映像◆Muhammad Ali vs Sonny Liston (May 25, 1965) -XIII- https://youtu.be/hfAqPkOBmZQ
May 25, 1965
映像◆Sonny Liston vs Cassius Clay (February 25, 1964) -XIII- https://youtu.be/sythpBgek4o
‡February 25, 1964
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┃ローマ法王 ヨハネ・パウロ二世 広島市平和記念公園へ┃
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‡1981(昭和56)年02月25日(水) 10時40分 広島・平和記念公園慰霊碑前
教皇を迎えた平和記念公園には、2万5千人が集まった
広島市長の歓迎あいさつ
平和アピール
①広島市長の歓迎あいさつ
広島市長 荒木 武
本日、人類史上例をみない原爆の惨禍を体験した広島市に、はるばるバチカン市国から、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世台下をはじめ、国務長官以下、多数の方々を初めてお迎えできましたことを光栄に存じ、広島市民を代表して、心から歓迎申し上げます。原爆被爆以来、わたくしたち広島市民は一貫して世界に核兵器の廃絶とあらゆる戦争の絶滅を訴え、人類が共存共栄し、人間の尊厳が保たれる真の平和の実現を求めて、たゆまぬ努力を重ねてまいりました。しかしなから、世界の情勢は国と国との間にわだかまる根強い不信感を除去することができす、ますます無差別大量殺りく兵器を開発・拡大させ、愚かにも自らの手によつて人類自滅への道をたどりつつあります。 このような情勢にあるとき、法王御白身がこの被爆の地にお立ちになり、全世界に向けて、平和のアピールをなされることは、まことに意義深いものかあります。顧みますに歴代の法王の平和に関する御見識と御努力には並々ならぬものがあります。すでに1963年には、「軍備の廃止」、「発展途上国への援助」、「国家の相互依存」などを説かれ、1965年の国連創立20周年に際しては、時の法王パウロ六世自ら平和の使徒として国際連合に赴かれ、『他国との提携」、「抗争・対立の排除」、「軍備の撤廃」を訴えておられます。平和への奉仕を伝統的に受け継がれているヨハネ・パウロ二世台下も、1979年、節34回国連総会に招かれ、その席上、「平和の恩恵の偉大さ」を強調され、「軍備拡張競争の反省」、「人間の尊巌の確保」について各国代表に強く求められました。本日のローマ法王御一行の御来広を新たな契機として、わたくしたちはより一層、“世界の中のヒロシマとしての使命を深く認識し、今後とも、世界平和への道を切り拓くたゆまぬ努力を、共に続けることをお誓い申し上げ、ここに法王台下の平和への御献身とバチカン市国の御峰盛とを、心から祈念いたしまして、歓迎の御挨拶といたします。
②平和アピール
教皇ヨハネ・パウロ二世
戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。もはや切っても切れない対をなしている2つの町、日本の2つの町、広島と長崎は、「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない町です。この2つの町は、「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」と、将来の世代に向かって警告しつづける、現代にまたとない町として、永久にその名をとどめることでしょう。広島市長をはじめ、ここに集まられた友人の皆さん、私の声に耳を傾けているすべてのかたがた、私のメッセージが届くすべてのかたがたに申します。
1.本日、わたしは深い気持ちに駆られ、「平和の巡礼者」として、この地にまいり、非常な感動を覚えています。わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信を持っているからです。この地上のありとあらゆるところに、戦争のもたらした惨事と苦しみのゆえに、その名の知られている場所が数多く、あまりにも数多く、存在しています。それは、人類の犯した悲しむべき行為だといわねばなりません。戦勝記念碑-- それは一方の側の勝利の碑であると同時に、数多くの人々の苦しみと死を物語るものです。国のために命を落とした人々、崇高な目的に命をささげた人々が横たわる墓地があります。同時に、戦争のもたらす破壊の嵐の中で命を失った、罪のない一般の人々が横たわる墓地もあります。強制収容所や死体処理場の跡-- そこでは、人間と侵すべからざる人権とがいやしめられ、野卑と残酷とが最も強く表されたところでした。戦場-- そこでは、自然が慈悲深く地上の傷をいやしていますが、人間の憎悪と敵意の歴史を消し去ることはできません。こうした数多くの場所や記念碑の中でも、特に広島、長崎は、核戦争の最初の被災地として、その名を知られています。あの陰惨な一瞬に生命を奪われた、数多くの男女や子供たちのことを考えるとき、私は頭をたれざるをえません。また、身体と精神とに死の種を宿しながら、長い間生き延び、ついに破滅へと向った人々のことを思うときにも、同様の気持ちに打たれるのであります。この地で始まった人間の苦しみは、まだ終わっていません。人間として失ったものが、全部数え尽くされたわけではありません。人間の考えやものの見方、ないし人間の文明に対して、核戦争がもたらした実害を目のあたりにし、将来の危険性を考えるとき、特にそうした想いに駆られるのであります。
2.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。広島市の皆さんは、最初の原子爆弾投下の記念碑を、賢明にも平和の記念碑とされました。わたしは、この英断に敬意を表し、その考えに賛同します。平和記念碑を造ることにより、広島市と日本国民は、「自分たちは平和な世界を希求し、人間は戦争もできるが、平和を打ち立てることもできるのだ」という信念を力強く表明しました。この広島でのできごとの中から、「戦争に反対する新たな世界的な意識」が生まれました。そして平和への努力へ向けて新たな決意がなされました。核戦争の恐怖と、その陰惨な結末については、考えたくないという人がいます。当地でのできごとを体験しつつも、よく生きてこられた人々の中にさえ、そう考える人がいます。また、国家が武器を取って戦い合うということを、実際に経験したことのない人々の中には、核戦争は起こりえないと考えたがる人もいます。さらに、核兵器は力の均衡を保ち、恐怖の均衡を保つため、いたし方のないものだとする人もいます。しかし、戦争と核兵器の脅威にさらされながら、それを防ぐための、各国家の果たすべき役割、個々人の役割を考えないですますことは許されません。
