ON THE ROAD'88
2005(平成)年06月30日(木) カテゴリ:浜田省吾
15枚目のAlbum(LPカウントで言えば16枚目)“FATHER'S SON”がリリースされた年に始まったON THE ROAD 88からの参加(LIVEに行く事)してます。今回は、今秋はじまるON THE ROAD 2005を前に今までに行った浜省LIVEレポートを書きます。
※但し、15年以上も前の話なのでかなり断片的です。
※ON THE ROAD 2005のチケットは1枚7,500円ですが、当時は1枚3,800円でした。当時は愛知県在住で、社会人1年生の冬の
‡1989(平成元)年01月28日(土)の名古屋市笠寺にある名古屋レインボーホールでした。浜田省吾のファンになって3年経って始めて、生の浜省を観る事が出来る嬉しさと興奮で、胸一杯でした。笠寺駅を降りるとすぐ目の前に、レインボーホールが!!確か15時過ぎ(って開演は18時過ぎだって…。^^;)に着いたので、丁度リハやっていて“DANCE”の音が漏れていました。神と崇める人のLIVE初体験で舞い上がってるところに、水を差す輩が…。そう!ダフ屋です。始めは何者か把握できませんでしたが、本能的に即シカトしてました。階段を下りると、地元のレコード屋(CDやDVDが主流でしたが、この頃はまだアナログ盤からCDへ切り替わる寸前で、両方普通に販売していました。)があり、デビューからのAlbum全タイトルと今となっては貴重な12インチシングルの“路地裏の少年”(このテイクはCD化されていません)も売っていたので迷わず買い今も我が家に在ります。更にはデビューシングル(勿論EP盤)も購入しました。その隣がファンクラブコーナーを挟みツアーグッズコーナーがあり、Tシャツ、パンフ等買い漁り、強風の中待つこと2時間以上。やっとのこと開場し、いざ会場内へ…、とにかく広い!席種はアリーナ席24列69番と中の下に限りなく近い中の中でした。ドアの近くで開く度に寒風が吹き込むんです。待ちに待ってCDシングル盤の“BLOOD LINE”のイントロとともに何と!“MONEY”が!浜田省吾ファンになるきっかけの曲です!生の浜省に会えた事に加え、この曲でウルウルするのを堪えつつ、手拍子しまくってました。※この“MONEY”は“ON THE ROAD FILMS”にも収録されています。“FATHER'S SON”と“J.BOY”、“Down by the Mainstreet”の成長3部作が中心の構成で、大いに楽しめました。はじめて浜省のMC聴けて、「あッ、話も面白い!」と思いました。本当に楽しい3時間でした。演奏曲は次の通りです。
M01.MONEY
M02.MAINSTREET
M03.DADDY'S TOWN
M04.DANCE
M05.いつかもうすぐ
M06.AMERICA
M07.I DON'T LIKE FRIDAY
M08.WHAT'S THE MATTER,BABY?
M09.BREATHLESS LOVE
M10.片想い
M11.丘の上の愛
M12.勝利への道
M13.ON THE ROAD
Interval
M14.A NEW STYLE WAR
M15.明日なき世代~八月の歌~BIG BOY BLUES
M16.THEME OF FATHER'S SON
M17.RISING SUN
M18.DARKNESS IN THE HEART
M19.J.BOY
M20.BLOOD LINE
Encore
E01.RIVER OF TEARS
E02.土曜の夜と日曜の朝
E03.ラストショー
E04.HELLO ROCK&ROLL CITY
※途中マイケル・ジャクソンの曲も歌ってました。♪HELLO ROCK&ROLL CITY♪ではサックスの古村敏比古との「名古屋、名古屋」の掛け合いがありました。(同じように“ON THE ROAD FILMS”収録のMZA有明でのものとほぼ同じです)機会とやる気があればON THE ROAD 90以降を…。
https://plaza.rakuten.co.jp/rojou/diary/200506300001/
【朗報】ミスチルの連続1位記録をストップさせたミュージックカード商法(ポニカ商法)終了のお知らせwwwwww オリコン「もう集計しません」
公開日:2015年1月29日(木) 20時 || 3 Comments
オリコン・リサーチは28日、音楽ランキングでミュージックカードの売り上げを合算集計しない方針に変更したことを発表した。
ミュージックカードとは、カードに記載された楽曲がダウンロードできるカードのこと。オリコンでは12年12月5日以降のランキングにおいて、「合算集計可能なCDが発売されていること」、「CD同様にJANコードが付与されていること」、「販売データが客観的、かつ、信頼できること」を条件にCDと同様にミュージックカードを合算集計してきた。
しかし、「ミュージックカードを『オリコンランキング』に集計することについては、批判的な意見が増加」していたということもあり、合算の是非について検証を継続してきたという。その結果、「ミュージックカードによるダウンロード率は『音楽パッケージの販売』と認定するにはその数字が低すぎる」、「CDより安価な設定の上、複数枚のまとめ買いを誘引する作品など、社会通念上、独立した一枚のヒットとはいいがたい作品も散見され、かつ今後も同様な発売企画が進行している」などの問題点を認識したと明かした。
スポニチアネックス 2015年1月29日 01:20
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/01/28/kiji/K20150128009714050.html
◆映像◆http://www.nicovideo.jp/watch/sm13810282#
89.1.28♪ON THE ROAD♪
