過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)


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①┃ 第9回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1975(昭和50)年05月18日(日) つま恋エキシビションホール
 入賞:♪傷ついた翼♪ 中島みゆき
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ ♪時代♪/♪傷ついた翼♪ ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛中島みゆき
‡1975(昭和50)年12月21日(日) 発売
 ┏━━━━━━━━━┓
③┃ 第6回世界歌謡祭 ┃日本武道館
 ┗━━━━━━━━━┛(財)ヤマハ音楽振興会 
 1975(昭和50)年11月15日(土) 予選 17:30開場 18:30開演
 1975(昭和50)年11月16日(日) 本選 14:00開場 15:00開演
①https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88#%E7%AC%AC9%E5%9B%9E%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%A4%E3%81%BE%E6%81%8B%E6%9C%AC%E9%81%B8%E4%BC%9A
②https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%9B%B2)
③https://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/wpsf/wpsf6.html
③https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%AD%8C%E8%AC%A1%E7%A5%AD
☆大バッシング ギター1本の「時代」に秘めた思い
 2021(令和三)年01月10日(日) 12:00配信 日刊スポーツ
 写真◆中島みゆきの名曲「時代」のジャケット
【写真】20年1月、「ラスト・ツアー『結果オーライ』」で歌う中島みゆき
 名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」の第24回は、中島みゆきの名曲「時代」です。デビュー当時、ステージで見せたパフォーマンスが批判されましたが、そこには胸に秘めていたある思いがありました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 今では考えられないことだが、デビュー当時の中島みゆきには「生意気」「ツッパリ」といったイメージが先行していた。北海道出身の中島が、全国区に躍り出たのは、
 1975(昭和50)年11月16日(日)に東京・日本武道館で行われた第6回世界歌謡祭だった。中島は「時代」でグランプリを獲得したが、そのステージで起きた“事件”が「生意気」イメージを生むことになる。世界歌謡祭には、その年のポピュラーソングコンテスト(ポプコン)で優勝した新人歌手が自動的に出場した。中島もそうした新人の1人だった。グランプリ受賞後のアンコールで、中島はオーケストラの指揮者に何やら耳打ちした。そして突然、伴奏なしのギター1本で「時代」を歌い始めた。歌謡祭前半のエントリー曲紹介では、フルオーケストラをバックに「時代」を力強く歌っていた。しかし、アンコールでは一転してオーケストラの演奏を自ら制止し、ギター1本で歌ったのだ。まさに前代未聞の新人だった。オーケストラのメンバーや現場スタッフは激怒した。新聞や雑誌にはバッシング記事が相次いだ。しかし、ギター1本で「時代」を歌ったのは決して中島のわがままではなかった。自らを発掘してくれた“恩人”へのお礼のつもりだったのだ。その恩人とは、ヤマハ音楽振興会の理事長で、ヤマハのワンマン社長として当時知られていた川上源一さんだった。69年にポプコンを創設した川上さんは、毎年全国から寄せられた応募曲を全曲聴いた。中島が「時代」を応募した74年はポプコン人気のピークで、応募曲は軽く1万曲を超えた。川上さんはその中で「時代」を耳に留めた。無名だった中島を浜松の自宅に呼び、こう激励した。「あなたは、すごい詞を書く。将来、詞で勝負するようなアーティストに育ってほしい。できれば、大音量をバックにするよりも、ギター1本で歌ったほうが、あなたの詞が人々に伝わると思います」。中島はその言葉を心に刻み、世界歌謡祭のラストでギター1本で切々と「時代」を歌い上げた。振興会で世界歌謡祭の担当者だった山口昌則さんは「当時、ポプコンの担当者たちはサウンドばかり注目していて、はっきり言って詞は盲点でした。中島さんの詞の可能性に注目したのは川上さんだけ。今でも頭が下がる思いです」と振り返る。ポプコンは86年に終了し、川上さんも同族経営が批判を浴びヤマハを離れた。そして時代は巡り、時は流れた。95年、中島が浜松でコンサートを行った時、川上さんが車いす姿で会場を訪れた。川上さんを見た中島は、世界歌謡祭でも見せなかった涙を、ステージ上でボロボロと流した。【特別取材班】
 1997(平成九)年12月10日(水) ※この記事は97年12月10日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/da9a90fc9dd5649c28d106ae16f8086f7d80e7a8


