1982年の頃・・
2022-02-13 21:17:39NEW !
テーマ:浜田省吾
こうして武道館セットリスト再現ライブを観ていると、
無性に40年前のライブが恋しくなります。
もちろん今の省吾さんのライブが一番なのは間違いないのだけど、
ちょっと尖っていて、それでいてシャイで口ベタだけど、
熱い想いをずっと胸に秘めて、
一生懸命夢を追いかけていた時代の省吾さんのライブが観たい。
残念ながらそれは叶わないので、
せめて音源だけでも蔵出しして欲しいですよね。
まあ何度もこのブログでも書いている事なのですが、
1982年の武道館の完全版音源が聴きたいです。
以前紹介した板倉雅一さんのFBによれば、
「むしろ迫力がある分、武道館のテイクの方が(広島郵便貯金会館より)カッコいい気がしました」
・・・との事ですから、
今の技術でリマスターすれば、十分イケるんじゃないかな~。
これも以前書いた事だけど、単体発売はムリでも、
今回の「武道館2022」の映像作品のボーナスCDとしてなら、
商品の付加価値としては最高なのでは?
https://ameblo.jp/tadamu2000/entry-12726719250.html
浜田省吾に普遍の“オンザロード”…40年前と同じ楽曲で日本武道館を沸かせた
2022(令和四)年01月21日(金) 09:06配信 日刊ゲンダイDIGITAL
写真◆浜田省吾(C)共同通信社
70年代の「風を感じて」にはじまり、「悲しみは雪のように」「もうひとつの土曜日」などのヒット曲で知られるシンガー・ソングライター、浜田省吾(69)が健在ぶりを示した。1982年1月に行った初の日本武道館でのコンサートをこのほど同じ楽曲で40年ぶりに再現。2年ぶりのライブというブランクを感じさせない、張りと艶のある歌唱で観客を沸かせたのである。
「40年前の日本武道館は、ハマショーの動員力では無謀との前評判を覆し、チケット即日完売で名前を上げた。テレビにも出ず、全国ツアーでライブ中心にやっていくという今に続くスタイルの原点となったものでした。以来『オンザロード』と銘打つツアーを続けてきた彼には、今こそがキャリアのピークとの評判も聞こえてきます」(音楽ライター)ステージでは「まさか、あのときここにいたっていう人、いるのかな」と呼び掛け、拍手が湧くと「おー、久しぶりです」と応じる一幕も。「まだ生まれてなかったって人は?」には、より多くの拍手が響き、デビュー当時からのファンよりも、若い世代の観客が増えたことを示したようだ。浜田省吾は同じ広島出身の吉田拓郎のサークル「広島フォーク村」などで腕を磨き、拓郎のバックバンドを務めたことも。拓郎のデビューシングル「イメージの詩」を浜田がカバーした際は、拓郎とはまた違う浜田の世界観が表現されていると話題になったものだ。
■「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」
「“古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう”とのフレーズをハマショーが歌ったときはぐっときました。いままた新しい水夫が出てきて、かつての自分のように船のオールを手にする姿を楽しみにしている部分もあるのではないでしょうか」と、ある往年のファンは言っている。構成作家のチャッピー加藤氏はこう言う。
「今回の武道館でも、ビートルズの『イン・マイ・ライフ』のカバーから歌い始めたことに意味を感じます。ジョン・レノンの作品で、年月が経ち、亡くなった人や消えてしまった場所もあるけれど、僕は君を愛し続けるという内容ですが、40年が経ち、古希を前にして歌うと、また意味も違ってくる。より深くなって、浜田省吾さんにとっての生きざまにも聞こえてきます。いままた新たな若いファンがついて、聞き継がれているということは、楽曲に普遍性があるということ。良いものは廃れないということでしょう」コロナ禍の昨年も41枚目となるシングル「この新しい朝に」をリリース。76年のデビューアルバムに収録の「青春の絆」、デビューシングルのB面「壁にむかって」の2021年バージョンを発表するなど、まだまだオンザロードにいるのは間違いない。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/300226
https://news.yahoo.co.jp/articles/efc223e57fac09f7b451af483bbdf0e5340cdc3d
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┃『陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー』┃
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‡1988(昭和63)年02月25日(木) 角川書店 初版発行 定価:1300円
初帯 ⇒ ロックの血を、見よ。 売られたケンカはすべて買う、腕力で負けても気力で勝つ