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┃ ON THE ROAD '88 FATHER'S SON ┃後半戦 日程
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096 1989(平成元)年01月26日(木) 名古屋レインボーホール 一日目
‡097 1989(平成元)年01月28日(土) 名古屋レインボーホール 二日目
098 1989(平成元)年01月29日(日) 名古屋レインボーホール 三日目
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http://www.flashandshadow.com/shogo/live/on/on1988.html
https://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11600186984.html
http://ameblo.jp/futabayama69/entry-10819384548.html
http://www9.plala.or.jp/bt-pearl/dear_memories.html
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┃ 浜田省吾 #33 「ON THE ROAD '88 "FATHER'S SON"」 ┃
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2017(平成29)年02月24日(金)
今回は、1988(昭和63)年03月17日(木)からスタートした浜田省吾さんのコンサートツアー「ON THE ROAD '88 "FATHER'S SON"」と食べ物の話など。
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1989(平成元)年01月26日(木) 名古屋
‡1989(平成元)年01月28日(土) 名古屋
1989(平成元)年01月29日(日) 名古屋では大須の焼き鳥屋「やば町」によく行った。ここのちょっと偏屈なおやじさんの蘊蓄を聞きながら食べる焼き鳥の味は格別だった。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2017/02/33on-road-88-fathers-son.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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映像『FILMS』◆♪DANCE♪https://youtu.be/i-X_3VZvRXU
映像『FILMS』◆♪ON THE ROAD♪https://youtu.be/6MbD1lo3_W0
ON THE ROAD 88 89.1.26&28&29 名古屋
http://fansite405x3.web.fc2.com/live870218frame.html
映像◆HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾http://video.fc2.com/content/201103270nMVdUxP
1989.1.28名古屋映像◆♪DANCE♪https://youtu.be/i-X_3VZvRXU
1989.1.28名古屋映像◆♪ON THE ROAD♪https://youtu.be/6MbD1lo3_W0
浜田省吾 - 片想いhttp://video.fc2.com/content/20130423TfhLvwPf
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
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┃『ON THE ROAD "FILMS"』┃
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1989(平成元)年05月21日(日) 初リリース
2000(平成12)年07月05日(水) 再リリース
2005(平成17)年08月31日(水) 再再リリース
1988(昭和63)年05月15日(日) ①ON THE ROAD '88 at 国立代々木オリンピックプール
1988(昭和63)年08月20日(土) ②A PLACE IN THE SUN '88 at 渚園
1988(昭和63)年11月19日(土) ③有明MZA
‡1989(平成元)年01月28日(土) ④名古屋レインボーホール
01.Opening: THEME OF FATHER'S SON
02.A PLACE IN THE SUN ②
03.路地裏の少年 ②
04.終りなき疾走 ②
05.いつかもうすぐ
06.AMERICA ①
07.HELLO ROCK&ROLL CITY ③
08.Tour Scraps ON THE ROAD '82~'86 までのFILMS
09.MONEY ④
10.DANCE ④
11.片想い ④
12.Medley:明日なき世代~八月の歌~BIG BOY BLUES ④
13.こんな夜はI MISS YOU (Video Clip) ※Studio Live
14.愛のかけひき ②
15.丘の上の愛 ②
16.J.BOY ②
17.DARKNESS IN THE HEART ②
18.ON THE ROAD ④
19.Closing: THEME OF SAKURA