■2009(平成二十一)年年間TOP50

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 ┃ 『浜田島Ⅰ』 ┃ |2009(平成21)年 7月 3日(金)|第1回 横浜市 赤レンガ倉庫 開幕
 ┗━━━━━━━━┛ |2009(平成21)年 7月15日(水)|第1回 横浜市 赤レンガ倉庫 閉幕
            └─――――――――――――┘
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 ┃ 『浜田島Ⅱ』 ┃ |2010(平成22)年 5月20日(木)|第2回 大阪市 中之島バンクス 開幕
 ┗━━━━━━━━┛ |2010(平成22)年 5月30日(日)|第2回 大阪市 中之島バンクス 閉幕
            └─――――――――――――┘
 ┏━━━━━━━━┓ ┌─――――――――――――┐
 ┃ 『浜田島Ⅲ』 ┃ |2014(平成26)年12月19日(金)|第3回 名古屋市 ナディアパーク・デザインホール 開幕
 ┗━━━━━━━━┛ |2014(平成26)年12月28日(日)|第3回 名古屋市 ナディアパーク・デザインホール 閉幕
            └─――――――――――――┘
 ┏━━━━━━━━┓ ┌─――――――――――――┐
 ┃ 『浜田島Ⅳ』 ┃ |2015(平成27)年 3月13日(金)|第4回 福岡市 アジア美術館 開幕
 ┗━━━━━━━━┛ |2015(平成27)年 4月 5日(日)|第4回 福岡市 アジア美術館 閉幕
            └─――――――――――――┘
 ┏━━━━━━━━┓ ┌─――――――――――――┐
 ┃ 『浜田島Ⅴ』 ┃‡|2017(平成29)年12月21日(木)|第5回 東京・渋谷 ヒカリエホール 開幕
 ┗━━━━━━━━┛ |2018(平成30)年 1月 8日(月)|第5回 東京・渋谷 ヒカリエホール 閉幕
            └─――――――――――――┘
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%B3%B6
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E7%94%B0%E5%B3%B6%E5%B8%82
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 kuwakuwa3 ⇒ オフコース、浜田省吾、尾崎豊のファンです。 大変申し訳ありませんが、アップした動画は公開する予定はありません。 
 浜田省吾-1984.04.29(横浜スタジアム)
 浜田省吾-1982.01.12(日本武道館、CD version)
 浜田省吾-1984.12.11(旭川市民文化会館)
‡浜田省吾-1983.12.21(山口市民会館)
 浜田省吾-1983.04.06(姫路市文化センター)
 浜田省吾-1982.05.31(北見市民会館)
 浜田省吾-1985.05.26(よみうりランド "EAST")
 浜田省吾-1982.01.12(日本武道館)
 浜田省吾-1983.08.13(海の中道海浜公園)
 1981.11.29(FM東京)
 浜田省吾-1981.03.20(日本電子工学院大ホール)
 オフコース-1980.12.25(広島郵便貯金会館)
 1975.04.27(神田共立講堂)
 1975.03.22(日本青年館)
 https://www.youtube.com/user/kuwakuwa3/playlists?view=1&sort=dd&shelf_id=0


 音源◆♪MONEY♪10/21 FOR THE PROMOTIONAL CUT SINGLE  https://youtu.be/bFmWQk-PbCw
 
 音源◆♪DANCE♪10/21 FOR THE PROMOTIONAL CUT SINGLE  https://youtu.be/9uAEQBxTVv8
 
 音源◆♪DANCE♪10/21 ON SALE  https://youtu.be/nz2ZG32voqk
 
 音源◆♪DANCE♪08/01 https://youtu.be/LdAsQaHRZsU
 
 音源◆♪DANCE♪08/01 https://youtu.be/l2acleIu_Ko
 
 音源◆♪THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY♪https://youtu.be/4LYXQf6VHcQ
 