次帯 ⇒ 答えはここにある。これは、一人のミュージシャンの<成長>の物語である。
1990(平成二)年06月10日(日) 角川文庫 初 版 発 行
2008(平成20)年07月25日(金) 角川文庫 改装初版発行 定価:本体781円(税別)
2014(平成26)年07月25日(金) Kindle版(電子書籍) 定価:595円
作者:田家秀樹
出版社:角川グループパブリッシング
今までに何度読み返したことだろう。敬愛する浜田省吾の成長と成功の物語。音楽評論家・田家秀樹によるドキュメンタリー「陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー」だ。この本はこれまでに3回刊行されている。昭和63(1988)年2月25日の単行本、平成2(1990)年6月10日の文庫本、平成20(2008)年7月25日の復刊文庫本*1。どれも初版の発売とほぼ同時期に購入した。
何でこんなに引き込まれるのだろう。構成や文章の素晴らしさからだろうか。まるで青春小説のように一人の少年が稀代のロックスターへ成長する姿が綴られていく。
幕開けは、“プロローグ America”として、J.BOYツアーの様子が描写される。ロックスターとして、成功を収めたアリーナ・ツアーの模様だ。
そこから一転して、“第1章 生まれたところを遠く離れて”では、広島に原爆が落とされた8月6日の様子を父・浜田敏太の行動とともにおっていく。アルバム『J.BOY』の中の楽曲「A New Style War」や「八月の歌」の内容とあいまって、不可避的な因果関係を感じさせる。
“第2章 ビートルズがやってきた”、“第3章 時代は変わる”では、ロックンロールとの出会いや小学生から高校生までのエピソードが語られる。
“第4章 遠くへ”、“第5章 二人の夏”では、大学進学による上京後の暮らしと、広島時代の仲間と組んだバンド“愛奴”の悪戦苦闘ぶりが綴られる。
“第6章 路地裏の少年”から、“第8章 いつわりの日々”までは、ソロデビュー後の苦悩の日々だ。実は、このあたりが、個人的に好きで何度も読み返すところだったりする。今や大御所で、押しも押されぬロックスターの浜省も、試行錯誤で苦悩していた日々があったのだ。それは、「Midnight Blue Train」や「悪い夢」といった実際の楽曲でも感じることができるが、それを文章でその頃のエピソードを交えて読むと余計に胸に迫るものがある。そして、最終的に成功を収めている浜省の姿に、僕は勇気を貰っていたのだと思う。
“第9章 終わりなき疾走”から“第14章 I'm A J.Boy”までは、発表するアルバムとツアーを重ねる毎に、多くのファンを獲得していくロックのサクセスストーリーだ。
“エピローグ”は、単行本では、“Father's Son”となっていたが、文庫本では“Rising Sun”に変更され、昭和から平成への時代の移り変わりと、それに呼応したかのような ON THE ROAD '88 の模様が綴られている。
この本を最初に読んだ時に、衝撃的で頭から離れなかった部分がある。次の部分だ。
--オレたちって、悲しんだり、怒ったりしながらでも生きている。生まれてきて、生きていることっていうのは、それだけで幸せなことなんだと思ったりする……。
帯広のコンサートの夜、彼は一睡もできなかった。ホテルで、朝までまんじりともしなかった。
帯広のコンサートの客席に、高校生らしい男の子の遺影を持った二人の男女がいた。コンサート終了後、楽屋を訪れた二人連れは、自分の息子が、省吾のテープをエンドレスにしてかけっ放しにしたまま自殺したことを告げた。息子が楽しみにしていた浜田サンのコンサートを見せてあげたくて夫婦できました、と、話してくれた。
自分の音楽を聴きながら自殺した、ということが辛かった。それこそ“悩みを抱いたまま踊らせる”のが自分の音楽だと思っていた。もし、自分の音楽の中に、人を死に追いやるような何かがあるとしたら、自分の音楽が、自分で許せないような気がしたのだった。そう思っているうちに朝になった。
田家秀樹 著 『陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー』文庫本 p.385 より
初めてこの本を読んだ時、僕は19才だった。この部分を読んで、浜省の辛さがわかる反面、この高校生の気持ちもわかるような気がした。僕自身、同じような妄想にとりつかれたこともあったような気がする。浜省のロックは格好良くて、誠実で、優しくて、正義のヒーローみたいに思えたものだ。これから大人になる自分が、穢れることなく浜省のような立派な大人になれるだろうか、そんなふうに考えたりもした。ロックスターや小説家やムービースターにでもなれれば、イノセンスな状態を保てるような気もしたが、そんなことは夢のまた夢だった。これはまるで、『ライ麦畑でつかまえて』にでてくるアントリーニ先生の格言と同じことだと思った。
『未熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある』
白水社Uブックス J.D.サリンジャー著、野崎孝訳、「ライ麦畑でつかまえて」p.293
