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┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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1969(昭和44)年06月10日(火) 東名ハイウエーバスが運行を開始 ⇒ 東名高速道路の全通を受け、国鉄がハイウエーバスの運行を開始した。冷暖房、トイレ、リクライニングシートが装備された豪華な車両が人気を博した。写真は報道関係者に公開された国鉄高速バス=同年1月、東京都千代田区の国鉄本社前【時事通信社】
1955(昭和30)年06月10日(金) 電電公社が時報サービスを東京で開始
1976(昭和51)年06月10日(木) 巨人の張本勲選手が通算2500安打達成
1990(平成二)年06月10日(日) ペルー大統領選の決選投票でアルベルト・フジモリ氏が当選
https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2000(平成12)年06月10日(土) オリックス・イチローが日本で最後の4割挑戦!
‡2017(平成29)年06月10日(土) 11:10 プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月10日だ。
写真◆6月10日の試合では8回裏に日本ハム・清水章夫からセンター前ヒットで打率.401になった
故障で休みがちになっているが、6月8日時点、日本ハムの近藤健介が50試合終了時点で打率4割をキープと打ちまくっている。日本記録は89年のクロマティ(巨人)の96試合だから、まだまだ遠いが、夢はふくらむ。
日本の誇るヒットメーカーのイチローが限りなく4割に近づいたのが、2000年だった。
同年限りポスティングでマリナーズへ移籍するオリックス・イチロー。日本ラストイヤーはシーズン中から頭にあったはずだ。開幕から四番に定着し、ヒットを量産。6月10日の日本ハム戦(神戸)でついに打率4割に到達した。
「俺も途中からそれだけが楽しみだったよ」と試合が惨敗だっただけに、仰木彬監督もおどけた表情で語ったが、当の本人は「手ごたえですか。ふつうです」とそっけない。その後、一度落ちたが、ふたたび到達。イチローはブレークイヤーの1994年にも69試合目まで4割の記録を持っていたが、それも更新し、結局7月30日、74試合目まで4割の記録をつくった。
8月末に右ワキ腹を痛め、長期離脱。最後は1試合だけ代打で“顔見せ”出場し、105試合ながら自己最高の打率.387で7年連続首位打者となり、海を渡った。「たら・れば」で申し訳ないが、おそらく、もし最後まで出場していたら、間違いなく日本唯一の4割打者になっていたはずだ。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1997(平成九)年06月10日(火) 近鉄・石毛博史、先頭打者から5連続四球
‡2018(平成30)年06月10日(日) 7:00 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月10日だ。
写真◆マウンドでぼう然とする石毛
快速球を武器に第二期長嶋茂雄監督時代前半の巨人で抑えに君臨した石毛博史。ただ、制球の甘さもあって、走者を出しながら最後はなんとか抑えるという展開も目立ち、一部では「石毛劇場」とも言われた。
その後、徐々に救援失敗が増え、ベンチの信頼を失い、96年オフ、近鉄・石井浩郎との交換トレードで吉岡雄二とともに近鉄に移籍となった。
近鉄では、小林繁投手コーチとマンツーマンでフォームの矯正を行い、先発に回って、まずは3試合で2勝と順調なスタートを切ったが、その後、KOが続き、6月10日西武戦(大阪ドーム)は、いわばラストチャンスだった。
この試合、石毛は荒れに荒れる。初回先頭打者から4者連続四球で押し出し1失点、暴投で2失点目、さらに四球。5者連続四球は史上9人目、初回先頭打者からは4人目だったが、2リーグ制後は初めてだった。
ここで降板となった石毛は、そのまま二軍降格。
「仕方ないです。ファームで結果を出して、また使ってもらえるように頑張るしかありません」と肩を落とした。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=Getty Images
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‡2007(平成19)年06月10日(日) 桑田真澄が初めてメジャーのマウンドに
‡2019(令和元)年06月10日(月) 7:05 野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2007年6月10日だ。
写真◆メジャーでは19試合に登板し、0勝1敗、防御率9.43に終わった
2006年末、パイレーツとマイナー契約を結んだ桑田真澄。この日の前日、故障した選手に代わって傘下の3Aインディアナポリスからパイレーツに昇格することになった。9日早朝にインディアナポリスを出発し、夕方にニューヨークに到着。ヤンキース戦がデーゲームだったために、球場ではなく宿舎でチームに合流した。背番号は巨人で着けていた「18」に決まった。
翌6月10日(日本時間6月11日)のヤンキース戦でさっそくベンチ入りすると、6対8とリードされた5回に3番手として念願のメジャーのマウンドに立った。
5回は無難に抑えたものの、6回にアレックス・ロドリゲスにスライダーを打たれ、右翼席への2ランとなり2失点。その後、松井秀喜との対戦は四球だったが、後続を抑えてマウンドを降りた。
