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┃『徹子&光一の生部屋(なまべや)』┃
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‡2002(平成14)年09月11日(水)夜に生放送。サブ司会としてKinKi Kidsの堂本光一を迎える。徹子の部屋初の生放送で、徹子とも関わりの深いジャニーズ事務所の歴史を振り返りながら、この放送日にCDデビューをはたすタッキー&翼を祝福するという特別番組。ゲストはタッキー&翼のほかに森光子、西川貴教、陣内孝則、地井武男、大仁田厚。この番組は厳密には徹子の部屋というよりは、タッキー&翼の「徹子の部屋形式」の特別番組となっている。なお、この特番では2000(平成12)年12月にステレオ音源化された「徹子の部屋のテーマ」が約2年ぶりにオリジナルのモノラル音源で放送
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B#.E3.82.B9.E3.83.9A.E3.82.B7.E3.83.A3.E3.83.AB
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1978(昭和53)年09月11日(月)五木ひろし
②1979(昭和54)年09月11日(火)土岐雄三
③1980(昭和55)年09月11日(木)新沼謙治
④1981(昭和56)年09月11日(金)宮内梅治
⑤1984(昭和59)年09月11日(火)筑葉美主子
⑥1985(昭和60)年09月11日(水)村野武範
⑦1986(昭和61)年09月11日(木)武市八十雄
⑧1987(昭和62)年09月11日(金)京本政樹
⑨1989(平成元)年09月11日(月)榊原郁恵
⑩1990(平成二)年09月11日(火)黒田福美
⑪1991(平成三)年09月11日(水)森公美子
⑫1992(平成四)年09月11日(金)井上堯之
⑬1995(平成七)年09月11日(月)若尾文子
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑭1996(平成八)年09月11日(水)笑福亭松之助
⑮1997(平成九)年09月11日(木)森野熊八
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑯1998(平成十)年09月11日(金)中川安奈
2001(平成13)年09月11日(火)麻美れい
2006(平成18)年09月11日(月)白石美帆
http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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|2002(平成14)年 9月11日(水) 蟹瀬誠一 |第回
└─―――――――――――――――――┘
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-9-11.html
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|2006(平成18)年 9月11日(月) 白石美帆 |第回
└─―――――――――――――――――┘「超熱血父のユニーク教育」
http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
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|2007(平成19)年 9月11日(火) 自動人形師“ムットーニ”武藤政彦 |第回
└─―――――――――――――――――――――――――――――┘「魅惑と幻想…お話玉手箱に黒柳陶酔」幼い頃、粘土で作った人形を卓袱台いっぱいに並べ時間が経つのも忘れて遊んでいた粘土小僧。その少年は油彩画の道を歩むが、ある日自ら描いた画の人物たちを立体化・・・粘土で人形を作り始めた。照明を当てながら人形を動かすと、小さい頃の思い出と共に独自の世界観が広がって行く。そこに音楽と物語を重ね合わせて一つの箱の中に凝縮。小さなオペラ劇場のような電動式カラクリ箱が完成した。「自動人形師」として数々の作品を誕生させた“ムットーニ”こと武藤政彦さんが今日のゲスト。スタジオには2つの作品を持ち込み、繊細で美しい世界を紹介する。
★ムットーニ シアター(展示会) 情報(HP) www.muttoni.net/theater 会場『松屋銀座8階大催場』期間:9月12日(水)~24日(月) 問い合わせ:松屋銀座 03-3567-1211
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/070911.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2008(平成20)年 9月11日(木) 大工 哲弘 |第回
└─――――――――――――――――――┘「心に響く沖縄の島唄熱唱で黒柳感動」三線で奏でるテーマ曲から始まる今日の『徹子の部屋』。ゲストは沖縄からやってきた島唄ミュージシャンの大工哲弘さん。石垣島出身の大工さんは、八重山民謡の第一人者として沖縄県の無形文化財にも指定され、現在県内外に500人以上の弟子を持ち、世界各地で幅広い活動をしているミュージシャンである。沖縄では有名な三線奏者でありながら、2年前まで実は那覇市役所の職員だった大工さん。今日は特別に八重山民謡の中でも最高峰と言われる曲「とぅらばーま」の徹子の部屋バージョンも披露、沖縄の青い海が目に浮かぶようなその歌声に黒柳もうっとり…!
