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┃ 『トットちゃん!』 ┃テレビ朝日系列
┗━━━━━━━━━━━┛ 12:30~12:50
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|2017(平成29)年10月23日(月) 第04週 第16話|演出・・・星田良子
|2017(平成29)年10月24日(火) 第04週 第17話|演出・・・星田良子
‡|2017(平成29)年10月25日(水) 第04週 第18話|演出・・・星田良子
|2017(平成29)年10月26日(木) 第04週 第19話|演出・・・星田良子
|2017(平成29)年10月27日(金) 第04週 第20話|演出・・・星田良子
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┃ 『Lovin' You』 ┃‡2017(平成29)年10月25日(水)配信
┗━━━━━━━━━┛ 松下奈緒 エピックレコードジャパン
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93!
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徹子の部屋 細野晴臣(画質悪いです) http://youtu.be/IwhK-BW_Zcg
細野さんの徹子の部屋です。1980年だと思います。黒柳さんが去年の10月25日(土)付の読売新聞(3:45)
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年10月25日(月)大屋政子
②1977(昭和52)年10月25日(火)丹阿弥谷津子
③1978(昭和53)年10月25日(水)大木実
④1979(昭和54)年10月25日(木)里見浩太朗
⑤1982(昭和57)年10月25日(月)桂歌丸
⑥1983(昭和58)年10月25日(火)小林登美枝
⑦1984(昭和59)年10月25日(木)富士真奈美
⑧1985(昭和60)年10月25日(金)池波志乃
⑨1988(昭和63)年10月25日(火)小松原庸子
⑩1989(平成元)年10月25日(水)尾崎紀世彦
⑪1990(平成二)年10月25日(木)三沢あけみ
⑫1991(平成三)年10月25日(金)品田雄吉
1993(平成五)年10月25日(月)日本シリーズ『ヤクルト対西武』放送のため休止一日目
⑬1994(平成六)年10月25日(火)三遊亭金馬
⑭1995(平成七)年10月25日(水)ムスティスラフ・ロストロポービッチ
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑮1996(平成八)年10月25日(金)大谷直子
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
2001(平成13)年10月25日(木)坂口憲二
2006(平成18)年10月25日(水)吉行和子×冨士眞奈美
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http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
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┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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|2001(平成13)年10月25日(木) 坂口憲二 |第回
└─―――――――――――――――――┘
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2001/h13_10_25.html
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|2002(平成14)年10月25日(金) 加藤登紀子 |第回
└─――――――――――――――――――┘
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-10-25.html
┌─―――――――――――――――――――――――┐
|2006(平成18)年10月25日(水) 吉行和子・冨士眞奈美 |第回
└─―――――――――――――――――――――――┘「大親友2人で…」
http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
┌─――――――――――――――――――┐
|2007(平成19)年10月25日(木) 藤原 紀香 |第回
└─――――――――――――――――――┘「新婚爆笑ハプニング告白」今年、お笑い芸人の陣内智則さんと結婚し、幸せいっぱいの藤原紀香さんがゲスト。2人とも多忙な毎日を送っているが、出来るかぎり一緒に自宅で食事をするように心掛けているという。紀香さんが作る健康に配慮した手料理のおかげか、陣内さんのジーンズのサイズは3サイズも小さくなったという。新婚生活の中では、オトボケのハプニングが続出。爆笑モノの告白に乞うご期待!
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■木曜ドラマ『おいしいごはん 春日井米店』10月25日 よる9時スタート
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/071025.html
┌─―――――――――――――――――――――┐
|2010(平成22)年10月25日(月) 絵本作家 宮西達也|第回
└─―――――――――――――――――――――┘「今大ブームの恐竜物語に黒柳も感動」「今大ブームの恐竜物語に黒柳も感動」シリーズ9作、累計販売部数が150万部を超える大ヒット絵本「おまえうまそうだな」シリーズの作者・宮西達也さん。肉食恐竜が草食恐竜の赤ちゃんを拾い食べようとしたところ、何故か「お父さん」と呼ばれ父性に目覚めてしまった…。こんな奇想天外な筋書きに、親子そろってのファンも多いという。「絵本は読み聞かせるべき」という宮西さんが、自ら読み聞かせを披露してくれる。
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☆紹介した本
1「まねしんぼう」岩崎書店より発売中
2「おまえうまそうだな」(シリーズは9作あります)ポプラ社より発売中
マペットはポプラ社ホームページまたは本屋さんから購入注文できます
ティラポン(ティラノサウルス)1260円 うまそう(アンキロサウルス)1480円
☆ 紹介した映画「おまえうまそうだな」公開中
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/101025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=442528/
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|2011(平成23)年10月25日(火) 田部井淳子 |第9088回
└─――――――――――――――――――┘「世界的登山家72歳の新たな挑戦!」36年前、女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した登山家の田部井淳子さん。そのバイタリティーは衰えを知らず、72歳の現在でも各国の名峰に挑戦し続けている。そして今、田部井さんを魅了するのは意外にも(?)シャンソン。華麗なロングドレスに身を包み、歌手としてステージに立つ様子を紹介する。
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☆番組内で紹介された田部井淳子さんの著書「田部井淳子の人生は8合目からがおもしろい」主婦と生活社 より発売中 定価1,260円(税込)
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/111025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=520900/
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|2012(平成24)年10月25日(木) 入江 陵介 |第9344回
└─――――――――――――――――――┘「祝 メダル3個獲得した22歳の素顔」ロンドンオリンピックで大活躍をしたメダリスト入江陵介さんが3つのメダルを持って登場する。3人兄弟の末っ子に生まれ、愛情タップリで可愛がられて育った入江さん。文武両道を目指す入江さんは、高校時代の成績が「オール5」だったとか。今日は幼いころから習っていたピアノの腕前をVTRで披露する。そして黒柳は恒例(?)の“筋肉チェック”を敢行!?
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/121025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=599113/
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|2013(平成25)年10月25日(金) 田辺 靖雄 |第9599回
└─――――――――――――――――――┘「息子と孫が登場し語られる素顔」あの名曲『ヘイ・ポーラ』でデビューして50年、歌手の田辺靖雄さんを迎える。妻の九重佑三子さんとは“おしどり夫婦”として有名だが、普段は家のペンキ塗りや、絨毯の掃除を黙々とするのが好きだとか。今日は、長男・晋太郎さんも登場。24年前に家族3人で出演した懐かしい旅番組も公開。そして、さらに2人の孫も加わり賑やかな家族の今を紹介する。
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☆歌謡祭◆2013年11月21日(木) 16時開演(15時30分開場)
◆2013年11月22日(金) 昼の部:12時開演(11時30分開場) 夜の部:17時開演(16時30分開場)
会場:東京・五反田ゆうぽうと お問い合わせ:日本歌手協会事務局 03-6280-4230 (平日10時~18時)
☆長男・晋太郎さん監修の本「焼肉の教科書」 定価:600円 発行:宝島社
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/131025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=677451/
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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|2016(平成28)年10月25日(火) 元大関 把瑠都|「角界からタレントに転身!噂の美人妻と…」
└─―――――――――――――――――――┘
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20161025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1005916/
┌─――――――――――――――――――┐※解説放送
|2017(平成29)年10月25日(水) 中村メイコ |「特別企画!昭和の大スター名場面ウィーク3日目」
└─――――――――――――――――――┘「昭和の大スター名場面スペシャル」特別ウィーク3日目の今日も、華々しいスターをご紹介。国民的歌手である三波春夫さん、「お客様は神様です」の思いの裏にある戦争体験を。美しく聡明な女優・南田洋子さんは、新人時代の苦労話を。二枚目俳優・三橋達也さんは、銀座出身の生粋の江戸っ子で、その早口に黒柳も舌を巻く。プロレスラーのジャイアント馬場さんは、黒柳にトレーニング方法を伝授。他にも伝説のリポーター宮尾すすむさん、作家・宮尾登美子さんなど豪華スターのトークをお楽しみに!
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20171025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1107650/
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|2018(平成30)年10月25日(木) こまどり姉妹 |※解説放送
└─―――――――――――――――――――┘「80歳「伝説の姉妹」が迫力満点の歌声で」
今年でデビュー60年目、今もパワー溢れる歌声を披露する「こまどり姉妹」が登場する。80歳を迎えた現在も元気と若さを誇るが、その裏側には命が危ぶまれた闘病など幾多の困難が…。今日はそんな「こまどり姉妹」が、第二の地元である浅草を自ら街歩きでご案内! 2人を支えるエネルギーとなる「食」の秘密も特別に公開してくれる。それは一体?
人を支えるエネルギーとなる「食」の秘密も特別に公開してくれる。それは一体?
