過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)


〝今〟という現実にむきあいながら〝明日〟の見えない若者の心情をそのままに反映したアルバムだった・・・はっぴいえんどのデビュー・アルバム『はっぴいえんど』制作秘話
 2015(平成27)年08月05日(水) 執筆者:小倉エージ
 1970(昭和45)年08月05日(水)、はっぴいえんどのデビュー・アルバム『はっぴいえんど』が発表された。林静一が手がけたアルバム・カバーに描かれた製麺所の看板にちなんで後に「ゆでめん」と称されることになる。70年の4月以来、岡林信康の『見る前に跳べ』への参加をきっかけに岡林のライブでバックを務める一方、独自の活動を始めていたはっぴいえんどは、アルバム発表直後の
 1970(昭和45)年08月09日(日)、岐阜県の糀の湖で開催された第2回全日本フォーク・ジャンボリーに出演し、岡林信康のバックを務めると同時に彼ら自身の演奏を披露した。「朝」を幕開けに♪12月の雨の日♪、「春よ来い」など「ゆでめん」からの主要曲に加え、遠藤賢司の「雨上がりの街」を演奏したが、
‡♪12月の雨の日♪の冒頭で大滝詠一が「暑くてやりにくいんですけど」と触れているように、収録された作品の大半が〝冬〟を背景にした作品が収録された「ゆでめん」の記念すべきお披露目のステージにしてはいささか不似合なものだった。前後して「ゆでめん」からの作品はラジオで放送されはじめたが、やはり暑い夏の真っ盛りだっただけにそれもまたいささか不似合なものだった。おまけに〝(音が)ひきずるように重い音!〟、〝歌詞が聞き取りにくい〟といった声も耳にするなど、当初「ゆでめん」の評判は芳しくはなかった。音楽誌での評価も様々だったが、岡林信康との共演や独自のライヴ活動、加えてURC初期の作品がそうだったように東京の最新情報を伝える各地の放送局の番組などを通じてはっぴいえんどと「ゆでめん」の評価は高まり、翌年のニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)の4月号で日本のロック部門の1位に選出された。〝日本語のロック論争〟の発端のひとつになったものだが、それでもはっぴいえんどの存在は日本のフォーク、ロックを知るファン層に限られていた。日本のロック史、日本のポピューラ・ミュージック史における重要な存在としてその業績、影響などが一般に知られるようになったのは、「ゆでめん」の発表から10年以上を経てのことだった。私が細野晴臣に出会ったのは新宿の花園神社近くにあった「パニック」にエイプリル・フールの一員として出演していた時のことだった。初めての出会いにも関わらず、好んだ音楽が似通っていたことを知り、話が弾んだ。その際、エイプリル・フールの解散と新しいバンドの結成の話を教えられた。それは「バッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレイプみたいなバンド!」というものだった。アート音楽出版に勤務しURCの制作を担当し、どうしてもロック・バンドのアルバムを制作したかった私にとってはそれこそ望んでいたものだった。細野晴臣のその言葉、好きなグループやアルバム、作品についての会話から得た細野晴臣への信頼こそが、すべてのはじまりだった。そして無謀にも細野晴臣が結成するバンドの作品や演奏を聞かないまま、レコーディングの話を進めた。そのメンバーは細野晴臣と同じくエイプリル・フールの一員だった松本隆。当初、ヴォーカルでの参加を予定されながらロック・ミュージカル『ヘアー』への出演が決まった小坂忠にとって代わって参加することになった大滝詠一。「ゆでめん」の録音が終了するまで進学かそれともプロのミュージシャンになるか決めかねていた鈴木茂。URCの制作を担当していた私は、当然、4人の経歴、音楽的な背景や結成の経緯を知っておくべきだったはずだが、それを怠っていた。それを知ったのは「ゆでめん」を制作して後、音楽誌に掲載された彼らのインタビューでのことだ。それよりも彼らが目指す音作りや音楽性について確認し、具現化することにしか関心がなかった。細野晴臣だけでなく松本隆、大滝詠一と拠り所にしたグループのアルバム、作品についての入念な会話を交わすことが重要であり、それ以外は必要もなかったからだ。はじめて彼らの作品、演奏を耳にしたのはレコーディングの実現の為に必要なデモ・テープを制作した時のことだ。大滝詠一によれば彼らの演奏を耳にしながら私は終始うつむいたままで、バッファロー・スプリングフィールドの「ブルバード」のコピー演奏を耳にして初めて反応したということだが、「ブルーバード」の演奏を耳にして演奏の技量を確認し、録音が可能なことを確信した。録音にあたって日本語のオリジナルであることを必須の条件とした私にとって、彼らの作品はそれを満たすものだったが、明らかに習作の段階であり、実際、「春よ来い」がほぼ完成していた以外、