琉球フェスティバル08 公演日:9月21日(日)会場:日比谷野外音楽堂 問い合わせ先:M&Aカンパニー 03-5453-8899
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080911.html
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|2009(平成21)年 9月11日(金) 鈴木 杏樹 |第回
└─――――――――――――――――――┘「夫は命の恩人で料理上手…」98年に腸閉塞で入院した時の担当医と、出会ってわずか4ヶ月でスピード結婚。医者と患者という立場で出会った2人が結婚に至った経緯を明かす。結婚生活11年目を迎えた現在は、夫のおかげですっかり健康を取り戻した。というのも、医者の夫は大の料理好き。鈴木さんの撮影が続くときには、愛妻弁当ならぬ「愛夫弁当」で妻の健康をケアしてくれるという。
☆ドラマスペシャル「だましゑ歌麿」9月12日(土)よる9時放送
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090911.html
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|2012(平成24)年 9月11日(火) 林 真理子 |第9313回
└─――――――――――――――――――┘「関白亭主に 忍耐の日々!?中2の娘は」グルメや美容、ダイエットなど女性の関心事を盛り込んだエッセイが人気の作家・林真理子さんを迎える。勿論、今日のオシャレも極め付け!36歳の時にサラリーマンの夫とお見合い結婚し、44歳で出産した愛娘は中学2年生に成長した。毎朝、夫と娘のためにお弁当を作り、犬の散歩もしているという主婦として素顔を明らかにしてくれる。
☆「美女入門スペシャル 桃栗三年 美女三十年 」発行:マガジンハウス 定価:本体1500円(税別)
☆「美女の七光り」発行:マガジンハウス 定価:本体1200円(税別)
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/120911.html
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|2013(平成25)年 9月11日(水) チェリッシュ |第9567回
└─―――――――――――――――――――┘「娘の結婚式 感謝の言葉で大泣き」デビューして43年目、結婚して36年を迎えた夫婦デュオ「チェリッシュ」を迎える。昨年6月、愛娘がハワイで念願の結婚式を挙げた。式の終わりで新婦である娘が、両親のヒット曲で結婚式での定番曲「てんとう虫のサンバ」をリクエスト。悦子さんは母としての感動の涙をこらえる事が出来ず…。その時の様子を映像で紹介しながら夫婦の胸中を語る。
☆徹子の部屋コンサート
・東京公演 11月25日(月)午後6時開演 東京国際フォーラム ホールA 全席指定10,000円(税込)出演 加藤登紀子・加山雄三・坂本冬美・チェリッシュ・松坂慶子・南こうせつ(五十音順)
・大阪公演 12月9日(月)午後6時開演 フェスティバルホール 全席指定 10,000円(税込)出演 綾戸智恵・加山雄三・チェリッシュ・松坂慶子・南こうせつ(五十音順)※東京・大阪とも10/19(土)チケット一般発売予定
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130911.html
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┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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|2014(平成26)年 9月11日(木) 加藤 武 |第9797回
└─―――――――――――――――――┘「女神が居ます…85歳の恋心を告白」文学座の代表をつとめ、85歳の今も舞台の主役を張り続ける加藤武さん。生涯現役の俳優であるためエアロビクスで汗を流しているという。かれこれ20年前に妻を亡くし、1人で暮らしながら家事もこなす加藤さん。今日は60年来の仲である黒柳に嬉しい報告が…。心を癒してくれる大事な「女神さま」が居るというのだ。淡い「恋心」を打ち明ける加藤さんに黒柳は…。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20140911.html
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|2015(平成27)年 9月11日(金) 堂本光一 |第10077回