今も浜省の音楽を聴き続ける僕らは、高貴な死を選ばずに、卑小な生のなかで、悩みを抱いたまま踊り続けている。
浜省が1990年にリリースしたアルバム『誰がために鐘は鳴る』のなかに「SAME OLD ROCK'N'ROLL」という曲がある。殻に閉じこもりがちな少年に向けたロックシンガーの想いが綴られた歌詞に、あの自殺した少年やその予備軍への浜省なりの答えなのだと思った。
「SAME OLD ROCK'N'ROLL」の歌詞はこちら ⇒ 浜田省吾/歌詞:SAME OLD ROCK'N'ROLL/うたまっぷ歌詞無料検索
今、『ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”』のツアーサイトで、田家秀樹のツアーレポートがアップされている。さすがプロの文章は違うなぁと、感心しきりだ。ツアー終了時に、未公開の文章が追加されて書籍化されると、愛読書が増えて、嬉しい限りだが、どうなるだろうか。楽しみに待っていたいと思う。
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http://d.hatena.ne.jp/tk1968/20110816/1313503914
https://ameblo.jp/yoko1957/entry-11279130863.html
https://www.amazon.co.jp/dp/4041687039
https://www.amazon.co.jp/dp/B00MB2SS4K
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浜田省吾さんゆかりの江田島へ。図書館のベンチは一見の価値あり。(ファン向け)
2020(令和二)年12月30日(水) 投稿日
https://journey1001.com/8073/
動画◆https://youtu.be/9qv9SPPXysM?list=PLmQIzKRWaBRVKeNybQkJZ-HqXg6GWrU0e
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┃ ♪ON THE ROAD♪ ┃
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‡1982(昭和57)年02月25日(木) released
1989(平成元)年03月21日(火) 8cmシングル
2005(平成17)年03月24日(木) マキシシングル
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https://www.amazon.co.jp/dp/B01BER6CL8
https://ja.wikipedia.org/wiki/ON_THE_ROAD_(%E6%9B%B2)
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┃ 『ON THE ROAD』 ┃
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1981(昭和56)年12月26日(土) 録音:広島郵便貯金会館
1981(昭和56)年12月27日(日) 録音:広島郵便貯金会館
1981(昭和56)年12月28日(月) 録音:広島郵便貯金会館
1982(昭和57)年01月12日(火) 録音:日本武道館
‡1982(昭和57)年02月25日(木) 初発売 CSCL-1168
1985(昭和60)年12月01日(日) 再発売
1990(平成二)年06月21日(木) 再々発
ライブ・アルバムですね。広島で録ったものと武道館のものと。武道館の方はエネルギーがあったんだけど、テンポがものすごく速かったんです。ライブの他に『ON THE ROAD』という曲を書いてこのアルバムを作ったんですけど、メロディは出来たんだけど、詞が全然書けなくて、CBSソニーの信濃町のスタジオを蹴とばした思い出がありますよ。俺は、もう「出来ないからいらない」って言ったの。ライブなんだからライブの曲だけでいいじゃないかって言ったら、須藤晃くんが「絶対必要だ」って言うわけ。でも書けないものは書けないんで、「書けない」とか言ってパッカーンと壁を蹴とばしたら須藤くんが目を丸くしてた(笑)。「なんて奴だ」みたいな顔をして。
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https://shogo.r-s.co.jp/disco/album08.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/ON_THE_ROAD_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
音源◆https://www.youtube.com/playlist?list=PLmQIzKRWaBRUOmB5o_Q1G6FGiGtp2o4dW
