過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)

 

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 ┃ ♪君に捧げる love song♪ ┃
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‡2003(平成15)年09月10日(水) リリース
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 音源◆https://music.amazon.co.jp/albums/B00FRC8M7E
 https://ja.wikipedia.org/wiki/君に捧げるlove_song
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 ┃ 浜田省吾 #26 『CLUB SNOWBOUND』 ┃
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 2016(平成28)年07月01日(金)
 1985(昭和60)年11月15日(金)、浜田省吾のクリスマスミニアルバム『CLUB SNOWBOUND』が発売になりました。今回はそのレコーディング話と、ツアーの話も少しだけ。
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 「次のアルバムはクリスマスをテーマにしたミニアルバムを、オレと町支と板倉の三人で作ろうと思っているんだ。アレンジは全曲板倉でコーラスアレンジは町支。」1985(昭和60)年の夏が始まろうとしていた頃、浜田さんからそう告げられた。1985(昭和60)年のツアーは
 1985(昭和60)年7月15日(月)の沖縄県那覇市民会館でひとまず一段落し、
 1985(昭和60)年9月17日(火)の旭川市民文化会館から始まる北海道ツアーまで約二ヶ月間のインターバルがあった。1984(昭和59)年のツアーからバンドメンバーが代わり、On The Road 84'と題された80数本のツアーが
 1985(昭和60)年2月08日(金)、
 1985(昭和60)年2月09日(土)の京都会館2daysで終了した。新たに加入したメンバーはそれぞれが確かな技術を持っていて、人間的にもミュージシャンとしても特に問題があったわけでは無かったのだが、バンドとしてはどこか歯車が噛み合っていなかった。そこでサウンド面を統括する人間が必要だということで、85年のツアーからぼくがバンドのサウンド面でのリーダーシップを担うことになった。バンド内の雰囲気は最悪というわけでもなかったが、最高というわけでもなかった。それぞれの音楽的趣向もバラバラで、あくまでも浜田省吾という名のもとに集まったプロフェッショナルの集団だった。ぼくなりにバンドのサウンドをまとめようと、色々と試してはみたものの空回りすることのほうが多く、段々とプレッシャーとストレスを抱えるようになっていった。そんな状態でのツアーは正直しんどかった。そのせいかどうか定かではないが、ぼくは1984(昭和59)年~1985(昭和60)年のツアーの記憶が殆ど無い。思い出そうとしてもあまり思い出せない。勿論コンサートは毎回ベストを尽くしたし、それなりに楽しい事もたくさんあったはずなのだが。沖縄から戻ると東京もうだるような暑さだった。
 1985(昭和60)年7月18日(木) 次の日、渋谷のNHKホールでアフリカ難民救済のチャリティコンサート「アフリカ・セッション」が開催された。浜田さんは勿論のこと、ぼく達バンドも出演することに何ら異存は無かった。ぼくはそれまでチャリティイベントへの出演者は、名目上はノーギャラと謳われてても、裏で某かのギャラをもらっているのだと思っていた。しかし今回のチャリティイベントへの出演は、アーティストもバンドメンバーも本当に全くノーギャラだった。でもそのことに異論や不満を唱えるものは誰一人としていなかった。「アフリカ・セッション」を終えると、ぼくは浜田さんから一本のカセットテープを受け取った。クリスマスアルバムに収録予定の曲のデモが入っているカセットだった。冒頭に触れたようにアレンジはアカペラの曲を除き、全曲ぼくが任されることになった。ぼくは浜田さんの期待を裏切らないよう、良いアレンジにすることを肝に命じた。真夏の暑い最中、ぼくは大量の汗を拭いながら、半分ヤケクソ気味で無理矢理クリスマス気分になり、仕舞いには寒いぐらいにガンガンに冷房を効かせて冬の気分に浸りながらアレンジをした。
‡1985(昭和60)年9月10日(火)、昼間のリハーサルを終えたぼく達は、夜の7時に市ヶ谷の一口坂スタジオに集合した。クリスマスミニアルバム『CLUB SNOWBOUND』のリズム録りだった。スケジュールの都合上、この日一日で収録曲のすべてのリズムを録り終えなくてはならなかった。『CLUB SNOWBOUND』のレコーディングは夜の9時頃から始まった。この日のレコーディングメンバーは以下の通り。
 ドラムス:滝本 季延
  ベース:江澤 宏明
  ギター:町支 寛二
  ピアノ:板倉 雅一
「LONELY-愛という約束事/もうひとつの土曜日」のレコーディングの時と同じメンバーが集結した。
 一曲目にレコーディングしたのは「思い出のX'mas Night」という仮タイトルが付いた曲。後に「Snow On The Roof」というタイトルになる曲だった。ミディアムテンポの軽快な曲で、この曲は町支さんがリードボーカルをとる予定になっていた。
 二曲目は「X'mas Baby」という仮タイトルの曲。後に「Snowbound Party」と題される曲だった。
 三曲目は「センチメンタル・クリスマス」。アルバム「愛の世代の前に」にも収録されていた曲のリメイクだった。