└─―――――――――――――――――┘「ジャニーズの“王子”17歳映像に…」堂本光一さんが主演を つとめる舞台「SHOCK」シリーズは、2000年から続く人気ミュージカルとして知られる。12歳でジャニーズ事務所に入所し、“ジャニーズ歴”は24年になった。KinKi KidsとしてCDデビューしたのは、18歳のとき。今日は、17歳の貴重映像を公開。映像を目にした堂本さんは思わず赤面!? また、相方である堂本剛さんへの想いも明かす。
☆ドラマスペシャル『陰陽師』9月13日(日)よる9時
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20150911.html
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|2017(平成29)年 9月11日(月) 水谷八重子 |「74歳で逝った母…“伝説の女優”の素顔は」
└─――――――――――――――――――┘母は新派の名女優である初代水谷八重子さん、父は歌舞伎俳優の守田勘彌さんという芸能一家に生まれた水谷八重子さん。“伝説の女優”として知られた母は、世間には、しっかり者に見えていたが、実はそうではなく・・・とんでもない一面もあった!? と在りし日の素顔を明かす。そんな母は、がんを患い、74歳で逝ったが、最期の言葉は「行きなさい」だった。当時、母の代役で舞台稽古に参加していた八重子さんは、「舞台に戻って」という意味と捉え、舞台の稽古に励んだと語る。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20170911.html
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|2018(平成30)年 9月11日(火) 高田美和&大浦龍宇一 |※解説放送
└─―――――――――――――――――――――――┘「娘と孫が語る大スター高田浩吉の素顔」
「歌う映画スター第一号」と呼ばれた高田浩吉さんが、この世を去って20年。娘の高田美和さんと孫の大浦龍宇一さんが、今日「徹子の部屋」でテレビ初共演を果たす。大浦さんは高田美和さんの兄の息子で、幼いころ祖父・浩吉さんと共に暮していた。そんな娘と孫が明かす高田浩吉さんの素顔は意外そのもの! 在りし日の魅力が伝わる貴重映像もお見逃しなく。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20180911.html
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|2019(令和元)年09月11日(水) 多岐川裕美 |
| 娘:華子 |
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「バツイチ同士の母娘…波乱のりこえ今は?」 ※解説放送
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190911.html
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┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
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|2020(令和二)年09月11日(金) りんごちゃん |
└─―――――――――――――――――――┘「人気者の「幸せ時間」・・・母と3時間の長電話」
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200911.html
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|2023(令和五)年09月11日(月) 長嶋一茂 |
└─―――――――――――――――――┘「来年「銀婚式」!愛妻と双子の娘を語る」
☆「出川一茂ホラン☆フシギの会」9月12日(火)よる7時 ゴールデン初回2時間SP
https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20230911.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
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┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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|2002(平成14)年 9月11日(水) 蟹瀬誠一 |第回
└─―――――――――――――――――┘
黒柳「蟹瀬誠一さんです。つい先ほどまではテレビ朝日のスーパーモーニングで解説をやってらして」