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20181025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1207793/
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|2019(令和元)年10月25日(金) 松島トモ子 吉永みち子|
└─―――――――――――――――――――――――┘「意外な2人を結ぶ「家庭の事情」※解説放送
☆松島トモ子コンサート 12月20日(金)成城ホール
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20191025.html
https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1308011/
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
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|2021(令和二)年10月25日(月) ロザンナ |
└─―――――――――――――――――┘「おうち時間で7kgダイエット!」
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20211025.html
https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1512995/
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|2022(令和四)年10月25日(火)|
| 赤井英和&妻:佳子 |
└─――――――――――――┘「妻が投稿する“夫の日常”に大反響!」※解説放送
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http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20221025.html
https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1599450/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B
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┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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|2001(平成13)年10月25日(木) 坂口憲二 |第回
└─―――――――――――――――――┘
黒柳『いやあ色んなことに驚いてるんですけどあなたがご所望になった飲み物単なるトマトジュースかと思ったらすごい味がしたんですけど何ですか?』
坂口「トマトジュースとビールで割ったレッドアイっていうやつなんですけど」
『流行ってるんですか?』
「いやあ僕はあまりトマトが好きじゃなくて食べられなかったんですけどトマトジュースも飲めなかったんですけどある日飲み屋さんで頼んだらすごく美味しかったんでそれから野菜・トマトジュースとか飲めるようになったんで」
『このごろ色んな物で割るのはやってますけど。トマトジュ-スをビールで割るそこにタバスコをちょっと』
「本当はレモンなんですけどね無茶苦茶辛いですね。」
『そういう飲み物だそうです。私普段はお酒を飲まないもので口の中がビビビとこれはビールのビビビなんですね。分かりました。いつもクイズで一緒なんですけど』
「お世話になってます」
『いやいや打ち合わせするときもあなたずっと座ってますでしょ』
「座ってますね」
『だから横からしか見たことなかった。それにお背えもイスに座ってらっしゃる。クイズで書くときも大体あなた私の横なのね。だからこの方の背丈と顔を横からしか見たことなかったので正面から見たらまあハンサムで驚いちゃう。それでもってお背えが高いので驚いちゃう。何センチでした』
「185センチです。あんまし高いと思われないんですよね。実際会うと高いねって言われる」
『185センチ。よく育ちましたね』
「親父はもっと大きいんですけど」
『お父様はプロレスラーで男の方たちが集まるとあなたのことよりお父様の話になる。お父様は何センチ?』
「196ですね。見上げてますね。」
『(写真が出て)あらこれあなたとお父様小さいときかしらあらかわいい』
「幼稚園ぐらいですね。親父は現役のころですね」
『プロレスファンにはプロレスの神様と言われた方で坂口征二さんがお父様なんですけど。(次の写真)これは小学一年生』
「そうですね」
『小学一年生読んでますね。こういうのって面白いわね小学一年生読んでるから一年生って。お父様うれしそうねさっきの写真は4,5歳とか』
「そうですね。」
『あなたはサーファーということで今年の夏も』
「今年は湘南と千葉に行きました。家が東京なんで車で行けるとしたらその辺なんで。海外とか行きたかったんですけど」
『私スポーツ知らないんでうっかりしたこといえないんですけど波がきたとき板の上にのって』
「そうです。向こう(ハワイ)でサーフィン始めたんですけど行って3日目ぐらいで始めて」
『この写真見てください。いいんですけどあなたが波の上にのtってサーフィンしているところが見たかった。並んでらっしゃる方は』
「これは同級生ですね。ここはノーシューアーっていう有名なポイントなんですけどね」
『これは』
「卒業式のときの写真ですね。左が同級生です」
『あなたはお若いときにハワイに行ってらっしゃると。何歳から何歳まで』
「19から23まで。高校卒業して一年すごい悩んでどうしようかとでもあんまり働きたくなかったんで海外行っちゃおうって。留学願望っていうか環境を変えようと」
『そうですか。言葉もちょうどいいときにいかれたのかもしれませんね』
「そうですね。でもバカなんで」
『だめよ自分のことをバカとか言っちゃクイズもよくおできになるんですから。日本の子と話してたの』
「そんなことないですけど。でも日本の学校だったんで。東海大学ってありますよねそこのハワイ校っていう。割とヨーロッパとかにもあるんですけどそんなかのハワイ校」
『そうですかそうすると日本の子が多い?』
「半分ぐらいが日本人でその他もアジアの人が。でも一応学校なんで授業は英語で」
『授業は英語』
「先生も外人で」
『あなたの方があちらでは外人ですけど』
「そうですね」
『いい青春時代を送られて。サーフィンだと』
「最初は観光気分で行ったんですけどそのうちお金が無くなって無料で遊べるといったら海しかなくて。でも逆にサーフィンやんなくてなにやるんだという所だったんで、友達もみんなやってたんで輪に入れなかったんで強制的に」
『でもハワイでお上手な方ってこんな波をうまいことやる人っていますけどそんなのできんの?』
「いや場所によって世界で一番って所もあるし簡単なとこもあるんであんましハードな所は入れなかったんですけど大きい波は乗れるようになりましたね」
『自分のやってるところをビデオかなんかに撮ったら。”いやあ撮ってくれる人なんかいませんよ~”なんていってないで』
「うまいとかっこよく決まるんですけどまだまだ実力が」
『ぜひ今度とって』
「わかりました持ってきます」
『乗ってらっしゃるところじゃないんだけど”メンズクラブ”っていう雑誌にサーファーとして』
「夏の企画だったんですけど」
『何回も載ってらっしゃるんですけど』(雑誌写真でる)
「この日もやる気満々だったんですけど肝心の波が全然」
『波がねえ』
「湖みたいな所にサーフボード持って入って」
『波があれば写真撮れたんですけど』
「自然が相手っていうところが面白くていくら時間があっても波がなければ全然駄目ということで」
『このメンズクラブのカメラマンの方はサーファーのかたを良く撮っておられる』
「そうなんです”よこやまたいすけ”さんってかたで湘南で育ってずっとサーフィンやってられるんですけど」
『あなたのことをよくサーフィンが出来るって写真撮っててもよくわかるとおっしゃったそうですけど。やっぱりわかるのかな』
「そうですね。カメラマンさんでも他の方とは少し違う方で雰囲気を大切にする方で」
『坂口さんは俳優さんでどういうことをされてるのかなって思われてると思うんだけど”筋肉番付”っていうのにいきなり出たんですって』
「そうですね。自信なかったんで1回断って何回も出てくれって言われて」
『あれケイン・コスギさんがでてる』
「そうですね」
『あなたは何やったの?』
「芸能人スポーツマンNO.1っていうやつでタレントさんが16人ぐらいでて跳び箱飛んだり、ビーチフラッグっていう走っていってハタとるのをやったり6種目ぐらいやりまして1番を競うっていうやつなんですけど。全然自身が無かったんですけど1番最初にビーチフラッグをやったんですけどそれでいきなりケインさんに勝ちゃって」
『うれしかったでしょ』
「うれしかったっていうより”ええこんなものなの”って感じでそれで調子ずいちゃって跳び箱も16段」
『ええやっぱり運動はすごく』
「でも自信がなくてでも会場の雰囲気が飛ばなきゃいけないっていう感じで」
『成績はどうでした』
「この間出た時は18段」
『ええ18段!!』
「で5位でしたね」
『それでも5位。18段てすごいんでしょ』
「高さで言うと3メートルちょい」
『でもまあお父様はプロレスラーでDNAの中には』
「そうですね。よく言われるんですけどねえ。筋肉番付っていうのは真剣勝負なんでなあなあになったりしないんで気が抜けないって言うか」
『まあそういうことでみなさん感心なさってもちろん俳優としてもご活躍なんですけど男の人とご一緒になるとすぐにお父様のお話になるんですってねえ』
「そうですね今でも言われます。」
『このあとどんなにすばらしい方かって伺います。コマーシャル』
『お父様の坂口征二さんは今は引退されて新日本プロレスの会長でみんなお父様のことを』
「そうですねドラマなんかやってるとスタッフはみんな30~40代で1番全盛期のときだったんで」
『ああそう。あなたは逆に言うとお父様の全盛期は見てる』
「そうですね1番活躍してた頃は見てないですね。」
『英雄的なお父様で。まずお兄様が柔道部に』
「そうですね中学生頃に」
『あなたも始めようと思ったけど坊主頭になるのが絶対イヤだったって』
「そうなんですよ。ずっと野球をやってて中学の頃に親父から柔道やれって言われて」
『この写真ははやした頃なんでしょ』
「そうですね中1,2の2年間やってたんですけどイヤでイヤでやめて髪の毛生やした頃ですね」
『あまり柔道向かなかったって』
「好きになれなかったですね。人とケンカじゃなくて投げたりっていうのがいやで、なおかつ細かったし体重も今みたいに無かったんで」
『ところがお父様が引退なさるときに』
「そうですね生まれて始めてリングに立たせてもらって」
『中学のとき』
「中学3年の時に」
『引退するときにお兄様と一緒に花束を渡すっていうことになったんですって』
「もう泣きそうでしたね」
『どんな感じだったの』
「後楽園ホールでお客さんも満員でわりかし格闘技好きだったので見に行ってたんですけど外側からしか見たことが無かったリングに初めて中側から見てすごい世界に親父はいるんだなって」
『お父様の名前がバッと呼ばれて引退なんですから。あれねえあなた何ともいえないお顔ですねえ』
「ある意味快感でしたね。歓声といいリングてのは360度どこみてもお客さんがいるのでわりかし自分で思ってたよりすごく広く感じて」
『このときいいなって』
「人前で何かをやるのってすごいことなのかなって」
『まえの写真を見せてくださる。こんなときでもあなたがお父様の顔をジッと見てらっしゃるの”お父さんすごいなって、こんなだったんだ”ってゾクゾクするのわって』
「そうですね本当に震えましたね」