 最後にレコーディングした曲は仮タイトル「ひとりぼっちのクリスマス・イブ」と題された曲。後の「Midnight Flight」である。四曲のリズムを録り終えた頃にはもう朝になっていた。スタジオの外に出るとすっかり明るくなっていて、急ぎ足で会社に出勤する人々とすれ違いながらぼくは家路に着いた。後日、諸々の楽器のダビング作業が行われた。
 1985(昭和60)年9月14日(土)は「ひとりぼっちのクリスマス・イブ」のシンセサイザーのダビング。シンセサイザーのオペレーターは迫田 到さん。気鋭のシンセオペレーターだ。スタジオのコントロールルームには所狭しとシンセサイザーが並べられていた。その数ざっと見渡しても十台以上。音源モジュールやエフェクターが収納されたラックも含めると一体何台あるのかよく分からない。ぼくと浜田さんが「キラキラした音!とか、ちょっとこもった音!」とか迫田さんにリクエストを出すと、迫田さんが即座に音色を作ってくれる。ぼくは迫田さんが作ってくれた音を演奏するだけ。時には「うーん、ちょっとイメージとちがうんだけど。もっと他の音ないすかぁ?」とかエラそーなことを言っているだけ。何とも王様気分のレコーディングである。「ひとりぼっちのクリスマス・イブ」はフィル・スペクター・サウンドを模倣したもので、アメリカの有名なプロデューサーであるフィル・スペクターが作り出す壁のような音、「ウォール・オブ・サウンド」を総称してスペクター・サウンドと言っていた。フィル・スペクターが作るサウンドは一度に多くの楽器を同時に録音して、それに深いリバーブをかけるのが特徴で、時にはピアノを何台も同時に鳴らしたり、ベースが二人いたりすることもあるらしい。「ひとりぼっちのクリスマス・イブ」でもスペクターと同じ手法を用いて、アコースティック・ギターを何本も重ねて録音したり、町支さんに「ウー」とか「アー」とかロングトーンで実際に歌ってもらった声を、当時の最先端サンプリングマシンだった「イミュレータ?2」にサンプリングして、ぼくが鍵盤でイミュレータ?2を弾くと、町支さんの声が再生されるという手法を用いてコーラスパートを録音したりもした。とにかくシンセサイザーだけでもの凄く多くのチャンネルを使った。24チャンネルレコーダーだけではチャンネルが足りなくなって、もう一台24チャンネルレコーダーを用意して二台をリンクして(スレーヴするという)合計48チャンネルでの録音となった。フィル・スペクターと言えばロネッツをプロデュースしたことで有名だが、ぼくがリアルタイムで聴いていたのはビートルズのアルバム「Let It Be」や、ジョージ・ハリスンの「オール・シングス・マスト・パス」、ジョン・レノンの「イマジン」等、ビートルス関連の作品が多かった。「ひとりぼっちのクリスマス・イブ」はエンジニアの助川さんの素晴らしいミックスのおかげもあって、見事なウォール・オブ・サウンドになった。この曲のアレンジは自分でもとても気に入っている。
「センチメンタル・クリスマス」はぼくと浜田さんの共同アレンジ名義。リメイクということで、結構アレンジに苦戦した。浜田さんが考えたイントロのフレーズを生かすことと、ちょっとロマンティックなサウンドにする方向でいろいろと試行錯誤した。アレンジ的には間奏で転調する箇所が気に入っている。法田さんのラリー・カールトンばりのギターもカッコいい。そういえば法田さんのギター・ソロの最後の部分の着地の音階をめぐって、法田さんとエンジニアとの間で一悶着あった。法田さんはスケールから外れていない音だと主張し、エンジニアの助川さんはスケールから外れた音、すなわちミストーンに聴こえると主張した。両者の言い分は平行線のまま、結局ミックスの段階でそこの部分の音は少し小さくなった。シンセサイザーは福田裕彦さん、フクちゃんに弾いてもらった。 「Snow On The Roof」は何と言っても町支さんがリードボーカルで、浜田さんがコーラスを担当したということが最大のポイントだった。でもアルバムを通して聴くと、一瞬浜田さんが歌っているかのように聴こえるところが面白い。「X'mas Baby」はとにかくいろんな音を詰め込んだ。浜田さんとの合い言葉は「音の玉手箱」。シャッフルという跳ねたリズムの曲のため、演奏するのは少し難しかった。三連譜が連続で続くところなど、演奏していて思わず手がつりそうになった。町支さんの一人アカペラが美しい「Champagne Night」は、町支さんがコーラスのパートをツアー先で考えていて、ある日の移動のバスの中で、書いた譜面の音の確認をしたいからぼくにポータブルキーボードで、譜面の音を弾いて欲しいと言って来た。ぼくは町支さんが書いた譜面をバスの中で読みながらキーボードを弾いたのだが、ものの五分もしないうちに気持ち悪くなってしまった。「町支くんゴメン、酔ったみたい。」揺れるバスの中でオタマジャクシがいっぱいの譜面を読むことは止めた方がいい(笑)アルバムが完成すると、ぼく達三人は音楽雑誌でのインタビューやラジオへの出演等、積極的にプロモーション活動にも参加した。真夏の最中から秋にかけてレコーディングしたクリスマスミニアルバム『CLUB SNOWBOUND』は、発売されるとチャートの4位を記録した。
 写真◆アナログ盤のジャケット。 
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/07/26-club-snowbound.html
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 ┃ 浜田省吾 #30 "I'm a J.Boy" ┃
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‡2016(平成28)年09月10日(土)
 1986(昭和61)年09月04日(木)、浜田省吾さんの二枚組LP「J.BOY」が発売になりました。それと同時に過去に類を見ない大規模なコンサートツアーが始まりました。今回はそんなON THE ROAD'86 "I'm a J.Boy"ツアーの話です。
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 1986(昭和61)年09月04日(木)京都会館から始まり、翌