3.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。1945年8月6日のことをここで語るのは、われわれがいだく「現代の課題」の意味を、よりよく理解したいからです。あの悲劇の日以来、世界の核兵器はますますふえ、破壊力をも増大しています。核兵器は依然として製造され、実験され、配備されつづけています。全面的な核戦争の結果がいかなるものであるか、想像だにできませんが、核兵器のごく一部だけが使われたとしても、戦争は悲惨なものとなり、その結果、人類の滅亡が現実のものとなることが考えられます。わたしが国連総会で述べたことを、ここに再び繰り返します。「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争へ向けての準備が絶え間なく進められています。それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備がととのうということは戦争開始が可能だということを意味し、さらにそれは、あるとき、どこかで、なんらかの形で、だれかが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険を冒すということです。」
4.過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。広島を考えることは、核戦争を拒否することです。広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです。この町の人々の苦しみを思い返すことは、人間への信頼の回復、人間の善の行為の能力、人間の正義に関する自由な選択、廃虚を新たな出発点に転換する人間の決意を信じることにつながります。戦争という人間がつくり出す災害の前で、「戦争は不可避なものでも必然でもない」ということをわれわれはみずからに言い聞かせ、繰り返し考えてゆかねばなりません。人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です。文化、社会、経済、政治の面で、さまざまな発展段階にある諸国は、多種多様の問題をかかえており、そのために、国家間の緊張や対立が生じています。こうした問題は、国家間の正当な協定や、国際機関のよって立つ、平等と正義という倫理原理に添って、解決されねばなりません。それは、人類にとって肝要なことです。国内秩序を守るために法が制定されるように、世界の国々には、国際関係を円滑にし、平和を維持するための法制度が作り上げられなくてはなりません。
5.この地上の生命を尊ぶ者は、政府や、経済・社会の指導者たちが下す各種の決定が、自己の利益という狭い観点からではなく、「平和のために何が必要かが考慮してなされる」よう、要請しなくてはなりません。目標は、常に平和でなければなりません。すべてをさしおいて、平和が追求され、平和が保持されねばなりません。過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。
6.35年前、ちょうどこの場所で、数多くの人々の生命が、一瞬のうちに奪い去られました。そこで、わたしはこの地で、「人間性のため、全世界に向けて生命のためのアピール」を、人類の将来のためのアピールを、出したいと考えます。
各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないというかたい決意をしようではありませんか。人類同胞に向って、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりとを持とうではありませんか。
この国のすべての男女、全世界のすべての人々に次のように申します。国境や社会階級を超えて、お互いのことを思いやり、将来を考えようではありませんか。平和達成のために、みずからを啓蒙し、他人を啓発しようではありませんか。相対立する社会体制のもとで、人間性が犠牲になることがけっしてないようにしようではありませんか。再び戦争のないように力を尽くそうではありませんか。
全世界の若者たちに、次のように申します。ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。あなたがたの若い精神は、善と愛を行なう大きな力を持っています。人類同胞のために、その精神をつかいなさい。
すべての人々に、私はここで預言者の言葉を繰り返します。
「彼らはその剣を鋤に打ちかえ、その槍を鎌に打ちかえる。国は国に向かいて剣を上げず、戦闘のことを再び学ばない」(イザヤ2・4)。
神を信じる人々に申します。
われわれの力をはるかに超える神の力によって勇気を持とうではありませんか。
神がわれわれの一致を望まれていることを知って、団結しようではありませんか。
愛を持ち自己を与えることは、かなたの理想ではなく、永遠の平和、神の平和への道だということに目覚めようではありませんか。
最後に、わたしは自然と人間、真理と美の創り主である神に祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。
それは、個人の間、または国家の間でなされた、すべての戦争と暴力の犠牲者たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
それは人々が武器と戦争に信頼をおくとき、いの一番に犠牲者として苦しみ、また苦しむであろうすべての子供たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしは、主がすべての人間の心の中に、平和の知恵と正義の力と兄弟愛の喜びを注いでくださるよう、祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしはすべての国、またすべての時代において戦争を望まず、常に喜んで平和の道を歩む無数の人々にかわって、話しているからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしたちがいつも憎しみには愛、不正には正義への全き献身、貧困には自分を分かち合い、
戦争には平和をもってこたえることができるよう、英知と勇気をお与えください。
おお、神よ、わたしの声を聞いてください。そして、この世にあなたの終わりなき平和をお与えください。
https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/pope/johnpaulii/popeinjp/peace/
動画◆【木村政彦こぼれ話--Vol.15】原田久仁信という孤高の漫画家。梶原一騎スピリッツで描かれた木村政彦漫画「KIMUAR」/木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか/男の星座/プロレススーパースター列伝https://youtu.be/wtNzdVCu7wY
『枯れない殺意』について
1993(平成五)年5月6日(木)『週刊文春』合併号 文:猪瀬直樹
1993(平成五)年5月13日(木)『週刊文春』合併号 文:猪瀬直樹
《誰でも小さな挫折を繰り返しては開き直っていく。受験や就職や昇進など、一、二度失敗しても取り返しがきくし、人生の一部であってすべてではない。では、もはや立ち直れないほどの打撃をこうむり人生の敗者として屈辱にまみれたら……。しかもそれが騙し討ちによるものであったらどうするか。
「そいつを殺すつもりだった」ある人物が、僕にそう打ち明けた。眼の前に、抱いた殺意を隠そうとしない老人が坐っていた。