‡♪12月の雨の日♪は「雨上がり」の段階であり、「足跡」が「田舎のコーヒー屋にて」を経て録音時に「かくれんぼ」となったように、リハーサルを重ねるうちに作品の歌詞、メロディーは修正が施され、タイトルが改められていった。
 1970(昭和45)年03月18日(水)、麻布のアオイ・スタジオで初めてのレコーディングが実施された。URCは制作予算の関係から録音は使用料の安価な夜半を中心とし、ハウス・エンジニアの起用が基本方針だったが、はっぴいえんどの初回の録音ではメンバーの要望から吉田美奈子の兄で、当時は東芝EMIで様々な録音を担当していて吉田保があたった。もっとも、その日の録音は芳しくなく、キャンセルせざるを得なかった。最初の録音がキャンセルとなって後、
 1970(昭和45)年04月09日(木)から新たに録音にとりかかった。その様子については「定本はっぴいえんど」を始め、メンバーが様々に語ってきているが、いくらか誤認もあり、それを訂正すべくレコード・コレクターズ誌2015年1月号の「特集はっぴいえんど」での拙稿「「ゆでめん」が出来るまで」で記してきた。彼らが目指した音作り、録音への取り組みについて触れたものだ。音作りもさることながら、作品そのもの、歌唱や演奏を見逃すことが出来ない。〝お正月〟〝こたつ〟〝お雑煮〟〝歌留多〟といった日本の正月の光景を描いた意表をついた歌詞が衝撃的だった「春よ来い」。家を飛び出てひとり暮らす若者の姿は、即座に永島慎二の「漫画家残酷物語」を思い浮かべずにはいられない。それが掲載された劇画誌の「ガロ」こそは60年代末期、何かを求める若者にとって欠かせないもののひとつだった。さらに「12月の雨の日」は、そこに描かれた雨の日の情景が所在のない若者の心情が浮かび上がる。松本隆は「はっぴいえんどにはほとんどラヴ・ソングが無い。でも、ラヴ・ソングの少なさにもかかわらず、はっぴいえんどが普遍的に皆に支持されてるって言うのは、画期的だと思う。あれだけラヴ・ソングが少ないバンドって、かつてなかったと思うし、これからも出てこないと思う」と語る。その例外としてあげられる「かくれんぼ」は男女間の心情の隔たりを描いたもので、当時、ほとんどないシチュエーションだった。そればかりか、その背景に垣間見られる雪景色から、つげ義春的な世界が思い浮かぶ。例外的なもうひとつのラヴ・ソング「朝」では男女間の在り様、恋人の存在を観察する男の心情の描写が興味深い。いずれも大滝詠一が曲を書き、ヴォーカルを担当した。ロック・ヴォーカルにとって不可欠とされたシャウトにとって代わる〝唸り〟の表現、一方で滑らかなクルーナー・スタイルでの取り組みなど、大滝の歌唱はすでに独自性を明らかにしている。自身が作詞、作曲を手がけた「いらいら」でもパワフルな唸りを聞かせている。作曲に対する姿勢、考えはまだ曖昧ななままで、それ以上に〝自分の声〟を見つけ出せなかったという細野晴臣だが、松本隆による都会の冬の雪の情景を描いた「しんしんしん」、〝音〟と意味の重なる語呂合わせに凝った「あやかしのどうぶつえん」や前衛詩的な「敵 タナトスを想起せよ」など、松本隆の歌詞に即したメロディーを手がけ、自身が作詞、作曲を手がけた「飛べない空」では批評性をのぞかせている。さらに〝しあわせなんて どう終わるかじゃない、どう始めるかだぜ、しあわせなんて何を持ってるかじゃない、何を欲しがるかだぜ〟という松本隆が手がけた歌詞が印象深い「はっぴいえんど」の作品としての説得力と重厚さは白眉というにふさわしい。鈴木茂はまだ作詞、作曲を手掛けるにいたらなかったが、