 30年前のコンサートレポ ~浜田省吾さん~ 
‡2011(平成23)年12月21日(水)
 30年前のコンサートレポシリーズ、
‡1981(昭和56)年編最終回は、丁度30年まえの12月21日(月)に行われた浜田省吾さんのコンサートです。チケットを見てお分かりの通り、今や浜田さんのコンサートツアーの通称となった「ON THE ROAD」のタイトルがありません。そのタイトルがついたのは、この島根でのコンサートの次の開催場所である広島と、翌年の日本武道館でのコンサートが「ON THE ROAD」というライブアルバムになって以降ですから、浜田さんがビッグネームになる直前の貴重なコンサートでした。ユタは友人に誘われて、昨日のブログにも書いた前日の中島みゆきさんのコンサートのチケットをずいぶん早くに買っていました。だから一時は、この日の浜田さんはパスしようかと思っていたのです。でもこの直前に出たアルバム「愛の世代の前に」があまりにも良かったので、どうしても我慢できずに当日券でギリギリに入場したのでした。浜田さんは広島出身なので、広島、山口、島根はそれまでもコンサートツアーでは必ず訪れ、若い世代中心に人気が上がりつつあった時期でした。MCでの「この会場が満員になるまでコンサートツアーでは必ずこの街に来ます、とずっと話してきたけど、今夜とうとう満員になりました!」という言葉は忘れられません。オープニング曲「壁に向かって」のイントロのドラムも強烈でしたね。考えてみればユタが始めて聴いた「ROCK」のコンサートだったんですよね。ステージの構成は、アンコールの大ラスが「明日なき世代」だった以外、ほぼその後の武道館コンサートと同じ構成でした。ユタが浜田さんに対する印象は「誠実」に尽きます。あれから30年目の今年、思いがけず聴きに行く機会を持てたコンサートツアー「ON THE ROAD 2011~The Last Weekend」まで、その印象は一貫して変わりません。最近はずいぶん活動のペースがゆっくりになった浜田さんですが、これからもずっと聴き続けていきたいアーティストです。来年以降もこのシリーズを続けられたら、「ON THE ROAD'82」以降のレポもお伝えできるかな?
 http://cafefolks.exblog.jp/17099642/
 30年前のコンサートレポ~1982年~浜田省吾さんpart2~僕と彼女と“終末”に音楽ライターの田家秀樹さんの新刊「僕と彼女と週末に」が発売されました。これは昨年から今年にかけて行われた浜田省吾さんのコンサートツアー「ON THE ROAD 2011 The Last Weekend」に同行した田家さんによる、同ツアーのドキュメントストーリーです。このツアーが始まる直前に東日本大震災が発生したため、このコンサートツアーを行うことには色々な影響がありました。浜田さんやその周辺の人たちが何を考えながら2年にわたるコンサートツアーを行ってきたかの詳細な記録になっています。私事ながら、ユタにとってもこのコンサートは特別な感慨を持って聴いたものです。というのも、そのツアータイトルどおりほぼ週末中心に組まれていたコンサートのスケジュールを見て、Folksを週末も通して営業していた当時は「これは聴きに行くのは無理や」とあきらめていたものが、何の因果か紀伊半島大水害で店が被災して休業を余儀なくされたがために聴きに行くことが出来たという複雑な感情の中で聴いたステージだったからです。このツアータイトルに、そして田家さんの本のタイトルにもなっている「僕と彼女と週末に」という曲では、核戦争なのか原発事故なのか、とにかく核によるアクシデントによって世界に終末が訪れるかのようなイメージが歌われています。こんな曲を中心にしたコンサートツアーが、福島の原発事故の直後に始まるとはなんという偶然か、はたまたどんな意味があるのか、浜田さんたちの考えや気持ちのあり方も本には克明に綴られています。そしてこの曲が発表された当時の浜田さんのコンサートツアーにユタが行ったのが、ちょうど30年前の12月でした。(以上、長い前フリでした(^^;)セットリストを紹介するのは、1982年12月21日に島根県民会館で行われた浜田さんのコンサート「ON THE ROAD 82」です。このコンサートツアーは「地球の出てくるステージ」として音楽評論家の渋谷陽一さんらもたびたび触れているものです。この時もユタのいた松江市では2日間連続公演が行われたのですが、既に「すごいスケールのでかい曲が歌われる」と一部のメディアでは話題になっていましたから、何としてでも初日の公演を聴きたいと立ち見にもかかわらずわざわざこの日を選んで聴きに行った記憶があります。
 1、Ocean Beauty
 2、マイホームタウン
 3、土曜の夜と日曜の朝
 4、独立記念日
 5、陽のあたる場所
 6、モダンガール
 7、ラストショー
 8、恋におちたら
 9、ロマンス・ブルー
 10、DJ お願い!
 11、あばずれセブンティーン
 12、反抗期
 13、いつわりの日々
 14、僕と彼女と週末に
 15、ON THE ROAD
 16、東京
 17、壁にむかって
 18、愛の世代の前に
 アンコールⅠ
 19、明日なき世代
 20、Highschool Rock&Roll
 アンコールⅡ
 21、君が人生の時
「ON THE ROAD」を冠したツアーを始めて既に半年以上。バンドの演奏も安定感と疾走感のバランスの取れたこなれたものでしたが、やはりニューアルバム「Plomised Land」からの曲の印象が強いですね。問題の巨大な「地球」の模型は「僕と彼女と週末に」を演奏する途中でステージ後方に吊り降ろされ、そこにスポットライトがあてられるという演出でした。これは考えてみれば「ON THE ROAD 2011 The Last Weekend」でステージ後方のスクリーンに地球上の様々な時代の場所や人々が映し出されていたのと、規模は違えど演出の意図は全く同じではないでしょうか。ユタが浜田さんについて述べる時はいつも「全くブレがない人」といいますが、本当に根本的な考え方はこの時から変わってないんだなと、改めて感心してしまいます。「この星がどこへ行こうとしてるのか もう誰にもわからない」「僕と彼女と週末に」の歌詞の“星”を“国”に言い換えると、今の(今回の選挙後の)日本で聴くのがつくづくキツくなります。それでも私たちは毎日の生活を続けて行かねばなりません。震災の後で多くのコンサートは中止に追い込まれました。自粛を選んだ人も少なくなかったようです。でも浜田さんとそのスタッフたちはコンサートツアーを行うことを決め、強い意志を持ってやりとげました。それを見習おうとかいうほど大そうなものではありませんが、やっぱりユタたちも自分に何が出来るか、何をすべきかを考えながらやっていくしかないと思います。田家さんの本の発売日は12月22日。今年何かと話題になったマヤ暦の最後の日の翌日でした。もちろん「“終末”を乗り越えられたら」との意味を狙ったものでしょう。そう、“終末”は来ませんでした。今年は今日で終わりですが、来年以降も、この世の中もFolksも(笑)続きます。「僕と彼女と“終末”に」ではなく「ユタとあなたと週末に」、またFolksで音楽を楽しみましょう(^^)ではでは、良いお年を。またね/~
 http://cafefolks.exblog.jp/19443523