蟹瀬≪まだやってるような気がしますけどもね。朝早く眼がさめちゃうんですよ≫
「どのくらいやってらしたんでしたっけ?」
≪いつも4時半に起きて、1年半やりましたけどね。≫
「わたしもアフガニスタンの時に出させていただきましたけどね。このかたは物凄いジャーナリストでいらっしゃって今までお勉強なさったのがまず初めに上智大学の文学部の新聞学科」
≪はい。≫
「そこを卒業なさいまして。でも在学中にフィリピンの大学」
≪ええアテネイドマニラというところにいきましてね≫
「そこで交換留学生として心理学を」
≪社会心理学みたいなのを勉強しながらいろんなことを見てきたというのが正しいんですけどね≫
「それからアメリカのAP通信社。そこの記者におなりになてまたフランスのAFP通信社の記者でもあります。sこでAFPでは写真部長までなさいましてそこは英語で全ておやりになられるんで英語も日本語も同じぐらいお出来になる。そして日本の政治経済文化を何でも紹介されるアジアのほうを担当なさいましてそれからミシガン大学の大学院に」
≪少し落ち着いて考えてみたいなと思って。≫
「テーマがすごいんですね”大統領と選挙とメディア”」
≪ちょうど選挙の時だったんですよ≫
「どなたとどなた?」
≪デュアカキスとあん時は誰だったかなあ。アメリカではメディアが物凄く大きな力をもって最近日本でもそうなってきてますけどもそこを自由に調べてみたいなと思ったんですよ≫
「それで帰国なさったんですけどもタイムの東京特派員になるんで帰国」
≪そうです≫
「あと単独インタビューもすごいしてらっしゃるんですけどもカンボジアの女性を調べに行ったり。ロシアの潜水艦」
≪あれは最終兵器と呼ばれるものすごい核兵器をつんだ原潜があるんですけどもそれはタイオフーンと呼ばれていたんですけどもそれを何とか見てみたいという事で何回も挫折しながら取材して最終的には西側におのテレビとしては初めてということになったんですけどね。≫
「そういうのをなさったり後モスクワで最高会議ビルの銃撃の時に」
≪たしか以前に徹子の部屋にお邪魔させていただいたときにそのVTRをながしてもらった記憶があるんですけどね。やはりエリティン大統領と議会が争ってる時に銃撃があって間抜けな事に僕はその真ん中に出て行っちゃたんですね。≫
「そうですよねでも何事も無くてよかったですね。あの時に流れ弾に当たるってことはいくらでもありますよね。」
≪ありました。ちょっと人生観変わりましたねあれで≫
「それからロシアの極右のジリヌフスキーという恐いねえ」
≪当時ロシアがきょくすい的になってきたときに圧倒的な人気で出てきた男なんでねこれはその人間がいいか悪いかということよりもジャーナリストとして関心が会ってね≫
「なぜこの人をみんながそんあに支えるのかと。私達にとっては恐ろしい事を言う人がね」
≪そうなんですよね。でも会ったらたいした男でもなかったんですけどね(笑)≫
「いいおじさんだったんですかね」
≪ただ危ないところはあったんですけどね自分で見るのと人から聞くのとではの差というのがねこれを生めるのが僕の仕事なんでね≫
「湾岸戦争のときは?」
≪湾岸戦争事態は僕自身は現場には行かなかったんですけどね。≫
「あとフジモリ大統領と」
≪単独インタビューさせていただきました。選挙の時ずっと追いかけていて。あの方も独裁的な方でスケジュールを誰も把握してなくてそれで変える日大統領が外にいるときに大統領に直談判しておれは明日帰んなきゃいけないんだおまえの話を聞かなければならないんだと言ったら「よしこい」と「明日大統領官邸に来い」というので話を伺いましたね≫
「スーパーモーニングに出てらしゃると気は聞けないのでこのかたがどんなに素晴らしい経歴をお持ちの方なのかなって。そして今日は9月11日。私ソマリアに行きましてニューヨークを通って返ってきたんですけども。あそこの跡地も建築家も入って後をどうすんのかってなかなか決まらなくてっていってました」
≪講演にしてメモリアルにするのかまた高層ビルを建てるのかっていろんな思いがありますからね≫
「本当にそうなんですってねえ。人の中にはもっと高いのを作って人に見せてやりたいとかねえいろいろ大変な事をしてたんですがなんといっても1年足ってしまいました。アメリカにとって大変なことだったのでね。で去年の9月11日にたまたま夜遅くみてらしたんですって?
≪僕はねえちょうど家にいて女房がねなんか大変なこと起きてるわよって。ぼく正直言って家であまりテレビ見ないんですよ。言われてみたらあの映像でしょ。最初は直感的には事故かなとみんな思うんですよ。tころが2機目がああいう形でビルに突っ込んでこれは事故じゃないって。若い頃はすぐにどっかへ飛び出すという事をしたんですけどねずうっと経験をつんできますとねこれは一体何なんだろうって考える時間を取るようになったんですね。でとにかくどういうことが起きたのかということを自分の中で把握してそれから次何をしたらいいのかって職業柄直ぐに考えるんですね。現場のビルと国防総省のペンタゴンにうも突っ込んでますよね。この次はアメリカがどういう手を打ってくるのかねつまりワシントンがねニュースの中心になると思ったんですよ。そrっでプロデューサ-とも色々話をして。それから次はニューヨークに行けという話もあったんですけどもワシントンに生かせてくれと