‡♪12月の雨の日♪の鮮烈なリード・ギターを始め、歌を生かし、反映したギター演奏で大きな役割を担っていた。さらに細野晴臣のベースやキーボード、松本隆のキック・ドラム、また16ビートのニュアンスを生かしたトップ・キット・ワークなど、演奏面での充実も見逃せない。2トラックからはじまり、楽器、歌、コーラスのダビング作業の多さから4トラックに移行し、それも4トラックの録音機は一台しかなく2、4トラックの録音機材を駆使しながら録音作業を進めたが、その手法は手探りだった。楽器の分離などの明瞭さにはかける音の塊、ひきずるような重さのものになったが、それが結果として重厚さ、ガッツのある〝音〟を生み出すことになった。「ゆでめん」は、〝今〟という現実にむきあいながら〝明日〟の見えない若者の心情をそのままに反映したアルバムだった。自分探しのアルバムでもあった。さらにその背景には60年代末と言う時代の空気が見え隠れする。他に比較できるものがない画期的なアルバムだった。発表から45年を経た今、懐かしさを覚える人は少なくないはずだ。発表当時もさることながら後年になったその真価が問われ、評価が一層高まることになったのは、作品自体が持つ普遍性によるのは明らかだ。今なお魅力のつきないアルバムである。
 http://music-calendar.jp/2015080501

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 ┃ ON THE ROAD '88 FATHER'S SON ┃後半戦 日程
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‡087 1988(昭和63)年12月22日(木) 倉敷市民会館 一日目
 088 1988(昭和63)年12月23日(金) 倉敷市民会館 二日目
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 http://www.flashandshadow.com/shogo/live/on/on1988.html
 https://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11600186984.html
 http://ameblo.jp/futabayama69/entry-10819384548.html
 http://www9.plala.or.jp/bt-pearl/dear_memories.html
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 89.1.28♪ON THE ROAD♪映像◆http://www.nicovideo.jp/watch/sm13810282#
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 ┃ 浜田省吾 #33 「ON THE ROAD '88 "FATHER'S SON"」 ┃
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 2017(平成29)年02月24日(金) 
 今回は、1988(昭和63)年03月17日(木)からスタートした浜田省吾さんのコンサートツアー「ON THE ROAD '88 "FATHER'S SON"」と食べ物の話など。
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‡1988(昭和63)年12月22日(木) 倉敷
 1988(昭和63)年12月23日(金) 岡山の天神そばや
 1988(昭和63)年12月20日(火) 四国は高松のうどんも絶品だった。宇高連絡船の船内で、海風に吹かれながら食べるうどんもまた最高だった。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2017/02/33on-road-88-fathers-son.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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 音源◆竹内まりや/ライブ 1981.12.22(火)厚生年金会館  https://youtu.be/68qXJTBOiSM
 FM東京で放送された休業宣言後最後のコンサート。カセットテープからなので多少ノイズあります。
 


 松山千春 『厚生団スペシャル・コンサート』
 1990(平成二)年02月13日(火) 東京厚生年金会館 3000円
 01. SWAY(オリジナル・アレンジ)
 02. 抱きしめたい 
 03. 愛ははかなく 
 04. 感じたくて 
 05. 愛しているから 
 --衣装替え--
 06. 愛は物語
 07. クレイジー・ラブ(弾き語り)
 08-1. 夏の陽(弾き語り)
 08-2. Lullaby(ララバイ)・(弾き語り)
 09. 虹のかなた(弾き語り)