 1979(昭和54)年12月21日♪さよならにくちづけ♪別写真◆ https://youtu.be/a7ffAhwuajA 
 
 

 5時に夢中! 岩井志麻子 「いい女」とは? 140410  http://youtu.be/maGMYPBXzaQ
 
「木綿のハンカチーフ」
 太田裕美 の シングル
‡1975(昭和50)年12月21日(日)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%B6%BF%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%95


 ┏━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『UNIVERSITY STREET』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━┛
 1979(昭和54)年05月21日(月)初リリース
 1997(平成九)年06月04日(水)再リリース
 竹内まりや♪J-Boy♪収録アルバム作品 杉真理:作詞&作曲
************** http://www.uta-net.com/song/62116/
 http://www.uta-net.com/song/62116/ 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/UNIVERSITY_STREET
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1279700532
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 削除動画◆竹内まりや/ライブ(1981.12.22)厚生年金会館  https://youtu.be/68qXJTBOiSM
‡1981(昭和56)年12月21日(月) 厚生年金会館
 FM東京で放送された休業宣言後最後のコンサート。カセットテープからなので多少ノイズあります。


 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 集計会社 オリコン
 ┃ 2009(平成二十一)年シングル年間TOP50 ┃ 2008(平成20)年12月22日(月)付
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛†2009(平成21)年12月21日(月)付
 ①位 嵐/矢野健太 starring Satoshi Ohno「Believe/曇りのち、快晴」
 ②位 嵐「明日の記憶/Crazy Moon ~キミ・ハ・ムテキ~」
 ③位 嵐「マイガール」
 ④位 秋元順子「愛のままで…」
 ⑤位 嵐「Everything」
 ⑥位 B'z「イチブトゼンブ/DIVE」
 ⑦位 KAT-TUN「RESCUE」
 ⑧位 遊助「ひまわり」
 ⑨位 KAT-TUN「ONE DROP」
 ⑩位 関ジャニ∞「急☆上☆Show!!」
 11位 NEWS「恋のABO」
 12位 EXILE「THE HURRICANE ~FIREWORKS~」
 13位 中山優馬 w/B.I.Shadow/NYC boys「悪魔な恋/NYC」
 14位 EXILE「THE MONSTER ~Someday~」
 15位 EXILE「THE GENERATION ~ふたつの唇~」
 16位 山下智久「Loveless」
 17位 遊助「たんぽぽ/海賊船/其の拳」
 18位 LANDS「BANDAGE」
 19位 羞恥心「弱虫サンタ」
 20位 B'z「MY LONELY TOWN」
 21位 東方神起「Stand by U」
 22位 AKB48「RIVER」
 23位 KinKi Kids「約束」
 24位 福山雅治「化身」
 25位 氷川きよし「浪曲一代」
 26位 浜崎あゆみ「Days/GREEN」
 27位 氷川きよし「ときめきのルンバ」
 28位 KinKi Kids「スワンソング」
 29位 BUMP OF CHICKEN「R.I.P./Merry Christmas」
 30位 東方神起「Share The World/ウィーアー!」
 31位 堂本光一「妖 ~あやかし~」
 32位 JEJUNG & YUCHUN(from 東方神起)「COLORS ~Melody and Harmony~/Shelter」
 33位 桜高軽音部「Don't say "lazy"」
 34位 YUI「again」
 35位 桜高軽音部「Cagayake! GIRLS」
 36位 ポルノグラフィティ「今宵、月が見えずとも」
 37位 遊助「いちょう」
 38位 JUJU「明日がくるなら JUJU with JAY'ED」
 39位 AKB48「涙サプライズ!」
 40位 GReeeeN「遥か」
 41位 SMAP「そっと きゅっと/スーパースター★」
 42位 水森かおり「安芸の宮島」