*
元柔道日本一の木村政彦が死んだ。七十五歳だった。ニュースを耳にして、あらためて憶い出した。多摩川に近い京王線沿線の住宅地を駅に向かって戻りながら、「あんたも殺されたいのかね」と厳しい口調で切り返してきたときの木村の顔の輪郭を、幾度も幾度もなぞっていた。四年前の夏だった。木村に会っておかなければと思ったのは、テレビ放送の黎明期についての取材を重ねていて(拙著『欲望のメディア』)、力道山との世紀の一戦の真相を知っておく必要に迫られたからだ。取材を申し込んでもなしのつぶてだった。こちらもしつこかった。一年待たされてようやく許可が下りた。それでも招かれざる客であったことに変わりない。開口いちばん、「会う必要はない」と断られたが、引き下がらずにいたら夫人が座敷に通してくれた。それでも「話すことはない」と繰り返すばかりだった。木村についてマスコミ(世間)がなにを記憶しているか。それを示す意味で今回の死亡記事を引こう。
1993(平成五)年4月19日(月)付『朝日新聞』「一九三五年に十八歳で明治神宮大会大学高専の部で優勝してから五〇年に引退するまで一度も負けなかった。日本一にも五度輝き、〝木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし〟と言われ、日本柔道界の伝説的存在だった。五一年からプロレスラーとなり、力道山との一戦では敗れ……」
1993(平成五)年4月19日(月)付『産経新聞』「小柄な体ながら、右からの一本背負い、大外刈りなどの技は強烈だった。立ち木を相手にして毎日千回の打ち込みなど、猛げいこを示すエピソードは多い。……故力道山と日本選手権を争い敗れたが、〝世紀の一戦〟として当時大きな話題となった」新聞の死亡記事の中身はどれも変わらない。無敵の柔道王として「木村の前に木村なく……」のキャッチフレーズと、「世紀の一戦」での敗北に触れている。木村は、輝かしい勝者としての前半生と、力道山に敗れ屈辱にまみれた後半生、つまり一身にして二世を生きた。
1954(昭和29)年12月22日(水)、蔵前国技館で行われた〝世紀の一戦〟は、わずか十五分四十九秒で決着がついた。力道山の空手チョップが爆発、木村は血まみれで昏倒、無惨な敗北を喫したのである。
‡2月25日号 この試合について「事前に引き分けの話し合いがあった」との八百長説をこのコラムで少し紹介した。当時の関係者に当たり、だいたいの状況証拠はつかんでいた。あとは当事者の証言だけである。周知のように力道山は一九六三年十二月十五日、赤坂の山王病院で死亡した。赤坂のクラブでチンピラにからまれ錆びたナイフで腹部を刺された。開腹手術を受け病状は快方に向かっていたはずだったのに突然の暗転、腸閉塞を併発したのだ。絶対に水分を採ってはならないし、ましてや固形物など……。しかし、力道山は術後の常識を無視してリンゴを食べた。自分が不死身だと思い上がるぐらいに、ヒーローとしての自分に溺れていたのである。テレビ開局まで、プロレスなど誰も知らなかった。力道山は木村とタッグチームを組み、アメリカから招聘したシャープ兄弟と闘った。シャープ兄弟は巧妙な反則で木村を攻め、木村がグロッギーとなると力道山が空手チョップで颯爽と登場する。弱い木村、強い力道山という図式ができた。力道山は、巧みな演出とテレビの力で国民的ヒーローとなった。力道山と袂を分かった木村は、国際プロレス団を旗揚げして失敗、病妻の薬代にも事欠いていた。関係者からの証言を総合すると、八百長を申し込んだのは木村だという。「ほんとうは俺のほうが強い……」と吹聴していた。マスコミが木村を煽った。いつの間にか〝世紀の一戦〟が一人歩きしていく。それなら、と木村は考えた。引き分けにして、分け前を半分もらおう、と。ここまでだったら悪いのは木村ということになるが、ことはそう単純ではない。力道山は、木村の申し出に応じるふうな態度を装った。木村が書いた念書を力道山が「預かっておく」と受け取った。翌日「ハンコをついたものをくれ」と木村が求めると「忘れた」という。この時点で、「じゃあ、念書を返してくれ」と木村が食い下がればよかったのだが……。八百長が成立したと信じてリングにのぼった木村は隙だらけだった。
*
「あいつは卑怯な男ですよ」と木村は僕にいった。
「だから、殺したんだ」しかし、彼はあなたに殺されたのではなくヤクザに刺されて死んだんですよ。
「いや。殺した」どうやって?
「ここですよ」と木村は額を指さした。僕は意味がわからなかった。
「ここに〝殺〟と書いたんです」書く? ああ、イメージで前頭葉のあたりに字を描いたわけですね。
「そうだ」そんなことをしたって人は死にません。
「いや、死ぬんだ」念力ですか。納得できませんね。
「あんたについても〝殺〟を描こうか」しばらく気まずい沈黙がつづいた。木村は、眼を閉じ昔話をはじめた。
「柔道の選手権の前夜、座禅を組んだ。何時間も、ずっとだ。すると額のところに〝勝〟が浮かんできて黄金色に輝きはじめる」試合の前は、そうなさるのですか。
「〝勝〟が出て来ないときには、日本刀を腹にあて、切っ先を食い込ませる」痛いですね。
「痛くない。そのままじっと待つ。すると〝勝〟が出てきたときもある」木村は誇り高き勝負師だった。たった一度の過ちが彼の後半生を台無しにしたはずだが、世間が何をどういおうと、力道山を自分で始末したのである。取材の帰途、拭いがたい疲労感に覆われることがたまにある。あのときもそうだった。残暑を怨んだ》
http://blog.livedoor.jp/masuda_toshinari-about/archives/30341845.html
丸亀町商店街はなぜ成功したのか?~商店街をショッピングセンター化
‡2014(平成26)年02月25日(火) ビジネスのお話
http://www.siruzou.jp/bijinesu/7327/
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┃Krispy Kreme Doughnuts┃
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【広島ekie】ekie2階インフォメーション前イベントスペース
出店場所:〒732-0822 広島県広島市南区松原町1番2号
‡出店期間:2021(令和三)年02月25日(木)~02月28日(日)
営業時間:10:00~20:00 ※2月28日(日)は19:00まで
販売商品:一部ボックスのみ
【呉駅ビルクレスト】2階特設会場
出店場所:〒737-0029 広島県呉市宝町1番16号
‡出店期間:2021(令和三)年02月25日(木)~02月28日(日)
営業時間:10:00~18:00
販売商品:一部ボックスのみ
https://krispykreme.jp/store-news/5824/
児童性的虐待は「いけにえの儀式」のよう ローマ法王、具体的対策を約束
‡2019(平成31)年02月25日(月)
Pope Francis画像提供,REUTERS
画像説明,「声のない、押しつぶされた悲鳴にじっと耳を傾ける義務がある」と法王は述べた