 10. 幸せ
 11. STANCE
 12. ISHI
 13. Message
 14. 旅路
 ---encore01---
 15. 見つめていたい 
 16. 愛は・・・
 17. 愛を奏で 
 ---encore02---
 18. 麗 -Rei-
 19. SWAY(オリジナル・アレンジ)
 ~はまなす~
 20. ひとりじめ(V86)
 ■この公演の一般発売日が
 1989(平成元)年12月23日の土曜日。
 チケットぴあの会員先行予約は前日の
‡1989(平成元)年12月22日の金曜日14:00から。
 その時間帯は都合をつけることができなかった。
 やむを得ず、駄目もとで母に電話予約を頼んだ。そのころは、まだチケットぴあの会員先行予約のシステムについて広く知られていなかった。週刊誌ぴあのチケット発売詳細ページに、会員予約がある公演は、「会員受付あり」と記載される。ただ締め切りの都合などで載されないこともあった。記載されなくとも、問い合わせると大概の公演は会員受付があった。この公演も先行予約があった。だが誌面には受付ありの記載がなかった。直接、ぴあに問い合わせる人も少なかったのだろう。よって、この公演の会員先行予約を利用した人は少なかったと思う。ただ松山千春の公演だけとは限らないので、電話自体は繋がりにくい。受付時間内に繋がらなくては、予定枚数を終了しなくとも取れないわけです。帰宅後、あまり期待せずに、母に訊いた。すると「すぐ繋がったよ」との返事。何分でつながったと尋ねたら、受付開始後、15分前後だった。状況を鑑みて10列目前後と思った。店頭に引き換えにいった。すると最前列。うちの母は運を持っていると感謝したものです。1990年初頭は、HOUND DOGの日本武道館15days。さらに松山千春の厚生年金ツアー。この東京公演の翌日2月14日からは、東京ドームでローリング・ストーンズの初来日公演。一段落したらポールマッカートニーほか外タレ来日ラッシュ。甲斐よしひろの週替わりの日清パワーステーション公演とうれしい悲鳴だった。仕事も立て込み、数か月ほとんど家に帰った記憶がない。明け方まで仕事して仮眠。ライブがある日は定時に抜け出して、終演後、社に戻る。毎月残業だけで100時間を超えていた。 経済的には潤ったし、何より楽しかった。若さくて、お馬鹿だったからできたんだと思うけど。前置きが長くなりましたが、コンサートは「虹のかなた」や、レコーディング前の新曲を弾き語りで披露。「STANCE」「ISHI」「Message」とアルバムタイトル曲も並び「ひとりじめ」で〆るフリークには堪らないう内容。通常のチケット代と比べ格安の3,000円。とってもお得な満足感でありました。あとは、「愛を奏で」は、まだ80年代の質感を残していました。この後の春のツアーの一曲目にもなるのですが、若干、質感に変化を感じました。90年中盤の「愛を奏で」に比べたら大差はないのですが。このツアーは7公演のみ。大都市のみのライブでは勿体無いくらい。この内容で通常のツアーでも構わないと思ったぐらいよかったです
 https://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11723218822.html
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ぼくは89年の春に浜田省吾さんのバンドを脱退し、松山千春さんのバンドに加入してから約80本のコンサートを行った。浜田さんのコンサートと合わせると89年は約100本のコンサートを行ったことになる。浜田さんのバンドを脱退した時、身も心も疲れ果てていたぼくだったが、結局あまり休む間もなく、また例年と同じような生活に戻っていた。それでも違った環境に身を投じたことに、ぼくは疲れよりも充実感を感じていた。
年が明けて1990年の1月に、全国の厚生年金会館で行われた「松山千春スペシャル・コンサート」が開催(全国7力所7公演)された。
この東京公演が行われた新宿厚生年金会館でのコンサートの楽屋に、浜田省吾さんが訪ねて来てくれた。
約一年ぶりの浜田さんとの再会だった。結果的にあまり後味の良くない去り方をした(と当時自分ではそう思っていた)ぼくに、浜田さんが会いに来てくれたことがぼくは無性に嬉しかった。いや、ひょっとしたらそうではなくて、浜田さんは松山千春さんに会いに来たのかもしれなかったが、それでもぼくは嬉しかった。
浜田さんは最後までコンサートを観て行ってくれた。千春さんも浜田さんが来てくれたことが嬉しかったようで、コンサート中のMCでも浜田さんが来ていることを告げていた。
