しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。
(マザー・テレサ)
クリスチャンは正しい人と思っている人が多くいると思います。
私もその一人でした。
自分の思い込みで、出会った人がクリスチャンだったので、結婚しました。
君はボクのもの、ボクはきみのもの
いつもそれが口癖の人でした。
何度も罪を犯すその人を見て、心の底から絶望を感じるようになりました。
けれど、彼はクリスチャン。
私の中に、彼に対する良い意味のレッテルを貼り続けて耐えていました。
バプテストで浸礼の洗礼を受けた日、何故か彼も洗礼を受けました。
彼が洗礼を受けた教会に彼の籍はなかったとのこと。
不思議でした。
それからも彼の罪は続きました。
ある時、私は気付かされました。
クリスチャンだから潔癖でも善人でもなく、
ダビデ王を見倣っているんだ・・・
罪を犯しては悔い改める。
そうすれば、神は赦されるんだ。
なんという・・・
それから、もう耐えられなくなった時、
私は10以上の病名が付いている中で、
キリストをこれ以上十字架につけないで!
と叫んでいました。
あなたのために、何度でも十字架にかかって下さるのは、
あなたが悔い改めてキリストに倣うようになるため。
涙があふれてこぼれました。
けれど、
彼の耳には入りませんでした。
それでも、彼が悔い改めて「イエス様、ごめんなさい、神様、ごめんなさい」
そういえば赦される。
ある時から私の彼への祈りが変えられました。
聖霊を受けて
十字架の愛を知ることができますように。
私は1993年にゆるしの告白をして病気がすべていやされました。
このことも驚くべき体験でした。
わたしも許さない思いを握りしめて病気を悪化させていたのでした。
神の悲しみと愛と赦しを知った日でした。
神は愛です。
こんな世にない愛を与えるために、
キリストは人となって肉体を持って人間界に降りてこられました。
十字架にかかられて
肉を持って血を流さなければ人間が知ることができない愛。
わたしはあなたに誠実を尽くし続けた。
エレミヤの言葉に涙します。
インマヌエルの主よ、ありがとうございます。
キリエ・エレイソン
”もし神が光の中におられるように、
私たちも光の中を歩んでいるなら、
私たちは互いに交わりを保ち、
御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
(ヨハネの手紙第一(1:7)”
7月31日の花言葉
カボチャ
大きさ・広大
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