キリスト教カトリック教会の法王フランシスコは24日、聖職者による未成年への性的虐待問題に具体的な対策を導入すると所信を発表した。聖職者による性的虐待に関する特別会議は、21日からヴァチカンで行われていた。会議閉会に際し、法王は加害者の聖職者は「サタン(キリスト教の悪魔)の手先」だと発言。全ての事件に「真剣に」取り組むと述べた。また、児童虐待はキリスト教以前にあった古代のいけにえの儀式を思い出させると語った。その上で、大司教らは今後、虐待阻止と加害者への処罰のガイドラインを見直し、強化すると述べている。BBCのジェイムズ・レノルズ・ヴァチカン特派員によると、法王は今回、大まかな方針を述べるに留まったが、虐待の被害者やサバイバーは具体的で詳細な対策の発表を訴えるだろうと指摘している。
■「サタンの手先」■法王フランシスコは4日間におよぶ会議の最終日、「(児童虐待は)かつて特定の文化で広く行われていた、残忍な宗教儀式を思い起こさせる、そこでは人間が、多くの場合は子どもが、いけにえにされた」と述べた。
「この非人道的な行為は世界中で起きているが、特に教会においては、教会の倫理的権威や道徳的信用度とあまりに対照的で、どこよりも深刻で不道徳な行いとなる」
「人の魂を救済に導くため神に選ばれた聖職者が、自らの人間的な弱さや病に屈し、サタンの手先となってしまう。虐待の中に、純真な子どもさえ容赦しない悪魔の手を見る」法王はその上で、今後は被害者を最優先し、全ての加害者を法の下に引き出し、虐待の隠ぺいを終わらせると約束した。また、未成年への性的虐待は「全ての文化や社会にまん延する現象」で、世界共通の問題だと指摘した。
動画説明,カトリック教会の性的虐待スキャンダル、ヴァチカンで会議始まる
■会議では何が?■会議には、130以上の国のカトリック司教協議会会長が招集された。協議会会長には神父の義務となる行動規範や、虐待の発見や警察への通報に関する訓練など、虐待の対処法の行程案が提示された。会議ではまた、被害者が虐待やその隠匿について証言する場面もあった。ほとんどの被害者は匿名で証言した。アフリカ出身の1人の女性は、10代の頃に神父から何年も性的虐待を受けたが、神父がコンドームの着用を拒否したため、妊娠中絶を3回することになったと話した。別のアジア人の男性は、100回以上にわたり暴行されたと訴えた。
■法王にかかる重圧■2013年3月に選出された際、法王は虐待問題に「決定的な措置」を行うべきだと述べたが、虐待を隠ぺいした大司教の責任を問うために十分な働きをしていないという批判も出ていた。カトリック教会では数十年にわたり、何千人もが神父から性的虐待を受けたと考えられており、教会も世界中で虐待を隠ぺいしていたと批判を浴びている。虐待サバイバーは現在、未成年を守るために事前策が必要だと訴えている。現代のカトリック教会にとって最も喫緊な危機について、法王は指導力を発揮し、実行可能な解決策を見出すという大きな重圧にさらされている。
(英語記事 Pope compares sex abuse to human sacrifice)
https://www.bbc.com/japanese/47353318
映像◆【アームレスリング】ベンチプレス150キロ上げる俺が女子に負けるわけ無いでしょ!!!https://youtu.be/jPnmj-rhvAM
‡2019(平成31)年02月25日(月) 1,398,150 回視聴 19:52 2020/02/10(月)現在
ikki sutofura 5か月前 足利紫津子氏 2007柔術アマチュア全国大会無差別級優勝 強いの腕相撲だけじゃなかった、かっこ良過ぎるお母さん。
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BODYMAKER×アスリート(34)足利紫津子
2018(平成30)年07月10日(火) 10:57
足利 紫津子選手がオールジャパンアームレスリング選手権大会・女子無差別級優勝7連覇を果たしました。
BODYMAKERファミリー紫津子選手 ⇒ 現在、オールジャパンアームレスリング選手権大会・女子無差別級で2012年の初出場から7連覇中という輝かしい実績の持ち主です。 2011年 岡山県を拠点とするアームレスリングチーム「チームZERO-腕」に所属し、翌年オールジャパン選手権に初出場にして55キロ以上クラスの右左ともに初優勝。 さらに2016年8月21日、香港での国際大会(アーノルドクラシック アジア)の女子無差別級では見事、優勝を果たされました。以来、2018年7連覇達成中です。 現役で活躍するアームレスリング絶対女王の私生活は、「母」と「選手」を両立し暖かい家庭を築いています。7連覇へと輝いた足利選手に特別インタビュー取材をさせて頂きました。これからも足利選手の活躍を楽しみにしています!
■オールジャパンアームレスリング選手権大会・女子無差別級7連覇直後 インタビューをいたしました。
◆力の強いお母さんから7連覇絶対女王へ
―今回、7連覇がかかった全日本選手権大会でしたが、どのような気持ちで大会に臨みましたか?
そうですね、年々勝ち続けていく中で応援して頂ける方が競技者のみならず色んな方面からどんどん増えてきて、 みんなに応えたい強い想いと、感謝の気持ちでなんとか勝ちたいなと奮い立たせてきました。
─メンタル面はどのように鍛えているのですか?
家族の応援が大きな支えになっています。家族全員が側で応援してくれるので試合で必ずいい結果を持って帰ろうという思いが第一です。試合だけでなく日頃の練習時間も主婦をしながら時間を割いているので、トレーニングに向かう時も何かを必ず得てから家族の元に帰ろうといった意識は常にありますね。
─トレーニング内容を教えてください。
アームに特化した練習を重ねて入るので、親指、手首といった部分部分の強化を重視しています。 一般的な器具だけでなく、常日頃からこれは手首に効くな、グリップの強化に繋がるなと新しい刺激を取り入れるためにも試行錯誤しています。
―アームレスリングとの出会いを教えて下さい。
始めたきっかけはテレビ局主催の腕相撲大会です。 学生の頃からスポーツ経験はなく、クラブ活動に打ち込んできた経験がなかったものの、元々、カには自信があったので大人になってからでも始められるスポーツはないかと考えていました。そんな時にテレビで募集していたイベントを観て「これならやれる!」という気持ちで初めて挑戦しました。その後プロのアームレスリング 大会にも出場してみたところ、後に師匠となっていただく方(アームレスリング元世界チャンピオン宮本真治選手)に「今のままではカの強いお母さんで終わるけど全日本チャンピオンという肩書きを持った人生を目指しませんか?」と声をかけていただいて、そのチャンスを生かすことができました。>>宮本真治選手
―アームレスリングの魅力は何ですか?
私自身もアスリート人生がこうして始まったように、スポーツ経験や年齢関係なく誰でもすぐに始められるスポーツがアームレスリングです。まだ今はマイナー競技で、シンプルで誰でも楽しめる素敵なスポーツですが、やっていくと、とっても奥の深いところがあります。そんなアームレスリングをどんどん広めていきたい!といつも思っています。
◆金メダリストのお母さんへ 足利選手の強さの秘訣でもあるご家族より
足利 壮太(あしかが そうた)さん たまには強い母じゃなく女性らしい方がいいなと思うことがありますが。その強さを奪ったら足利壮太の母じゃないなと思います。なので強い母であり続けてもらいたいです!!