試合後、桑田は「いい思い出と苦い思い出と両方経験した。(A-ロッドには)投げた瞬間、やられたな、と。(松井には)本塁打だけは打ってくれるなと思った」と語った。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170610-01
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180608-03
③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190610-13
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.061 ┃ 30円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1959(昭和34)年06月10日(水)号 特集 大タイガースの危機、特別リポート“背番号16”の大いなる沈黙
2017(平成29)年12月27日(水) 11:08 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎『その後の王と板東』
写真◆表紙は西鉄・稲尾和久
今回は『1959年6月10日号』。定価30円だ。センターカラーは『王者長嶋』。カクテル光線に照らされた打者・長嶋茂雄(巨人)の雄姿だ。グラビアでは長嶋が敬遠攻めにされ、うんざりした様子を見せる写真もあった。打率は5月18日現在で.444だ。
本文巻頭は『大タイガースの危機~燃えろ!伝統のタイガース魂』。開幕から下位を低迷する阪神の問題点を洗い出す企画だ。甲子園も昨年に比べ随分お客さんが減っていたらしい。第2特集『“背番号16”の大いなる沈黙』は多少見出しを盛り過ぎ、コーチとなっても寡黙に仕事をこなす巨人・川上哲治コーチの近況記事だ。
座談会は『優勝への自信大いにあり』。セの優勝争いをする巨人から長嶋、堀内庄、中日から伊奈努、江藤慎一の登場だ。長嶋は自身の好調さについて「いま考えているのは、調子がいいうちにバリバリ打っておきたい。それだけです。きっといつかは当たらなくなりますから」と語っている。
『その後の王と板東』はゴールデンルーキーと言われながら、なかなか結果を出せない巨人・王貞治と中日・板東英二が登場。王は27打席目にしてプロ初安打であるホームランを打ったが、調子が上がらず、試合出場もめっきり減っていた。
「あのホームランを打ってから続けてゲームに出ていたとしたら、あるいは、いわゆるきっかけをつかめたかもしれませんが、ずっと休んでいるせいか、そうは思えないんです。そして、前よりはよけい打てなくなってしまったような気持ちですね」
と不安をもらす王に対し、同じく結果を出せずにいる板東は明るい。
「記者の人にも追われんし、いいわ。でもね、ファンレターはぜんぜんこんのや。はじめのうちは毎日たくさん来て、読みきれんくらいやったけど、いまはさっぱりこん。そのうちまたくるようにせなあ、ねえ」
ある意味、いまもまったくキャラがぶれていない人だ。
少し前から「賞金10万円と日立電気冷蔵庫が当る」となっていたホームランクイズは、この号から『新形式5大クイズ~賞金総額14万円と日立電気冷蔵庫が当る』となった。賞金10万円のクロスワードと、野球に関するクイズ2問が1万円ずつ、あとは冷蔵庫で正価5万9500円とある。どういう足し算かよく分からなかった。
連載漫画『ファイトくん』がスタート。『三軍選手』と二本立てになった。
では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.271 ┃ 50円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1963(昭和38)年6月10日(月)増大号 金田正一の王貞治対策
2018(平成30)年7月30日(月) 10:28 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎ハーラートップに立つ長嶋より体毛が濃い男
写真◆表紙は巨人・王貞治
今回は『1963年6月10日増大号』。定価は10円上がって50円だ。
巻頭に『語られたニュース。その後の真実』という記事があった。
国鉄スワローズ、というよりその実質オーナー、サンケイ社長・水野成夫が本拠地予定と発表した神宮第二球場の完成予定図が掲載されていた(それまでは後楽園)。2階建ての客席をはじめ、なかなかモダンである。
フジテレビ関係者は6月26日に地鎮祭、7月1日着工、64年3月完成予定と言っている。この話は以後も追っていく。ただし、記事があれば、だが。当時の記事は、意外と「その後」がないケースは多い。
中日に入団した中卒選手、松本忍、杉斉英、森田直泰の近況も書かれていた。3人とも定時制のようだが、高校に進学し、練習にはトレーニングウエアで参加。寮費と学費を球団が持ち、月に1万円の小遣いが出るらしい。
大相撲では、横綱・北の湖のように部屋に所属しながら中学に通った力士がいたが、同じなのか。
巨人の長嶋茂雄、王貞治のONは相変わらずの絶好調。2人で打撃3部門の上位を独占している。
300勝投手となった国鉄・金田正一の王対策も出ていた。
「王は変なフォームをしているからピッチャーのほうがつられてしまうんや。長嶋のほうがオーソドックスで牛耳りやすい」
さらに、
「王は右足を上げたときホームベースを隠してしまう。だから投手は投げるコースが分からず、ついつい真ん中に投げてしまうんだ。スレスレでも内角を狙ってみようか」
と話している。
国鉄・浜崎真二監督の発言は物騒だ。
「軸足を狙えばいい。左足だけで立っているんだから絶対に逃げられないし、一度痛い目に遭えば、王のやつも次から恐怖心にかられて、のびのびと打てなくなる」