『でお父様は引退なさったわけですがこの時位から環境を変えたいっていうのがあったって』
「そうですね。割かし10代のころは内気というかシャイで今もそうなんですけど女の子とも全然話せなかったし何かを人前でやるってのが苦手だったんですね。でもそういう中でもこういう世界に憧れを持ってて」
『反抗期でもないけどお父様に』
「そうですねプレッシャーっていうか、あとは学校いけばからかわれたりすごいイヤで」
『お父様の息子だからちゃんとしとかなきゃいけないってのが』
「悪いことするとお前よりお父さんの名前が出るからって口すっぱく言われて親父とはうまくコミュニケーションとれなくて10代最後の方はグレたまではいかないですけど」
『それで決心してハワイに』
「そうですね。海外だったらどこでもよかたっていうか全てを自分でやらなければいけないっていう所に置いてみたら自分が変わるのかもしれないっていうのがあって単身向こうにいったんですけどねえ」
『向こうへ行っていい経験したんですけどそこんところから俳優になっていくってのはどういうことですか?』
「むこうの学校で演劇の授業なんかを取っててわりかし親代わりみたいにしてくれる先生がいたんですけど」
『どこの国の方?』
「アメリカ人のかたで白人の方なんですけど。すごい可愛がってくれて。その先生がチャンスがあるんだったらやったほうがいいよって言ってくれて。それで卒業の1ヶ月前ぐらいですかね普通に学校にいったらみんな泣いててどうしたんだっていったらその先生が死んじゃってて心筋梗塞ですか。一人暮らしだったんで誰も見つけることが出来なくてそれがショックで。でその言葉がすごい自分の中に残ってて」
『あなたの事を認めてくれる人がそんなに居なかったときにね』
「だめでもやってみたらいいって言ってくれてたんで無理を承知でやってみようかなって」
『それで日本にお帰りになってメンズクラブの写真があるんですけどこのとき震えたんですって』
「震えましたね」
『コマーシャル挟みましてあとで中身をお届けします』
『日本に帰ってきたらメンズクラブの1999年の8月号でモデルをしないかといわれたんですけど顔がこわばちゃったんですってね。悪くわないと思いますけど』
「友達と撮る写真と同じだろうっていう気持ちで行ったらもうとんでもない」
『なんかカメラを友達と思いなさいって言われたけど友達とは思えなかった』
「思えなかったですねえ。敵に見えました」
『まだあるんですよ。可愛いと思いますけどこれが初仕事』
「ほんとうに初仕事」
『でも坂口さんは律儀だと思うんですけどこのメンズクラブのモデルをやってらしていそがしいと思うんですけど』
「はいおかげさまで来年から一年間表紙をやらしてもらえるんですよ」
『でも俳優やってお忙しくなっちゃうとねえ一年間ずっと表紙の写真を撮るというのも時間がかかるし』
「自分の中ではモデルも俳優も違うものであって僕の原点でもあるので両方続けていきたいなっと思ってるんですけど」
『さいきんではお父様がお前変わったなっておっしゃるんですって』
「たまにありますね。最近忙しくてたまにしかあえないんですけど仕事の話なんかをするときにポツリというんですけど」
『お喜び?』
「そうですねあんまし口数多い人ではないんですけど家に帰って戸棚なんかを開けると出てるドラマなんかを全部ビデオに撮ってたりして」
『ああそう。あなたも大きいんですけどお母様も大きいんですってね』
「そうですね165ぐらい」
『昔はお仕事は?』
「むかし女優さんをやってたみたいですけど」
『あれなんですって体はお父様ににて顔はお母様に似たんですって』
「そうなんですよ」
『お父様に似ないでどうのこうのじゃないけど(会場静かな笑)綺麗なお顔でお母様に似たのが良かったのかもしれないですね』
「よく言われます」
『お父様が巡業なされたときはちっちゃい時は寂しい思いをしたとか』
「昔は一年中地方に行ってたんでほとんど会えなかったんで月に一回ぐらいしか会えなかったんで」
『最初の写真みたいに抱かれてるとうれしかったんじゃない』
「うれしかったですね」
『この間クイズの時に本番前に草野仁さんがあなたがいらっしゃたらみんなに”初めてのファンクラブができましたって”いったけど本当なの』
「はいおかげさまで」
『でもお仕事初めて・・・』
「2年と半年ぐらいです。実際ファンの方とコミュニケーションとてなかったんで」
『何人ぐらい?』
「一回目会合やったんですけどそのときは150人ぐらい」
『会合やったの!!どうしてみなさん笑うの』
「決起集会です」
『どんなことやったの?』
「ほとんどトークですね。歌とか歌えないんで昔のビデオ流したりとか」
『そんなときには波乗りのビデオとか流したり』
「いちおう写真とVTRを流しました」
『さっきないっていったじゃない』
「そうなんですよあると思ったんですけど」
『でも女の方が多い?』
「そうですね」
『こういう風になってその演劇の先生も喜んでると思う』
「はい。ありがとうございました」
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2001/h13_10_25.html
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|2002(平成14)年10月25日(金) 加藤登紀子 |第回
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黒柳「加藤登紀子さんですよくいらしてくださいました。
加藤≪あの久しぶりといっていつも言うんですけども今回はこの間
「お会いしたばっかりでね。7月にここにきてくださったばっかりなんですけども本当に残念なんですけどもご主人の藤本敏夫さんがお亡くなりになったんですね。この先の写真なんですけどもあれは今年の5月に
≪5月の6日というのが私たちが自分たちが決めた結婚記念日なんです。その30回目だったんです。もうに入院はしていたんですけども病院から連休で外出届を出してそして鴨川に行ってこの時は田植えもみんなでした日でした。
「千葉県の鴨川で。
≪あのしませんでしたけどもみんなが田植えするのを見てそして最後の6日に2人だけ残ったんですけどもお花をいっぱい買ってきて植えたんですね。その時の写真です
「そうなんですってね。亡くなったのは7月31日。その今おっしゃったように結婚を5月6日とおっしゃってました
≪そうですね5月の6日それから5月はお休みのたびに鴨川に行きました。あのとっても
「考えてみれば連休中ですよね。
≪で6月に入ってもまだ少し一緒に外出したり外でご飯を食べたり
「今のお写真は本当にお元気そうに見えてそのどうかご病気でどこかが悪い方とは写真では全然わからないぐらいなんか一緒にお鮨を食べにいらしたんですって
≪この日の夜にお寿司屋さんで写真を撮ってもらってあの2人だけの30周年目30年目の記念日ということで
「このご主人という方はなんか非常に格好がいい高倉ケンさん風要素と、明石家さんまさんみたいな要素とおありになったそうで。このときは明石家さんまさんだったんですね(笑)
≪いつもなんかねツーショットをとろうとするとこんな変な顔をする
「恥ずかしかって
≪だから本人はもちろんすごく覚悟はできてたんだと思うんですけどもとっても明るくて元気が良くてあの撲滅宣言とか言ってがんを闘いとったぞとか言って(笑い)あの治療をするたびにもうすぐ直りますといってみんなに言ってましたから本当に最後は急だったんで残念で皆さんも驚かれたんですけども。私たち自身は本当にそうですねも7月に入ってからはも肺がんに転移と分かってからは本当に胸にいつもウっとなるようなそういう気持ちを
「お嬢さんがさんにいらっしゃるので。であの今最後のお写真を見せしたんですけどもご主人はどれだけすてきな方かというのは7年前の2人なんですけどもその写真もお持ちいただいたんで7年前無農薬の物を作ったりなんかしてらっしゃるその時のすてきな、いつもすてきな
≪ずいぶん色っぽいバーのマダムみたいな(笑)感じですね。
「あなたはねまたいらしてみたら感じでね(笑)
≪家でもよくいらっしゃいとか言って笑ってましたけども
「ああそうでも本当にこんなすてきな背の高いすてきなご主人だったんですけども。何といってもご結婚が本当にもまぁ世の中でちょうど加藤さんは歌手で東大での女性で東大出の歌手でしかも1人寝の子守歌が大ヒットというときにちょうどご主人が。
≪あれは68年の26歳のときにまだもちろん結婚はしてなかったんですけども出会って
「出会うときはあの方は同志社の
≪同志社ですけども東京に出てきていてあの学生運動のリーダーをしていたんですけどもその時に出会って出会った年68、これは69年の写真なんですけども68年という年は大変彼のすごい年で半分ぐらいは拘置所の中という状態だったんです。その間は68年の10月のあと11月につかまって翌年6月16日まで8カ月ぐらいずっと入っていた時期があったんですか
「獄中の彼にあなたが結婚したいと、あのときはものすごくマスコミがねぇ
≪その後72年に彼が正式に裁判が終わって3年近くはいちゃうというときに
「も3年近く入ってしまうことになったんですか
≪そうなんです。長いですね。それが長いので結婚をしていた方がいいんじゃないかと私が提案したんですけども3年もいないに男がねぇ結婚、昔の戦争に行くみたいなものじゃないですか。行く前に結婚してから行くなんて、それはおかしいからやめようと彼は言ってそれで入ってしまったんですね。それで入ってしまったんですけどもあの赤ちゃんができていたということが分かって私は自分の考えで決めて結婚したいといったのがあの時の結婚だったんです。
「それでまぁ子供ができたんでどうなのって、どうなのって変だけども(笑)
≪(笑)
「それで獄中の彼にそう言ってをそれで結局獄中結婚というふうにあの時言われましたよね
≪そうですねぇどうなのって弁護士さんに手紙を持たせてもらって
「面会って出来ないの
≪そう。それでイエスという返事でしたよと弁護士さんに言われたんですよね。その時もイエスってそれだけ言って。それだけでしたといわれて。もうそれからねずっと10年も20年も本当に私の結婚は略奪結婚だったじゃないって笑っていたんですけどもずいぶんたってからである人の結婚式の仲人というの引き受けていいといわれて引き受けたのね。そしたらあの花嫁さんはきれいですねいやあ僕はカミさんにこういう格好をさせてやれなかったからなってしみじみ言ってであの時はも本当に僕は天涯孤独で生きていくと思っていたのに本当にありがたいと思ってたんだっていうの10何年たってからその結婚式のあの仲人を引き受けたときにいったんですね。ですから本当になかなかそういうことがすんなりと言ってくれないという人だったんです
「そういうご性格がまた高倉ケンさん的なところってあなたがお思いになっていらっしゃるところなのかもしれないんだけどもでもとにかくその娘が2歳になったときに彼が出てこられれるようになった
≪そうですね。それから2人目ができて間3人目がちょうど1980年、2000年にちょうど20歳になる子供だっていうのね
「まぁみんなで家族の幸せなお写真もあります。ちょうどお嬢さんが
≪生まれたときですね。なかなか格好つけていてねぇをわりと偉そうなことを言うのは好きなのに気が弱くて赤ちゃんをうまくだけないというのでけして近寄らないぞとか俺はとか言って(笑い)言ってましたけどもね
「写真の時もみんなカメラの方を向いているのにちょっと赤ちゃんのほうを向いて横を向いてちょっと恥ずかしいかっていらしたんですけども。まあそういうふうに獄中結婚という感じだったんで15年たって結婚式をやろうという話に
≪そうですねいろいろあって千葉県の鴨川に彼はまあこの間の時は千葉県の鴨川のことをずいぶんお話ししたんですけども。ずいぶん農業をやる側にねぇずいぶん近い所にいたいと言ってその時に私はやっぱり一緒に移り住んじゃと歌手活動ができないからといって別に東京と両方に住んでいたんですけどもあんまり素晴らしいところだったので私ここでパーティーがしたいと言ってその時に思い切ってじゃ15周年のお祝いにしたらと言われてそれで白い服を私はこっそり作って
「そのときは娘さんに頼んで?