チーム、家族と周囲から期待と激励を満身に受け、挑むは連覇!BODYMAKERは足利紫津子選手をサポートします。
足利 紫津子 ⇒ 大阪府出身。女性アームレスラー(チームZERO-腕 所属)。オールジャパンアームレスリング選手権大会・女子無差別級チャンピオン。アーノルドクラシック アジア・女子無差別級チャンピオン。
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》足利紫津子twitter
》足利紫津子BODYMAKERアスリートページ
http://b.bodymaker.jp/NewsEvents/2018/07/10/105758.php
渋谷に突如現れた「くらバーガー」――誕生のキッカケはある「社会問題」だった
2019(平成31)年03月05日(火) 都市商業研究所
くら寿司が「ハンバーガーチェーン3位」に大躍進!?
渋谷センター街という立地だけに、このまま営業を続けたら外国人観光客にもウケる存在になるかも知れないが、このポップアップ店舗は「期間限定」だ。「KURA BURGER」の営業は
‡2019(平成31)年02月25日(月)から
2019(平成31)年03月03日(日)の11時~20時まで。残念ながら記事の掲載時には閉店したあとになるが、「KURA BURGER」は取材後の3月1日から全国各地の「くら寿司」各店(一部店舗除く)でも販売が開始されているとのことで、そちらで味わうことが可能だ。なお、くら寿司は2019年2月現在、関西地方を中心に46都道府県に約400店を展開している(このほか、米国と台湾にも複数店を展開)。これは大手ハンバーガーチェーン「ロッテリア」の国内店舗数よりも多く、国内ハンバーガー業界に当てはめると「マクドナルド」、「モスバーガー」に次ぐ第3位に躍り出ることとなる。
くら寿司はこのハンバーガーを目玉商品の1つとして将来的には月100万食販売したい計画だという。今や「ラーメンを食べに回転寿司に向かう」という人がいる時代、将来的にはハンバーガーチェーンにとってみても回転寿司チェーンの存在が脅威となるかもしれない。今後、くら寿司を訪れた際にはこの「KURA BURGER」を注文し、ユニークな「食材ロス削減」への取り組みを応援してみてはどうだろうか。
<取材・文・撮影/若杉優貴 ウラカシ(都市商業研究所)>
https://hbol.jp/187208/2
独裁者の「恥部」を暴露して処刑された最初の脱北者
2020(令和二)年06月17日(水) 5:00 高英起 | デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
写真◆金正恩氏(朝鮮中央テレビ)
北朝鮮が、金正恩体制を非難するビラを北に向けて散布した韓国の脱北者団体と、それを許容した文在寅政権への強硬姿勢を強める中、北朝鮮各地では国民に脱北者への憎悪を植え付けるための講演会が開かれている。 両江道(リャンガンド)の現地情報筋が韓国デイリーNKに伝えたところでは、「当局から派遣されてきた講師は何人かの(脱北者の)個人名まで挙げながら『人民の名において必ずや処断(処刑)する』などと、驚くべきことを言っていた」という。 また情報筋によると、「こうした発言を聞いた住民たちの間では『当局が特攻隊を南に派遣するようだ』との噂が急速に広がっている」という。北朝鮮当局が、金正恩党委員長の命令とあらば、彼の「敵」を抹殺するため相当な無理をやらかすことは、2017年にマレーシアで起きた金正男(キム・ジョンナム)氏暗殺事件を見れば明らかだ。 たとえ北朝鮮に対する警戒が厳重な韓国国内であっても、ひとたび狙われたら安全とは言えない。体制を恐怖で維持するため「見せしめ」を多用してきた金正恩氏が、脱北者に対してそれをしない保証は決してないのだ。
1997(平成九)年02月15日(土)、韓国・ソウル市郊外のアパートで、ひとりの男性が凶弾に倒れた。男性の名前は李韓永(イ・ハニョン)。自宅アパート14階のエレベータ前で、2人組の男に銃撃された。ただちに病院へ搬送されたが、
‡1997(平成九)年02月25日(火) 10日後に死亡している。1960年に平壌で生まれた李氏は、金正日総書記の2番目の妻ソン・ヘリム氏の姉であるソン・ヘラン氏の息子だった。韓国当局は李氏が射殺された事件を、北朝鮮の南派工作員による最初の脱北者殺害と見ている。そして刺客を放ったのは、外ならぬ金正日氏だった。李氏は、北朝鮮にいたときの本名を李一男(リ・イルナム)といった。平壌では、金正日氏夫妻とその息子・正男(ジョンナム)氏と生活をともにし、金王朝の深奥の秘密に通じていた。ヨーロッパを経由して韓国に亡命した李氏は1996年、金正日氏とロイヤルファミリーの私生活を赤裸々に綴った手記『大同江ロイヤルファミリー・ソウル潜行14年』を出版。それ以降も各種メディアを通じ、「喜び組」や「秘密パーティー」など、体制の恥部とも言える秘話を暴露していく。これに、金正日氏は激怒したという。(参考記事:【写真】水着美女の「悩殺写真」も…金正恩氏を悩ませた対北ビラの効き目)そして最近、脱北者団体・自由北韓運動連合が北に向けて飛ばしたビラでは、北朝鮮の一般国民が決して知ることのできない金一族の「暗部」が暴露されている。 その内容に金正恩氏が激怒したとすれば、1997年の事件が再現されないとも限らないのだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20200617-00183664/
削除動画◆美女の国!ベトナムでやりたい放題!男の天国?しかし... http://youtu.be/sMjbC98bipk
1966(昭和41)年02月12日(土) タイヴァンの虐殺 開始
1966(昭和41)年03月17日(木) タイヴァンの虐殺 終了
1966(昭和41)年02月26日(土) ゴダイの虐殺 (4:04)
‡1968(昭和43)年02月25日(日) ハミの虐殺
1968(昭和43)年02月12日(月) フォンニィ・フォンニャットの虐殺
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┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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1990(平成二)年02月25日(日) 松竹歌劇団(SKD)が最後のレビュー ⇒ 松竹歌劇団(SKD)がラインダンスで人気を集めた「グランド・レビュー」の最終公演を行った。SKDは水の江滝子さん、草笛光子さん、倍賞千恵子さんらのスターを生み出したが、娯楽の多様化とともに人気が低迷、活動休止に追い込まれ、レビューも60年の歴史に幕を下ろした。写真は1982年の舞台の様子【時事通信社】
1981(昭和56)年02月25日(水) 韓国で新憲法下初の大統領選。全斗煥大統領を選出
1986(昭和61)年02月25日(火) フィリピンでマルコス独裁政権が崩壊
https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=島田由明
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‡2001(平成13)年02月25日(日) 西武・松坂大輔が初回先頭打者から5連続K
‡2018(平成30)年02月25日(日) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は2月25日だ。
写真◆わずか2イニングの登板だったが、まずまず順調な滑り出し
中日移籍で話題を集める松坂大輔だが、2001年はプロ3年目ながら入団から2年連続最多勝と順風満帆の時期(オフに不祥事はあったが、グラウンドでは)。同年2月25日は、オープン戦初登板の対阪神(春野)で、松坂が奪三振ショーを見せた日だ。