終演後、再び楽屋に来た浜田さんは、ぼくに良い演奏だったと声をかけてくれた。その後浜田さんと千春さんが談笑している姿を見ていたぼくは、何とも言い表しようのない複雑な気持ちになった。
松山千春の90年春のツアーは、4月19日から32本のスケジュールが組まれていた。
ツアーが始まって中盤を過ぎた初夏のある日、ぼくは浜田さんと二人で逢う機会があった。
浜田さんとしばらくいろんな話をした後、ニューアルバム『誰がために鐘は鳴る』の話題になった。
浜田さんはぼくに尋ねた。
「板さん、出来たばかりの今度のニューアルバム、聴いてくれた?」
「はい、聴かせてもらいました。とても素晴らしい作品だと思いました。ただ聴いている内に胸が痛んで苦しかったです」ぼくは正直な感想を述べた。
ぼくは今回のアルバムの内容と自分を投影して聴いていた。当時のぼくにはどうしてもそういう風に聴こえてしまうような作品だった「そうか。」そのことに関して浜田さんは多くを語らなかったが、ちょっと寂しそうな表情で笑ったのがとても印象に残った。千春さんのツアーに帯同するようになって1年が過ぎ、多忙で充実した日々を送りながらも、どこか心にぽっかりと空いてしまった穴が埋まるための時間が、まだまだぼくには必要だった。
1990(平成二)年頃、本番前の楽屋にて。何故か虚ろな表情(笑)
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2017/05/1.html


 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 集計会社 オリコン
 ┃ 2009(平成二十一)年シングル年間TOP50 ┃‡2008(平成20)年12月22日(月)付
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 2009(平成21)年12月21日(月)付
 ①位 嵐/矢野健太 starring Satoshi Ohno「Believe/曇りのち、快晴」
 ②位 嵐「明日の記憶/Crazy Moon ~キミ・ハ・ムテキ~」
 ③位 嵐「マイガール」
 ④位 秋元順子「愛のままで…」
 ⑤位 嵐「Everything」
 ⑥位 B'z「イチブトゼンブ/DIVE」
 ⑦位 KAT-TUN「RESCUE」
 ⑧位 遊助「ひまわり」
 ⑨位 KAT-TUN「ONE DROP」
 ⑩位 関ジャニ∞「急☆上☆Show!!」
 11位 NEWS「恋のABO」
 12位 EXILE「THE HURRICANE ~FIREWORKS~」
 13位 中山優馬 w/B.I.Shadow/NYC boys「悪魔な恋/NYC」
 14位 EXILE「THE MONSTER ~Someday~」
 15位 EXILE「THE GENERATION ~ふたつの唇~」
 16位 山下智久「Loveless」
 17位 遊助「たんぽぽ/海賊船/其の拳」
 18位 LANDS「BANDAGE」
 19位 羞恥心「弱虫サンタ」
 20位 B'z「MY LONELY TOWN」
 21位 東方神起「Stand by U」
 22位 AKB48「RIVER」
 23位 KinKi Kids「約束」
 24位 福山雅治「化身」
 25位 氷川きよし「浪曲一代」
 26位 浜崎あゆみ「Days/GREEN」
 27位 氷川きよし「ときめきのルンバ」
 28位 KinKi Kids「スワンソング」
 29位 BUMP OF CHICKEN「R.I.P./Merry Christmas」
 30位 東方神起「Share The World/ウィーアー!」
 31位 堂本光一「妖 ~あやかし~」
 32位 JEJUNG & YUCHUN(from 東方神起)「COLORS ~Melody and Harmony~/Shelter」
 33位 桜高軽音部「Don't say "lazy"」
 34位 YUI「again」
 35位 桜高軽音部「Cagayake! GIRLS」
 36位 ポルノグラフィティ「今宵、月が見えずとも」
 37位 遊助「いちょう」
 38位 JUJU「明日がくるなら JUJU with JAY'ED」
 39位 AKB48「涙サプライズ!」
 40位 GReeeeN「遥か」
 41位 SMAP「そっと きゅっと/スーパースター★」
 42位 水森かおり「安芸の宮島」
 43位 浜崎あゆみ「Rule/Sparkle」