 1987(昭和62)年04月06日(月)の那覇市民会館で幕を閉じた浜田省吾「On The Road I'm A J.BOY」は、合計で85本のスケジュールが組まれていた。そしてこのツアーから、ぼく達バンドにも大きな変更があった。まず新メンバーとして、アルバムJ.BOYのレコーディングから加わったドラムの高橋伸之くんがツアーにも参加することになった。そしてもうひとりのキーボードに梁邦彦くんが加わった。また初めての試みとして、ホーンセクションがツアーにも帯同することになった。メンバーは
 トランペット:小林正弘
 トロンボーン:清岡太郎
 サックス:中村浩 そしてもう一人のサックスはおなじみ古村敏比古くんの4人。他にもJ.BOYツアーで変わったことは、ベースの江澤くんが鍵盤ベースも使用する事になったこと。彼のポジションにはヤマハのシンセサイザーDX7がセットされて、ベースギターと鍵盤によるシンセベースを曲によって弾き分けると言う、当時としては画期的な試みに挑戦した。今までもあまり語られることは無かったが、この時の江澤くんの試みはぼくは快挙だったと思っている。現在に至るまでいわゆるベーシストで、ステージ上で鍵盤ベースをプレイする人物は殆どいないと思う。彼は天才的なものを持っていた。ぼくの機材まわりも大きく変貌した。まずそれまでのツアーで使用していた、KAWAIのエレクトリック・グランドピアノを辞めて、代わりにテクニクスから新たに発売されたデジタルピアノ「SX-PX1」を使う事にした。新たにぼくのポジションに「SX-PX1」が二台置かれることとなった。テクニクスのピアノは、ぼくが実際に演奏してみて感じたフィーリングを何度もメーカーに伝え、ぼくの意見をフィードバックしてもらって、ぼくの好みのタッチと音色にチューニングしてもらった。おかげで素晴らしい音色と弾きやすいタッチのピアノになった。シンセサイザーも一新した。新たにヤマハDX5とオーバハイム・エキスパンダー、そして時にプロフィットT8という布陣になった。バンドの名前もそれまでの「His New Band」から約二年ぶりに「The Fuse」名が復活した。
 1986(昭和61)年09月04日(木) ツアーは京都会館での初日を無事終え順調に進んでいた。今回のコンサートは二部構成の毎回三時間超えの長丁場で、時には三時間半を超える事も珍しくなかった。当時はまだ若かったとはいうものの、コンサートを終えた後の疲労感は半端じゃなかった。ツアー中に一人でも倒れたらコンサートは成立しなくなる。そのためぼくは今までにも増して、身体のケアに気をくばるようになった。ツアー中に羽目を外すことも勿論あったが、ツアーが終了するまではコンサートの無い時でも常に緊張感を持って過ごしていた。新しく加入したバンドメンバーとの関係は良好だった。ぼくもキーボードの梁くんとプラベートでも一緒に食事に行ったりする仲になった。梁くんのクレバーでおおらかな人柄はすぐにみんなから好かれるようになった。ドラムの高橋くんとはJ.BOYのレコーディングを共にしていたので、すでに気心知れる間柄になっていた。彼の生真面目な性格はドラムのプレイにも良く現れていて、その一糸乱れぬビートはバンドのサウンドをよりタイト&シャープにした。J.BOYツアーの中でもぼくがひときわ印象に残っているのが、
 1986(昭和61)年10月20日(月)、ぼくの30才の誕生日に松本市社会文化会館で行われたコンサート。
 1986(昭和61)年10月14日(火)富山、
 1986(昭和61)年10月15日(水)福井、
 1986(昭和61)年10月17(金),18日(土)長野でのコンサートを終えたぼく達は、
 1986(昭和61)年10月19日(日)は松本への移動日でオフだった。そこでメンバーのうちの何人かは一旦東京に戻る事になった。東京への戻り組はぼくと江澤くん、古村くんと梁くんの四人だった。
 1986(昭和61)年10月21日(火) 次の日、松本までぼく達四人は一台の車に便乗して中央高速を快調に走っていた。すると途中で事故渋滞に巻き込まれて、まったく動かなくなってしまった。でもすぐに渋滞は解消されるだろうと、まだこの時点では高をくくっていた。時間はまだたっぷりあった。午後三時までに会館に着けば大丈夫なので、気持ちにもゆとりがあった。しかし一時間経っても一向に渋滞は解消されないどころか、わずか数キロしか進まない。松本まではまだかなりの距離があった。やがて二時になり、やがて会館入りのリミットである三時を過ぎてしまった。高速を降りて下道を走ることも考えたが協議の結果、下で行ったら開演時間には間に合わないだろうという結論に達した。どうにか最寄りのSAに入り、マネージャーの岩熊さんに電話で到着が開演ギリギリになってしまうかもしれない旨を伝えた。18時過ぎ、ようやく会館に到着した。楽屋口で岩熊さんが仁王立ちで待っていた(笑)客席はすでに開場していてたくさんのお客さんが入っていた。結局この日は先に入っていたメンバーの簡単なサウンドッチェックぐらいしか出来なく、リハーサル無しで本番を迎えることとなってしまった。しかしアクシデントがあった時のコンサートはなぜか盛り上がるもので、この日はいつにも増して熱いコンサートになった。セットリストは以下のとおり。
  ON THE ROAD'86 "I'm a J.Boy"
 1986(昭和61)年10月20日(月) 松本市社会文化会館
  01.A NEW STYLE WAR
  02.HELLO ROCK&ROLL CITY
  03.DANCE
  04.AMERICA
  05.A RICHMAN'S GIRL
  06.想い出のファイヤーストーム
  07.晩夏の鐘(インスト)
  08.悲しみの岸辺
  09.もうひとつの土曜日
  10.勝利への道
  11.路地裏の少年
  休憩
  12.反抗期
  13.MAINSTREET
  14.MONEY
  15.DADDY'S TOWN
  16.19のままさ
  17.遠くへ
  18.八月の歌
  19.マイホームタウン
  20.BIG BOY BLUES