先発した松坂は、まず阪神先頭の赤星憲広に150キロを3球連続して投げ込み、スタンドを沸かせる。最後はスライダーで赤星を見逃し三振に打ち取ると、ここから奪三振ショーだ。
二番・田中秀太は外角の150キロで空振り三振。三番・平下晃司には3球目にフォークのように落ちるスライダーを投げて空振りさせ、2ストライク1ボールと追い込んだ後、外角ストレートで空振り三振。
続く2回はクルーズをスライダーで仕留め、ペレスは変化球で2-2とした後、インハイにズバリ。ペレスは振り遅れて三振。これで先頭打者から5連続Kだ。続く桧山進次郎は投ゴロで6連続は逃したが、まさに付け入る隙なしの投球だった。
「真っすぐがいい回転を出せるように投げました。フォームにばらつきもなかったし、抜ける球もなかった。低めに伸びていたし、70点ですかね」と松坂。
同年は結局3年連続の最多勝となった。高校、プロ、日本、アメリカで幾多の伝説を残してきた松坂。ドラゴンズのユニフォームを着てのオープン戦初登板もまもなく見られるはずだ。多くを期待するのは酷と分かってはいるが、やはり期待せずにはいられない……。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2007(平成19)年02月25日(日) 中村紀洋が中日で背番号205からの再出発
‡2019(平成31)年02月25日(月) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2007年2月25日だ。
写真◆結局、開幕直前に支配下に昇格し、日本シリーズMVPに輝くなど活躍した中村
年俸が折り合わず、オリックスを退団していた中村紀洋が“野球浪人”の身から晴れて解放された。中日のキャンプ地・沖縄北谷で、球団から合格通知を受け取った。テスト開始から10日目の朗報だった。
「とにかくホッとしています。これで野球を続けることができるんですから。獲得してよかった、中日球団にそう思ってもらえるよう、必ずお返ししたいですね」
推定年俸は400万円、史上最強の育成選手が誕生した。前年度の推定2億円の50分の1、オリックスから提示され拒んだ8000万円からでも20分の1だった。背番号は205。こちらは「(近鉄では)5番だったんだから」と落合博満監督からすすめられ、決定した。
「ずっと言い続けているように、お金じゃないんです。野球ができる。それが一番なんですよ」
名古屋での単身生活。合宿所「昇竜館」での若手との共同生活を望んだが、満室で実現しなかった。粉骨砕身、野球に取り組む覚悟。大恩人となった落合監督からはひと言「はい上がってこい」と声を掛けられ、まさしく裸一貫からの再スタートとなった。
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.046 ┃ 30円
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‡1959(昭和34)年02月25日(水)号 特集 “絶対絶命”五人~水原・宮本・大下・木村・別当
2017(平成29)年12月12日(火) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎巻頭グラビアは『巨人宮崎で初キャンプ』
写真◆表紙は西鉄・豊田泰光
今回は『1959年2月25日号』。創刊46号で定価30円だ。表紙は西鉄・豊田泰光。センターカラーは『四連覇への誓い』と題し、西鉄の三原脩監督、稲尾和久の背広姿だ。巻頭グラビアは『巨人宮崎で初キャンプ』。この年から今に続く宮崎キャンプがスタートした。
本文巻頭は『特集 絶体絶命の五人~水原・宮本・大下・木村・別当』。身内の恥ではあるが、表紙文字の「絶対絶命」は誤植である。前年不振の巨人・宮本敏雄、西鉄・大下弘、南海・木村保、59年の成績次第では進退が問われる巨人・水原円裕監督、大毎・別当薫監督の人物モノだ。
連載『ぼくの抱負』では前年の58年に入団2年目(1年目は秋入団)から13年連続だった2ケタ勝利が途切れ、9勝に終わった36歳のベテラン、巨人・別所毅彦が登場。通算300勝を照準に入れ、契約更改では「35試合以上登板」を条件として出し、水原監督を激怒させた。
さすがベーやん。かなりの自信を持っていたようだ。
ぼくの体はまだ二十代だと思っている、年のことは考えないことにしている。いまの調子なら15~20勝は堅いと言える。それほどいまの具合はいいんだ。キャンプにも身が入るし、シーズン・インが待ち遠しいというのがいまの気持ちだ。
誤解だったが、どきっとする連載もあった。この年から選手コラムの元祖として巨人・長嶋茂雄の『ぼくの日記帖』がスタート。そこには実筆で「週刊ベースボール愛読者のみなさんへ」とあるのだが、スペースの都合か、この週は「週刊ベースボール愛」と「読者のみなさんへ」が改行され、「原辰徳のジャイアンツ愛のルーツを見つけた!」と一瞬、喜んでしまった。
ここでは小社がアメリカから長嶋用のウィルソン製のグラブを取り寄せた逸話もあった。昔のべ社恐るべしである。
座談会は、「今年こそは待ったなし~くたばれ!西鉄・巨人」南海の野村克也、杉浦忠、阪神の小山正明、西尾慈高、山本哲也が出席。
最後のやり取りだけ抜粋する。ちなみに杉浦は新婚ほやほやだ。
杉浦 一生懸命やることしかないですよ。ほかに考える余裕なんかありゃしない。
西尾 奥さんのためにもね(笑)。
杉浦 そしてやはり優勝ですね。もし優勝できて、その暁に振り返ってみて、ああ、30勝したか……(笑)。
記者 野村さんは。
野村 右に同じ。
山本 30勝するの(笑)。
野村 違うよ。30本ホームランを打つんだよ(笑)。
では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.099 ┃ 30円
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1960(昭和35)年3月02日(水)号 特集 12球団スプリング・キャンプの内幕 対談 二年目のジンクスはない
2018(平成30)年2月03日(土) 11:08 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。おかげ様で、まもなく通算3500号を迎える。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎張本勲の自信
写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
今回は『1960(昭和35)年3月2日号』。定価は30円だ。巻頭は巨人の宮崎キャンプ。この年のキャンプインは2月8日となっていたらしい。週べ創刊100号である(高校野球特別号が入り、ナンバリングは連載の回数とは合わない)。
本文巻頭というか、一大特集が『12球団スプリング・キャンプの内幕~本誌特派記者がつづる現地ルポ』。各球団2ページで、すべてに南海なら野村克也、広瀬叔功など「ショート対談」が囲みで入る。ここでは見出しのみ紹介しよう。
南海 「杉浦にあがる危険信号」
大毎 「葛城のコンバートは成功するか」
東映 「新しい外人トリオの功罪」
西鉄 「川崎監督と中西、豊田、稲尾」
阪急 「再起を誓う衆樹」
近鉄 「巨人勢と近鉄勢の対立」
巨人 「浜崎コーチと投手陣の間」
阪神 「金田新監督の人気は?」
中日 「濃人はだれを育てる!」
国鉄 「エース金田のキャンプ生活」
広島 「一本化したチーム力」
大洋 「“低姿勢”三原の腹の中」
キャンプ地一覧もあったので、ついでに紹介する。
◆南海 1月20日(水)~2月25日(木)・中モズ
南海 2月26日(金)~3月4日(金)・呉二河
大毎 島原
東映 2月8日(月)~月末・伊東
東映 3月1日(火)~10日(木)・岡山
西鉄 平和台
阪急 2月08日(月)~14日(日)・姫路
阪急 2月15日(月)~月末・西宮
近鉄 今治
巨人 宮崎
阪神 甲子園
中日 大分別府
国鉄 指宿
広島 2月02日(火)~24日(水)・呉二河
◆広島 2月25日(木)から月末・広島
大洋 明石。以前あった三保はなくなったのか?