 43位 浜崎あゆみ「Rule/Sparkle」
 44位 GReeeeN「歩み」
 45位 安室奈美恵「WILD/Dr.」
 46位 フレンズ&ヘキサゴンオールスターズ「泣いてもいいですか」
 47位 AKB48「言い訳Maybe」
 48位 The SHIGOTONIN「鏡花水月」
 49位 東方神起「Bolero/Kiss The Baby Sky/忘れないで」
 50位 浜崎あゆみ「Sunrise/Sunset ~LOVE is ALL~」
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 集計会社 オリコン
 ┃ 2009(平成二十一)年アルバム年間TOP50 ┃ 2008(平成20)年12月22日(月)付
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛†2009(平成21)年12月21日(月)付
 ①位 嵐『All the BEST! 1999-2009』
 ②位 Mr.Children『SUPERMARKET FANTASY』
 ③位 GReeeeN『塩、コショウ』
 ④位 EXILE『愛すべき未来へ』
 ⑤位 EXILE『EXILE BALLAD BEST』
 ⑥位 絢香『ayaka's History 2006-2009』
 ⑦位 DREAMS COME TRUE『DO YOU DREAMS COME TRUE?』
 ⑧位 レミオロメン『レミオベスト』
 ⑨位 Superfly『Box Emotions』
 ⑩位 コブクロ『CALLING』
 11位 福山雅治『残響』
 12位 マイケル・ジャクソン『キング・オブ・ポップ -ジャパン・エディション』
 13位 B'z『MAGIC』
 14位 いきものがかり『My song Your song』
 15位 倖田來未『TRICK』
 16位 浜崎あゆみ『NEXT LEVEL』
 17位 GReeeeN『いままでのA面、B面ですと!?』
 18位 加藤ミリヤ『Ring』
 19位 RADWIMPS『アルトコロニーの定理』
 20位 Perfume『⊿』
 21位 マイケル・ジャクソン『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』
 22位 東方神起『The Secret Code』
 23位 JUJU『What's Love?』
 24位 ユニコーン『シャンブル』
 25位 倉木麻衣『ALL MY BEST』
 26位 関ジャニ∞『PUZZLE』
 27位 KAT-TUN『Break the Records -by you & for you-』
 28位 つるの剛士『つるのうた』
 29位 Utada『This Is The One』
 30位 湘南乃風『湘南乃風~JOKER~』
 31位 バックストリート・ボーイズ『ディス・イズ・アス』
 32位 AI『BEST A.I.』
 33位 ブラック・アイド・ピーズ『The E.N.D.』
 34位 グリーン・デイ『21世紀のブレイクダウン』
 35位 GIRL NEXT DOOR『GIRL NEXT DOOR』
 36位 Various Artists『アイのうた2』
 37位 木村カエラ『HOCUS POCUS』
 38位 ゆず『FURUSATO』
 39位 椎名林檎『三文ゴシップ』
 40位 ニーヨ『Ne-Yo:ザ・コレクション』
 41位 GLAY『THE GREAT VACATION VOL.1 ~SUPER BEST OF GLAY~』
 42位 レディー・ガガ『ザ・フェイム』
 43位 Various Artists『銀魂BEST』
 44位 大塚愛『LOVE LETTER』
 45位 GLAY『THE GREAT VACATION VOL.2 ~SUPER BEST OF GLAY~』
 46位 辻井伸行『debut』
 47位 マドンナ『セレブレイション ~マドンナ・オールタイム・ベスト~』
 48位 FUNKY MONKEY BABYS『ファンキーモンキーベイビーズ3』
 49位 KinKi Kids『J album』
 50位 UVERworld『AwakEVE』
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/2009%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
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1984年1月2日、わらべ「もしも明日が…。」がオリコンチャートの1位を獲得
2018年01月02日 執筆者:丸芽志悟
1984年の本日1月2日を皮切りに、6週に渡ってオリコンチャート1位を独走したのは、わらべ「もしも明日が…。」だ。トータルで97万枚というセールスを叩き出し、80年代の女性歌手もしくはグループによるリリース曲としては、あみん「待つわ」に次いで2番目のビッグセールスを記録した一枚だ(厳密には79年10月1日発売された久保田早紀「異邦人」が、それらを上回るトータル140万枚セールスを記録しているが)。