  21.J.BOY
  アンコール:R&B Medley
  You Can't Hurry Love(ザ・スプリームス)
  A Thousand Nights(浜田省吾)
  Unchained Melody(ライチャス・ブラザーズ)
  Trying to Live My Life Without You(オーティス・クレイ)
  Proud Mary(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)
  Just One Look(ドリス・ トロイ)
  Hold On I'm Coming(サム&デイヴ)
  メンバー紹介(各々ソロ廻し)
  The Land Of 1000 Dances(ウィルソン・ピケット)
  土曜の夜と日曜の朝(浜田省吾)
 "I'm a J.Boy"ツアーの白眉はアンコールのR&Bメドレーだった。このメドレーのタイトルは出典によっていろんな記述がなされている。「Sweet&Sour(スウィート&サワー) Medley」と表記されているものもあれば、「Sweet&Soul(スウィート&ソウル) Medley」と表記されているものある。ぼくの記憶では後者だったような気もするのだが定かではない。このアンコールでのR&Bメドレーは、浜田さんが十代のころに良く聴いたり歌ったりした曲をチョイスして、その中に自分のオリジナルのR&Bナンバーを織り交ぜるという趣旨のメドレーだった。一曲目の「You Can't Hurry Love」から、途中メンバー紹介の各人のソロ廻しを入れて、最後の「土曜の夜と日曜の朝」までノンストップ、ビートが途切れることなく歌いっぱなし、演奏しっぱなしの約三十分にも及ぶメドレーだった。これは約三時間の本編を終えた後に演奏するのは本当にキツかった。この日のアンコールでとても嬉しかったのは、メンバー紹介のソロ廻しの箇所でぼくの番になった時、J.Honesと命名されたホーンセクションの連中が即興で「ハッピーバースデイ」を演奏してくれて、それに乗せて浜田さんとお客さんが歌ってくれたこと。全くのサプライズだったのですごく感激した。軽くメドレーの曲を紹介すると、
 You Can't Hurry Love(恋はあせらず)は1966年にスプリームス(シュープリームス)が発表した曲で、全米二週連続一位に輝いた。1982年にはフィル・コリンズがカバーしてヒットした。
 Unchained Melody(アンチェインド・メロディ)は1955年の曲だが、有名なのは1965年にライチャス・ブラザーズが発表したバージョン。浜田さんもライチャス・ブラザーズのバージョンを、町支さんとのデュエットで披露した。
 Trying to Live My Life Without You(愛なき世界で)は1972年にオーティス・クレイが発表した曲。メンフィスソウルのいかしたナンバー。
 Proud Mary(プラウド・メアリー)は1969年にアメリカのバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)が発表した曲。アイク&ティナ・ターナーやエルヴィス・プレスリー等、数多くのミュージシャンがカバーしている。
 Just One Look(ジャスト・ワン・ルック)は1963年にドリス・ トロイが発表した曲。リンダ・ロンシュタットがカバーしたことでも有名。
 Hold On I'm Comingはサム&デイブが1966年に発表した曲。全米R&Bチャート一位に輝いた。
 The Land Of 1000 Dances(ダンス天国)はウィルソン・ピケットが1966年に発表した曲。オリジナルは1963年のクリス・ケナー。ウォーカー・ブラザースやJ・ガイルズ・バンド等もカバーしている。
 このR&Bメドレーは歌うのも演奏するのも本当にキツかったが、ぼくも大好きな曲ばかりだったので本当に楽しかった。浜田さん初の二枚組No.1アルバムを引っ提げての、三時間半に及ぶロック絵巻を全国85本のツアーで披露する試みは、当時の日本の音楽シーンにおいて例を見ない桁違いのスケールのツアーだった。そしてぼくもその中の一員であれたことを感謝すると共に誇らしく思っている。あれから三十年、ぼくも今年で還暦を迎えるが、気持ちはあの頃と少しも変わっていない。
 写真◆ぼくがJ.BOYツアーで使っていたテクニクスSX-PX1。     
 写真◆J.BOYツアーのコンサートチケット。 
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/09/30-im-jboy.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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浜田省吾、2年振りの新曲リリース。ビデオクリップにはあの女優が出演……!
2003-09-09(tue) 00:00:00
浜田省吾が約2年振りの新曲「君に捧げる love song」を9月10日(wed)にリリースする。今作は、1つ1つ丁寧に紡ぎあげられたアンサンブルで優しくも力強いサウンドで、エンジニアにはStingを手掛けるサイモン・オズボーンを迎えている。
そのシングル発売を記念して、「君に捧げる love song」のビデオクリップを公開。女優・石田ゆり子が出演しているところも注目だ。期間は9月11日(木)正午~24時間、詳しくはオフィシャルサイト・http://www.sonymusic.co.jp/shogohamada/にて。
そして、9月26日(fri)にはセルフカヴァー・バラードコレクション・シリーズにあたる第4弾『初秋~EARLY AUTUMN~』のリリースも決まっている。「ガラスの部屋」「紫陽花のうた」など計13曲が収録。シングル「君に捧げるlove song」との同時購入応募プレゼント企画の応募券封入もあるそうだ。
http://www.barks.jp/news/?id=52326430