2個所の球団のみ日付を入れたが、キャンプインの
1960(昭和35)年2月8日(月)は、有名無実のものだったらしい。
座談会は越智正典の司会で前年の新人王、東映・張本勲、大洋・桑田武が登場。タイトルは『二年目のジンクスはない』だが、2年目のジンクスについて聞かれたときの張本の答えがいい。
「ぜんぜん考えてないですね。だいいちジンクスやらそんな言葉知らんですもの(笑)」
実際、相手投手についても知らなかった1年目より2年目のほうが怖くないと言い切り、さらに「四角い中、これだけでしょ(手でホームベースの型をつくる)。どっか当たると思うですね。向こうもまた、バットに当てんようにという気持ちがあると思うんですけど、どっか当てられると思うんですね、ぼくは」
かなりの自信だ。
では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.151 ┃ 30円
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■ (水)曜日週刊定期発行初の●もうひとつの(土)曜日????
‡1961(昭和36)年2月25日(土)●号 キャンプ革命勃発中!
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
2018(平成30)年3月27日(火) 11:08 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
『新しき情熱もやす水原』
表紙は左から巨人・山崎正之、別所毅彦コーチ
今回は『1961年2月25日号』。定価は30円だ。巻頭グラビアは巨人・長嶋茂雄の宮崎キャンプ風景。急行列車で東京から宮崎まで27時間かかったというなら、いまなら海外旅行くらいの感覚だろうか。
本文巻頭では『巨人軍に革命が起こった』。川上哲治監督が宮崎キャンプで新しいトレーニングを次々導入しているという話だ。10キロのバーベルを使ったウエート・トレ、工夫されたサーキット・トレーニング、スカウトのキャンプ参加などだが、1つ、われわれマスコミには、少し嫌なことも始めた。のち“哲のカーテン”とも言われた「取材規制」である。
当時の新聞記者は、キャンプ中ならほぼどこでも取材ができたが、川上監督は、選手に話を聞くのは、お昼休みの間のみと決め、さらに選手には「自分の弱点をペラペラ記者にしゃべるな」とお達しを出した。
この号では他球団のキャンプもさまざま切り口で紹介されていたが、見出しでひかれたのは、『マンボにのったオリオンズの練習』だ。映画会社大映が親会社の大毎オリオンズである。キャンプは愛媛県松山では、なんと練習中にマンボ(ラテン系のダンスミュージック)が流れているというのだ。いまでは練習中のBGMは当たり前だが、これが日本では先駆けではないか(生前の川上氏に聞いたとき、このBGMも自分が最初という話があった。すでに巨人はしてたのか、あるいは記憶が混同していたかは、この号の週べではわからなかった)。
理由について宇野光雄新監督は、
「スポーツっていうのは、リズムが大切なんだよ。野球でもリズムに乗ってスッスッと動いたら、こりゃ練習も楽しくできるじゃないの、そうだろう」
と言うが、おそらく永田雅一オーナーの発案だろう。
『再編するファーム・リーグ』という記事もあった。これまで二軍は名古屋以西がウエスタン・リーグを結成し、一軍の試合の前座として行われてきたが、イースタン・リーグは1955年に結成されるも1シーズン限りで消滅していた。それがいよいよ復活となり、かつウエスタンのように前座的ではなく、単独で遠征に行くということだ。地味だが、画期的なニュースではある。
以下、宣伝。
週べ60年記念シリーズ『巨人編』が好調発売中。次回、日本ハム編も佳境です。今回は巨人編に比べ、ややくだけた企画もあります。
では、またあした。<次回に続く>
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④┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.256 ┃ 40円
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‡1963(昭和38)年2月25日(月)号 川上哲治と別所毅彦の冷戦
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
2018(平成30)年7月11日(水) 10:16 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
村山実の右腕にどんな仕掛けが?