それにしても当時の「欽ちゃんファミリー」の勢いは凄かった。81年4月フジテレビ系で放映開始された『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』から生まれた「イモ欽トリオ」が、細野晴臣作曲による「ハイスクールララバイ」でデビュー。いきなり96万枚を売るメガヒットとなる。従来からペーソスを生かした笑いで、お茶の間に親しまれていた萩本欽一のプロデュース手腕は、これをきっかけに番組で起用された新進タレントのスター化という新機軸へと発揮され始めることとなる。
ギャグ的笑いを主軸としていた「欽ドン」に対して、ファミリー色の濃いほのぼのとした笑いに重点を置いていたのが、テレビ朝日系で76年から放映されていた「欽ちゃんのどこまでやるの?」だった。従来、人形という形で登場していた三つ子の女の子、のぞみ・かなえ・たまえに、82年初めて「生命」が与えられる。この3人が、そのままアイドルユニットとしてデビューしたのが「わらべ」だった。
12月21日発売されたデビュー曲「めだかの兄妹」は、まさに新時代の童謡といった趣きの親しみやすさを持ったほのぼのとした一曲。「ハイスクールララバイ」の細野に続き、今度はアレンジに坂本龍一を起用、モダンなセンスが持ち込まれている。番組の人気に後押しされて、たちまち88万枚を売る大ヒットとなり、わらべ人気も最高潮に達した、が…。
翌83年、のぞみ役を演じていた高部知子が、プライベートでの不祥事をすっぱ抜かれ、欽ちゃんファミリーから破門される事態に至ってしまう。アイドルたるもの、ほんの誤ちが命取りになるのは、今も昔も同じ。結局、のぞみ役は空席となり、かなえ・たまえの二人で継続していた「わらべ」が、真価を問う2枚目のシングルとして83年12月21日リリースしたのが、この「もしも明日が…。」である。ジャケットには、二人と共に見栄晴役の藤本正則が登場、クレジットも正式には「わらべ with KINDOKO FAMILY」となっており、母親役・真屋順子もコーラスに加わる形でテレビで歌われることが多かった。
古くは伊東きよ子「花と小父さん」から、梓みちよ「二人でお酒を」、松坂慶子「愛の水中花」まで、跳ねないけれどスウィングするマイナー調の曲は、日本人の心の琴線をくすぐる、ペーソスを感じさせる曲が多い。この曲もその一族に属するもので、前向きな歌詞もたちまち共感を得、年明け早々大ヒットへの道を爆進した。83年にはさらに風見慎吾(現・風見しんご)が吉田拓郎作曲による「僕笑っちゃいます」でデビュー、大ヒットを記録。他にも松居直美・生田悦子・小柳みゆきによる「よせなべトリオ」や、イモ欽の西山浩司と小柳という「ワル」の二人が組んだ「ニックじゃがあず」などの関連ユニットが次々とブレイクした。これら全てをリリースしていたフォーライフレコードは、初期の頃のニューミュージック王国というイメージが薄れ、欽ちゃんファミリーを筆頭とするバラエティ色が強いレーベルとして80年代を席巻する(但し、よせなべトリオの西日本発売盤のみ、松居のソロ契約の関係上フィリップスからリリースという変則的な形となる)。
そして、欽ちゃんファミリーから離れたところで、わらべの各メンバーもアイドルとしてのアイデンティティを獲得し始める。最も成功したのは、84年3月21日「プロフィール」でソロデビューしたかなえ役・倉沢淳美だ。まさにタイトル通りの大胆な内容を持ったこの曲は話題になり、オリコン4位を記録。いわゆるカタログソングの類に属する第2弾「ある愛の詩」も忘れられない。シングル10枚をリリースするという活躍ぶりだった。
おっとりしていて親しみやすいパーソナリティが持ち味だったたまえ役・高橋真美も、85年に「古いアルバム/もう少しだけ」でソロデビュー。オリコン61位という地味なヒットとなる。謹慎が解けた高部知子も84年11月にソロデビュー。シングル「雨の街」は岡村孝子が初めて他のアーティストに書き下ろした作品として伝説の楽曲となっている。
ここまでバラエティに富んだタレント引率力と時代を鋭く見る目に恵まれた萩本欽一の「笑いをプロデュースする術」を今持ち合わせる者は、果たしているだろうか。チャンスがあれば、その源流となったコント55号が残したレコードの数々も、是非探し出して聴いていただきたい。活動初期からとんがったセンスを全開させていたことに吃驚するはずだ。ついでに坂上二郎の卓越した歌唱表現にも、ね(ソロで出した「ワンナイト新宿」のファンキーぶりは絶品!)。
コント55号「ワンナイト新宿」写真撮影協力:鈴木啓之  
≪著者略歴≫丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代~レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。  
http://music-calendar.jp/2018010201