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┃ 浜田省吾 #11 日本武道館 ┃
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2016(平成28)年04月09日(土)
話は前後しますが、ぼくは今まで二回だけ日本武道館のステージに立った事があります。一回は
1987(昭和62)年10月07日(水)に行われた本田美奈子さんのDispa!と銘打たれたライブ、そしてもう一回は
1982(昭和57)年01月12日(火)に行われた浜田省吾さんのコンサート。今回は浜田省吾初の日本武道館ライブのお話を。
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1981(昭和56)年頃の浜田省吾のツアーは、大体1000~2000席程度の会館でのコンサートが多く、まだどこも満杯になるという状況ではなかった。場所によっては入りが半分程度の所もあった。そんな状況下での武道館コンサートの決定。誰もが目を疑った。東京での動員も新宿厚生年金会館で、二日間のコンサートをやって満席ではあったものの、まさか武道館でコンサートやるなどとは誰もが想像もしていなかった。当時武道館公演をやるということは 、今よりも遥かにハードルが高かったし、実際ミュージシャンにとっての聖地だった。 それでもチケットが発売されると同時に即完売。しかもそのコンサートを録音してライブアルバムを発売するという話も決定して、これは大変な事になるぞ、と気持ちを引き締め直した。
1981(昭和56)年のツアーが終わり短い正月休みを取った後、武道館へ向けてのリハーサルが始まった。場所は赤坂のBack Pageスタジオ。決して広いとは言えないスタジオで約一週間のリハーサルが始まった。
1981(昭和56)年の秋ツアーのメニューを元に何曲かの入れ替えや追加を行い、約二十数曲のセットリストが完成した。 そして
1982(昭和57)年1月12日(火)当日。ぼく達は赤坂東急ホテルのティーラウンジに集合して、そこから車で武道館入りした。良く晴れた気持ちの良い日だった。初めて足を踏み入れた武道館のステージは思ったよりも広くないな、ステージから見える客席もそんなに広くないじゃん!これならそう緊張することもなく出来そうだな、というのが最初の印象だった。早速自分のポジションに付いてみる。ぼくの場所は客席から見て向かって左側。舞台装置によってピアノが一段高い場所に置かれている。ピアノの前に座って客席を見渡すと、なかなか見晴らしが良くて気持ちが良い。この日はヤマハのフルコンサートサイズの、一番長いグランドピアノがセットされていた。早速試し弾きをしてみる。結構弾きやすいピアノだったのでホッとした。この頃の浜田さんのツアーでは、ぼくは生ピアノしか弾いていなかったので、他のメンバー達のように自分の楽器を使うわけではなく、毎回ごとにその会館に設置しているピアノを使わなくてはならなかった。海外の大物バンドのツアーともなると、グランドピアノを解体して、専用のハードケースに入れて持ち運ぶなんてこともやっていたようだが、そんなことをやっている日本のアーティストは勿論いなかった。会館によってはとんでもなくコンディションの悪いピアノに当たることも珍しくない。鍵盤の一部が欠けていたり、ペダルが壊れていたり、調律がガタガタだったり、聞いたことも無いメーカーのピアノが出てくることもあった。ロックのコンサートと聞くだけで、会館側が良いピアノを保有しているにもかかわらず使わせてくれない、というようなことも多々あった。スタインウェイのピアノがあるのに、出して貰えないなどと言うことも何度もあった。そんな訳で毎回今日はどんなピアノなんだろう?と、会館に着いて実際に弾いてみるまで不安だった。弾きにくいピアノに当たった日は、身体をそれにアジャストするまでがとても大変だった。どんなに気合いや気持ちを込めて弾いても、まったく鳴ってくれないピアノに当たった時などは本当に泣きたくなった。幸いこの日用意してくれたピアノは音も良いし、弾きやすかったので本番も気持ちよく出来そうな気がした。”転がし”と呼ばれる足下に置かれたモニタースピーカーも、いつもは片側一個なのだが、この日はぼくの足下の両側に一個づつ計二個置かれていて、PAチームからの気合いと気遣いが伝わってくるようで、嬉しかったのと同時に必ず期待に応える演奏をすると心に誓った。間もなくリハーサルが始まった。この日のバンドメンバーは、
◎The Fuse
ドラムス:鈴木俊二
ベース&コーラス:江澤宏明
ギター&コーラス:町支寛二
キーボード:一戸清
ピアノ&コーラス:板倉雅一
◎ホーンセクション
トランペット:新田一郎 兼崎”ドンペイ”順一
サックス:金城寛文
トロンボーン:早川隆章
◎ゲストミュージシャン