【ビルボード】浜田省吾による初の洋楽カバー2作がワンツーフィニッシュ、桑田佳祐『がらくた』は3週連続トップ3入り
2017/09/11(mon) Japan ニューリリース 
浜田省吾がツアーバンドメンバーと共に、Shogo Hamada & The J.S. Inspirations名義でリリースした『The Moonlight Cats Radio Show Vol. 2』が、週間アルバム・セールス・チャート首位を獲得した。本作は、自身初となる洋楽カバーアルバム。Vol.1、Vol.2の2作が同時リリースされ、60~70年代のヒット曲がそれぞれ6曲ずつカバーされている。Vol.2にはテンプテーションズ「My Girl」やビートルズ「This boy」などが収録。初動3日で 15,092枚を売上げ、後半約6,000枚を積み上げ初週で21,597枚を売り上げた。続く、2位は同作のVol.1。マーヴィン・ゲイの「What’s Going on」などが収録されており、初週で18,551枚を売り上げた。そして、初動3日時点では4位に付けていた桑田佳祐『がらくた』が週の後半で約1万枚売上げを伸ばし、今週も18,031枚で3位。3週連続でトップ3入りを果たし、累計売上枚数は22.2万枚を記録した。そして、初動3日で3位につけていたシド『NOMAD』は後半で約6,000枚伸ばしたものの、4位という結果になった。
◎Billboard JAPAN Top Albums Sales
(2017年9月4日(mon)~9月10日(sun)までの集計)
1位『The Moonlight Cats Radio Show Vol. 2』Shogo Hamada & The J.S. Inspirations 21,597枚
2位『The Moonlight Cats Radio Show Vol. 1』Shogo Hamada & The J.S. Inspirations 18,551枚
3位『がらくた』桑田佳祐 18,031枚
4位『NOMAD』シド 16,222枚
5位『真ん中のこと』SUPER BEAVER 11,379枚
http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/55268/2