40年前の本日、1975年12月21日、太田裕美「木綿のハンカチーフ」が発売
2015年12月21日 執筆者:榊ひろと
1975年12月21日太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が発売された。
現在のJ-POPに通じる原点との評価も高い、まさしくエポックメイキングな一曲。太田裕美にとって4枚目のシングルだが、もともとは3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』の収録曲をリアレンジしてシングル化したもの。
当時のポップス系としては珍しい4コーラスまであるストーリー性に富んだ歌詞と男女の対話形式による構成が話題を呼んだが、遠距離恋愛に揺れる主人公たちの心情にロック/フォークの世界(とミュージシャンのキャリア)に背を向けて単身でザ・芸能界のド真ん中に乗り込んだ松本隆の状況が重ね合わせられていると見る向きも多い。
後にゴールデン・コンビと称されるようになる松本と筒美京平のコラボレーションにとっても大きなブレークポイントとなった作品であることに疑いの余地はないだろう。高音部で裏返りそうになる太田の声質の美味しい部分を見事に活かしきったメロディが素晴しいのはもちろんだが、この楽曲の肝となっているのは詞と曲のあまりにもスリリングな関係性なのである。
松本が先に書いたとされる歌詞を冷静に整理してみると、各番の前半(Aメロ)は5・7、後半(サビ)は6・4、といった具合に意外と定型的な韻律で構築されているのが解る。これに則って素直に曲を付けていくとありがちな3連のバラードとか(例えば五輪真弓が石川さゆりに提供したみたいな)になってしまいそうなものだが、そこはさすがに筒美京平は全く違っていた。詞のフレーズを自在に解体/伸縮させてメリハリと緩急の利いた展開へと巧みに変換しているのだ。それによって内容のドラマ性がさらに際立つとともにメロディそのものの躍動感や伸びやかさにもつながっている。
サウンドの方は萩田光雄のアレンジしたアルバム版を基本に筒美が華やかな彩りを加えたもので、ちょっとカントリーがかった清涼感に満ちた世界はオリヴィア・ニュートン=ジョンあたりを想起させるもの。これも南沙織(極東のリン?・アンダーソン)を育てた筒美と、アグネス・チャン(東洋のメアリー・ホプキン)の「ポケットいっぱいの秘密」(カーペンターズの“TOP OF THE WORLD”にインスパイアされた楽曲)で歌謡界に進出した松本のコンビということを考えれば必然だったのかも(「南沙織/誕生日」の項を参照)。
さらに言えば太田裕美が所属していた渡辺プロダクションとCBS・ソニーの組み合わせは、それぞれアグネスと南沙織のポジショニングを引き継いだものでもある。こうした象徴性の高さもあって彼女は歌謡曲とニューミュージック、あるいはアイドルとアーティストの間の架け橋として語られることも多いのだが、何よりも重視されるべきなのは二人のクリエイターの間に立って、その曲作りに絶妙の化学反応を誘発させた触媒としての存在感の大きさなのだろう。
『木綿のハンカチーフ』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト 
ソニーミュージック太田裕美公式サイトはこちら>
http://music-calendar.jp/2015122101
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 ┃ ビートルズ『1』がWミリオン達成 歴代最長11年9ヶ月かけて大台に ┃
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2012(平成24)年08月10日 04時00分 http://www.oricon.co.jp/news/rankmusic/2015429/full/
[拡大写真] 11年9ヶ月かけて売上200万枚を突破したザ・ビートルズのベスト盤『1』 
ロンドン五輪に沸くイギリスが生んだ世界的ロックバンド、ザ・ビートルズが快挙を達成した。8/13付週間アルバムランキングでベスト盤『ザ・ビートルズ1』が実売200万枚を突破。スピッツのベスト盤『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』(99年12月発売)が記録した5年3ヶ月(突破日付:05年3/7付)を塗り替え、歴代最長記録となる11年9ヶ月でのWミリオン達成となった。『ザ・ビートルズ1』のリマスター盤(昨年9月発売)は先週1週間で371枚を売り上げ、8/13付アルバムランキング258位にランクイン。2000年11月に発売された原盤(累計196.4万枚)、2004年1月発売のアナログ盤(同0.1万枚)、今回のリマスター盤(同3.5万枚)を合算した本作の総売上枚数は200万12枚となった。アルバムの売上200万枚突破は、07年3/19付でコブクロのベスト盤『ALL SINGLES BEST』(06年9月発売)が記録して以来5年5ヶ月ぶり。海外アーティストとしては、96年6/10付でカーペンターズが記録した『青春の輝き~ベスト・オブ・カーペンターズ』(95年11月発売)、●98年12/21付でマライア・キャリーが記録した『The Ones』(98年11月発売)以来13年8ヶ月ぶり、史上3組目の快挙となった。本作は、全英・全米No.1曲「レット・イット・ビー」「イエスタデイ」「ラヴ・ミー・ドゥ」をはじめヒット曲27曲を収録したベスト盤。世界34ヶ国で1位を獲得、日本では2000年11/20付週間アルバムランキング2位に初登場し、翌11/27付で初の首位に。4週目の12/11付でミリオンを突破し、その後もロングセラー化していた。