ギター:水谷公生 という大編成からなる布陣だった。武道館は外タレのコンサートとかに行っても、音が結構廻って聴きづらいことが多くあまり良い印象が無かったので、リハーサルでどんな感じの音になるのか不安だった。サウンドチェックのために全員で音を出してみると、案の定、音が壁のように見える客席から、山びこのように跳ね返って来てとてもやりにくい。低音もモコモコして籠って聴こえる。それでもリハーサルを進めて行くうちに、モニターエンジニアの懸命の調整によって何とかやりやすい環境になってきた。客席からの反響も低域の籠りも、お客さんが入れば解消されるだろうとのことだった。リハーサルを終え楽屋に戻ると、この日のために用意されたであろうという、豪華なお弁当が用意されていた。しかし誰も口をつけようとしない。ぼくも食べようとは思うのだが、極度の緊張のためかご飯が喉を通らない。無理して食べようとすると吐き気が襲ってくる。他のメンバーも同様で、一口食べただけでお弁当を食べることはあきらめた。一人ドラムの鈴木俊二くんだけは、身体が持たないからと無理矢理食べていた(笑)。そしていよいよ間もなく本番が近づき、スタッフに促されてぼく達は楽屋からエレベーターに乗ってステージに向かった。ステージ裏手の黒幕で覆われた一角に、待機所のようなスペースが設けられていた。そこで鏡を見て姿をチェックしたり、喉を潤したりして出番を待った。大歓声の中、いざ本番になってステージに上がると、ほぼ全方位にお客さんが一杯。それまで経験したことのない圧迫感に襲われた。観客数はおそよ九千人程だろうか、ぼくの背中越しにまでお客さんがいる。以前ぼくは箱根で行われた甲斐バンドの野外ライブで、二万人程の観客の前で演奏したことがあったので、九千人という観客数はそんなに多いとは思わなかったのだが、武道館の客席の雰囲気は独特だった。観客としての武道館は何度も体験しているが、自分がステージに上がるのはこの時が初めて。すり鉢上の客席はステージから見ると、まるでそびえ立つ高い壁のように見えた。一曲目の「壁に向かって」が始まると、自分の手の感覚が無いことに気がついた。あまりの緊張と興奮で手の感覚が無くなってしまったらしい。これはマズい!と思ったのだが、自分で何を弾いているのか感覚が無いためさっぱり分からない。二曲目の「明日なき世代」になっても手の感覚は戻ってこない。それでもようやく三曲目ぐらいから感覚が戻ってきてホッとした。コンサートが終わってから他のメンバーにそのことを告げると、「オレもオレも!」と何人ものメンバーが同じことを言っていたので妙に納得した。ギターの町支さんは、最初の何曲かは足が宙に30cmぐらい浮いてる感覚だったと言っていた。落ち着いてプレイ出来るようになってからは、会場の雰囲気を楽しむ余裕も出て来た。そして気がついたら、あっという間に終わっていたというのが正直な感想である。途中メンバー紹介の時に、浜田さんから前に出てくるように促されて、ステージの中央まで行って手を振った。すると客席から大歓声が返って来た。とても嬉しかった。ハプニングはアンコールで起きた。『ミッドナイト・ブルートレイン』が始まり、歌詞の「ギター抱えて夜汽車に揺られ?」の直前で、浜田さんのテレキャスターカスタムのギターストラップが外れて地面に落ちてしまった。すぐに浜田さんは落ちたギターをすくいあげ、ギターを抱えて歌った。 まるで演出かと思うようなタイミングでのハプニングだった。ライブアルバムにもその音ははっきりと収録されている。確認のために改めて音源を聞き直してみたら、かなりの音量で「ドン!」という音が入っていた。コンサートの本編で激しく弾きまくったグランドピアノの調律は、アンコールの『ミッドナイト・ブルートレイン』の頃にはもうヨレヨレのヘロヘロになっていた。でもそれがまた何とも言えない哀愁と、歌にリアリティを添えているような気がして 、改めて三十数年前のあの日に想いを馳せて胸が熱くなった。『ミッドナイト・ブルートレイン』が終わってすべてのショーは終演した。ぼくの手書きの曲順表には『ミッドナイト・ブルートレイン』の前に『ラストダンス』が書かれているが、時間の都合で急遽カットとなった。全員がステージからいなくなると、客出しのBGMで「防波堤の上」が流れ出し、終演を告げるアナウンスが何度も繰り返し流れた。しかしお客さんのアンコールを求める手拍子は一向に鳴り止まない。そこで終演時間はオーバーしてしまうけれど、一度はカットとなった『ラストダンス』をやろうということになった。ぼく達バンドも『ラストダンス』が復活してとても嬉しかった。武道館のテイクの『ラストダンス』は、サビの部分の「もう一度踊っておくれ~」の部分を浜田さんとぼくの二人で歌っている。浜田さんの主メロに僕が下のパートでハモを付けているのだが、これは非常に珍しい。普段だとこのような場合は、必ずと言っていいほど町支さんがハモるのだが、ラストダンスだけは何故かぼくがハモを付けた。後からライブ録音された音を聞いてみたら、どの曲もかなりテンポが速い。やはりみんな興奮していたのだろう。
‡1982(昭和57)年02月25日(木) 後日『ON THE ROAD』と題されて発売されたライブアルバムには、結局武道館でのテイクは半分程度しか採用されず、残りの半分は
1981(昭和56)年12月26日(土)
1981(昭和56)年12月27日(日)
1981(昭和56)年12月28日(月)