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 ┃『SHAKE IT PARADISE』 ┃
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‡1986(昭和61)年09月10日(水) LP:28AH-2054
‡1986(昭和61)年09月10日(水) CD:32DH-453
‡1986(昭和61)年09月10日(水) CT:28KH-1882
 1989(平成元)年10月08日(水) CD:CSCL-1002再発売
 2021(令和三)年07月17日(土) 23251回 ♪Olympicは火の車♪
‡2021(令和三)年09月10日(土) 27784回 ♪Olympicは火の車♪
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火https://www.uta-net.com/song/8462/
 https://ja.wikipedia.org/wiki/SHAKE_IT_PARADISE
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 久保田利伸が“呪われた東京五輪”を35年前に予知していた?「Olympicは火の車」が話題
 2021(令和三)年07月17日(土) 06:00 公開・更新日
 写真◆まさに「呪われた五輪」/(C)日刊ゲンダイ
 このままでは4000人を超える日が近いかもしれない。1日当たりの新規感染者数が過去に例を見ないスピードで急増している新型コロナウイルスのことだ。この状況に最も驚愕しているのは、
 2021(令和三)年07月23日(金)の東京五輪開幕を控え、続々と来日している海外選手団やメディア関係者だ。増え続ける日本国内の新型コロナ感染の状況を懸念し、最悪のケースとして「大会途中で打ち切り」といった声も漏れ始めたという。安倍前首相の「福島原発事故の汚染水はアンダーコントロール」という嘘の演説と、酷暑の夏を〈アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候〉と偽った「立候補ファイル」で世界を欺き、招致に成功した東京五輪。当初の国立競技場の「ザハ案」は白紙撤回を余儀なくされ、公式エンブレムは盗作騒動で差し替えに。招致活動をめぐる裏金賄賂問題も発覚し、JOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和前会長は汚職疑惑を調べるフランス当局の捜査対象となった。その揚げ句が、新型コロナによる大会の1年延長と無観客開催、途中中止の可能性――なのだから、まさに「呪われた五輪」という言葉がふさわしいだろう。そんな五輪の状況を「予知していたのではないか」と密かに話題になっている歌があるという。人気ミュージシャン、久保田利伸(58)のデビューアルバム(1986年)に収められている「Olympicは火の車」だ。「タイトルはズバリですが、歌詞にはオリンピックという言葉は一言も見つからない。しかし、歌詞にある『灯りさえもよどんでもれる』『怯えた街の中から』『今消える奴らの姿』などが、コロナ禍で強行される東京五輪、選手の姿を表しているのでは、と言われています。カラオケなど歌う場合、間奏の時に『オリンピックは火の車ぁ~』と絶叫するらしい」(芸能ジャーナリスト)当時の五輪と言えば、1984(昭和59)年のロサンゼルス五輪だろう。開会式で、宇宙飛行士が空を飛んで会場に降り立つ「ロケットマン」の演出が世界中で話題となったが、その一方で、この大会から「商業五輪」が始まったとも言われる。独特の鋭い感性を持つ久保田だけに、この時、そんないびつな五輪の将来を予想していたのかもしれない。
 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/292002