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https://ja.wikipedia.org/wiki/ON_THE_ROAD_%22FILMS%22
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No.⑥ 路地裏の少年 1988.8.20 渚園http://video.fc2.com/content/201103316AuXX63r
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
映像◆HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾http://video.fc2.com/content/201103270nMVdUxP
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
浜田省吾 - 丘の上の愛
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
映像◆浜田省吾『路地裏の少年 (ON THE ROAD "FILMS")』https://youtu.be/yeFEzyYoq0A
2012(平成24)年09月28日(金) YouTube公開
2019(令和元)年05月21日(金) 10,161,086回視聴
映像◆浜田省吾『MONEY (ON THE ROAD "FILMS")』https://youtu.be/AAUtTn26Aig
2013(平成25)年04月24日(水) YouTube公開
2019(令和元)年05月21日(金) 1,063,235回視聴
映像◆浜田省吾『片想い (ON THE ROAD "FILMS")』https://youtu.be/F7CfahQmWhg
2013(平成25)年04月24日(水) YouTube公開
2019(令和元)年05月21日(金) 15,553,521回視聴
映像◆浜田省吾『J.Boy (ON THE ROAD "FILMS")』https://youtu.be/VTZBsaxNNEY
2013(平成25)年04月24日(水) YouTube公開
2019(令和元)年05月21日(金) 1,412,471回視聴
『ON THE ROAD "FILMS" 』SHOGO HAMADA 浜田省吾 ON THE ROAD'86&渚園+a
㊤↑映像◆◆https://www.youtube.com/playlist?list=PLmQIzKRWaBRXJzIaiExN_opUVkYYT_sSv
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┃ 1994&95年の出来事 ┃
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2017(平成29)年12月07日(木) 今回は1994年と95年のことを。
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1994(平成六)年と95(平成七)年の二年間、ぼくはほとんどツアーには出ずに、スタジオでのレコーディングワークに精を出した。そして93年の後半からすでに実務は開始していたが、94年から正式にマネージメントオフィスに所属することになった。ぼくにマネージャーと楽器関係のスタッフが帯同してくれることになって、スケジュールのブッキングや調整、楽器の運搬等から解放されて、ぼくは音楽だけに専念することが出来るようになった。94年の前半はロックバンドinfixの、4枚目のアルバムのプロデュースとレコーディングに明け暮れた。ぼくはinfixの2枚目のアルバムからプロデュースを担当するようになって、今回で3作目となるアルバムは、彼等にとっても勝負の作品になるアルバムだった。この頃のinfixはアメリカンロック的なサウンドを指向していて、ぼくも彼等の持ち味を充分に発揮出来るよう、レコーディング前から綿密なコンセプトを練った。結果、なるべく余計な音は省いて、シンプルでタイトでギターを全面に出した音作りを目指した。アルバムには初めてギターの佐藤晃くんと、ベースの野間口くんがリードボーカルをとる曲や、6管編成のホーンセクションが入る曲もあったりと、更に音楽の幅が広がったアルバムになった。また、久しぶりにサックスの古村敏比古くんにも参加してもらった。infixとのアルバムのレコーディングは3枚目ともなると、ぼくとメンバーとのコミニュケーションもよりスムーズになり、過去のアルバムの時よりもレコーディングは順調に進んだ。ボーカルの長友くんの歌入れには少しナーバスになったりしたが、約半年近くに及ぶレコーディングの末、infix4枚目のアルバム「MOTHERLAND」は完成した。3部作の集大成とも言うべき堂々たる作品に仕上がった。アルバムがリリースされると、チャートアクションも売り上げも過去最高を記録するスマッシュヒット作となった。inifixのレコーディングが終わるとすぐに、今度は俳優で歌手でもある原田龍二さんのレコーディングが始まった。ぼくはアレンジとキーボード、コーラスを担当した。レコーディングメンバーの人選も任されていたので、信頼しているメンバー達にお願いした。原田龍二さんのレコーディングに集まってくれたメンバー達は以下の通り。
ドラムス:高橋伸之
ベース:美久月千晴、江澤宏明
ギター:鎌田ジョージ、増崎孝司
キーボード:板倉雅一、友成好宏
サックス:阿部剛
コーラス:町支寛二, 江澤宏明, 板倉雅一