 44位 GReeeeN「歩み」
 45位 安室奈美恵「WILD/Dr.」
 46位 フレンズ&ヘキサゴンオールスターズ「泣いてもいいですか」
 47位 AKB48「言い訳Maybe」
 48位 The SHIGOTONIN「鏡花水月」
 49位 東方神起「Bolero/Kiss The Baby Sky/忘れないで」
 50位 浜崎あゆみ「Sunrise/Sunset ~LOVE is ALL~」
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 集計会社 オリコン
 ┃ 2009(平成二十一)年アルバム年間TOP50 ┃‡2008(平成20)年12月22日(月)付
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 2009(平成21)年12月21日(月)付
 ①位 嵐『All the BEST! 1999-2009』
 ②位 Mr.Children『SUPERMARKET FANTASY』
 ③位 GReeeeN『塩、コショウ』
 ④位 EXILE『愛すべき未来へ』
 ⑤位 EXILE『EXILE BALLAD BEST』
 ⑥位 絢香『ayaka's History 2006-2009』
 ⑦位 DREAMS COME TRUE『DO YOU DREAMS COME TRUE?』
 ⑧位 レミオロメン『レミオベスト』
 ⑨位 Superfly『Box Emotions』
 ⑩位 コブクロ『CALLING』
 11位 福山雅治『残響』
 12位 マイケル・ジャクソン『キング・オブ・ポップ -ジャパン・エディション』
 13位 B'z『MAGIC』
 14位 いきものがかり『My song Your song』
 15位 倖田來未『TRICK』
 16位 浜崎あゆみ『NEXT LEVEL』
 17位 GReeeeN『いままでのA面、B面ですと!?』
 18位 加藤ミリヤ『Ring』
 19位 RADWIMPS『アルトコロニーの定理』
 20位 Perfume『⊿』
 21位 マイケル・ジャクソン『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』
 22位 東方神起『The Secret Code』
 23位 JUJU『What's Love?』
 24位 ユニコーン『シャンブル』
 25位 倉木麻衣『ALL MY BEST』
 26位 関ジャニ∞『PUZZLE』
 27位 KAT-TUN『Break the Records -by you & for you-』
 28位 つるの剛士『つるのうた』
 29位 Utada『This Is The One』
 30位 湘南乃風『湘南乃風~JOKER~』
 31位 バックストリート・ボーイズ『ディス・イズ・アス』
 32位 AI『BEST A.I.』
 33位 ブラック・アイド・ピーズ『The E.N.D.』
 34位 グリーン・デイ『21世紀のブレイクダウン』
 35位 GIRL NEXT DOOR『GIRL NEXT DOOR』
 36位 Various Artists『アイのうた2』
 37位 木村カエラ『HOCUS POCUS』
 38位 ゆず『FURUSATO』
 39位 椎名林檎『三文ゴシップ』
 40位 ニーヨ『Ne-Yo:ザ・コレクション』
 41位 GLAY『THE GREAT VACATION VOL.1 ~SUPER BEST OF GLAY~』
 42位 レディー・ガガ『ザ・フェイム』
 43位 Various Artists『銀魂BEST』
 44位 大塚愛『LOVE LETTER』
 45位 GLAY『THE GREAT VACATION VOL.2 ~SUPER BEST OF GLAY~』
 46位 辻井伸行『debut』
 47位 マドンナ『セレブレイション ~マドンナ・オールタイム・ベスト~』
 48位 FUNKY MONKEY BABYS『ファンキーモンキーベイビーズ3』
 49位 KinKi Kids『J album』
 50位 UVERworld『AwakEVE』
 https://ja.wikipedia.org/wiki/2009%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD

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