≪そうですね。
「実はその時のVTRが本当に短いものなんですけどもテレビ朝日に残っていたんですね。本当に短いんですけども15年目の結婚式をおとりになったときのVTRがあるんですけどもちょっとご覧ください。~VTR~
≪やこの時年絶対にねぇ僕は白いスーツなんか着ないぞとかいって私は買ってきてあったんですけどもね。蝶ネクタイとか。
「彼のために。
≪そしたらその時にイトウツヨシさんと亡くなったカトウコウイチさんが仲人をしてくださってで「登紀子さんの困ったようをを、彼は絶対に白いのなんかきないっていい張っているよう。だからちょっとあんたからねちょっと説得してよ」と言われたのね。その時に伊藤さんあなた夫婦ってわかってないはねって(笑)夫というのは妻の言うことだけは聞きたくないものなのようて。他人の言うことはそうですかって一生懸命やるけども妻に言われたことはやらないというのは常なんだから私はいっちゃダメだからね伊藤さんから言ったらて。そうかなと言って。いよいよというときに着てぱっと出てきたので私もびっくりしたんですけども
「あらそう。まあそういう思い出が
≪だから本当にそうですねパートナーとして私はちゃんとできたのかどうか分かりませんけどもそうですねよく言ってましたね僕は妻が欲しいようてって(笑)田舎で暮らしていると
「(東京で)お仕事をしてらっしゃるからね
≪いつも私に加藤トキコさんっていうんですね。妻に向かってなんなのって言うんだけども(笑)そういう何ていうんですかこの人を1人の社会的に活動している人だというふうに見て扱おうというようなことがあったんでしょうね。主人の中に。だから私は最後に病院で看病しているときにあのレコーディング、レコーディングというのは夜中が勝負なのでいつも9時に「お休み」といってから病院からレコーディングに行くんですね。で夜中が勝負ですからそれから歌ったりするんですけども、どうしても次の日の昼間に行くんですけども音楽の話ができなくてやっぱりやっぱりねぇ私が歌手だからというのですごく無理してたと思うんですけどもね。だから病気になっていもうちょっと楽になって私と楽にできたらいいのにって。どっか緊張があるような気がしてどうしても歌の話ができなかったしきやそうですよね最後に7月28日にあの朝面会に行ったらCDを聴いていたんですね。
「彼が。
≪そう。
「亡くなる3日前ですよね。
≪そうですね何を聞いてるのって言ったら裕次郎さんを聞いていたですね。まあまさか私だったりするはずがないんですけども(笑)であのねちょっと待って聞き終わるまでちょっと待って聞き終わってから静かにイヤホンを外してさぁゆっくりといろいろと話すことがあるなと言って向き直ったんですね。でその時に裕次郎さんの何を聞いていたかちょっとわからないですけども病院から死んでしまって全部持ってきたときにCDの中にまだ裕次郎さんが入ってましたから。たぶん彼が聞いた最後の歌だと思うんですけども、まあそれは私の歌じゃなくてもちろんをいいんですけどもずっとそういうふうにまあそのときはゆっくり話したいなと言ったのに私は飛行機に乗ってコンサートがある日だったんです。あともう5分もあと10分とか言っているうちに結局は遅れちゃって飛行機に乗り遅れちゃったんですけども、あの日本当に残念だったなと思って。ちょっとそばにいてあげればもうちょっとごめんなさい。ずっと泣かなかっのに
「でもね初めてね今まであまり涙が出ないと言ってさっきそんな話をしていたんですけども。彼はほんとうはあなたにいてほしかった。やっぱり仕事をやる女の人を理解はしていたんだけどもやはりあなたにそばにいてほしかったんだということがねあなたの後悔みたいにね。
≪私がいればもうちょっと、いるときはですよくこのいる間はアレができたこれができたと思うわけですよねぇ。いなかったときはできないままだったわけだから本当にそれを思うとねあの日のことを思い出すとすべてがちょっと切ないですね
黒柳「お亡くなりになった藤本敏夫さんは亡くなった時に58歳。
加藤≪はい
「でいらっしゃったんです。でもすごくお元気なかたで10日前に2人で会った時になんかギリシャがアジアかヨーロッパかってすごく2人で討論になって。10日前ですよ皆さん
≪なんかやっぱり私たちのでアジアの農民として農民国に生きてきたからだから環境問題を考えるときに何しても未来を考えるときにもうちょっとアジアという気持ちが欲しいのにのいつ間にかヨーロッパの精神風土の上に暮らしちゃってる。だけど元々はどっからた多文化ユダヤ人がエジプトから出たというそのキリスト教のねぇ、でもそれはアジアだったんじゃないかということになってじゃあここからヨーロッパが始まったぞというのはいったいいつなんだっていう話になって私は西洋史なもので
「学校は西洋史なんですってね
≪そうなんですよ。お前どうなんだっていうからえーとねえわかんないっていうんで年表を持ってきて7月21日の日曜日朝から晩までずっと。その時そうですねヨーロッパはどっから始まったんだろう。元はヨーロッパの元はアジアだったんじゃないかっていうことでで1日いろんなことを話しましたよね。
「でもそういうことで時間を持てたのはねよかった。
≪そういうふうにして大きないろんなことを語りあうのがお互いに好きでしたよね。
「でも3日前にいろんなお話しをなさったりしたんですけどもとうとうなくなる日なんですけどもお嬢さん3人がいらっしゃって
≪前の日の8時に肺炎ですと先生に言われてまあいその日もレコーディングで夜9時から行くはずだったんですけどもそのまま私は肺炎になるというと1日2日だということを言い聞かされていたので「ひょっとすると先生1日2日ということですか?」といったらその通りだとおっしゃって「今夜も?」といったらそうだってに今夜も本当に危険ですかといったらそうですとおっしゃっても本当にそういうのって突然くるんですね。びっくりしてもちろんその日横にずっと泊まってで夜中のうちにまあ娘に電話をして朝1番の飛行機で沖縄に
「沖縄にね。3番目の娘さんがお嫁に
≪すぐにいらっしゃいと言って。そして鴨川にいるうちの母と彼の母とかみんなに声をかけて次の日そうですねぇも11時半ぐらいになかなかみんなたどり着けなくてねみんなが。そして血中酸素力というのを呼吸と一緒に出るんです数字が。その酸素量が80というレベルを維持してをずっと一晩そばで本当に数字を守りながらねいたんですけども朝になってともするとちょっと70になったりするんですね。頑張って呼吸して呼吸してと言ってそうするとちょっと頑張って呼吸すると80ぐらいを超えるですね。だから本当にマラソンをしているような状態ででそれでもう1度だけ「がんばれがんばれもうすぐ着くから」と言ったときに1度だけ涙が出ましたね。1度だけ彼は1粒だけ涙を流しましたね。でもその時に頑張ってみんながをたどり着いてでも全員で別途を囲むようにしてすごく楽しいというんですか雰囲気が盛り上がって彼はスっと楽になってとってもその数字もよくなったんですよね。私はもあんなにほっとしたことはなかったです。
「でもその時にご主人がもうこれでいいだろうとはっきりと
≪それが12時ぐらいでその後さらにマラソンは続いたんですけども2時20分ごろにいよいよマスクをしてもしても苦しくてあのもいいだろうと大きな声で言って
「すごいですよねもうこれでいいだろうってやっぱり自分でお決めになるんだなと思ったんですね。聞いたときにね。
≪
黒柳「全員がご主人のベットの回りに集まったときにもういいだろうとご主人かおっしゃってそしたら
加藤≪そうですねその瞬間にサヨナラをみんなひとりずつして。そのまま肺の呼吸が
「そしたら止まったんですって
≪とまるんです。もちろんそれはちょうどエンジンを止めていくように自然に呼吸するんですけども。言われる酸素、血中酸素量というのがも四十、三十、〇になっていくんですね。もう本当にあの初めてなんですけども娘の前で。だから私はその後いろいろな方がおっしゃってくださっていままでは生と死というのはものすごく距離のあるものだと思っていたのに本当にそこにあるということがね感じられて。だから死んでしまったんだけども距離感が感じられないですね。だからあの思ったよりずっと近くに感じ続けている。
「亡くなった後は特にそうねえ近く感じるだと思うんです。それで3番目のお嬢さんが沖縄をにいらっしゃって赤ちゃんをお産みになったんですね。ミホさんという方が。その時にあなたが何でもかんでも沖縄に行って孫を見に行こうとお誘いになったその時どんなにうれしかったかということあまりはっきりとおっしゃっていなかったんだけども亡くなった後にご主人が1カ月前にお書きになったものがお友達が。お葬式の時に
≪小冊子に乗せていただいて。
「小冊子に文章書いていらしたんですそれをちょっと。そのお孫さんカヤというお名前なんですけども”どうしよう孫ができた。昨年11月まだ沖縄首里は熱かったのに肝臓がんなどものともせず登紀子さんにせっつかれて羽田からJALにのる”ちょっと飛ばして”赤ちゃんに初めて会ったときだけど立派な顔だった。まだ生まれて1カ月なのに1人前の顔に黒々とした髪が生えている。そのままはセーラー服を着れば女子高生にもなるし流行の服なら六本木の街角だ。少し変な褒め方だと思うが許してもらいたい。それから3カ月少したって今度は彼らが東京に来てくれた。ちょうどがん戦争の前線がリンパ節に拡大して入院していたので東京虎ノ門病院に孫が来てくれた。嬉しかった。3カ月たってやはり大きくなっていた。当たり前だ小さくなってどうする。カヤいい名前だ。ともかくカヤは来た。病院のベットに寝てくれた。どうしようがんが伝染病でなくてよかった。カヤは万死値することは間違いない。その日は2時間も遊んでくれた。じいさんたる僕の喜びいくばかりかカヤにはカヤのを都合があるというのにありがたいことだ。時代は1972年僕は中野刑務所7舎北下に収監されていた。レンガ造りの古くてみるからに監獄という感じのする刑務所だった。”これは1972年のことですが”風香る5月初旬某日子供ができた。結婚をしたいという加藤登紀子の申し出にかたくなだった僕の心は瞬時に溶けた。彼女の言葉は何よりも率直だった。突っ張っていた僕の前頭葉は何年もの間その言葉を待っていたのだろう。首里から空かけてきたカヤは1972年の登紀子さんのようであった。それこそ肝臓がんが最も苦手とする率直さとさわやかさそのものであったに違いないだからとてもうれしくかった。6月22日執筆”ちょうど1カ月前。ハナカミ通信というものにお書きになったものです。本当にそういうことおっしゃらなかった方なんだけどもしかもこれなくなってから
≪だからあの1日2日に密葬が終わった後に3日にコンサートがあったですね。で回りが心配してやれるんですかと言われたから私はとにかく1番いま歌いたいのよ。でその時に3日のコンサートの時にパッとみたらいつもお水を飲もうところにこんな分厚いタオルが置いてあったんです。それで私はねまあスタッフはすごく優しいねって。だけど私は絶対にこのタオルを使わない。使わないからといってもって歌ったんですね。その時ふっと思ったのは本当に思ったのは私は歌っているとき1番1番藤本のことを思えていた。と思うんだけどもその歌についての対話では本当にしてないですねだからだからもちろんレコーディングのことも全く一切いっていなかったし、だけども私はそのお通夜の後にステージの上に立ったときにすごくうれしかったんですよ。というのは私が自分の気持ちで丸ごと思うことできるのはだから皆さん歌っているときだからに今日は私のわたし自身のためにお葬式よりもなによりも私は彼のために歌はしてくださいと言って3日のコンサートをしたんですけども。
黒柳「もうちょっと旦那様のベットのそばにいられたらとお思いなりながらもCDを作らなければいけないので行ったり来たりなさった時にあのおいでになったCDができましたのであのちょっと夫へのラブレターのつもりで作ったという曲を1つ皆さんに聞いていただきたいんですけども。
加藤≪青い月のバラードという。真っ暗な中にまあこの鴨川で過ごしていたときなんですけどもいつも思うんですけども月はたったひとりで真っ暗な空の中にこう輝いていて。だからこの詩の中に花は花のようにいつも地面に咲くしかなくて、鳥は鳥で飛んでいても花と鳥が恋いをしたとしてもまあ鳥は鳥であり花は花だと。だからみんなそれぞれ1人になっていくんだなということを歌ったんですけども。
「とてもきれいな曲
≪アルバムはハナガタミというタイトルでこれはゴスペラーズの村上君が私に送ってくれた曲の中にハナガタミという花の籠という意味らしいんですけどもあの箱という字ですよね。あのその時に形見という意味もあるし棺という意味もあるというふうに村上君が言ってもそれをずっと前にもらったんですけども。それが私にはずっと心に残っていて消えなくてこのアルバムにしたんですけども
「ご主人と最後に植えたお花がお葬式の時に満開だったそうです。サルビア。
≪はい今も咲いて
「お二人の前に咲いてこの写真の前の赤いのがそうですね。数カ月後には満開だったそうです。まぁ本当にまあ貴方が歌い続けることが大切なんでしょうね
≪ありがとうございました
「本当にありがとうございました
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-10-25.html
┃ 『トットちゃん!』 ┃テレビ朝日系列
┗━━━━━━━━━━━┛ 12:30~12:50
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|2017(平成29)年10月23日(月) 第04週 第16話|演出・・・星田良子
|2017(平成29)年10月24日(火) 第04週 第17話|演出・・・星田良子
‡|2017(平成29)年10月25日(水) 第04週 第18話|演出・・・星田良子
|2017(平成29)年10月26日(木) 第04週 第19話|演出・・・星田良子
|2017(平成29)年10月27日(金) 第04週 第20話|演出・・・星田良子
└─―――――――――――――――――――┘
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┃ 『Lovin' You』 ┃‡2017(平成29)年10月25日(水)配信
┗━━━━━━━━━┛ 松下奈緒 エピックレコードジャパン
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93!
