村監督の退任が発表された日だ。ただ、本人はその間、マスコミとの接触を断ち、野村を慕う江夏豊、柏原純一、高畠導宏コーチと自宅マンションに「籠城」。
 1977(昭和52)年10月5日(水)になって記者会見を開き、「彼女がコーチ会議に出たというのはまったくのデマ。私が刑事事件でも起こしたのならともかく球団は非常識過ぎる」と反論。さらに「鶴岡元老(一人。前監督)の圧力で吹っ飛ばされた」との発言もあった。夫人の現場介入など口実に過ぎず、鶴岡氏の息のかかったコーチ陣を一掃したことでクビに追い込まれた、と主張したのだ。 
 その後、野村はチームを退団し、「生涯一捕手」と覚悟を決めてロッテに移籍。野村派の3人もロッテへの移籍を希望したが、結局、江夏は広島、柏原は日本ハム、高畠コーチのみロッテに移ることとなった。南海はその後、ダイエーとなり、97年までずっとBクラス。これは「ムースの呪い」というべきだろうか(野村氏の愛称がムースだった)。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170926-11
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170928-12
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 ┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.435 ┃  60円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1966(昭和41)年09月26日(月)号 西鉄・稲尾和久の熱投
 2019(平成31)年04月05日(金) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎中日・江藤慎一のヘッドスライディング
 写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
 今回は『1966年9月26日号』。定価は60円だ。 
 第一次ドラフト会議では249人の中から99人が選択された。本来は100人だったようだが、中日の8位指名、名商大の高井論が実は大学を中退していなかったことが分かり、指名取り消し、99人となった。 
 話題の中心は阪神の1位・江夏豊。東海大進学の線も消えてもらず、条件面で交渉中のようだが、もともと「プロなら村山(実)さんのいる阪神に」と話しており、入団は間違いないだろう。 
 意外だったのは、東映が3位で指名したPL学園高の加藤秀司。亜大、松下電器から熱心に勧誘されていたというが、「大学はあまり好きじゃないし、どうせやるなら最高のプロでやってみたい。金銭にこだわるのは嫌いだから、退団後東映で仕事(もちろん役者ではなく、一般社員)をさせてもらえればお世話になります」と言ったらしい。 
 実際には拒否し、松下に進んでいる。のち阪急の中心打者だ。 
 セの優勝はほぼ巨人で決まり、首位打者争いも、ほぼ決着。9月12日現在.346で、2年間無冠だった巨人・長嶋茂雄がタイトルをほぼ手中に収めていた。 
 2分3厘強の差をつけられた中日・江藤慎一も、それまでは3年連続首位打者に執念を燃やし、間一髪のタイミングでの一塁にヘッドスライディングも話題となっていた。 
 パフォーマンスではないか、という声もあったようだが、江藤は「必死なだけ」と否定する。 
 後日談になるが、長嶋茂雄が「ずっと長嶋茂雄でいるのは大変なんです」といったことがあるが、江藤もまた、「ずっと江藤慎一でいるのは大変」だったのかもしれない。 
 このときは、悪いことに、それが裏目に出る。 
 9月11日、三塁ゴロでヘッドスライディングをした際に左手中指を脱臼。以後は思うようなバッティングができなくなった。 
 一方のパは首位の南海に西鉄が迫る。9月9日から平和台、小倉で直接対決3連戦。両者の差は3.5ゲーム差だった。 
 まず初戦は西鉄先発の田中勉が南海打線を抑え、今季18勝目。田中は6回に降板し、残りを稲尾和久が投げ切っての勝利だった。中西太兼任監督も4回に代打で登場し、犠飛を放っている(この試合のゲームセットの瞬間の写真が掲載されていたが、田中はなぜか私服。この号に特に説明はない)。 
 翌日も西鉄は清俊彦が4回につかまると、再び稲尾を投入し、1失点で抑え、今度は勝利投手に。中西監督は、 
「稲尾の神通力を信じた。やっぱり彼は大投手や。それにすっかりエンジンがかかっとる。きょうは会心の勝利や」 
 とご機嫌だった。 
 第3戦は敗れたが、西鉄と南海のゲーム差は2.5。気の早い博多のファンは商店街の「祝優勝」の横断幕をもう発注したと話していた。 
 それにしてもだが、63年で8年連続20勝以上が途切れ、一度は投手生命絶望と言われた鉄腕・稲尾。この年はロングリリーフがメーンになったが、54試合に投げ、投球回は185回3分の2。 
 言い方が妥当かどうか分からないが、命を削って投げていたように思う。 
 では、また月曜日に。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190404-01
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
①┃ プロ野球仰天伝説 No.010 ┃ ONLINE
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
 ヘルメットなしの頭に当たっても痛がりもしなかった岩本義行
 2018(平成30)年1月2日(火) 11:06 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 鉄でできていた頭?