「なんでもアフガニスタンとその隣のパキスタン、あの辺にはいかなくちゃとすごく思ったんですって」
≪パキスタンの入国ビザを取りに行ったんですけどもね。実は100円でとれるんですよねたぶんいろいろな人が入りたいとなると制限するといいうことになると思うだか先手必勝ということでまずもらってきたんです。≫
「その前にワシントンへいってらした時にニューヨークは行きました?」
≪いえ僕は経由だけして≫
「あの時ワシントンではどういう状態だったんですか?」
≪なによりも星条旗の多さね、今もまた多くなってるんだと思うんですけ飛行機から降りたら赤の他人の人が小さな星条旗を振って降りてくる人が星条旗を持ってそしてお互いが旧友のような挨拶をしているんですね。だから星条旗の持ってるすごさというか多民族国家を旗のところにね。というのが1つとあの事件のショックが非常に大きいわけですから国民が1つの方向に流れていったというのが印象的でしたね≫
「それであの時のブッシュ大統領の演説はどういう風にお受け取りになりました?」
≪実は僕の知り合いが貿易センターの中で行方不明になったのがいるんですよ。だから僕自身も何てひどい事をしたんだろうという気持ちが直感的にありますよね。だから大統領の演説もアメリカよ立ち上がれ見たいな仕返しをしなければならないみないな自然なその時の気持ちとしてはよく分かったんですけども。ただちょっと待てよこれでいいのかって僕らの中には制御装置が働きますよね≫
「ダンラザー、CBSの看板キャスターが最近謝ったんですね」
≪あの時に涙を流して戦争を鼓舞するような発言をしたわけですよね。1年近くたって彼自身もジャーナリストとしてよかったのかと反省したと≫
「でもあれですよねキャスターとして看板キャスターとして国民に謝るってすごいなと思ったんですけども」
≪アメリカ的な部分だと思いますよ。自分が語った責任みたいなものを彼自身が感じて修正したと。それと対照的にABCのピータージェニングスというキャスターは事件がおきて数日後にこの事件を子供にどう伝えるかという特集をやってるんですよ。これはぼくはやっぱりキャスターとして見識だと思いましたね≫
「そうでなければいわれなきイスラム人が襲われたり事件が起こってましたよね。」
≪そんな中でメディアの揺り戻しっていうのはすごいなと思いましたね≫
「あの瞬間にこれを子供たちにどう伝えればいいのかって言うのを放送するというのは大変な事ですよね」
≪それは愛国的な流れに水をさすようなことですから勇気ある行動だと思いました≫
「それで今度パキスタンにいらっしゃってイスラマバードにいらしゃって」
≪それで今度なるべく国境に近いところに行ってみようという事でペシャワルだとかの難民キャンプを見にいったという事ですね≫
「前は書くお仕事だったんですけども今はテレビのキャスターをやってらして今はあれですよね朝日ニュースターの”日本のエネルギー”という番組を」
≪僕はエネルギーの問題に関心があるんですよ。歴史的に見ても戦争ってエネルギー源の取りあいじゃないですか、だkぁらそういうところがあるんでこれは26,7回のシリーズで≫
「なるほど。去年の9月11日から今日でちょうど1年目なんですけどもだけどもまだ解決がついてないんでね。私ソマリアから帰ってきたでしょ。そしたらソマリアとアフガニスタンってとっても似てるんですね」
≪そうかもしれないですね≫
「ソマリアは無政府状態で武装勢力が戦っていてすごく危ないんですが。そういうものをずっと放送してらっしゃたんですが。奥様との色々なお話もすごく面白いので蟹瀬さんの普段の生活もうかがってみたいと思います」
≪≫
黒柳「奥様とお会いになったのはどういう状況で?」
蟹瀬≪僕が上智大学にいたときに大学祭であいましてね何人もいたんですけども男女の組かえがおきてそれで何となくこいつと結婚するのかなって≫
「その時クリーニングから返ったまんまでタグがついたまんまでいらっしゃったそうですけども」
≪よくチェックが入ってますね。こうみえても雑駁でね靴下も右と左を違うのを履いてたり≫
「でも奥様のコーディネートで」
≪割と妻のアドバイスを聞いてやる。今日なんかも何着ていったらいいかなって聞かないと不安なところがありますね≫
「奥様はねボディショプというね」
≪バス用品とか化粧品だとか≫
「米国に本社のあるあの会社の日本の社長さん」
≪そうなんです。3年ぐらい前にこの仕事を引き受けて、以前は広告代理店のコピーライターをやっていたんですけどもそこをやめて自分の会社を作ってそのあとにこういう仕事をやらないかといわれて引き受けて≫
「いまボディショップってすごいですよね。」