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 ┃ オリコン・烏賀陽裁判 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━┛月刊誌『サイゾー』2006(平成18)年4月号において、「ジャニーズはVIP待遇!?オリコンとジャニーズの蜜月関係」と題する記事が掲載された。記事ではオリコンチャートがジャニーズ事務所所属のタレントに甘いのではないかという疑問を、オリコンとサウンドスキャンのデータを比べながら文責「サイゾー編集部」名義で提示した。オリコンはこの記事に引用された「烏賀陽コメント」のみを地の文からは分離し、この発言を事実無根の名誉毀損として、2006(平成18)年11月17日、(出版社や執筆者・編集者ではなく)電話取材に答えた烏賀陽に対して5000万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地裁に提起した。同社社長の小池恒は●12月21日付同社プレスリリース[1]にて、「烏賀陽がアエラ記事(時効)も含めて過ちを認め、謝罪するなら提訴を取り下げる」と発言、提訴の目的が名誉毀損による損害の回復ではないことを公言した。烏賀陽側はこの小池社長名義のプレスリリースを根拠として、2007(平成19)年2月8日、同訴訟は「提訴を請求以外の目的に使った訴訟権の濫用」であると主張し、逆にオリコンに対し1100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。2008(平成20)年4月22日、両訴訟の判決が東京地裁で言い渡され、2006(平成18)年11月分の訴訟については烏賀陽に対しオリコンへ100万円の支払いを命じ、2007(平成19)年2月分の訴訟については烏賀陽の訴えを退けた。5月2日、烏賀陽は東京高裁へ控訴した。烏賀陽側は11月5日、烏賀陽に電話取材し記事を執筆した小林稔和・サイゾー元副編集長が烏賀陽側弁護団に対して話した証言の記録を証拠として東京高裁に提出し、高裁に採用された。烏賀陽側は小林と揖斐憲同誌編集長を法廷に呼び、烏賀陽・オリコン側双方の質問に答えるよう証人尋問を高裁に申請した。一方、オリコン側は揖斐・小林証人への反対尋問(法廷での反論)を申請しなかった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%BB%E7%83%8F%E8%B3%80%E9%99%BD%E8%A3%81%E5%88%A4
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 ┃ オリコン集計によるシングルレコードの総売上枚数が1000万枚を突破した日本アーティスト ┃
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 幻の一人目 ☆沢田研二☆ 1977(昭和52)年?月?日 ♪?♪
 史上①番目  ピンク・レディ  1979(昭和54)年 3月 9日 ♪ジパング♪  
 史上②人目   森進一   1979(昭和54)年 7月25日 ♪新宿・みなと町♪
 史上③人目  山口百恵   1980(昭和55)年12月21日 ♪愛染橋♪
 史上④人目  沢田研二   1980(昭和55)年 4月21日 ♪恋のバッド・チューニング♪
 史上⑤人目  西城秀樹   1982(昭和57)年 3月25日 ♪南十字星♪
 史上⑥人目  郷ひろみ   1983(昭和58)年 3月 5日 ♪美貌の都♪
 史上⑦人目 五木ひろし   1984(昭和59)年 4月21日 ♪長良川艶歌♪
 史上⑧人目  松田聖子  1984(昭和59)年11月 1日 ♪ハートのイアリング♪
 史上⑨人目  中森明菜  1988(昭和63)年11月 1日 ♪I MISSED "THE SHOCK"♪
 史上⑩番目 サザンオールスターズ 1993(平成五)年 7月21日 ♪エロティカ・セブン EROTICA SEVEN♪
 史上⑪人目  田原俊彦  1993(平成五)年11月 3日 ♪KISSで女は薔薇になる♪
 史上⑫人目  近藤真彦  1996(平成八)年 2月21日 ♪ミッドナイト・シャッフル♪
 ※沢田研二はソロ作品に限らずザ・タイガース、PYG時代の売上も通算すると彼は1977年に1000万枚を突破しているヨ(=^◇^=)
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 ①http://en.wikipedia.org/wiki/Zipangu_(song) ⇒ ウィキ日本版へ
 ②http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%83%BB%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%A8%E7%94%BA
 ③http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%9F%93%E6%A9%8B
 ④http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E3%81%AE%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0
 ⑤http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%98%9F_(%E8%A5%BF%E5%9F%8E%E7%A7%80%E6%A8%B9%E3%81%AE%E6%9B%B2)
 ⑥http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E8%B2%8C%E3%81%AE%E9%83%BD_(%E9%83%B7%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%BF%E3%81%AE%E6%9B%B2)
 ⑦http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%89%AF%E5%B7%9D%E8%89%B6%E6%AD%8C
 ⑧http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
 ⑨http://ja.wikipedia.org/wiki/I_MISSED_%22THE_SHOCK%22
 ⑩http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%96%E3%83%B3
 ⑪http://ja.wikipedia.org/wiki/KISS%E3%81%A7%E5%A5%B3%E3%81%AF%E8%96%94%E8%96%87%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B
 ⑫http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB
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