レコーディングは世田谷のスタジオ・サウンドダリとクレッセント・スタジオ、東京ベイエリアの東雲にあった、布袋寅泰さんのスタジオでもあるIRC2 STUDIOで行われた。主たるレコーディングエンジニアは、infixの3枚のアルバムでも一緒だった森元浩二くん。ドラムスは高橋くん、ベースは江澤くんと美久月くんの浜田省吾チーム、ギターの鎌田くんは中村あゆみのバンドメンバー、サックスの阿部さんは尾崎豊のバンドメンバー、キーボードの友成くんは角松敏生のバンドメンバーという、凄腕のミュージシャン達でレコーディングを行った。コーラスには元The Fuseの町支さん、江澤くんに参加してもらい、ぼくを含めた3人で担当した。久しぶりに浜田省吾さんのコンサートの時のコーラスを思い出したりもして、とても楽しいレコーディングだった。他にも貞富英樹くんというシンガーソングライターのプロデュースも担当した。こちらのレコーディングには高橋、江澤、板倉のFuseのメンバー+松山千春さんのツアーで一緒だったギターの高村周作くんに参加してもらった。94年は他にinfixのライブサポートも担当した。95年に入ると更にレコーディングのスタジオワークがメインとなった。この年にぼくがレコーディングに参加したアーティスト達は、元The東西南北の久保田洋司、2人組のユニットThe Kids、声優の日高のり子、シンガーソングライターの青西高嗣、中国出身の三人組ダイヤオ、チャンチェン、リウジエ、元レベッカの古賀森男等、多岐にわたった。久保田洋司くんとはアルバム「ピエロ」の制作で、共同プロデュースという形でレコーディングをした。ドラムの高橋くん、ベースの江澤くんにも参加してもらった。町支さんには一人多重コーラスを入れてもらったりと、元The Fuseのメンバーとの交流は変わらずにずっと続いていた。日高のり子さんのレコーディングはTBS系で放映されたテレビアニメ「OZキッズ」のテーマソングだった。ぼくはアレンジとキーボードで参加した。コーラスにシンガーソングライターの山本英美くんと、須藤薫さんに参加してもらった。須藤薫さんは80年代にCBSソニーから何枚ものアルバムをリリースしていた女性シンガーで、松任谷由実さんの「Surf&Snow」というアルバムでのコーラスワークが高く評価され、その後大活躍をされた方。ぼくは薫さんの大ファンだったので、自分がアレンジしたコーラスパートを、薫さんに一人多重コーラスで歌ってもらって完成した時はとても感激した。まさにレコードで聴いていたあの声と素晴らしいコーラスワークだった。青西高嗣くんのレコーディングは、アルバムのほぼ全曲をアレンジ&演奏することになり、アレンジをしている日にちがあまり無かったこともあってとても大変だった。しかもリズム録りを一日か二日で全曲終えなければならず、レコーディングではとても集中して演奏した。おかげで緊張感のある良いパフォーマンスを記録する事が出来た。このころぼくはスタジオ・サウンドダリのエンジニアである森元浩二くんと頻繁に一緒に仕事をしていた。久保田洋司くんのアルバムも森元くんのミックスだった。ぼくは彼の作る音がとても好きだった。青西高嗣くんのレコーディングも勿論森元くんにお願いした。森元くんらしい張りのある素晴らしいサウンドになった。元レベッカの古賀森男くんとは同じ事務所だったこともあって、ぼくはレコーディングのみならず古賀くんのライブサポートにも参加するようになった。古賀くんは自分のサウンドポリシーとビジョンをはっきり持っている人で、一緒にプレイしていても最初は少し戸惑ったが、直に彼の意図を汲み取ることが出来るようになって、それからはスムーズだった。古賀くんはそれまでぼくが一緒にプレイしたどのギタリストとも違っていた。独特の個性溢れるスタイルとフレージングは本当に素晴らしかった。ぼくは彼の人柄や感性にシンパシーを感じ、次第により親しくなっていった。古賀くんと初めて一緒にレコーディングした曲は、マキシシングルのカップリング曲だった「BOY」という曲だった。ぼくはアレンジとピアノとシンセ、アコーディオンをプレイした。ドラムは元フェビアンの熊倉隆くん、ベースは久しぶりに一緒にプレイした池間史規くん、そしてマンドリンを笛吹利明さんに演奏してもらった。ホリプロダクションが手がけた、ダイヤオ,リウジェ,チャンチェンの中国新世代三人娘と名付けられたグループのレコーディングはとても楽しかった。ぼくはアレンジと演奏で参加。ミュージシャンは、ドラムに高橋伸之くん、ベースは岡沢茂くん、ギターは高村周作くんにお願いをした。リズム録りは東京で行い、ホーンセクション等のダビングはアメリカ西海岸のバーバンクで行われた。他にも多くのレコーディングに参加したが、ぼくの場合はスタジオミュージシャンとして呼ばれていってプレイするというよりも、アレンジやプロデュース込みでプレイすることのほうが圧倒的に多かった。また久しぶりに松山千春さんからお誘いを受けて、
1995(平成七)年03月26日(日)に札幌で行われた阪神・淡路大震災被災者支援コンサート「1995HANSHIN AID」に千春さんのサポートバンドとして参加させてもらった。メンバーは、ドラムス:島村英二 ベース:岡沢茂 ギター:松原正樹、笛吹利明 キーボード:エルトン永田、板倉雅一
1995(平成七)年05月01日(月)には同じメンバーでフジテレビ系「HEY!HEY!HEY!」ミュージック・チャンプにも出演した。浜田省吾さんのネット配信による、デジタルカレンダーに付帯する音楽も、少しだけだが担当させてもらった。また浜田さん関連の音楽制作に参加することが出来て、ぼくはとても嬉しかった。そしてこの時のことがきっかけとなって、再びぼくは浜田省吾さんのレコーディングに参加することになる。
‡写真◆1995(平成七)年01月28日(土) 久保田洋司レコーディング。スタジオ・サウンドダリ。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2017/12/199495.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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