≪日本で100店舗以上あって、僕は宣伝しにきたわけじゃないですけども物を売るというよりも人種差別をなくすとかエイズを撲滅しようとかそういう社会的貢献を前に出してる会社で非常に珍しい会社なんですよね≫
「でも結婚された時は忙しくてアパートにシングルベットが1つあればよかったんですって」
≪それでよかったというよりそれしかなかったというか。お金も無かったし≫
「時間のすれ違いが」
≪僕がね通信社の記者だったものですから3後退で朝の7時からか、午後の3時からか、夜の11時からでていって朝に帰ってくるという感じで妻は会社づとめで朝の9時にいって5時に帰って来るという。でも子供はちゃんと作りましたけどね(笑)≫
「何と言っていいんでしょうか(笑)。15年間くらいはジャーナリストでその間は奥様の収入の方が大きかったんですって?」
≪そうなんです。振り返れば女房の収入のほうが大きくて世帯主は女房だったなという感じがしてますけどね。まあテレビに入ってそれなりの収入になってぼくのほうが多くなったんですけども。まあ僕自身は女房の収入が多いということで負い目を感じるようなところは無かったですね≫
「それで当時は何でも一緒にやろうということで紙おむつも無かったのでオムツも洗ったりして」
≪それは長男が生まれて保育園に通わせる事になってそこの保育園の園長さんがね共働きじゃないんだと、ともに育てるんだと。共育てということを非常に強くおっしゃってて眼からうろこが落ちてそうするとおむつを洗ったりたたんだり。そんなに苦痛だという事じゃなかったですね≫
「でもずいぶん子供の運動会に出るようになさったんですってね」
≪これは外資系の会社にいたんでよかったんだと思いますけどねタイムの支局長なんかは今日は子供のリトルリーグの試合があるから会社休むよという感じなんですよ。だから僕も息子あるいは娘の運動会があるんで行っていいですかって言ったらいいよって≫
「もちろん事件のないときでしょうけどね。で今度お嬢様が踊りのバレエをやってらっしゃってロンドンに」
≪今年の秋からロンドンに留学してどうなるかは分かりませんけども小学1年生からやりたいことが決まっていたんでね親として出来る限りのことをしてやろうと。日本に居るよりは本場にいって自分の力を試してみるのもいいだろうと。さいしょはイギリスにあるアメリカンスクールに入れましてねそこで英語で生活できて勉強できる基礎を作らせようと思ってその上でバレエもやっていくというそうじゃないとお父さんとしてはちょっと不安なところもあるんです(笑)≫
「朝のテレビも終ったんで娘のことが出来るんでいいんですって」
≪僕は楽観的というか3月にテレビのレギュラーが終ったという事は神様が娘の為にこれからは時間を使えといわれたと思ってほとんど日本とイギリスを行ったりきたりして学校探しをしてね今日まで過ごしてきたんですけども≫
「息子さんもいらっしゃるでしょ」
≪息子の方は社会人になってね≫
「そんなに大きくなってるんですか」
≪24で代理店勤めしておりますけども。≫
「そんなに大きいおこさんがいらっしゃるんですか。ビックリしましたね」
≪ええ52になりますから≫
黒柳「蟹瀬さんはジャーナリストとしてお働きの一方でカンボジアに学校を作ろうという運動を」
蟹瀬≪これは何も自分が始めたというわけではなくて知り合いのアメリカ人がはじめたプロジェクトで200作ろうと。なるべく農村部に作ろうという事でもう半分以上建ちました。≫
「先生が大変ですよね半分以上ポルポトに殺されましたからね。」
≪大体子供たちに聞くと学校へ行きたいと言いますよね。僕は勉強をする施設を作るだけじゃなくてこのプロジェクトでは先生も2年間きちんと雇うということで日本円で180万円あれば生徒を400人ぐらい収容できる学校を作れるんですね。≫
「先生の給料も保証されている。すごいですね」
≪そういう意味では子供たちに教育の場を与えてあげる事によってたぶんそのころは僕は生きてないでしょうけどもその学校から出た子供たちのなかにこの国の指導者が出てくればうれしいなと≫
「本当にそうですね。スーパーモーニングが1年半だったので何か機会があったらまた挑戦したいと思ってらっしゃるんですか?」
≪僕自身もテレビの世界に入って10年余りなんですけどもね今回の番組の終り方は非常に唐突で僕も非常にストレスのたまる形で終ったもんですからねチャンスがあればテレビのキャスターとしてあるいは現地にいってリポートする形としてやる場面があればぜひやってみたいなと思います≫
「そうですよね。このごろもワイドショーでもこんなに政治が入ってくるというのもないことでしたからね」
≪その流れをなくさないようにやっていければいいと思いますね≫
「今日9月11日ですからアメリカでは大変でしょうね。」
≪あの事件から僕たちは何を学んだのかそれをきちんと考える必要があると思いますね≫
「本当にありがとうございました。お元気で」
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-9-11.html