表紙は左から巨人・王貞治、南海・野村克也
今回は『1963年2月25日号』。定価は40円だ。
阪神・小山正明は2月7日、10回目の交渉でついに契約更改した。金銭には納得できなかったようだが、フロリダ・キャンプの出発直前。どうしても参加したかったのかもしれない。
共同会見では「ほんま迷惑かけました」と頭を下げた小山だったが、その後、「どやワシの逃げっぷりは見事なもんやったろう。月光仮面みたいなもんや」と笑顔を見せた。日夜、小山の動向を追った担当記者を何度もまいていたらしい。
阪神は9日(日本時間10日)には、デトロイト・タイガースがキャンプを行っているフロリダのタイガー・タウンに到着。まずはぐっすり寝て、翌日から練習を開始した。
人気は村山実。デトロイト・タイガースは、このオフの来日時、村山に完封されていただけに、フェフィング監督も「村山の速球は最高の魅力があるボールだった」と称賛し、「完封されたときは、腕にさわりたかった。いったいどんな仕掛けがしてあるのかって」と笑った。
前年、巨人のコーチを退任した別所毅彦が評論家となって、宮崎のキャンプを訪れた。退任時の川上哲治監督へのすさまじい恨み節は、以前の回で書いたとおりだ。
キャンプでは並んで座り、ひとまず弾まないながら普通の会話をかわしたが、チームに状態についての質問には、
「ベーやん(別所)は、何もかも知っているから練習を見たら分かるだろう。何も言う必要はないよ」
とだけ言って、川上は別所のヒザをたたき、席を立った。
では、またあした。<次回に続く>
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③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180327-12
④http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180710-03
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┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
┃ プロ野球仰天伝説 No.064 ┃ ONLINE
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【助っ人トンデモ話 No.15】
芸術用語になるくらい三振しまくった男【助っ人トンデモ話】
‡2018(平成30)年2月25日(日) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
トマソン[1981-82巨人/外野手]
巨人・トマソン
難しい話はよく分からないが、赤瀬川原平氏らが発見した芸術上の概念を「超芸術トマソン」と呼ぶらしい。芸術ではないが存在が芸術のようであり、その役の立たなさが芸術以上に芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中で不動産に属するものをトマソンと呼ぶということらしい。
これは1981(昭和56)年にドジャースから巨人に入団し、同年リーグ最多の132三振をマークしたゲーリー・トマソンの三振からインスパイアされ、その概念の名前にしたという。要は、まったく意味のない空振りでありながら、何か意味があるように思えてしまうほど、見事な空振りということだろう。
トマソンは1年目こそ打率.261、20本塁打とギリギリ及第点の数字だったが、2年目は大不振と藤田元司監督との確執もあり、退団となった。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180225-10
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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【広島】チケット抽選券配布、途中打ち切り「想定の2、3倍」警察も指導
‡2019(平成31)年02月25日(月) 14:45配信 スポーツ報知
抽選券を目当てに広島駅から続くマツダスタジアムのスロープには大勢のファンが並んだ
広島が25日、マツダスタジアムで今季チケット販売のための抽選券を配布したが、2万人程度の来場を想定したところ、5万人を超えるファンが押しかけて混乱した。
球団は当初、午前11時の段階で球場に来場した全員に、同時刻から抽選券を配布すると告知していた。同6時の段階で列を作っていたのは約160人。ところが9時を過ぎる頃には、広島駅から球場に向かう踏切に人が殺到するなどしたため、JRから「列車の運行に支障が出かねない」と連絡が入った。そのため警察の指導もあり、配布時刻を9時40分に繰り上げた。
ただし10時の段階で球場に隣接するプロムナードと球場コンコース通路に駆けつけたのは約1万3000人。そこから爆発的に人が増え、車道を埋め尽くす状態に。さらに導線として想定していなかった球場東側からもファンが殺到した。球団入場券部・島井誠部長(63)は「訪れた方の数は想定の2、3倍。事故を起こすわけにはいかない。安全が最優先」と判断。途中で配布を打ち切る旨を告知した。
結果、11時までに来場したにもかかわらず、約1万人が抽選券を手にすることができなかった。一部のファンが「どうなってるんだ」と球団スタッフに詰め寄る騒ぎもあったが、結果、持病の発作で救急搬送された1件をのぞき、事故は起きなかった。午後1時30分頃には配布作業が終了した。
月曜日の午前ということもあり、来場者は高齢者や主婦の姿が目立った。島根・浜田市から駆けつけたという70代の男性は約2時間待って抽選券を手にして「疲れたけど、公平感があるんじゃないかな」と笑顔。一方、広島市西区の50代女性は「時間内に並んだのにもらえなかった。約束が違う」と怒り心頭だった。
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カープ球団「安全を優先」想定を超える約5万人 警察やJRからも苦情
‡2019(平成31)年02月25日(月) デイリースポーツ
写真◆抽選券をもらえなかった人に拡声器を使って状況を説明する関係者
写真◆まさに人、人、人 長蛇の列とは言いますが…
広島カープの今季公式戦の入場券購入のために必要な抽選券の配布が途中で打ち切られたことについて、同球団の島井誠・入場券部長は25日、球団事務所で状況説明を行った。
約5万人が抽選券を求めて列を作ったことに「想定の2、3倍だった」と説明。警察やJRからも「なんとかしてほしい」という連絡が入ったといい、当初の配布時間よりも1時間20分早い、午前9時40分から抽選券の配布を開始したという。
「そうしないとあれ以上、膨らんでしまうので、早めに配ることにした。待たれた方には大変申し訳ないんですが、何を優先するかといった時に安全を優先させてもらった」と釈明した。
球団が想定していた人数については、球場内のコンコースが約1万人、コンコースへつながるスロープ(プロムナード)が5000人強だったが、その想定を大きく上回る人が詰めかけ、行列は広島駅まで伸びた。さらに動線に想定していなかった球場東側にも列ができた。抽選券は約5万枚を用意していたというが、事故や混乱を避けるため、途中で配布を中止した。
「午前10時ぐらいまでは良かったんですけど、そこからの反省点が多いですね。抽選なので転売屋も簡単には買えないはずだし、(何日も前から並ぶ)テント村も一切なかったですから、それまではもくろみ通りだったんですが」と話した。
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カープ公式戦チケット「抽選券」配布に「ものすごい数の人」
‡2019(平成31)年02月25日(月) 12:05配信 TSSテレビ新広島
来月1日から始まるカープの公式戦のチケット購入に必要となる『抽選券』の配布がけさマツダスタジアムで行われました。
25日に配布された抽選券は、来月1日と2日にマツダスタジアムで販売される公式戦70試合のチケットを購入する権利を得るためのもので、午前11時までに来場したすべての人に1人1枚、配られました。
カープ公式戦のチケット販売はこれまで先着順でしたが、転売目的などでの買い占めを防ぎ、幅広くファンへ購入機会を広げるため、今年から抽選制になりました。
【お客は】
「6時に来たの。あたればいいけどね」
「25番の新井さん(の背番号)だから、うれしくて」「あてます」
「公平性があっていいけど並ぶのは大変よね。年寄りはそれが大変」
「すごい人でびっくりしました。とれることを期待します」
当選者は、27日に、カープの公式ホームページと球場正面で発表され、当選者2100人が1人5試合までチケットを購入することができます。