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徹子の部屋 細野晴臣(画質悪いです) http://youtu.be/IwhK-BW_Zcg
細野さんの徹子の部屋です。1980年だと思います。黒柳さんが去年の10月25日(土)付の読売新聞(3:45)
┏━━━━━━━━━┓
┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年10月25日(月)大屋政子
②1977(昭和52)年10月25日(火)丹阿弥谷津子
③1978(昭和53)年10月25日(水)大木実
④1979(昭和54)年10月25日(木)里見浩太朗
⑤1982(昭和57)年10月25日(月)桂歌丸
⑥1983(昭和58)年10月25日(火)小林登美枝
⑦1984(昭和59)年10月25日(木)富士真奈美
⑧1985(昭和60)年10月25日(金)池波志乃
⑨1988(昭和63)年10月25日(火)小松原庸子
⑩1989(平成元)年10月25日(水)尾崎紀世彦
⑪1990(平成二)年10月25日(木)三沢あけみ
⑫1991(平成三)年10月25日(金)品田雄吉
1993(平成五)年10月25日(月)日本シリーズ『ヤクルト対西武』放送のため休止一日目
⑬1994(平成六)年10月25日(火)三遊亭金馬
⑭1995(平成七)年10月25日(水)ムスティスラフ・ロストロポービッチ
┏━━━━━━━━━┓
┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑮1996(平成八)年10月25日(金)大谷直子
┏━━━━━━━━━┓
┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
2001(平成13)年10月25日(木)坂口憲二
2006(平成18)年10月25日(水)吉行和子×冨士眞奈美
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http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
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┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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|2001(平成13)年10月25日(木) 坂口憲二 |第回
└─―――――――――――――――――┘
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2001/h13_10_25.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2002(平成14)年10月25日(金) 加藤登紀子 |第回
└─――――――――――――――――――┘
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-10-25.html
┌─―――――――――――――――――――――――┐
|2006(平成18)年10月25日(水) 吉行和子・冨士眞奈美 |第回
└─―――――――――――――――――――――――┘「大親友2人で…」
http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
┌─――――――――――――――――――┐
|2007(平成19)年10月25日(木) 藤原 紀香 |第回
└─――――――――――――――――――┘「新婚爆笑ハプニング告白」今年、お笑い芸人の陣内智則さんと結婚し、幸せいっぱいの藤原紀香さんがゲスト。2人とも多忙な毎日を送っているが、出来るかぎり一緒に自宅で食事をするように心掛けているという。紀香さんが作る健康に配慮した手料理のおかげか、陣内さんのジーンズのサイズは3サイズも小さくなったという。新婚生活の中では、オトボケのハプニングが続出。爆笑モノの告白に乞うご期待!
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■木曜ドラマ『おいしいごはん 春日井米店』10月25日 よる9時スタート
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/071025.html
┌─―――――――――――――――――――――┐
|2010(平成22)年10月25日(月) 絵本作家 宮西達也|第回
└─―――――――――――――――――――――┘「今大ブームの恐竜物語に黒柳も感動」「今大ブームの恐竜物語に黒柳も感動」シリーズ9作、累計販売部数が150万部を超える大ヒット絵本「おまえうまそうだな」シリーズの作者・宮西達也さん。肉食恐竜が草食恐竜の赤ちゃんを拾い食べようとしたところ、何故か「お父さん」と呼ばれ父性に目覚めてしまった…。こんな奇想天外な筋書きに、親子そろってのファンも多いという。「絵本は読み聞かせるべき」という宮西さんが、自ら読み聞かせを披露してくれる。
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☆紹介した本
1「まねしんぼう」岩崎書店より発売中
2「おまえうまそうだな」(シリーズは9作あります)ポプラ社より発売中
マペットはポプラ社ホームページまたは本屋さんから購入注文できます
ティラポン(ティラノサウルス)1260円 うまそう(アンキロサウルス)1480円
☆ 紹介した映画「おまえうまそうだな」公開中
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/101025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=442528/
┌─――――――――――――――――――┐
|2011(平成23)年10月25日(火) 田部井淳子 |第9088回
└─――――――――――――――――――┘「世界的登山家72歳の新たな挑戦!」36年前、女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した登山家の田部井淳子さん。そのバイタリティーは衰えを知らず、72歳の現在でも各国の名峰に挑戦し続けている。そして今、田部井さんを魅了するのは意外にも(?)シャンソン。華麗なロングドレスに身を包み、歌手としてステージに立つ様子を紹介する。
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☆番組内で紹介された田部井淳子さんの著書「田部井淳子の人生は8合目からがおもしろい」主婦と生活社 より発売中 定価1,260円(税込)
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/111025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=520900/
┌─――――――――――――――――――┐
|2012(平成24)年10月25日(木) 入江 陵介 |第9344回
└─――――――――――――――――――┘「祝 メダル3個獲得した22歳の素顔」ロンドンオリンピックで大活躍をしたメダリスト入江陵介さんが3つのメダルを持って登場する。3人兄弟の末っ子に生まれ、愛情タップリで可愛がられて育った入江さん。文武両道を目指す入江さんは、高校時代の成績が「オール5」だったとか。今日は幼いころから習っていたピアノの腕前をVTRで披露する。そして黒柳は恒例(?)の“筋肉チェック”を敢行!?
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/121025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=599113/
┌─――――――――――――――――――┐
|2013(平成25)年10月25日(金) 田辺 靖雄 |第9599回
└─――――――――――――――――――┘「息子と孫が登場し語られる素顔」あの名曲『ヘイ・ポーラ』でデビューして50年、歌手の田辺靖雄さんを迎える。妻の九重佑三子さんとは“おしどり夫婦”として有名だが、普段は家のペンキ塗りや、絨毯の掃除を黙々とするのが好きだとか。今日は、長男・晋太郎さんも登場。24年前に家族3人で出演した懐かしい旅番組も公開。そして、さらに2人の孫も加わり賑やかな家族の今を紹介する。
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☆歌謡祭◆2013年11月21日(木) 16時開演(15時30分開場)
◆2013年11月22日(金) 昼の部:12時開演(11時30分開場) 夜の部:17時開演(16時30分開場)
会場:東京・五反田ゆうぽうと お問い合わせ:日本歌手協会事務局 03-6280-4230 (平日10時~18時)
☆長男・晋太郎さん監修の本「焼肉の教科書」 定価:600円 発行:宝島社
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/131025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=677451/
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┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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|2016(平成28)年10月25日(火) 元大関 把瑠都|「角界からタレントに転身!噂の美人妻と…」
└─―――――――――――――――――――┘
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20161025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1005916/
┌─――――――――――――――――――┐※解説放送
|2017(平成29)年10月25日(水) 中村メイコ |「特別企画!昭和の大スター名場面ウィーク3日目」
└─――――――――――――――――――┘「昭和の大スター名場面スペシャル」特別ウィーク3日目の今日も、華々しいスターをご紹介。国民的歌手である三波春夫さん、「お客様は神様です」の思いの裏にある戦争体験を。美しく聡明な女優・南田洋子さんは、新人時代の苦労話を。二枚目俳優・三橋達也さんは、銀座出身の生粋の江戸っ子で、その早口に黒柳も舌を巻く。プロレスラーのジャイアント馬場さんは、黒柳にトレーニング方法を伝授。他にも伝説のリポーター宮尾すすむさん、作家・宮尾登美子さんなど豪華スターのトークをお楽しみに!
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20171025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1107650/
┌─―――――――――――――――――――┐
|2018(平成30)年10月25日(木) こまどり姉妹 |※解説放送
└─―――――――――――――――――――┘「80歳「伝説の姉妹」が迫力満点の歌声で」
今年でデビュー60年目、今もパワー溢れる歌声を披露する「こまどり姉妹」が登場する。80歳を迎えた現在も元気と若さを誇るが、その裏側には命が危ぶまれた闘病など幾多の困難が…。今日はそんな「こまどり姉妹」が、第二の地元である浅草を自ら街歩きでご案内! 2人を支えるエネルギーとなる「食」の秘密も特別に公開してくれる。それは一体?
人を支えるエネルギーとなる「食」の秘密も特別に公開してくれる。それは一体?
