自分のために取っておくものは、必ず失うであろう。
(C.S.ルイス)
今朝、眠りの中から
「聖霊を受けよ、聖霊をすべての人に」
そんな声が響いていました。
日本の救いのために主が祈られている。
思わず涙が出そうになりました。
イエス様は復活された後、弟子たちに宣教のノウハウを語られました。
いつも一体として働いて下さる聖霊さま。
洗礼を受けたクリスチャンでも聖霊体験をしたことがない、知らないという方が多くいます。
私も1993年に祈りでいやされた後、
「聖霊のバプテスマは受けていますか?」
と聞かれたことがありました。
「???」
洗礼は受けています。
洗礼は父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊の名によって授けられます。
不思議だなと思いましたが、この意味はなにか違う気がして、
「いいえ」
と答えました。
すると、その伝道者は
私と娘の頭に手を置いて
「聖霊のバプテスマを導きますね」
と言って祈られました。
「口を開いて声を出してみてください」
そう言われて、声を出すと、
娘は中国語のような異言、
私はフランス語のようなヨーロッパか中近東のようなことばが口から出ました。
異言で祈る祈りは悪魔・サタンが聞けないと言われる祈りです。
神様に直結する祈りです。
聖書のもっと深い読み方があるのだと知らされました。
聖霊はキリストへキリストへと導く正しい神の霊です。
いやしや奇跡を自分の手柄、自分の誉れとすると、次第に聖霊さまは離れていかれます。
すべて主のもの、100%です。
なにひとつ持ってはいけないものです。
人が持ちたがる思いも重荷も思い煩いも誇りも金銭なども、
すべて主のものだとわかる時がきます。
信仰と恵みは主からただで与えられています。
聖霊も主から与えられます。
求めなさいと何度も言われているのは聖霊のことです。
そして、聖霊は風のように好む所に吹かれます。
わたしが117の地震で揺れていた恐怖の中で聴いた声、
「おまえのものはなにひとつない」
そして、食器棚から落ちて割れていく食器を見つめていた時、
「わたしはいつもお前とともにいる」
聴こえてきた声。
聖霊様はその時、すでにご一緒にいて神の国を教えてくださっていたのだと知りました。
気づかなかったけれど、
生まれる前からずっと一緒にいて下さってた神の霊がおられた。
だから、いつも誰かがそばにいる気がしていました。
「わたしについてきなさい」
地震の直後に芦屋までJRが開通した日に教会の礼拝に行ったなかで聞いた声も、
すべてのすべてが神様の愛の中にいるんだよという平安を与えてくださるためだったのでした。
信仰を受け取るだけで良い。
わたしの恵みの中に
わたしの手の中で生きなさい。
どんな人でも聖霊を受けたら、
聖霊様が自由に風を吹かせてくださるなかで神の最善が成るのを見るでしょう。
語ることばもすべて、
その時に必要に応じて教えてくださいます。
♪キリストにはかえられません 世の宝もまた富も
このおかたがわたしに代わって死んだゆえです。
*世の楽しみよ、去れ
世のほまれよ、行け
キリストにはかえられません
世のなにものも*
キリストにはかえられません
有名なひとになることも
ひとのほめることばも
このこころをひきません
*~*
キリストにはかえられません
いかにうつくしいものも
このおかたでこころの
満たされているいまは。♪
*~*
大好きな賛美を捧げがら主に感謝をお捧げします。
神様が愛を込めて造られたすべての人が神の愛の中に帰る最後のひとりまで
福音を宣へ伝えなさい。
わたしが共にいるから、
すべてのことから解放されて着いてきなさい。
光の道を十字架の愛の道を歩むために主が両手を広げて迎えてくださっています。
「聖霊を受けなさい」
”イエスはまた彼らに言われた、
「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、
わたしもまたあなたがたをつかわす」。
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、
「聖霊を受けよ。
あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、
あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
(ヨハネ20:21~23)”
2月10日の花言葉
ジンチョウゲ
栄光・喜びを下さい・不死・不滅
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