1981(昭和56)年12月末に行われた広島郵便貯金会館でのテイクが採用された。コンサート終了後、原宿の『クロコダイル』で打ち上げが行われた。PAや照明、トランポチームは、バラしがあるために残念ながら打ち上げに参加出来なかったが、それ以外のスタッフは参加して終始和やかなムードでの打ち上げだった。ようやく重圧から解放された安堵感から、バンドのメンバーはみんな饒舌だった。ただ不思議なことにコンサートが終わっても、全く空腹は感じていなかった。打ち上げが終わって深夜に家に帰ると、緊張が解けてきたのかようやくお腹がすいて来た。この頃ぼくは、後に浜田省吾のモニターエンジニアを担当することになるヒビノ音響のMくんと、2LDKのマンションをルームシェアしていた。この日の武道館コンサートを観に来ていたMくんは、ぼくが帰るとすでに帰宅していた。打ち上げでも一切食べ物を口にしなかったせいか、空腹に耐えられなくなったぼくは着替えもせずにキッチンに行って、お正月の残りのお餅を網に乗せて焼いて食べた。その様子を横で見ていたMくんが呆れたような口調で一言言った。「あのさぁ、ついさっきまで武道館のステージで大歓声を浴びていた奴がなんで網で餅焼いてるわけ?なんかギャップが凄いんだけど。」「そうかなぁ??そんなことないと思うけど。」と、ぼくは口にくわえた餅を手でビロ?ンと伸ばしながらいった。Mくんはまたまた呆れた様子で無言でかぶりを振った。
写真◆1982(昭和57)年1月12日(火)。まだ門松がある。
写真◆リハーサル前
写真◆サイン色紙にぼくが殴り書きした曲順表(実際は21と22はテレコになった)足元に置いて見ていた。
写真◆本番10分前。今見るとスゴい格好してる。
写真◆帰宅後、餅を焼く証拠写真(笑)髪型にまだ武道館の名残が。Mくん撮影。
※㊤↑の写真5枚公開は当ブログ最多だヨ(=^◇^=)♂・・・・・OK♂♀
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/04/11.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/ON_THE_ROAD_(アルバム)
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┃ 浜田省吾 #08 軽井沢 ┃
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2016(平成28)年03月30日(水)
1980(昭和55)年の冬、浜田省吾さんのリハーサルが軽井沢の山荘で行われました。その頃のお話を。
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1979(昭和54)年の秋から始まったツアーを
1980(昭和55)年02月01日(金)の横須賀文化会館で終えたぼく達は、次のツアーまでの短い間をそれぞれに過ごしていた。ぼくはこの頃、浜田さんと並行して松原みきさんのバンドにも参加していたため、浜田さんのツアーのスケジュールを縫うようにみきさんのスケジュールが入っていた。浜田さんのツアーは終わったのだが、ツアーが終わった後にも浜田さんのラジオの公録の仕事がちょこちょこ入っていて、横須賀の直後の
1980(昭和55)年02月03日(日)にも日帰りで札幌での公録の仕事が入っていた。この時ぼくは
1980(昭和55)年02月02日(土) 前日の夜遅くにニッポン放送でのみきさんの仕事を終えて、次の日の早朝の飛行機で札幌入りするために、空港近くのホテルに宿泊した。横須賀のコンサートあたりから何となく風邪っぽかったのだが、札幌に行く日の朝から極端に調子が悪くなった。飛行機の機内で猛烈な悪寒が襲って来た。千歳に着く頃には悪寒で歯がガチガチ鳴りだした。札幌STVのスタジオに到着する頃には立っているのも辛くなってきて、しばらく楽屋で横になっていた。この日はちょうど札幌雪まつりが行われていて、本番まで少し時間があるので雪まつりを観に行こうということになった。ぼくは高熱が出て来たのを自覚していたので、辞退しようと思ったのだが、ラジオ局やイベンターの方の手前、そういうわけにもいかず這うようにしてみんなに付いて行った。外に出ると結構吹雪いていて気温は氷点下。高熱の身には自殺行為に等しい。ますます悪寒がひどくなって来たので、ぼくは口実をつけて先に戻らせてもらった。みんなには体調が悪いことは伏せていた。この時の雪まつりの会場で、みんなで撮った写真が手元に残っているのだが、にこやかに微笑んでいる浜田さんと町支さんの横で、真っ青な顔をしたゾンビのようなぼくが写っている(笑)。その後はどうやって演奏して、どのように帰ったのかよく覚えていない。朦朧とした意識の中、ようやく夜に羽田に着くと、そこから倒れ込むようにタクシーに乗って家まで帰った。そのまま二日間寝込んで、すぐにまた広島に飛んだ。広島から戻る頃にようやく体調も回復して来た。そしてそれから少し経った
‡1980(昭和55)年02月25日(月)から