 

 ♪喝采♪
 1972(昭和47)年9月10日(sun)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9D%E9%87%87_(%E6%9B%B2)
 いつものように 仏壇開け
 方便自我偈 唱える私に
 届いた功徳も 罰などありはしなかった
 あれは5年も前 机たたき叫ぶセンセイ
 気づきはじめた私は ひとり飛び出した
 信濃の町の昼下がり
 大誓堂の前にたたずみ
 覚醒した私は 祈る言葉さえ失くしてた
 https://signifie.wordpress.com/2015/09/04/%e5%89%b5%e4%be%a1%e3%81%ae%e5%b8%b8%e8%ad%98%e3%81%af%e4%b8%96%e9%96%93%e3%81%ae%e9%9d%9e%e5%b8%b8%e8%ad%98/#comment-14495

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 ┃♪はぐれそうな天使♪┃
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‡1985(昭和60)年09月10日(火) 来生たかお リリース
 1986(昭和61)年03月20日(木) 岡村 孝子 リリース
 1986(昭和61)年12月20日(土)『Noel』PV収録
 2006(平成18)年12月13日(水)『Noel』DVD化
 1986(昭和61)年05月24日(土)&25日(日) ホンダプリモデー
 1986(昭和61)年10月04日(土)&05日(日) ホンダF-1 ワールド・グランプリフェア
 1986(昭和61)年11月08日(土)&09日(日) ホンダプリモフェア
 1986(昭和61)年12月06日(土)&07日(日) ホンダプリモ 大商談会
 1987(昭和62)年02月14日(土)&15日(日) オールホンダ 春の大商談会
 1987(昭和62)年03月14日(土)&15日(日) 春のホンダプリモデー
 映像◆44秒から映像◆http://www.nicovideo.jp/watch/sm14656473
 映像◆1986(昭和61)年CM ホンダ トゥデイ 青山育ちのハンサムです。今井美樹 https://youtu.be/wQ4E0X8MvkU
 
 映像◆来生たかお 編 今井美樹 HONDA TODAY CM  https://youtu.be/pI0F2_NT5-0
 
 懐かし車CM集1985 映像◆https://youtu.be/na14GE0Ztj4
 
 映像◆はぐれそうな天使(HONDA today CM 今井美樹)岡村孝子https://youtu.be/gSFZDMiv4jc
 
 1985~1986映像◆https://youtu.be/_HexZv7EdXE
 
 1985年音源◆ホンダトゥディ ラジオCM  1985年 https://youtu.be/GsmJEOdHeLM
 
 1986削除映像◆https://youtu.be/g6vtEkwIFlI キミとなら仲良くできる。
 1986(昭和61)年05月24日(土)&25日(日) ホンダプリモデー
 削除映像◆1987 ホンダ トゥデイ(JW1)HONDA today  https://youtu.be/r9qHx5hSPBM
 '86 グッドデザイン選定商品
 1987(昭和62)年前半 ホンダ トゥデイ「21世紀のハンサムです。」
 1987(昭和62)年後半 ホンダ トゥデイ「ポシェット誕生」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%81%90%E3%82%8C%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%AA%E5%A4%A9%E4%BD%BF

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