 優しさと美学にあふれていた岩本
 ヘルメットなどなかった1940、50年代、死球がどこに当たってもまったく痛がらなかったのが、岩本義行だ。怪力を生かし、構えた位置から、ほぼ無反動で長打を量産する神主打法で知られた強打者だった。 
 ずんぐりした体ながら足も速く、38歳で迎えた松竹時代の50年にはトリプルスリーも達成している。52年には長く日本最多記録だった24死球の記録も作った。 
 小さいころから腕っぷしが強く、体が頑丈にできていたのは確かだが、頭部に来てもほとんどよけず、痛がりもしなかったのだからすごい。 
「あんちゃん(岩本のあだな)の頭は鉄でできているんじゃないか。ボールのほうがへこむらしいぞ」という話がまことしやかに言われたほどだ。 
 ただ、実は違う。 
「痛いに決まっているよ。時には息が詰まるようなこともあった。ただ、みんなの前でいかにも痛そうに倒れたり、変な格好をしたりするのがイヤじゃった。それに死球を受けた投手を恨みはせん。狙ったわけでもないだろうし、当たった自分がヘタなんじゃ。ワシのヘタさを棚に上げて痛がるわけにはいかんでしょ」 
 優しさと美学からの強がりだった。 
●岩本義行(いわもと・よしゆき) 
 1912(明治45)年3月11日(月)生まれ。
 広島県出身。広陵中から明大を経て社会人で活躍後、
 1938(昭和13)年に南海入団も開幕前に応召し、
 1940(昭和15)年に復帰。戦後は
 1949(昭和24)年に大陽で球界復帰。
 1950(昭和25)年にはトリプルスリーを達成し、松竹の優勝に貢献。
 1952(昭和27)年大洋に移籍し、
 1953(昭和28)年限りで引退も
 1956(昭和31)年東映に監督兼任で復帰。
 1957(昭和32)年で現役を引退し、監督専任に。
 1981(昭和56)年野球殿堂入り。
†2008(平成20)年9月26日(金)死去。通算成績856試合、859安打、123本塁打、487打点、140盗塁、打率.275
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②┃ プロ野球仰天伝説 No.191 ┃ ONLINE
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
 ダメ虎に灯ったかすかな光明。ドライチ、5連続完投の“快記録”
 2018(平成30)年7月2日(月) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 シーズン終盤に起こった“奇跡”
 写真◆阪神・湯舟敏郎
 1991(平成三)年の阪神は残り18試合で早くも2年連続最下位が目前。秋風がビュービューと吹きまくっていた甲子園球場に、ある“奇跡”が起こった。 
 まずは1991(平成三)年9月22日(日)の横浜大洋戦。お立ち台で涙を流した阪神先発・中込伸の完投勝利からだ。 
「すごくうれしいです。これまでなかなか勝てず、スカウトの方や田舎の監督、コーチのみなさんにも、ご迷惑をおかけしました……」 
 背番号は99と大きいが、1989(平成元)年のドラフト1位。右ヒジの手術もあり、これがプロ初勝利だ。この消化試合から、史上例を見ない“怪記録”がスタートした。 
翌1991(平成三)年9月23日(月)の同カードで、今度は新人ドライチの湯舟敏郎が先発での2試合連続完投勝利(完封)。さらに
 1991(平成三)年9月24日(火)からのヤクルト3連戦の初戦で、88年のドライチ、野田浩司が3失点完投勝利、続く
 1991(平成三)年9月25日(水)には1987(昭和62)年のドライチ、猪俣隆が1失点完投勝利。これで4連続完投勝利だ。阪神にとって、
 1977(昭和52)年4月07日(木)の6連続完投勝利以来14年ぶりとなる。 
‡1991(平成三)年9月26日(木)、今度は1990(平成二)年のドライチ、葛西稔が1失点完投勝利。まさに前代未聞、ドラフト1位だけの5連続完投勝利を達成した。 
 阪神は、これでこの年初の5連勝、3連戦初の3タテ、2年目の中村勝広監督にとって、就任以来初の月間勝ち越しでもあった。この間、和田豊、八木裕、オマリーら打線も好調。遅まきながら“勝ちパターン”もできてきた。 
 しかし1991(平成三)年9月28日(土)、甲子園を離れた途端、“魔法”が解けた。中日に8対9と逆転負け。以後、閉幕まで2勝11敗とダメ虎へと完全に逆戻り。ただし、我慢しながら5人を軸に作った先発投手陣は翌年も機能。リーグトップの防御率2.90を残し、2位躍進の原動力となった。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180102-13
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180702-13
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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