1980(昭和55)年02月29日(金)までの五日間、浜田省吾さんの春のツアーのリハーサルも兼ねた合宿のため、ぼく達は軽井沢の山荘に向かった。上野発10時46分のあさま7号に乗って軽井沢に着いた。軽井沢駅から車に乗って走ること数十分、山奥のログハウスのような大きな山荘に到着した。あたりは他にもたくさん別荘が立ち並ぶ、いわゆる別荘地帯。夏には避暑地として賑わう場所なのだろうが、我々が行ったのは真冬の軽井沢。周りを見渡しても当然人っ子一人いない。しかもすごく寒い。山荘の中に入ると一階に大きなリビングとキッチンの他に、何部屋か仕切られた部屋がある。二階は吹き抜けになっていて、廊下を囲むようにツインの部屋が何個かあった。バンドのメンバーは二階の部屋で、浜田さんとスタッフは一階の部屋で寝泊まりすることになった。山荘に着いたのはいいのだが、肝心の楽器を載せたトラックまだ到着していなかった。楽器が着くまでぼく達はやることがなく、お腹もへって来たので、駅前で買い込んだパンやおやつを食べて楽器の到着を待った。写真はその時の様子。この合宿に同行したのは浜田省吾&バンド以外に、マネージャーとプロデューサー、雑誌の取材で来ていたカメラウーマンの中村ねこさん。他にも何人かいたかもしれない。がらんとした底冷えのする山荘で待つこと数時間、やっと楽器を積んだトラックが到着した。早速一階のリビング部分に楽器と簡単なPAをセットした。
‡1980(昭和55)年02月25日(月) 初日は楽器のセッティングと簡単なサウンドチェックをした後、少しリハーサルをして終了。リハーサルも勿論大事だが、人里離れた雪深い場所での合宿生活のため、食材の買い出しが結構大変だった(と思う)。周りにはお店などあるはずもなく、車で下山して町まで行かないと、それこそ飲み物一本もタバコも買えない。そのため、ぼく達がリハーサルをしている間、スタッフは食材の買い出しも大切な仕事となった。リハに煮詰まると、外に出てキャッチボールをしたりして気分転換をして遊んだ。しかし凍ってしまいそうな寒さのため、すぐに部屋に戻ってまたリハーサルを続けた。この合宿でのリハーサルは、まだ演奏したことのない曲のチェックや新曲の練習、バンドのアンサンブル等に重点を置いて行われた。まわりに何も無い環境ゆえ、逆にリハーサルに集中することが出来、ぼく達は充実した五日間を過ごすことが出来た。リハーサルが終わると夜はスタッフが作った料理をみんなで食べた。お酒も少し。文字通りぼく達は同じ釜のメシを食う仲間だった。合宿が終わる頃、浜田さんとバンドの連帯感はいっそう強まった。軽井沢での合宿は実り多いものとなった。そして
1980(昭和55)年02月29日(金) リハの最終日、ぼくとベースの岡島ブンちゃんは、佐野元春さんのレコーディングに参加するため、そのまま軽井沢から新宿のスタジオに向かった。
写真◆キーボード隊の楽器。ぼくの場所は奥で、ヤマハCP80&フェンダーローズ・スーツケースピアノを使用。
写真◆山荘のリビング。まだ楽器が到着していない。
写真◆山荘の外観。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/03/8.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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映像◆長渕剛- STAY DREAM (The Official Bootleg) trailer https://youtu.be/OWI7ubl4kfw
映像◆1987.2.25 大阪城 https://youtu.be/4CUC--3JB60
映像◆1987.1.12 https://youtu.be/gpXVT7PjMJs
1987年 伝説の大阪城ホールLIVE後の長渕剛 さんのトーク 2/2 https://youtu.be/ljUcynyPL6Q
歌はありません。桂小米朝、烏丸せつこさんとのトークです。
島倉千代子さんが長渕さんとの関係を熱く語っておられます。
映像『FILMS』◆♪ON THE ROAD♪https://youtu.be/6MbD1lo3_W0
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1987(昭和62)年8月24日(月)
┃ NHK-FM『マイ・セレクション』DJ 浜田省吾 ┃ ON AIR 日
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛http://www.uta-net.com/song/78347/
1981(昭和56)年[28歳] M09.♪ON THE ROAD♪ http://www8.big.or.jp/~most/bbs/nfm8.html
音源◆浜田省吾 ラジオ番組 マイ・セレクション Vol.② https://youtu.be/qIYsUHaODis
※これは1987年8月にNHK-FM『マイ・セレクション』という番組で放送されたものから、にゃみこさんがテープ起こし&タイプ打ちしたものです。14曲分、いきまっせ~~~!!