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20181025.html
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1207793/
┌─―――――――――――――――――――――――┐
|2019(令和元)年10月25日(金) 松島トモ子 吉永みち子|
└─―――――――――――――――――――――――┘「意外な2人を結ぶ「家庭の事情」※解説放送
☆松島トモ子コンサート 12月20日(金)成城ホール
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20191025.html
https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1308011/
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
┌─―――――――――――――――――┐
|2021(令和二)年10月25日(月) ロザンナ |
└─―――――――――――――――――┘「おうち時間で7kgダイエット!」
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20211025.html
https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1512995/
┌─――――――――――――┐
|2022(令和四)年10月25日(火)|
| 赤井英和&妻:佳子 |
└─――――――――――――┘「妻が投稿する“夫の日常”に大反響!」※解説放送
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http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20221025.html
https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=1599450/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B
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┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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|2001(平成13)年10月25日(木) 坂口憲二 |第回
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黒柳『いやあ色んなことに驚いてるんですけどあなたがご所望になった飲み物単なるトマトジュースかと思ったらすごい味がしたんですけど何ですか?』
坂口「トマトジュースとビールで割ったレッドアイっていうやつなんですけど」
『流行ってるんですか?』
「いやあ僕はあまりトマトが好きじゃなくて食べられなかったんですけどトマトジュースも飲めなかったんですけどある日飲み屋さんで頼んだらすごく美味しかったんでそれから野菜・トマトジュースとか飲めるようになったんで」
『このごろ色んな物で割るのはやってますけど。トマトジュ-スをビールで割るそこにタバスコをちょっと』
「本当はレモンなんですけどね無茶苦茶辛いですね。」
『そういう飲み物だそうです。私普段はお酒を飲まないもので口の中がビビビとこれはビールのビビビなんですね。分かりました。いつもクイズで一緒なんですけど』
「お世話になってます」
『いやいや打ち合わせするときもあなたずっと座ってますでしょ』
「座ってますね」
『だから横からしか見たことなかった。それにお背えもイスに座ってらっしゃる。クイズで書くときも大体あなた私の横なのね。だからこの方の背丈と顔を横からしか見たことなかったので正面から見たらまあハンサムで驚いちゃう。それでもってお背えが高いので驚いちゃう。何センチでした』
「185センチです。あんまし高いと思われないんですよね。実際会うと高いねって言われる」
『185センチ。よく育ちましたね』
「親父はもっと大きいんですけど」
『お父様はプロレスラーで男の方たちが集まるとあなたのことよりお父様の話になる。お父様は何センチ?』
「196ですね。見上げてますね。」
『(写真が出て)あらこれあなたとお父様小さいときかしらあらかわいい』
「幼稚園ぐらいですね。親父は現役のころですね」
『プロレスファンにはプロレスの神様と言われた方で坂口征二さんがお父様なんですけど。(次の写真)これは小学一年生』
「そうですね」
『小学一年生読んでますね。こういうのって面白いわね小学一年生読んでるから一年生って。お父様うれしそうねさっきの写真は4,5歳とか』
「そうですね。」
『あなたはサーファーということで今年の夏も』
「今年は湘南と千葉に行きました。家が東京なんで車で行けるとしたらその辺なんで。海外とか行きたかったんですけど」
『私スポーツ知らないんでうっかりしたこといえないんですけど波がきたとき板の上にのって』
「そうです。向こう(ハワイ)でサーフィン始めたんですけど行って3日目ぐらいで始めて」
『この写真見てください。いいんですけどあなたが波の上にのtってサーフィンしているところが見たかった。並んでらっしゃる方は』
「これは同級生ですね。ここはノーシューアーっていう有名なポイントなんですけどね」
『これは』
「卒業式のときの写真ですね。左が同級生です」
『あなたはお若いときにハワイに行ってらっしゃると。何歳から何歳まで』
「19から23まで。高校卒業して一年すごい悩んでどうしようかとでもあんまり働きたくなかったんで海外行っちゃおうって。留学願望っていうか環境を変えようと」
『そうですか。言葉もちょうどいいときにいかれたのかもしれませんね』
「そうですね。でもバカなんで」
『だめよ自分のことをバカとか言っちゃクイズもよくおできになるんですから。日本の子と話してたの』
「そんなことないですけど。でも日本の学校だったんで。東海大学ってありますよねそこのハワイ校っていう。割とヨーロッパとかにもあるんですけどそんなかのハワイ校」
『そうですかそうすると日本の子が多い?』
「半分ぐらいが日本人でその他もアジアの人が。でも一応学校なんで授業は英語で」
『授業は英語』
「先生も外人で」
『あなたの方があちらでは外人ですけど』
「そうですね」
『いい青春時代を送られて。サーフィンだと』
「最初は観光気分で行ったんですけどそのうちお金が無くなって無料で遊べるといったら海しかなくて。でも逆にサーフィンやんなくてなにやるんだという所だったんで、友達もみんなやってたんで輪に入れなかったんで強制的に」
『でもハワイでお上手な方ってこんな波をうまいことやる人っていますけどそんなのできんの?』
「いや場所によって世界で一番って所もあるし簡単なとこもあるんであんましハードな所は入れなかったんですけど大きい波は乗れるようになりましたね」
『自分のやってるところをビデオかなんかに撮ったら。”いやあ撮ってくれる人なんかいませんよ~”なんていってないで』
「うまいとかっこよく決まるんですけどまだまだ実力が」
『ぜひ今度とって』
「わかりました持ってきます」
『乗ってらっしゃるところじゃないんだけど”メンズクラブ”っていう雑誌にサーファーとして』
「夏の企画だったんですけど」
『何回も載ってらっしゃるんですけど』(雑誌写真でる)
「この日もやる気満々だったんですけど肝心の波が全然」
『波がねえ』
「湖みたいな所にサーフボード持って入って」
『波があれば写真撮れたんですけど』
「自然が相手っていうところが面白くていくら時間があっても波がなければ全然駄目ということで」
『このメンズクラブのカメラマンの方はサーファーのかたを良く撮っておられる』
「そうなんです”よこやまたいすけ”さんってかたで湘南で育ってずっとサーフィンやってられるんですけど」
『あなたのことをよくサーフィンが出来るって写真撮っててもよくわかるとおっしゃったそうですけど。やっぱりわかるのかな』
「そうですね。カメラマンさんでも他の方とは少し違う方で雰囲気を大切にする方で」
『坂口さんは俳優さんでどういうことをされてるのかなって思われてると思うんだけど”筋肉番付”っていうのにいきなり出たんですって』
「そうですね。自信なかったんで1回断って何回も出てくれって言われて」
『あれケイン・コスギさんがでてる』
「そうですね」
『あなたは何やったの?』
「芸能人スポーツマンNO.1っていうやつでタレントさんが16人ぐらいでて跳び箱飛んだり、ビーチフラッグっていう走っていってハタとるのをやったり6種目ぐらいやりまして1番を競うっていうやつなんですけど。全然自身が無かったんですけど1番最初にビーチフラッグをやったんですけどそれでいきなりケインさんに勝ちゃって」
『うれしかったでしょ』
「うれしかったっていうより”ええこんなものなの”って感じでそれで調子ずいちゃって跳び箱も16段」
『ええやっぱり運動はすごく』
「でも自信がなくてでも会場の雰囲気が飛ばなきゃいけないっていう感じで」
『成績はどうでした』
「この間出た時は18段」
『ええ18段!!』
「で5位でしたね」
『それでも5位。18段てすごいんでしょ』
「高さで言うと3メートルちょい」
『でもまあお父様はプロレスラーでDNAの中には』
「そうですね。よく言われるんですけどねえ。筋肉番付っていうのは真剣勝負なんでなあなあになったりしないんで気が抜けないって言うか」
『まあそういうことでみなさん感心なさってもちろん俳優としてもご活躍なんですけど男の人とご一緒になるとすぐにお父様のお話になるんですってねえ』
「そうですね今でも言われます。」
『このあとどんなにすばらしい方かって伺います。コマーシャル』
『お父様の坂口征二さんは今は引退されて新日本プロレスの会長でみんなお父様のことを』
「そうですねドラマなんかやってるとスタッフはみんな30~40代で1番全盛期のときだったんで」
『ああそう。あなたは逆に言うとお父様の全盛期は見てる』
「そうですね1番活躍してた頃は見てないですね。」
『英雄的なお父様で。まずお兄様が柔道部に』
「そうですね中学生頃に」
『あなたも始めようと思ったけど坊主頭になるのが絶対イヤだったって』
「そうなんですよ。ずっと野球をやってて中学の頃に親父から柔道やれって言われて」
『この写真ははやした頃なんでしょ』
「そうですね中1,2の2年間やってたんですけどイヤでイヤでやめて髪の毛生やした頃ですね」
『あまり柔道向かなかったって』
「好きになれなかったですね。人とケンカじゃなくて投げたりっていうのがいやで、なおかつ細かったし体重も今みたいに無かったんで」
『ところがお父様が引退なさるときに』
「そうですね生まれて始めてリングに立たせてもらって」
『中学のとき』
「中学3年の時に」
『引退するときにお兄様と一緒に花束を渡すっていうことになったんですって』
「もう泣きそうでしたね」
『どんな感じだったの』
「後楽園ホールでお客さんも満員でわりかし格闘技好きだったので見に行ってたんですけど外側からしか見たことが無かったリングに初めて中側から見てすごい世界に親父はいるんだなって」
『お父様の名前がバッと呼ばれて引退なんですから。あれねえあなた何ともいえないお顔ですねえ』
「ある意味快感でしたね。歓声といいリングてのは360度どこみてもお客さんがいるのでわりかし自分で思ってたよりすごく広く感じて」
『このときいいなって』
「人前で何かをやるのってすごいことなのかなって」
『まえの写真を見せてくださる。こんなときでもあなたがお父様の顔をジッと見てらっしゃるの”お父さんすごいなって、こんなだったんだ”ってゾクゾクするのわって』
「そうですね本当に震えましたね」
『でお父様は引退なさったわけですがこの時位から環境を変えたいっていうのがあったって』