以前から何度か週べに出ていたのだが、「長嶋より体毛が濃い」と言われていたのが、東映の石川陽造だ。5月27日現在でハーラートップのトップの7勝を挙げ、防御率も1.21でトップ。
立大からプロ入りし2年目。前年はイースタンで好投を見せ、この年から一軍定着。落ちる球が得意というが、雰囲気的にはフォークではなく、シンカー系の球のようにも思われる。
では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.526 ┃ 60円
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‡1968(昭和43)年06月10日(月)号 広岡達朗はぶれない
2019(令和元)年08月15日(木) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎川上はなぜ飛行機が嫌いなのか
写真◆表紙は近鉄・土井正博
今回は『1968年6月10日号』。定価は60円。
巨人がまたも独走気味。解説者・広岡達朗も「果たして巨人の独走は可能でしょうか」と聞かれることが多くなり、その際、こう答えていたという。
「巨人は楽勝ですよ。数字的に大差がつくか、小差で競り合うかは分からないが、結局は巨人がペナントをつかみます」
質問をした人間はみな不満の表情を浮かべる。
広岡は言う。
「多くの人が、私を巨人の批判者、アンチ巨人の解説者と見ていることからきている。
しかし逆にいえば、私にとってはそのような色メガネで見られることが意外であり、不満でもある。いまの私は単にネット裏からプロ野球を見つめ、研究している一人の男に過ぎないのだから」
この連載の読者の方なら思うだろう。「あれだけ言って、よくまあ」と。
原稿は正論とは思う。ただ、特に川上哲治監督に対し、必ず毒が入るのが少し気になる(そう見えるだけかもしれないが)。
例えば、
「巨人の選手の扱い方を、私は部品の寄せ集めという見方をしている。極端に言って王(貞治)、長嶋(茂雄)を除けば、ほかの選手はワンケース、ワンケースで働いているというわけである。だからその場、その場で活躍し、全力を出したといっても、部分部分の働きである」
部品というのは乱暴な気もするが、確かにV9巨人の特徴をとらえている。ただ、この後、こう続く。
「それで勝利を得たときもっとも称賛されるのは監督ということになり、納得いってご機嫌なのも監督だけではないか。
これは真のプロとしては好ましからざる姿ではないか」
川上監督の苦虫をかみつぶしたような顔が思い浮かぶ。
川上監督は、大の飛行機嫌い。十勝沖地震の翌日にも、
「地震も怖いが飛行機も怖いよ。地震、飛行機、火事、オヤジだな」
と言っていた。
なぜここまで飛行機嫌いになったのかが書いてあった。
きっかけは1951年の春、杉下茂(中日)、藤村冨美男(阪神)、小鶴誠(松竹)とサンフランシスコ・シールズのキャンプに参加した際のことだ。
川上は語る。
「当時はプロペラ機なんだ。出発便がよく揺れてね。気持ち悪くなったころに、英語のアナウンスがあったが、さっぱり分からない。藤村が、まもなく天候が安定するからご安心くださいと言っているんだ、というから、その気になっていたが、ふと窓から外を見たら驚いた。片方のプロペラが回っていないんだ。そのときのアナウンスも羽田に引き返します、というものだったらしい。無事着地できたからいいが、あれ以来、必要のない限り、絶対に飛行機には乗らないことにした」
ちなみに機体整備のため出発が延期となり、川上は家に一度戻ったが、夫人は開口一番こういったそうだ。
「あら、ほんとにあなたなの。よく足を見せて」
落語のような話だ。
では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171227-13
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180729-02
③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190809-01
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┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
①┃ プロ野球仰天伝説 No.170 ┃ ONLINE
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マウンドで審判を試した“精密機械”小山正明
‡2018(平成30)年6月10日(日) 16:01 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
打者の“ツボ”をわずかに外す
阪神・小山正明
阪神、ロッテ、大洋を渡り歩いた小山正明は“芸術家”であった。その制球力の良さは針の穴をも通すと表現された。1953年に無名の高砂高から阪神にテスト同然で入団したが、そのときは183センチの長身だけが目立ってコントロールのつかない、頼りない投手だった。
それが日本一のコントロールの良い投手となったのは、「来る日も来る日もバッティング投手をやり、投球練習を続けたおかで」(松木謙二郎監督)である。21年間、「一度も肩が痛くなった経験がない」美しい投球フォームで320勝、投手のお手本となった。
小山がいかにコントロールに自信を持っていたかを物語るエピソードは64年、30勝した年の主審との駆け引きからうかがえる。
まず、内、外角に球1個外して投げる。もし、これをストライクと判定したら、その試合は楽なものだがめったにない。内、外角に球半分ボールにして投げてみる。主審のボールのコールを聞いてから、次にいっぱいのストライクを投げた。