■1981(昭和56)年[28歳] ♪ラストショー♪が終って・・・・
1981年、僕は28歳でした。♪ラストショー♪。えー、ある男がいた。そこで、その男はずっと30くらいになるまで役所で簿記係をやってたのね。ところが遠い親戚の人が死んで、纏まった遺産が入った。それでその男はね、船を買ったのね。で、船、ヨットに乗って、もともとヨットがすごい好きで本は読んでたんだけど、・・・ヨットに関する本をね。自分で操作するのは初めてなんだけどスッタモンダしながら。あちこちの島を巡って、最後にアフリカの近くセイシェル諸島の小さな島にたどり着いたのね。その頃船はもうボロボロでね。男は島にたどりついて自分は今度は、自分で落ち着いて船を造ろうと。昔ながらのスタイルで船を造って暮らしていこうと決めたわけ。その島はほんとにいい人たちばかりでね、その男は島の人達から見れば異邦人なんだけど、凄い気に入られて、ま、女の子にはもてるし、島の人には大切にされるしっていうんでね、島の老人に船の造り方を聞きながらコツコツコツコツ船を造っていたわけ。で、いよいよ船ができあがって、完成したっていうんで、明日は進水式というんで、島の人たちが大パーティーをやってくれたのね。飲めや歌えで、女の子と踊ったりひょっとしたら女の子とひとりちょっとフケて砂浜で楽しんだりなんかしていたら、ある島の若者が「大変だぁ~」とかって走ってきた。行って見るとできたばかりの船が燃えてたわけよ。で、すごくがっかりして、島の人もがっかりして・・・。「でもいいじゃないか。また船を最初から作り直せば。木はいっぱいあるし」 てうことで。半年位かけた船は灰になってしまったけど、またコツコツ造り始めた。そしてまた船ができあがったのね、そしてまたパーティーをやってると、また船が燃えたの。だけど、今度は誰が火をつけたかわかった。何故ならばその…、火をつけられちゃいけない、きっと放火だっていうんでね、それを当番で見張ってた若者がいたからね。そして船に火をつけたのは実は作ってた男本人だった。彼は泣きながら船に火を放ってた。その男っていうのはつまり、その島から出て行きたくなかったわけ。その島が凄い好きだったからね・・・。でも、船が出来あがったら、「島を出て行かなくちゃいけない。旅立たなくちゃいけない」、と思うようなタイプの男だったという物語があるんだけど・・・。その男は結局、島のみんなに「そんなに島が好きだったらここにいればいいじゃないか」といって止められるという結末なんだけど・・・。俺もなんか同じようなタイプで、船ができあがったら、そこがどんなに気に入ってても、出て行かなきゃいけないと思うようなタイプの男なんで、その物語が凄い好きなんだけど。さて、次の曲は♪ON THE ROAD♪(♪ON THE ROAD♪がかかる・・・)
■1982(昭和57)年[29歳] ? ♪ON THE ROAD♪が終って・・・・(LP ver.)
2011/7/5 14:49:47 tiebukruo12345さん
浜田省吾さんは、学生時代、喧嘩を売られても絶対に逃げなかったという内容を、なんらかの本で見たことがあるように思います。これは、事実でしょうか??
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1365932248
孤独を感じる時、どうやって過ごしたら前向きになれますか?この先もずっと1人かと思うと不安で眠れない夜が明けたまにあります。前向きになりたいのでアドバイスよろしくお願いします。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13145078698/a358107526
いつかもうすぐ(弾き語り)http://youtu.be/qdOpxgPHVqM
【日付不明・ラジオ局不明】1980年頃アルバム「君が人生の時・・・」発売後のスタジオライブより
☆いつかもうすぐ(弾き語り)☆いつかもうすぐ ★とぎれた愛の物語