「そうですね。割かし10代のころは内気というかシャイで今もそうなんですけど女の子とも全然話せなかったし何かを人前でやるってのが苦手だったんですね。でもそういう中でもこういう世界に憧れを持ってて」
『反抗期でもないけどお父様に』
「そうですねプレッシャーっていうか、あとは学校いけばからかわれたりすごいイヤで」
『お父様の息子だからちゃんとしとかなきゃいけないってのが』
「悪いことするとお前よりお父さんの名前が出るからって口すっぱく言われて親父とはうまくコミュニケーションとれなくて10代最後の方はグレたまではいかないですけど」
『それで決心してハワイに』
「そうですね。海外だったらどこでもよかたっていうか全てを自分でやらなければいけないっていう所に置いてみたら自分が変わるのかもしれないっていうのがあって単身向こうにいったんですけどねえ」
『向こうへ行っていい経験したんですけどそこんところから俳優になっていくってのはどういうことですか?』
「むこうの学校で演劇の授業なんかを取っててわりかし親代わりみたいにしてくれる先生がいたんですけど」
『どこの国の方?』
「アメリカ人のかたで白人の方なんですけど。すごい可愛がってくれて。その先生がチャンスがあるんだったらやったほうがいいよって言ってくれて。それで卒業の1ヶ月前ぐらいですかね普通に学校にいったらみんな泣いててどうしたんだっていったらその先生が死んじゃってて心筋梗塞ですか。一人暮らしだったんで誰も見つけることが出来なくてそれがショックで。でその言葉がすごい自分の中に残ってて」
『あなたの事を認めてくれる人がそんなに居なかったときにね』
「だめでもやってみたらいいって言ってくれてたんで無理を承知でやってみようかなって」
『それで日本にお帰りになってメンズクラブの写真があるんですけどこのとき震えたんですって』
「震えましたね」
『コマーシャル挟みましてあとで中身をお届けします』
『日本に帰ってきたらメンズクラブの1999年の8月号でモデルをしないかといわれたんですけど顔がこわばちゃったんですってね。悪くわないと思いますけど』
「友達と撮る写真と同じだろうっていう気持ちで行ったらもうとんでもない」
『なんかカメラを友達と思いなさいって言われたけど友達とは思えなかった』
「思えなかったですねえ。敵に見えました」
『まだあるんですよ。可愛いと思いますけどこれが初仕事』
「ほんとうに初仕事」
『でも坂口さんは律儀だと思うんですけどこのメンズクラブのモデルをやってらしていそがしいと思うんですけど』
「はいおかげさまで来年から一年間表紙をやらしてもらえるんですよ」
『でも俳優やってお忙しくなっちゃうとねえ一年間ずっと表紙の写真を撮るというのも時間がかかるし』
「自分の中ではモデルも俳優も違うものであって僕の原点でもあるので両方続けていきたいなっと思ってるんですけど」
『さいきんではお父様がお前変わったなっておっしゃるんですって』
「たまにありますね。最近忙しくてたまにしかあえないんですけど仕事の話なんかをするときにポツリというんですけど」
『お喜び?』
「そうですねあんまし口数多い人ではないんですけど家に帰って戸棚なんかを開けると出てるドラマなんかを全部ビデオに撮ってたりして」
『ああそう。あなたも大きいんですけどお母様も大きいんですってね』
「そうですね165ぐらい」
『昔はお仕事は?』
「むかし女優さんをやってたみたいですけど」
『あれなんですって体はお父様ににて顔はお母様に似たんですって』
「そうなんですよ」
『お父様に似ないでどうのこうのじゃないけど(会場静かな笑)綺麗なお顔でお母様に似たのが良かったのかもしれないですね』
「よく言われます」
『お父様が巡業なされたときはちっちゃい時は寂しい思いをしたとか』
「昔は一年中地方に行ってたんでほとんど会えなかったんで月に一回ぐらいしか会えなかったんで」
『最初の写真みたいに抱かれてるとうれしかったんじゃない』
「うれしかったですね」
『この間クイズの時に本番前に草野仁さんがあなたがいらっしゃたらみんなに”初めてのファンクラブができましたって”いったけど本当なの』
「はいおかげさまで」
『でもお仕事初めて・・・』
「2年と半年ぐらいです。実際ファンの方とコミュニケーションとてなかったんで」
『何人ぐらい?』
「一回目会合やったんですけどそのときは150人ぐらい」
『会合やったの!!どうしてみなさん笑うの』
「決起集会です」
『どんなことやったの?』
「ほとんどトークですね。歌とか歌えないんで昔のビデオ流したりとか」
『そんなときには波乗りのビデオとか流したり』
「いちおう写真とVTRを流しました」
『さっきないっていったじゃない』
「そうなんですよあると思ったんですけど」
『でも女の方が多い?』
「そうですね」
『こういう風になってその演劇の先生も喜んでると思う』
「はい。ありがとうございました」
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2001/h13_10_25.html
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|2002(平成14)年10月25日(金) 加藤登紀子 |第回
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黒柳「加藤登紀子さんですよくいらしてくださいました。
加藤≪あの久しぶりといっていつも言うんですけども今回はこの間
「お会いしたばっかりでね。7月にここにきてくださったばっかりなんですけども本当に残念なんですけどもご主人の藤本敏夫さんがお亡くなりになったんですね。この先の写真なんですけどもあれは今年の5月に
≪5月の6日というのが私たちが自分たちが決めた結婚記念日なんです。その30回目だったんです。もうに入院はしていたんですけども病院から連休で外出届を出してそして鴨川に行ってこの時は田植えもみんなでした日でした。
「千葉県の鴨川で。
≪あのしませんでしたけどもみんなが田植えするのを見てそして最後の6日に2人だけ残ったんですけどもお花をいっぱい買ってきて植えたんですね。その時の写真です
「そうなんですってね。亡くなったのは7月31日。その今おっしゃったように結婚を5月6日とおっしゃってました
≪そうですね5月の6日それから5月はお休みのたびに鴨川に行きました。あのとっても
「考えてみれば連休中ですよね。
≪で6月に入ってもまだ少し一緒に外出したり外でご飯を食べたり
「今のお写真は本当にお元気そうに見えてそのどうかご病気でどこかが悪い方とは写真では全然わからないぐらいなんか一緒にお鮨を食べにいらしたんですって
≪この日の夜にお寿司屋さんで写真を撮ってもらってあの2人だけの30周年目30年目の記念日ということで
「このご主人という方はなんか非常に格好がいい高倉ケンさん風要素と、明石家さんまさんみたいな要素とおありになったそうで。このときは明石家さんまさんだったんですね(笑)
≪いつもなんかねツーショットをとろうとするとこんな変な顔をする
「恥ずかしかって
≪だから本人はもちろんすごく覚悟はできてたんだと思うんですけどもとっても明るくて元気が良くてあの撲滅宣言とか言ってがんを闘いとったぞとか言って(笑い)あの治療をするたびにもうすぐ直りますといってみんなに言ってましたから本当に最後は急だったんで残念で皆さんも驚かれたんですけども。私たち自身は本当にそうですねも7月に入ってからはも肺がんに転移と分かってからは本当に胸にいつもウっとなるようなそういう気持ちを
「お嬢さんがさんにいらっしゃるので。であの今最後のお写真を見せしたんですけどもご主人はどれだけすてきな方かというのは7年前の2人なんですけどもその写真もお持ちいただいたんで7年前無農薬の物を作ったりなんかしてらっしゃるその時のすてきな、いつもすてきな
≪ずいぶん色っぽいバーのマダムみたいな(笑)感じですね。
「あなたはねまたいらしてみたら感じでね(笑)
≪家でもよくいらっしゃいとか言って笑ってましたけども
「ああそうでも本当にこんなすてきな背の高いすてきなご主人だったんですけども。何といってもご結婚が本当にもまぁ世の中でちょうど加藤さんは歌手で東大での女性で東大出の歌手でしかも1人寝の子守歌が大ヒットというときにちょうどご主人が。
≪あれは68年の26歳のときにまだもちろん結婚はしてなかったんですけども出会って
「出会うときはあの方は同志社の
≪同志社ですけども東京に出てきていてあの学生運動のリーダーをしていたんですけどもその時に出会って出会った年68、これは69年の写真なんですけども68年という年は大変彼のすごい年で半分ぐらいは拘置所の中という状態だったんです。その間は68年の10月のあと11月につかまって翌年6月16日まで8カ月ぐらいずっと入っていた時期があったんですか
「獄中の彼にあなたが結婚したいと、あのときはものすごくマスコミがねぇ
≪その後72年に彼が正式に裁判が終わって3年近くはいちゃうというときに
「も3年近く入ってしまうことになったんですか
≪そうなんです。長いですね。それが長いので結婚をしていた方がいいんじゃないかと私が提案したんですけども3年もいないに男がねぇ結婚、昔の戦争に行くみたいなものじゃないですか。行く前に結婚してから行くなんて、それはおかしいからやめようと彼は言ってそれで入ってしまったんですね。それで入ってしまったんですけどもあの赤ちゃんができていたということが分かって私は自分の考えで決めて結婚したいといったのがあの時の結婚だったんです。
「それでまぁ子供ができたんでどうなのって、どうなのって変だけども(笑)
≪(笑)
「それで獄中の彼にそう言ってをそれで結局獄中結婚というふうにあの時言われましたよね
≪そうですねぇどうなのって弁護士さんに手紙を持たせてもらって
「面会って出来ないの
≪そう。それでイエスという返事でしたよと弁護士さんに言われたんですよね。その時もイエスってそれだけ言って。それだけでしたといわれて。もうそれからねずっと10年も20年も本当に私の結婚は略奪結婚だったじゃないって笑っていたんですけどもずいぶんたってからである人の結婚式の仲人というの引き受けていいといわれて引き受けたのね。そしたらあの花嫁さんはきれいですねいやあ僕はカミさんにこういう格好をさせてやれなかったからなってしみじみ言ってであの時はも本当に僕は天涯孤独で生きていくと思っていたのに本当にありがたいと思ってたんだっていうの10何年たってからその結婚式のあの仲人を引き受けたときにいったんですね。ですから本当になかなかそういうことがすんなりと言ってくれないという人だったんです
「そういうご性格がまた高倉ケンさん的なところってあなたがお思いになっていらっしゃるところなのかもしれないんだけどもでもとにかくその娘が2歳になったときに彼が出てこられれるようになった
≪そうですね。それから2人目ができて間3人目がちょうど1980年、2000年にちょうど20歳になる子供だっていうのね
「まぁみんなで家族の幸せなお写真もあります。ちょうどお嬢さんが
≪生まれたときですね。なかなか格好つけていてねぇをわりと偉そうなことを言うのは好きなのに気が弱くて赤ちゃんをうまくだけないというのでけして近寄らないぞとか俺はとか言って(笑い)言ってましたけどもね
「写真の時もみんなカメラの方を向いているのにちょっと赤ちゃんのほうを向いて横を向いてちょっと恥ずかしいかっていらしたんですけども。まあそういうふうに獄中結婚という感じだったんで15年たって結婚式をやろうという話に
≪そうですねいろいろあって千葉県の鴨川に彼はまあこの間の時は千葉県の鴨川のことをずいぶんお話ししたんですけども。ずいぶん農業をやる側にねぇずいぶん近い所にいたいと言ってその時に私はやっぱり一緒に移り住んじゃと歌手活動ができないからといって別に東京と両方に住んでいたんですけどもあんまり素晴らしいところだったので私ここでパーティーがしたいと言ってその時に思い切ってじゃ15周年のお祝いにしたらと言われてそれで白い服を私はこっそり作って
「そのときは娘さんに頼んで?