「○○審判は上手だ」といわば審判をテストするほどだった。だから、小山からクレームをつけられた審判は、本心は「今のは間違ったんじゃ……」と反省したほどであった。
「ストライクを取るのはアマチュアのやること、俺は1球で打者を打ち取ることを考えて投げた」が極め付け。つまり、ストライク3つで三振させるより、初球、その打者が手を出しやすい好きなコースに好きな球種を投げて、しかもわずかに“ツボ”を外して打ち取ったのだ。
┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
②┃ プロ野球仰天伝説 No.169 ┃ ONLINE
┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
戦後、闇市の大物から監督になった小西得郎
‡2018(平成30)年6月10日(日) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
球界参入の相談から……
松竹・小西得郎
明大野球部の主将を務め、戦前は大東京(ライオン)、名古屋の監督をしていた小西得郎だが、戦後は東京の新橋で「仙台製作所」というニクロム線などを扱う怪しげな店を経営。警察からかくまった縁で、ヤミ米を扱う闇屋の親分とも懇意となり、のちの話になるが、その米を球団に横流ししたこともあったという。
生来の面倒見のよさと、とにかく食糧があったことで、終戦直後、小西の事務所には自然と野球人が集まり、球界再開の話し合いも行われていた。
小西は1949年、松竹の球界参入の際に相談に乗っていたが、なかなか監督が決まらず、最後は選手の岩本義行らに「どうせこんな店をやっていたって、いずれ捕まるから監督になってくれ」と言われ、「足を洗って」(小西)自ら、その任に就くことにした。
初年度の50年からセ・リーグ優勝も果たしたが、チームの内紛に嫌気がさして1年で退任。52、53年には大洋(洋松)監督となり、その後は解説者として活躍した。
┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
③┃ プロ野球仰天伝説 No.003 ┃ ONLINE
┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
西鉄の誇る“神様”稲尾和久の進化するスライダー
‡2017(平成29)年12月29日(金) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
曲がりは小さく、変化は鋭く
スライダーを完全にマスターすると、数種類投げ分けができるようになった
大沢昌芳(啓二。南海ほか)に「お前のスライダーはキラッと光って、その後、消える」と言われた西鉄の稲尾和久。入団当初は変化球が投げられず、ストレートが右打者の場合、外角に投げるとナチュラルのスライダーに、内角ならナチュラルにシュートになっただけだ。それでも1年目から21勝、1.06で最優秀防御率&新人王、2年目は35勝、1.37で最多勝&最優秀防御率だからただモノじゃない。
3年目からスライダーを意識して投げ始め、空振りが取れるようになった。そして完成したのがプロ6年目、42勝を挙げた年だ。ボール2個分、曲がるスライダーを習得。数種類の投げ分けができるようになった。
ただ、基本は「曲がりは小さく、変化は鋭い」というもの。握りは、ボールの右側に指を置き、指を滑らすように球を切り、最後は人さし指でさらにスピンをかけるイメージだった。コツは「中指を浮かせるくらいの感覚。これで変化が鋭くなる」(稲尾)。
なお、この1961(昭和36)年は、「マウンドにいると、頭上にもう一人の私がいて、迷いが生じたときに適切なアドバイスをしてくれるという不思議な体験をした。さらに打者のちょっとした動きから心理が読み取れるようになった」と振り返る。いわゆる“ゾーン状態”にあったようだ。
ただ、このスライダーを見せつつ内角へのシュートで詰まらせるのも、もう一つの必殺パターン。記者にもいつもスライダーの話ばかりして、気付かれないようにしたが、南海・野村克也だけには見抜かれた。
●稲尾和久(いなお・かずひさ)
‡1937(昭和12)年6月10日(木)生まれ。大分県出身。別府緑ケ丘高から
1956(昭和31)年に西鉄へ入団。21勝、防御率1.06で最優秀防御率に輝く活躍で新人王に。
1958(昭和33)年に史上初の2年連続MVP。西鉄黄金時代をけん引し、
1961(昭和36)年にシーズン最多タイ記録の42勝を挙げた。
1969(昭和44)年限りで現役引退、翌
1970(昭和45)年から1974(昭和49)年まで西鉄・太平洋の監督、
1984(昭和59)年から1986(昭和61)年まではロッテの監督も。
1993(平成五)年野球殿堂入り。
2007(平成19)年11月13日(火)死去。主なタイトルはMVP2回、新人王、最多勝利4回、最優秀防御率5回、最多奪三振3回。通算成績756試合、276勝137敗、防御率1.98
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①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180610-14
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180610-12
③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171229-13
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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