≪そうですね。
「実はその時のVTRが本当に短いものなんですけどもテレビ朝日に残っていたんですね。本当に短いんですけども15年目の結婚式をおとりになったときのVTRがあるんですけどもちょっとご覧ください。~VTR~
≪やこの時年絶対にねぇ僕は白いスーツなんか着ないぞとかいって私は買ってきてあったんですけどもね。蝶ネクタイとか。
「彼のために。
≪そしたらその時にイトウツヨシさんと亡くなったカトウコウイチさんが仲人をしてくださってで「登紀子さんの困ったようをを、彼は絶対に白いのなんかきないっていい張っているよう。だからちょっとあんたからねちょっと説得してよ」と言われたのね。その時に伊藤さんあなた夫婦ってわかってないはねって(笑)夫というのは妻の言うことだけは聞きたくないものなのようて。他人の言うことはそうですかって一生懸命やるけども妻に言われたことはやらないというのは常なんだから私はいっちゃダメだからね伊藤さんから言ったらて。そうかなと言って。いよいよというときに着てぱっと出てきたので私もびっくりしたんですけども
「あらそう。まあそういう思い出が
≪だから本当にそうですねパートナーとして私はちゃんとできたのかどうか分かりませんけどもそうですねよく言ってましたね僕は妻が欲しいようてって(笑)田舎で暮らしていると
「(東京で)お仕事をしてらっしゃるからね
≪いつも私に加藤トキコさんっていうんですね。妻に向かってなんなのって言うんだけども(笑)そういう何ていうんですかこの人を1人の社会的に活動している人だというふうに見て扱おうというようなことがあったんでしょうね。主人の中に。だから私は最後に病院で看病しているときにあのレコーディング、レコーディングというのは夜中が勝負なのでいつも9時に「お休み」といってから病院からレコーディングに行くんですね。で夜中が勝負ですからそれから歌ったりするんですけども、どうしても次の日の昼間に行くんですけども音楽の話ができなくてやっぱりやっぱりねぇ私が歌手だからというのですごく無理してたと思うんですけどもね。だから病気になっていもうちょっと楽になって私と楽にできたらいいのにって。どっか緊張があるような気がしてどうしても歌の話ができなかったしきやそうですよね最後に7月28日にあの朝面会に行ったらCDを聴いていたんですね。
「彼が。
≪そう。
「亡くなる3日前ですよね。
≪そうですね何を聞いてるのって言ったら裕次郎さんを聞いていたですね。まあまさか私だったりするはずがないんですけども(笑)であのねちょっと待って聞き終わるまでちょっと待って聞き終わってから静かにイヤホンを外してさぁゆっくりといろいろと話すことがあるなと言って向き直ったんですね。でその時に裕次郎さんの何を聞いていたかちょっとわからないですけども病院から死んでしまって全部持ってきたときにCDの中にまだ裕次郎さんが入ってましたから。たぶん彼が聞いた最後の歌だと思うんですけども、まあそれは私の歌じゃなくてもちろんをいいんですけどもずっとそういうふうにまあそのときはゆっくり話したいなと言ったのに私は飛行機に乗ってコンサートがある日だったんです。あともう5分もあと10分とか言っているうちに結局は遅れちゃって飛行機に乗り遅れちゃったんですけども、あの日本当に残念だったなと思って。ちょっとそばにいてあげればもうちょっとごめんなさい。ずっと泣かなかっのに
「でもね初めてね今まであまり涙が出ないと言ってさっきそんな話をしていたんですけども。彼はほんとうはあなたにいてほしかった。やっぱり仕事をやる女の人を理解はしていたんだけどもやはりあなたにそばにいてほしかったんだということがねあなたの後悔みたいにね。
≪私がいればもうちょっと、いるときはですよくこのいる間はアレができたこれができたと思うわけですよねぇ。いなかったときはできないままだったわけだから本当にそれを思うとねあの日のことを思い出すとすべてがちょっと切ないですね
黒柳「お亡くなりになった藤本敏夫さんは亡くなった時に58歳。
加藤≪はい
「でいらっしゃったんです。でもすごくお元気なかたで10日前に2人で会った時になんかギリシャがアジアかヨーロッパかってすごく2人で討論になって。10日前ですよ皆さん
≪なんかやっぱり私たちのでアジアの農民として農民国に生きてきたからだから環境問題を考えるときに何しても未来を考えるときにもうちょっとアジアという気持ちが欲しいのにのいつ間にかヨーロッパの精神風土の上に暮らしちゃってる。だけど元々はどっからた多文化ユダヤ人がエジプトから出たというそのキリスト教のねぇ、でもそれはアジアだったんじゃないかということになってじゃあここからヨーロッパが始まったぞというのはいったいいつなんだっていう話になって私は西洋史なもので
「学校は西洋史なんですってね
≪そうなんですよ。お前どうなんだっていうからえーとねえわかんないっていうんで年表を持ってきて7月21日の日曜日朝から晩までずっと。その時そうですねヨーロッパはどっから始まったんだろう。元はヨーロッパの元はアジアだったんじゃないかっていうことでで1日いろんなことを話しましたよね。
「でもそういうことで時間を持てたのはねよかった。
≪そういうふうにして大きないろんなことを語りあうのがお互いに好きでしたよね。
「でも3日前にいろんなお話しをなさったりしたんですけどもとうとうなくなる日なんですけどもお嬢さん3人がいらっしゃって
≪前の日の8時に肺炎ですと先生に言われてまあいその日もレコーディングで夜9時から行くはずだったんですけどもそのまま私は肺炎になるというと1日2日だということを言い聞かされていたので「ひょっとすると先生1日2日ということですか?」といったらその通りだとおっしゃって「今夜も?」といったらそうだってに今夜も本当に危険ですかといったらそうですとおっしゃっても本当にそういうのって突然くるんですね。びっくりしてもちろんその日横にずっと泊まってで夜中のうちにまあ娘に電話をして朝1番の飛行機で沖縄に
「沖縄にね。3番目の娘さんがお嫁に
≪すぐにいらっしゃいと言って。そして鴨川にいるうちの母と彼の母とかみんなに声をかけて次の日そうですねぇも11時半ぐらいになかなかみんなたどり着けなくてねみんなが。そして血中酸素力というのを呼吸と一緒に出るんです数字が。その酸素量が80というレベルを維持してをずっと一晩そばで本当に数字を守りながらねいたんですけども朝になってともするとちょっと70になったりするんですね。頑張って呼吸して呼吸してと言ってそうするとちょっと頑張って呼吸すると80ぐらいを超えるですね。だから本当にマラソンをしているような状態ででそれでもう1度だけ「がんばれがんばれもうすぐ着くから」と言ったときに1度だけ涙が出ましたね。1度だけ彼は1粒だけ涙を流しましたね。でもその時に頑張ってみんながをたどり着いてでも全員で別途を囲むようにしてすごく楽しいというんですか雰囲気が盛り上がって彼はスっと楽になってとってもその数字もよくなったんですよね。私はもあんなにほっとしたことはなかったです。
「でもその時にご主人がもうこれでいいだろうとはっきりと
≪それが12時ぐらいでその後さらにマラソンは続いたんですけども2時20分ごろにいよいよマスクをしてもしても苦しくてあのもいいだろうと大きな声で言って
「すごいですよねもうこれでいいだろうってやっぱり自分でお決めになるんだなと思ったんですね。聞いたときにね。
≪
黒柳「全員がご主人のベットの回りに集まったときにもういいだろうとご主人かおっしゃってそしたら
加藤≪そうですねその瞬間にサヨナラをみんなひとりずつして。そのまま肺の呼吸が
「そしたら止まったんですって
≪とまるんです。もちろんそれはちょうどエンジンを止めていくように自然に呼吸するんですけども。言われる酸素、血中酸素量というのがも四十、三十、〇になっていくんですね。もう本当にあの初めてなんですけども娘の前で。だから私はその後いろいろな方がおっしゃってくださっていままでは生と死というのはものすごく距離のあるものだと思っていたのに本当にそこにあるということがね感じられて。だから死んでしまったんだけども距離感が感じられないですね。だからあの思ったよりずっと近くに感じ続けている。
「亡くなった後は特にそうねえ近く感じるだと思うんです。それで3番目のお嬢さんが沖縄をにいらっしゃって赤ちゃんをお産みになったんですね。ミホさんという方が。その時にあなたが何でもかんでも沖縄に行って孫を見に行こうとお誘いになったその時どんなにうれしかったかということあまりはっきりとおっしゃっていなかったんだけども亡くなった後にご主人が1カ月前にお書きになったものがお友達が。お葬式の時に
≪小冊子に乗せていただいて。
「小冊子に文章書いていらしたんですそれをちょっと。そのお孫さんカヤというお名前なんですけども”どうしよう孫ができた。昨年11月まだ沖縄首里は熱かったのに肝臓がんなどものともせず登紀子さんにせっつかれて羽田からJALにのる”ちょっと飛ばして”赤ちゃんに初めて会ったときだけど立派な顔だった。まだ生まれて1カ月なのに1人前の顔に黒々とした髪が生えている。そのままはセーラー服を着れば女子高生にもなるし流行の服なら六本木の街角だ。少し変な褒め方だと思うが許してもらいたい。それから3カ月少したって今度は彼らが東京に来てくれた。ちょうどがん戦争の前線がリンパ節に拡大して入院していたので東京虎ノ門病院に孫が来てくれた。嬉しかった。3カ月たってやはり大きくなっていた。当たり前だ小さくなってどうする。カヤいい名前だ。ともかくカヤは来た。病院のベットに寝てくれた。どうしようがんが伝染病でなくてよかった。カヤは万死値することは間違いない。その日は2時間も遊んでくれた。じいさんたる僕の喜びいくばかりかカヤにはカヤのを都合があるというのにありがたいことだ。時代は1972年僕は中野刑務所7舎北下に収監されていた。レンガ造りの古くてみるからに監獄という感じのする刑務所だった。”これは1972年のことですが”風香る5月初旬某日子供ができた。結婚をしたいという加藤登紀子の申し出にかたくなだった僕の心は瞬時に溶けた。彼女の言葉は何よりも率直だった。突っ張っていた僕の前頭葉は何年もの間その言葉を待っていたのだろう。首里から空かけてきたカヤは1972年の登紀子さんのようであった。それこそ肝臓がんが最も苦手とする率直さとさわやかさそのものであったに違いないだからとてもうれしくかった。6月22日執筆”ちょうど1カ月前。ハナカミ通信というものにお書きになったものです。本当にそういうことおっしゃらなかった方なんだけどもしかもこれなくなってから
≪だからあの1日2日に密葬が終わった後に3日にコンサートがあったですね。で回りが心配してやれるんですかと言われたから私はとにかく1番いま歌いたいのよ。でその時に3日のコンサートの時にパッとみたらいつもお水を飲もうところにこんな分厚いタオルが置いてあったんです。それで私はねまあスタッフはすごく優しいねって。だけど私は絶対にこのタオルを使わない。使わないからといってもって歌ったんですね。その時ふっと思ったのは本当に思ったのは私は歌っているとき1番1番藤本のことを思えていた。と思うんだけどもその歌についての対話では本当にしてないですねだからだからもちろんレコーディングのことも全く一切いっていなかったし、だけども私はそのお通夜の後にステージの上に立ったときにすごくうれしかったんですよ。というのは私が自分の気持ちで丸ごと思うことできるのはだから皆さん歌っているときだからに今日は私のわたし自身のためにお葬式よりもなによりも私は彼のために歌はしてくださいと言って3日のコンサートをしたんですけども。
黒柳「もうちょっと旦那様のベットのそばにいられたらとお思いなりながらもCDを作らなければいけないので行ったり来たりなさった時にあのおいでになったCDができましたのであのちょっと夫へのラブレターのつもりで作ったという曲を1つ皆さんに聞いていただきたいんですけども。
加藤≪青い月のバラードという。真っ暗な中にまあこの鴨川で過ごしていたときなんですけどもいつも思うんですけども月はたったひとりで真っ暗な空の中にこう輝いていて。だからこの詩の中に花は花のようにいつも地面に咲くしかなくて、鳥は鳥で飛んでいても花と鳥が恋いをしたとしてもまあ鳥は鳥であり花は花だと。だからみんなそれぞれ1人になっていくんだなということを歌ったんですけども。
「とてもきれいな曲
≪アルバムはハナガタミというタイトルでこれはゴスペラーズの村上君が私に送ってくれた曲の中にハナガタミという花の籠という意味らしいんですけどもあの箱という字ですよね。あのその時に形見という意味もあるし棺という意味もあるというふうに村上君が言ってもそれをずっと前にもらったんですけども。それが私にはずっと心に残っていて消えなくてこのアルバムにしたんですけども
「ご主人と最後に植えたお花がお葬式の時に満開だったそうです。サルビア。
≪はい今も咲いて
「お二人の前に咲いてこの写真の前の赤いのがそうですね。数カ月後には満開だったそうです。まぁ本当にまあ貴方が歌い続けることが大切なんでしょうね
≪ありがとうございました
「本当にありがとうございました
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-10-25.html